声明・申し入れ、2014年

2014年11月03日

憲法理念の実現をめざす第51回大会(護憲大会)開会総会  大会基調提案 藤本泰成事務局長

全国より、多くのみなさまに参加をいただき、ありがとうございます。また、地元実行委員会のみなさまのご努力に対し、心から感謝申し上げます。

憲法理念の実現をめざす第51回大会、ここ岐阜の地で開催いたします。
この会場から鵜飼いで有名な長良川を挟んで、斎藤道三、達興父子、そして織田信長が覇を競い合った稲葉山城(岐阜城)が望めます。
その麓の岐阜公園は、真偽は別にして、1882年に自由党総裁であった板垣退助が「板垣死すとも自由は死せず」という有名な言葉を残した場所と言われています。板垣退助の歴史的評価は様々ですが、民選議院設立を求めた運動の渦中での言葉として有名です。その後、普通選挙を求める運動や、そして敗戦による米国の占領を通じて、日本の市民社会は、民主主義を、平和主義を、そして人権の尊重を確立してきました。

日本社会は、戦後、その民主主義成立の経過を歓迎し、日本国憲法を受け入れ育てようとしてきたのです。憲法理念の実現をめざす大会、護憲大会もその営みの中にありました。

しかし、今、安倍政権の下で、日本の民主主義は危機的状況をむかえています。7月1日の閣議決定をもっての「集団的自衛権」の行使を容認する憲法解釈の変更は、憲法96条の憲法改正の手続きや憲法99条の擁護・尊重義務に違反する、立憲主義を破壊する行為であり、民主主義国家として許されないものです。

戦後長きにわたって、内閣法制局は「集団的自衛権」の行使は憲法9条、平和主義に違反するとし、歴代内閣はその憲法解釈を踏襲してきました。警察予備隊から保安隊、自衛隊と日本が再軍備を行う渦中にあっても、専守防衛に徹し、朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガン戦争、イラク戦争と米国の集団的自衛権の行使や国連の安全保障措置などへは、武力を行使しての参加を行わず、一度として他人に銃を向けることはありませんでした。それは、侵略戦争と植民地支配を行ったという過去の歴史の反省から、日本国憲法の前文で言う「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意した」結果であったのです。
そのことによって、ファシスト国家、侵略国家としての汚名から、日本は平和国家としての信頼を得ることができたのではないでしょうか。しかし、安倍政権は、様々な側面から、そして民主主義的手続きを経ることなく「戦争をすること」を可能にしようとしています。

安倍・自民党は、2012年の総選挙を「『領土・領海・領空を守り抜く日本』を取り戻す戦い」と位置づけ、2013年の参議院選挙においては「日本を守るため、11年ぶりに防衛予算を増額し、自衛隊の人員・装備を拡充しました」とその成果を主張しています。安倍政権の基本的認識は、「戦力によって国を守る」ということであり、敵対国を想定し、その戦力を凌駕する戦力を保持するというのです。この考え方は、「前世紀の遺物」とも言えるもので「安全保障のジレンマ」に陥いり、常に軍拡競争の結果に、自らが怯えることとなります。

今年度の防衛白書には、防衛装備移転三原則に関して「従来は武器輸出三原則によって慎重に対処してきたが、2014年4月に閣議決定した防衛装備移転三原則の下で、これまで以上に平和貢献に寄与していくとともに、同盟国・米国や関係国との防衛装備・技術協力をより積極的に進める」と書かれています。
「これまで以上に平和に貢献する武器輸出」とは何か、そこに安倍政権の本質が見えてきます。

今夏のナガサキの平和祈念式典で、被爆者を代表した城臺美彌子(じょうだいみやこ)さんは、安倍政権の「集団的自衛権」行使容認をきびしく批判しました。

「今、進められている『集団的自衛権行使容認』は、日本国憲法を踏みにじった暴挙です。日本が、戦争を出来る国になり、日本の平和を武力で護ろうと言うのですか?。武器製造、武器輸出は戦争への道です。一旦、戦争が始まると戦争が戦争を呼びます。歴史が証明しているではありませんか!。日本の未来を担う若者や子供たちを脅かさないで下さい。平和の保障をして下さい。被爆者の苦しみを忘れ、無かったことにしないで下さい」

これらの真摯な訴えに対しての安倍首相の答えは、「見解の相違」と言うことでした。彼はこう言います。「平和国家としての歩みは、今後も変わりません」「その歩みを、さらに強いものにするために、今回の閣議決定を行ったものです」
「平和に貢献する武器輸出」と同様に、ここに、安倍首相の言う「集団的自衛権」行使と、積極的平和主義の本質が見えます。

強大な軍事力が、自らの安全を保障しないどころか、自らを脅威に陥れることは、2001年9月11日に、同時多発テロを経験した米国が証明しているではありませんか。「アルカイダ」や「イスラム国」などのテロの脅威は、米国の強大な軍事力と無関係ではありません。私たちはそのことを真剣に考えるべきです。

安倍首相は、特定秘密保護法の強行採決の後、「説明が足りなかった」として「十分な説明を持って理解を得たい」と述べました。しかし、施行にあたっての閣議決定や運用規定の策定段階においても、2万件を超えるパブコメに象徴される市民社会の疑問や懸念に対する明確な説明はありません。
「集団的自衛権」の行使が、どうして平和国家の歩みをより強くするのか、しっかりと説明すべきではないでしょうか。「詭弁を弄して人を欺く」そのような政治を許してはなりません。

10月8日に、日米ガイドラインの見直しに関する中間報告が発表されました。7月1日の閣議決定、すなわち「集団的自衛権」の行使を前提として、シームレスでグローバルな日米共同の軍事行動を展開するというものです。私たちが懸念してきたとおり、周辺事態という概念を廃して、軍事行動の世界展開を図るもので、これまでの国内法や日米安保条約の極東条項を無視して、米国の世界覇権に協力するとともに、国連の安全保障措置にも参加することを可能にするものです。
しかも、日米両政府の政策的合意事項に過ぎないガイドラインを、国内法改定の議論を待つこともなく見直すなど、法治国会としての手続きをないがしろにするもので、もはや、民主国家と呼べる状況ではありません。
安倍首相は、これまで「侵略戦争の定義はない」、「従軍慰安婦に強制はなかった」などと発言し、昨年12月には多くの反対を押し切って靖国神社へ参拝しました。安倍首相は自らの著書の中で、靖国神社に合祀され問題とされているA級戦犯について「東京裁判は事後法で人を裁いた。国内的には犯罪者ではない」と主張し、東京裁判を否定する発言を行っています。
世界は、安倍首相を「歴史修正主義者」と見ているのではないでしょうか。アジア諸国に向き合わずに、日本の将来はありません。ヘイトスピーチの横行や国連の社会権規約委員会や人権規約委員会からの度重なる勧告、日本の人権状況の後退に、安倍首相の政治姿勢が反映されていることは明らかです。

「日本は米国の軍事活動に関与を深める『普通の国』ではなく、憲法を守り、非軍事的な手段で国際問題の解決をめざす国であってほしい」と、集団的自衛権行使容認を批判したジョン・ダワーMIT名誉教授は、自らの著書の中で「日本の難題は、新しい『アジア太平洋』共同体をイメージし、敵対的対立ではなく経済的・文化的な協力関係に資源とエネルギーを注ぐことのできる指導者が存在しないことにある。 日々生起する危機を乗り切るだけで精一杯と言うことではなく、指導者には、将来に対する聡明な洞察力と勇気が何よりも必要とされているのだ」と述べています。
日本がたどるべき道は明らかではありませんか。

本集会終了後のパレードで渡る長良橋の南側に、松尾芭蕉の句碑があります。

「おもしろうて やがて悲しき 鵜舟かな」

芭蕉の数ある句の中でも有名なものです。
長良川の静寂の中にある、人間と鵜、そして魚、その間に存在する「生きる」ことの宿縁、「生命」への深い洞察の中に生まれた17の文字ではないでしょうか。
憲法は、人間の命の尊厳を規定し、人間らしい営みを保障しています。生きているからこそ美しい、生きているからこそ尊厳ある人間であることを、私たちは大切にしたいと思います。日本国憲法は、そこに存在します。その憲法を守ることが、安倍首相に与えられた責任なのです。

最後にもう一つ、今年度の「奥の細道全国俳句大会」で最優秀賞・文部大臣賞に輝いた、茨城県の結城第二高等学校3年生、相澤樹來(じゅら)さんの句を紹介します。

「虹立つや 戦争しない 国が好き」

戦時中、女子挺身隊に駆り出された曽祖母の話を聞き、「戦争に巻き込まれたら夢も実現できない」と考え平和への思いを込めたと彼女は述べています。

豊かな想像力を持って、日本の将来を語り合いましょう。
この3日間、積極的な議論をお願いして、基調提起とさせていただきます。

 

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