2021年、平和軍縮時評

2021年03月31日

日本は制裁ありきの北朝鮮政策を転換せよ

2021年3月末、政府は、4月13日に期限が切れる北朝鮮に対する独自制裁を2年延長する方針を固め、近く閣議決定を行なうとみられる。菅義偉首相が、自ら最重要課題の1つに掲げる拉致問題を前進させるために「金正恩委員長と条件を付けずに直接向き合う決意」[注1]を示しているにも関わらずである。果たして、北朝鮮に対する制裁を継続し、圧力をかけ続けることが、金正恩との首脳会談につながるのであろうか。
北朝鮮との対話を再開し、日朝間に横たわる数々の課題に取り組むためには、まず、日本政府がこれまでとり続けてきた制裁ありきの北朝鮮敵視政策を見直すべきである。あからさまな敵視政策を継続する姿勢では実りある交渉のきっかけはつかめない。対話再開のきっかけとして、日本が北朝鮮に科してきた独自の経済制裁の段階的解除を検討するべきではないか。独自制裁の一部解除が敵視政策転換のシグナルとして対話の道を開くかもしれない。そのような問題意識から、本稿では日本の北朝鮮への独自制裁の推移を整理し、制裁解除の可能性について考える。

日本の北朝鮮制裁の特異性
日本政府は北朝鮮に対する独自制裁を念頭において2004年に経済制裁関連法を成立させた。そうした背景からか、日本の北朝鮮に対する独自制裁には以下のような特徴がある。
第一に、制裁を科す際に拉致問題に言及している点である。日本の独自制裁は2006年7月に始まるが、その最初のものを除いて、必ず「拉致、核、ミサイル」に言及している。制裁のすべては、北朝鮮が行った核実験やミサイル発射という安全保障上の行為に対して行われているにもかかわらず、筋違いともいえる拉致への言及がある。
第二に、日本の独自制裁は、個別の制裁理由となる行為への対応の側面よりも、北朝鮮という国家あるいは国家体制への強い反発、あるいは敵視の表現形態という側面が強い。国連安保理による制裁は、核・ミサイル計画関連の活動やそれを推進する北朝鮮指導部にターゲットを絞った制裁から出発をして、2016年までは北朝鮮の一般民衆への影響を最小限にとどめるよう慎重に発動されていった。ところが、日本の制裁は早い時期から北朝鮮の一般の人々の生活に大きな影響が及びかねない貿易規制に踏み込んだ。こうした容赦のない日本の姿勢は、国連安保理の姿勢とは異質のもので、北朝鮮敵視政策を反映したものといえるだろう。
以下では、こうした特徴を持った日本の独自制裁の具体的な推移を概観する。

日本の北朝鮮制裁の推移
(1)核実験・ミサイル発射を契機とする制裁(2006年7月~2014年7月)
日本政府による最初の独自制裁は、小泉純一郎政権下で行われた。2006年7月5日、北朝鮮による7発のミサイルが発射されたその日に、日本政府は独自に北朝鮮に対して輸送規制措置(万景峰(マンギョンボン)92号の入港禁止、北朝鮮からの航空チャーター便の日本乗り入れ禁止)および人的往来規制措置(北朝鮮当局職員の入国原則禁止、北朝鮮籍船舶の乗員の上陸原則禁止、在日北朝鮮当局職員が北朝鮮に渡航した場合の再入国原則禁止、日本の国家公務員の北朝鮮への渡航原則禁止、日本から北朝鮮への渡航の自粛要請)を発動した[注2]。一方、国連安保理はその10日後(7月15日)に制裁措置(安保理決議1695)を採択した。その内容は核兵器などの大量破壊兵器と弾道ミサイルの開発に関与した北朝鮮の15団体・1個人の資産を凍結するという内容であった[注3]。これは焦点を絞った限定的な制裁と言える。

2006年10月9日、北朝鮮は初の核実験を実施した。これ対して10月11日、当時の第一次安倍政権は「我が国安全保障に対する脅威が倍加」し「北朝鮮が拉致問題に対しても何ら誠意ある対応を見せていない」ことなどを理由に北朝鮮に対して強硬な措置をとることを決定した。具体的には、輸送規制(入港禁止の対象を北朝鮮籍の全船舶に拡大)、人的往来規制(入国原則禁止の対象をすべての北朝鮮籍の者に拡大)、貿易規制(北朝鮮からの輸入を人道目的の場合を除いて全面的に禁止)をそれぞれ強化した(10月13日閣議決定)。ただ、輸出に関しては10月14日に採択された安保理決議の実施にとどまった[注4]。
この時点で日本政府はいきなり北朝鮮民衆の生活に影響が及びかねない全船舶の入港禁止および輸入全面禁止という容赦のない措置をとった。
一方で、10月14日に成立した国連安保理決議1718は、武器・大量破壊兵器等の関連物資および贅沢品の北朝鮮への輸出を禁じるのみであった[注5]。この時点における国連制裁は、北朝鮮指導部と核・ミサイル開発に関わったとみなされる個人と組織をターゲットとしたもので、北朝鮮民衆に多大な影響が及びかねない貿易規制は回避した。こうした国連制裁の傾向は2016年1月6日に北朝鮮が4度目の核実験を実施する前まで継続する。日本政府はその10年近くも前から北朝鮮民衆の生活に大きな影響を与えかねない輸入全面禁止措置をとってきたのである。

2009年5月25日、北朝鮮は2度目の核実験を実施した。それに対して国連安保理は6月12日に決議1874を採択し、加盟国に北朝鮮の大量破壊兵器と弾道ミサイルに関する計画や活動に寄与し得る資産の移転防止と、そうした活動に関わる専門教育・訓練の防止を義務付けた。この時点でも、国連制裁は核・ミサイル開発に関わる活動の規制を目的としたものにすぎなかった。ところが、6月16日、麻生政権下の日本はさらなる制裁を発表し、北朝鮮向けの輸出を全面的に禁止(人道目的を除く)するとともに、制裁の対象を外国人にまで拡大した(北朝鮮制裁に違反した外国人船員の日本入国を禁止し、制裁措置に違反した在日外国人が北朝鮮に渡航した場合の日本再入国を不許可とした)[注6]。
日本はこの2009年6月の時点で、核・ミサイル開発とは直接に関係のない民生品を含めた輸出入を北朝鮮との間で全面的に禁止するという国連制裁を大幅に超えた措置をとったことになる。

(2)日朝ストックホルム合意と制裁緩和(2014年7月~2016年2月)
2011年12月、北朝鮮では指導者が金正日から金正恩に交代し、2012年12月、日本では第2次安倍内閣が誕生した。
そうした中で2014年5月29日、日本と北朝鮮は拉致問題を話し合うためにストックホルムで会合を開いた。その会合で、北朝鮮は拉致被害者や行方不明者の調査を約束し、その調査を開始する時点で日本側が独自制裁を一部解除することで合意した[注7]。この合意に基づいて、7月4日、日本は独自制裁を緩和した。
この時に日本が解除した制裁は、北朝鮮経済に大きな好影響を及ぼすものではなかったが、在日朝鮮人との関係においては少なからぬ意味があった。具体的には、人的往来規制の緩和(北朝鮮籍者の入国の原則禁止の解除、在日の北朝鮮当局職員が北朝鮮に渡航した場合の再入国原則禁止措置の解除、日本人に対する北朝鮮への渡航自粛要請措置等の解除)、金融規制の緩和(日本から北朝鮮に自由に持参できる金額の上限を10万円から100万円に、北朝鮮に住所を有する者に対して許可なく支払いができる上限を300万円から3000万円に引き上げ)、輸送規制の緩和(人道目的の場合は北朝鮮船舶の日本入港を許可)を行った[注8]。しかし、北朝鮮との輸出入の全面禁止および北朝鮮船舶の全面入港禁止(人道目的の場合を除く)は依然として維持されたままであった。
ストックホルム合意における制裁緩和は、日本の独自制裁が、いずれも核・ミサイル開発に関して科せられたにも関わらず、拉致問題に関連して緩和が行われた。日本政府とっては、前述のように北朝鮮への制裁は国家体制への敵視の表現であり、核・ミサイルと拉致との間に境界がないことを示している。

(3)制裁の再強化(2016年2月~現在)
ストックホルム合意による拉致問題の解決に進展がないまま、約1年半後の2016年1月6日、北朝鮮は4度目の核実験を実施し、2月7日にはミサイル発射実験を行った。それに対して安倍政権下の日本は2月10日「我が国は、拉致、核、ミサイルといった諸懸案を包括的に解決するために何が最も有効な手段かという観点から真剣に検討してきた結果、以下の独自措置を実施する」と表明し[注9]、国連安保理による制裁決議2270の採択(3月2日)を待たずに北朝鮮に制裁を加えた。
その内容は、おおむねストックホルム合意で緩和したものを復活させたもので、それにプラスして北朝鮮を渡航先とした場合の再入国不許可対象に在日外国人の核・ミサイル技術者を加え、入港禁止対象を北朝鮮に寄港した第三国籍船に拡大し、資産凍結対象に1団体、10個人を追加した[注10]。
一方、国連安保理もこの時期を境に制裁内容を大きく拡大し始める。安保理決議2270(2016年)には、北朝鮮指導部や軍事活動を主なターゲットとした制裁(法律に違反した北朝鮮外交官の国外追放、すべての武器・関連物資の北朝鮮への輸出禁止、航空燃料の原則輸出禁止)に加えて、北朝鮮経済に打撃を与えることを意図した制裁(金、チタン鉱石、バナジウム鉱石、レアアースの北朝鮮からの輸入禁止、石炭、鉄、鉄鉱石の輸入規制、北朝鮮に出入りするすべての貨物検査、その他の金融規制)が含まれた[注11]。
国連が一般民衆への多大な悪影響が出かねないこの種の制裁を北朝鮮に加えたのはこの時が初めてであった。一方日本は、すでに述べた通り、2006年よりこの種の制裁を開始し、2009年の時点で北朝鮮との貿易を全面的に禁止していたため、この時点では貿易面でこれ以上制裁を強化する余地は残されていなかった。

2016年9月9日、北朝鮮は5度目の核実験を行った。それを受けて11月30日、国連安保理は決議2321(2016年)を採択し、主に北朝鮮経済へのダメージを狙った制裁(銅、ニッケル、亜鉛、銀の北朝鮮からの輸入禁止、北朝鮮産石炭の輸出上限の設定、北朝鮮の船の登録抹消、北朝鮮外交使節の金融機関口座の制限など)を決議した。それに対して日本は貿易面での制裁強化の余地は残されていなかったため、それ以外の手段でさらなる独自制裁を発動した(12月2日)。具体的には、人的往来規制(北朝鮮を渡航先とした場合の再入国不許可対象者を拡大)、輸送規制(北朝鮮に寄港した全ての船舶の入港禁止)、金融規制(資産凍結対象に6団体、9個人を追加)をそれぞれ強化した。これらは国連安保理が決議した内容を超えた制裁である。
2017年9月3日に北朝鮮が6度目の核実験を行い、11月29日に大陸間弾道ミサイル(ICBM)を発射した際、制裁の厳しさが史上最強と言われる国連安保理決議2397(2017年)を採択した(12月22日)。このとき日本がなしえたのは資産凍結や入港禁止船舶の対象を拡大することくらいであった。日本の北朝鮮に対する独自制裁は2017年12月15日に資産凍結の対象を北朝鮮に本社を置く19団体に拡大したのが最後となっている[注12]。

日本の独自制裁の代表例
以上に述べたように、現在、日本が北朝鮮に科している国連制裁を超えた独自制裁の代表的なものには以下のようなものがある。

・在日朝鮮人で北朝鮮当局の職員と見なされる者などは渡航すると再入国できない。また、北朝鮮の国民は原則的に日本に入国できない。
・国連が輸入制裁対象としていない、北朝鮮の特産品であるマツタケ、電子部品、電力用ケーブルといった品目など、人道目的以外のすべての物品の輸入が禁じられている。
・国連が輸出制裁対象としていない、北朝鮮の民生活動に必要な民生トラック、バス、冷蔵庫、クーラーといった品目など、人道目的以外のすべての物品の輸出が禁じられている。
・北朝鮮への渡航が許されても、10万円以上の金額を自由に持ち込むことができない。
・在日朝鮮人が北朝鮮に住む親族や友人に送金するなど国連制裁と無関係の送金も、すべて禁止されている。
・国連は59隻の船舶を特定して入港禁止しているが、日本は人道目的を含むすべての北朝鮮籍のみならず、北朝鮮に寄港した船舶すべての入港を禁止している。

これらは北朝鮮の経済や在日朝鮮人の生活に多大な悪影響を生み出しているであろう。これらを解除することは、国連安保理決議の不履行とはならず、日本が独自の判断で解除することが可能である。

敵視政策からの転換を示す第一歩
上述のように、日本は国連制裁に先んじて北朝鮮に容赦ない独自制裁を科し続けてきた。しかし、核、ミサイル、拉致のいずれに関しても、制裁が効果をうんでおらず、日朝関係が行き詰まりを見せていることは誰しも認めざるを得ないところであろう。こうした行き詰まりを打開するには、日本政府が、制裁ありきの敵視政策を見直し、対話と交流による信頼醸成のアプローチに転換することが必要である。そのためには、昨年の自然災害とCOVID-19によって大きな困難に直面している北朝鮮への人道支援を趣旨とした独自制裁の解除をまず検討すべきであろう。それによって、人と物の交流を再開することがすべての前提となる第一歩となる。それは敵視政策からの転換を北朝鮮に示す最初のシグナルとなる。例えば、日本政府が2014年7月4日に一度解除した独自制裁措置を再び自発的に解除をするのも一案であろう。こうした措置は安保理決議に抵触しないうえ、かつ一度経験した解除措置であるためである。日本政府は、韓国はもちろんのこと、米国や欧州連合にも事前の説明をしたうえで、これらの制裁解除を検討し段階的な実施を目指すべきである。それが日朝関係の行き詰まりを打開する第一歩となるはずである。(渡辺洋介)

注1. 第204回国会政府答弁書
https://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/204/touh/t204001.htm
注2 衆議院調査局北朝鮮による拉致問題等に関する特別調査室『北朝鮮による拉致問題等に関する参考資料集』2020年、p.198。
注3 同特別調査室『北朝鮮による拉致問題等に関する基礎資料』2018年、p.94。
注4 注2と同じ、p.203。
注5 注5と同じ、p.93、p.100。
注6 注3と同じ、p.94、p.101。
注7 外務省「日朝政府間協議(概要)合意事項」
https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000044432.pdf
注8 注2と同じ、p.228。
注9 注2と同じ、p.231。
注10 注2と同じ、pp.231-233。
注11 注3と同じ、pp.93-99。
注12 注3と同じ、pp.92-94、p.102。および、同書2020年版、pp. 108-109。

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