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蓮池透さん講演「日朝間の対話こそ解決の道」

2009年9月16日

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■平和フォーラム責任者会議講演記録
「日朝間の対話こそ解決の道」
  蓮池透さん(北朝鮮による拉致被害者家族会 元副代表)

※以下の原稿は、09年9月16日に埼玉県で行われた、「平和フォーラム 中央団体・都道府県運動組織責任者会議」での、蓮池透さんの講演の内容をまとめたものです。蓮池さんご本人の校正は受けていません。文責は平和フォーラムにあります。また文中に出てくる( )の中の説明は、平和フォーラムで付けたものです。


 今日は9月16日です。小泉純一郎総理の訪朝から、まる7年が経ちます。その日に新政権が成立し、9月17日から本格的な政治活動が始まることに、なにか因縁めいたことを感じます。新政権には、自公政権がやってきたことを継承するのではなく、政策の大転換を図ってもらいたいと思います。
 ただ解散総選挙によって、2か月あまりの政治空白が生まれました。その間、対北朝鮮政策には何も動きがありませんでした。その結果、明日でまる7年間、弟たち5人が帰国、生還したこと以外、何もないことは非常に残念です。
 最近、「お前のところは解決したのだから黙っていろ」、「説得力がない」、「余計なことに口を出すな」、「足を引っ張るな」と言われます。新潟では柏崎の市議会議員が『国民新聞』という新聞に投稿して、「蓮池一家は左翼の集まりだ」と書くのです。うちの父親は教員です。母親は市役所です。父親は日教組、母親は自治労、弟は北朝鮮、兄もついに馬脚を現した、そういうことを書いているのです。その人は一方で「田母神閣下」とか書いている人なので、あまり気にはせていません。しかし「そういう一家は監視しなければいけない」とも書いているのです。市議会議員が「弟を監視せよ」という。市民の生命と財産を守ることが、市議会議員の役割ではないでしょうか。そうしたことを言う市議会議員がいることは、非常に残念です。
 わたしも黙っていることができれば、楽なのです。「家は終わった」、「いち抜けた」と言えば楽です。ただ街を歩いていて、喜んでいれば「まだ、めぐみさんがいるではないか」と言われ、ぶすっとしていれば「嬉しくないのか」と言われます。どういう顔をして歩けばいいのかもわからないのです。
 弟たちは、「自分たちだけが帰ってきて忍びない」と言っています。帰ってこない人たちのことが頭の中にあるようです。不自由な中で24年間を過ごして、日本に帰ってきてからも心の底から喜ぶことができないのです。「支援法」(北朝鮮拉致被害者支援法)という、とってつけたような法律があります。5年間で自立しろという法律です。毎月、国から税金で支援金をいただいています。それが来年3月には期限が切れます。弟たちの家族は4人で、月30万円です。これも収入があると段階的に減額されます。年収が400~500万円くらいになると、支援金もゼロになってしまいます。弟は最近、本を出して収入がありました。たぶん、もう貰えないでしょう。
 そうした支援金を貰っていますから、一部の人たちからは「税金で衣食住をまかなわれている」と言われます。外食に行けば「税金で食事をしている」、旅行に行けば「税金で旅行をしている」と言われるのです。多くの人ではありませんが、そういう人がいます。ですから旅行へ行くのにも、人目につかない、人のいない所にいくのです。そんなところに行って、なにが面白いでしょうか。しかしそうした所にしか行けないのです。唯一行けるのは、スキーだそうです。それも天候が荒れている時に。ゴーグルなどをしていますから、目立たないのです。私たち家族も同じです。24年間も待ち続けた子どもが帰って来たのに、両手両足を伸ばして喜ぶことができないのです。
 ではどうすれば、喜ぶことができるのでしょうか。それは、残っている人たちが全員帰ってきて、全員で喜ぶしかないのです。それを実現するためにはどうしたらいいのか、私は7年間考えてきました。そうして自分なりの考え方を提言しているのです。

 しかし強硬論以外の発言をすると、「北朝鮮の手先」と言われてしまいます。そうした風潮は、非常に危険だと思っています。7年前の9・17以降、日本国民の全員が「総北朝鮮憎し」になっています。それまで北朝鮮に対して、無関心で、無頓着で、無知であった人たちが、あの日を境に「北朝鮮はひどい国だ」という意見一色になってしまったのです。そこには「昔はどうだったか」という考え方が、すっぽりと抜け落ちています。この平和な日本から、善良な日本人を、悪の北朝鮮が連れ去った、そうした一方的な考えではなかったでしょか。
 しかし、それではこの問題は解決しないのではないでしょうか。
 「家族会」(北朝鮮による拉致被害者家族会)ができました。しかしそれが、支援組織の「救う会」(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)の影響で、北朝鮮打倒に利用されている。そのことが非常に残念です。北朝鮮打倒と被害者救出は、まったくかけ離れたものです。拉致問題を利用して、北朝鮮を打倒する、軍備を増強する、敵地を攻撃する、そうした話は論外です。私はそう思っています。
 「北朝鮮打倒」と叫んだ人たちはたくさんいましたけれど、倒れてしまったのは自公政権です。日本の政権の方が早く、倒れてしまいました。では自公政権はこの7年間、何をしてきたのでしょうか。ほとんど何もしていません。
 一つは経済制裁を行いました。経済制裁は、平和的解決と戦争との中間にある行為だと思います。経済制裁がだめだった場合は、残りは戦争しかありません。日本は戦争をしない国です。ですから経済制裁は最後のカードです。経済制裁を発動するのであれば、どういうメカニズムで、どういう動機付けで、どういうシナリオで拉致被害者を取り返すのか、しっかりとした戦略が必要です。そうして制裁を発動するべきだと、私は言い続けてきました。
 実際に経済制裁が行われたのは安倍晋三政権の際に、北朝鮮が第1回目の核実験を行った時です。万景峰号の入港禁止をはじめとした経済制裁が発動されました。これは核に対する制裁です。「拉致はどうなるのだ」と言われて「拉致もあった」となったのです。政府にとって拉致問題は、後付けだったのです。そこには被害者救済の戦略や手段は、ありませんでした。ただ感情的に北朝鮮は憎い、潰してしまえと経済制裁を発動したのではないでしょうか。
 私は非常に残念でした。戦略なき戦術、届かない対岸に向かっての発砲です。経済制裁を行っても、北朝鮮は怒りをあらわにして、内部での結束を固めるだけです。いままで制裁を続けてきて、1ミリでも動いたでしょうか。まったく動いてはいません。国連安保理の決議も同じです。どういうメカニズムで北朝鮮が核を放棄するのか、安保理は考えているのでしょうか。国連安保理による経済制裁で、当事国が態度を変えた例はほとんど無いようです。北朝鮮はけしからんという気持ちが先行しているのではないでしょうか。

 自公政権の時代は結局、「家族会が経済制裁を求めているから実行する」、「あなたがたの言う通りにするからいいでしょう」ということでした。自分たちの無為無策を、家族会を利用して棚上げにしたのです。外務省は、「経済制裁で締めあげれば、北朝鮮は悲鳴を上げて日本にすり寄ってくる、拉致被害者を差し出す」というのです。「だから日本は窓を大きく開けてまっていればいい」と。では何年待っているのでしょか。拉致問題対策本部の基本方針は「対話と圧力」です。しかし対話を試みた例は、ほとんどありません。逆に北朝鮮には、相手にされなくなっています。「拉致問題は終わった」とまで言われているのです。そうした状況で、解決の糸口を見つけるのは非常に難しいでしょう。
 自公政権の時代に、拉致問題の担当部署を作ることで、外務省と内閣府が綱引きをしました。結局、内閣官房に、拉致問題対策本部の前身の組織ができました。しかし外務省の拉致問題対策本部の連携は、かならずしもうまくはいきませんでした。拉致問題対策本部は、各省庁からの寄り合い所帯です。中では警察庁と外務省が覇権争いをしているような組織です。
 一例をあげると、弟たちからの情報を聴取する作業は全て完了しています。しかし警察から出向してきた官僚が、「あいつらはまだ全てをゲロしていない、調べさせろ」といってきたのです。その話を聞いた弟は烈火の如く怒っていました。そうした縦割り行政が拉致問題対策本部では、行われていたのです。
 私も対策本部の中に、懇意にしている人がいます。その人から聞くと、担当者のレベルでは、「もう少し融和的な政策をとるべきでは」、という意見があるそうです。その意見を上に上げていくと、必ず切られてしまうそうです。特に中山恭子さん(小泉内閣で内閣参与・拉致被害者家族担当/安倍内閣で総理大臣補佐官・拉致問題担当)や漆間巌(警察庁長官/麻生内閣で官房副長官)さんのところで切られてしまう。強硬策でないと国民に受けないという発想が、はびこっているのでしょう。

 マスコミも強硬路線を扇動しています。ある新聞の世論調査では北朝鮮の核実験に際して、「強硬に対処するべき」という意見が7割から8割ありました。その気持ちはわかります。では強硬策で北朝鮮が核を放棄するかという問いには、5割くらいの人が「ない」と言っています。
 マスコミの扇動ぶりには、非常に激しいものがあります。マスコミは「経済制裁が効いている」という言葉を使います。拉致問題に関していえば、経済制裁が効いているということは、被害者を返す方向に動いているということです。核に関していえば、核を放棄する方向に動いているということです。それが効いているかどうかの目安でしょう。
 しかしマスコミの効いているというのは、経済制裁によっていかに北朝鮮人民が苦しんでいるのか、いかに流通がストップして中朝国境の店がつぶれているのか、いかに傷ついているか、いかに苦しんでいるかを尺度にしているのです。これは手段を目的化しています。
 先日テレビで、北朝鮮産のマツタケに関する報道をしていました。北朝鮮はマツタケを中国に輸出して、中国のブローカーが中国産というラベルを貼って、日本に輸出しているそうです。マツタケ・ロンダリングというそうです。そうした言葉を作って、北朝鮮がいかに酷いことをしているのかを、新聞やテレビで報じています。制裁決議のときもそうでした。いかにして核兵器を放棄させるかではなく、いかに安保理が制裁の強度をあげるかを焦点に報道していました。
 2002年9・17以降に、マスコミから「この問題には多様性があるのでないか」と聞かれたことがあります。私は「多様性はない」と言いました。それは、「日本人を助け出すのに多様性はない」という意味でした。その記者から、「あなたは北朝鮮の人のようだ」と言われました。しかし現状は、まったく逆転しています。私が多様性を訴えて、マスコミには多様性が無くなっているのです。北朝鮮のことを、自由に議論することができなくなっています。強硬論だけを書いていれば、国民の受けがいい。そのことしか、考えていないのではないでしょうか。もう少し自由闊達に、対北朝鮮政策をマスコミも考えるべきではないでしょうか。政府もマスコミも、思考停止している気がします。
 経済制裁が、どのような影響を及ぼしているのでしょうか。酒井港の水産業者の方が苦しんでいます。在日コリアンの方たちが、祖国に物資やお金や手紙を送ることができない。いろいろな立場で、いろいろな意見があるでしょう。でもよく考えてみなければいけません。その上で、経済制裁は効いているといえるのでしょうか。

 拉致問題対策本部の本来の役割は、被害者救出の戦略を練ることです。その対策本部は、担当者の意見をカットしながら、実際にやっていることは啓発活動です。もちろん、国民のみなさんに拉致問題を啓発することは重要な課題です。しかしそれは、対策本部のやることではないでしょう。啓発活動は、CMを作成したり、ポスターを作ったり、あるいは4か国語でマンガを作って各国に配布したりという事です。昨年末にはトラックに、被害者の写真を掲載して繁華街を走らせました。まるでジャニーズのようにです。「必ず救い出す」といいながら、どのように救い出すのかが抜けているのです。
 また拉致問題対策本部のホームページに「アイデア募集」と書いてあります。私は呆れてしまいました。そこですぐに電話して「アイデア募集とは何か、対策本部が考えることをなぜ募集するのだ」と言いました。「広報活動のアイデアを募集している」との回答でした。これは末期症状です。CMやポスターやDVDで、「13歳の少女が拉致された、北朝鮮はけしからん」といって、北朝鮮の脅威を煽るだけです。そうしたことを、拉致対策本部が行っています。どうやって救い出すのか、考えていないわけではないでしょう。しかしまったく、伝わってきません。

 拉致問題対策本部は、「拉致・核・ミサイルの包括的解決」と言っています。聞こえはいいですね。でもこれは、ご都合主義の逃げ口上にしか聞こえません。拉致と、核・ミサイルとは別のものでしょう。核・ミサイルは、全世界に共通する脅威です。一方、拉致問題は、日朝間の固有の問題です。ですから、区別して対処しなければならない問題だと思います。
 6者協議でも、核とミサイルで合意しそうになったときに、日本が「拉致があるから合意できない」と言ったことがあります。核問題は核問題で日本もエネルギー支援に参加するなどして、その上で、拉致問題にもきちんと対処するべきだと思います。そうした姿勢をとって欲しかったのです。核とミサイルの問題が解決したからといって、自動的に拉致の問題も解決することはあり得ません。

 核とミサイル問題を解決すること、これはいま一番の問題です。私は理想的には、唯一の被爆国である日本がイニシアティブをとって、全世界の核廃絶を目指すことが望ましいと考えています。しかし残念ながら、日本は米国の核の傘の下にあります。それはできません。
 核廃絶のためには、米国が中心となるしかないでしょう。オバマ大統領はプラハ演説で、広島・長崎に原爆を投じた当事者の道義的な責任に言及しています。「言葉だけだ」という人もいますが、米国が中心となり、日本がサポートして、朝鮮半島・中東・核保有国の核廃絶に持っていかなければいけないでしょう。
 しかしNPT条約があるかぎり、北朝鮮の核を含めて解決は難しいと思います。NPTの見直しが必要ではないでしょうか。米国が、自分は核兵器を持っていて、北朝鮮が持つのはだめだという、これは誰が聞いてもおかしいことでしょう。
 私は、北朝鮮の核保有は脅威だと思います。しかし現実に、米国や日本や韓国に向けて発射することはないと思います。それをやれば、彼らが一瞬のうちに滅亡してしまうことを、彼らは理解しているでしょう。あくまで、米国と対等に協議するためのカードではないでしょうか。米国が北朝鮮を核保有国として認めるのか、そこに注目しています。インドのように「米印平和原子力協力法」を作って核保有を認めるような、ダブル・スタンダードを認めてはいけないでしょう。これは米国の抱えている、大きなジレンマでしょう。日本も米国をバックアップしながら、朝鮮半島の非核化、全世界の非核化を進めることが大切だと思います。いずれにせよ、北朝鮮の核問題が一段落しない限り、拉致問題の解決に向けた行動は始まらないと思っています。

 自公政権のときには、閣僚が世界中に行って、拉致問題を理解してくれと訴えました。そこで理解を得た。これが成果だといいました。でもそれは人権問題ですから、理解してもらえるのは当たり前です。サミットで拉致問題を話して、各国首脳が「重要だ、同情する」といった。当たり前です。そうではなくて、日本側から「こうした行動を取りたい、協力してくれ」と依頼して、各国が「本国に持ち帰って協議する」となるようなことを提起しなければいけないと思います。
 横田早紀江さんを、ブッシュ大統領に会わせました。日本政府は、そのことも成果だと言っています。ではブッシュ大統領は、どのような気持ちで早紀江さんに会ったのでしょうか。早紀江さんは必死だったでしょう。しかしブッシュ大統領からは、「横田さん・早紀江さん・めぐみさん」などの言葉は出ませんでした。それくらいの認識なのでしょう。日本の総理大臣を差し置いて、米国の大統領に会いに行く。日本の総理大臣はおもしろくないでしょう。政府は「米国の大統領にあわせた」「ここまでやっている」というポーズを取りたいのでしょう。
 飯塚繁雄さん(拉致被害者・田口八重子さんの兄)のご家族が、キム・ヒョンヒ元死刑囚に会いました。あれも一つのパフォーマンスです。キム・ヒョンヒさんは、人殺しです。百数十名の韓国人の命を奪った犯人なのです。亡くなった方々の遺族の面会を拒否している人が、なぜ飯塚さんの家族と面会するのでしょうか。それもテレビカメラが並んでいるところでです。これも政治利用の一つです。日本政府は、拉致問題にきちんと対処しているとアピールできる。また韓国の政権も、姿勢をアピールできる。両国の思惑が一致したのでしょう。
 あの時私は拉致問題対策本部に、「面会はひっそりとやってくれないか」とお願いしました。あまり大々的に行うと、北朝鮮を刺激することになると考えたからです。対策本部も「もちろん」と言っていましたが、韓国側がメディアを入れなければ会わせないといったようです。
 北朝鮮は黙っていましたが、相当に刺激したでしょう。

 あの時にキム・ヒョンヒ元死刑囚は、「北朝鮮のプライドを傷つけないように交渉すれば奇跡はおきる」と言っていました。私も、なるほどと思いました。日本側はその言葉を斟酌して行動しなければならないのに、いち早く実行したのは米国でした。クリントン元大統領が訪朝して、2人の女性ジャーナリストを救出したのです。表面上は、米朝関係は険悪でした。しかし水面下では、北朝鮮のプライドを立てていたのです。北朝鮮に謝ったのです。2人のジャーナリストが罪を認めて、北朝鮮に謝って恩赦を得たのです。クリントン元大統領の訪朝は、ファインプレーでした。拉致に等しい2人を、わずか数カ月で助け出したのです。それこそが、本当の外交ではないでしょうか。
 ある日本のジャーナリストは「ルール違反だ」といいました。北朝鮮と外交をするときに「ルール違反」もないでしょう。したたかな国と外交交渉をするには、こちらもしたたかにやるしかないのです。それを示したのがクリントン元大統領です。その上でクリントン元大統領は、北朝鮮との対話を求めました。韓国では現代グループの人間が訪朝して対話を求めました。キム・デジュン氏の葬儀では弔問外交が行われました。米朝と南北が対話に向かった時に、取り残されるのは日本です。その時にどうしたらいいのでしょうか。大きな問題です。

 鳩山政権が本日、発足します。どのような北朝鮮外交をとるのか注目しています。民主党の中にも、いろいろな方がいます。強硬論で経済制裁という方もいます。日朝友好が重要という方もいます。水と油の関係の議員がたくさんいます。どうまとめていくのか、鳩山さんの手腕にかかっています。鳩山さんはテレビで、北朝鮮に対しては「対話と協調」とおっしゃいました。フジテレビでしたが、黒岩コメンテーターが、食ってかかっていました。鳩山さんが「対話と協調」という考えを持っているのであれば、一大政策転換をおこなってくれるでしょう。期待しています。
 しかし日本の政権が変わったからといって、北朝鮮政策は「ゼロ・リセット」ではありません。マイナスから始めなければならないのです。マイナスからのスタートです。自公政権の政策を、よく検証していただきたい。

 私は本にも書きましたが、9・17以降、自公政権は4回の失態をしてしまったと思います。昨年8月の日朝合意を入れれば、5回です。
 第1回目は2002年の9・17です。この日は、国家権力による陰謀と謀略の日であったと考えています。キム・ジョンイル総書記が拉致を認めて謝りました。「まさか」と思った方が多いでしょう。私たちは、それまで疑惑、でっち上げと言われていた拉致が白日の下にさらされたことで、日本政府の対応も変わるだろうと思いました。しかしそうではありませんでした。9・17とは、それまで24年間も放置してきた拉致問題を、国交正常化のために1日で片付けようとしたのです。拙速な国交正常化交渉だったと思います。
 あの時に北朝鮮から発表された内容は、拉致被害者は「5人生存・8人死亡」でした。私たちは議員会館で待機していました。家族が並んで、反対側にマスコミのみなさんが並んでいました。午前中は何も起きませんでした。午後になって外務省から、「場所を移動してくれ」と言ってきました。行先は外務省の飯倉公館です。私たちは飯倉公館の応接室に移動しました。外務省の施設ですから、ピョンヤンと回線がつながっていて、話ができるのかと思いました。応接室の中央には大きなテレビがあったので、「テレビ電話のようなことができるのかな」などと思っていました。しかしテレビはつきません。そこで「テレビをつけてくれ」と頼みました。映ったのはNHKでした。1時間ほどすると、NHKが速報を流しました。「拉致被害者9人生存確認」というニュースです。少しして「数人生存の誤り」と流れました。数人とはだれか、みんな思っていましたが、口には出しませんでした。
 私たちは、なぜ飯倉公館まで来てNHKを見ているのか、「おかしいではないか」と外務省に詰め寄りました。外務省は「みなさんの家族の命にかかわる重大な問題だから、詰めと確認を行っている」と言いました。そうして1時間またされて、「横田さんのご一家、どうぞ」と言われて、横田さんのご家族が別室に通されました。20分ほどして帰って来た横田早紀江さんの目は真っ赤でした。そうして「うちはだめだったけれど、お宅は大丈夫そうよ」と言うのです。
 それから次々と、一家族ずつ呼ばれました。対応してくれたのは、当時の福田康夫官房長官と、植竹繁雄外務副大臣です。植竹さんは「残念だけれども、お宅の息子さん、あるいは娘さんは亡くなった」と断言したそうです。「いつですか」、「なぜですか」、「どこでですか」と聞くと、「今はわからない」と言ったそうです。とにかく亡くなったと。
 最後に私たちが呼ばれました。私の母は気が短いものですから、「福田さん、家族会は一つの家族のようなものです。待たせないで一緒にやってください」と言い終わらないうちに、「まあ、だまって聞きなさい。あなたがたの家族は生きている」と、だからいいだろうという口ぶりで言うのです。「他の方はどうなったのですか」と聞くと、「残念ながら亡くなりました」と言いました。
 マスコミは、何の裏とりもせずに、「5人生存・8人死亡」と報じました。号外まで出ました。私たちは「家族会」ではなく、「遺族会」のようになってしまいました。駐英公使の梅本和義さんが、ピョンヤンで確認したのです。翌日に運よく、梅本さんに会うことができました。横田さんと私で会いに行ったのです。横田さんは、死亡の証人に会いに行くのですから、相当、覚悟していきました。そうして梅本さんに「どうやって死亡を確認したのですか」と聞きました。すると「私は、めぐみさんの娘さんと会った。娘さんは、めぐみさんが亡くなっていると言った。お父さんから聞いているが、お墓に行ったことはない、当時のことは覚えていないと言った」とのことでした。ただゆかりの品物として、横田の田の字がかろうじて読める、バトミントンのラケットカバーを出したそうです。
 「では、どうやって死亡を確認したのですか」と聞くと、「死体を確認したわけではない、何の確認もしていない」と言うのです。私は「昨日の断定・断言は何だったのか、いまから記者クラブ出で断定・断言は間違いだったといってくれ」と言いました。そうすると当時の北東アジア課長は、「いま田中均局長がNHKにでているから、電話してテレビで訂正させる」と、できもしないウソをつくのです。
 仕方がないので私たちが記者クラブに行って「昨日の断定はあやまりでした。未確認情報です」と伝えました。しかし「時すでに遅し」です。衝撃的な断定をされた後では、大きな波はおさまりませんでした。
 私は外務省に、「ピョンヤンから死亡情報が出て日本に伝わってくるまでの間に、どこで断定情報にかわったのか、飯倉公館で私たちにつたわったのか、フローチャートで出してくれ」と言いました。いまだに出てきていません。
 結局、こういうことだったのです。「8人は死んだのだから葬式を出して諦めてくれ」、「5人は生きている。会いたければ、家族がピョンヤンンへ行け」ということです。5人が生きているのであれば、連れて帰ってくるべきでした。あるいは日本政府の支配下に置く。しかし、それをしないで帰ってきたのです。非常に残念です。いくら官房長官から、「お宅のお子さんは死にました」と言われて、「はい、そうですか」と葬式を出す人はいないでしょう。それはありえない。
 前もって日朝で結託して、キム・ジョンイルさんが拉致を認めて謝れば、国交正常化が実現するという水面下の打ち合わせがあったのでしょう。「5人生存、8人死亡」というシナリオがあったのか、田中さんに聞いてみたいです。外務省によれば、その情報は、9・17の朝に伝わってきたそうです。しかし当日伝わったにしては、日本での段取りが良すぎます。バスをチャーターして、家族を飯倉公館に移動させて、軟禁状態にしておく。なぜ私たちを飯倉公館に連れて行ったのでしょうか。それは、私たちをマスコミから隔離するためです。そうしてなぜ時間稼ぎをしたのか。それは小泉総理がピョンヤン宣言にサインするまで、時間を引き延ばしたのでしょう。しかし、あの時、国交正常化は実現しませんでした。「北朝鮮けしからん」というナショナリズムが燃え上がりました。「北朝鮮は死んだといっているが、日本政府は確認していない。希望をすてないでくれ」というのが、普通の対応でしょう。そこに私は、謀略を感じ取ったのです。「5人生存・8人死亡」でも、「6人生存・7人死亡」でも、良かったのではないでしょうか。
 そこには拉致された人々の、人権や人格や尊厳は存在しませんでした。それは日本政府が軽視したのでしょう。そのために、9・17の謀略は失敗しました。日本側が持ちかけた約束を、日本側が破る結果で終ったのです。

 2つめは、弟たちが帰って来た一時帰国です。私は、一時帰国などというのは、ありえない話だと思っていました。拉致された人間が帰って来たのに、なぜまた戻らなければいけないのでしょうか。だから私は、政府から打診があったときに、「帰ってくるのなら受け入れる。しかし2度とは戻さない」と思いました。彼らは日本に何しに来たのか。まず、拉致被害者は生きていることをアピールする。親孝行をアピールする。次には親や兄弟や親せきを、ピョンヤンに来るように仕向ける。横田さん夫妻にもピョンヤンに来るように仕向ける。そうした使命があったのです。ですから、彼らは羽田空港に着いた時に、涙を一粒も流しませんでした。涙を流すことは、過去を否定することにつながります。北朝鮮の暮らしは酷かったことを認めることになります。そうして北朝鮮を礼賛して、「米帝、日帝」、「アフガン侵攻はけしからない」、「強大な軍事力を背景に小国を危機に陥れることはけしからない」、「私たちは共和国の公民で、使節団」などと言っていました。
 私は、「完全に洗脳されてしまった」と思いました。2週間で帰るのだろう、何を言っても無駄だと思いました。
 「お前は拉致の被害者だ、そのことを忘れたのか」というと、「俺は許したのだ」というのです。「なぜか」と聞くと、「ある人が謝ったからだ」といいます。
 家族の記者会見があったときに、みんなが「24年ぶりに会えてよかった。今日は楽しい夜になる」というので、私は「あいつらは変です」と言いました。
 ホテルの部屋で記者会見の放送を見ていた弟は、私に食ってかかりました。「なんてことを言うのだ」、「良かったといえばいいでないか」と。そこで喧嘩になりました。すると母が泣き出してしまいました。「24年ぶりに会えたのに、もう兄弟喧嘩をするのか。私はここから飛び降りて死ぬ」と言うのです。
 その母の姿を見て、弟は狼狽しました。親の機嫌を取ってこいと言われたのに、泣かせてしまったからです。そこで弟は、「お母さん、早くおいしいものを作って、食べさせてくれ」と言っていました。下手な芝居をしているなと、私は見ていました。

 東京のホテルにいては、なにもできません。そこで私は、早く故郷に帰ろうと思いました。故郷に帰って色々していれば、昔の弟に戻ってくれるのではないかと思ったからです。帰ってきて、色々なことをしました。婚姻届を出す、日本のパスポートをとる、出生届を出す、運転免許証を再交付してもらう。町の人たちに温かく迎えてもらって、恩師や友人に話をしてもらう。
 しかし皆さんが、はれ物をさわるように接してくるのです。あの時残念だったのは、日本政府も、国民の皆さんも、家族会も、救う会も、誰も彼らを止めてくれなかった事です。戻ってはだめだぞと、言ってくれなかったのです。止めたのは私だけでした。両親はカレンダーを見ながら、帰国までに日を数えていました。政府は拉致被害者の帰国スケジュールの中に、「お土産購入」と書いていました。戻すつもりでいたのでしょう。
 私は弟を脅しました。「お前たちは羽田で写真に撮られてテレビに映って、拉致被害者だということが、世界中に知られてしまったぞ」、「北朝鮮でばれているぞ」、「いままでのような生活はできないぞ」、「だから戻るな」と脅しました。

 これは笑い話のようですが、弟は日本に来る時に、北朝鮮から1000ドルの小遣いをもらっていました。100ドル札で10枚です。両替をしたいというので、銀行に行きました。すると銀行では、100ドル札は偽札が多いので鑑定しますと言われました。すると3枚が偽札として引っかかったのです。私は「やった」と思いました。これで、偽札所持で日本からは出られないと。ただ銀行の人が、「向かいの銀行でも鑑定してもらってください」というので行ってみると、向かいの銀行では通ってしまいました。
 彼は、親ととるのか子をとるのかという究極の選択を迫られて、選択することができなかったのです。両方をとりたかった。そこで最終的には、日本にとどまって、何万分の一の確率かはわからないけれど、北朝鮮が子どもをかえしてくれることを待つことにしたのです。
 よく、安部さんや中山さんが必死で止めたという話がありますが、あれは作られた美談です。止めたのは私です。安部さんと中山さんは、滞在延長という国家の決断を出してはくれました。「約束だからこまる」ということを言った人もいました。
 日朝間では約束があったのです。ところが滞在延長がきまると、外務省は「約束など無い」といいました。そういうことでは「外交はできないでしょう」。北朝鮮に対しては、約束はしたけれども、本人の意思も大切にするべきだ、約束を破るのは申し訳ない、と言えばよかったのです。しかし国内向けに「約束なない」といいました。これでは、信用を失うでしょう。そうして第2の政治決着も失敗に終わりました。

 3回目は、小泉首相の再訪朝です。子どもたちが帰ってくれば、世論は沈静化して、国交正常化に向かうのではないかと考えたのです。そうした期待があったのだと思います。
 しかし子どもたちを連れて帰ってきた小泉首相は、家族会から大バッシングを受けました。「子どもの使いか」「プライドはあるのか」と言われてしまいました。それがテレビの電波に乗って、国民の皆さんに伝わってしまいました。そのことで家族会へのバッシングもおきました。あのことで小泉さんは、拉致問題に取り組む情熱を失ったのだろうと思います。

 4回目は、横田めぐみさんのものとされる遺骨の問題です。外務省は、めぐみさんが亡くなっている証拠を出せと、北朝鮮に詰め寄ったのだと思います。北朝鮮は、遺骨は1000度以上で焼却したので、鑑定はできないと思ったのでしょう。警察では鑑定できませんでしたが、帝京大学の鑑定で、偽物であることがわかりました。それで政治決着は失敗しました。
 それ以降、北朝鮮は、こんな国とは話はできない。4回も私たちをだました、と考えたでしょう。それで、こう着状態になってしまいました。私はそう分析しています。

 昨年8月になって、中国の瀋陽で、佐伯さんが日朝間の合意を取り付けてきました。日本側は制裁を一ランク緩める、北朝鮮側は調査委員会を立ち上げるという内容です。しかし日本に持ち帰ったら、調査委員会を立ち上げたぐらいでは、制裁を緩和することはできない、成果を出さなければだめだ、という意見が出てしまいました。そのうちに福田さんは、政権を放り出してしまいました。佐伯さんの立場はどうなるでしょうか。
 いまは「調査委員会を立ち上げない北朝鮮はけしからない」と言っています。でも日本も悪いのです。約束を反故にしたのですから。私にいわせれば、ことごとく日本政府が、北朝鮮を裏切ってきたのです。

 こう着状態が続く中で、日本政府は、北朝鮮がなぜ怒っているのかを考えてみる必要があるのではないでしょうか。北朝鮮の視点に立った思考が、日本にはなかったのです。一方的な思考しかなく、それも停止状態だったのです。地村保志さんが帰国して2年目に手記で、「日朝の国交が成立していない状態が、拉致の背景にある」と書いています。本当に地村さんがそう考えているのであれば、それは非常に悲しく残念な事です。北朝鮮を恨むわけでもなく、助けに来なかった日本をけしからないと言うわけでもなく、ただ淡々と過去の歴史のせいにしてしまうことは、悲しむべき事です。地村さんがそう言っていることを、日本政府は考えたことがあるのでしょうか。
 ピョンヤン宣言には、過去の清算をするとはっきり書いてあります。だったらなぜ、清算をしないのか。仮の話になりますが、日本政府が迅速に過去の清算をしていたならば、拉致という行為は起きなかったかもしれません。可能性はゼロではありません。それを意図的にしてこなかったのなら、日本政府の怠慢です。往々にして難しい問題は先送りにする、それが日本政府のやり方です。先ほど、人権軽視といいましたが、過去の清算をしない理由は、人権の軽視でしょう。
 北朝鮮側がいうように、日本が拉致した人数に比べれば、日本人を10人や20人拉致してもどうということはない。それとこれとを比べて相殺するのは、私は詭弁だと思います。しかし、それはそれ、これはこれと、話をつけなければならない問題です。
 日本は、日本が正義で北朝鮮は悪だと思っている。北朝鮮は、北朝鮮が正義で日本が悪だと思っている。そういう憎しみや怒りをぶつけあっていても、なにも生まれてはこないでしょう。昨年、佐伯さんがやったように、まず制裁を一ランク緩める、同時に調査委員会を立ち上げる、そういうことから再スタートしてもらいたいと思います。
 自公政権のときには、北朝鮮とのパイプもコネクションもありませんでした。唯一の合意事項は、ピョンヤン宣言です。ピョンヤン宣言の履行をテコにして、なんとか対話の道を開いていくしかないのです。そうではないでしょうか。

 ただひとつ問題があります。「ピョンヤン宣言に則り」といった途端に、8人は死亡になってしまいます。「5人生存・8人死亡」という北朝鮮の提示を飲んだからこそ、小泉総理はピョンヤン宣言にサインしたのです。そうしてキム・ジョンイル氏もサインした。「ピョンヤン宣言に則り」という立場に立つと、北朝鮮から「8人死亡を受け入れたでしょ」と言われても、返す言葉がありません。そのジレンマをどのように克服していくのかが、大きな課題です。それは、これからの鳩山政権に期待するしかありません。過去の清算というのであれば、一刻も早く具体化するべきです。そうして、行動対行動の、同時履行をとるべきです。過去の清算を具体化するにあたっては、北朝鮮になにを言われても、どっしりと構えていなければいけないでしょう。過去の清算と言われたとたんに黙ってしまうようでは、交渉はできません。

 もう一つ、過去の清算について、広く国民の皆さんの理解を得ておく必要があります。色々な問題があるでしょう。しかしこれは、左翼とか右翼とか、イデオロギーの問題ではないでしょう。「あった」とか、「なかった」とかいう問題ではありません。国会の見解としてピョンヤン宣言に書かれているのです。また村山談話や河野談話にも書かれています。鳩山さんも継承するのでしょう。国家の見解が出ているのであれば、一刻も早く実行にうつすべきです。
 「拉致問題の解決なくして、国交正常化はなし」と言っていては、日朝間の進展はないでしょう。政府に「拉致問題の解決はなにか?」と聞いて、答えられる人はいないでしょう。いま政府が認定している拉致被害者は17人です。5人帰ってきましたから、残りは12人です。12人が帰ってくれば解決でしょうか。違います。いま政府が言っているのは、「まず12人」です。その他にも、拉致の疑いのある人間がいる。関係する組織に言わせれば、300人も400人もいる。では何をもって解決というのか。政府としての見解を出してもらいたい。300人、400人と言っていれば、日本に失踪者がいる限り、拉致問題は終わらないでしょう。年間10万人ぐらいの捜索願が出て、9割くらいは見つかるそうです。しかし見つからない人を北朝鮮の拉致と言ってしまえば、きりがありません。そうした課題についても、鳩山新政権には、見解を出してもらいたいです。

 家族会も、だんだんと先鋭化してきています。私に対しては「お前は左翼の集会に行っているではないか」という人が、田母神元空爆長の集会に出て「田母神閣下万歳」と言っています。呆れています。そういう状態では、家族会への支持も関心も無くなってしまうのではないかと危惧しています。
 とにかく、私が申し上げたいのは、いかなる民族であれ、コミュニケーションとネゴシエーションがなければ、和解は無いということです。制裁をするのであれば、対話が必要です。制裁をするのであれば、被害者を救出してからすればいい。私はよく聞かれます。「制裁すれば、被害者に危害が加わるのではないか。こわくないのか」と。まったくその通りです。なぜそういうことをいうのか。私たちはここまで腹をくくっていると、みなさんに知ってもらうためです。しかしそれも、誰かに言わされているのかもしれません。

 長々と話してきました。家族は感情的になって、当たり前です。しかし政府が家族と同じになって、感情的に、情緒的になっては、問題解決に結びつきません。
 ある外交官がこう言っていました。「今度、北朝鮮の担当になった。今まで接したことのない異民族と交渉すると思うと、気が重い」。外務省には3年ルールがあって、3年経つと部署が変わるそうです。その外交官は3年間、貝のように黙って、次の部署に移るのを待つのでしょう。また北東アジア課には、朝鮮語を正確に通訳できる人がいないそうです。そういう人が、外交官が、ソン・イルホ氏のような何十年も日本担当をしている、したたかで百戦錬磨の外交官に太刀打ちできるでしょうか。疑問に思います。
 私は鳩山さんに言ってもらいたいのです。「家族は黙っていろ」と。「リビングで新聞やテレビを見ていてくれ」と。もう時間はありません。北方領土問題の様にしてほしくはありません。北方領土は残るでしょうが、拉致被害者は生きている人間ですから、そう長くは残りません。
 鳩山政権に期待していることを申し上げて、私の話を終わりにします。
 

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