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何のための「憲法9条」か!

2014年7月 1日

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 ある県の「戦争をさせない1000人委員会」に女性の声で電話があった。「集団的自衛権行使を容認させないためにはどうしたらいいでしょうか?」。その女性は自衛官のつれあいだった。「私の夫は外国で戦争をするために自衛官になったのではありません」─そう訴えていたと聴いた。これまでの安倍晋三首相の説明では、この自衛官のつれあいの危惧、つまり「集団的自衛権を行使して戦争をするのは自衛官であり、自衛官はそこで敵対する側と命のやりとりをする」と言うことに全く触れていないのではないか。少なくとも私は聴いていない。「国民の生命と財産を守る」、そのためには集団的自衛権の行使は必要だという論理の裏側にある自衛官一人ひとりの、いや踏み込んで言えば私たち一人ひとりの命のやりとりに触れないのは不誠実だ。

 戦争は、おそらくそのほとんどが「自国を守る」と言う名目で行われてきた。安倍首相の「ホルムズ海峡が封鎖されれば、日本経済に大きな打撃になる」という主張を聴くと、「満蒙は日本の生命線」と言う言葉を連想する。15年戦争の発端となった1931年の柳条湖事件、泥沼の日中戦争に突入する1937年の廬溝橋事件、一人の人間の策謀から、一発の銃弾から戦争は取り返しのつかない事態を招く。必要最小限度とか「重大な事態」などの制約など全く役に立たない。一人の人間のちっぽけな理性などでは御しがたい戦争国家という「レヴィアタン」は、国民の約3分の1の命を奪い、その7倍近いアジアの人々の命を奪った。この歴史認識は、この国に生きている者の多くが共有するものではないのか。

 米国は、第二次大戦終了後も「自由と民主主義」を守るとして戦争を続けてきた。そして、今世界中から疎まれているのではないか。戦場から帰還できなかった若者がいて、帰還しても精神を病む若者がいる。そのことを米国社会は隠し続けている。日本は、戦後69年、自衛隊という再軍備を行っても「専守防衛」のもと一度も戦闘に参加してこなかった。「平和主義国家」としての日本が世界に定着してきた。今まさに、そのことの是非を議論しなくてはならない。何のための「憲法9条」だったのか。

 6月12日に「戦争をさせない1000人委員会」の集会の壇上に立った俳優の菅原文太さんはぽつりと言った。「戦争反対に反対するいわれはないので、今日ここに来た」と。

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