WE INSIST!、ニュースペーパー

2020年05月01日

新型コロナウイルス感染症拡大の、その先を考えて

WE INSIST!

新型コロナウイルス感染症拡大(コロナ禍)が止まらない。これを書いている4月11日現在で、クルーズ船を含んで全国の感染者は7635人、亡くなった方は144人となった。11日だけで全国の新規感染者は743人と、これまでの最多を更新している。4月7日には、新型インフルエンザ対策特別措置法に基づく緊急事態宣言が、1都1府5県に出されたが、東京都の感染者は、4月4日に116人と初めて3桁になると11日には197人と増加の一途をたどり、今のところ緊急事態宣言の効果は感じられない。ライブハウス・カラオケやクラブなどに通うことを市民に自粛するように要請し、施設には営業自粛を求める、がしかし、安倍首相は、国会質疑や記者会見で「営業補償は行わない」ことを表明している。安倍政権は市民の自覚を求めるだけで、営業補償による休業要請を出すことはない。これで、コロナ禍に立ち向かうことができるのか。「緊急事態宣言」が医療関係者などからの強い要請によって発令されたが、緊密に議論していたであろう国と東京都の間で、営業自粛要請施設の範囲で意見が対立した。また、家族が発症しウイルスの陽性反応が出ていても、家族は症状がなければ自宅での待機が要請されるだけで、ウイルス検査を実施しない。したがって、その家族と接触している人、例えば同じ事務所で仕事をしていた人は、全く埒外に置かれている。検査を奨励し、陽性であればその人の行動をネットにあげ、接触などが心配な人には検査を実施するという韓国の対策とは全く異なっている。コロナ禍がこのまま終息してくれれば幸いだが、1918年にパンデミックを起こし、世界で4000万人が亡くなったとされるスペイン風邪は、第一波、第二波、第三波と翌年まで続いた。第二波が一番犠牲者を出したと言われている。コロナ禍もそうならないとは限らない。

安倍首相は、衆議院運営委員会で答弁に立ち、「新型コロナウイルス感染症への対応も踏まえつつ、国会の憲法審査会の場で、与野党の枠を超えた活発な議論を期待したい」と述べた。伊吹文明元衆議院議長は「緊急事態の一つの例。憲法改正の大きな実験台だと考えた方がいい」との見解を明らかにしている。政治学者で、安倍首相も教えた成蹊大学の加藤節名誉教授は、「緊急事態を口実に、国家権力が国民の権力を恣意的に奪い、乱用した例は数え切れない。負の歴史、とりわけ近代史に学ばなければ『ナチの時代』の再来と懸念される」と毎日新聞紙上で述べている。コロナ禍を利用した憲法改正論議は許されない。

市民運動の一部は、新型インフルエンザ対策特別措置法や緊急事態宣言に反対して、議員会館前などの集会を呼びかけている。5月3日の憲法集会も、中止か開催かをめぐって様々な議論があった。特措法にも賛成できないし、安倍政権に対峙して毎年開催してきた憲法集会を中止することには、忸怩たる思いが私にもある。しかし、緊急事態宣言に制約される以前に、私たち自身が主体的にコロナ禍に対応していくことが重要ではないのか。「強制力をともなわない緊急事態宣言では、コロナに勝つことができなかった。多くの人々が、コロナ禍のリスクを断つ行動を取らなかった。だからコロナ対策には強制力が必要だ」私たちは、そのような理屈をつくらせてはならない。冷静に、私たちがコロナ禍に対応することが求められる。そのことが、安倍政権につけいる隙を与えない。私たちがしっかりと主張できる状況をつくらなくてはならない。しかし、そのような意見を聞いたことはない。もしも、集会参加者から感染者を出した場合のことを、そのことの先を考えた意見を聞いたことがない。そして、コロナ禍の先を考えた議論を聞いたことがない。

「サピエンス全史」の著者、ユヴァル・ノア・ハラリは、3月20日の英経済誌「FINANCIAL TIMES」に寄稿して、コロナウイルス後の世界に言及している。ハラリは、私たちは重要なふたつの選択を迫られているという。ひとつは、全体主義的監視か市民の権利の拡大かということ、もうひとつはナショナリズムに基づく孤立かグローバルな団結かということ。答えは明らかではないか。市民の権利の拡大とグローバルな団結。このことなくして人類の未来はないと、良心に訴えれば誰しもがそう思うに違いない。ハラリもその選択を望んでいる。

成熟した賢明な市民社会のありようが、まさしく緊急事態への対応をつくりあげるに違いない。そして、医療の充実や経済保障の体制をつくりあげるに違いない。そして、成熟した賢明な市民社会は、全体主義的監視とナショナリズム、国家の孤立化を排除する。強制力のともなわない対応の中で、コロナ禍に打ち勝つことの重要性を、私たちはもっと考えなくてはならない。(藤本 泰成) 

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