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アイヌ民族の静かな闘いと貧困な保守

2014年9月 1日

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 「アイヌ民族なんて、いまはもういない」と、札幌市議の金子快之議員がツイッターに書き込んでいた。彼は、問題が起きた後も発言を取り消すこともなく、謝罪もない。アイヌ民族に対する差別を断じた、自らもアイヌ民族である故・知里眞志保北海道大学教授の発言を取り出し、「マスコミの批判は人種と民族を取り違えている。知里教授は『アイヌ文化は明治時代以前に滅びてしまった』と書いており、その民族性はアイヌをルーツに持つ日本人に引き継がれたのだ」と、その表層しか捉えることのない主張を繰り返している。アイヌ民族に生まれ、差別と貧困の中から立ち上がり、自らの文化研究に生涯を捧げた知念教授の、複雑な心情を思いやることもない。

 このような無知蒙昧な発言を繰り返す者が市会議員として存在していいのか。彼は自身のブログでも「『アイヌ』を法的に証明する根拠が現行法にない」とし、住宅整備の低利貸し付けや奨学金などがアイヌ民族を名乗る目的だと誹謗中傷している。しかし、彼の所属する自民党・市民会議は「個人的発言」として処分しないことを決めている。批判しない政治は、自らもその片棒を担いでいることに他ならない。日本の保守政治の貧困を象徴する事件だ。

 アイヌ民族は、15世紀に入って侵略する和人と抗争を繰り返す。1457年の「コシャマインの戦い」、1669年の「シャクシャインの戦い」などは有名だ。しかし、北海道開拓が本格化する明治以降は、狩猟採集の民であったアイヌ民族は、開拓民に良好な土地を収奪され生活は困窮する。1878年には開拓使がアイヌ民族を「旧土人」とし、1899年には「北海道旧土人保護法」を制定し、徹底した同化政策を実施することになる。それは、沖縄や植民地とした朝鮮半島でおこなわれたことと同様であった。

 このアイヌ民族を「土人」と呼ぶ差別的法律は、国連が「世界の先住民の国際10年」を開始した1994年を過ぎて、1997年の「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」の公布、施行まで存在した。アイヌ民族の復権・復興、アイデンティティー確立へ、非暴力の静かな闘いは始まったばかりだ。

 「時は絶えず流れる、世は限りなく進展してゆく、激しい競争場裡に敗残の醜さをさらしている今の私たちの中からも、いつかは、2人3人でも強いものが出てきたら、進みゆく世と歩をならべる日も、やがては来ましょう。それはほんとうに私たちの切なる望み、明暮祈っている事で御座います。けれど......愛する私たちの先祖が起伏す日頃互いに意を通ずる為に用いた多くの言語、言い古し、残し伝えた多くの美しい言葉、それらのものもみんな果敢なく、亡びゆく弱きものと共に消失せてしまうのでしょうか。おおそれはあまりにいたましい名残惜しい事で御座います」。1922年に出版された「アイヌ神謡集」の序文にある、知念教授の姉、知里幸惠さんの言葉です。

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