声明・申し入れ、2011年

2011年11月06日

憲法理念の実現をめざす第48回大会(護憲大会)開会総会  大会基調提案 藤本泰成事務局長

ご紹介をいただきました、大会実行委員会の藤本です。

山形県の各地方から、東北震災の被災地から、そして全国から憲法理念の実現をめざす第48回大会に、多くの方々に参加いただきましたこと心から感謝申し上げます。
初めて山形の地で開催させていただきます。今大会の開催にご尽力いただきました山形県実行委員会の皆様にも、心から感謝申し上げます。

若干の時間をちょうだいし、本大会の基調について提起をさせていただきます。時間の関係からすべてに言及することはかないません。詳しくは、後ほど大会資料に入れています基調の冊子をご覧下さい。

本年3月11日、未曾有の震災が東北地方の太平洋岸を中心に襲いました。想像を絶する津波は、多くの命を奪いました。そして、社会基盤を破壊し尽くしました。半年を経過してもなお、一人ひとりの生活は落ち着くことはありません。

一方で、津波は、太平洋岸に林立する原子力発電所を次々と襲いました。宮城県の女川原発や茨城県の東海第2原発は、危ういところで難を逃れましたが、福島第一・第二原発は、全電源喪失の事態となり、特に第一原発は炉心溶融と水素爆発などによって環境中に大量の放射性物質を放出しました。事故の収束のめどは立たず、長期にわたって放射能と闘うことを余儀なくされています。

日本社会は、これまで「国の政策」として数々の悲劇を繰り返してきました。日清・日露、そして日中戦争と太平洋戦争は、その象徴であると言えます。最後には、広島・長崎への原子爆弾投下という悲惨な現実がありました。

国の繁栄を、民の繁栄と同義に扱い、侵略戦争の中で一人ひとりの命がなんと粗末に扱われてきたことでしょう。経済効率優先の考え方は、戦後の経済成長時代においても、水俣病に象徴される公害を生み出し、多くの人々を苦しみの中に閉じ込めました。  原子力発電は、経済成長を支えるエネルギーの中心に位置づけられ、根拠のない安全神話と多額の交付金を持って、経済成長から取り残された地方へと押しつけられてきました。

政治家と官僚、企業と研究組織が、がっちりとタッグを組んで、原子力村という政治の闇をつくり出してきました。そこには、市民の意見が関与する余地はありませんでした。そのことが、人災と言える今回の福島原発の事故につながっています。ここにも、一人ひとりの命を粗末に扱う政治のあり方があります。

事故以降、電力の闇に少しずつ明かりが照らされています。電力料金の算定方法、政治献金、官民一体となったやらせ問題、電源開発促進勘定の使途、そして官僚の天下りの実態、私たちは、これらに決着をつけなくてはなりません。平和フォーラムは、「平和で持続可能な社会を」と主張して、脱原発の運動を長きにわたって取り組んできました。私たちは、脱原発は社会を変えることだと考えています。

9月19日の明治公園には、「さようなら原発」のスローガンの下に、6万人の市民が結集しました。朝日新聞は「民主主義が動き出した」と評価しましたが、まだ民主主義は動きだしてはいません。この政治の闇を明るみに出して断罪することが、私たちの手で民主主義を動かすことに、つながるものと確信します。

原子力政策と同様に、市民の意見を反映することなく推し進められてきたのが、日米安保体制と米軍の駐留政策です。沖縄には、米軍基地の約75%が集中し、1995年の少女暴行事件や1959年の宮森小学校ジョット戦闘機機墜落事故、2004年の沖縄国際大学へのヘリ墜落など、安全な県民生活が常に脅かされてきました。普天間基地問題においては、辺野古新基地建設を進めようとする日本政府の要請に対して、NOの声をあげ続け、普天間基地の県外移設を県民世論として確たるものとしています。

日本政府は、東西冷戦構造が融解した今、米国の東アジア戦略と一体となって、中国を新たな驚異と一方的に位置づけています。沖縄の在日米軍プレゼンスを維持し、南西諸島防衛こそ重要であるとして、与那国島への自衛隊配備などが進められています。日米の共同軍事行動訓練についても、全国で展開されています。

在日米軍の存在が、どのように日本の安全に寄与しているのかを、検証することはありません。沖縄県民の声に耳を傾けることもありませんし、その声を米国に伝えようと努力する姿勢もありません。ここにも、命に寄り添うことのない、傲慢な政治の姿勢があります。

米国経済は、極めて厳しい状況にあります。台頭するアジア諸国の中にあって、日本政府は、いまだ戦後の米国との従属関係から抜け出すことができないでいます。台頭する中国を、ASEAN諸国を、朝鮮半島を、私たちは、いまだ戦前からのアジア蔑視の中で、無視していくことができるというのでしょうか。

2010年の訪日外国人数は、約861万人ですが、その75.8%がアジア諸国からの訪問者、韓国がトップで中国と台湾を含めた数は、約512万人で約60%を占めています。ヨーロッパと北米からの訪問者数はどちらも10%前後となっています。訪日外国人日本への外国人旅行客は中国がトップとなっています。

日本の若者、いや若者以外にも、K-POP、韓流映画などの韓国文化が流行し、多くのファンを得ています。有名タレントの交流も盛んになっています。一方で、日本のアニメーションが韓国・中国の若者の中に受け入れられています。このような市民レベルでの交流は、東アジアと日本の関係を強めています。私たちは、どうであろうとアジアに存在するのであって、日本は、アジア諸国との関係を無視して存在し得ないことは自明なのです。
しかしながら、政治家の中には、いまだアジア諸国を見下し、ことさらに憎悪をあおる発言を繰り返していることは残念でなりません。先の侵略戦争を肯定する歴史観を披瀝し、自らの過ちを認めず、戦後補償に後ろ向きな日本では、アジア諸国との新しい友好的な関係を築くことはできないでしょう。

私たちは、本大会で「震災から考える、人間の安全保障で生命の尊厳を」とのテーマを設定しました。
日本国憲法は、どのような状態にあっても「第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とする生存権が補償されています。

10月28日、第179回国会開催にあたって、野田首相は所信表明演説で、仙台市の大越桂さんの美しい誌を引用しました。「誰でも、どんな境遇の下にいても、希望を持ち希望を与えることができると、私は信じます。」と、首相はその誌の感想を述べています。
「希望の種をまきましょう。そして、被災地に生まれる小さな『希望の芽』をみんなで育てましょう。やがてそれは『希望の花』になり、すべての国民を勇気づけてくれるはずです」と結び、国会議員はその先頭に立つ覚悟であるとしています。

私たちが、支え合い努力していくことは大切です。そのことが、戦争から災害からの復興を可能にしてきたからです。しかし、日本の政治は、優秀な国民の努力にのって、何をしてきたのでしょうか。そのことを振り返り、考えなくてはなりません。
市民の「我慢」と「自己犠牲」のみによって、復興を成し遂げて行くことを許してはならないのだと思います。

震災復興が、これまでの地方のあり方を変えることに繋げなくてはなりません。国に寄り添う地方から、主体としての地方へ脱皮して行かなくてはなりません。
国という漠としたあり方を問うのではなく、一人ひとりの命を問うひたむきな姿勢から、社会を変えて行かなくてはなりません。
平和・人権そして国民主権を基本にした日本国憲法の理念は、必ずや私たちにその道を示すに違いありません。

3日間の議論の中で、私たちが歩んでいくべきその方向を、おぼろげな輪郭でもつかみ得たらと考えます。
ご参加いただきました皆様の、活発な議論に期待いたしまして、大会開催にあたっての基調提起といたします。

 

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