声明・申し入れ、2007年

2007年03月03日

西松訴訟対最高裁闘争・東京決起集会 緊急声明

事態を憂慮し緊急に集った集会参加者一同

   2004年7月9日、広島高裁は、中国人強制連行・西松建設事件控訴審判決において、西松建設の安全配慮義務違反を認定し、時効の援用を権利の濫用として退け、原告の賠償請求額そのままの支払いを命じた。これは数々の戦後補償裁判のなかで初めて原告側が勝訴した高裁判決となった。

 しかし、判決から2年半が過ぎた今年の1月15日、最高裁第二小法廷は、「日華平和条約・日中共同声明等による請求権放棄」に関する上告申立のみを受理し(西松の安全配慮義務違反の時効の主張は退けられた)、3月16日に弁論を開くと通知した。したがって、請求権についての広島高裁判決の見直しの可能性が高まったと判断せざるを得ない。もし1972年の日中共同声明(第5項中国政府は、・・・日本国に対する戦争賠償の請求を放棄する)により、中国人民の戦争賠償の請求権も放棄されたと判断されるとすれば、それは戦後補償裁判の今後の趨勢に決定的な影響を及ぼす由々しき事態である。

 問題となっている「請求権放棄」について、中国政府は90年代になって度々政府見解を明確にしてきた。

 例えば1995年3月の全国人民代表大会で、銭其?外相は、「中国の公民が賠償請求するのは個人の利益だ。政府としては阻止も干渉もしない」とし、『中日共同声明』における賠償請求権の放棄については、「これには個人賠償は含まれていない」と明言した。さらにこれ以降も中国政府は度々、戦争が遺した問題に対して、日本政府が真剣に対応することを求めている。

 一方、日本政府も、日本国民の対外賠償請求権について、例えば、1955年提訴の原爆訴訟において、「個人がその本国政府を通じないで、これとは独立して直接に賠償を求める権利は・・・国家が外国との条約によって、どういう約束をしようと、直接これに影響は及ばない」と主張していた。あるいは、シベリア抑留問題に関し、1991年3月26日、参議院内閣委員会で外務省亜欧局高島終審議官は、日ソ共同宣言における日本の賠償放棄について、「我が国国民個人からソ連または、その国民に対する請求権までも放棄したものではない」と答弁し、「ソ連の国内法上の法制度に従った」個人の請求権の行使はできるとの見解を示した。

 ところが2001年になって、日本政府は、従来の「外交保護権のみ放棄」論から、中国人の請求権が日本に否認されても、中国はその責任を追及できない(従って救済されない権利)と主張し始めた。また、かつて1952年に吉田首相が、「国府との条約締結、中国代表とは見ず」と答弁しているのに、ここに来て日華平和条約とサ条約によって中国人民の請求権は消滅したと主張し始めた。

 このような日本政府の見解転換は、戦後補償裁判を凌ぐための自己保身以外の何物でもない。西松建設が、禁反言の原則に反するこの政府見解をそのまま援用し、主張するなど許されることではない。西松建設の一時しのぎの主張に最高裁が動かされ、広島高裁判決が見直されることがあっていいのだろうか。もしそのような結果がもたらされたとするならば、世界から日本の最高裁の見識が深く疑われることは必至であろう。

 戦後補償裁判は、国際人道法違反行為の犠牲者の賠償請求を求めるものであり、このことを通じて、かつての日本の植民地支配と侵略戦争のなかで失われた正義と人権の回復を求めた、日本とアジアの人々が連携した運動であり、21世紀における日本とアジアの国々との和解と真の友好を実現するための事業でもある。われわれは最高裁が歴史の事実を見据え、日本の名誉を築くために、慎重で公正な審理を重ねられることを強く要望する。 
 

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