5月, 2015 | 平和フォーラム

2015年05月30日

平和軍縮時評2015年5月号 川内原発事故と海の汚染―黒潮、対馬暖流が西日本一帯に放射能を拡散  湯浅一郎

 

はじめに

東京電力福島第一原発事故から4年強になる15年4月、高浜、川内原発の運転差し止めを求める仮処分につき、全く異なる決定が相次いで出た。14日、福井地裁は、高浜原発の運転差し止めに関する仮処分につき運転差し止めを命じた。これは、日本の原発訴訟で初めてのことであり、原子力規制委員会の規制基準の不当性にも触れる画期的な決定であった。他方、22日、鹿児島地裁は、川内原発の運転差し止めを求める仮処分について、住民敗訴の決定を下した。判断は分かれたが、福島事態を踏まえて、司法の判断が重要な意味をもつ時代が始まっている。
しかし、両者ともに、当事者性に関してはあまり触れられていない。現在、政府は、福島事故を踏まえ、「原子力災害対策指針」により「緊急時防護措置を準備する区域」(UPZ)として「原子力施設から概ね30km」圏内を目安に避難計画の策定を自治体に義務付けている。これは、少なくとも30km圏内の自治体は、原発の当事者であることを政府として認めたことを意味する。それならば、それらの自治体は、原発再稼働の決定に当事者として関与する権利があるはずである。しかるに例えば川内原発(九州電力)の再稼働に関しては、薩摩川内市と鹿児島県知事が容認の立場を取ったことだけで、既に再稼働が既成事実のごとく扱われている。立地市町村と県知事だけが当事者であるかの流れは、福島事故以前と何ら変わらない。
更に、それでもなお福島の事態の経験を踏まえたことになるのか大きな疑問が残る。福島事故は、様々な形で人々の暮らしと生き方を強制的に変更している。これは、市民が安全・安心に暮らしていくために不可欠な平和を脅かす問題である。その上、あらゆる生命の生息環境の隅々に放射能汚染をもたらした。再稼動を言うのであれば、少なくとも各原発が福島並みの事故を起こした場合、山、川、湖、そして海の汚染についていかなる事態が起こりうるのか客観的に評価しておくべきであろう。そこで、最も早い再稼動の候補とされる川内原発を例に、とりわけ海への影響という観点から考える。

1. 川内原発で福島のような事故が起きたら

川内原発は、鹿児島県西北部の薩摩川内市久見崎の川内川河口に位置し、前面は東シナ海側に面している。加圧水型軽水炉(PWR)2基(1、2号機ともに電気出力89.0万kw)、合計178万kwの規模を有する。福島原発事故以降、日本の原子力規制行政は、従来の「原発は絶対に苛酷事故を起こさない」とするものから、「いかなる原発も苛酷事故を起こす可能性がある」という方向に劇的な方針転換を遂げた。その考え方にのっとり、原子力規制庁は、自治体が地域防災計画を策定する際の参考として、福島第一原発を除く16原発につき「放射性物質の拡散シミュレーション」を行い、12年12月、公表した(注1)。個々の風向ごとに拡散することを仮定した単純な推算であるが、事故がおきた時の放射能の拡散について、ひとつの目安を与えている。ここでは、川内原発でサイト出力に対応した放射性物質が放出された場合の海への影響を推測する。

2. 放射能が海へ影響をもたらすプロセス

川内原発で事故が起きた時、海へ影響をもたらすプロセスには一次汚染としてのa)大気に放出されたのちの海への降下、b)原発付近から海への直接的な漏出、及び二次汚染としてのc)陸への降下物の河川、地下水による海への輸送、d)海底に堆積した汚染物質の溶出が考えられる。

a)大気からの降下
大気に放出された放射性物質は、原発からの距離、風の向きや強さにより不均一に降下する。図1は、11年1年分の気象データを使用した原子力規制委員会による川内原発の拡散シミュレーション結果である。原発からの距離に対応した平均的な被曝の実効線量に関するグラフを使用し、国際原子力機関(IAEA)が定める避難の判断基準(事故後一週間の内部・外部被曝の積算線量が計100ミリシーベルト)に達する最も遠い地点までの距離を方位ごとに示している。
最も頻度が高い風向きは、風下方位が南(S)17%、次いで西北西(WNW)14%、及び北西(NW)13%である。これらも含め、60%以上が海上を拡散する風向である。福島事故で大気に放出されたものの8割は太平洋に降下したが、日本列島の位置する緯度は、偏西風の影響が支配的である。川内で事故があれば、放射性物質は、鹿児島市、宮崎市、高知市、和歌山市など、濃度は下がりつつも東へと輸送されていく。更には、東日本の太平洋側、ひいてはグローバルな大気大循環に乗って、より広範囲に拡散するものもあるに違いない。

b)原発から海への直接的な漏出
大気からの降下に少し遅れて、崩壊熱に対処するため溶融燃料に直接触れ、高濃度に汚染された冷却水が原発サイトから流出する可能性が高い。メルトダウンを伴う大事故が発生した時、仮に核分裂反応は止まっても、冷却系統の閉じた状態を維持することは、まず不可能である。福島原発で、未だに溶融燃料の所在や存在状態が不明なため、対処困難になっている「放射能汚染水問題」は、避けて通れない。地震に伴う事故であれば、冷却系統の破綻は複雑で、建屋の地下への漏水も多岐にわたり、海へ通じた地下水への混入を中心に流出ルートはいくつもできる公算が強い。この問題は、福島と同様、連続的な負荷源となり、終息の見えないまま推移するであろう。
そして、現実の事故では、a)、b)が同時に重なったものとして現出する。

さらに事故直後に大量に放出された環境中の放射性物質による二次的プロセスが加わる。

c)河川、湖沼の底質汚染と河川・地下水による海への輸送
福島事故に伴う陸上におけるセシウム沈着量の分布からわかるように、事故時の気象条件に対応して、山間部などに沿って高濃度の汚染地帯ができる(注2)。一旦、落ち着いた分布も、雨に溶け、風により輸送されることで、その分布は変化する。その過程で、河川や湖沼を汚染しつつ、海に流入する二次的な汚染が派生する。15年1月現在、福島事故に伴い、ヤマメ、イワナ、ウグイ、アユ、ワカサギ、ウナギなど内水面漁業の出荷停止や操業自粛は、福島県をはじめ、岩手県から東京都までの1都8県の広範囲に及んでいる。また11年夏に阿武隈川から海に流出しているセシウム137は、1日に524億ベクレルという試算値がある(注3)。
例えば九州山脈にそって南北に高濃度の地帯ができれば、球磨川、大淀川五ヶ瀬川など大小さまざまな河川が汚染され、結果として鹿児島湾、八代海、天草灘、有明海、日向灘などに流入する。県内各所にある鹿児島県の水源地が汚染されれば、鹿児島県民の飲み水が危機にひんする。九州、四国地方を中心に、そのほか関西地方も含めて広域的に淡水魚が汚染され、操業や出荷ができない状態が続くことは必至である。

d)海底の汚染物質による二次汚染
海底土に堆積した放射能は泥から海水へと再溶出し、じわじわと海水中に浸透していく。この問題は、福島事故に関しても未確認で今後の課題であるが、イギリスのセラフィールド再処理工場が面するアイリッシュ海では大きな問題になっている。

3. 海洋環境への影響

海に入ったあと放射能は、海水に溶けたり、また微粒子に付着して、流れによって海水中を移動、拡散していく。福島沖と異なり、川内原発の前面には、甑島(こしきじま)列島との間に甑海峡がある。ここでは、潮汐に伴って発生する潮流が卓越している。これは往復流であり、上げ潮には北~北東向き、下げ潮では逆に南に向かう流れとなる。こうして行ったり来たりを繰り返しながら、少しづつ残余の流れ(潮汐残差流)によって、水そのものが移動していく。甑海峡の流れは平均すると南向きの恒流があり、甑南下流として知られている(注4)。いずれにせよ、一方向に流れていた福島と比べ往復流のため、海水の移動は緩慢で、高濃度汚染の状態がより長く継続する可能性が高い。
当該海域における海流の概略を示した図2から推測すると、薩摩半島の西南端に達した放射能は大隈海峡における東向きの流れにのり、種子島の北側を東に移動し、その後は、南側から北東に向けて移動している黒潮の本流に乗る可能性が高い。黒潮は世界的に見ても最も強い海流であり、その速度は、場所や深さにより大きく異なるが、強流域では毎秒0.5~2.0mはある。これは、時速1.8~7.2kmになり、一日で40~170kmも移動する。仮に平均で毎秒1mとすると、2週間で1200kmになる。蛇行などを考慮したとしても、優に房総半島まで到達する。ひとたび黒潮に乗れば、鉛直方向の混合に伴う希釈はあるにせよ、さほど薄まることなく、高濃度のまま太平洋岸を移動する。土佐湾、紀伊半島沖、熊野灘、遠州灘、そして伊豆半島沖を経由して房総半島までの一帯を汚染することになりかねない。これは、東に向けて千kmを超えて影響範囲が出現することを意味する。土佐湾のカツオ漁、遠州灘のシラス漁など、各地に特色のある漁業も、事故が起きた時の季節によっては大打撃を食うはずである。親潮と黒潮がぶつかり合い、押しつ押されつしていた福島沖とは全く異なる広がり方となる。
他方、季節によると、甑海峡の東岸側では、黒潮系の水塊が北ないし北東に向けて移動するという文献もある。その現象は冬から春にかけて見られ、先に見た甑海峡の南下流とは別の要因による。事故発生の季節によれば、北方向への移動も想定せねばならない。これに関連して、九州大学の広瀬(注5)の海洋拡散シミュレーションによると、高濃度の水塊は九州西岸の北方域に広がり、日本海へ至るとされる。中でも有明海内外では長期にわたって高濃度の状態が続くという。潮流による輸送が、大勢として北へ向うのか、南へ向かうのかは今後の検証が必要である。
これに大気経由で海に降下する放射性物質による汚染が加わる。事故時の風向きにより、様々なケースが考えられるが、例えば、相当量の降下が考えられる薩摩半島西岸沖では、その多くが甑海峡の南下流の影響を受ける。また約3割はある西北西から北西へ向いた風で九州の西側沖を流れる対馬海流に降下する場合もありうる。このときは、相当量が、対馬海流により佐賀県、福岡県を経て、山口県、島根県の日本海へと輸送される。川内原発は日本の原発の中で最も南に位置し、黒潮、対馬海流ともども関連があり、どちらも東に向けて放射能を輸送する機能を持つがゆえに、日本列島の多くの沿岸に影響を与えるであろう。
福島では、事故当時、親潮系の海水が原発沖に分布し、南へ向かう流れが卓越していたため、原発から南側の福島県沖と茨城県側の海底に濃度の高い領域ができた。川内原発の前面の海は水深が浅く、汚染水は表層を移動しながらも、短時間のうちに海底付近に到達するものも多いであろう。さらに甑海峡とその周辺では、強い潮流に伴う鉛直混合により、多くの物質が下層に輸送され、潮流が停滞する領域で海底に沈積することも考えられる。

4. 海洋生物(水産)、海洋生態系への影響

川内原発から放射能が流出したとすると、福島と同様、まず表層性のキビナゴやシラス(カタクチイワシ)が汚染される。これは、それらを食べるカジキ、タイ、アジ、サバなどの汚染につながる。鹿児島県は、黒潮の影響を受け、ミナミマグロ、ソウダカツオ類、ウルメイワシ、アジ類、シラス、イセエビ、アカイカなどが全国有数の漁獲量を上げているが、これらへの長期にわたる汚染を覚悟せねばならない。他にもアサヒガニ、ツキヒガイ、トコブシなども名が知られている。ブリ、カンパチ、クルマエビの養殖も盛んであるが、これらは海経由の汚染とともに、大気経由の降下物によっても汚染されるであろう。まずは原発に近い海から始まり、数か月もたてば九州西岸から房総半島に至る太平洋岸の一帯、更には玄界灘から日本海の沿岸で基準値を超えるものが出るに違いない。これは、否応なく出荷停止を意味する。
その上、本質的に問題なのは、放射能汚染による個々の生物の繁殖力の低下、遺伝的変化、そして、それらが織りなす食物連鎖構造、即ち沿岸生態系への長期的な影響である。セシウム、ストロンチウムの半減期は約30年である。少なくとも60年は漁業操業はできない。これでは、沿岸漁業の技術、人材、歴史、伝統は消え、大げさでなく西日本の沿岸漁業の壊滅を意味する。

おわりに

川内原発で福島並みの事故が起きたとき、放射能汚染は、汚染源に最も近い甑海峡を初めとした九州西岸部、黒潮の影響を受ける太平洋岸一帯、さらには対馬暖流の流れる九州北岸や日本海沿岸域へと及び、広域的に生態系を破壊し、世界有数の海洋生物の多様性を背景にした漁業は壊滅的被害を受けることが予想される。これを基準にすると、30kmを目安とした防災計画を策定するだけの原子力災害対策は、原発の過酷事故による被害をあまりにも過小評価していることがわかる。大飯原発運転差し止め訴訟の福井地裁判決にあるように、「原子力委員会委員長が福島第1原発から250km圏内に居住する住民に避難を勧告する可能性を検討したのであって、チェルノブイリ事故の場合の避難区域も同様の規模に及んでいる」のである。川内原発の再稼働をめぐっては、鹿児島県のみならず、少なくとも九州全県、高知県、愛媛県、和歌山県、三重県、愛知県、静岡県、神奈川県、千葉県、更には山口県、及び島根県などの漁業者や自治体、市民の意向を聞いてから判断すべきであると言う結論が出てくる。しかるに再稼働を巡る手続きにおいて、これらの問題は全く無視されている。
福島事故を踏まえ改めて当事者とは何かが問われている。生存の基盤たる環境汚染の影響が及ぶ範囲の住民はすべて当事者であるとの原則を明確にさせることが急務である。

注:
1) 原子力規制庁(2012);「放射性物質の拡散シミュレーションの試算結果(総点検版)」。
2) 湯浅一郎(2014);「海・川・湖の放射能汚染」、緑風出版。
3) 湯浅一郎(2012);「海の放射能汚染」、緑風出版。
4) 鹿児島県水産技術開発センター(2002);
「係留系電磁流速計による甑海峡における潮流観測」、「うしお」293号。
5) 広瀬直毅(2011): 「川内原子力発電所付近を起源とする海水輸送シミュレーション」 、
日本海洋学会秋季大会。

図1 薩南海域における海流の概略図(注4)

図2 川内原発における放射性物質の拡散シミュレーション結果
(サイト出力に対応した放射性物質量を仮定した場合)(注1)。

 

2015年05月27日

核不拡散条約(NPT)再検討会議の閉幕に際しての談話

核不拡散条約(NPT)再検討会議の閉幕に際しての談話

原水爆禁止日本国民会議
事務局長 藤本泰成

 4月27日に開幕したNPT再検討会議は、合意文書を採択できずに1か月にわたった会議を5月22日に閉幕した。「合意に至らなかったことに失望している」との国連パン・ギムン事務総長の声明に、原水禁は全面的に同意する。中東非核地帯にむけた国際会議開催の期限に関して、米英およびカナダが合意しなかった。NPTに加盟しないイスラエルの核の脅威にさらされているアラブ諸国にとって、中東非核地帯化には強いこだわりがある。2010年の再検討会議合意文書の行動計画では、「国連事務総長および中東決議共同提案国(米英露)の召集による、すべての中東諸国が参加する中東非核地帯設置に関する国際会議を2012年に開催する」と記載されたが、米国やイスラエルの反対で実現されなかった。今回の、「非現実的で実行不可能な条件にこだわった」とするガテマラー米国務次官の非難は、これまでの経緯を考えると同意できない。
 今会議では、核兵器の非人道性が中心的課題の一つとされた。「核兵器禁止条約制定に向けた議論を求める」ことを内容とする、オーストリアが提唱した誓約文書には、閉幕時には107カ国の賛同を得た。パン・ギムン事務総長も、声明の中で「核兵器の非人道性がより広く知られることで、核兵器の禁止と廃絶に向けた有効な措置が講じられることを期待する」と述べ賛意を示した。着実に核兵器禁止への賛同が広がっている。しかし、核兵器保有国からは、これら非核保有国の声を一顧だにせず切り捨てる発言が相次いだ。核兵器が非人道的兵器であることは、2010年の再検討会議で確認されている。核兵器保有国は、核保有という既得権にこだわること無く核兵器廃絶への道のりを明確にする責任がある。「NPT体制の正当性は説明がつかない。アパルトヘイトと同様にNPTは少数者を利するしくみだ」との南アフリカ代表の批判に真摯に向き合うことがなくてはNPT体制が崩壊に向かうことは間違いない。
 日本政府は、被爆国として核保有国と非核保有国の間に立って、核兵器廃絶への自らの役割を全うしたとは言えない。米国との軍事的同盟関係を強め、その核の傘に依存する立場から、存在感を示すことができず、オーストリアが提唱した誓約文書にも賛同しなかったことは、極めて遺憾である。早期に、非核保有国としての「核絶対否定」の明確な立場に立つことを望む。また、日本が提案した「世界の指導者への広島・長崎訪問の呼びかけ」の記述をめぐって、中国や韓国から反発を受けた。国際交渉の場において歴史認識の問題が障害となっている。侵略戦争と植民地支配の歴史には明確な謝罪の姿勢が重要である。そのことが日本の国際的発言を強化するに違いない。
  2015年のNPT再検討会議が合意文書を採択できずに決裂したことは極めて残念である。しかし、核兵器廃絶にむけた具体的なとりくみ課題は多い。英国のスコットランドでは、潜水艦発射弾道ミサイル「トライデント」40発全てが更新時期を迎える。スコットランド民族党が、更新に強く反対している。核保有国の英国が核兵器廃棄を決断することは大きな意義がある。米国内では、核兵器の即時警戒態勢を解除すべきとの声があがっている。原水禁は、日本が原子力発電における核燃料サイクル計画を断念し、核兵器の原料となるプルトニウムをつくり出す再処理工場建設を止めるよう要求してきた。このことは、東北アジア非核地帯構想を進めることに重要な役割を果たす。
 原水禁は、世界と手をつなぎ、2020年には核廃絶のゆるぎない道筋ができあがるよう全力でとりくむ。
 

 

2015年05月24日

止めよう!辺野古新基地建設 国会包囲ヒューマンチェーンに1万5千人

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5月24日、国会議事堂の周りは沖縄・辺野古の海を象徴する青い服などを身に付けた1万5千人もの人々で包囲。安倍政権が沖縄の民意を無視して強行しようとしている名護市辺野古への新基地建設に止めようと、首都圏アクションが取り組まれました。
国会周囲は4つのエリアに分けられ、それぞれのエリアで、沖縄現地報告や沖縄選出国会議員、東京や神奈川の基地反対運動からの訴え、音楽によるアピールなども行われました。
平和フォーラムは首相官邸前から国会南門周辺で、沖縄県議会議員や稲嶺進・名護市長などの訴えを聞き、コールをあげました。(写真はシュプレヒコールをする稲嶺市長や沖縄代表団と福山真劫・平和フォーラム代表など)

藤本泰成・平和フォーラム事務局長が「沖縄の問題は全国の問題として捉えよう」と開会挨拶を行い、沖縄平和運動センター副議長の比嘉京子さんが、5月17日に那覇市で3万5千人が集まって開かれた県民大会での翁長雄志知事の決意を紹介し「沖縄はこれ以上の基地と差別を許さない。オール沖縄の闘いからオールジャパンの闘いへと広げてもらいたい」と呼び掛けました。

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沖縄県議会議員の崎山嗣幸さんは「来月の県議会では、辺野古埋め立てに使われる他県からの土砂を受け入れない決議をして、基地は作らせない」と決意を表明。同じく県議の新田宜明さんも「辺野古基地とともに、全国からオスプレイ配備を追い出し、安倍政権を追い込もう」と声をあげました。
参加者の歓声の中、辺野古を抱える名護市の稲嶺市長が登壇。「昨年、名護市長選、県知事選、衆院選で、すべて建設反対派が圧勝した。その県民の民意を無視する安倍政権は許せない。明日、17日の県民大会の決議を持って安倍首相に手渡したい。粘り強い反対運動によって、まだ本体工事は始められない状態だ。市長と知事の権限を使って、なんとしても工事を止める。国民の皆さんの支持が頼りだ」と力強く訴えました。(写真は訴えをする稲嶺市長)
こうした沖縄の声に応えて、軍事評論家の前田哲男さんは「日米地位協定で辺野古基地建設を強行し、オスプレイの配備を進め、全国にも飛来させようとしている。安倍政権の安保法制と一体のものだ」と指摘。ルポライターの鎌田慧さんも「いま安倍政権は、経済の名で原発再稼働を各地に迫っている。しかし、沖縄はもうそうした策は通じない。金ではない新しい価値観を持っていく時だ」と呼び掛けました。

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さらに本土から沖縄への支援を続ける団体などからの訴えがあり、最後に2回にわたって全員で手を取り合って国会を包囲。「辺野古に基地を作るな!」「普天間基地は即時閉鎖しろ!」「政府は沖縄の声を聞け!」とシュプレヒコールを繰り返しました。(写真はコールを繰り返す参加者)

2015年05月24日

ビデオ報告 「5.24止めよう!辺野古新基地建設 国会包囲ヒューマンチェーン」

5月24日に行われた「止めよう!辺野古新基地建設 許すな!日本政府による沖縄の民意圧殺を!」国会包囲ヒューマンチェーン行動の様子をビデオにまとめました。(約13分)

2015年05月17日

止めよう辺野古新基地建設!沖縄県民大会に3万5千人

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 「沖縄県民は決して屈せず、新基地建設を断念させるまでたたかうことを宣言する」。米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設に反対する「戦後70年 止めよう辺野古新基地建設!沖縄県民大会~建白書の理念を実現させよう~」が、5月17日、那覇市の沖縄セルラースタジアムで開かれ、沖縄県民をはじめ、平和行進に参加した全国の代表者など3万5千人が参加。辺野古の海や大浦湾をイメージした大会シンボルカラーの「青」を身につけ、会場を青く染め上げました。大会は超党派の実行委員会が主催し、翁長雄志県知事も参加し、「辺野古に新基地は作らせない。普天間基地は閉鎖・撤去こそが『唯一の解決策』だ」と確認しました。(写真はメッセージボードを掲げる参加者)

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 普天間高校1年生の宮城りなさんの司会で、まず主催者の共同代表がそれぞれあいさつ。「安倍政権は歴史を省みない。基地は沖縄経済の最大の阻害要因だ」(平良朝敬・島ぐるみ会議共同代表)、「辺野古基金はすでに2億円を超えた。この問題は日本全体に広がっている」(呉屋守將・辺野古基金共同代表)、「戦後最悪の安部内閣が巨大な力で襲いかかっている。全国、全世界に沖縄の状況を伝えよう」(大城紀夫・連合沖縄会長)、「沖縄戦で多くの友を失った。二度と沖縄を戦場にしてはならない」(中山きく・白梅同窓会会長)、「普天間基地問題が解決しないのは政治の責任だ。市長として絶対に辺野古基地建設は止める」(稲嶺進・名護市長)と訴えました(共同代表の作家の大城立裕さんはメッセージ)。

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 辺野古のたたかいの報告を、ヘリ基地反対協代表の安次富浩さんが行い「闘いは18年間にも及び、キャンプシュワブ前の座り込みも300日を超えた。歴代政府は普天間問題を放置してきた。沖縄の基地は我々が撤去し、未来は私たちが決める」と、力強く呼びかけました(上の写真は訴える安次富さん)。また、辺野古・大浦湾の住民を代表し、二見以北住民の会会長の松田藤子さんも「宝の海、美しい大浦湾に基地を作ることはがってんならん」と怒りをあらわに語りました。
 沖縄人の血を引く、作家の佐藤優さん(元外務省主任分析官)は「自分は日本系沖縄人になってきた。官僚は腹黒いが、沖縄は過去も現在も未来も沖縄人のものだ」と強調。若い世代を代表し、沖縄国際大4年の古堅智美さんは「毎日、オスプレイの爆音と恐怖の中で大学に通っているが、辺野古移設は解決にならない」ときっぱりと述べました。
 海外から、アメリカの映画監督のオリバー・ストーンさんもメッセージを寄せ、県外からはジャーナリストの鳥越俊太郎さんが「安倍首相は、アドルフ・ヒットラーになぞらえ、“アベドルフ”と呼ばれている。これを打ち倒し、国民の意思をはっきり示そう」と語りました。
 最後に、翁長雄志沖縄県知事が登壇し「安倍首相の言う“日本を取り戻す”中に沖縄は入っているのか。沖縄はこれまで自ら基地を提供したことはない。銃剣とブルトーザーで土地が奪われてきた。これを繰り返すのか。政治の堕落だ。あらゆる知事の権限をもってして、辺野古に新基地は作らせない」と、声高らかに決意を表明しました。

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 決議文を大会事務局長の仲宗根悟県議会議員が読みあげ、「日米両政府は県民の民意に従い、米軍基地の閉鎖・撤去、辺野古新基地建設・県内移設を断念するよう強く要求する」と満場の拍手で確認。決議文を持って、政府やアメリカに出向くことも報告されました。
 最後に、参加者全員でメッセージボードを掲げ、「辺野古新基地NO!」「私たちは屈しない!」とシュプレヒ・コールを繰り返し、団結ガンバローで閉会しました。(写真は団結ガンバローで手をつなぐ参加者)
 

2015年05月17日

ビデオ報告 止めよう辺野古新基地建設!沖縄県民大会

5月17日に那覇市セルラースタジアムで開かれた「止めよう辺野古新基地建設!沖縄県民大会」の模様をダイジェストにビデオでまとめました(約10分)

2015年05月16日

普天間基地の即時返還を!平和行進2日目に2600人

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 沖縄5.15平和行進は、5月16日に2日目を迎え、約2600人が沖縄県宜野湾市の中心部にある、「世界で最も危険」と言われる米軍普天間飛行場を取り囲むように二手に分かれて歩きました。飛行場のフェンス沿いを行進した参加者は「危険な普天間基地は即時返還せよ!」「辺野古新基地建設反対!」と声を上げました(写真は普天間基地ゲート前を行進する参加者)。

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 宜野湾市役所で開かれた出発式で、福本勇司副実行委員長は「沖縄は人権を無視され、基地も固定化されている。行進を通じて、その実態を知ってほしい」と主催者あいさつを行い、連帯挨拶に立った藤本泰成平和フォーラム事務局長も「この普天間基地は米軍が銃とブルトーザーで奪い取った地だ。沖縄の人たちの思いを学ぼう」と呼びかけました。
 激励挨拶を吉田忠智社民党党首と、地元選出の照屋寛徳衆議院議員が行い、安部内閣が安保法制を国会に提出したことを激しく批判し、「戦争法案で沖縄の危険性が増す。絶対に廃案にさせよう」などと訴えました。
 最後に、2つのコースの団長や本土側代表がそれぞれ決意を表明。「普天間基地返還と辺野古新基地建設阻止に向け闘う」「沖縄と連帯を深めよう」などと声を上げ、全員で団結ガンバローを行いました。(写真は宜野湾市役所での出発式)

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 南北2つのコースに分かれた参加者は、横断幕やプラカード、団体旗をもち、元気よく出発。基地のゲート前や、米軍ヘリ墜落事故を起こした沖縄国際大学前などを通る、7~8キロのコースを、シュプレヒ・コールを繰り返しました。沿道からは多くの市民が激励をしたり、水の差し入れをする姿も見られました。(写真は行進する参加者)

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両コースの参加者は、宜野湾海浜公園の屋外劇場で合流し、集約集会を開きました(写真)。福本勇司副実行委員長は「戦後70年の節目に、辺野古新基地建設強行、戦争法案の審議が始まる重大な時に平和行進を成功させることができた。この成果を全国に広げよう」と総括。藤本泰成・平和フォーラム事務局長も「17日の超党派の実行委員会主催の県民総決起大会に運動をつなげよう」と呼びかけました。
 また、沖縄社会大衆党の糸数慶子委員長も駆けつけ、「再び沖縄が戦争の恐怖に陥れられないよう、安保法制にノーを」と訴えました。韓国の済州島カンジョン村副会長のチョ・ヨンボムさんも連帯あいさつをおこないました。最後に、平和行進の各コースの団長、副団長、本土側代表がそれぞれ決意を語った後、行進を支えた多くの実行委員が登壇し、感謝の大きな拍手が送られました。
 福本勇司副実行委員長の音頭による「団結ガンバロー」で2日間の平和行進を終えました。17日は那覇市・セルラースタジアムでの辺野古新基地建設反対の県民総決起大会に参加します。

2015年05月16日

ビデオ報告「5.15沖縄平和行進」第2日目(5月16日)

5月16日に沖縄宜野湾市で行われた「5.15平和行進」第2日目は普天間基地の回りを行進し、「基地の返還」「辺野古移設反対」を訴えました。その模様をビデオにまとめました(12分35秒)。

2015年05月15日

復帰43年 5.15沖縄平和行進始まる 辺野古新基地建設に抗議

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 43年前の1972年5月15日に、沖縄は日本に復帰しました。それを記念し、また基地のない平和な沖縄をめざして、毎年行われている「5.15平和行進」がスタートしました。今年は、昨年7月から名護市辺野古に新たな米軍基地建設が強行されていることに抗議し、全員で辺野古・米軍基地「キャンプ・シュワブ」周囲を行進して、基地ゲート前での座り込みと集会を開催しました。(写真は大浦湾を臨みながら行進する参加者)

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 10時からの出発式は、新基地建設予定地の真向かいにある瀬高海岸に1200人が集結。折から台風で中断していた工事が再開され、それに抗議するカヌー隊と、過剰警備をする海上保安庁の巡視艇の姿を間近に見ながら開かれました(写真上は出発式)。
 平和行進副実行委員長の福元勇司さんは「国土の0.6%しかない沖縄に、74%の米軍基地が押しつけられている。そこにさらに新基地を作ることは許せない。絶対に阻止しよう」と力強く訴えました。連帯挨拶に立った平和フォーラムの藤本泰成事務局長は「この大浦湾の豊かな自然を壊すことが平和につながるのか。武力で平和は作れない」と、安部内閣の戦争法案閣議決定を批判しました。
 地元からの歓迎挨拶は、「辺野古・大浦湾に新基地はいらない二見以北住民の会」会長の松田藤子さんが「43年間、日米政府は沖縄で人権がないがしろにしてきた」と怒りをあらわに訴え、また名護市選出の県議会銀の玉城義和さんも「平和憲法への復帰を願ってきたが、犠牲になってきた。しかし、いま各地域で『島ぐるみ会議』ができて変わりつつある」と報告しました。
 海外ゲストとして、韓国・参与連帯のファン・スヨンさんが「韓国の反基地運動、とりわけ済州島の海軍基地建設と沖縄の基地問題は密接に関係している。今後も連携を深めて闘っていこう」と呼びかけ、最後に、行進団団長の澤岻亜有子さんと本土側代表の野中和納さん(佐賀県平和運動センター副議長)の決意表明を受けて、行進に移りました。
 
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 行進参加者は、手に手に横断幕やプラカードを持ち、「辺野古新基地建設反対!」「大浦湾の埋め立てをするな!」など、シュプレヒコールを繰り返し、基地建設予定地の大浦湾の周りを、30度の暑さの中でも元気よく7キロ近くの行進をして、キャンプ・シュワブのゲート前に再結集。ゲート前では、すでに300日を超える抗議の座り込みが行われ、多くの市民が出迎えて、さらに拡大してのシュプレヒ・コールや現地集会、座り込みが夕方まで行われました(写真はゲート前での抗議)。
 16日は、政府が辺野古への移設を表明する普天間基地を包囲する行進が行われます。
 

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