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「差別を許さない」ことが平和をつくる!

2013年2月 1日

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 「障害を持ったことで、底上げされている気分。私は誰かを感動させるために、生きているんじゃない」。12月25日付の朝日新聞で「生きる 光と音のない生-目と耳の力失った女子大生-」という記事にあった言葉だ。「そもそも生きるって、自分って、なんだろう?(中略)私ってポンコツじゃないか、と」と自問する彼女の回りに集まった友人の中で、彼女を入れたつきあい方の「場のルールがいつの間にかできた」という。共生の社会のあり方が見えてくる。

 この記事を読みながら、子どもの日の記憶がよみがえった。故郷北海道の小さな農村で、土蔵が燃える火事があり若い女性が焼死した。亡くなった女性は、精神疾患を病み、その土蔵の中で他人の目から隔離されて生きていた。1960年代の日本には、病気や障がいを恥とするような社会的風潮があった。病気や障がいを持つ人々に、きびしい社会だったと思う。戦前の社会は、戦争に勝つというひとつの目標に社会が収れんされた。「一旦緩急あれば義勇公に奉仕」と、徴兵制度の中で命をもって国に報いることを強制された。その裏で、戦えない障がい者は、戦えないが故にきびしい差別にさらされた。「家の恥」とは、そのような雰囲気の中でも醸成されていく。戦争をする国家は、究極の差別国家だと思う。

 障がい者の高校進学を求めて闘っている人々がいる。中学卒業者の98%が進学するにもかかわらず、高校は義務教育でないことを理由に、入学者選抜制度を用いて子どもたちを選別する。その結果、高校は経済的にも社会的にも能力的にも均質な集団となる。そして、能力主義・適格者主義は、障がい者、特に知的障がい者の普通高校進学を阻む。かくて子どもたちは、均質な集団生活から突然多様な人々が生きる社会に投げ出され、戸惑うこととなる。障がい者と共に生きる術もルールも身につけない中で、ともすると排除の方向に動いていく。

 安倍内閣は、高校無償化の朝鮮高校適用を、省令をもって排除しようとしている。究極の差別、人権侵害。その安倍内閣の教育再生会議のメンバーに作家の曾野綾子が選ばれた。かつて彼女は「国から色々なことをしていただいている私たちは、奉仕活動を通じて少しでも国にお返しするのが当たり前」と述べていた。就労もままならない状況に置かれている障がい者が、どう奉仕するのか。徴兵制の中の障がい者を思い浮かべる。障がい者の思いはいかばかりか。その言葉の裏に潜む差別に気づかない人間に、教育を語る資格はない。

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