平和軍縮時評

2013年02月28日

平和軍縮時評2月号 「集団的自衛権」議論は憲法改悪への序章―安倍タカ派政権の本質は対米追従  田巻一彦

2月28日、安倍首相は「施政方針演説」で防衛、安全保障政策の骨格を示した。草稿から抜粋しよう。

6. 原則に基づく外交・安全保障
… 私の外交は、『戦略的な外交』、『普遍的価値を重視する外交』、そして国益を守る『主張する外交』が基本です。
… その基軸となるのは、やはり日米同盟です。
… 日米安保体制には、抑止力という大切な公共財があります。これを高めるために、我が国は更なる役割を果たしてまいります。
… 北朝鮮が核実験を強行したことは、断じて容認できません。拉致、核、ミサイルの諸懸案の包括的な解決に向けて具体的な行動を取るよう、北朝鮮に強く求めます。
… 尖閣諸島が日本固有の領土であることは、歴史的にも国際法上も明白であり、そもそも解決すべき領有権の問題は存在しません。
… 我が国は、世界の大国にふさわしい責任を果たしていきます。
7. 今、そこにある危機
… 11年ぶりに防衛関係費の増加を図ります。今後、防衛大綱を見直し、南西地域を含め、自衛隊の対応能力の向上に取り組んでまいります。
… 我が国の外交・安全保障政策の司令塔となる『国家安全保障会議』の設置に向けた検討を本格化します。同時に、『安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会』において、二十一世紀の国際情勢にふさわしい我が国の立ち位置を追求してまいります。
… 安全保障の危機は、『他人事』ではありません。『今、そこにある危機』なのです
(以下略)」

わりと大人しくまとめたな、というのが筆者の印象である。政権「投げ出し」から6年目の復帰ということもあったであろう、また「震災復興」や「経済再生」という焦眉の難題を前にして「はしゃぎすぎ」を避けたとの計算もあったであろう。
この演説を、自民党が2012年衆議院選に向けて策定した「重点政策2012」と比較したとき、安倍氏がいかに「爪を隠すタカ」を演じようとしたのかがよくわかる。
http://jimin.ncss.nifty.com/pdf/seisaku_ichiban24.pdf
「重点政策」には次のような「威勢のよい文句」がちりばめられている。「施政方針」との重複を割けながら引用すれば次のとおりだ。

〈外交を取り戻す〉

  • 日本の平和と地域の安全を守るため、集団自衛権の行使を可能とし、「国家安全保障法」を制定します。
  • 日本を守るため、減らし続けてきた自衛隊の人員・装備・予算を拡充します。
  • 国際貢献をさらに進めるために「国際平和協力一般法」を制定します。

さらに付属文書〈政策BANK「外交・安全保障」〉は、本命とよぶべき「憲法改正」に言明した上で、米戦略に追随するための自衛隊強化路線が示す。

 

  • 「憲法改正により自衛隊を国防軍として位置づけます。
  • 米国の新国防戦略と連動して自衛隊の役割を強化し、抑止力を高めるため、日米防衛協力ガイドラインを見直します。

「政策BANK」はさらに、「憲法改正」を「特出し」し次のように述べる、少し長いが、このセクションの全文は次のとおりだ。

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「憲法改正」
・自民党は新しい憲法草案を提示しています、

  1. 国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の三つの原理は継承
  2. 我が国は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴である天皇陛下を戴く国家であることを規定
  3. 国旗は日章旗、国家は君が代とする。
  4. 平和主義は継承しつつ、自衛権の発動を妨げないこと、国防軍を保持することを明記
  5. 家族の尊重、環境保全の責務、犯罪被害者への配慮を新設
  6. 武力攻撃や大規模災害に対応した緊急事態条項を新設
  7. 憲法改正の発議要件を衆参それぞれ過半数に緩和

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祖父にして戦犯の岸信介の遺訓を継ぐ安倍首相のためにあるかのような、「基本政策」である。これと「施政方針」のギャップは、「政治的ペテン」と呼ぶにふさわしい。
安倍氏は、大企業の利益を優先し弱者を切り捨て、再生産する「アベノミクス」による一時的好況感を追い風に、7月の参議院選に「大勝利」して、いよいよ「爪を隠さないタカ」としての本性をあらわにすることを目論んでいるのかもしれない。
改憲を通して、「天皇中心の国家観」と相まった軍備の質的・量的拡大を目指すこの安倍路線を、たんなる「復古」ととらえてはならないであろう。安倍氏が、天皇を担ぎ、憲法を改正までして目指そうとしているのは、「日米同盟」の下で、「米国とどこまでも行く日本」である。
しかも、安倍氏の戦略は「集団的自衛権行使」を可能とする憲法解釈を突破口とすることにおいて、6年前と何も変わっていないのである。なぜなら、この問題は一般国民には極めて見えにくく、わかりにくい、それゆえに見過ごされてしまうという側面を持つからだ。せめて、私たちは、この問題に関する正しい見識をもっていたいと思う。

「集団的自衛権行使」―政府解釈は「持っているが行使できない」
国連憲章第51条は「集団的自衛権」について、次のように述べる。「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない」。つまり、集団的自衛権が国際法に合致した権利であることは、そのとおりである。ただし「憲章」のこの規定が、ここでは詳しく触れないが、紛争を防止するための「集団的安全保障体制」(集団的自衛権とは違う!)の幾重もの措置を前提にしていることを忘れてはなるまい。
先にすすもう、この「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する」(1972年10月14日、参議院決算委員会政府提出資料)権利を日本は持っているが行使できない、というのが従来の政府解釈である。

「わが国が、国際法上右の集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然のことといわなければならない」。
「(略)我が憲法の下で、武力行使が行われることが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とする集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない」。 (1972年10月14日、参議院決算委員会政府提出資料)

第1次安倍政権、「政府解釈」変更を企てる
第1次安倍政権によって設置された「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(「安保法制懇」、座長:柳井俊一元駐米大使)の最大の主題は、この政府の憲法解釈を変更することであった。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/anzenhosyou/index.html
第1回会合(2007年5月19日)において、安倍首相は検討課題を次の四類型に整理して示した。

 

  1. 共同訓練などで公海上において、我が国自衛隊の艦船が米軍の艦船と近くで行動している場合に、米軍の艦船が攻撃されても我が国自衛隊の艦船は何もできないという状況が生じてよいのか。
  2. 同盟国である米国が弾道ミサイルによって甚大な被害を被るようなことがあれば、我が国自身の防衛に深刻な影響を及ぼすことも間違いない。それにもかかわらず、技術的な能力の問題は別として、仮に米国に向かうかもしれない弾道ミサイルをレーダーで捕捉した場合でも、我が国は迎撃できないという状況が生じてよいのか。
  3. 国際的な平和活動における武器使用の問題。例えば、同じPKO等の活動に従事している他国の部隊又は隊員が攻撃を受けている場合に、その部隊又は隊員を救援するため、その場所まで駆けつけて要すれば武器を使用して仲間を助けることは当然可能とされている。我が国の要員だけそれはできないという状況が生じてよいのか。
  4. 同じPKO等の活動に参加している他国の活動を支援するためのいわゆる「後方支援」の問題がある。補給、輸送、医療等、それ自体は武力行使に当たらない活動については、「武力行使と一体化」しないという条件が課されてきた。このような「後方支援」のあり方についてもこれまでどおりでよいのか。

約1年の審議を経て、「法制懇」がまとめた提言は従来の大方において政府解釈の変更を支持するものであった。これは、座長を含む委員の人選からして「予定されていた」結論であった。以下は「報告書」(上記URL)からの抜粋である。

 

  1. 公海における米艦防護については、厳しさを増す現代の安全保障環境の中で、我が国の国民の生命・財産を守るためには、日米同盟の効果的機能が一層重要であり、日米が共同で活動している際に米艦に危険が及んだ場合これを防護し得るようにすることは、同盟国相互の信頼関係の維持・強化のために不可欠である。個別的自衛権及び自己の防護や自衛隊法第95条に基づく武器等の防護により反射的効果として米艦の防護が可能であるというこれまでの憲法解釈及び現行法の規定では、自衛隊は極めて例外的な場合にしか米艦を防護できず、また、対艦ミサイル攻撃の現実にも対処することができない。よって、この場合には、集団的自衛権の行使を認める必要がある。このような集団的自衛権の行使は、我が国の安全保障と密接に関係する場合の限定的なものである。
  2. 米国に向うかもしれない弾道ミサイルの迎撃については、従来の自衛権概念や国内手続を前提としていては十分に実効的な対応ができない。ミサイル防衛システムは、従来以上に日米間の緊密な連携関係を前提として成り立っており、そこから我が国の防衛だけを切り取ることは、事実上不可能である。米国に向かう弾道ミサイルを我が国が撃ち落す能力を有するにもかかわらず撃ち落さないことは、我が国の安全保障の基盤たる日米同盟を根幹から揺るがすことになるので、絶対に避けなければならない。(略)よって、この場合も集団的自衛権の行使によらざるを得ない。また、この場合の集団的自衛権の行使による弾道ミサイル防衛は、基本的に公海上又はそれより我が国に近い方で行われるので、積極的に外国の領域で武力を行使することとは自ずから異なる。
  3. 国際的な平和活動における武器使用について、国連PKO活動等のために派遣される自衛隊に認められているのは、自己の防護や武器等の防護のためのみとされる。(略)自衛隊は、同じ国連PKOに参加している他国の部隊や要員へのいわゆる駆け付け警護及び国連のPKO任務に対する妨害を排除するための武器使用を認める国際基準と異なる基準で参加している。こうした現状は、常識に反し、国際社会の非難の対象になり得る。国連PKO等の国際的な平和活動への参加は、憲法第9条で禁止されないと整理すべきであり、自己防護に加えて、同じ活動に参加している他国の部隊や要員への駆け付け警護及び任務遂行のための武器使用を認めることとすべきである。(略)
  4. 同じPKO活動等に参加している他国の活動に対する後方支援について、(略)しかし、後方支援がいかなる場合に他国による武力行使と一体化するとみなすのか、「戦闘地域」「非戦闘地域」の区分は何か等、事態が刻々と変わる活動の現場において、「一体化」論はこれを適用することが極めて困難な概念である。(略)補給、輸送、医療等の本来武力行使ではあり得ない後方支援と支援の対象となる他国の武力行使との関係については、憲法上の評価を問うこれまでの「一体化」論を止め、他国の活動を後方支援するか否か、どの程度するかという問題は、政策的妥当性の問題として、対象となる他国の活動が我が国の国民に受け容れられるものかどうか、メリット・デメリットを総合的に検討して政策決定するようにすべきである。

「法制懇」が「メリット・デメリットを総合的に判断すべき」と判断を留保したのは類型④のみであった。とくに①と②は米国の強い要請を背景にしたものであることを忘れてはならない。「法制懇」の立ち上げが、「第2次アーミテージ報告」(本コラム12年11月号参照:http://www.peace-forum.com/p-da/121130.html)が、政府解釈の変更を強く迫ったのと前後することであったのは決して偶然ではない。現在の政府解釈の論理は、憲法9条の下での自衛権の行使にはおのずと限界がある」という基本認識に立つものだ。この原則を「日米同盟の利益」の前に解体しようというのが「集団的自衛権行使」を巡る議論の本質である。 安倍「政権投げ出し」の後を継いだ福田首相は、「法制懇」提言をいわば「塩漬け」にして先に進めることをしなかった。福田氏は元来この解釈変更には慎重だった。そして、民主党中心の連立政権によって「提言」は止めをさされた・・・はずであった。安倍再登板によってふたたび議論はゾンビのようによみがえったのである。2月8日には、「法制懇」の活動が再開された。

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自民党「重点政策」は集団的自衛権の行使は「日本の平和と地域の安全を守る」ためであるという。だが、ここでいう「地域」を日本周辺の地域と考えるならばそれは誤りである。その実は、米国とともに日本が活動するすべての「地域」を指す。昨年8月の第3次「アーミテージ報告」は、日本にイランまでゆくことを求めているのだ。
前記の福田政権の例でわかるように、必ずしも自民党の中にもコンセンサスがないことも、覚えておこう。だが、自民の比較的ハト派的政治家が次々と引退する中で、安倍氏の暴走を止める内的な力も弱まっていることは間違いない。だからこその「重点政策」なのである。
冒頭で述べたように、この「解釈見直し」は、最終的には憲法改悪にまで至る「包括的プロセス」の1歩に過ぎない。私たちは、このことに警鐘を鳴らすことを怠ってはならない。

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