声明・申し入れ、2010年

2010年08月06日

被爆65周年原水爆禁止世界大会広島大会・ヒロシマアピール

被爆65周年原水爆禁止世界大会・広島大会

 世界最初の原子爆弾が投下・炸裂したあの日から65年のこの夏、私たちはここ広島の地に集まり核廃絶の流れを大きく前進させるための第一歩を踏み出しました。
 戦後、世界に7万個以上あった核兵器が今にも使用される危機に見舞われたときも、地域紛争に核兵器を用いることを主張する勢力に対しても、核兵器の使用を阻止できたのは、被爆者の告発と核実験抗議などの平和運動、そして世界の反核運動と粘り強く連帯したとりくみの力でした。
 アメリカの単独行動主義によって5年前のNPT再検討会議は大失敗に終わり、核兵器廃絶のとりくみは後退局面を迎えました。しかし、平和市長会議の2020ビジョンの推進、NPT体制崩壊を危惧する人びとのたたかいは、オバマ大統領の「核兵器を使用した唯一の核保有国として、合衆国には行動する道義的責任がある。本日ははっきりと信念を持ってアメリカは核兵器のない世界の平和と安全を追求すると誓約する」としたプラハ演説と結びつき、核兵器廃絶への展望を開いてきました。
 今年のNPT再検討会議では、核保有国と非保有国との意見の隔たりは大きく、核廃絶に向けた行程表の作成や期限の設定はできませんでした。そのなかでも会議に寄せられた多くの署名や参加した人びとの思いを受けて、核兵器廃絶の方向性が合意されるなど、ほとんど破綻に瀕していたNPT体制を再生に導くことができました。
 私たちは広島大会で被爆国日本の果たすべき責務を改めて確認しました。日本政府は、長年被爆地の思いを裏切り続け、ヒロシマ・ナガサキの訴えに耳を傾けず、アメリカの核政策に追随してきました。日米安全保障条約によって、日本はアメリカの核兵器の傘の下にあるために、政府はアメリカの利益を忠実に擁護してきたといっても過言ではないでしょう。
 被爆者をはじめとする私たち原水禁運動は、政府の態度に業を煮やして、再三にわたり非核三原則を法制化するよう要請してきました。最近では、沖縄返還交渉時の密約が暴露されたことをきっかけに、あろうことか非核三原則の見直しに言及していることなどは、被爆国の責務を放棄するものにほかなりません。
 また、ミサイル防衛の推進や米軍再編は、東北アジアの平和と安全に大きな影を落としています。
 世界的な核軍縮の高まりのなかで、安全保障のあり方の転換に向けて、国内外のNGOや市民が連携し、政府・政党へいっそう働きかけることが重要となっています。
 そして、核軍縮を核廃絶への流れに強めていくために原水禁運動の原点に立ち行動を強めましょう。
 広島の体験。それは人知を超えた破壊と残虐でした。人間が同じ人間に対して絶対にしてはならない破壊と残虐でした。そのことを二度と繰り返させないために、私たちは原爆投下の「あの日」の意味をしっかりと問う必要があります。「人の命は地球より重い」と言います。その貴重な命が容赦なく踏みにじられた極限状態、それがヒロシマなのです。
 私たちは、広島、長崎の原爆投下にはじまった核時代に生きています。ヒロシマは、人類が生き残るために核兵器を廃絶するしかないことを教えています。そして、核兵器の使用につながる戦争そのものをこの地上から一掃しなければならないことを教えています。
 いかなる国のいかなる核兵器も認めない私たちの立場をより鮮明にし、次のことを強く訴えます。
○「核兵器を作らず、持たず、持ち込ませず」の非核三原則を明記した非核法を一日も早く制定し、東北アジアの非核地帯化を実現しましょう。
○臨界前核実験などすべての核実験を完全になくしましょう。
○再生可能な自然エネルギーによる脱原発社会をめざしましょう。
○被爆者援護法に国家補償を明記させ、世界のヒバクシャと連帯しましょう。

 ヒロシマは、いかなる核被害も根絶し核のない世界を求めてとりくみます。暴力、殺戮を繰り返す社会を、対話と共存を基本に乗り越えなくてはなりません。65年前のあの暑い夏のヒロシマの経験を原点にして、核も戦争もない21世紀を子どもたちに贈るとりくみを全力で進めます。

  ノー モア ヒロシマ、ノー モア ナガサキ、ノー モア ヒバクシャ、ノー モア ウォー!

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