平和軍縮時評

2012年08月30日

平和軍縮時評8月号 学ぶべきニュージーランド的安保思考 ―「ワシントン宣言」で対米「防衛協力」を拡大しても  田巻一彦

独自の平和主義的スタンスを堅持
6月19日、米国とニュージーランドは「アメリカ合衆国とニュージーランドの間の防衛協力に関するワシントン宣言」に合意した。
「平和運動」の片隅に加わってきた筆者にとってニュージーランドは、輝かしいお手本であり、目標でありつづけてきた。そのNZが米国との「防衛協力」を謳った…一報を聞いたとき、筆者は少なからぬ失望を抱いたことを正直にいっておこう。「NZもついに『軍門に屈した』か」―
しかし、「宣言」をよく読んでみると、その失望は杞憂であったと思えるのである。それよりもむしろ、憲法平和主義に立った安全保障を求める日本の市民にとって、大きな示唆を与えるものであった。
まず、NZの安全保障・防衛政策の変遷を駆け足でたどっておきたい。

ニュージーランド防衛政策の変遷―ベトナム派兵から「同盟凍結」まで
ANZUS(オーストラリア・ニュージーランド・米国三国軍事同盟、1952年)の一員としてベトナムに戦闘部隊を派遣したのを最後に、ニュージーランド国防軍は純軍事的役割を低下させ、むしろ外交的手段としての地位を拡大していった。しかし、1972年の徴兵制廃止を除いては、防衛をめぐるめだった政策変更はなかった。
激変は、1984年に発生した。この年に誕生した労働党政権が、ニュージーランドの港と領海から原子力推進艦と核搭載艦を排除する「非核法」制定を公約としたのである。1985年2月に計画された米艦ブキャナンの入港は、この政策に対する最初の試練・試金石であった。ブキャナンは原子力推進艦ではないが、核兵器搭載能力を持っていた。米国は核搭載を「肯定も否定もしない(NCND)」という伝統的姿勢をとった(それは今も変わらない)が、ニュージーランド政府は、同艦が「核兵器を搭載していない確証が得られない」ことを理由に入港を拒否した。
1987年6月には「非核法」(1987年ニュージーランド非核地帯、軍縮及び軍備管理法。1987年6月8日成立)が成立した。同法の核心の一つは、原子力推進艦と核搭載艦、航空機の入港、入域を禁止するという条項であった。なお、ここでの「非核の確認方法」はユニークなもので、「入手可能なすべての情報を考慮し、軍艦(航空機)が核兵器を積載していないという充分な証拠がある場合に限って、入港・入域を認める」というものである。米国にNCND政策の変更を求める必要はなく、判断するのはNZである。(これに対して日本の「神戸方式」は、非核証明を求めることによってNCND政策の変更を求めている)。「非核法」に基づく非核政策は、労働党から政権を奪還した国民党政権によっても維持された。
1985年の「ブキャナン拒否」に対して、米国は、定期的な3国軍事演習を含むANZUS同盟上の協力義務の凍結で応じた条約自体は今も存在している)。この凍結は、ニュージーランド軍にとって大きな打撃だった。軍は、本来米国と非常に親しかったし、演習その他の共同活動を通して技量を向上させてきたからである。

2000年「防衛政策の枠組み」―「国連中心主義」と「専守防衛態勢」鮮明に
新世紀の初頭、ニュージーランドは防衛政策の舵を大きく切った。この直接の契機は、1999年に保守の国民党にかわる労働党-連合党連立政権(以下「労働党政権」と略す)の登場であった。
国民党政権は、均衡のとれた軍事力の維持を強調し、同盟型の集団安全保障作戦にプライオリティをおいていた。これに対して1999年に成立した労働党政権は防衛政策の力点を鋭く変化させた。その中心は海外における軍事的関与のあり方の再検討であった。
2000年6月に策定された「防衛政策の枠組み」(日本でいえば「防衛計画の大綱」にあたる)においては、防衛政策のプライオリティは次の5点に置かれた:

※ニュージーランド国土の防衛
※オーストラリアとの同盟関係
※南太平洋諸国への支援
※アジア太平洋の安全保障における「適切な役割分担」
※世界各地における国連平和維持・支援活動

「防衛政策の枠組み」は、「序文」で次のように、安全保障における軍事力の役割を相対化するという考え方を示した。

※防衛は、ニュージーランドの外交・安全保障政策の一つの側面である。防衛政策と外交政策はニュージーランドの物理的、経済的、社会的そして文化的健全さを確保し、地域的・世界的責任を果たすため、緊密に連携しなければならない。政府は、安全保障に対する包括的なアプローチを継続する。
※軍隊の一義的目的は、「ニュージーランドの領土と主権を守り、オーストラリアとの条約上の義務に答え、南太平洋における義務と責任を充足すること」である。
※ニュージーランドは外国からの直接的脅威に直面しておらず、大規模な武紛争に巻き込まれる可能性は小さい。
※「政府は、外交と軍備管理・軍縮、地球環境問題への関与、開発援助の提供、貿易及び文化交流を通して包括的な安全保障を促進することこそが、ニュージーランドが地域の安定と世界の平和に貢献する最良の道であると信じる。ニュージーランドは引きつづき国際の平和と安定の維持のために国連憲章を遵守する。これらの姿勢を

この基本的政策スタンスは、国民党政権の下で進められていた空軍と海軍の装備更新計画のキャンセルという形でただちに実行に移された。それは一言で言えば、海軍と空軍の外国に対する対外攻撃能力を廃止し、軍の態勢の全体を「専守防衛」へと転換するものであった。ジェット戦闘機部隊の更新は中止され、空軍は対外攻撃能力を失った。また、05年に予定されて更新計画を見送り、フリゲート艦部隊は4隻から2隻に縮小された。これは、海軍の遠洋作戦継続可能期間を6か月以下に縮小するものであった。
日本流にいえば「国連中心主義」と「専守防衛態勢」である。だが、ニュージーランドの「枠組み」は、二つの意味で「専守防衛態勢」が単なる建前、あるいは「擬態」ではないことを示すものであった。
第1には、ANZUS同盟が凍結されていることから、日本のように「攻撃的抑止力」を米国に依存することが不可能であること。第2に、前記のような装備構成上の裏付けを持っていることである。

「ワシントン宣言」に見るニュージーランドの基本政策の規制力
2009年、9年ぶりに政権に返り咲いた保守系の国民党連立政権にとっての課題は、凍結されて久しい米国との軍事協力を再建、拡大することであった。直ちに対米交渉がはじまった。まず、合意されたのが両国の政治的「戦略パートナーシップ」を確認した2010年の「ウェリントン宣言」である。この土台の上に立って合意されたのが「ワシントン宣言」である。(全訳は「核兵器・核実験モニター」406―7号参照。入手ご希望の方はピースデポにご連絡を)
重点的な協力分野を列挙した「付属文書」は次のようにいう:

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当事者は、それぞれの法令で認められた範囲において、以下の諸活動を追求することによって拡大した二国間協力に向けて努力する。
Ⅰ. 国防対話

a. 情報と戦略的視座を交換し、
b. 各当事者の防衛政策に対する理解を、例えば人材交流を通じて促進する。

Ⅱ. 安全保障協力

a. 海洋安全保障協力

ⅰ. 情報と専門知識を共有し、
ⅱ. 海洋安全保障活動で協力し、
ⅲ. 拡散防止、対テロリズム、海賊対策に関連するものを含め、地域の資源開発に対処し、通商と航行の自由を支えるための、二国間及び多国間の演習、作戦及び訓練の機会に参加する。

b. アジア太平洋に焦点を当てた人道支援及び災害救助における協力

ⅰ. 情報と専門知識を共有し、
ⅱ. 人道支援と災害救助活動に関する計画を立案し、
ⅲ. 当事者の領域横断的な相互運用性を増大させるための二国間及び多国間の会議、活動及び作戦レベルの演習を実施する。

c. 国連及び他の多国間平和維持及び平和支援活動

ⅰ. 情報と専門知識を共有し、
ⅱ. 多国間と同様に当事者間の領域横断的な相互運用性を維持するために演習と訓練を行う。

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これらはすべて2000年の「防衛政策の枠組」で、軍の基本任務とされたものである。
この部分を含め、「ワシントン宣言」には、「同盟」、「抑止力」という言葉は一度も登場しない。それは、今年、次のような4月27日の日米安全保障委員会(2+2)の「共同発表」とは全く様相を異にするものである。「同盟の抑止力が動的防衛力の発展及び南西諸島を含む地域における防衛態勢の強化といった日本の取組によって強化される」。それだけではない。隣国オーストラリアが、米海兵隊2500人のローテーション部隊を受け入れることに同意したことと比べても、ニュージーランドの独自のスタンスは明らかであろう。「ワシントン宣言」は確かに米国との防衛協力を確認した。しかし、その基礎には2000年の「防衛政策の枠組み」で確立された基本政策が、規制力あるいは制約として働いているのである。

日本が学ぶべきこと
今年6月29日から8月3日にかけてハワイ近海で行われた「環太平洋合同演習(リムパック)2012(22か国が参加)に、ニュージーランドは1984年以来28年振りに参加した。派遣部隊は、軍艦2隻(フリゲート艦、補給艦)、P3-K哨戒機(前記2000年の「枠組み」に伴い、対潜水艦能力は撤去されている)と歩兵部隊である。この事実だけを見れば「ワシントン宣言」に働く「規制力」も完全無欠のものとは言えず、やがてはニュージーランドも「演習とローテーション配備によりプレゼンスを維持する」という米戦略に呑み込まれてゆくのではないかという見方も可能である。対米協調を重視する国民党政権が長期化すれば、そのような「なし崩し的」な「同盟化」が進むかもしれない。実際、平和運動からはこのような警戒心が表明されている。だが、コールマン国防相は「ワシントン宣言はANZUSを復活させるものではなく、自立的外交政策は変わらない」と強調した。また、野党労働党の外交問題スポークスマンのフィル・ゴフ氏は、この宣言の署名を歓迎しつつ、「NZが、米英豪も含めて他国の立場にただ従うだけの時代はとうに終わっている」とし、ANZUSへの復帰を否定した。
興味深いエピソードを紹介しておこう。
国はリムパックに参加した外国軍艦船のうちNZ海軍の2隻には真珠湾の軍港への入港を認めず、2隻の軍艦は民間港であるホノルル港に停泊した。米国防総省の報道官は「両国は現存する制約の範囲内で協力を続けているのであり、その制約にはNZ海軍艦船は米軍港に寄港を許されないというものも含まれる」とこの理由を説明した。「同盟復帰」へのこだわりは米国の側にもあるのだ。
日本で、ニュージーランドの話をすると「国の規模が小さい」、「差し迫った脅威がない」あるいは「地政学的環境が全然違う」という反応が、平和運動に参加している人からさえ返ってくることがある。だが同国は全志願制の正規軍約8,600人を擁する。人口(440万人)で均すと、国民一人当たり0.02人にあたる。因みに同じ方法で日本の自衛隊員(全志願制)を試算すると、約25万人÷1億2800万人≒0.02人、ほぼ同じだ、少なくとも数字の上だけ見れば、ニュージーランドは決して「のんきな環境におかれた軍事小国」とは言えない。日本の「防衛計画の大綱」も、「日本への直接の脅威が存在する」とはいわない。むしろ「脅威が日本に及ぶことを未然に防止する」ために防衛力を整備するといっている。この点もニュージーランドと文言上は良く似ている。しかし、決定的な違いは日本の防衛政策が「日米同盟と米国の抑止力という命題から出発してそこに帰結する」対米追随路線の上に一貫して構築されていることである。
ニュージーランドと日本の違いは「環境」や「地政学」ではなく、「考え方」の違いであることを私たちは忘れてはならないだろう。

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