12月, 2015 | 平和フォーラム

2015年12月30日

平和軍縮時評2015年12月号 国連総会第1委員会で採択された核軍縮「日本決議」について  田巻一彦

   承前。―といっても大分間が空いてしまったが―11月30日号を引き継ぐ形で、国連総会第1委員会で採択された核軍縮「日本決議」について書く。今回はたっぷり字数をとって腰を据えて批判したい。
   いきなり身もふたもない言い方で恐縮だが、一言でいえば「革新的内容には遠く及ばず、総花的で行動への意欲が欠ける」という過去の惰性を強くひきずるものだった。「核兵器の役割や重要性を一層低減させる」ことを「関係する加盟国」に求め、おそらくそれが理由で、昨年まで「賛成」をつづけてきた核兵器国の米英仏が「棄権」にまわり、中ロが「棄権」から「反対」に転じたのが数少ない成果だったといってよい。
   原文は英語である。主文の全訳を<資料>としてこちらに置くので、少々骨が折れるが併せて読んでいただきたい。

「新決議」に期待をしたが・・・

   この夏、安倍首相と岸田外相は、国連総会に新しい「核軍縮決議案」を提出すると述べた。ピースデポは、この新決議案が従来の繰り返しでない、新しい意志と行動への意欲を発するものとなることを願い、外相に宛てた要請書を提出した。私たちが求めたのは次の4項目であった:

  1. 核兵器使用の非人道性の意識に根差した緊急性を訴え、現在の核軍縮の停滞を打ち破ろうとする意欲をもった決議案となること。
  2. 「核兵器のない世界」を達成し維持するために必要な法的枠組みについて継続的な議論を保証する、全会一致の議事運営ではない、すべての国と市民社会に開かれた協議の場を設立する決議案となること。
  3. 日本自身が核兵器依存の政策から脱しようとしていることを示す決議案となること。
  4. 世界が確実に「核兵器のない世界」に向かって歩んでいることを担保する決議案となること。米ロに新START 条約の先の核兵器削減を求めるに際しては、核保有国全てが削減交渉テーブルにつく条件を整えるため弾頭数を数100 レベルまで削減することを求めるべきである。

   「第1委員会」で採択された新決議「核兵器の全面的廃絶に向けた、新たな決意のもとでの結束した行動」(2015年10月21日提出、11月2日採択)は、それなりに「新しさ」を追求した跡を感じさせるものだった。しかし、決議全体を見れば、総花的で具体的行動を含まないという、従来の決議の「弱さ」を引きずるものであった。以下、昨年の決議(以下「14年決議」)と比較しながら検討したい。なお、ピースデポは10月30日、決議案に対する「所感と要請」を、外相に宛てて提出したことは前回書いたとおりだ。

非人道性認識にたった「緊急性」と「意欲」は?

   新決議の主文3は、「核兵器使用による人道上の結末に対する深い懸念が、核兵器のない世界に向けたすべての国家の努力の基礎となり続けること」を強調する。14年決議では前文に置かれていたこの内容が、主文の冒頭近くに置かれたことは前進といえる。レトリック上はこの認識が、すべての国に核兵器の全面的廃絶に向けた「実際的措置や効果的措置」を求める(主文6)基礎となっていると読みとれる。しかし「実際的措置」や「効果的措置」の具体的内容については一切触れられていないことが、むしろ空疎な印象を与える。
   日本が抱く「緊急性」と「意欲」の真価は、南アフリカによる「核兵器のない世界のための倫理的至上命題」(L.40)に対する日本の投票行動において問われた。日本はこの決議案に「棄権」票を投じた。これは、ヒロシマ、ナガサキを経験した日本としては賛成するべき決議案であった。前記主文3の真意と真価が疑われる行動であった。

「法的枠組み」の継続的な議論を保証する場は?

   新決議は主文16で次のようにいう。「加盟国が、核兵器のない世界を達成するために必要とされる効果的措置のさらなる探究のための、適切な多国間協議の場に参画するよう奨励する。」14年決議にはなかった新条文である。これは私たちが求めた「すべての国と市民社会に開かれた協議の場」となりうるものである。それだけに、より積極的な決議案を起草することは可能だったはずである。この主文16が、前記「非人道性の認識」を明らかにした主文3や「効果的措置」等を求めた主文6と離れた場所に置かれているという条文構成もあり、”核兵器は非人道的ゆえに効果的措置を論じる”という論理は希薄である。また決議は、「効果的措置」や「多国籍協議」の具体論については何ら言及していない。
   協議の場としての「公開作業部会」を運営方法にまで踏み込んで提案した、メキシコ等の決議案「多国間核軍縮交渉を前進させる」(L.13)に対して、日本は「棄権」票を投じた。同決議案の「公開作業部会」を、日本政府は「適切な多国間協議の場」とは考えないということあろう。自らの決議案で、あるべき「協議の場」の姿を示さなかったことは無責任ではないだろうか。

日本は核兵器依存政策から脱しようとしているか?

   14年決議には次のような条項が含まれていた。「あらゆる軍事や安全保障上の概念、ドクトリン、政策における核兵器の役割及び重要性をいっそう低下させるために、核兵器国が速やかに取り組むことを求める。」 これに対応するのが新決議の主文10である。「関係する加盟国が、核兵器の役割や重要性の一層の低減のために、軍事・安全保障上の概念、ドクトリン、政策を継続的に見直していくことを求める。」この条文には2つの側面がある。要求する相手が「核兵器国」から「関係するすべての加盟国」に変更されたことは前進だ。しかし、時限が「速やかに取組む」から「継続的に見直していく」に変更されたことは後退である。
   この決議で日本は「拡大核抑止」見直しが求められるという新しい課題を背負ったが、14年決議のように「速やかに取り組む」のではなく、「継続的に見直す」課題になってしまった。
   主文10の考え方が、新たな非核兵器地帯の設立を「奨励」した主文13に活かされていないことも残念である。少なくとも北東アジアが例示されるべきであった。

「核なき世界」に向かうことを担保しているか?

   新決議の主文7は、米国とロシアに「備蓄核兵器のさらなる削減」のための交渉を「早期に開始する」ことを奨励した。14年決議が、両国に対して「さらなる削減に向けた後継措置の議論を引き続き行っていくこと」を奨励していたことと比べれば、より強い切迫感の伝わる条文となった。しかし、両国に「どこまでの削減を求めるのか」ということについて、定量的とは言わずとも定性的な表現で、もっと踏み込むことができたはずである。

「ヒバクシャ」の声をきく

   新決議案で初めて導入されたのが、被爆都市への訪問、「ヒバクシャ」の証言を聴くことを通して「人道上の意識を喚起する」ことを奨励した主文23である。「非核特使」派遣などの実績に裏付けられた、条文である。これらの活動がいっそう強化されることは良いことだ。だが、日本が核兵器依存政策を続けている限り、「意識喚起」は、本当の意味での説得力を持ちえないだろう。
   なお、昨年の「棄権」から「反対」に転じた中国は、旧日本軍による他国での被害に触れずに、被爆だけに焦点を当てるのは不当だと、この条文を批判したことはメディアが報じたとおりだ(11月3日各紙)。

核兵器国は「非人道性」と「効果的措置」の結合に警戒か

   日本決議に対する国連総会の採決結果は、次のとおりであった。(投票日15年12月7日)

賛成166(170)、反対3(中国、ロシア、北朝鮮)(1(北朝鮮のみ))、棄権16(14)

   注目すべき投票行動の変化は次のとおりである。(1)14年に「賛成」していた米、英、仏が今回は「棄権」にまわった。(2)同じく「棄権」していた中国、ロシアが「反対」にまわった。つまり、核兵器国はそろって否定的な方向に投票行動を変えたのである。これは注目されるべき変化であった。
   米、英、中、ロの棄権理由は公式には明らかにされていない。これらの国々が「非人道性の認識に警戒感を持ったこと」(11月3日付「毎日新聞」)は想像に難くないが、もう一歩掘り下げて彼らの動機について考えたい。
   日本決議とは別の決議だが、米、英、仏は「非人道性の認識」を前面に打ち出した3つの決議案に対して、そろって反対票を投じた。3決議とは、オーストリア等の「核兵器の人道上の結末」(L.37)、「核兵器の禁止と廃絶に向けた人道声明」(L.38)及び南アフリカの「核兵器のない世界のための倫理的至上命題」(L.40)である。3か国連名の「投票理由説明」(11月3日、英国が代表して発表)6は、核兵器使用が悲惨な結末を招くという、多くの議論に異存はないとしつつ、「これら決議の背後には核兵器禁止の意図があると思われる」として、次のように批判した。「核兵器が継続的に存在しない世界を創り出すために、我々が直面する極めてリアルな安全保障上の懸念と切り離して核軍縮を進めることはできない。ステップ・バイ・ステップ・アプローチは、核軍縮と世界の安定という至上命題を統合するための唯一の方法だ。」
   今年5月のNPT再検討会議で、米国が「核兵器は安全保障上の問題であるし人道上の問題でもある」と述べ、「核軍縮の法的拘束力のある協定のみが効果的措置ではない」として、「ステップ・バイ・ステップ」の有効性を強調した7ことも想起される。核兵器国で唯一、日本決議への「投票理由説明」を入手可能なフランス(棄権)もこれと重なる認識を示している。
   つまり、核兵器国が日本決議に反発した要因には、「非人道性の認識」によってステップ・バイ・ステップとは異なる「効果的措置」の議論が拡大することに対する警戒があると考えられる。日本決議は、私たちの目からみれば、「効果的措置」の推進力としては極めて弱いものだった。それでも、核兵器国の警戒心は払拭されなかったのであろう。

問われる日本市民の行動

   15年NPT再検討会議の合意失敗によって、核兵器国に核軍縮を強制する圧力が大きく減じたと思われる中で迎えた国連総会。そうであるが故に、日本の新決議が果たすべき役割は大きかった。しかし、新決議の条文と日本の投票行動の全体が示すのが「進歩性」ではなく「保守性」であることは、前述のとおりである。その「保守性」の源泉には日本の核兵器依存政策がある。
   国際世論の趨勢に押されて「人道上の結末に対する深い懸念」(主文3)が示されたことを除けば、新決議のほとんど唯一といってよい積極的要素は、「関係国における核兵器の役割の低減を要求」(主文10)したことである。これを手掛かりに、日本の核兵器依存政策に一矢を報いることをとおして、国際的な核軍縮議論に新風を送り込みたいものである。

2015年12月15日

【抗議声明】 日印原子力協定締結合意に抗議する

20151214

日印原子力協定締結合意に対する抗議声明

 

原水爆禁止日本国民会議

議長 川野浩一

 

 1212日、安倍晋三首相とインドのナレンドラ・モディ首相は、ニューデリーで会談し、日本の原発輸出を可能にする日印原子力協定の締結に原則合意しました。原水爆禁止日本国民会議(原水禁)は、2010年に民主党政権が協定交渉の席に着いた段階から、核不拡散条約(NPT)非加盟の核兵器保有国であるインドとの原子力協定の締結には、反対の立場を表明し、政府に対して交渉中止の要請を重ねてきました。被爆者の思いと、核兵器廃絶に向けた多くの人々のとりくみを一顧だにしない安倍首相の判断に、原水禁は強く抗議します。

 被爆国としての日本社会への配慮からか、安倍首相は「インドが核実験を開始するならば、協力を停止することを了解いただいた」さらに「日印間の原子力協力は平和的目的」と発言していますが、発表された共同声明や協定の覚書にはそれに関わる具体的措置は記載されていません。今後国家間の約束としてどのように担保していくのか明確ではありません。特に使用済み核燃料の再処理によって生み出されるプルトニウムの軍事転用についても、課題を残しています。

 NPTは、核兵器国を5か国に限定して核軍縮交渉の義務を負わせ、核兵器非保有国には国際原子力機関(IAEA)の監視を義務づけることで、「平和」利用に限定して原子力の利用を認めています。核兵器をこれ以上拡散せず、核軍縮を世界規模で進めようというのがNPTの趣旨であり、5年に一度NPT再検討会議を繰り返し行ってきました。インドは、NPTに加盟せず核実験を行い核兵器を保有した国であり、隣国パキスタンや中国などとも緊張関係にあります。インドへの原子力協定の締結は、NPT未加盟の核保有国パキスタン、イスラエル、NPTから脱退を表明した北朝鮮などへの影響も大きく、NPT体制の空洞化と核兵器の拡散を呼び込むものとしてきわめて問題です。

 日本の原子力メーカーは、概ね大筋合意を歓迎するとしていますが、政府と企業結んでの国策とも言える原子力輸出は、経済を優先するあまり、被爆国日本のこれまでの核兵器廃絶へのとりくみを否定する非倫理的政治行為であり、将来に禍根を残すことは明らかです。広島市の松井一実、長崎市の田上富久両市長が、協定の締結合意を非難する発言を行っていることの意味を、安倍首相はしっかりと捉えなくてはなりません。広島と長崎への原爆投下という悲惨な歴史を持ち、福島第一原発において過酷事故を経験し、今なお放射能汚染の深刻な問題を抱える日本は、核不拡散・核兵器廃絶、脱原発とりくみの先頭に立たなくてはなりません。そのことは、日本の国際社会への責務だと考えます。

 加えて、安倍首相は米印両海軍の海上共同訓練「マラバール」に、日本の自衛隊が定期的に参加すること、日本からの防衛装備や技術移転を可能にする協定も締結しました。米国による日本海から南シナ海、インド洋に及ぶ「中国包囲網」の全てに「積極的平和主義」を持って荷担しようとする安倍政権の政治的スタンスは、アジアに緊張と混乱、対立をもたらすもの以外の何ものでもありません。

 原水禁は、核廃絶への被爆者の、そして世界の人々の切なる願いに耳を傾け、インドとの原子力協定の締結に反対し、安倍政権の積極的平和主義の欺瞞を明らかにしていきます。そして「核と人類は共存できない」とした先達の思いを実現するため、更なるとりくみに邁進します。

 

2015年12月11日

<資料> 東日本連絡会 低空飛行ルート(自治体名入)地図

 MV-22環境レビューで示された低空飛行ルート(自治体名入)地図 PDFファイルでアップしました。

1.低空飛行ルート 日本全図 はこちら

2.グリーンルート(青森~岩手~宮城~福島)

  ピンクルート(青森~秋田~山形)はこちら

3.ブルールート(山形~福島~群馬~新潟~長野~岐阜)はこちら

4.オレンジルート(和歌山~徳島~高知~愛媛)

  イエロールート(大分~福岡~熊本~宮崎)はこちら

5.パープルルート(沖縄諸島~奄美諸島~南薩諸島)はこちら

2015年12月10日

もんじゅを廃炉に全国集会に700人

 199512月に起こった高速増殖炉「もんじゅ」のナトリウム漏出事故から20年、「2015 もんじゅを廃炉に全国集会」が125日、福井市内の文化会館大ホールで開かれ、全国から700人が参加しました。 

 度重なる事故と1万件にも及ぶ点検漏れなど、不祥事に事を欠かず、点検のルールを再構築したにもかかわらず今年9月には、そのルールですら半数近くで誤りが発覚する始末。とうとう原子力規制委員会は10月、「もんじゅを原子力機構に委ねていることが妥当か」と、「失格勧告」を機構に対して投げかけました。

 集会で発言された鈴木達治郎さん(長崎大学核兵器廃絶研究センター長)は、「チャンスととらえて、高速増殖炉や核燃料サイクルをどうすべきか、議論すべき」と話し、伴英幸さん(原子力資料情報室共同代表)は、原子力の研究を含め、日本の科学技術について「護送船団方式で、プロジェクトで進行」していることを批判しました。最後に鈴木さんは「国会のなかや、学術会議など政府から独立した機関で、評価、議論できる仕組みをつくること」の必要性を説き、文部科学省の硬直した政策からの脱却を訴えました。

 

DSC01752.jpg

 集会終了後参加者は、隣接する公園で開かれた「高浜原発3・4号機の再稼働を本気で止める!全国集会」に合流し、福井駅までデモ行進をし、もんじゅの廃炉と再稼働反対を沿道の市民に訴えました。

 

DSC01790.jpgDSC01786.jpg

2015年12月08日

東日本連絡会 第2回外務省・防衛省要請 議事録

 オスプレイと低空飛行に反対する東日本連絡会が、2015年7月28日に行った外務省・防衛省に対する要請について、交渉議事録をお知らせします。

交渉議事録はこちら

2015年12月05日

「国連・人権勧告の実現を!」12.5集会&デモ

 人権集会.JPG人権デモ (1).JPG

 12月5日、東京・代々木公園で「国連・人権勧告の実現を!~すべての人に尊厳と人権を~」集会&デモがおこなわれ、市民など約400人が参加しました。(写真上)
 日本社会にある様々な人権課題に対し、国連の自由権規約委員会など様々な機関は数多くの勧告を出してきました。しかし、いまだに日本政府はこうした人権侵害・差別の是正に取り組もうとしていません。「国連・人権勧告の実現を!」実行委員会は、このような政府の姿勢を批判し、国連・人権勧告の実現をめざして集会や学習会を行ってきました。
 今年も世界人権デーと人権週間に合わせて集会とデモが行われました。集会では「国内人権機関と個人通報制度」「人種差別撤廃基本法の制定」「安倍政権の『国連人権規約は守る義務がない』とする問題」について、弁護士等から報告と提起がありました。さらに、国連の「表現の自由特別報告者」の来日を日本政府が延期させた問題での特別報告も行われました。
 さらに、各テーマ別のアピールでは、沖縄・辺野古での人権を蹂躙しての基地建設強行や福島からの原発事故問題の訴え、女性差別、「高校無償化」からの朝鮮学校除外問題、精神障害者が直面する課題、教育現場への政治介入の実態などが各団体から訴えられました。
 最後に「人権状況を国際基準に沿って変えていくよう日本政府に求めます。そのために政府から独立した国内人権機関の設置、個人通報制度の確立を求めて運動を強めていきます」などとする集会アピールを採択しました。
 集会後にデモ行進がおこなわれ、参加者は思い思いのプラカードや横断幕を持ち、「日本政府は国連・人権韓国を守れ!」など、様々な課題のコールを繰り返しながら、渋谷の街を行進しました。(写真下)
 

2015年12月05日

ビデオ報告 12.5「フクシマを忘れるな!さようなら原発講演会」

12月5日に日本教育会館で開かれた「フクシマを忘れるな!さようなら原発講演会」の内容をダイジェストにビデオにまとめました。(9分10秒)

2015年12月05日

フクシマを忘れるな! さようなら原発 講演会

        原発講演会.JPG

 12月5日に、「さようなら原発」一千万署名市民の会主催で、「フクシマを忘れるな!さようなら原発講演会」が東京・日本教育会館で開催され、被災者・避難者や被曝労働者などからの訴えがありました。約350人が参加しました。
 福島原発事故からまもなく5年が経とうとする中で、安倍政権は事故の反省もなく、原発再稼働など原発推進策を押し進めています。しかし、福島原発事故の影響は複雑化し、多くの被災者に苦悩と困難をもたらし続けています。
 呼びかけ人として開会あいさつに立った鎌田慧さん(ルポライター)は「原発は非民主的、暴力的なもので、人間のモラルに反する。フクシマの現実の声を聞いて何ができるか考えよう」と呼びかけました。

小澤さん.JPG長谷川さん.JPG崎山さん.JPG池田さん.JPG
 

 被災者からの訴えでは、「南相馬・避難勧奨地域の会」事務局長の小澤洋一さんが「福島では復興情報ばかりが報じられている」とし、放射線管理区域並みの土壌や大気汚染の実情や、小児甲状腺がんの多発、増え続ける汚染水問題など、政府や福島県の行政や一部の専門家に対して厳しく批判しました(写真左端)。
 一方、郡山から静岡県内に自主避難をしている長谷川克己さん(「避難の権利」をめざす全国避難者の会)は、「政府や行政は信じられなくなり、子どもは自分たちで守る決意をして2011年8月に郡山を離れた。しかし政府は避難地域を撤廃しようとして、自主避難者への住宅の無償提供も打ち切ろうとしている」として、「避難する権利」を求めて10月29日に「全国避難者の会」を結成したことを報告しました(写真左2人目)。
 次に「被曝と健康問題を考える」と題し、崎山此早子さん(医学博士・高木学校)が低線量被ばくによる発がんリスクとして「放射線に安全量がないことは国際的合意事項」と説明。「核被害はひとたび起こると生業を根こそぎ奪ってしまう。しかもその持続時間は人の寿命をはるかに超える」として、科学的根拠に基づいて個々人が判断力をつけることが重要と指摘しました(写真右2人目)。
 最後に、被曝労働現場の実態について、事故後、福島第一原発内で作業員として働いてきた池田実さんが証言。放射線量を気にしながらの過酷な労働の実情などを語り「東京電力の社員は現場にはおらず、何重もの下請け構造がある。その中で給料のピンハネや危険手当がキチンと支払われていないなどの問題がある。こうした構造をただしていかない限り被ばく労働はなくならない」と訴えました(写真右端)。
 最後に司会の古今亭菊千代さん(落語家)が「私たちはフクシマを決して忘れない。フクシマにつながり続けていくために、これからも声をあげていきましょう」と呼びかけて終了しました。
 

2015年12月01日

改憲の前に社会の あり方を語り合おう

日本会議が主導する「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の主催の集会が、11月10日に、日本武道館で開かれた。安倍晋三首相が、「21世紀にふさわしい憲法を追求するときが来ている」とのビデオメッセージを寄せた。美しい日本の憲法とは、あの「自民党憲法改正案」(以下、改正案)なのだろう。美しい国にふさわしい憲法をと言うが、改正案ほど醜悪なものはない。子どもの作文以下だ。子どもの作文には、素直な感動がある。改正案は感動どころか、邪悪なにおいがする。近代市民社会の歴史やその歴史が積み上げてきた哲学や理念を理解していない、のではなく、ねじ曲げている。論争にもなり得ない。だからこそ、哲学や理念では勝てない彼らの主張する改正案なのだろう。

「戦争法」が成立して、「平和のための新9条論」がいろいろな人の間から浮上してきた。東京新聞は「こちら特報部」で取り上げ、「戦後日本が平和国家のあるべき姿として受け入れてきた『専守防衛の自衛隊』を明確に位置づける。解釈でも明文でも、安倍流の改憲を許さないための新9条である」と書いた。しかし、私の周りではあまり評判が良くない。新9条をとの声は、改憲派を利するという感覚だろうか。それとも、護憲はあくまでも護憲との感覚だろうか。2008年に平和フォーラムは、「9条に命を吹き込む」として、自衛隊を「国土警備隊、平和待機隊、災害救助隊」に再編する「平和基本法」を高文研から上梓し、自衛隊をどう考えるか提起したが、議論は深まらなかった。「自衛隊を合憲とするのか」との声もあがった。しかし、「戦争法」反対の闘いの中での主張は、「自衛隊の海外派遣は許せない」「集団的自衛権行使は許せない」であって、「非武装中立」とか「自衛隊は違憲」との従来の主張は、私が聞く限りはなかった。

さあ、どう考えるのか。私は、今は新9条を議論する時期ではないと考える。やるべきは「自衛隊を戦場に送らない」「戦争法廃案」である。その中で、9条の問題に絞るのではなく、現実の足下の課題を見極めた上で、日本社会を俯瞰し、そのあり方を議論すべきだ。貧困と格差は、私たちの社会を土台から腐らせている。過去最大約5兆円の防衛費の余裕が日本にあるのか。「経済成長」のみに拘泥することなく、人間としての豊かさとは何か、一人ひとりの安全とは何かを、真剣に議論しなくてはならない。
(藤本泰成)

TOPに戻る