平和軍縮時評

2019年10月31日

イラン核合意の危機 合意維持を求めるイラン、有効な支援策を打ち出せない欧州 森山拓也

イランによる核合意の履行縮小
2019年5月以降、イランが2015年に成立した核合意(共同包括的行動計画=JCPOA)の履行縮小(一部停止)を段階的に進めている。米国は昨年5月にJCPOAから一方的に離脱し、対イラン制裁を再開した。米国の離脱からちょうど1年のタイミングに合わせ、イランは対抗措置として合意履行の縮小に踏み切った。
5月8日、イランはJCPOAの履行を縮小すると表明し、低濃縮ウランの貯蔵量をJCPOAで合意した300kgの上限以上に増やし、重水の貯蔵量も130トンの上限以上に増やすと発表した。さらにイランは60日間の猶予期間を設け、JCPOA当事国が米国の制裁によるイランの経済的損失を補填する措置を取らなければ、合意履行をさらに縮小すると警告した。そして7月1日、イランのザリフ外相は低濃縮ウランの貯蔵量が合意の上限を越えたと発表した(合意履行縮小の第1段階)[注1]。
合意履行縮小の表明から60日目となる7月7日、イランは合意履行縮小の第2段階に入った。この日、イランのアラグチ外務次官、ラビエイ政府報道官、カマールヴァンディー原子力庁報道官は共同記者会見を開き、ウランの濃縮度がJCPOAで規定された上限の3.67%を超過したと発表し、5%程度まで引き上げる可能性に言及した。さらに、新たに60日間の猶予期間を設け、その間にJCPOA当事国によるイランの利益保護に進展が見られなければ、イランは合意履行縮小の第3段階に進むと警告した[注2]。これに対し英独仏はJCPOAの合意成立から4年目となる7月14日、JCPOAが「崩壊の危機にある」とする共同声明を発表し、対立を深める米国とイランが対話を再開するよう呼びかけた[注3]。だが対話の糸口が見えないまま、9月4日、ロウハニ大統領は合意履行縮小の第3段階として、新型遠心分離機の研究開発を拡大する方針を示し、9月7日にはイラン原子力庁が新型遠心分離機の稼働開始を発表した。さらに、イランは11月初めに履行縮小の第4段階を予定している。

イランの行動の背景:米国の一方的合意離脱と欧州へのいら立ち
イランはなぜ核合意の履行縮小に踏み切ったのだろうか。その背景には、米国の一方的行動と、事態を解決できない欧州に対するイランのいら立ちがある。トランプ米大統領は大統領選挙中からオバマ政権のレガシーであるJCPOAを「最悪の合意」と繰り返し批判し、合意離脱を公約としていた。トランプ大統領は、合意の欠陥としてイランの弾道ミサイル開発規制が含まれていないことや、イランの核開発制限に期限があることなどを挙げ、欧州側に合意の修正を求めてきた。イランは合意の堅持を掲げて再交渉を拒み、英独仏も米国が合意にとどまるよう説得を続けてきた。ところが18年5月、トランプ大統領は米国の合意離脱を表明し、対イラン制裁を復活させる大統領令に署名した。続いてポンペオ米国務長官がイランに対する12項目の要求を提示し、見返りとして経済制裁の解除や国交回復に向けた用意があると強調した。12項目にはイランの国家主権や地域戦略、安全保障の根幹に関わる要求が含まれており、イラン側は猛反発した。
米国の合意離脱後もイランのロウハニ大統領は合意にとどまると表明し、国際社会もそうしたイランの姿勢を支持してきた。だが米国による対イラン制裁再開の第1弾が18年8月に、第2弾が11月に実施されると、イランの経済や国民生活は大きな影響を受け始めた。特に、イランの歳入の大部分を占める原油輸出への禁止措置は、イラン経済に深刻な打撃を与えている。米国は日本を含む8か国・地域に対し、イランからの原油輸入の継続を180日間に限り認める特例措置を認めていたが、その期限も今年5月に終了し、イラン産原油は全面禁輸となった。
イランはJCPOAにとどまる条件として、米国の制裁による経済的損失を他の当事国が補填することが不可欠だと主張してきた。英独仏とEUはイランを支援するため、欧州企業が米国による制裁に従うことを禁じるブロッキング規制を18年8月に発動し、今年1月にはイランとの貿易決済を可能とするための特別目的事業体として貿易取引支援機関を設立した[注4]。だが米国による二次的制裁の適用を恐れる欧州企業は及び腰で、欧州によるイラン支援の取り組みは十分に機能していない。イランは制裁に否定的な中国の企業との取引継続に期待を寄せていたが、今年10月に中国企業がイランでのガス田開発から撤退するなど、外資投入による経済成長を目指してきたロウハニ政権は大打撃を受けている。
さらにイラン国内では苦境に陥った国民の不満を背景に、反米を基調とする保守強硬派が勢いを増し、JCPOAを成立させ対外融和政策を進めてきたロウハニ政権への圧力を強めている。イランによる合意履行縮小は、イランの経済的利益の保護という約束を果たせていない欧州に揺さぶりをかけるとともに、国内の保守強硬派からの批判をかわすことも狙ったものである。

あくまでも合意維持を求めるイラン
イランは合意履行の縮小について、JCPOAに違反しておらず、合意の26節及び36節に規定された権利を行使しているだけだと強調している[注5]。これらの文節は、他の当事国に重大な合意不履行があった場合、イランは合意履行を停止できるとしている。先に合意に違反したのは米国であり、英独仏やEUも約束したはずのイランの経済的利益を保護できておらず、イラン側はそれを合意の不履行として問題視している。米国の合意離脱後もイランは欧州にイラン支援の仕組み作りの時間を与えてきたが、十分な結果が得られないため、「仕方なく」保有する権利を行使したというのがイランの主張だ。7月7日の記者会見でアラグチ外務次官は、「イランの合意履行縮小はJCPOAを維持するためのもので、破棄するためのものではない」と説明し、あくまでも合意にはとどまる姿勢を強調した[注6]。
また、イランの行動は核武装につながる危険性からはほど遠い。履行停止の第1段階として、イランはウラン濃縮度を5%程度まで高めるとした。天然ウランにはエネルギー源として利用可能なウラン235が約0.7%含まれており、この濃度を高めることをウラン濃縮という。イランが現在達成している濃縮度3~5%は発電用原子炉で使用される燃料のレベルである。核兵器を製造するには濃縮度を90%まで高める必要があり、現在の濃縮度はそれよりはるかに低い。ウランの濃縮度20%の達成には長い工程が必要であるが、20%まで濃縮が進めば、そこから濃縮度を90%まで高める工程は比較的短期間で済むとされる。だが、核兵器製造には高濃縮ウランが数kg単位で必要であり[注7]、それを濃縮によって製造するには原料として大量の低濃縮ウランが必要とされる。今回、イランは低濃縮ウランの貯蔵量をJCPOAでの上限の300kgからわずかに増やしただけであり、核兵器に必要な高濃縮ウランを製造するには量が少なすぎる。今年9月にイラン原子力庁報道官が新型遠心分離機の研究開発拡大を発表した際も、「現状では20%の濃縮ウランは必要ない」と述べ、抑制的な態度を示した。
さらに、イランはIAEA査察官を国内に留め、24時間体制の監視を継続させている。イランは合意履行縮小についてもIAEA査察官に確認させており、イランに核兵器開発の意図があるとは考えにくい。イランの合意縮小は、核兵器製造が可能なレベルには程遠い、きわめて抑制的な行動である。イランは欧州の対応次第では合意履行を再開するとしており、履行縮小は欧州に行動を求めるための政治的アピールと見て良いだろう。

続く米の強硬策と緊張の高まり
抑制的なイランの態度にも関わらず、この間も米国はイランへの圧力を強化し続けてきた。米国は4月にイラン革命防衛隊を外国テロ組織に指定したのに続き、6月24日に最高指導者のハメネイ師、7月31日にザリフ外相を制裁対象とした。さらに5月以降、制裁強化に対してイランが軍事的に動く脅威が高まっているとして、ペルシャ湾近海に空母を再派遣し、カタールやUAEの米軍基地にB52戦略爆撃機やF22ステルス戦闘機の部隊を配備するなど、イラン周辺での軍事的プレゼンスを高めている。
そんな中、米国とイランの対立に関連した不穏な動きがペルシャ湾など中東地域で相次ぎ、緊張をさらに高めている。安倍首相がイラン訪問中の6月13日、ホルムズ海峡ではタンカー2隻が攻撃を受ける事件が発生した。攻撃の実行者は不明であり、イランも関与を否定しているが、米国は攻撃をイランの仕業であると断言した。6月20日にはホルムズ海峡近辺で米海軍の無人偵察機が領空を侵犯したとして革命防衛隊に撃墜され、一時はトランプ大統領が報復攻撃を承認し、直前に中止させる事態となった。7月18日には米艦艇がホルムズ海峡で接近してきたイランのものとみられる無人機を撃墜。さらに7月19日にはホルムズ海峡で英国船籍のタンカーが革命防衛隊に拿捕された。9月14日にはサウジアラビアの石油施設に巡航ミサイルとドローンによるとみられる攻撃があった。イエメンのフーシが犯行声明を出したが、米国や英独仏はイランに責任があるとして非難した。10月11日、今度は紅海を航行中のイランのタンカーで爆発があり、イランはサウジアラビア方面から攻撃を受けたと主張している。
こうした事態に対し、米国はサウジアラビアへのミサイル防衛システム配備や米軍増派を決めたほか、ホルムズ海峡での船舶の安全を守るためとして有志連合の結成を各国に呼び掛け、対イラン包囲網を強化しようとしている。これに伴い、日本もホルムズ海峡周辺への自衛隊の独自派遣を検討している。イランとの軍事衝突が起きれば、戦線は一気に中東全域に拡大する恐れがある。イランが支援するレバノンのヒズボラやイエメンのフーシが報復として、米国の同盟国であるイスラエルやサウジアラビアを攻撃する可能性もある。イランはイラクとシリアに軍を派遣しており、両国に駐留する米軍と衝突が起きる可能性もある。

JCPOA維持で国際秩序を守れ
JCPOAをめぐる交渉の行き詰まりが合意履行縮小というイランの瀬戸際外交を招き、周辺地域の軍事的緊張まで高めてしまっている。JCPOA崩壊を防ぐには、国際社会がイランの経済的利益を保護する仕組みを作るか、米国の制裁を撤回させる必要がある。だが欧州企業は米国からの二次的制裁を恐れて動けず、再選を目指すトランプ大統領も、対イラン強硬策を求めるキリスト教福音派やイスラエル・ロビーからの支持を固めるため、イランへの譲歩は難しい。有効な打開策が見えないのが現状であるが、イランも欧州も共に、JCPOAは保持されるべきであるとの立場は一致している。国連を含め国際社会は、あくまでも合意に留まるとするイラン側の意図を正しく読み取り、多国間交渉の貴重な成果であるJCPOAを崩壊させないための国際的努力の必要性を強調すべきだ。
イランの合意履行縮小を批判する前に、イランの行動の原因である米国の一方的な合意離脱を批判する国際的世論を高めることも必要だ。国際合意や多国間の枠組みに背を向けるトランプ政権の行動は、ルールに基づく国際秩序や核不拡散の体制を危険にさらしている。JCPOAの維持で一致する国際社会が、トランプ政権の一国主義的行動に対してどこまで有効な手立てを打てるかが問われている。

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