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働く者の唄 ヨイトマケの唄

2013年4月 1日

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 3月16日付の朝日新聞「うたの旅人」で、去年のNHK紅白歌合戦に初出場した美輪明宏さんの「ヨイトマケの唄」が取り上げられていた。1966年のヒット曲、私は歌番組で聞いた記憶がある。その後、「土方」「ヨイトマケ」が差別的表現とされ、民放は長らく放送を自粛する。視聴者の反応は「素晴らしいです。涙が出ました」「わが家の妻と高1の娘とともに感動しました。歌が終わったあとも、1分間くらいテレビの前に3人で沈黙していました」「美輪明宏に鳥肌がたった。凄い、凄すぎる」等々、絶賛の嵐のようだ。

 美輪さんは、筑豊炭田で働く人々に触れてこのような歌を作り始めたらしい。戦後の「傾斜生産方式」の中で、日本の炭田地帯は増産に明け暮れた。明治期からの「納屋制度」を引き継いだようなきびしい労務管理と、老朽化した施設や産炭坑道の分散化や深層化に伴う事故の増大、増産と単価の引き下げによる労働強化、1948年の三池炭鉱では1日の死傷者の平均が20.1人であったという数字もある。

 1960年代、北海道の室蘭本線の沿線に住んでいた私は、長い長い石炭列車に感動していた。石炭を2800トン積んだ列車は長さ550メートルにも及んだという。その石炭を産出した石狩の炭鉱は、今はすべて閉山した。ガス突出・爆発、粉塵爆発、坑内火災、そして救出できずに行われる坑内注水、いったいどれだけの労働者が坑内に眠っているか。炭鉱は事故との闘いだった。

 石炭は石油に取って代わられ、閉山が相次いだ。その後の労働者の生活は困窮を極めた。2001年10月13日から西日本新聞に連載された九州最後の炭鉱・池島鉱の閉山を伝える記事がある。「国に突き放され」「会社批判が続出」などなど、捨てられた石炭産業の終えんが見える。「地域の雇用を支えると言うだけで、国内炭を引き取るのは難しい」「電力業界は安堵」とも書かれている。今や、地域雇用を支えるとして原発の存続を主張する電力業界であるだけに思いは複雑だ。

 石炭から石油へ、原子力から自然エネルギーへ、歴史は動いてきた。しかし、そこには常に虐げられ、そして捨てられていく働く者の姿があった。「ヨイトマケの唄」への感動が、単なる郷愁であってはならない。

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