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故郷の風-六ヶ所村を思う-

2012年5月 1日

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 故郷の風をどう感じるかは、各々の心の問題です。北国生まれの私は、冷たいが清々しい春の風が好きです。そこには、これから来るであろう実り豊かな一年の息吹を感じることができるから。目の前が真っ白く先の見えない吹雪の中を、不安に歩いた幼い日を思い出します。じっとうずくまる冬の日々から、春のにおいを感じたときの言いしれぬ解放感は、忘れることができません。

 4月7日、「反核燃の日全国集会」の開催された青森市・青い森公園は、私にとって故郷を感じる冷たい風が吹いていました。十和田湖と八甲田連峰を中心に、豊かな実りの大地と海が広がる青森県。しかし、その実りは先人の苦闘の歴史に支えられてきたもので、核燃施設が立地する六ヶ所村の歴史は、まさにその象徴です。そのことは、「さようなら原発1000万人アクション」呼びかけ人の一人、鎌田慧さんの著書「六ヶ所村の歴史」(上下2巻、岩波現代文庫)に詳しく書かれています。1969年の「新全国総合開発計画」、84年の「核燃料サイクル施設建設構想」などの国の政策に翻弄され続けてきた六ヶ所村の歴史、血と汗によって開墾した農地を奪われていく経過、分断されていく人のつながり、そして、反対運動の高揚と敗北。全国の原子力施設は、多かれ少なかれそのような歴史を背負ってきました。受け入れる、受け入れないにかかわらず小さな町の人々は、賛成・反対に二分され対立し、そのコミュニティーに大きな傷を残しました。そして、一旦受け入れたら、蟻地獄のようにいくつも施設を受け入れざるを得ない。自らの命をそうして危険にさらしていったのです。

 3月24日、日比谷公園で行われた「再稼働を許さない さようなら原発1000万人アクション」での、辛淑玉さんの発言が頭から離れません。「私が原発に反対するのは簡単です。それは差別だからです」、「貧しくて声を上げられないところに原発を持っていく」。まさに六ヶ所村の歴史が、そのことを証明しています。

 風のにおいには、豊かな四季折々の自然を感じます。そうして、私たちは悠久の歴史を生きてきました。原発事故は、そのような美しい大地を、人の生活を拒むものにつくり変えたのです。

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