アフガニスタン | 平和フォーラム
2020年10月01日
〔本の紹介〕《世界》がここを忘れても-アフガン女性・ファルザーナの物語
文・清末愛砂 絵・久保田桂子
「《世界》がここを忘れても」この言葉に、私たちはどう答えるのか。異国の難民キャンプから戻って、アフガンの首都カブールで暮らすファルザーナとナーディーヤ。二人の共通した夢は「苦しんでいる人を助ける仕事がしたい」。女性が虐げられるアフガンで、ファルザーナとナーディーヤは、「女性がもっと自由に生きられる社会が必要だ」とのマリヤム先生の言葉を胸に刻む。旧ソ連軍の侵攻と撤退、ターリバーンの跋扈と米軍の侵攻、アフガンは苦難の道を歩んできた。いまだ、国内の混乱と対立は止まない。アフガン各地で、爆弾テロは日常となっている。「本書を爆弾テロに巻き込まれ、命を落としたアジーザに捧げます」、著者は、親友の死後「あまりにも不条理な死を強いられている多数のアフガン人に、どう向き合うのかと言うことを考えるようになりました」と述べている。テロの犠牲になったナーディーヤ、難民キャンプから苦楽をともにした友を失ったファルザーナ、二人の共通の夢が頓挫した日、その落胆はいかなるものか。「《世界》がここを忘れても」しかし、ファルザーナはそこで生き、闘わざるを得ない。「明日から大学に行くことにした」再び立ち上がるファルザーナ。
著者は、憲法学者の清末愛砂。研究テーマのひとつに「アフガンのジェンダーに基づく暴力」があり、「RAWA(※注)と連帯する会」の共同代表もつとめる。やはり、アフガン難民の闘いを書いた近著「ペンとミシンとヴァイオリン」(寿郎社刊)で彼女は言う「米国の主張するアフガン攻撃の理由が、9・11に対する『報復』から、ターリバーン政権の抑圧下にある『アフガン女性の解放』に代わったとき、私の目ははっきりとアフガンに向いた」「(私のすべきことは)アフガン人が受けたさまざまな被害に『哀れみ』の涙を流すのではなく、発せられた声への応答として『ともに闘う勇気』を持つということだった」行動し闘う清末の言葉。久保田桂子の素晴らしい挿絵とともに、中学・高校生に、そして大人のあなたに読んでもらいたい。(敬称略)(藤本 泰成)
※注:RAWA(アフガニスタン女性革命協会)1970年代に設立され、アフガンのさまざまなな人権抑圧の中で、女性自身による権利獲得の闘いをすすめる。