2020年、平和軍縮時評

2020年05月31日

福島第1原発放射能汚染水の海洋放出を止めよう  -廃炉40年計画を見直せ-    湯浅一郎

 2011年3月の福島第1原発の大事故から9年強が経つ。事故直後、同原発では水素爆発が断続的に起き、放射能が東日本一帯に拡散した。大量の汚染した冷却水が直接、海に流出し、市民は放射能汚染への恐怖の中で暮らしていた。それから10年もたたない今年、今度は新型コロナウイルス感染という恐怖が世界中で広がり、日本も2か月弱の緊急事態宣言が出され、暮らしそのものが脅かされている。そうした中、政府は、今夏のうちに福島第1原発の放射能汚染水を希釈して海洋へ放出する方針を決めようとしている。

1 放射能汚染水の現状
 燃料デブリの再溶融を防ぐための冷却工程は、事故時と何ひとつ変わらない。閉じた細管の中を水を循環させる本来の冷却作業は、3月11日の地震直後に不可能となり、ひたすら水を注入している。この間、東電は、多核種除去設備(以下、ALPS)により汚染水を浄化し、地下水バイパス、凍土壁などにより、山側から入る地下水をできるだけ減らすことで、タンク貯蔵せねばならない汚染水(以下、ALPS処理水)を極力制限してきた。その結果、ALPS処理水は徐々に減少し、2015年、490m3/日、2018年、170 m3/日となった。東電によれば、3月12日時点で、979基のタンクに約119万m3のALPS処理水が貯蔵されている。トリチウムの平均濃度は約73万ベクレル/リットルで、タンクに貯蔵されているトリチウム総量は約860兆ベクレルにのぼる(注1)。そして、手続きや準備に2年は必要なことから、これらのタンク群は2022年夏には一杯になるので、対応策が必要だとしている。

2 初めから海洋放出ありきの「ALPS等処理水小委員会」
 この問題で政府が依拠しているのが、経済産業省の「ALPS等処理水の取扱いに関する小委員会」(以下、「委員会」)の最終報告書(2020年2月10日。以下、「報告書」)(注2)である。その主な内容は以下である。
・ALPS処理水の約7割でトリチウム以外にストロンチウム90(Sr90)、ヨウ素129(I129)などが基準を越えて含まれている。これらは再度ALPSですべて処理し、トリチウム以外の核種を完全に除去し、残るのはトリチウムだけにすべきである。
・その上で地層注入、水素放出、地下埋設、水蒸気放出、海洋放出の5つの選択肢を検討した結果、大気への水蒸気放出及び海洋放出が有力で、なかでも世界の原発で実績がある海洋放出が現実的と強調した。
・その上で、風評被害をできるだけ少なくするための工夫が必要である。
報告書の公表以降、海洋放出へ向かう地ならしが急速に進んだ。2月26日、国際原子力機関(IAEA)のグロッシ事務局長が来日し、記者会見で「汚染水をどう処分するかは日本政府が決めること」としながらも、「トリチウム水は、世界中の原発で日常的に海洋放出しており、希釈して放出すれば影響はごくわずかである」と発言した。さらに4月6日、13日と2回にわたり福島の地元自治体や農林水産業、森林業、旅館業など関係者の「ご意見を伺う場」が持たれ、5月11日には経済関係者を対象に第3回目を行った。合わせて4月6日から6月15日にかけて書面による意見募集も行っている。関係者から丁寧に意見を聞いたという形を作りつつ、時期を見て海洋放出を選択するという既定路線が進んでいる。
 ここでは、以下、小委員会「報告書」の問題点を検証する。

3 タンク貯蔵の選択肢は早い段階で排除された
 「報告書」の第1の問題は、環境への放出を避けるための努力を相当早い段階で除外したことである。その一つの要因は、福島第1の廃炉と廃止措置のスケジュールの中で終わらせねばならないとの至上命令に縛られていることである。「報告書」13ページには、「大原則として、福島の復興と廃炉を両輪として進めていくことが重要であり、廃止措置が終了する際には、ALPS処理水についても、廃炉作業の一環として処分を終えていることが必要である。したがって、貯蔵継続は廃止措置終了までの期間内で検討することが適当」としている。「30~40年で廃止措置を完了する」とのスケジュールを一方的に決め、汚染水の処理もその時間内で終わらせる。その結果、タンク増設の選択肢を除外することになる。これは本末転倒である。陸上タンク保存を例えば100年やれば、汚染水問題は、相当解決するのであり、それに合わせて廃炉計画を作りなおすべきである。
 上記の結果、「報告書」には、タンクの貯蔵能力を飛躍的に高めようとする姿勢が一貫して見られない。「報告書」は、「タンク保管を継続するための敷地外への放射性廃棄物の持ち出しや敷地の拡大は、保管施設を建設する地元自治体等の理解や放射性廃棄物保管施設としての認可取得が必要であり、実施までに相当な調整と時間を要する」などと言い訳がましいことを列挙し、「相当な調整と時間を要する」のでタンク貯蔵は困難であるとする。初めから地上保管を放棄しているのである。
 4月6日の「ご意見を伺う会」で、福島県森林組合長は、「事故の影響は今も続いており、新たな放射性物質の放出には反対である」と話した。この原則こそ、最も優先させるべきことである。これと比べ、小委員会に召集された専門家や有識者には、管理できる放射能は環境に放出してはならないとする原則を貫こうとする信念が希薄である。

4.トリチウム水放出の影響が小さい証拠はない
 「報告書」は、海洋放出を推奨しているので、ここでは海洋放出につき問題点を検討する。ALPS処理後の汚染水の約72%(注3)で、トリチウム以外にストロンチウム90(Sr90)、セシウム137(Cs137)、ヨウ素129(I129)(半減期1,570万年)、ルテニウム106(Ru106)などが基準を越えている。「報告書」は、最低限、トリチウム以外の核種の除去を必須の作業として求めた。当然の要請であるが、その際も第3者による検証が必要である。
 その上で問題は、残ったトリチウム水の環境影響である。トリチウムは水素の同位元素で、水に紛れて動くので、短時間で体内から出ていく上に、核崩壊の際に放出する電離エネルギーが小さく有害性は小さいとする。小委員会の議論は、トリチウム水の環境影響はわずかで、風評被害だけが問題であるとの論調に終始している。国際放射線防護委員会(ICRP)はトリチウムの線量計数を非常に低くし、人体には影響が少ないとしている。海洋放出の際の規制基準は1リットルあたり6万ベクレル以下で、濃度を薄めて放出すればいい。これは、人体への影響を基に決められており、規制値の濃度のトリチウム水を「0~70歳までの70年間毎日2リットル飲み続けた場合の被ばく線量を平均1ミリシーベルト/年とする」と想定している。
 さらに規制基準は、海洋生物や生態系への影響は想定していない。しかし、特にトリチウムが環境や生物の体内の炭素と結合して生じる有機結合型トリチウム(OBT)は、長期にわたり臓器などにとどまり、極めて厄介な挙動をすることが考えられる。近年、海洋に放出された直後の沿岸海域におけるトリチウムの地球化学的挙動の研究が進み、イギリスのセバーン川河口域では、食物連鎖において相当程度の濃縮があるとの研究がある(注4)。またセバーン河口のカーデイフ付近で、1kg当たりタラ3万3000ベクレル、ヒラメ2万3000ベクレル、ムラサキイガイ2万6000ベクレル、ゴカイ1万6000ベクレルなど極めて高濃度のトリチウムが検出されている(注5)。これらは、河口域における食物連鎖に伴う相当な濃縮を示唆しており、規制基準の根拠を揺るがしている。
 確かに、IAEAが言うように世界の原子力施設では規制基準以下に薄めての海洋放出が日常化してきた。中でも最も多いラ・アーグ再処理工場(フランス)は年に約1京3700兆ベクレルと原発と比べ桁が3~4も大きい。福島のALPS処理水の約860兆ベクレルの放出など問題ではないとでも言いたげなデータである。
 しかし世界の原発で大気や海洋に希釈放出されているからといって、「環境への影響がない」ことが証明されているわけではない。トリチウム放出の多い重水素型原発を多用するカナダでは、子どもの白血病や先天性異常などが問題になっている。1980年代前半、伊方原発(愛媛県)沖の瀬戸内海で大量の魚類斃死が何度か起きたが、伊方原発のトリチウム放出が一要因であることが疑われる。現時点で、これらの症状が原発からのトリチウム放出によると証明することは難しい。他方で、「影響はない」ということが疫学的に十分調査されているわけでもない。しいて言えば、「影響はわからない」というべき状態である。しかし、「影響がわからない」ということは「影響がないこと」ではない。この際、世界規模での原子力施設からの大量のトリチウム放出がもたらす低濃度の長期汚染による海洋生物や生態系への影響に関し世界規模で疫学的研究をするべきである。それをしないでおいて「影響はない」と一方的に決めつけている世界的現状は容認されてはならない。

5 世界三大漁場の海を放射能の毒壺にするな
 最後に、「報告書」は、放出される海が世界三大漁場の一つであり、世界的に見ても「生物多様性の観点から重要度の高い海域」に属する希少な海であることを見ていない点を指摘しておきたい。2014年5月、環境省は、生物多様性に関する愛知目標を達成するための基礎資料として「生物多様性の観点から重要度の高い海域」として、270の「沿岸域」、20の「沖合表層域」、31の「沖合海底域」を抽出した(注6)。福島第1原発が面する常磐沖の海は、その典型である。まず「沿岸域」の一つとして、福島第1原発北方の「高瀬川・請戸川河口」は「ウナギ、カワヤツメ等の両側回遊性(海と淡水を往復する)の希少生物が分布している」とされる。さらに福島第1原発の沖合表層域は「本州東方混合水域」の一部である。ここは、「親潮と黒潮の混合する海域であり、暖水・冷水渦を含む複雑なフロント構造が発達」し、「温帯性種と亜寒帯性種とが共存する独特の生物相を形成するとともに高い生物生産を示す海域」であり、「サンマ、サバ類、イワシ類などの浮魚類・イカ類、マグロ類やカツオなど大型回遊魚の索餌・成長海域となっており、大陸棚から大陸棚斜面域にはタラ類、カレイ類などの多様な有用水産資源が生息する」とされる。沖合海底域も「東北沿岸海底谷」とされ、「底性の魚類も多い」。つまり福島沖は、実に南北500㎞、東西200㎞の世界三大漁場の一部であり、沿岸、沖合表層、沖合海底と3次元的な広がりをもって生物多様性から見て極めて重要な海域なのである。小委員会の議論は、この点を全く無視している。今、政府が生物多様性保全を推進する立場に立てば、ALPS処理水の海洋放出はあり得ない選択となるはずである。

 汚染水は、国の責任において福島第1原発の中で管理するべきである。その前提は、これ以上、新たに核分裂生成物を生み出さないという原則を政策の基本に据えることである。それは、すなわち、原発再稼働はせず、エネルギー政策から原発を除くことを意味する。まず脱原発をめざす方針をとったうえで、汚染水の処分のありかたを考えるべきである。
 なお5月13日、原子力規制員会は、六ケ所再処理工場の安全審査をし、新規制基準に適合しているとして事実上審査書案を了承した。仮に再処理工場が稼働すれば、福島のALPS処理水のトリチウムを少なくとも一桁は上回る量のトリチウムを下北半島の海に放出することになる。この問題は、核燃料サイクルが既に破綻している中で、プルトニウムを取り出す再処理工場を稼働させるという選択はあり得ないことも含めて、福島の汚染水の海洋放出と合わせて食い止めねばならない。


1.東京電力「多核種除去設備等処理水の取扱いに関する小委員会報告書を受けた当社の検討素案について」、2020年3月24日。
2.「多核種除去設備等処理水の取扱いに関する小委員会報告書」、2020年2月10日。
3.注1と同じ。
4.アンドリュー・ターナーら:「河口域におけるトリチウム分布-有機物質の役割」、環境放射能ジャーナル、第100巻、問題10、2009年10月。
5.英国食品基準庁、スコットランド環境保護庁:「食物と環境中の放射能、1999年」、2000年9月。
6 環境省HP「生物多様性の観点から重要度の高い海域」。

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