8月, 2017 | 平和フォーラム - パート 2

2017年08月09日

被爆72周年原水爆禁止世界大会・長崎大会まとめ(藤本事務局長)

 

被爆72周年原水爆禁止世界大会・長崎大会まとめ

被爆72周年原水爆禁止世界大会実行委員会
原水爆禁止日本国民会議
事務局長   藤本泰成
 被爆72周年原水爆禁止世界大会は、福島大会から始まって、広島大会へ、」そして今日の長崎大会の閉会集会で、幕を閉じます。本大会の運営に携わっていただいた、実行委員会の皆さま、そして遠いところを海外から来ていただいたゲストの皆さま、各分科会でご発言いただきました講師の皆さま、そして全国からご参加いただきました皆さんに、心から感謝を申し上げます。
大会中、様々な議論がありました。全てに言及はできませんが、若干の時間をいただき、私なりにまとめたいと思います。
 福島第一原発の過酷事故から、6年が経ちました。今、原水禁大会では、多くの方から事故原発の現状に触れていただきました。指摘されていたのは、東電の経営陣は遅くとも2008年には津波によるメルトダウンを予想していたが対策を取らなかったと言うことです。
 2016年2月には、勝俣恒久元会長他3人の経営陣が、業務上過失致死傷罪で強制起訴されていますが、第1回の公判が2017年6月30日に開かれました。先立つ3月17日には、前橋地裁において、「東電は巨大津波を予見しており、事故は防ぐことができた」「国は安全規制を怠った」として、東電・国に賠償を命じる判決を下しています。
 事故の責任を明確にしていくことは、日本の将来に重大な意味を持つでしょう。福島では、支援の打ち切りが相次いでいますが、目に見えない放射性物質が復興を妨害し、遅々として進まない現状が報告されています。国の責任による明確な支援を要請したいと思います。
 第1原発の廃炉・事故の処理には、膨大な時間と今後の技術開発が必要なことが、これも様々な方から発言がありました。原子力資料情報室の伴英幸さんからは、地下水や汚染水対策も計画通りにはいかず、貯蔵される汚染水は100万トン、行き場のない放射性廃棄物も含めて、今後の見通しが立たない状況が報告されています。
 2017年3月31日をもって、帰還困難区域を除く地域の避難指示が解除されています。解除の根拠は、年間被ばく量が20mSv 以下と言うことですが、この数値は暫定基準で有り、過酷事故の実態に合わせて基準を緩和したものに過ぎません。現在でも、福島事故で避難指示が出された地域以外の一般公衆の年間被ばく量が1mSvであることを考えると、その意味が分かります。

 伴さんは、福島県の実施している健康調査によると、子どもの甲状腺ガンの確定者が145人に達していることを報告しながら、その他の疾病に関しても統計学的な調査も実施すべきとしました。一般公衆被ばく基準の20倍の放射線量が、身体に影響が無いと言うことを、信用するわけにはいきません。

原子力市民委員会委員で元原子炉格納容器設計技師の後藤政志さんからは、原子力産業の行方と原発の安全性に関して報告がありました。
米国のスキャナ電力は、7月31日にV.C.サマー原発2・3号機の建設断念を発表しました。東芝傘下のウェスティングハウス社が受注していたものですが、後藤さんは、米国の安全規制の強化が工期の延長とコストの上昇を生み、いまや原子力発電所がコスト競争に勝利することはないだろうと発言しています。

 東芝が建設した、改良沸騰水型の台湾龍門原発1・2号機は、建設されるも、一度も運転をすることなく廃炉になりました。背景には地震と安全性の問題があります。脱原発を決めた台湾からシュウ・グァンロン台湾大学教授に来ていただきました。韓国脱核情報研究所所長のキム・ポンニョさんからも、脱原発を志向するムン・ジェイン大統領の下、脱原発への議論が進んでいることが報告されました。世界が脱原発に向かっていることは確実です。
 後藤政志さんは、「不確かな対策をいくら多層防護にしても安全ではない。多重防護は、事故に至る確率を下げていくだけである」「だから、規制委員会の田中委員長は、決して安全とは言わない」と述べています。原発の安全性には100%はあり得ない。であれば、そのリスクを許容できるのか、できないのか、できないならば結論は明らかなのです。後藤さんは、再生可能エネルギーが急速に普及している海外の状況と、原子力産業の崩壊を見れば、もはや原発は核兵器と共に凍結されるべきものであり、実際それが十分に可能であると結んでいます。
 本大会開催の約一月前に、国連では「核兵器禁止条約」が締結されました。何度もその評価には言及されているのでここでは控えます。日本政府は、しかし、条約に反対し批准する姿勢を示していません。ピースデポ代表の田巻一彦さんは、2016年の国連総会に日本が提出した「核軍縮決議」にある、「関係する加盟国が、核兵器の役割や重要性の一層の低減のために、軍事・安全保障上の概念、ドクトリン、政策を継続的に見直していくことを求める」の一文をあげて、日本自らが「政策を継続的に見直して」ゆかねばならないが、しかし、その様子は見られないと指摘しています。
 核兵器の非人道性を普遍的な見地として、禁止条約の前文では「核兵器の使用による被害者ならびに核兵器の実験によって影響を受けた人々に引き起こされる受け入れがたい苦痛と危害に留意」との文言が書き入れられました。日本が今、行うべきは、米国の傘の下から脱却し、戦争被爆国としての明確な外交姿勢を確立することではないでしょうか。市民社会が反対する原発の再稼働をすすめ、再処理によって得るプルトニウムを利用する核燃料サイクル政策に、あたかも核兵器保有政策の担保のようにしがみつく姿勢は、被爆者の思いを踏みにじるものです。今こそ、日本政府が核政策の見直しに着手することを強く要求するものです。
 前田哲男さんの報告に、「このままでは『日本は本当に戦争をする国』になってしまう」という、今の日本社会、日本の政治に対する警報とも言える主張があります。自衛隊に対する世論調査の分析から、民意のありかは「はたらく自衛隊」のイメージ、9条改憲を望んではいないとの分析です。安倍首相のめざす「憲法改悪」に対抗するには、民意に沿った対抗構想の提示こそ、私たちに求められていると、まとめられています。
安倍政権は、特定秘密保護法、戦争法、共謀罪、矢継ぎ早に、憲法違反と言える法整備を、数の力を持って強引に進めてきました。彼の言う、戦後レジームからの脱却は、憲法の規定する、主権在民、平和主義、基本的人権の保障という、戦後社会の根幹に関わる理念への挑戦というものです。前田さんは「『秘密保護法』と『共謀罪』の結合がもたらす、物言えぬ社会が到来する」と指摘しています。私たちは、決して負けるわけには行きません。原水禁運動は、60年以上にわたって「核兵器廃絶」「脱原発」を、運動の両輪としてとりくんできました。そこには、被爆の実相がありました。一人ひとりの命への強いこだわりがありました。私たちは、権力の圧力に、臆してはなりません。
 今年いただいた年賀状に、非暴力を貫き、米国での黒人の公民権運動を指導したキング牧師の言葉がありました。
 「この変革の時代において、最も悲劇的であったのは、悪人たちの辛辣な言葉や暴力ではなく、 善人たちの恐ろしいまでの沈黙と無関心であった」
 私たちは、沈黙の仲間であってはなりません。私たちは、声を上げ続けなくてはなりません。そして、私たちは、原水禁運動の、大きな、大きな輪を、広げていこうではありませんか。大きな、大きな声に、していこうではありませんか。
 I have a dream !
私たちには、夢があります。核も戦争もない平和な21世紀を作りましょう。
以  上

2017年08月09日

被爆72周年原水爆禁止世界大会・大会宣言

 被爆72周年原水爆禁止世界大会・大会宣言

 人類の頭上に初めて原爆が投下されて72年がたちました。未曽有の惨禍によって、被爆者は、今日まで、差別や貧困にさらされ、様々な健康被害と闘い、苦しい生活を強いられてきました。しかし、被爆者は、原爆後障害の不安に怯えながらも、辛い身体にむち打って、核兵器の被害の実相とその非人道性を訴え、核廃絶を求めて声をあげ続けてきました。今年7月7日、国連総会で「核兵器禁止条約」が採択され、被爆者の願いが実を結びました。条約は、前文で被爆者や核実験被害者の「受け入れがたい苦痛と被害」に触れながら、核兵器が国際人道・人権法の原則と規則に反するとして、その製造や使用のみならず威嚇の行為なども法的に禁止する画期的なもので、核保有国の論理を許さないものとしています。
 しかし、唯一の戦争被爆国である日本政府は、本来ならば核兵器廃絶に向けて積極的にリーダーシップを発揮する立場にあるにもかかわらず、この条約の交渉に参加せず、いまも条約の批准・発効に反対し続けています。8月6日、広島の平和祈念式典で、安倍首相は「唯一の戦争被爆国として『核兵器のない世界』の実現に向けた歩みを着実に前に進める努力」を口にしながら、核兵器禁止条約には一言も触れませんでした。安倍首相が言いう平和は、政治的ポーズに過ぎません。日本政府(安倍政権)の姿勢は、核兵器廃絶を求めている世界の多くの国々、とりわけ被爆者を失望させるものです。私たちは、日本政府が「核兵器禁止条約」を直ちに批准し、核兵器保有国に対して、戦争被爆国としての言葉で参加を促していくことを強く求めます。
 安倍首相は、広島の平和祈念式典で、「被爆者の方々に対しましては、保健、医療、福祉にわたる総合的な援護施策の充実を行ってまいりました。今後とも、被爆者の方々に寄り添いながら援護施策を着実に推進してまいります」と述べました。しかし、被爆者への国家補償や原爆症の認定、在朝被爆者をはじめとする在外被爆者、被爆体験者、被爆二世・三世の問題などで様々な課題が残されています。原水禁は、国家補償に基づく被爆者援護法の制定を長きにわたりとりくみ、「原爆被爆者援護法」を勝ち取りました。しかし、国家補償は未だ明記されず、政府は、被爆者の具体的要求には何ら答えず、ただ裁判で敗訴したことのみ改善するという消極的姿勢に終始しています。被爆者が高齢化する中にあって、安倍首相は、自らの言葉を、自らが具現化しなくてはなりません。時間との闘いの中で、早期の解決に向けた運動の強化が求められています。
 世界各国は、2011年3月11日の東日本大震災・福島原発事故を契機に、脱原発に舵を切りました。ドイツ・イタリア・スイスなどが脱原発を選択しました。アジアにおいても台湾が脱原発を決定し、韓国でも脱原発をめざす政権が誕生しています。原子力産業は、米原子炉メーカーウェスティングハウスを買収した東芝の破たんに見るように、原発建設など原子力産業の推進が企業の経営破綻をまねく状況が現出しています。一方で福島原発事故の処理費用は、現時点でさえ約22兆円と試算され、原発推進が市場経済の論理にそぐわないものとなっています。
 しかし、安倍政権は、除染が終了し、年間被ばく量20mSvを下回ったとして、避難指示の解除を進め、住民に帰還を強要しています。20mSv/yは、一般公衆の被ばく限度の20倍であり、さらなる被ばくを押しつけながら、原発推進のためにフクシマをなかったものにしようとする姿勢は許せません。安倍政権は、脱原発を求める民意を無視し、福島原発事故被害者を切り捨て、原子力推進政策に邁進し、原発再稼働、核燃料サイクル計画・プルトニウム利用路線の推進、原発輸出などを推し進めています。事故の原因の調査も、責任の所在も曖昧にしたまま、原発推進に舵を切ることを許してはなりません。国策として原発を推進し、津波の想定を見直すことなく、事故を引き起こした東電・国の責任をきびしく追及していかなくてはなりません。
 安倍政権は、安全保障関連法(戦争法)や共謀罪を新設し、憲法改「正」に踏み出そうとしています。沖縄・辺野古や高江では、新基地建設を強行しています。日本中の空をわが物顔に飛ぶオスプレイは、各地で事故が頻発し市民社会に大きな不安を与えています。戦後レジームからの脱却という安倍首相の主張は、憲法の規定する国民主権、平和主義、基本的人権の保障という戦後一貫して私たちが守ろうとしてきた日本社会のあり方を、根本から変えようとするものです。決して許してはなりません。
 脱原発を決定させましょう。核燃料サイクル計画を放棄させましょう。米国の傘の下にあって、核武装を担保しておこうとする日本の核政策を根本から変えましょう。核兵器禁止条約の批准を求めましょう。国の責任を明らかにして、フクシマの支援を確実にしましょう。戦争法・共謀罪廃止、憲法改悪阻止、「命の尊厳」を基本に、地域から大きな声を上げていきましょう。
 ノーモア ヒロシマ、ノーモア ナガサキ、ノーモア フクシマ、ノーモア ヒバクシャ、ノーモア ウォー
 
 2017年8月9日
 被爆72周年原水爆禁止世界大会

2017年08月09日

原水禁世界大会の最終日は長崎で閉会総会開く

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  長崎に原爆が投下された8月9日、被爆72周年原水爆禁止世界大会の最終日を迎え、長崎大会の閉会総会が、長崎県立体育館で開かれました。全国から1600人が参加し、核兵器禁止条約の批准など、当面する課題を確認し、運動を広げていくことを誓いあいました。
 長崎実行委員会を代表し、松田圭治・実行委員長(長崎原水禁議長)があいさつに立ち「国連の核兵器禁止条約採択の原動力は被爆者の思いだった。それにもかかわらず、日本政府がこれに反対することは、唯一の戦争被爆国として許されない」とし、憲法改悪や沖縄への新基地建設、原発政策を進める安倍政権を厳しく批判しました。
 九州各県をつないで毎年行われている「非核平和行進」のタスキが長崎から沖縄に返還された後、タスキを受け取った沖縄平和運動センターの山城博治議長が登壇。沖縄県内の基地建設反対運動の中心を担っていたところ、昨年から5か月余にわたり逮捕・不当勾留されたにも関わらず「沖縄県民は翁長雄志知事を先頭に辺野古に新基地を作らせない闘いを続けている。事態が厳しければ厳しいほど団結していくことが大切だ」とし、自ら作詞した「今こそ立ち上がろう」を熱唱して、会場を沸かせました。
 また、佐賀県唐津市にある玄海原発の再稼働に反対するアピールを、佐賀県原水禁の柳瀬映二事務局長が行い、「県知事は県民の意見を聞くポーズをとっているが、理解は得られていない。避難計画は被ばく計画でしかない。再稼働を絶対に阻止する」と力強く述べました。

 高校生のアピールとして、第20代高校生平和大使と高校生1万人署名活動実行委員会のメンバーなど100人余りが並び、若者として核廃絶を訴えていく決意を語りました。
 原水禁世界大会に参加した海外ゲストを代表し、米国ピース・アクション政治政策担当のポール・マーティンさんは「世界の状況は昨年よりも悪くなっている。アメリカと日本では自らの利益だけを考える指導者がいる。ともに連帯し軍国化を進めることを阻止しよう」と呼びかけました。
 大会のまとめを藤本泰成・大会事務局長が行った後、脱原発、核燃料サイクル計画などの日本の核政策を根本から変えることや、核兵器禁止条約の批准、国の責任によるフクシマの支援、戦争法・共謀罪廃止、憲法改悪阻止など、「命の尊厳」を基本に、地域から声を上げていこうとの大会宣言を採択しました。
 事務局長の「大会のまとめ」はこちら
 「大会宣言」はこちら
 
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 集会後、爆心地公園までの非核平和行進を行い(写真上)、核廃絶などをアピール。爆心地公園では原爆中心碑に川野浩一・大会実行委員長などが献花を行った後、原爆投下時間(11時2分)のサイレンを合図に全員で黙とうを行い(写真下)、大会の全日程を終えました。
 
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2017年08月08日

原水禁世界大会・長崎大会 2日目は分科会やひろばで討議

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8月8日、原水爆禁止世界大会・長崎大会の2日目は。いくつかの課題に分かれての分科会や、関係団体の自主企画の「ひろば」、フィールドワークなどが行われました。
 「平和と核軍縮」の分科会では、共謀罪などの憲法問題や沖縄での新基地建設問題での討議と、7月7日に国連で採択された核兵器禁止条約と東北アジア非核兵器地帯化構想について考えました(写真上)。
 「脱原子力」の課題では、福島原発事故の現状と再稼働問題を考える分科会のほか、プルトニウム利用路線の破たんと自然エネルギーの展望を検討しました(写真下)。

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 「ヒバクシャ」については3つの課題に分かれ、世界各地での核実験やウラン採掘などでの核被害の実態と補償、韓国やメキシコなど在外被爆者を招いて在外被爆者の置かれている現状と課題、さらに、被爆二世・三世問題では現在取り組まれている集団訴訟の意義や展望を考えました(写真上)。
 さらに、「見て・聞いて・学ぼうナガサキ」では、映像や被爆者の証言を通して被爆地・ナガサキの実相に触れました。このほか、被爆者との交流や、映画の上映などの「ひろば」、長崎市内の被爆遺構めぐり(写真下)や、佐世保の基地めぐりのフィールドワークも開かれました。
 さらに、小学生向けの「子ども平和のひろば」、高校生が企画・運営した「ピース・ブリッジinながさき」(写真下)など多彩な内容の催しが行われました。
 8月9日は長崎大会の閉会総会が開かれ、大会宣言を採択した後、爆心地までの非核平和行進を行い、原爆投下時間(11時2分)に黙とうを行い大会の全日程を終えます。

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2017年08月08日

オーストラリアでのオスプレイの墜落事故で声明

 相次ぐオスプレイの事故に抗議し、

沖縄、北海道等での飛行訓練中止を求める声明

 

2017年8月8日

フォーラム平和・人権・環境

事務局長 勝島 一博

 

 またもやオスプレイの墜落事故が発生しました。オーストラリア東海岸で、米豪共同軍事演習「タリスマン・セーバー」に参加していた沖縄の米海兵隊普天間基地所属のMV−22オスプレイが、現地時間の5日午後4時ごろ、強襲揚陸艦「ボノム・リシャール」への着艦訓練中、海上に墜落しました。米海兵隊の発表によれば、乗員、乗務員を含め26人中3人の海兵隊員が行方不明になった「事故」だとしています。普天間基地所属のオスプレイの墜落事故は、昨年12月13日に沖縄県名護市沖で発生した事故を含め2度目となります。この間日本国内に限っても、名護市沖の事故の同日に起きた普天間基地での胴体着陸事故、2017年6月6日の沖縄・伊江島補助飛行場、続く6月10日の鹿児島・奄美空港への緊急着陸など、オスプレイの事故が相次いでいます。

 米軍当局や日本政府がオスプレイの有用性をいくら強調したところで、欠陥機である同機の運用は許されません。すべての飛行訓練の中止と普天間基地の配備及び予定されている東京・横田基地への米空軍CV−22オスプレイの配備計画を撤回すべきです。そして、陸上自衛隊が導入しようと計画しているオスプレイの佐賀空港配備も白紙撤回することを強く求めます。

 これまでのオスプレイの事故の多くは、事故に至る経緯や原因が明らかにされてはいません。防衛省のホームページで事故報告書が公表されているのは、普天間基地配備前に起きたフロリダ、モロッコでの事故の2件のみです。昨年の名護市沖での墜落事故に関しても、夜間空中給油訓練途中で事故が発生し、名護市沖の浅瀬に「不時着水、大破」するまでの経緯が全く不明で、事故原因の究明がなされていないにもかかわらず、事故から6日後には飛行訓練を再開しています。オスプレイの安全性に対して多くの人々が懸念を示しており、日本政府は、米当局に「自粛」を要請するだけでなく、経緯や事故原因が明らかにされるまでは飛行訓練等を中止するよう求めるべきです。

 沖縄では、北部訓練場をはじめ、キャンプハンセンなどで住民の安全を無視したオスプレイの訓練が連日行われています。そして8月10日から28日かけては、北海道で陸上自衛隊と米海兵隊の約3300人が参加して行われる大規模な共同軍事演習「ノーザンヴァイアー」が行われ、普天間基地所属のオスプレイ6機が参加し、夜間飛行訓練などを行うとしています。沖縄の負担軽減のための訓練移転と説明されていますが、政府は米軍機の飛行訓練について「日米安保の目的達成のため飛行訓練を行うことは当然の前提」として、訓練空域以外での飛行訓練すら容認している始末です。つまり米軍基地の過重負担を負わされている沖縄の現状を省みるまでもなく、すでに縦横無尽に日本の空を、米軍機が飛行訓練することは既定路線になっているのです。

 平和フォーラムは、日米軍事一体化、基地の共同使用による米軍機等の運用の拡大、SACO合意違反の基地使用などを許さないとりくみを進めていくとともに、相次ぐオスプレイの事故に抗議し、飛行訓練の即時中止を強く求めていくことを表明します。

以上

2017年08月08日

沖縄だよりNO.33(PDF)

http://www.peace-forum.com/okinawa-branch/okinawa_No33.pdf

2017年08月07日

被爆72周年原水禁世界大会・長崎大会基調提案

 被爆72周年原水禁世界大会・長崎大会基調提案

被爆72周年原水爆禁止世界大会実行委員会
事務局長   藤本泰成
 被爆72周年、原水禁世界大会長崎大会、開会総会に多くのみなさまに参加いただきました、心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。台風を心配しましたが、長崎では杞憂に終わりました。ただ、今後列島を横断するのではないかと危惧されます。被害が拡大しないことを願っています。
それでは、若干の時間をいただいまして、大会の基調を提案申し上げます。詳しくは、後ほどお手元のピンクの冊子「基調」に目を通して下さい。
  敗戦と被爆から72年が経過して、2017年7月7日、国連総会において「核兵器禁止条約」が、採択されました。核兵器の製造や使用などを法的に規制する画期的な条約であり、その前文では、被爆者や核実験被害者の「受け入れがたい苦痛と被害」に触れています。多くの被爆者が、高齢にもかかわらず、世界に足を運び、訴えてきた結果として、加えて原水禁運動の結果として、心から歓迎するものです。
 米国オバマ前大統領は、「核なき世界」をめざすとした「プラハ演説」をスタートに、核セキュリティーサミットの開催や被爆地広島訪問、先制不使用宣言の検討など、在任8年間、努力を重ねました。しかし、一方で米国内では、核兵器の近代化のための巨額投資が続きました。オバマ大統領がプラハ演説で、「『核なき世界』という目標は、私の存命中には実現しないかもしれない」と述べています。米国社会に染みついた核兵器への幻想を思い起こします。
 トランプ新大統領も、核の近代化に積極的であり、「核兵器保有が存在するなら、米国はその頂点に立つ」とまで言い切っています。米国のかたくなな姿勢は、核兵器廃絶の大きな障害となっています。
 昨日、広島の平和祈念式典で、安倍首相は「唯一の戦争被爆国として『核兵器のない世界』の実現に向けた歩みを着実に前に進める努力を、絶え間なく積み上げていくこと。それが、今を生きる私たちの責任です」と述べましたが、核兵器禁止条約には一言も触れませんでした。それが、日本政府の姿勢なのです。
 日本政府は、「核兵器禁止条約」の検討会議に参加せず、総会では反対を表明しています。安倍首相は、常に平和を口にしますが、しかし、それは政治的ポーズに過ぎません。このような態度は、被爆者の思いを踏みにじるもので、許すことはできません。
  自民党政権は、1957年5月7日の参議院予算委員会で岸信介首相(当時)が「憲法は、核兵器保有を否定していない」と発言したり、また、2016年4月1日には、安倍政権が「必要最小限度の核兵器は合憲」の閣議決定をするなど、核兵器保有を否定しないできました。
 日本政府は、福島原発事故以降も、エネルギー基本計画の中心に、「原発推進」と再処理したプルトニウムを高速増殖炉で利用する「核燃料サイクル計画」を位置づけています。
 高速増殖炉もんじゅは、発電を本格化することなく廃炉に追い込まれました。完工延期が続く青森県六ヶ所村の再処理工場建設計画とともに、計画全体の見直しが迫られています。しかし、日本政府は、フランスの高速炉計画に参画するとして、プルトニウム利用の延命を図っています。
 元米国の国務次官補を経験し、クリントン政権で北朝鮮の核問題を担当したジョージタウン大学のロバート・ガルーチ教授は、「六ヶ所再処理工場は2割程度の稼働率であっても、年間1.5トンものプルトニウムが生産される。有能な科学者であれば、年間300個の原子爆弾を作れるほどの量になる」と指摘し、再処理工場は、米国の傘の下から脱した場合のリスクヘッジであり、いざとなれば核武装できることを担保するものだとの見方を示しています。この懸念は米国の安全保障関係者に共有されているとも指摘しています。
 原子力の平和利用・核燃料サイクル計画が、日本の「核抑止力」そのものであることは重大な問題です。「脱原発」を確定すること、そのことは「核燃料サイクル計画」の存在理由を排除することです。唯一の戦争被爆国と主張するなら、核兵器廃絶を主張するなら、プルトニウムを放棄して、本当に核を持たない国として、核兵器廃絶に向けて核保有国への働きかけを行っていくべきです。
 日本こそが、米国の核の傘を脱して、平和外交による安全保障の道を追求しなくてはなりません。そのためにも、今後予定される、日米原子力協力協定の改定作業においては、再処理の放棄を検討し、最終的に原発に、核エネルギーに依存しない日本を、構想しなくてはなりません。
 福島第一原発は、未だ高線量の中で収束に向けた努力が行われていますが、溶融した燃料の状況さえ確定できずにいます。一方で、事故処理費用は、当初見込みの倍、21.5兆円にも上ることが明らかになっています。それも現段階での試算でしかありません。
 このような中で、除染作業を進めてきた政府は、年間被ばく量20mSvを下回ったとして、多くの地域で帰還を実質的に強要しています。
被害者・避難者は、時間の経過の中で、様々多様で多岐にわたる問題を抱え、帰還はすすみません。年間被ばく量20mSvは、事故前の基準の20倍であり、山間部や原野は除染できていません。目に見えない放射性物質は、健康への大きな不安となっています。
 福島県は、自主避難者への住宅無償提供を打ち切りました。2万6千人以上と言われる自主避難者は、故郷と避難先の二重の生活によって困窮を極めたり、生業を奪われたり、故郷の住宅の荒廃によって帰還できないなど、様々な困難を抱えています。
  2017年4月4日の記者会見で、今村雅弘復興大臣は「福島原発事故の避難者が復帰を拒否するのは自己責任」「裁判でも何でもやればいいじゃないか」との暴言を吐いています。自らの立場も考えず、福島の事故後の実態も理解せず、避難者の思いを暴言をもって拒否する態度は、責任ある立場の発言とは考えられません。
 この発言の背景には、フクシマを終わりにしよう、無かったものにしよう、そして、「文句言わずに、早く帰還しろ」との、フクシマを切り捨てようとする政府の姿勢があることは確実です。
 2017年3月17日、前橋地裁の原道子裁判長は、福島原発事故で福島県から群馬県に避難した住民など137人が国と東電を相手に損害賠償を求めた訴訟において、「東電は巨大津波実を予見しており、事故は防ぐことができた」として、東電と安全規制を怠った国の賠償責任を認める判決を行いました。

原発事故以降、私たちが主張してきた「ひとり一人に寄り添う政治と社会」を具現化する、新たな国による支援を求めます。私たち原水禁は、そのような福島の実態に則した、ひとり一人の、人間としての復興を求めて運動を続けます。

 「この世界の片隅に」という、戦時下のヒロシマを描いたアニメーション映画が、異例のヒットを記録しました。主人公スズの何気ない日常を描きながら、戦争に翻弄されていく人々の哀感に満ちています。
 片渕須直監督は「当時の『普通の生活』を噛みしめて描いた」と述べています。戦時下であっても、一人ひとりの日常は、片渕監督が「原爆を描いているが、半分はコメディー」と言っているように、笑いあり、涙あり、そしてたまにケンカもあります。日常は、日常として続いていきます。
 しかし、そのような日常にも、戦争はしっかりと根を張っていきます。そして、少しずつ、少しずつ、人々の生活を侵食していくのだと思います。
突然と、突然と、その日常をやぶる原爆、日々の何気ない幸せをも奪い去る原爆、戦争は、その人の何気ない日常を、奪い取っていきます。
 贅沢をすることもなく、ただただ、日々を精一杯生きて行く、誰を貶めることなく、誰を恨むことなく、しかし、誰からも愛されながら、「この世界の片隅で」しっかりと生きて行く、そのような普通の生活すら、認めようとしないのが戦争なのではないでしょうか。
 名も無きひとりの人間として、多くの名も無い人々の尊厳のために、私たちは、戦争に、原爆に、反対していかなくてはなりません
 原水禁運動は、戦争が寸断する「命の尊厳」を、呼び起こす運動であったはずです。そしてこれからもそうであるべきだとおもいます。
平和に向けて、今日から3日間、真摯な討論をお願いして、長崎大会での基調提起といたします。
以  上

2017年08月07日

原水禁世界大会・長崎大会が開会 1100人が参加

 

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  8月7日、長崎市の「長崎ブリックホール」で「被爆72周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」の開会総会が開かれました。台風の影響で一部の県は開会に間に合わなかったものの、全国から1100人が参加しました。
 オープニングは、現役の医者による音楽ユニット「インスハート」が登場。医療で身体を治すだけでなく、音楽を通して心まで癒したいとの思いで活動を続けており、ステージでは原爆で子どもを亡くした母の思いをうたった「おばあちゃんののこしもの」を熱唱。参加者の感動を呼びました。
 続いて、7月に長崎県内を一周した「第33回反核平和の火リレー」の参加者が登壇し、これからも活動を続ける決意を語りました。
 黙とうに続いて、主催者あいさつに立った川野浩一・大会実行委員長(原水禁代表)は、自らが体験した長崎での被爆について「あの地獄のような光景が目に焼き付いている。原爆は、人間が人間として生きることも死ぬこともできなくするものだ」とその悲惨さを語り、「7月7日に国連で可決された核兵器禁止条約に日本は反対しているが、被爆者を、そして国民を見捨てる行為だ」と安倍政権を厳しく糾弾。「東北アジアの非核地帯化など、核なき世界の先頭に立とう」と呼びかけました。

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 大会への海外ゲストを代表し、台湾大学教授で、台湾環境連合で脱原発運動を進めている徐光蓉(シュウ・グァンロン)さんが「核兵器と原発の根本は同じものであり、どちらも絶対悪だ。これ以上、放射性物質が地球上に溜まれば環境や子孫に悪影響を与える」として、2025年に原発ゼロをめざす台湾の動きを報告しました。
 大会基調の提案を藤本泰成・大会事務局長が行い、核兵器廃絶、脱原発、ヒバクシャの援護と権利拡大への取り組みを提起し、「名もない人々の日常が持つ豊かさを守るために、命の尊厳を大事にする運動を続けていこう」と訴えました。基調提案はこちら
 福島原発事故について、福島県平和フォーラムの村上伸一郎副代表が報告し、3月から一部地域を除いて、帰還が強制され、仮設住宅からの立ち退き、住宅支援の打ち切りなどの政府の対応を批判し、「国や県は責任をもって生活再建を支援するべきだ」と語りました。

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 「長崎からのメッセージ」として、田上富久・長崎市長が登壇し、日本非核宣言自治体協議会の会長として「核兵器禁止条約ができた源流に被爆者の声があり、それが集まって国連で大きな流れとなった」と述べ、「条約を社会の規範とするために市民が声をあげ続けていくことが必要」と強調しました(写真上左)。
  さらに、「核兵器禁止条約」の国連での討議を傍聴した川副忠子さんが、戦争に突入する前からの日本の動きや、原爆投下、敗戦後の平和を求める運動や被爆者の活動などについて、写真等を用いて説明しました。
 また、原爆の被害者が当時の旧長崎市内に限られ、近隣の自治体に住む人たちが被爆者認定されなかった問題について、「被爆体験者訴訟原告団」の岩永千代子さんと松尾榮千子さんが証言。被爆直後の爆風の中を逃げ回り、その後、友達を白血病で亡くし、自らもがんと闘っていることを語り、訴訟を通じ、国や県、市が一刻も早く認定するよう求めていくと述べました(写真上右)。
 メッセージの最後は高校生からで、20年前から続けられている「高校生平和大使」の活動について、昨年の第19代大使から活動報告を受けた後、今年の20代大使に選ばれた15都道府県の22人が一人一人抱負を述べました(写真下)。また、2001年から長崎で始まった「高校生1万人署名運動」も全国に拡大し、これまでに140万人以上の署名を国連に届けたことが報告され、全員で活動のテーマソングを歌って運動の継続を誓っていました。

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 最後に「原爆を許すまじ」を斉唱し、開会総会を終了しました。8日には長崎市内を中心に分科会やひろば、フィールドワークなどが行われ、9日に閉会総会と非核平和行進を行なわれます。
 

2017年08月06日

被爆72周年原水爆禁止世界大会広島大会まとめ

被爆72周年原水爆禁止世界大会広島大会まとめ

被爆72周年原水爆禁止世界大会実行委員会
原水爆禁止日本国民会議
事務局長 藤本泰成

核禁止条約に対する日本政府の態度が問題になっています。第2分科会の湯浅一郎ピースデポ副代表は、オバマ政権の8年間を総括しながら、「核なき世界」をめざす米国では、核兵器への巨額投資が続き、核戦力の近代化が続いた、今後10年間で核の近代化に800億ドル、運搬手段の近代化に1000億ドル、全体で1800億ドル、約18兆円が支出されることになったと指摘しています。オバマ大統領がプラハ演説で述べた「この目標は、私の存命中には実現しないかもしれない」と言う言葉は、米国社会に染みついた核依存態勢を象徴し、このことを変えるのは至難の業との思いの表れでは無いでしょうか。

第1分科会で発表した、米国の平和NGOピースアクションのポール・マーチン代表は、米国で様々な問題を起こしているトランプ新大統領が、守っている唯一の公約は、軍事中心主義と軍事費の増額であると述べました。貧困層対策のプログラムの予算を削減し、軍事費を大幅に増額している事実を指摘しています。トランプ政権は、核の近代化政策においても、オバマ政権の方向性を支持しています。ただし一方で、イランとの間の核開発放棄の合意と北朝鮮の金正恩政権との対話の姿勢は保ち続けるとしています。

北朝鮮は、核実験を繰り返し、ICBM・大陸間弾道弾の実験に成功し、米国内の全てを射程に入れたと主張しています。米国の核兵器とは規模も違いますが、核のにらみ合いとも言える状況が続いています。北朝鮮を対象とした、米韓軍事演習は規模を拡大し、日本を含む日・米・韓の軍事同盟強化はこれまで以上に進んでいます。米艦防護や後方支援など米国との軍事同盟を強化するために、安全保障関連法が成立しました。

第1分科会で、軍事評論家の前田哲男さんが、43の民放70の新聞を使い、3億円以上をかけたと言われる「弾道ミサイル落下時の行動について」という政府公報を紹介しています。「できる限り頑丈な建物や地下街などに避難する」「物陰に身を隠すか、地面に伏せて頭を守る」「窓から離れるか、窓の内部屋に移動する」と書かれていますが、前田さんは、原爆投下の直後に大本営の「防空総本部」が出した新型爆弾に対する「対策心得」に書かれている「待避壕はきわめて有効、頑丈なところに隠れること」「普通の軍服や防空ずきんおよび手袋でやけどから保護できる」「伏せるか 物陰に隠れる」と比較し、全く変わらないとして、政治が言う安全保障のキャンペーンが、いかにむなしく、いかに危険かと述べています。

小野寺五典防衛大臣は、自民党の「弾道ミサイル防衛に関する検討チーム」の座長を務め、「敵基地反撃能力」が必要として、2017年3月30日に「弾道ミサイル防衛の迅速かつ抜本的な強化に関する提言」を総理に提出しています。安部首相は、すでに日本の自衛隊の役割を「抑止力」から「対処力」へと変貌させようとして、安全保障の議論を進めています。前田さんは、高高度ミサイル防衛システム(サード)や巡航ミサイルトマホークの導入などを通じた「敵基地反撃(攻撃)能力」の確保に議論が進み、安全保障政策は「憲法解釈上の議論」のレベルではなく、実際的な「防衛上の政策論」まで進んでいると警鐘をならしています。

「日本が『核の傘』依存をやめること」これが、東北アジアの冷戦構造と安全保障のジレンマを解消することにつながっていく。東北アジアの非核化の問題を、第2分科会で議論していただきました。第3分科会では、核兵器の材料であるプルトニウムを創りだす核燃料サイクルの議論がありました。原子力資料情報室の伴さんからは、「再処理は崖っぷち」との報告がありました。サイクルの一翼を担う高速増殖炉もんじゅは、廃炉になっています。計画通りの実施が困難となった今こそ、核燃料サイクル計画からの脱却を実現しなくてはなりません。そのことこそが、東北アジアの平和のために、東北アジアの非核化そして共通の安全保障の道へつながっていくのです。原水禁運動が、この間主張してきた東北アジア非核地帯構想とその実現のための、日本を、プルトニウム利用政策から脱却させるためにがんばらねばなりません。

事故を起こした福島第一原発は、6年を経過してもなお、事故処理の作業が全く進んでいません。政府は、除染によって避難指示区域の解除を進め、帰還を強要するかのように、これまでの支援の打ち切りを進めています。ヒロシマ・ナガサキの被爆者がそうであったように、フクシマのヒバクシャの生活再建にも、支援の手を自ら伸ばすことはありません。これまでの原水禁運動の経験に学び、福島県民と周辺県で放射能汚染を強いられた人々の健康不安、特に子どもの健康にしっかりと向き合い、生活再建・生業再建を目途に、「被爆者援護法」に準じた法整備を、国に求めていかなくてはなりません。

このような中で、「脱原発」は確実に市民社会に根付いています。市民社会の声が、原発推進に戻ることはあり得ません。第4分科会では、環境エネルギー政策研究所の飯田哲也所長が、「世界は再生可能エネルギー時代を迎えつつある」として、再生可能エネルギーが指数・関数的に増加していることを明らかにしました。原発384GW、風力490GW、太陽光300GW、原発は漸減しているが太陽光発電は昨年1年で76GW増加していることを考えると、太陽光発電が原子力を上回るのは時間の問題です。当初、1Wあたり1万円もしていた、太陽光の発電コストは、今や1Wあたり40円となっています。地域分散型の再生可能エネルギーが、新たな地域再生の大きな力になり、日本のエネルギーを支えることを、私たちは、私たちの選択として実現しなくてはなりません。エネルギー・デモクラシーの時代を、私たち自身で切り拓かなくてはなりません。

今年の国際会議は、「なぜ日本で脱原発は進まないのか」と言うテーマで、開催をしました。2025年までに脱原発を決めた「台湾」から、また、ムン・ジェイン新大統領が脱原発を志向し国民的議論に入ろうとする韓国からゲストをお招きしました。
原水禁運動は、1955年のその発足から、核兵器問題と原発問題に、運動の両輪としてとりくんできました。様々な確執があったにせよ、私たちは、「核絶対否定」「核と人類は共存できない」ことを基本に運動を進めてきました。自民党政権は、1957年5月7日の参議院予算委員会で岸信介首相(当時)が「憲法は、核兵器保有を否定していない」と発言したり、また、2016年4月1日には、安倍政権が「必要最小限度の核兵器は合憲」の閣議決定をするなど、核兵器保有を否定しないできました。

日本は、エネルギー基本計画に、使用済み核燃料を再処理し、プルトニウムを利用する核燃料サイクル計画を位置づけています。結果として47トンものプルトニウムを所持しています。日本は、常に瞬時に核兵器保有国に変貌できることを、再処理で担保しています。原水禁は、商業利用の名を利用した核政策としてのプルトニウム利用に反対してきました。脱原発が確定すると、結果として核燃料サイクル計画、再処理がその意味を失います。それは、日本が真の意味で核政策を転換するために、大きな意味を持ちます。核兵器禁止条約が採択された今、日本の条約批准が求められていますが、そのためには日本の核政策の転換を図らなくてはなりません。原水禁は、脱原発の視点から、日本の核政策の転換を考えようとしました。そして、フクシマを二度と繰り返さないことの、人権としての当然のとりくみとして、脱原発を考えました。

パネラーのひとり、吉岡斉九州大学教授は、「日本の原発は動いていない。稼働可能な原発の内、現在稼働中は、5基、2017年中に稼働するとしている玄海原発を入れて7基である。2020年においても稼働できるのは15基から20基程度ではないか」とし、脱原発の実現に向けては、地方自治体からも、新潟の米山知事、静岡の川田知事など、再稼働を許さない動きが出てきている。今後、重要になるのは政治家の姿勢であると指摘しました。旧民主党政権が、「2030年代、原発ゼロ」の方向性を示したことも大きな動きだったとして、国会における多数派形成は、最重要課題としています。

シュウ・グァンロン台湾大学教授は、台湾の脱原発が法律に規定されていることを報告されましたが、しかし、政治家を動かすには運動の力も重要であると指摘しています。イ・ユジン韓国緑の党脱核特別委員会委員長は、「これまで、韓国には原発推進の関係法律は存在するが、原発を止める方向での法律は存在していない。このことは重要な課題だ。現在野党が多数派を形成しており、野党の議員の理解を求めることも重要である」としました。
オーストリアは、脱原発と核兵器不保持が、憲法に規定されていると聞きました。政権が変わっても重要な政策が変更されないようにすることが目的とされています。
原水禁運動のとりくみを通じて、脱原発の方向を確固たるものにするために、私たちのとりくみの方向は明らかになっています。

少し話を変えたいと思います。私は、北海道の本当の田舎町で育ちました。昼は蝉の声が、夜は蛙の声で眠れないことがあるほどの、自然の中で育ちました。夏は野山を走り回り、冬は雪の中を転げ回りました。

北海道の冬の夜は、冷えます。深々と音もなく雪は、静かに降り積もります。子どもの頃、覚えた詩が頭に浮かびます。三好達治のたった2行の有名な詩です。

太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。

詰めたい布団に入って、最初はじっと我慢しながら、ちょっとした不安の中で眠ってしまう。朝起きた後の、朝日の中の雪のキラキした輝きが、今でも目に浮かびます。
自然の中で、泥だらけになって、雪まみれになって、育ってゆく。日本の故郷の子どもたちの姿です。

福島第一原発の事故以降、フクシマの野山はどうでしょうか。フクシマの雪の中を、転げ回ることができるのでしょうか。

フランスの文学賞を受賞した、福島市在住の詩人、和合亮一さんの詩をツイッター上で読ませていただきました。

「石の礫」と言う作品ですが、長文ですので、その中の「悲しみ」と題された部分を、抜粋させていただきながら、一部を紹介します。

三月十一日 悲しい 揺れ 巨大な 揺れ あれから
私の町の駅はまだ目覚めない。囲われて、閉じられて、消されている。

あなたにとって、懐かしい街がありますか。私には懐かしい街があります。
その街はなくなってしまいました。

あなたは地図を見ていますか。私は地図を見ています。その地図は正しいですか。私の地図は、昔の地図です。なぜなら今は、人影がない。…。

放射能が降っています。静かな夜です。

ここまで私たちを痛めつける意味はあるのでしょうか。

ものみな全ての事象における意味などは、それらの事後に生ずるものなのでしょう。ならば「事後」そのものの意味とは、何か。そこに意味あるものは。

この震災は何を私たちに教えたいのか。教えたいものなぞ無いなら、なおさら何を信じればいいのか。

放射能が降っています。静かな静かな夜です。

私は、自然の中で、のびのびと育ってきたことが、私にとってかけがえのない素晴らしい贈り物であったように思います。

放射能が降っている。静かな静かな夜です。皆さん想像してみて下さい。

雪は見えます、が、放射能は見えません。雪の中を子どもたちは転げ回ります、が、放射能の中を転げ回ることはできません。雪を口にする子どもたちがいます、が、放射能を食べることはできません。

私たちが、子どもたちに残し、受け継いでいくはずの自然を、放射能は奪い取っていったのです。

基調提起で申し上げました、憲法には、健康で文化的な生活を営む権利、人間らしい生活を営む権利が、しっかりと決められています。フクシマは、憲法違反です。

放射能が降っています。静かな静かな夜です。

そんなところに、人間らしい生活があるはずはありません

この詩は最後を、こう結んでいます。

2時46分に止まってしまった私の時計に、時間を与えようと思う。明けない夜は無い。

さあ、私たちは、明日のために何をしますか。昨日、今日の議論から、私たちは何をしますか。
私たちの生活の場から、答を出そうではありませんか。
それは難しくありません。

最後に、実行委員会の皆さん、参加いただいた講師の皆さん、海外ゲストの皆さん、そして全国からの参加者の皆さんに、心から感謝を申し上げて、まとめといたします。

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