声明・申し入れ、2012年

2012年11月11日

憲法理念の実現をめざす第49回大会(護憲大会)閉会総会  大会のまとめ 藤本泰成事務局長

事務局長の藤本です。みなさん、3日間、真摯な議論をありがとうございました。初日のシンポジウムから7つの分科会、3つのひろば、2つのフィールドワーク、そして今日の4つの特別提起、一言で語ることのできない、本当に複雑なそして深刻な課題が山積していると感じました。

大会のまとめを行いたいと思いますが、すべての議論に触れることができないことをお許しいただきたいと思います。そして、まとめの内容が、現時点での私の思い、考えであることをお許しいただき、今後、みなさんとの議論ととりくみを通じて運動を深化させていただきたいと思います。

今大会は、尖閣諸島・竹島の領有権が、日中・日韓の外交問題として浮上し、ナショナリズムが高揚するなかで、中国国内では反日デモによって日系企業などに大きな被害が出たきびしい情勢のなかで開催をされました。シンポジウムには、中国大使館から文徳盛参事官、韓国のNGOアジアの平和と歴史教育連帯からカン・ヘジョン国際協力委員長、そして地元山口県選出の平岡秀夫衆議院議員を迎え、日中韓の友好関係をどうつくるかを議論させていただきました。

シンポジウムの冒頭、カン・ヘジョンさんから、「明治維新後、日本はアジアを抜け出して欧米諸国をめざした。今日のシンポジウムのテーマ『東アジアとの友好』からは、日本がアジアの国であると見えるだろうか。日本はアジアの一員であるし、みなさんも私もアジアの一人です」との指摘をいただきました。
私は、この間「脱亜入欧」といった明治期からの観念を引きずり、いまだにアジア蔑視の考えから抜け出すことのできない日本のあり方を非難してきました。欧米諸国を常に意識しながら、自身の立ち位置を図ってきた日本から、抜け出さなくてはならないと考えてきました。しかし、アジアの一国として日本を考えながら、しかしどこかでアジアの外に日本を置いている自分を指摘されたような気がしました。カンさんの言葉を、もう一度かみしめていきたいと思います。

日中韓の、それぞれ異なる立場からの議論は、かみ合わないように感じられながらも、政治・経済・文化のすべての分野で、友好関係を構築することがお互いの将来にとって重要であること、そのことのために何が必要なのかということについて、私たちは自らの利害を超えて話し合うことが大切であるという認識で一致できたのではないかと思います。
日本国内において、尖閣や竹島問題を持ち出してナショナリズムをあおり、そのなかで現憲法をあたかも米国から押しつけられたかのように近代以降の国民主権の考えを否定し、戦前の社会のたとえば「忠君愛国」「滅私奉公」を理想とするような社会のあり方を模索する勢力があります。彼らの論理は、各々の利益を基本にして行動するもので、新しい社会のありようを示すものではありません。

第7分科会の舟越耿一さん、そして第5分科会の飯島滋明さんは、まったく別な分科会において、お二人とも憲法学者として、震災復興などを理由にした憲法改正の問題に触れました。これまでの9条改憲論とは違った形での改憲主張が出てきていることに、私たちは敏感でなくてはならない思います。
現行憲法が認めていない、緊急時に私たちの一切の権利を停止し、権力の行使を認めるという主張による改憲論が、震災対応から浮上しています。そのことが緊急時の対応に威力を発揮し、あたかも私たちの利益になるというような主張にだまされてはなりません。お二人の指摘に、私たちはことの重要性を感じなくてはならないと思います。

「米国は国内の利権構造のなかで戦争の種を作り出している。1945年以降、そのような国内情勢のなかにあって、戦争を繰り返してきた」。第2分科会において、本大会の地元実行委員長でもある纐纈厚山口大学教授から示唆に富む報告をいただきました。

民主党政権は、政権交代を果たした2010年のマニュフェストのなかで、米国との従属関係を見直しアジア重視の政策を提起しました。そのことが、米国を刺激し、民主党はその後米国への従属性を強めていくこととなりました。
纐纈さんは、米国がこの間主張するのスマート戦略は、財政的に日本と韓国などに米国軍の変わりをさせるという、スマートなつまり頭のいい、もしくはこざかしい戦略なのだと指摘しています。
現在、米国は財政を圧迫する国防費の削減が喫緊の課題とされていますが、しかしアジアにおける軍事的プレゼンスを変更することはないとしています。再選されたオバマ大統領の最初の訪問先がアジアであることは、米国がいかにアジア重視の姿勢を持っていることかの証左と言えます。

驚異として喧伝される中国の軍事力の実態は、しかし中国初の空母「遼寧」の設備や戦闘員の練度など、どれをとっても実戦に適応するものではない。また、人民解放軍280万は、外征型の軍隊としては機能しないと纐纈さんは指摘し、その驚異は、米国のために作られたものとしました。米国とっても、それに依拠して防衛政策を作り上げてきた日本にとっても、都合のいいものと言わざるをえません。

米軍基地が、米国のためにあり、日本全国が利用されている、急遽参加をいただいた、伊波洋一元宜野湾市長の、在日米軍はいまだに「占領軍」として日本に君臨しているのだという指摘は、米軍の本質として重要であると思います。
「岩国基地、そしてキャンプ富士、厚木基地がオスプレイの訓練に使われる」「日本の空をオスプレイが縦横無尽に飛んでいく」。纐纈さんは、全国の沖縄化が進む、沖縄における軍備増強を許さないことは、日本全体の増強を許さないことだ」と指摘されました。それを受けて伊波さんは、「沖縄県民全体が、そして41市町村すべてが、オスプレイ配備に反対し大きな声をあげている」「その反対の運動を全国に広げる、平和勢力の沖縄化が必要だ」としました。
私たちに求められていることは、そのことだ、沖縄の問題に対する私たち自身の当事者性がいま、まさに求められているのだ。そういう思いを強くしました。

「脱原発」を求めて、私たちは東日本大震災以降、全力でとりくみを進めてきました。しかし、いまだ明確でない政治状況があります。第1分科会では、ISEPの松原弘直さんから、自然エネルギーの世界での現状と日本の現状のギャップを明らかにされました。遅れている日本のとりくみも、しかし、そのなかに将来への可能性を見ることができるとも感じました。そのことは、私たちの強い意志に支えられるものであることは当然です。
「未来は予測するものではない、選び取るものである」原発拒否の姿勢を貫いたデンマークの学者ヨアン・ノルゴーの言葉を、松原さんは紹介しました。まさに、脱原発の運動の、私たちの思いの根本をつく言葉だと思います。

原子力資料情報室の伴英幸さんは「国民世論が原発ゼロを入れさせた」と言います。政治のなかで「脱原発」のぶれない立場で、孤軍奮闘してきた伴さんのこの言葉は、脱原発の運動にとりくんできた私たちの、そしてその思いでそれぞれの場でがんばってきた市民の思いに寄り添った言葉であると思います。その言葉は、運動に勇気を与えるものと思います。

本大会では、第1分科会「地球環境」、第4分科会「教育と子どもの権利」、第5分科会「人権確立」において、それぞれの立場から東日本大震災及び福島原発事故について触れられています。また、広場①と②では、上関原発建設阻止のたたかい、そして、女性の立場からチェルノブイリにおける被害実態の報告がありました。

現在も、そして将来も人々を苦しめ続ける原発事故と放射能汚染の実態を、私たちはきちんと共有しなくてはなりません。正確な情報を、放射能の危険性とウラン採掘から使用済み核燃料の最終処分まで、正確な情報を学ばなくてはなりません。
そのことが、第5分科会で福島県教組の大和田修さんの話された「放射能がうつる」「福島県民とは結婚するな」「子どもが産めない」などという心ない差別を払拭し、自らの健康を守り、将来を補償する一番の近道なのだと思いました。

広場③の米軍岩国基地を考えるで、齢90歳となる方の発言がありました。三池闘争も経験したかたの発言に、私は、この49回を迎える本大会に、「しっかりしろ」と肩をたたかれたのだと感じました。次回は50回の節目の集会となります。

大会の歴史と今をしっかりと総括することが求められています。日々刻々と変化してきた現状に、半世紀にわたって私たちはどうか関わってきたのか、そこからの出発がどのようなものであるべきなのか。
脱原発の声のなかで、市民のあり方とそのとりくみは大きくスタイルを変えています。私たちの運動がそのことにどう向き合うのか。労働者として、市民として、私たちが社会とどう向き合っていくのか、多くのことが問われ続けています。しっかりと議論を続けていくことが重要です。

まとめの最後に、本大会に忙しい中駆けつけていただいた助言者のみなさんに、心から感謝を申し上げたいと思います。
そして、本大会の開催にそれぞれの立場から支えて下さった、山口県実行委員会のみなさまに感謝を申し上げ、本大会のまとめとしたいと思います。3日間、本当にありがとうございました。

 

TOPに戻る