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2016年01月01日

沖縄を植民地にしてはならない

沖縄県民の総意は、辺野古への新基地建設反対で揺るがない。キャンプ・シュワブゲート前には、工事車両の搬入を阻止しようと市民が座り込む。警視庁の機動隊が、その一人ひとりを力尽くで排除する。沖縄県警はそもそも県民であり「その警備は生ぬるい」とでも言うような、警視庁機動隊の導入である。どこの予算から支出されるのか。多額の費用を投じ、強硬手段に訴えて反対派を排除している。

前泊博盛・沖縄国際大学教授は「民意に逆らっての制圧は、誇りを持ってできる仕事ではない。現場には地元民同士のあうんの呼吸もある」と述べ、山城博治・沖縄平和運動センター議長も「無用な衝突を避けるための相互理解もある」と述べている。
1879年、日本政府はそれまでの歴史を無視し、力尽くでの琉球の併合を行った。これを「琉球処分」と呼んでいる。沖縄は、翁長雄志県知事以下、県民の総力を挙げて平和的手段で中央政府と闘っている。翁長知事は2015年5月の県民大会で「うちなーんちゅ、うしぇーてぇー、ないびらんどー(沖縄人をないがしろにしてはならない)」と発言した。

「沖縄は三度植民地とされた」と私は思っている。一度は1879年の「琉球処分」、そして二度目は1951年のサンフランシスコ講和条約第3条で米軍政下に止め置かれたこと。沖縄は、日本国憲法の平和と民主主義の下へ復帰しようと米軍政下で闘い続ける。1972年、ようやく本土復帰するが、米軍基地は残されたままとなった。沖縄の現状は、三度目の植民地といえる。
植民地の声はかき消され、強硬手段による支配だけが横行する。市民社会は権力によって分断される。ゲート前の現状はそのことを象徴している。
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沖縄の小学生、瀬底蘭さんが「新聞感想コンクール」で最優秀賞を取った。ゲート前での市民と警察の対立のニュースを見た母が泣いていた。父は警察官。警察官が悪者扱いされていることに涙したかと思ったが違っていた。「市民の声を聞いた警察官は目頭をこすって空を見上げた」と県民の複雑な思いを表現した記者に、母は感謝して泣いたのだ。彼女は「県民同志が向かい合わなくてもすむような『本当の終戦を』」と結んでいる。この声が、どうして政治の世界に届かないのか。私たち自身、沖縄の植民地化に手を貸してはならない。
(藤本泰成)

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