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ニュースペーパー2014年6月号

2014年6月 1日

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第37回沖縄平和行進
 沖縄が日本に復帰してから42年目となる5月15日、第37回沖縄平和行進結団式が那覇市内で開催されました。おりしも安倍首相の私的諮問機関である「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」から集団的自衛権行使を容認する報告書が提出され、首相が憲法解釈の変更を表明した日と重なりました。沖縄の県内紙は「憲法の輝きはまさに沖縄の『道標』であった。しかし今、その道標は安倍政権によって葬られ、墓標が立とうとしている。再び戦争への道を開きかねない集団的自衛権の行使容認の見解表明は、沖縄が再び戦場にならないかという恐怖を呼び起こす」と社説で記しています。
 結団式で山城博治実行委員長(沖縄平和運動センター議長)が「戦争に反対する声を全国に発信していこう」と呼びかけると、会場は力強い賛同の拍手に包まれました。16日に名護市・辺野古で行われた東・西・南各コースの合同出発式での発言や、県内の軍事基地や南部戦跡を巡る各コースの参加者も、口々に戦争ができる国づくりをする安倍政権を批判し、シュプレヒコールをあげ続けました。沿道からは私たちの声に呼応してこぶしを突き上げる高校生、行進に向かって手を振りつづけ、あるいは拝む高齢者もおり、沿道の人々と一体となった平和行進が進められました。(写真は辺野古の浜での合同出発式)。

インタビュー・シリーズ:90
国を超えた「戦争反対」の交流。9条改憲阻止とともに。
ピースボート共同代表 野平 晋作さんに聞く

野平 晋作さん
プロフィール 1964年鹿児島生まれ。1992年よりNGOピースボートの専従スタッフとなる。現在、共同代表。国際交流の船旅の企画、コーディネートをする傍ら、歴史認識問題、在沖縄米軍基地問題、原発問題等について、他の市民団体とともに活動を続けている。「さようなら原発1000万人アクション」や「戦争をさせない1000人委員会」の活動にも参加している。

─社会問題を意識されるきっかけは何ですか。
 中学・高校とずっとブラスバンドをしていまして、特に中学は新設校で、ゼロからの立ち上げだったので、昔からある学校を回って楽器を貸してくれという交渉や部員の募集、部活動の運営に夢中でした。鹿児島生まれで、大学も鹿児島大学で国際関係、特に南北問題を勉強しました。ただ、いわゆる第三世界の国々に行ったことは無かったんです。卒業して企業に就職しましたが、ずっと南北問題に関心があり、現地に行って色々なことに触れてみたいという思いがありました。それで、ピースボートでフィリピンや、ベトナム、カンボジアに行くという企画があったので参加し、いい体験をしました。これが、私の運動への参加のきっかけとなりました。

─ピースボートではどのような活動をされてきましたか。
 1982年、高校の歴史教科書に記載されていた日本のアジア諸国への「侵略」の文字が文部省の検定で「進出」に修正されました。そのことにアジア諸国が強く抗議し、教科書問題は国際問題化しました。翌1983年、大学生であった若者たちが教科書では歴史の事実を学べないのではないかと考え、日本軍の侵略戦争の被害者の証言を聞くために船を出したのがピースボートの始まりです。
 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)にも6度行きました。1996年、ケソン(開城)から板門店にバスで向かったときのことをよく覚えています。案内してくれた方が「皆さんに覚えて欲しい歌があります、『我らの願いは統一』という歌です。この曲は南朝鮮で作られた歌ですが、統一への思いは私たちも同じです。ケソンには今でも多くの離散家族がいて、1日も早い統一を望んでいます。なので今日は、日本から来た皆さんにもこの歌を覚えてほしい」という話をしてくれました。直接こういう貴重な体験をした人たちは、将来、仮に北朝鮮の関係がもっと悪くなり、戦争も辞さないという状況になったとしても、北朝鮮で出会った人間のイメージがリアルにあるので、戦争には反対すると思います。国と国の関係が悪くても民間の交流を続けることが重要だということをピースボートの活動を続けながら痛切に感じています。
 一方でこういう体験もしました。アジアの国を訪れると、日本軍の被害者のお話を聞く機会があります。韓国で「慰安婦」被害者の証言を伺い、次の年も同じ方に話を伺う機会がありました。証言をしてくださったハルモニにこのようなことを言われました。「前回もピースボートの皆さんに私は同じことを話しました、その後皆さんは日本でどういう活動をしてくださいましたか?」。勇気を持って自らの辛い体験を語ってくださった被害者に対し、私たちは「とても勉強になりました」では済まされないということを痛感しました。政治情勢に左右されず、恒常的に市民レベルでの交流を続けることは大切なのですが、やはり、日本の市民は日本政府の政策に責任を持ち、おかしい所は修正していくということをセットでやらなければダメだということを考えるようになりました。それ以後、ピースボートの活動を続けながら、個別の課題は他の市民団体と協力し、集会や議員へのロビイングなどをやっています。

─東アジアの歴史・平和の問題についてお聞かせ下さい。
 イラク戦争のとき、日本は米国にすぐに支持を表明しましたが、ドイツとフランスは反対しました。この違いが重要です。日本はいまだに過去の清算ができていないために、アジア諸国との和解が成立していない。隣国との関係が悪いので、米国と関係が悪くなると日本は世界から孤立するんじゃないかという不安感を日本政府は持っているのではないでしょうか。だから日本政府として自立した判断はせず、いつも米国に従ってついていく。ドイツの場合は過去を清算し、隣国とも和解し、その結果、ヨーロッパはEUという共同体になっているので、米国との関係が多少悪くなることがあっても、ドイツが世界から孤立するというような恐怖感はないでしょう。日本も過去を清算し、隣国といい関係を作ることができたら、米国とも是々非々で対等にものが言えるはずです。歴史認識の問題は平和の問題に直接結びついています。
 今、力を入れているのが、「日韓つながり直しキャンペーン2015」です。1965年の日韓基本条約、日韓請求権協定を問題にしています。日韓国交正常化のあり方には問題がありました。まず、日本の植民地責任の問題を棚上げにしたこと。2つ目に、戦後賠償を経済協力にすり替えてしまったこと。3つ目に朝鮮半島で唯一正当な政権は韓国だけであると規定したことです。ここから日韓関係の多くの未解決問題が起こっています。日韓国交正常化から50年目となる来年、日韓両政府は日韓基本条約を追認するような声明や談話を発表するかもしれません。そうではなく、国交正常化50周年に向けて、両国間の未解決問題を解決しようという機運をつくるのが、このキャンペーンの趣旨です。韓国では、強制徴用被害者の請求権を認める司法判決が相次いで出ています。このことを「1965年体制の終わりの始まり」とする報道も韓国ではあります。韓国の司法判決を梃子にして、2015年に向けてこの運動を盛り上げ、「1965年体制の終わりの始まり」をより確かなものとしていきたいです。
 1965年当時、米国はベトナム戦争を進める上で日韓両政府の協力を得るため、韓国政府には戦後賠償できついことを言うなと圧力をかけ、日本政府には韓国への経済協力を約束させ、強引に両国の国交正常化を促しました。歴史問題の棚上げは米政府にも責任があると思っています。今、米政府は、日本政府に靖国参拝と河野談話の見直しを思いとどまるよう要請し、韓国政府には歴史問題をその次元で納得させ、韓米、日米の同盟関係を強化していこうとしているように思えます。65年当時と今を較べてみても、日韓米の構図はよく似ています。日本の過去の清算を求める運動は、東アジアの冷戦体制の克服にも影響を与えるものだと思っています。

─イスラエル、パレスチナ問題についての考えを。
 特定の人びとを犠牲をして世界の「平和」を維持するという世界の構造を象徴する問題だと考えています。2011年にピースボートの船に、イスラエル、パレスチナの若者が40人づつ乗船し、2週間ほどの間、一緒に生活をし議論をしました。彼(女)らの議論を聞いていて、アジアの中の日本と中東の中のイスラエルの存在がよく似ていると思いました。イスラエルの若者は、イスラエル国内でパレスチナとの共存を訴えると非国民扱いを受けます。様々なプレッシャーを感じながらも勇気を持って対話を呼びかけています。一方、パレスチナの若者は、イスラエルによるパレスチナ占領という現実がまったく変わらないため、イスラエルの平和運動は一体何をしているんだという疑問を持っていました。
 私も韓国で行われた「慰安婦」問題の集会に参加した際、韓国の主催者代表から同様のことを言われたことがあります。「ここに集まられた日本の皆さんは日本でも良心的な方だということは知っています。しかし、あえて言わせていただくと、皆さんは日本の飾りに過ぎないのではないか。場合によっては、いつまでたっても過去の清算ができない日本を弁護するための存在になっている。私たちは韓国を民主化するために命がけで闘った。皆さんはどれだけ日本政府と闘っているんですか」。私も日本では「慰安婦」問題や靖国問題に関わる中で「反日日本人」として批判されながら活動していますが、たとえがんばっているつもりでも、過去の清算ができない日本政府に責任を負っているという意味では言い逃れはできないと思っています。ピースボートの洋上で、パレスチナの若者に問いつめられているイスラエルの活動家の姿が、日本で闘っている自分たちとダブって見えたことが印象に残っています。

─集団的自衛権と憲法問題については。
 歴史的に見ると、憲法9条は天皇の戦争責任の免責と、軍事基地として沖縄を米軍に「半永久的」に差し出すこととセットで定められました。私が今関わっている運動の大半は、日本が憲法9条を言い逃れにして本気で取り組んでこなかった問題ばかりです。戦争放棄、戦力の不保持、交戦権の否認を定めた憲法9条は、アジア諸国への誓いであるばかりでなく、紛争の絶えない世界を平和に導く人類の宝だと思っています。憲法9条を本当に普遍的なものにするためにも、沖縄の米軍基地をなくし、また、日本政府が過去を清算することが必要だと思っています。
 これまで憲法9条があったため、イラク戦争やアフガン戦争のときも日本政府は特措法を作らざるを得ませんでした。戦闘地域で活動しない、武力による威嚇や行使があってはならないなど歯止めがありました。憲法解釈で集団的自衛権容認ということになれば、歯止めがなくなり、憲法の条文が残っていても実質的意味が無くなってしまいます。安倍政権は閣議決定で集団的自衛権を容認しようとしていますが、憲法三大原則のひとつの平和主義を閣議決定で変えることなど許してはなりません。

─「戦争をさせない1000人委員会」への決意を。
 1000人委員会には憲法の専門家も、労働運動や平和運動をやっている方も大勢関わっていらっしゃるので、自分の役割は運動の裾野を拡げていくことだと思っています。委員会のロゴを作る際も、できるだけ柔らかい印象を与えるものにと、温かみのあるイラストを描くデザイナーを紹介したりしました。これからが正念場です。

インタビューを終えて
 野平さんは、戦争をさせない1000人委員会に結成準備から関わってこられました。ピースボートの活動を通じ、平和のための活動を日本の枠を破ってとりくんでこられました。靖国問題、日本軍慰安婦、イスラエルとパレスチナの問題など、歴史の屈折の中に根深く起因している重大なテーマから背を向けない態度に感服するほかありません。重大なテーマであればあるほど、その根底に、逃げたくなるようなある種のタブーに突きあたりますが、野平さんは、国家・国籍を超越する様に、このタブーも簡単に踏み越えて進んでおられます。
(道田哲朗)

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低俗な改憲派の面目躍如・安保法制懇報告
解釈改憲の「遠慮」すらなく、自由な集団的自衛権を語る
平和フォーラム 副事務局長 道田 哲朗

 安保法制懇(安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会)が、5月15日、集団的自衛権の行使容認に向けた『報告書』を政府に提出しました。憲法解釈の理不尽な変更と戦争放棄の「放棄」という2つの大きなハードルが踏み越えられはじめました。
 低俗な右翼オピニオン誌の論調を、首相の私的諮問機関という仰々しい公式の『報告』にとり上げた現政権の卑俗さを証明しています。反論を意識した攻撃型の組み立てですが、憲法の解釈を政府が政治的に変更する上での理屈であることには変わりありません。その意味で、この分量のある『報告』について、今後も体系的な批判を加えていかなければなりません。


戦争をさせない1000人委員会院内集会(5月20日・衆院)
「必要最小限度」も踏み台にして進む集団的自衛権
 第一に、報告の政治的で中心的な特徴について考えてみたいと思います。それは、集団的自衛権容認の必要性を打ち出しながら、「必要最小限度の集団的自衛権は許される」という高村正彦自民党副総裁らが打ち出していた抑制的な集団的自衛権、または限定的な集団的自衛権が、この報告にどのように反映されているかという点です。結論を言えば、この『報告』は、高村副総裁流の限定的な集団的自衛権を問題にしていません。戦闘と武力行使の自由と同様、自由な集団的自衛権を主張しています。これがこの『報告』の政治的な性格を形づくっています。
 高村氏自身、彼の派閥の伝統を裏切らない「バルカン政治家」であり変節の政治家です。彼は、市民と公明党を意識して、今回容認をめざそうとしている集団的自衛権が「典型的な集団的自衛権」ではなく、「憲法の範囲内での集団的自衛権」であり、さまざまな条件と「制限が加えられた集団的自衛権」であると説明してきました。高村氏はこのようなソフトイメージで、集団的自衛権を粉飾しようと努めてきましたが、結局は、解釈改憲の水先案内人でしかありません。しかし彼は、「必要最小限度の集団的自衛権ならできる」と述べ、必要最小限度の個別的自衛権と同じく、「必要最小限度の集団的自衛権」の自論を展開してきました。けれども『報告』は、これら高村氏流の気遣いを一掃して、限定的または必要最小限度の基準など一顧だにしない自由な精神で集団的自衛権が書きぬかれました。事前または事後の国会承認という手続きだけが付け足しの様に書かれているだけです。『報告』は「典型的」な集団的自衛権を示唆しています。この『報告』に解釈改憲への遠慮会釈など微塵もありません。
 『報告』が、その後の政治的妥協によって薄められるのを承知して書いたのか、それとも、集団的自衛権に「必要最小限度」などと言う定めがあり得ないと知り、その真理にそむきたくないのか、いずれかでしょう。『報告』は「【4】おわりに」でこのように述べています。「必要最小限度の中に個別的自衛権は含まれるが集団的自衛権は含まれないとしてきた政府の憲法解釈は、必要最小限度について抽象的な法理だけで形式的に線を引こうとした点で適当ではなく、必要最小限度の中に集団的自衛権の行使も含まれると解すべきである」と。「必要最小限度について抽象的な法理だけで形式的に線を引こうとして適当ではな」い、と言うのがこのフレーズの重点です。

地理的制限など設けない行動の自由
 つぎに、『報告』のそのほかの特徴について列挙だけしたいと思います。第二の特徴は、これまでも憲法の解釈の変更をしてきたと過去の政府の変節をくどくど述べています。その中には、最高裁が憲法解釈を下したという砂川事件の悪名高き田中耕太郎判決も加えられています。第三に、世界は紛争と戦争の渦まきこまれているという「わが国を取り巻く安全保障環境の変化」。第四に、平和主義や基本的人権、国民主権の基礎には安全保障が前提という論理。第五に、アメリカに向かうミサイルを撃ち落とす能力があるのにそれをしないのは同盟の根幹にかかわるという思想。第六に、集団的自衛権は権利であって義務ではないという確信。第七に、集団的自衛権の行使となるべき事例を、個別的自衛権や警察権で説明するのは、国際法違反のおそれがあると言っています。
 第八に、個別的、集団的自衛権を行使する自衛隊部隊の活動の場所に、地理的な限定を設けることは適切でないと主張。第九に、軍事的措置を伴う国連の集団安全保障と武力としてのPKO参加。第十に、領域国の同意がない場合でも、在外自国民の保護・救出は、手段がほかにない場合には自衛権の行使として許容される。第十一に、武力攻撃に至らない侵害も国際法上合法な行動は憲法上容認されるべきであると述べています。行動への歯止めや基準などというものを批判しているのが『報告』です。

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「戦争をするための教育」─安倍政権のめざすもの
フォーラム平和・人権・環境 事務局長 藤本 泰成

靖国参拝と憲法改正をやりたい安倍晋三
 安倍晋三は、2007年の第1次政権退任後、親しい者に「在任中に靖国神社に行きたかった。どうしても憲法改正をやりたかった」と述べたとされています。靖国参拝と憲法改正が、彼の中では一つの重要な課題となっていました。2012年12月に首相に返り咲いて以降、憲法96条改正や集団的自衛権の行使容認などを主張し「戦争をする国づくり」を掲げています。「戦争をする」と言うことは、日本の若者が自ら戦闘に参加し、銃を持って相手を殺し、そして時には自らも死んでいくことを意味します。
 戦前の社会は、教育勅語に「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ(もし危急の事態が生じたら、正義心から勇気を持って公のために奉仕し、それによって永遠に続く皇室の運命を助けるよう)」と書き、学校教育で徹底して教え、国のために死ぬことを美化し強要しました。軍人勅諭は「軍人は忠節を尽すを本分とすべし」「誰かは国に報ゆるの心なかるべき」と諭します。「国家」に忠誠を尽くすことを何よりの美徳とし、「義は山獄よりも重く、死は鴻毛(こうもう)よりも軽しと覚悟せよ」として、国のために死ぬことを厭うなと教えます。戦前の教育の根幹であった教育勅語と戦争を実際に担った軍人への直喩は、その基本的精神において全く一致するのであり、一致させなくてはとうてい戦争を遂行することのできないものであったのです。
 一方で、国のために命を捧げた者は「靖国神社の神と化す」教えられ、名誉の戦死は肉親の涙さえ許さないものになっていきます。国家神道である靖国神社と教育勅語、軍人勅諭、そのすべてが結びついて戦争への道は完結するのです。

教育勅語は軍国主義の象徴
 現在、安倍政権での教育改革の責任を担っている下村博文文部科学大臣は、4月8日の記者会見で、「(教育勅語は)至極まともなことが書かれていると思う。軍国主義教育の推進の象徴のように使われたのが問題だった」などと述べています。また、4月25日の衆議院文部科学委員会においても、教育勅語を「日本の国柄を表している」と評価し、「万一危急の大事が起こったならば、大義に基づいて勇気を奮い一身を捧げ」の部分は「わが国が危機にあった時、みんなで国を守っていこう。そういう姿勢はある意味では当たり前の話」と述べています。この教育勅語の言葉は、軍国主義の象徴であったのです。「象徴のように使われた」のではなく象徴であって、近代市民社会が多くの血を流して勝ち取ってきた「個人主義」、日本国憲法の第13条「すべて国民は、個人として尊重される」という、戦争を遂行するために極めて都合の悪い考えを否定することに使われていったのです。
 日本国憲法が成立した後、1948年6月19日、衆・参両院において「教育勅語等排除に関する決議」が行われ、教育勅語や軍人勅諭の失効が確認されました。日本国民は、新しい戦後社会に向けて踏み出す中で、戦争遂行の基盤となった教育のあり方に終止符を打ったのです。日本の教育の責任を担う者として、教育勅語を肯定する発言を公の場で行うことは、決して許されるものではありません。教育勅語が果たした役割を考えるとき、また、そのものが国政の場で失効したものであることを考えるとき、決して教育勅語に象徴される国家主義的教育の復活を許してはならないのです。


「教育勅語」
戦争をしないことが日本の「国柄」
 さらに下村大臣は「学校の授業で日本人は悪いことばかりしてきたと教え込んだ」と主張して、東アジア諸国との歴史認識の問題となっている「従軍慰安婦」の存在や、「南京大虐殺」などの歴史を否定する発言を繰り返してきました。下村大臣は安倍晋三首相とともに、改憲・右派団体「日本会議」の国会議員懇談会で幹事長・副会長を務める間柄です。この教育改革は、そのような思想の上に成立しているものであり、戦争を補完する「教育」というものを意図しているのです。「道徳の教科化」は「修身」を、「日本史の必修」は「国史」の復活を意図するものであり、「領土教育」なるものはナショナリズムの牽引するものです。そして、教育委員会制度を改変し、国の意図する方向に教育を引きずろうとしています。
 改憲を主張し、安倍政権の教育改革に賛意を示す者は、よく「国柄」と言う言葉を使います。しかし、そのことを具体に示す者はいません。私は、もし「国柄」と言う言葉を使うなら、戦後の民主主義、個人主義、平和主義を、今の日本の「国柄」であると主張します。「戦争をしない」ということが、日本の「国柄」なのです。
(ふじもとやすなり)

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水循環基本法成立と今後の課題
水は基本的人権、水は公共財
全日本水道労働組合 書記長 西川 正夫

90年代から「水基本法」を求めて運動
 全水道労組は、1990年代から水源保全を含めて水の総合的な法律が必要だとして「水基本法」の制定を求めてきましたが、ようやく今年の3月27日の通常国会において「水循環基本法」として成立しました。1960年代からの高度成長の中で、水や空気が汚染され、水俣病や四日市ぜんそくなどの多くの公害問題が発生しました。そして80年代からは、これら個別の公害問題だけでなく、環境問題として認識されるようになりました。
 既に、各国においては総合的な水の法律があります。しかし、日本では多くの水に関する事業法はありますが、水道は厚労省、河川・下水道は国土交通省、農業用水は農水省、工業用水は経産省、環境問題は環境省などと8府省に分かれてばらばらに管理されています。こうしたことから、水の総合的法律が必要であると指摘されてきましたが、具体的にならない状況が続きました。しかし、先の民主党政権下で、連合・自治労・全水道の働きかけもあり、自民党を含む全党派の議員立法としてまとめられ、今回ようやく成立したものです。
 全水道の水基本法の理念は、「水は基本的人権」「水は公共財」「住民参画」としてきました。今回の基本法では、水は基本的人権という文言は法文としては入りませんでしたが、法案前文に「水が人類共通の財産であること」「水が健全に循環し、そのもたらす恵沢を将来にわたり享受できるよう」この法案を作るとして、地下水を含む水が公共財として明確に位置づけられました。すなわち、水は私的なものでなく、官吏のものでもなく、まして、権力者のものでもない、公共のものとされたことは、大きく評価できると思います。

住民参画のもとに総合的な水政策を
 この法律はあくまでも理念を定めた基本法です。すぐに、総合的な水政策が推進されるわけではありません。そのスタートラインに立ったことだとして認識しています。この基本法に基づいて、内閣府に水循環政策本部が設置され、水循環基本計画が策定されることになります。この基本計画策定を政府だけに任せるのではなく、私たち働く者など、水は多くの人々に関係します。そうした人々が参画できる審議会やフォローアップ委員会等のシステム作りが当面の課題です。そのため、この法案を作った議員の皆さんや識者の方々と議論しています。
 また、この法律で流域管理が謳われています。淀川流域協議会のような、地域での流域協議会などの設置も求められています。ここへも、住民参画が欠かせません。


全水道等のポスターより
水の商品化を許さず、持続可能な水道・下水道事業へ
 私たち全水道や自治労の組合員が働く水道・下水道事業は、その水循環の中で重要な位置を占めていると考えています。今日の水道・下水道事業は、設備の更新時期を迎え、大きな資金が必要です。また、過度な人員削減によって維持運営する技術継承が問題になっています。さらに、人口減少社会の中で料金収入の減少や地域の過疎化など、事業の持続性が問われる事態を迎えようとしています。
 これまでのような「料金値上げ反対」「民主的経営を」などとスローガン的に言っていればいい状況ではありません。公営企業として、住民負担と料金問題を地域に明らかにし、労働組合が真剣に取り組まなければならないと考えています。
 一方、大阪市では水道事業の民営化が議論されています。これまでも新自由主義的政策の中で多くの公営事業が民営化されてきました。しかし、海外では水道民営化がされてきたフィリピン・マニラ市や南米各地で、水メジャー(巨大な水関連企業)が撤退したり、フランス・パリ市やドイツ・ベルリン市をはじめ世界各地で、民営から再公営化の動きになっています。結局、設備更新のサポタージュや繰り返される料金値上げで、民営化は住民負担の増加でしかないことが明らかになっています。
 日本国内においても、原発問題での電力事業や交通事業における事故や安全軽視の対応など、公営事業の民営化の負の側面をきちっと議論するべきです。こうした課題を、「水循環基本法」の理念のもとに議論されるべきだと考えています。
(にしかわまさお)

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新潟県柏崎刈羽原発反対の報告
再稼働を許さず、廃炉に向けたたたかい
原水爆禁止新潟県協議会事務局長 中村 進

新潟県は2014年3月、「(1)原発は停止していても事故の可能性がある。(2)このような状況においては、県、市町村、関係機関等がその時々で最新の基本的な情報、考え方を共有し、万が一の事故に備えておくことが必要」として『原子力災害に備えた新潟県広域避難の行動指針』を公表しました。
その主要な趣旨は、(1)現時点における基本的な考え方をまとめたものであり、今後も随時更新を行っていく予定。(2)二つの課題((1)高線量下での民間人の労働のありよう、(2)フィルタベントの運用と避難の整合性)などが解決され次第、本「新潟県広域避難の行動指針」も随時内容を更新し、常に関係者と共有していく。(3)事故の時には実際の防護措置に役立つよう、引き続き、市町村、関係機関と検討を重ね、情報共有に努める、としたものでした。

新潟県広域避難の行動指針の概要
・PAZ(原発から5Km圏の予防的措置範囲、約21,700人在住):放射性物質の放出前に自家用車やあらゆる手段で高速道路か国道を利用して即時避難。避難困難者は一時、屋内退避。
・UPZ(原発から30Km圏内、約444,800人在住):放射性物質の放出後、OIL(被曝の影響を抑える措置や避難指示を出すための判断基準となる運用上の介入レベル)の考え方に基づき、屋内退避か避難。としたものでした。しかし、新潟県知事は避難計画について「機能しない計画ができても、実効性が伴わなければ意味がない」と言っていることからも5月16日、次のような内容で県原子力安全対策課と意見交換会を行いました。

  1. 大事故時、住民は被ばくなしで避難できる「避難計画」を策定しようとしているのか。
    (県)国などに諸々の課題を要望してきたがほとんど具体性を持った答えがない。国などの状況変化がなければより具体的な指針を策定するのは不可能だが、現段階でも事故が起こらないという保証はないので今の状況で精いっぱいのものをまとめた。今後、状況が進展すればバージョンアップを図る。
  2. シビアアクシデント(過酷事故)時、フィルタベントから放射性物質を外部に放出するまでの最短時間との関係において、PAZ区域(7,600世帯、約22,000人)及びUPZ区域(8自治体、約445,000人)の住民避難は到底不可能と考えるが、県はこのことについてどう考えているのか。また、フィルタベント使用以前に放射性物質が外部に漏れる事態も想定される(福島事故の例)。住民は被ばくなしで逃げ切れないのではないか。(県)現在、原発の安全管理に関する技術委員会で事故想定を含めて検討いただいている。その検討結果を踏まえて避難計画との整合性をとっていく。
  3. 国の「原子力災害対策指針」の不備から具体的な避難計画が策定できない実態は理解するも、事故は待ってはくれない。県として今後どう対処するのか。
    (県)例えば、「屋内退避レベル500uSvや避難200mSv」などは高すぎると意見を言ったが、どんな検討をしているのか一切聞かされていない。現段階で関係者と情報を共有することが先決との思いだ。
 こうした意見交換後、「広域避難の行動指針に実効性が伴わない限り再稼働の議論はしない」ことを再々確認しました。


県の原子力安全対策課との意見交換(5月16日)
首都圏と新潟のたたかいの連帯
 4月12日に「福島を忘れない!止めよう柏崎刈羽原発再稼働」東京集会が、原水禁をはじめ首都圏の多くの団体・個人のご協力をいただき成功裡に終えることができました(詳細は原水禁国民会議のHP)。東京電力管内にある首都圏のみなさんと柏崎刈羽の私たちが連帯の輪をつなげたことに感謝を申し上げます。
 また、新潟県や柏崎刈羽のみが〝現地〟なのではなく、首都圏もまた原発事故の〝現地〟であることが共有された成果も確認できました。加えて、『東電・柏崎刈羽原発差し止め市民の会』会費と会場カンパで計107,220円の浄財をいただいたことも報告し、お礼申し上げます。なお、差し止め訴訟の第7回口頭弁論が7月10日、新潟地裁で開廷されます。会員になられた方には、後日、『ニュース』で弁論の模様を報告いたします。
 今後も新潟のたたかいと連帯した運動を盛り上げていただくことをお願い申し上げます。
(なかむらすすむ)

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図解:世界の核兵器状況 2014

世界の核戦力状況 100発分 10発分 退役・解体待ちなど

出典:ウェブサイト『StatusofWorldNuclearForces』(FAS)、米国の核問題専門誌『ブリティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ』等

世界の核兵器数の変遷

出典:米国の核問題専門誌『ブリティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ』2013年9ー10月号、米国務省発表データ

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ピーク時より85%核削減と米政府
2009年からの削減はわずか309発

 米国は、4月29日、昨年9月末現在の保有核数を4804発と発表し、1967年のピーク時の3万1255発に比べ85%の削減だと強調しました。4月28日から5月9日までニューヨークで開かれた核不拡散条約(NPT)再検討会議第3回準備委員会の2日目のことです。しかし、2010年のNPT再検討会議の際に公表した2009年9月末現在の5113発と比べると4年でわずか309発の削減です。

世界の軍用保有核1万発以上、存在総数は1万6000発以上
 上の表「世界の核戦力状況」は、「自然資源防護協議会(NRDC)」のスタン・ノリスと共に世界の核データを追い続けている「米科学者連合(FAS)」のハンス・クリステンセンが、米国の発表の翌日にFASのサイトに載せた表を簡略化したものです。世界の核兵器は、実際に配備されているもののほか予備などを含む「軍用保有核」(ストックパイル)が約1万100発、退役して解体待ちのものを入れると、総数約1万6400発という推定です(米国が発表した2013年9月末現在の数は4804ですが、クリステンセンらはその後少数が退役し、現在4765と推定しています)。解体待ちの状態の退役核については公表されていませんが、二人は米国が約2500発、ロシアが約3700発と見ます。米国は他に、核弾頭の芯の部分(プルトニウム・ピット)約2万個保管しています。今回の準備委員会で英仏がそれぞれ発表した保有核「225発以下」、「300発以下」という数字は、二人が以前から使っている数字と同じです。中ロは具体的な数字を示ませんでした。


米国の保有核兵器 1945─2013年
85%削減を強調する米国政府
 国務省のファクトシートは次のように述べて米国の削減努力を強調します。

保有核(Stockpile)
2013年9月現在、米国の保有核兵器は、4804個の核弾頭からなっている。この数は、1967会計年度末[1967年9月30日]の保有核兵器のピーク(3万1255)と比べると85%削減されており、1989年末にベルリンの壁が崩壊した時のレベル(2万2217)と比べると78%の削減となっている。次のグラフは、1945年から2013年9月30日の期間の米国の保有核の量を示している。

核弾頭の解体
1994~2013会計年度に、米国は9952個の核弾頭を解体した。2009年9月30日以来、米国は1204個の核弾頭を解体した。この他数千の核兵器が退役して解体を待っている。

非戦略核兵器
米国の非戦略核兵器の数は、1991年9月30日以来、約90%減少した。

大幅削減を示そうとして使ったのが上のグラフです。


米国の保有核 1983─2013年
オバマ政権の4年間でたったの309発減と専門家ら
 一方、クリステンセンらは、下のグラフを使い、共和党政権の時の方が削減数が大きいことを示しています。2人が昨年秋に核問題専門誌に載せた世界の核兵器数の推移の数字に今回の米国の発表を反映させた左ページ下のグラフを見ると、世界の核兵器の数も1986年のピーク6万4449発と比べると大幅に減っているものの、削減速度が下がっていることが分かります。
 1つの問題は、米ロ削減条約の批准には共和党の賛成が必要だということです。これは1996年にクリントン大統領が署名した「包括的核実験禁止条約(CTBT)」を上院が未だに批准していないことを見れば分かります。一方、2010年の「核態勢の見直し(NPR)」にあるように、米国による安全保障に不安を持つ国がでてくると「非核国のうちの一ヶ国、あるいはそれ以上が自らの核抑止を追求する決定をする可能性がある」と米国が見ていることも米国の大幅削減を阻む要因となっています。日本が、生物・化学・通常兵器による攻撃の抑止の役割を米国の核に期待する現在の政策を変え、それを米国に伝えることが重要です。
(田窪雅文:核情報主宰)

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《投稿コーナー》
函館市が大間原発の建設凍結を求める
大間原発訴訟の会 事務局長 大場 一雄

初の自治体による 「原発差し止め訴訟」
 2014年4月3日、工藤寿樹函館市長は、青森県大間町に建設中の大間原発の「建設凍結」を求めて、国と事業者である電源開発㈱を東京地裁に提訴しました。自治体による「原発差し止め訴訟」は全国で初めてであり、関心を集めています。
 工藤市長は「3・11」後の2011年4月の函館市長選挙で、市民団休からの公開質問状に「建設中の原発や新規の計画は凍結すべき」と回答しました。敗れた当時の現職市長も「国の責任で安全対策などの検証を行い見直す必要がある。現状では、大間原発建設継続にはならないと考える」との回答でした。保守系の工藤市長でしたが、当時は民主党政権であり言い易かったのかもしれせんが、勝因のひとつではあると思います。
 その後工藤市長は、2011年10月に市民団体から要請を受けた場で「法的手段を検討している」ことを明らかにし、弁護団と提訴の準備を進めていましたが、「衆議院議員総選挙結果をみて」とか「新政権の対応をみて」と提訴を先延ばしにしてきました。電源開発㈱が「3・11」後に休止していた大間原発建設工事を、2012年10月に再開しても動きませんでした。2015年4月には再び市長選挙が行われるので、どう対応するのか市民が注目してたところ、2014年2月に函館市議会の議決を得て提訴する決断を公表したのです。工藤市長は「、大間原発建設凍結」を主張してきました。それは、道南地域の首長や各市町村議会、商工会議所や町会連合会、農協・漁協などにも受け入れられやすく、まとめるためには必要だったのかもしれません。函館市民の8~9割が大間原発建設に反対との世論形成に意味を持っていたことも事実です。
 工藤市長は、「仮に大間原発で大事故が起これば、函館市や道南地域は壊滅的な被害を受ける」と言って「凍結」を求め、「一方的に避難計画を作れというが、説明もなければ同意を求められたこともない」と憤っていますが、説明があっても同意しないことが前提でなければなりません。私たちはこれまで「凍結」が融けた例を、六ヶ所村村長選挙などでいくつも見てきましたし、そのことによって住民や地域が分断されてきた事実も知っています。だから、私個人としては、函館市長の言う「凍結」には疑問を持ってきました。


建設が強行されている大間原発(2012年10月撮影)
市民による訴訟と合わせての闘いを
 函館市の訴訟では、国に「原子炉設置許可処分の無効確認」、「建設停止を命ぜよ」と求め、事業者には「電源開発㈱は建設し運転してはならない」ことを求めています。これは函館市民が中心になって2010年7月に函館地裁に提訴した「大間原発訴訟」と同じ内容です。しかし、函館市の『大間原発訴訟・訴状の概要』には「、予備的請求」として「国は、原告が同意するまでの間、その建設の停止を命ぜよ」とあります。
 2014年5月13日、高橋はるみ北海道知事は、経済産業省の松島みどり副大臣と会い「北海道側にも国が説明責任を果たすよう」求め、5月15日に工藤爾館市長と札幌市で会談して「連携し国や事業者に要望すること」を説明したようです。
 しかし、もう提訴はされているのです。この席で工藤函館市長は、「函館だけでなく、日本海から太平洋側に風が吹くと胆振、日高や十勝まで(放射能が)行く。北海道全休の問題である」(函館新聞)と発言しています。これは当然の見解ですが、そうだとすれば、函館市にとっては、泊原発も幌延も、東通原発、むつ市の使用済み核燃料中間貯蔵施設、そして六ヶ所再処理工場等も同様に問題なはずです。大間原発は全道の問題と言いながら、他の問題に口をつぐむことは許されないはずです。
 市民による「大間原発訴訟」は、2010年7月に原告170名で函館地裁に提訴し、「3・11」以後、原告が増え、2014年2月の第4次提訴で原告総数は786名となっています。2014年4月11日には第12回口頭弁論が開かれ、弁護団による「新規制基準は不合理な基準で安全は確保できない」との弁論と、原告2名による「意見陳述」が行われました。そこでは、原告一人一人がなぜ裁判をおこさなければならなかったのかの理由と決意を述べています。函館市による「大間原発訴訟」では、その市民が暮らしを営む函館市の存立を追求することになります。
 大間原発を市民と市長がそれぞれの立場から問うことで、なんとしても建設を止めたいと考えています。もちろん裁判だけで大間原発を止められる訳ではなく、あらゆる行動が必要です。7月20日の「大間原発反対現地集会」にぜひ参加して下さい。第5次原告も募集中です!
7月20日の集会は「大間原発反対現地集会実行委員会」
http://nonukesooma.wordpress.com/ 参照

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各地からのメッセージ
「市民自主大学」で人権問題にも取り組み
宮城県護憲平和センター 事務局次長 菅原 晃悦


5月3日・憲法集会後のデモ行進
 宮城県護憲平和センターの結成は1985年で、他県の平和センターとは歴史が若干異なります。1980年代は、有事立法問題、原子力潜水艦の寄港問題、靖国参拝問題など反動的な時代でしたが、県内では細倉鉱山への高レベル放射性廃棄物搬入の問題や、自衛隊松島基地でのブルーインパルス配備の問題、王城寺原演習場での日米合同演習の問題などがありました。こうした運動を集中して取り組むセンターが必要だということで、「憲法を守る会」や「原水禁」等の組織を統合した市民団体として結成されました。(7つの地方組織もあります)。
 特徴的な取り組みとしては、「市民自主大学」があります。9条の平和主義の観点だけでなく、人権問題全般を取り上げ、講師に大学教授や弁護士の皆さん、時には県知事にも講師をお願いして開講してきました。集まりには強弱がありましたが、継続して取り組んできたことから、東日本大震災の年にも、テーマを「被災者の人権回復」(沿岸部)、「原発事故と放射能」(内陸部)と設定して9会場で開催することができたと総括しています。また、憲法関連、原発関連の課題について、結成当初から支持政党の違いを超えて取り組んできたのも特徴です。最近では、2003年のイラク戦争への自衛隊派兵を機に、「みやぎ9条懇話会」を結成し、9条を中心とした護憲運動を継続して取り組んできました。
 5月3日の集会は、3つの護憲市民団体が主催となり、2004年から「5・3憲法を活かす宮城県民集会」として人権全般を取り上げてきました。11回目の今年は、若者の政治離れを批判するのではなく、平和主義の基礎的背景である貧困の克服、とりわけ若者の「非正規雇用」など社会的課題を取り上げ、憲法を身近に感じていただくことが必要と考え、「貧困と戦争」をテーマに開催しました。
 今後も、この間培ってきた幅広い市民運動の連携を基礎に、安倍政権の暴走を民意によって止めるため、憲法を暮らしと政治に活かす取り組みを行っていきたいと考えています。
(すがわらこうえつ)

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〔本の紹介〕
なして、原発!?―新潟発・脱原発への指針
新潟県平和運動センター編山口幸夫他著(現代書館)


 3.11以降、脱原発は国民の多数の声となった。しかし、未だに「原発なしでも電気は足りる?」と漠然に思う人もいるし、低線量被曝について大した問題ではないと考える人もいる。本書は、新潟県平和運動センターで開催した脱原発連続講座を加筆修正してまとめたもので、そういった問題について初心者にもわかりやすく解説している。原発の学習用として使えるし、講師陣も学習会を開く上で参考になるだろう。
 全体の講座は、原子力資料情報室共同代表の山口幸夫さんがコーディネートし、原発の問題を系統的にまとめている。コストの問題は大島堅一さん、自然エネルギーは飯田哲也さん、原発と自治体財政は東京自治研の伊藤久雄さん、放射性廃棄物は伴英幸さん、被曝のリスクは崎山比早子さん、原発労働については渡辺美紀子さんが執筆をしている他、原発のしくみや柏崎刈羽原発の地盤や運動の歴史についても書かれている。この一冊で原発の何が問題かが全体的に把握できるし、読み終わったとき、原発は廃炉しかないということが理論的に分かる構成となっている。
 書籍のもとになった講座は、「ワイズエネルギーライフ研究会」という名称で、運動の継承と次世代の活動家育成を目的に、若手を対象に2011年から3期開講した。初回から連続して参加した人の中に、学習の成果を地域で報告する人も現れた。
 講座の初回、山口幸夫さんから「1ヵ月にどのくらい電気を使用しますか」と質問が出されたが、ほとんどの人が答えられなかった。電気料金は知っているが、電気の使用量まではわからない人が大半だった。日本全体の電力量ばかり目にいき、身近なことをまったくわかっていなかった。これでは家族や友人に共感を呼ぶような訴えができないと痛感した。「なして、原発?」と、方言や自分の言葉で語ることが、小さいことかもしれないが、再稼働阻止へつながると信じる。本書をぜひ運動の参考にしてほしい。
(新潟県平和運動センター事務局長有田純也)

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核のキーワード図鑑


防衛の装備で儲ける 死の商人

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国交正常化から50年
日韓市民が6月に条約を問う大会

 来年の2015年は、1965年の日韓条約の締結・日韓国交正常化から50年にあたります。日韓条約は日本の過去の侵略・植民地支配を日本政府が居直り、また南北分断状況に置かれた朝鮮半島において、米国の指図のもと韓国政府を「朝鮮半島における唯一の合法政府」と規定し、南半分の韓国とだけ国交を結ぶことで南北分断に日本政府が体制的な関与を開始した転換点でもありました。
この日韓条約体制を問う日韓市民の共同行動が「日韓つながり直しキャンペーン」として2月からスタートしています。6月21日~22日に、「日韓市民がいっしょに開く『歴史NGO大会in東京』」として、韓国の他、米国や豪州の研究者なども参加して講演やシンポジウム、分科会討議が行われます。

1965年日韓協定体制の克服と東アジアの平和
6月21日(土)10:30~講演、シンポジウム、その他(映像、高校生サミット)
6月22日(日)10:00~分科会(植民地主義清算、歴史教育と教科書問題)、全体会会場:東京・千代田区「在日本韓国YMCA」
連絡先:ピースボート 電話03-3363-7561 FAX03-3362-6309
email:nikkan2015@gmail.com
ホームページ:http://nikkan2015.net/

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