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変わることへの勇気─パキスタンの少女に学ぶ─

2012年11月 1日

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 パキスタンの女子中学生マララ・ユスフザイさんが、武装勢力に銃撃され瀕死の重傷を負った。パキスタンタリバン運動が犯行声明をあげている。少女は、女子の教育の禁止などを強制するタリバンに反発し、「私には教育を受ける権利がある、歌ったり、おしゃれをしたり、自由に発言する権利がある」と米国メディアに語っていた。この勇気ある発言は、大勢の少女の共感を得ていたと伝えられる。国際社会からもタリバンへの非難声明が多くあげられている。ザルダリ大統領も、彼女の行動を「抑圧に立ち向かうパキスタン女性の象徴」と評価し、タリバンへの非難声明を発表している。旧ソ連や米国の軍事介入の中で闘い続けてきたタリバン勢力をどう評価するかは別にして、この少女への銃撃事件は許すことができない。誰にも人の命をもてあそぶ権利はない。彼女の早い回復を祈る。

 人間社会は、常に変化している。そのことへの配慮がどのような組織にも必要であり、常に変わることを求められている。江戸時代の日本は、封建社会の中にあった。士農工商と言われた身分社会には、儒教の教えが都合良かった。父子、君臣、夫婦、長幼、朋友の序を重んじる考え方は、身分制度の維持に大きな力となったことだろう。近代社会をめざした明治政府も、国民支配にその考えを利用した。そのことは、「爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ」「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」と教えた教育勅語に象徴される。江戸時代の封建制度から、市民平等となった社会においてもこの儒教の思想から変わることは難しかったのか。個人主義の仏民法典を範にした民法案は「民法出でて忠孝亡ぶ」とまで言われた。敗戦という大きな代償を払った後、私たちは個人主義と民主主義という新しい変化を獲得したのである。

 マララ・ユスフザイさんは、変わることを熱望し「学校に行くのが怖かった」と感じながら、しかし勇気を持って発言し行動した。私たちは、彼女の勇気を学びたい。変わることへの勇気のない日本の政治にも学んでもらいたい。
 

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