3月, 2021 | 平和フォーラム

2021年03月31日

日本は制裁ありきの北朝鮮政策を転換せよ

2021年3月末、政府は、4月13日に期限が切れる北朝鮮に対する独自制裁を2年延長する方針を固め、近く閣議決定を行なうとみられる。菅義偉首相が、自ら最重要課題の1つに掲げる拉致問題を前進させるために「金正恩委員長と条件を付けずに直接向き合う決意」[注1]を示しているにも関わらずである。果たして、北朝鮮に対する制裁を継続し、圧力をかけ続けることが、金正恩との首脳会談につながるのであろうか。
北朝鮮との対話を再開し、日朝間に横たわる数々の課題に取り組むためには、まず、日本政府がこれまでとり続けてきた制裁ありきの北朝鮮敵視政策を見直すべきである。あからさまな敵視政策を継続する姿勢では実りある交渉のきっかけはつかめない。対話再開のきっかけとして、日本が北朝鮮に科してきた独自の経済制裁の段階的解除を検討するべきではないか。独自制裁の一部解除が敵視政策転換のシグナルとして対話の道を開くかもしれない。そのような問題意識から、本稿では日本の北朝鮮への独自制裁の推移を整理し、制裁解除の可能性について考える。

日本の北朝鮮制裁の特異性
日本政府は北朝鮮に対する独自制裁を念頭において2004年に経済制裁関連法を成立させた。そうした背景からか、日本の北朝鮮に対する独自制裁には以下のような特徴がある。
第一に、制裁を科す際に拉致問題に言及している点である。日本の独自制裁は2006年7月に始まるが、その最初のものを除いて、必ず「拉致、核、ミサイル」に言及している。制裁のすべては、北朝鮮が行った核実験やミサイル発射という安全保障上の行為に対して行われているにもかかわらず、筋違いともいえる拉致への言及がある。
第二に、日本の独自制裁は、個別の制裁理由となる行為への対応の側面よりも、北朝鮮という国家あるいは国家体制への強い反発、あるいは敵視の表現形態という側面が強い。国連安保理による制裁は、核・ミサイル計画関連の活動やそれを推進する北朝鮮指導部にターゲットを絞った制裁から出発をして、2016年までは北朝鮮の一般民衆への影響を最小限にとどめるよう慎重に発動されていった。ところが、日本の制裁は早い時期から北朝鮮の一般の人々の生活に大きな影響が及びかねない貿易規制に踏み込んだ。こうした容赦のない日本の姿勢は、国連安保理の姿勢とは異質のもので、北朝鮮敵視政策を反映したものといえるだろう。
以下では、こうした特徴を持った日本の独自制裁の具体的な推移を概観する。

日本の北朝鮮制裁の推移
(1)核実験・ミサイル発射を契機とする制裁(2006年7月~2014年7月)
日本政府による最初の独自制裁は、小泉純一郎政権下で行われた。2006年7月5日、北朝鮮による7発のミサイルが発射されたその日に、日本政府は独自に北朝鮮に対して輸送規制措置(万景峰(マンギョンボン)92号の入港禁止、北朝鮮からの航空チャーター便の日本乗り入れ禁止)および人的往来規制措置(北朝鮮当局職員の入国原則禁止、北朝鮮籍船舶の乗員の上陸原則禁止、在日北朝鮮当局職員が北朝鮮に渡航した場合の再入国原則禁止、日本の国家公務員の北朝鮮への渡航原則禁止、日本から北朝鮮への渡航の自粛要請)を発動した[注2]。一方、国連安保理はその10日後(7月15日)に制裁措置(安保理決議1695)を採択した。その内容は核兵器などの大量破壊兵器と弾道ミサイルの開発に関与した北朝鮮の15団体・1個人の資産を凍結するという内容であった[注3]。これは焦点を絞った限定的な制裁と言える。

2006年10月9日、北朝鮮は初の核実験を実施した。これ対して10月11日、当時の第一次安倍政権は「我が国安全保障に対する脅威が倍加」し「北朝鮮が拉致問題に対しても何ら誠意ある対応を見せていない」ことなどを理由に北朝鮮に対して強硬な措置をとることを決定した。具体的には、輸送規制(入港禁止の対象を北朝鮮籍の全船舶に拡大)、人的往来規制(入国原則禁止の対象をすべての北朝鮮籍の者に拡大)、貿易規制(北朝鮮からの輸入を人道目的の場合を除いて全面的に禁止)をそれぞれ強化した(10月13日閣議決定)。ただ、輸出に関しては10月14日に採択された安保理決議の実施にとどまった[注4]。
この時点で日本政府はいきなり北朝鮮民衆の生活に影響が及びかねない全船舶の入港禁止および輸入全面禁止という容赦のない措置をとった。
一方で、10月14日に成立した国連安保理決議1718は、武器・大量破壊兵器等の関連物資および贅沢品の北朝鮮への輸出を禁じるのみであった[注5]。この時点における国連制裁は、北朝鮮指導部と核・ミサイル開発に関わったとみなされる個人と組織をターゲットとしたもので、北朝鮮民衆に多大な影響が及びかねない貿易規制は回避した。こうした国連制裁の傾向は2016年1月6日に北朝鮮が4度目の核実験を実施する前まで継続する。日本政府はその10年近くも前から北朝鮮民衆の生活に大きな影響を与えかねない輸入全面禁止措置をとってきたのである。

2009年5月25日、北朝鮮は2度目の核実験を実施した。それに対して国連安保理は6月12日に決議1874を採択し、加盟国に北朝鮮の大量破壊兵器と弾道ミサイルに関する計画や活動に寄与し得る資産の移転防止と、そうした活動に関わる専門教育・訓練の防止を義務付けた。この時点でも、国連制裁は核・ミサイル開発に関わる活動の規制を目的としたものにすぎなかった。ところが、6月16日、麻生政権下の日本はさらなる制裁を発表し、北朝鮮向けの輸出を全面的に禁止(人道目的を除く)するとともに、制裁の対象を外国人にまで拡大した(北朝鮮制裁に違反した外国人船員の日本入国を禁止し、制裁措置に違反した在日外国人が北朝鮮に渡航した場合の日本再入国を不許可とした)[注6]。
日本はこの2009年6月の時点で、核・ミサイル開発とは直接に関係のない民生品を含めた輸出入を北朝鮮との間で全面的に禁止するという国連制裁を大幅に超えた措置をとったことになる。

(2)日朝ストックホルム合意と制裁緩和(2014年7月~2016年2月)
2011年12月、北朝鮮では指導者が金正日から金正恩に交代し、2012年12月、日本では第2次安倍内閣が誕生した。
そうした中で2014年5月29日、日本と北朝鮮は拉致問題を話し合うためにストックホルムで会合を開いた。その会合で、北朝鮮は拉致被害者や行方不明者の調査を約束し、その調査を開始する時点で日本側が独自制裁を一部解除することで合意した[注7]。この合意に基づいて、7月4日、日本は独自制裁を緩和した。
この時に日本が解除した制裁は、北朝鮮経済に大きな好影響を及ぼすものではなかったが、在日朝鮮人との関係においては少なからぬ意味があった。具体的には、人的往来規制の緩和(北朝鮮籍者の入国の原則禁止の解除、在日の北朝鮮当局職員が北朝鮮に渡航した場合の再入国原則禁止措置の解除、日本人に対する北朝鮮への渡航自粛要請措置等の解除)、金融規制の緩和(日本から北朝鮮に自由に持参できる金額の上限を10万円から100万円に、北朝鮮に住所を有する者に対して許可なく支払いができる上限を300万円から3000万円に引き上げ)、輸送規制の緩和(人道目的の場合は北朝鮮船舶の日本入港を許可)を行った[注8]。しかし、北朝鮮との輸出入の全面禁止および北朝鮮船舶の全面入港禁止(人道目的の場合を除く)は依然として維持されたままであった。
ストックホルム合意における制裁緩和は、日本の独自制裁が、いずれも核・ミサイル開発に関して科せられたにも関わらず、拉致問題に関連して緩和が行われた。日本政府とっては、前述のように北朝鮮への制裁は国家体制への敵視の表現であり、核・ミサイルと拉致との間に境界がないことを示している。

(3)制裁の再強化(2016年2月~現在)
ストックホルム合意による拉致問題の解決に進展がないまま、約1年半後の2016年1月6日、北朝鮮は4度目の核実験を実施し、2月7日にはミサイル発射実験を行った。それに対して安倍政権下の日本は2月10日「我が国は、拉致、核、ミサイルといった諸懸案を包括的に解決するために何が最も有効な手段かという観点から真剣に検討してきた結果、以下の独自措置を実施する」と表明し[注9]、国連安保理による制裁決議2270の採択(3月2日)を待たずに北朝鮮に制裁を加えた。
その内容は、おおむねストックホルム合意で緩和したものを復活させたもので、それにプラスして北朝鮮を渡航先とした場合の再入国不許可対象に在日外国人の核・ミサイル技術者を加え、入港禁止対象を北朝鮮に寄港した第三国籍船に拡大し、資産凍結対象に1団体、10個人を追加した[注10]。
一方、国連安保理もこの時期を境に制裁内容を大きく拡大し始める。安保理決議2270(2016年)には、北朝鮮指導部や軍事活動を主なターゲットとした制裁(法律に違反した北朝鮮外交官の国外追放、すべての武器・関連物資の北朝鮮への輸出禁止、航空燃料の原則輸出禁止)に加えて、北朝鮮経済に打撃を与えることを意図した制裁(金、チタン鉱石、バナジウム鉱石、レアアースの北朝鮮からの輸入禁止、石炭、鉄、鉄鉱石の輸入規制、北朝鮮に出入りするすべての貨物検査、その他の金融規制)が含まれた[注11]。
国連が一般民衆への多大な悪影響が出かねないこの種の制裁を北朝鮮に加えたのはこの時が初めてであった。一方日本は、すでに述べた通り、2006年よりこの種の制裁を開始し、2009年の時点で北朝鮮との貿易を全面的に禁止していたため、この時点では貿易面でこれ以上制裁を強化する余地は残されていなかった。

2016年9月9日、北朝鮮は5度目の核実験を行った。それを受けて11月30日、国連安保理は決議2321(2016年)を採択し、主に北朝鮮経済へのダメージを狙った制裁(銅、ニッケル、亜鉛、銀の北朝鮮からの輸入禁止、北朝鮮産石炭の輸出上限の設定、北朝鮮の船の登録抹消、北朝鮮外交使節の金融機関口座の制限など)を決議した。それに対して日本は貿易面での制裁強化の余地は残されていなかったため、それ以外の手段でさらなる独自制裁を発動した(12月2日)。具体的には、人的往来規制(北朝鮮を渡航先とした場合の再入国不許可対象者を拡大)、輸送規制(北朝鮮に寄港した全ての船舶の入港禁止)、金融規制(資産凍結対象に6団体、9個人を追加)をそれぞれ強化した。これらは国連安保理が決議した内容を超えた制裁である。
2017年9月3日に北朝鮮が6度目の核実験を行い、11月29日に大陸間弾道ミサイル(ICBM)を発射した際、制裁の厳しさが史上最強と言われる国連安保理決議2397(2017年)を採択した(12月22日)。このとき日本がなしえたのは資産凍結や入港禁止船舶の対象を拡大することくらいであった。日本の北朝鮮に対する独自制裁は2017年12月15日に資産凍結の対象を北朝鮮に本社を置く19団体に拡大したのが最後となっている[注12]。

日本の独自制裁の代表例
以上に述べたように、現在、日本が北朝鮮に科している国連制裁を超えた独自制裁の代表的なものには以下のようなものがある。

・在日朝鮮人で北朝鮮当局の職員と見なされる者などは渡航すると再入国できない。また、北朝鮮の国民は原則的に日本に入国できない。
・国連が輸入制裁対象としていない、北朝鮮の特産品であるマツタケ、電子部品、電力用ケーブルといった品目など、人道目的以外のすべての物品の輸入が禁じられている。
・国連が輸出制裁対象としていない、北朝鮮の民生活動に必要な民生トラック、バス、冷蔵庫、クーラーといった品目など、人道目的以外のすべての物品の輸出が禁じられている。
・北朝鮮への渡航が許されても、10万円以上の金額を自由に持ち込むことができない。
・在日朝鮮人が北朝鮮に住む親族や友人に送金するなど国連制裁と無関係の送金も、すべて禁止されている。
・国連は59隻の船舶を特定して入港禁止しているが、日本は人道目的を含むすべての北朝鮮籍のみならず、北朝鮮に寄港した船舶すべての入港を禁止している。

これらは北朝鮮の経済や在日朝鮮人の生活に多大な悪影響を生み出しているであろう。これらを解除することは、国連安保理決議の不履行とはならず、日本が独自の判断で解除することが可能である。

敵視政策からの転換を示す第一歩
上述のように、日本は国連制裁に先んじて北朝鮮に容赦ない独自制裁を科し続けてきた。しかし、核、ミサイル、拉致のいずれに関しても、制裁が効果をうんでおらず、日朝関係が行き詰まりを見せていることは誰しも認めざるを得ないところであろう。こうした行き詰まりを打開するには、日本政府が、制裁ありきの敵視政策を見直し、対話と交流による信頼醸成のアプローチに転換することが必要である。そのためには、昨年の自然災害とCOVID-19によって大きな困難に直面している北朝鮮への人道支援を趣旨とした独自制裁の解除をまず検討すべきであろう。それによって、人と物の交流を再開することがすべての前提となる第一歩となる。それは敵視政策からの転換を北朝鮮に示す最初のシグナルとなる。例えば、日本政府が2014年7月4日に一度解除した独自制裁措置を再び自発的に解除をするのも一案であろう。こうした措置は安保理決議に抵触しないうえ、かつ一度経験した解除措置であるためである。日本政府は、韓国はもちろんのこと、米国や欧州連合にも事前の説明をしたうえで、これらの制裁解除を検討し段階的な実施を目指すべきである。それが日朝関係の行き詰まりを打開する第一歩となるはずである。(渡辺洋介)

注1. 第204回国会政府答弁書
https://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/204/touh/t204001.htm
注2 衆議院調査局北朝鮮による拉致問題等に関する特別調査室『北朝鮮による拉致問題等に関する参考資料集』2020年、p.198。
注3 同特別調査室『北朝鮮による拉致問題等に関する基礎資料』2018年、p.94。
注4 注2と同じ、p.203。
注5 注5と同じ、p.93、p.100。
注6 注3と同じ、p.94、p.101。
注7 外務省「日朝政府間協議(概要)合意事項」
https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000044432.pdf
注8 注2と同じ、p.228。
注9 注2と同じ、p.231。
注10 注2と同じ、pp.231-233。
注11 注3と同じ、pp.93-99。
注12 注3と同じ、pp.92-94、p.102。および、同書2020年版、pp. 108-109。

2021年03月26日

財産権や表現の自由など私権や基本的人権を侵害しかねない「重要土地等調査法案」に反対する

菅政権は3月26日、原子力発電所や基地など「安全保障に関連した重要施設」の周辺土地利用を規制する法案を閣議決定しました。法案は、日本国憲法第29条で保障された財産権を侵害しかねない内容となっているばかりでなく、個人情報の過度な調査によって、基本的人権そのものを侵害しかねない内容となっており、問題です。平和フォーラムとして以下のような見解を表明します。

 

「重要土地等調査法案」に反対する平和フォーラム見解

フォーラム平和・人権・環境
事務局長 竹内 広人

 3月26日、政府は「重要土地等調査法案(重要施設周辺及び国境離島等における土地等の利用状況の調査及び利用の規制等に関する法律案)」を閣議決定した。法案は、原子力発電所や基地などの「重要施設」の周辺区域の土地が「機能を阻害する行為の用に供される」ことを防止するために制定するとされており、適用区域として「注視区域」と「特別注視区域」が設定される。

「注視区域」と「特別注視区域」については、政府に利用実態の調査権限が付与され、調査結果をふまえて、対象施設の機能を阻害する行為に利用される恐れがあると判断された時には、政府は中止勧告・命令ができる。またこれに加え、「特別注視区域」では、一定面積以上の土地売買に、利用目的の事前届け出が義務付けられる。従わない際は2年以下の懲役か200万円以下の罰金が科され、虚偽申請にも罰則が設けられる。

また、法案では、具体的な規制区域や必要とされる個人情報の提供などについて、政令や告示で個別指定されることとなっており、恣意的に運用される危険性をはらんでいる。特に、「特別注視区域」に指定された区域では、「事前届出」の際に、政令で調査項目が歯止めなく拡大することが懸念される。基地や原発周辺1㎞の規制範囲に居住する市民や平和団体事務所等の所有者について、政府が職歴や戸籍などと照合して、思想・信条に立ち入る恐れがある。

以上の通り、この法案は、日本国憲法第29条で保障された財産権を侵害しかねない内容となっているばかりでなく、個人情報の過度な調査によって、基本的人権そのものを侵害しかねない内容となっており、問題である。私権制限は最小限であるべきで、安全保障をことさら持ち出し、国民の権利に過度な制約をかけるべきではない。

今後、国会において、「重要土地等調査法案」の審議が行われることとなる。平和フォーラムは、本法案に反対し、立憲野党と連携しながら、廃案を求めてとりくみを進めていく。

2021年3月26日

2021年03月24日

日本のたまごは安全か?~アニマルウェルフェアから考える~

 
 日本は世界でも有数のたまご消費国。1 日ほぼ1個、食べています。そんな身近なたまごですが、いま鶏の飼育方法の問題点が指摘され始めています。ワイヤー製の金網をいく段にも連ねて、その中に鶏を押し込めて飼育する「バタリーケージ」です。欧米では平飼いに切り替える動きが広がっていますが、日本ではいまだに約9割がバタリーケージを使用しています。狭いケージ飼いで鶏の健康が損なわれ薬剤が多用される結果、人の健康も脅かしています。具体的にどのような問題があるのか、アニマルウェルフェアの観点から専門家にお話しいただきます。また、昨年末に明らかになった鶏卵生産会社と農水大臣の“癒着”問題でにわかに注目を集めた「国際獣疫事務局(OIE)連絡協議会」でのアニマルウェルフェアをめぐるやり取りの実態について、同協議会メンバーから話を聞きます。日本のたまごは安全なのか、一緒に考えてみませんか?

日時: 4 月 17 日(土)13:30~15:30
会場:連合会館 2階 201会議室
内容:「世界で進むアニマルウェルフェア革命」
講師=岡田千尋さん(アニマルライツセンター代表)
   「なぜアニマルウェルフェアで農水大臣わいろ問題が起きたのか?」
講師=天笠啓祐さん(科学ジャーナリスト、OIE連絡協議会メンバー)
参加費:1,000円(会員500円)
主催:食の安全・監視市民委員会(平和フォーラムも参加)

チラシはこちら

2021年03月02日

総がかり行動実行委がミャンマー軍事クーデターに抗議し声明

民主主義を護れ!ミャンマー軍事クーデターに抗議する(声明)

ミャンマーの国会にあたる連邦議会が開催される予定だった2月1日、国軍部隊によって、ミャンマーの最高指導者アウンサンスーチー国家顧問、ウィミン大統領など国民民主連盟(NLD)の幹部ら多数の関係者が拘束されました。直後、国軍は非常事態宣言を発令し、最高司令官のミン・アウン・フライン将軍が権力を掌握しました。
アウンサンスーチー国家顧問は、約15年にもおよぶ軍事政権による自宅軟禁生活から2010年に解放されると、2015年の総選挙で率いるNLDが圧倒的勝利を得て、政権を獲得しました。2020年11月の総選挙においても、NLDは圧勝しました。このような国民の選択と民主的手続きによって成立した政権を、軍事クーデターという暴力によって倒す暴挙を、私たちは決して許すことができません。
クーデター直後から、ミャンマー国民は「我々は決して軍靴の下にひざまづかない」として、大規模デモや公務員を含む幅広い職種における軍事政権の統治機能を無力化しようとの「不服従運動」を展開しています。これに対して、軍事政権は暴力による弾圧を加え、2月末現在で発砲による犠牲者は少なくとも9人、負傷者も多数に上り多くの国民が拘束される事態となっています。しかし、国民の抵抗が止む兆しはありません。
NLD政権下で任命されたチョー・モー・トゥン国連大使は、2月26日国連総会で演説し、抵抗を続ける考えを明らかにし「ミャンマー軍に対して行動を起こすために、あらゆる手段を使うべきだ」と国際社会に訴えました。国連のグテレス事務総長は「クーデターが失敗に終わるよう全力を尽くす」と述べています。米国のバイデン大統領は「市民の抗議拡大に伴い、平和的権利を行使している人たちへの暴力は容認できない」として軍政関係者への制裁措置を科すとしました。欧州連合(EU)も同様の措置を表明しています。
日本国内においても、在日ミャンマー人らが軍事政権に反対し国際社会の助力を求めて集会を開催しています。私たち「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」は、日本政府に対して、暴力を手段として民主主義による国民の選択を踏みにじるミャンマー軍事政権を許さず、米国やEU諸国などの国際社会と足並みをそろえて行動するよう求めます。
近年、中国やロシアなどの大国において、ベラルーシやアラブの春から10年を経たエジプトなどにおいて、政権による民主主義勢力への弾圧が顕在化しています。日本国内においても、反対する沖縄県民の声を無視し新基地建設を強行するような権力の横暴が目立っています。民主主義は、多くの人々が自らの血を流しながら獲得してきた人類の財産といえるものであり、その脆弱な立場をふまえた私たちの不断の努力を求めています。私たちは、日本国憲法13条「個人の尊重」を基本に、民主主義を護るために闘っている世界の多くの人々と連帯して、全力でとりくんでいくことを改めて決意するものです。

2021年3月1日
戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会

2021年03月01日

五輪憲章を理解しないIOC 東京五輪中止の決断を!

WE INSIST!

東京五輪は、1年延期となったが、しかし、その原因である新型コロナウイルス感染症の拡大は、全世界で止まらない。止まらない中で、IOCおよび東京五輪パラリンピック組織委員会(森喜朗会長)はともにオリンピックは延期されないとしている。市民感覚とは大きなずれがあるのではないか。そう思わざるを得ない。森喜朗会長の「どんなことがあっても五輪をやります」などの言葉に、ロンブーの田村淳さんが「強引に五輪をやって、誰が幸せになるのだろう」と述べて、犬山市観光大使として走るはずの聖火リレーを辞退したと報じられた。オリンピック開催に反対する声は少なくない。近年、巨大化したIOCは、モンスター企業化してはいないか。そのために、オリンピックの意義を忘れてはいないか。東京パラ五輪陸上代表の伊藤智也選手は「人命の犠牲の上に行われるのであれば、やるべきではない」と述べている。東京五輪バトミントン代表の奥原希望選手は「五輪開催には、スポーツを心から楽しめる状況が欠かせない」「五輪がほかの大会と違うのは、『平和の祭典』であり、文化や言葉の違いを超え、世界が一つになれる場所ということ。新型コロナで苦しんでいる人や、参加できない国があるなか開催するのは違うのかな、と思います」と述べている。

オリンピック憲章は、オリンピズムの根本原則において、その目的を「人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進をめざすために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てることである」としている。人間の尊厳の保持に重きを置くならば、コロナ禍の中の「開催断念」を、勇気を持って決断すべきではないか。

この間、平和フォーラムはIOC理事に対して、オリンピックを開催する東京都知事の朝鮮人差別発言と行動を問題に、解決のためにはたらきかけてきた。がしかし、反応はほんの一部にとどまっている。憲章はIOCの使命と役割として、「オリンピック・ムーブメントに影響を及ぼす、いかなる形態の差別にも反対し、行動する」と定めている。がしかし、差別に言及する声は聞かない。このコラムを構想している最中、森会長の女性差別発言が出た。反発は大きく、ボランティアの辞退や辞任要求に及んでいる。がしかし、IOCは「森会長は発言について謝罪した。これでIOCはこの問題は終了と考えている」とした。IOCが女性差別を容認するなら、五輪開催の資格はない。(藤本 泰成)

2021年03月01日

大阪地裁の大飯原発設置許可取り消しから考える

原発に「安全」という言葉は存在しない

フォーラム平和・人権・環境 共同代表 藤本泰成

旧福井県民会館前で行われた大飯原発再稼働反対集会(2012年3月25日)

安全審査には看過しがたい欠落がある

大阪地方裁判所(森健一裁判長)は、2020年12月、関西電力大飯原子力発電所3・4号機が、2012年6月に福島第一原発事故の教訓を踏まえ改正された「実用発電用原子炉に係る新規制基準」に適合するとした原子力規制委員会(以下規制委員会)の判断を誤りであるとし、設置許可を取り消す判決を下しました。判決は、原告の「基準値振動(耐震設計の目安となる揺れ)の算出において、平均値を外れた数値を考慮せず、地震の規模や基準値振動が過小評価されている」とする判断を受け入れ、国の「数値のばらつきを考慮する必要はない」とする主張を退け、規制委員会の審査に「看過しがたい欠落がある」とし「審査すべき点を審査していないので違法」と断言しています。この判決に従い、より安全な算出方法をとるならば、日本に設置されている全ての原発の「基準値振動」は見直さざるを得ません。判決は、世界で一番きびしいと政府が主張する審査基準を否定するもので、規制委員会の安全審査の根本に関わり、きわめて重要な判決と言わざるを得ません。

基準値振動見直しを提言する島崎元規制委員会委員長代理

2016年4月の熊本地震の後、原子力規制委員会の元委員長代理の島崎邦彦(東京大学名誉教授[地震学])が、熊本地震の知見から「大地震の実際の揺れは、現在の基準値振動(原発の重要な施設[原子炉など]に大きな影響を与える恐れのある地震による加速度)を上回る可能性が高い」との見解を発表しました。現在の活断層の長さなどから地震の規模の平均値をとる計算では、震動の「ばらつき」が考慮されず基準値振動の過小評価につながるとし、「あくまでも私の試算」としながら、「ばらつき」を考慮するなら大飯原発では最大加速度が1550ガルになるとしました。現在の大飯原発の基準値振動は856ガル、関電が2011年に示したストレステスト(耐震余裕度テスト)での「クリフエッジ」(安全の限界)でも1260ガルとされていて、島崎さんの試算は、そのどちらも大きく超えるものでした。

熊本地震を詳細に調査した纐纈一起東大地震研究所教授も、「規制委員会の審査方法を熊本地震に適用すると、地震動は過小評価になる」と述べています。島崎さんは、そのような現実を踏まえ、政府・地震調査研究推進本部の「地震調査委員会」が示している計算式の使用を提言していました。

規制委員会、島崎提言を否定

しかし、規制委員会は、「一部の都合のいいデータだけを持ち出した指摘は、素直に受け入れられない」「島崎先生の主張は根拠がない」として、基準値振動の算定の見直しを求める島崎さんの要望を否定しました。脱原発市民グループ「若狭ネット」の長澤啓行大阪府立大学名誉教授は、「島崎提言を認めることが大飯原発の再稼働を困難にし、ひいては全国の原発の再稼働が困難になる可能性が高い。そのことが提言を拒んだ理由ではないか」と指摘しています。

政府・東電は、東日本大震災によって福島第一原発を襲った津波の規模を「想定外」としましたが、産業技術総合研究所や東北大学などの貞観地震(869年)の調査などから、大規模津波の襲来を予想していましたし、東電自身も2008年当時には津波規模の最大予測を15.7mとする独自調査を行っていました。しかし、十分な対策費は行われず福島原発事故を回避することはできませんでした。「基準値振動」への島崎提言の否定は、次の「想定外」を生むことにつながります。

推定できない最大加速度

2016年4月に起きた熊本地震は、マグニチュード(M)7.3(東日本大震災・東北地方太平洋沖地はM9.0)でしたが、深さ12kmという比較的浅い内陸部の活断層が動いたため大きな被害を受けました。この時、震源から7.5kmの熊本市西区春日での地震加速度(地震の揺れの速度が瞬間にどれだけ加速したかという数値)は855ガルでしたが、震源から90.1kmも離れた別府市鶴見では1155ガルを記録しました。地震のエネルギーがどのように伝わるかは、このようにまったく予想できません。地震学は「観察できない」「実験できない」「資料がない」の三重苦と言われます。活断層やプレート境界上で起きるであろう地震の規模を確定するのは、極めて困難なのです。

見直すべき、原発の基準値振動

原発の耐震設計上「どれだけの地震に耐えられ得るか」を表すのが「基準値震動」という数値です。

世界一きびしいとされる新規制基準の下で、それぞれの原発が再稼働を目途に決定している基準値振動は、浜岡原発3号機の2000ガル、柏崎刈羽原発の1209ガルを除くと、すべてが1000ガル以下で、福島原発事故以降いち早く再稼働した九州電力の玄海原発や川内原発は620ガルにとどまっています。

日本でこれまで記録した最大地震加速度(東日本大震災2765ガル、中越沖地震990.8ガル、宮城県沖地震1442ガル、阪神淡路大震災784.8ガルなど、最大は岩手・宮城内陸地震の4022ガル)を考えると、素人目にも620ガルは低すぎると映ります。岩手・宮城内陸地震は、それまで地表に現れていない未知の活断層が動いたもので、そのような活断層が動くことは全国どこでも、原発直下でも可能性のあることなのです。

揺れる判決、しかし事故リスクは否定できない

原発の運転差し止めを求める訴訟では、福島事故以前の勝訴判決は2件しかありませんでしたが、しかし、福島原発事故以降は6件を数えています。原告勝訴の判決は、巨大地震と津波、火山の巨大噴火などの可能性を考慮し、よりきびしい安全対策を求めるものです。一方、敗訴の判決は、原発事故のリスクは多少あるが、そのリスクは社会通念上容認できる範囲にあるというものです。判決は、事故のリスクへの評価の違いであって、そのリスクを否定するものではありません。今回の大阪地裁の勝訴判決は、予想しがたい地震の規模に関しては、想定しうる最大値を以て「安全の基準」とすべきとするもので、島崎提言を受け入れるものとなっています。

それでは原発は動かせない

大阪地裁判決は、島崎提言に従ってよりきびしい基準での審査を、規制委員会に求めました。この考え方は、大飯原発のみならず全国すべての原発に適用されなくてはなりません。結果として、安全対策へのさらなる出費を求め、原発の発電コストを大きくするもので、電力自由化の流れの中では市場での存在意義を失うものです。つまり、安全対策の実効性を高めるほど、原発の存在そのものを否定することにつながります。大阪地裁判決は、そのような意味で原発存在そのものを問うものだと考えます。
(ふじもと やすなり)

2021年03月01日

「原発のない福島」を求めて~10年間の大衆運動の歩み

「10年目の福島で、いま」第3回

福島県平和フォーラム共同代表 角田 政志

2011年3月11日、大地震と大津波で多くの人々が命と財産を失った。さらに「安全」と言われてきた原子力発電所が大事故を起こし、その結果拡散した放射性物質により、私たちは不安と苦しみの中での生活が始まった。

原発の過酷事故によって犠牲となり、苦しい状況の中で暮らしている福島県の人々の思いと、その現状を多くの人と共有し、原発のない社会をめざす決意を新たにするために、福島県平和フォーラムなどが中心となり、「福島県民大集会実行委員会」が結成された。そして、多くの市民団体や生産者団体にも参加を呼びかけ、2012年3月11日に「原発いらない!3.11福島県民大集会」が開催された。集会には、県内外から1万6千人が集まり、「福島の犠牲を無駄にしないために、ともに『原発はいらない!』の声を大きく上げましょう。」と全国に呼びかけた。

この運動は、「福島県内のすべての原発の廃炉を求める」ことを最大の目的とし、思想信条・政党政派・宗教の相違にこだわることなく、県内原発の廃炉で一致できる幅広い団結を目指し、継続した大衆運動としてこの10年間行ってきた。

地道な県民運動で福島のすべての原発を廃炉に 当時の福島県の原発の状況は、2012年4月に、事故を起こした第一原発1~4号機が廃炉となったものの、5、6号機と第二原発の4基について国及び東電は、廃炉を明言せず、再稼働の可能性も否定していなかった。2011年夏に福島県では、「原発に依存しない福島を」という県のビジョンが策定され、原発のない福島を求める方向で一つになっていた。こういった大衆運動と自治体の動きによって、東電が新設計画を進めていた「浪江・小高原発」については、2013年3月にやっと断念し、第一原発5、6号機は2014年1月にやっと廃炉となった。

残された第二原発について、東電は「国の方針による」といい、国は「事業者が決めること」といい、どちらも態度をあいまいにしていた。

実行委員会は、2016年から、県民の総意として「東電福島第二原発の即時廃炉を求める署名」にとりくんだ。署名運動を行ったことは、大衆運動を大きく発展させた。避難生活を強いられている被災者や生産者団体とも交流を進め、生活再建の問題、風評被害と闘いながら放射性物質の軽減対策に努力している生産者から、福島の農水産物の安全・安心、失われた信頼の回復に向けた取り組みを聞き取り、この運動を通して発信してきた。

集まった署名452,310筆は、3年間にわたり国と東京電力に提出し、即時廃炉を幾度も強く求めてきた。こうした取り組みによって、東電は、2019年7月にやっと第二原発全基廃炉を表明した。これによって、福島県の原発はすべて廃炉が決まった。

これは、私たちの継続した県民運動の大きな成果と言える。

県民の生活を大切にすることを優先として運動の継承を

しかし、すべての原発の廃炉が決まっても、原発事故前の生活を取り戻すことはできない。逆に、困難な課題が残され、様々な選択が迫られることで県民の分断が起こっていた。私たちの大衆運動も、意見が対立する場面も増えてきた。しかし、廃炉完了までには、まだまだ長い年月を要し、幾多の困難も想定される。廃炉作業と向き合い、常にリスクを負った生活が続くことを忘れてはならない。引き続き、安全かつ着実な廃炉を求め、放射能によって奪われた安全と安心の回復、県民の健康の補償、被災者の生活再建を求めていくことを確認し、大衆運動を進めている。

「2020原発のない福島を!県民大集会」は、コロナウイルス感染拡大によって中止せざるを得なくなった。しかし、国は、第一原発にたまり続けるトリチウム汚染水の海洋放出をしようと動き出した。

この問題も、海洋放出は許さないという意見と、処分しなければならない状況なので海洋放出は選択肢の一つだという意見が出ていた。県知事も明確な判断をしない。私たちは、県漁連をはじめ漁業関係者、JA福島をはじめ農業関係者、林業関係者、旅館ホテルなど観光業関係者と何度も意見交換をし、生産者の思いを受け止めて「トリチウム汚染水の海洋放出に反対する署名」に取り組んだ。署名は、現在約45万筆に上っている。これまでに2回、42万筆余の署名を経産省に提出し、海洋放出を行わないよう求めてきたが、国は、私たちの要請には答えていない。国や企業の都合ではなく、ここに暮らす人々の生活を何より優先した対応を求める運動を今後も続けていく。

「2021原発のない福島を!県民大集会」は、今回もコロナ禍で規模を縮小せざるを得ない。しかし、私たちは運動を止めず、オンラインで全国に発信していく。10年間の運動の継続は、簡単なものではなかった。この10年の運動が果たしてきた役割を土台として、さらなる運動の継承を図っていきたい。(つのだ まさし)

2021年03月01日

原発のある社会から抜け出し、人びとの人権が生かされる社会を築いていこう

原子力資料情報室 共同代表 西尾 獏

反原発へのいやがらせ全記録

原発は、核技術がはらむ秘密主義とそれに伴う人権抑圧が常に根底に存在するものでした。日本でも原子力利用の推進をうたった原子力基本法以来の「国策」として力ずくで進められた人権抑圧の歴史でもあり、それに付随して反対運動への露骨な嫌がらせなどが行われてきました。原水禁の副議長で原子力資料情報室共同代表の西尾漠さんから原発と人権に関して書いていただきました。なお、文章の全文は原水禁ホームページに掲載していますので、そちらの特別寄稿「環境と人権」をご覧ください。

原発を巡る問題と人権

原発を巡る問題としては、核燃料サイクルと呼ばれる関連施設も含めて、事故の危険性、労働者や周辺住民の被曝、放射性廃棄物という負の遺産、核拡散、コスト負担など、あるいは原発があることで、再生可能エネルギーの利用にブレーキをかけたり、省エネルギーに逆行して気候危機の対応を誤らせたりといったことが挙げられます。

事故が起これば、身体の安全、健康、好ましい環境を享受する権利、居住、移転、職業選択の権利、財産権、あるいは思想及び良心の自由等の人権が侵害されます。いわゆる「風評被害」という形をとって現われることもあります。具体的には、次節に詳しく述べていますが、それらは大きな事故がなくても、事故を心配することによっても起こりうることです。

核燃料サイクル政策の破綻により蓄積される使用済み核燃料や放射性廃棄物は、事故への恐怖、廃炉になってもまだ廃棄物が残りつづけることによる閉塞感、ふるさとを汚されることへの忌避感、後世代に負担を残している罪悪感などで住民を苦しめます。平穏な生活という基本的人権の損害であることは明らかです。

核拡散の防止や核セキュリティ(注1)は、人権を守ることと真っ向から矛盾します。核兵器やダーティ・ボム(放射性物質散布装置)につながる放射性物質や技術についての情報は、安全を脅かすものとして秘匿されます(現実には、公開拒否の言い訳に使われることの方が多いのですが)。その情報が施設の安全性=危険性とも密接に関わるものであっても、公開されることはなく、情報を受け取る権利・情報を求める権利は、当然のように無視されます。

さらに、特定の原子力施設に立ち入る者については下請け労働者も含め、2016年9月21日に原子力規制委員会が定めた「原子力施設における個人の信頼性確認の実施に係る運用ガイド」の対象者とされ、「対象者の履歴、外国との関係及びテロリズムその他の犯罪行為を行うおそれがある団体(暴力団を含む)との関係、事理を弁識する能力並びに特定核燃料物質の防護に関連する犯罪及び懲戒の経歴を調査し、確認」されることになります。それ以上の調査・確認が行われていることは想像に難くなく、思想及び良心の自由が侵されることもあるでしょう。

その点では、もちろん、原子力に批判的な表現者、反原発・脱原発の運動の参加者に対してより顕著です。発言や行動を監視し、身辺を調査し、圧力をかけます。一例を、斉間満著『原発の来た町』(注2)から、愛媛県伊方町の町見漁協の組合員を調査した四国電力のマル秘文書についての記述を引用します。「漁協組合員一人一人の原発に対する賛否の意思はもちろん、家族構成から、姻戚関係、影響力のある知人や友人まで、プライバシーを細部にわたって調べ上げ、そして『どうすれば、その組合員を原発賛成派として説得出来るか』まで結論付ける激しいものであった。この中に、10月の臨時総会で反対派の中心的な活躍を見せた、Bさんに関する記述を見つけた。『▽△の弟、□◎といとこ、反対共闘委との結び付きが強く最後まで反対すると思われる。自分の存在を認めてもらいたい性格で、簡単には後には引かない。最終的には金と考えられる』。摘要欄の小さなエンピツ文字は、そう書かれていた。」

圧力は、本人にではなく姻戚関係、影響力のある知人や友人に、表現者なら意見を発表したメディアに、あるいは所属する大学や会社などにかけられます。その方が効果的だからです。

事故は地域社会を破壊し、被害者を分断したりしますが、そうした人権侵害は、原発立地の話が持ち上がったときから起こっています。「普通、人を見る時は男だとか女だとか、子どもだとか年配の人というように見るのが一般的だが、上関では原発に反対か推進かという区分けしかできなくなった。これまで、豊かな自然の中で、助け合い支え合うという友好的な人間関係が、原発問題で一変した」と、「原発はごめんだヒロシマ市民の会」の木原省治は、山口県上関町の状況について『原発スキャンダル』(七つ森書館、2010年)で書いています。事情はどこでも変わりません。

札束に蹂躙された歴史が、その一面を露わにしています。土地を電力会社に騙し取られ、あるいは土地を売ったことで自責の念に駆られ、自死した人も一人ではないのです。

さらに、そうした分断を進めるためにさまざまな嫌がらせが行われてきました。注文をしてもいないベッドや金塊を代金引き換えで送りつけたり、誹謗中傷の文書を実在の人の名前を騙って郵送したり(注3)。近年では、SNSを使った人格攻撃なども起きています。海外ではカレン・シルクウッドの怪死(注4)のような事件もあり、日本でも、著名な脱原発論者が、生命の危険を感じたことがあると語っていました。

原発立地に見る地域差別、何層にもなる下請け構造、ウラン採掘を始めとする海外への犠牲の押しつけにも、人権にかかわる問題が顔をのぞかせています。

脱原発社会へ向けて

脱原発とは、その名の通り原発のある社会から脱け出すことです。原発が抱えるさまざまな問題に向き合って、人の権利が生かされる社会を築きあげようというのが脱原発です。『はんげんぱつ新聞』1990年11月号で、原子力発電に反対する福井県民会議の故・小木曽美和子事務局長(当時)は「脱原発とは、核のゴミを生み出す私たちの生き方を問い直すこと」と言っています。同じ1990年に刊行された『原発をとめる女たち』(注5)に収められた、「九電消費者株主の会」代表などで活躍する木村京子さんの一文は、端的に「脱原発とは人権と自由の総和」と題されていました。「『原発』こそは私たちの『生き方』が映し出される鏡のようなものであり、『脱原発』とは、一人ひとりのかけがえのない命と人権と自由について、ラディカルに行動していくことの総和である」と。

さらに1年前の1989年に刊行された『わいわいがやがや女たちの反原発』(三輪妙子編著、労働教育センター)で、町田ヒューマンネットワーク理事長の堤愛子さんが書いている「『ありのままの生命』を否定する原発に反対」の結びの言葉は、原発を止めるだけが脱原発ではないことを明確に示していました。「『放射能の影響で障害児が生まれる』という不安」の声から考察を進めた堤さんは言います。「『ありのままの生命を認め合い、多様な人々が共に生き合える社会を』という、私たち多くの障害者の願いと、『生命がだいじ』という反原発運動の思いとは、ほんらい根は同じであり、矛盾するはずがないと信じている。」

いま改めて脱原発社会の姿を多様な人々と共に考え、実現に向けて歩を進めていきたいと思います。
エネルギーの本当の意味での安定供給、気候危機の回避のために、エネルギー産業にとっても利益のあるエネルギー消費の縮減、再生可能エネルギーへの転換が求められていますが、再生可能エネルギーにしても、もちろん自然破壊があり、地域破壊がありえます。健康被害や倒壊などの事故、景観や農漁業への悪影響をもたらす可能性がありえます。

『はんげんぱつ新聞』2008年10月号で「原発を拒否した町 和歌山県日高町はいま」と題して、一松輝夫さん(日高町議会議長)と浜一巳さん(比井崎漁協理事)にお話を伺った時、一松さんが言われました。「いま問題になっているのは風力発電所です。20基くらいの計画があって、2、3日前にも愛媛の伊方町へ行って健康被害の状況を聞いてきたんですよ。伊方町では人が住んでいるすぐ近くに建っていて、こんなことがよく許可されたと不思議な気がしましたね。うちの場合はだいぶ離れているからだいじょうぶとは思うけれど、原発を拒否した町だからこそ、十分に検討をして間違いのないようにしたい」。

そうした考えこそが、原発を止めることにとどまらない脱原発の意味だと言えるでしょう。(にしお ばく)


注:

  1. (注1)核兵器や放射性物質を用いたテロ、核・原子力施設への攻撃などを防止すること。そのためには秘密管理が強まり、施設従業員や周辺住民の身元調査などの人権侵害が進む。それでも有効に防止できる保証はない。(『現代用語の基礎知識2019』自由国民社、西尾執筆)↩︎
  2. (注2)副題は「原発はこうして建てられた 伊方原発の30年」。(南海日日新聞社、2002年)↩︎
  3. (注3)海渡雄一編「反原発への嫌がらせ全記録 原子力ムラの品性を嗤う」(明石書店、2014年)↩︎
  4. (注4)プルトニウム燃料工場の女性技師カレン・シルクウッドが、工場のずさんな品質管理を内部告発しようとして謎の「交通事故」で死亡した事件 
    上記(注3)に簡単な紹介コラムがある。
    「カレン・シルクウッドの死」(社会思想社、1984年)↩︎
  5. (注5)副題は「ネットワークの現場から」。三輪妙子・大沢統子編(社会思想社、1990年)↩︎

2021年03月01日

座談会:オンライン修学旅行について

インタビュー・シリーズ:163

企画・運営した高校生に聞く

─簡単な自己紹介として、オンライン修学旅行の中でどのような役割を担われたか、企画を立てたときの話などをお願いします。

反町梨里佳(そりまちりりか、田園調布雙葉高校2年) 中学3年の時長崎に修学旅行に行く経験があって、被爆者に話をうかがい「伝えていってほしい」と聞いて、自分も何かアクションを起こしたいと思った時にこの活動を見つけて、署名活動に参加しました。

オンライン修学旅行では、主に広報を担当し、ツイッターインスタグラムなどSNSで広報しています。

西山喬紘(にしやまかたひろ、都立大江戸高校3年) この活動に加入したきっかけは、高校2年の広島修学旅行です。事前や当日の学習を通して、自分の無知さに気づいて、何か行動に移したいと考え、参加させていただきました。オンライン修学旅行では、他の方々の頑張りに助けられてばかりで、議事録をとったりだとか、裏方の仕事を主にしてきました。

滝沢佳奈(たきざわかな、東京学芸大学付属高校2年) 中学の頃から原爆などに興味があって、広島や長崎に行って自由研究でいろいろ調べている中で、自分からなにか行動したいと思って核廃絶に向けたこの活動に参加することを決めました。オンライン修学旅行では、主に3日目の長崎大学の教授の方に話をしていただくことの調整などをしました。

小泉花音(こいずみかのん、桜蔭高等学校2年) 私がこの活動に関わり始めたきっかけは、中学2年生の国語の授業で読んだ、黒い雨という井伏鱒二さんの小説です。広島で原爆が落とされたときのことを日記調で語っているのですが、読んだときに本当にショックを受け、自分の無知さに気づかされました。高校1年からこの活動に参加しています。オンライン修学旅行では、反町さんと同じで、広報を担当することが多くて、ポスターをデザインする作業やサイトを開設する作業を担当しました。

─オンライン修学旅行は反町さんの発案だったと聞いていますが、どういう発案で、まわりの受け止めはどうだったのでしょうか

反町 去年の7月に高校生平和大使の選考会があり、その際に集まった四人とその高校生平和大使に選ばれなかった人たちも一緒に活動していきましょうという形になって、新しく何か企画を立ち上げようとなったんです。いつも行っていた街頭での署名活動がコロナウイルスの影響でなくなってしまっていて、街頭署名はまず出来ない、外での活動ができないのでオンラインを使って何か活動したいというのがまずありました。私たち四人とか他の子の活動のきっかけを聞いていても、修学旅行がきっかけだという子が結構周りにも多くて、修学旅行で長崎とか広島を訪れて、そこで平和への意識をもつという人が私たち以外にも結構多いと思うんです。去年はコロナウイルスの影響で修学旅行が中止になってしまう学校がとても多くて、そういう平和について知ることができる機会をコロナウイルスによって奪われてしまうというのが、すごいもったいないことだなと思ったので、オンラインを使って皆にその学習の機会を提供したい、私達みたいにアクションを起こすきっかけにしてほしい、ということでオンライン修学旅行を提案しました。その時、西山くんとあと一人、高松さんという子がいたんです。結構他の団体とかもオンラインでイベントとかを開催していて、その中でできれば私たちにしかできないこと、オンライン修学旅行を高校生が開催することに意義があるんじゃないかっていうことで決定しました。

西山 すごい壮大で、できるのか?と最初思ったのがありました。実際にはその骨組みが決まってから進行が早く進んで、大変有意義で楽しいイベントを企画できました。

小泉 後からこの企画をやることになったよっていう風に伝えられた側だったんです。前代未聞の企画だなっていう風に感じました。でも、アイデアを膨らませていくにつれて可能性もたくさん見えてきて、こういうこともできそうだなっていう風に、だんだん現実味も増してきて、そこから皆で協力し合ってイベント開催までたどり着けたという感じです。

滝沢 私もいつもこの署名活動でオンライン修学旅行っていうのをしたことがなかったので、うまくいくかなっていうのがまず最初にあったんですけど、だんだんみんなで進めていくうちに、なんかいい感じに。

─そういう苦労ばなし的なことをそれぞれお願いします。

反町 私たちが対面で集まれないというのが障害になっていて、顔を合わせて会ったことがない子達もいる中で、まず仲良くならないと話が進まない。夏休みから始めたので休み中はみんな時間があってかなりズームでも集まれて、企画をした後に話していく中で仲良くなって話し合いもポンポン進んでいったかなっていう感じです。

オンライン長崎修学旅行

─ポスターもどういう感じで作ったのか話もしてもらえますか

小泉 ポスターのデザインは反町さんと一緒に行ないました。この可愛い素敵な絵は反町さんが書いてくれたものです。私はその下の部分の編集をしました。以前からポスターやビラづくりを担当することが多かったんですが、毎回試行錯誤という感じでした。コロナで時間が増えたことをきっかけに本格的にデザインについて勉強してみるような時間ができて、今回は最終的にキャンバと言うアプリケーションを使ってデザインしたんです。作業を進めていく途中で色々な発見もあったりして、自分自身にとっても大きな学びになったかなと感じています。

─苦労ばなし的なことがあれば聞かせてもらえますか

西山 僕はみんなより一個年上の高校三年生だったので夏休み忙しいところもありました。その分、みんなすごい優秀な方々なんで、全然カバーしてくれて本当に成功することができたので僕はもうみんなに感謝しかないです。

滝沢 広瀬先生との連絡はその中学校の頃の研究で1回お話を聞いたことがあったので、スムーズに行けたんですが、他のコンテンツを企画する時に、みんなの定期考査とか部活とかが重なってしまって忙しくて、夏休みぐらいから始めたんですがどんどんスケジュールがあの遅れて最後ぎりぎりになってしまったっていうのが一番大変だったかと、でも仕事空いてる人で分けたりしてカバーできたと思っています。

─色んな感想や振り返りとして、まず事前学習のビブリオバトルについて

西山 自分が提案させて頂いたものですが形になるか不安だったんですけが結構好評をいただいて、動画を使って本を紹介するのが面白い発想だったのではないかと思っています。

─山川さんの被爆体験の話はどう決まっていきましたか

反町 被爆者講話は、まず木村さんという女性の方にお話を8月ぐらいに伺っていて、それをコンテンツとして流すか、改めて被爆者の方にお話を聞くかと話し合い、ズームではありますが直接お話を聞いて、質疑応答ができるのが一番良い形だと思いました。山川さんにお話を伺って質疑応答も高校生に参加してもらえるようになりました。

滝沢 広瀬さんと事前に打ち合わせて話していただきたいのは、若い人へのメッセージ特にオンライン修学旅行は高校生に向けたものなので、高校生が一歩を踏み出すような言葉をいただけたらと思い、お願いました。

─企画の中で何が一番心に残りましたか

小泉 長崎バーチャルツアーかな、動画編集を私たち全員が分担して高校生一人一人が少しずつ分担して行ないましたが、最終的に動画が一堂に会し、繋げたときに本当に長崎を旅行しているかのような感じの動画に完成させることができて、たくさんの方のご協力があってこそ完成したものですし、学びのコンテンツとしても、ためになるようなものが作れたかなと思って、それを実際動画という形に残すことで一回限りのものでなく今後 YouTube で誰にでも見ていただけるような形に出来たという意味でも、バーチャルツアーは印象深いと感じています。もう一つ夜に消灯前自由時間という時間を設けていてズームでみんなでUNOをしたり、人狼ゲームを行ったりしたんですけれどそれがすごく楽しくて本当に修学旅行の夜みたいな和気あいあいという修学旅行みたいな感じになったので印象に残っています

反町 小泉さんとちょっと被ってしまうんですけれど、長崎のバーチャルツアーで、私もその動画を作って全体繋げて流れているのを見た時に、本当に長崎に修学旅行に来た感じがして、動画だし実際に行ってるわけじゃないから、長崎感を感じられることはないだろうと思ってたんですけど、動画を流しながらチャット機能を使って他の高校生とかと感想を話しながらも進めていって、私たち東京の子達が驚きの言葉をチャットに打つと、長崎の高校生の子がこれはこうなんだよって教えてくれたり、チャットで会話してるのとか、オンライン修学旅行ならではだと感じることができました。

滝沢 バーチャルツアーが印象に残っている理由は、準備が大変だったのは、編集が大変で、それがなんとか繋がって流せたことの達成感、その時のチャットでみんなであのま交流している感じがすごい印象に残りました。あと三日目の講義の時も高校生にむけた修学旅行なので、被爆者講話とプラスしてもうちょっと知識的な側面も多分新しく知った高校生が多いと思うので、コンテンツとして含められて良かったなと感じました。

西山 オンライン修学旅行に自ら参加してくれた子が、この活動に興味を持って最終的に東京の署名活動に入ってくることが、誰かを巻き込んだという点で最も印象に残っています。まだちょっと皆と結構距離あるなって感じてたんですけど、オンライン修学旅行の後に打ち上げとかして色々話すことを通してだいぶみんなの距離が少し縮まってきたと思うような、意外な側面とかを見れたりして良い経験でした。

─事後ディスカッションSESSION 一週間後にやりました。ここで平和、学校での平和教育の在り方、核兵器禁止条約の話とかをそれぞれ話をしてもらいたいと思います

反町 ディスカッションの時に、一つのチームに入ら入らないで色々なところを回ってたんですが、話し合いの様子を見ていて、主に参加してくれていたのが、長崎の高校生、長崎支部の子達が参加してくれていて、それに加えて私たち東京支部の子っていう感じだったんです。私の学校でこういう話をする機会があんまりなくて、こういう機会を作ることで、聞いてる私でも考える、高校生がそういう話し合いをしてる事に何か可能性を感じました。

西山 学校でそういう話をしたかったんですけど、なかなかみんなあんまりそっちに興味を抱いてくれなくて。オンラインを通して、いろんな地域の高校生同士が話をしてるって本当に素晴らしいことになったと感じたし僕自身もちょっと参加したかったなという感じです。

滝沢 グループディスカッションに参加してみて、自分のグループは東京と長崎の違いみたいなのが結構浮き彫りになって、例えば平和教育でも長崎はちゃんと小学校から8月にそういう学習の機会があるとか、核兵器禁止条約でも支持する立場が違ったり、そういうのが分かって、小さい頃からどういう環境を作るかで、持つ意見が変わるのかなと感じました。

小泉 これまでのバックグラウンドや受けてきた教育に影響されて、抱いてる思想や考えに違いがあるのは、ディスカッションを通して一人一人の考え方の違いが浮き彫りになったことで改めて実感しました。同時にオンラインだからこそこんなに遠く離れた場所にこんなに違った人々が簡単に集えて、話し合ってお互いの意見を比べられること自体がすごく有意義なものだと感じます。参加していて本当に楽しかったし、決して意見が違うから敵対するみたいなことはなく、皆、そういう考え方もあるんだ、みたいなスタンスで、すごく勉強になったと思っています。

運営側の反省点のひとつですが、ディスカッションを運営する経験が初めてだったこともあって、今思えば時間管理のやり方などあまりうまく行かなかったところもあり、今後もっと改善していけたらと思っています。

─意外だったこととか改善点、それぞれ話をしてください

反町 これまでオンライン修学旅行に限らず東京支部でワークショップなどを行ってきたんですが、そこでも出た反省点で同じような感じなんですけが、広報を担当している立場として修学旅行を企画した意図にもあるんですが、平和とか戦争について考えたことがない人に参加して欲しい。新しい人たちに参加して欲しいというのが一番あって、広報を通してできればもっとたくさんの人を集めたかったなと思っています。

ディスカッションの時も結構長崎の支部の子が参加してくれていて、他は私たちの誘った友達が結構多くて、SNSを通じてもっと世界中に発信できたはずで、やり方を変えれば多くの人に広まったはずなのに、そこが狭かったなと思っていて広報の仕方を勉強して変えていく必要があると思っています。

西山 まず宣伝という部分で本当にそこは痛感した部分で、自分たちで良いものを作れたと自負しているのですが、それに比べたら参加人数が少々寂しい感じでした。それと僕も含めてちょっと、締め切りだとかが結構僕ら高校生もなかなか忙しいこともあって期限を守れないとうまくいかないのでそこをもう少し自分の中でも徹底して行きたいと思います。

滝沢 経験として今回気づいた事ではまず、オンライン修学旅行で司会をした経験がみんななくて、1日目の時にあまり詰めて準備をしなかった、その時は想定して準備を前にやらなかったので、途中にトラブルが起きたりとかして、ちゃんと注意を払わないといけないというのが学びでした。

小泉 広報の点での反省点も感じていますが、加えてもっと参加者の皆さんに、より参加型の企画にできたら、有意義な体験を提供できたのではないかと感じています。私たち自身もその点は意識して工夫し、バーチャルツアーの時にコメント欄を活用して感想をつぶやきあえるようにしたりはしたんですけれど、参加してくれる方もいる一方で、ちょっと引け目を感じちゃうのか、参加しづらい方もいるのかなとも感じました。参加しやすい空気づくり、コミュニケーション力?場を、雰囲気を作り上げるような能力も高めていかなければいけないと感じました。すごく難しいことだと思うんですけれど、経験がものを言って、場数を重ねるにつけて、学んでいける所かとは思うので、今後また更にイベントを企画したりする際に、これまでの反省点を漏らすことなく生かして毎回より良いイベントを参加者の皆さんに提供できるよう、これからも頑張っていきたいと思います。

─大学進学とか受験生になったりとか、今後署名活動にどう関わっていくか、後輩にどう繋げていくかという観点で一言お願いします

反町 今年高校3年生になるんですけれど、去年修学旅行を企画している時も学業と一緒に進めていくのが結構大変だなと思っていて、今年さらに忙しくはなると思うんですが、その中でもこれから静岡との企画もありますし、他にもやりたい企画が自分の中では結構あるので、それを後輩につなげていけるように、引き継げる後輩を集めるところから始めるんですが、引き継ぎを一番のこれからの仕事にしたいなと思っています。

西山 僕が進学する大学は平和学を履修できるので、この活動を通して改めて社会問題に対して、自分の生きてきた人生から何かアプローチをかけたいなと考えているのでそういった基板を学習して将来的にも当然この活動は、卒業してもOBとしてしっかり携わっていけたらと考えております。

滝沢 オンライン修学旅行を通して、コロナが終わった後でもこういう企画は、新しい人とか、全国的に広げるのに有効だなと思ったので、後輩にオンライン修学旅行の反省点も含め伝えていきたいと思っています。来年はまだ高校3年生なのでサポートできる部分はサポートしていきたいと思っています。

小泉 私も引き継ぎは急務だなと感じています。これまでの引き継ぎは口頭で伝えてきたりしてきた部分が多かったのですが、今年度はGoogleドライブなどのオンラインツールを皆が使うようになってきたので、それも活かしつつ、自分たちがやったことをきちんと引き継ぎ資料とそして記録化して後輩に引き継いでいけたらなと思います。私自身も来年は高校3年生になるので本腰を入れて活動することはできなくなるかもしれませんが、少なかれ顔は出していきたいです。同時に、自分自身で本を読んだり講演会に参加したりして、核や平和について学びを深めていけたらなと思っています。

─ありがとうございました。これからも続けて活動してください。(司会:竹内広人)

 

オンライン長崎修学旅行 アーカイブ映像公開中

オンラインミーティング

2021高校生1万人署名活動チラシ(pdf, 14.4MB)

2021高校生1万人署名活動チラシ

第2弾!オンライン静岡修学旅行

TOPに戻る