集会等の報告

2017年11月18日

第49回食とみどり、水を守る全国集会in熊本 分科会報告

第1分科会 シンポジウム「水俣病問題を考える」

 

 

参加者=97名
コーディネーター=田尻雅美さん(社会福祉学博士 熊本学園大学水俣学研究センター研究員)
パネラー=山下善寛さん(企業組合エコネットみなまた代表理事)
パネラー=隅川俊彦さん(熊本日日新聞社 社会部記者)
助言者=島田竜守さん(水俣市立水俣病資料館館長)

最初に田尻雅美さんが「胎児性水俣病、小児性水俣病も含め、熊本や新潟では現在も被害者の認定裁判が継続しており、水俣病はいまだに終わっていない。また、被害がどこまで広がっているのか、未だに判明していない。水俣病の症状は患者自身が年をとるごとに変化していくため、患者自身の不安はいつまでも残ってしまうという現実がある」などと、水俣病事件の歴史的概要について解説しました。
次に山下善寛さんが「水俣病事件とチッソ労働者の闘い」として、チッソに入社してから、組合が当局の操作により第1組合と第2組合に分裂。山下さんは1978~90年に新日本窒素労組委員長を務め、水俣病の支援を行ってきた経緯について報告しました。
隅川俊彦さんは、新聞社の水俣支局記者として取材を行う中で、「被害は不知火海全域や天草まで及び、水俣からの転居者まで含めた住民健康調査は行われておらず、1956年の公式確認から60年以上を経ても終わっていないをいう印象を強く抱いている。水俣病は医師が診断する病気ではなく、行政が認定するという不自然な病気であるがゆえに複雑化しており、解決し得ないものとなってしまっている」と述べました。
しかし、チッソは地元のトップ企業であり、水俣市民の中にも「水俣病問題を終わらせたい」という意見があり、報道が批判されることもあるとし、「終わらないもの、解決しないものとしてどうやって向き合っていくのか、一人一人が考えることが大切」と指摘しました。
最後に島田竜守さんは「チッソは水俣市全体を支える企業であり、被害者ではない市民の空気としても『知らんがな』と無関心を装うものがある。胎児性水俣病患者であってもすでに60代と高齢になり、非患者の視点として『水俣病患者が騒ぐから水俣が悪くなる』といったものは確実にある」と強調しました。また、「水俣は農業を主産業としており、被害者の多くの漁業者は対岸から移り住んできたよそ者という差別意識がある。水俣市としては謝罪してきているが、国や県による謝罪はなされておらず、市民の向き合い方についても被害者との格差が存在する」ことも指摘されました。
全体を通して、参加者は水俣病についての認識が深めることができました。

 

第2分科会「「食の安心・安全・安定をめぐって」

 

参加者=145名
コーディネーター・助言者=江藤ひろみさん(管理栄養士、熊本県立大学非常勤講師)
報告者=澤村輝彦さん(有限会社肥後あゆみの会代表)
報告者=高濱千夏さん(グリーンコープ生活協同組合くまもと理事長)
報告者=福間智美さん(広島県世羅町立せらにし小学校栄養教諭)

澤村さんは、「1985年に水俣病患者を支援する方々と出会い、有機農業を始めるきっかけとなった。30歳で全て有機農業に切り換えたが、知識も技術もなく、10数年間はモノができなかった。有機農業を地域に広げるため、2001年に柑橘と野菜農家7名で有限会社肥後あゆみの会を設立し、畑18ヘクタールと自然栽培水稲(無施肥、無農薬)3ヘクタールを作付けしている。有機農業でも美味しくないと売れない。有機農業に夢と希望、信念をもって取り組めることに幸せを実感している」と述べました。
髙濱さんは、グリーンコープ生協の熊本地震の被災者支援活動報告を行いました。「前震の震源地である御船町に居住し、自宅も被災した。1年半に余震が4400回あり、家の中にいるのが怖い状況で、10日間ほどは車中泊だった。グリーンコープ熊本は組合員6万人で、組合員や職員も被災した。その中でも組合員へ商品を届けた。スーパーやコンビニが閉鎖状況でも、県内5店舗の生協は店を開け続けた。生協で災害支援センターを立ち上げ、ブルーシート等2545件の物資支援や、グランメッセ熊本等に避難している人々のSOSに弁当の炊き出し、宇城市へ味噌汁支援、仮設住宅でのバーベキューによるコミュニティづくりの手伝いをしてきた」等と報告しました。
福間さんは「地元の広島県立世羅高校が一昨年、全国高校駅伝大会で男女アベック優勝を果たし、駅伝でつなぐものが『たすき』ということにちなんで、食育のキャッチフレーズにも『たすき』を使用している。せらにし学校給食センターでは昨年度、県産食材使用率46.9%、うち世羅町産の使用率は32.3%だった。たすきでつなぐ世羅町の食育事業により、子どもたちが地域に目を向け、農家に感謝の気持ちを持つようになってきた」等と報告しました。
コーディネーターの江藤さんは、「食育活動を通しての『食の安心・安全・安定』を考える中では、幼稚園や保育園の給食の実施が食育情報の発信につながっている可能性がある」と、保護者へのアンケートをもとに指摘しました。
質疑応答では、食育に対する保護者の関心をどう高めるかや、給食への地場産農産物を増やす困難さ、給食のセンター方式と自校方式の違い、添加物や遺伝子組み換え問題等について議論が行われました。

 

第3分科会「食料・農業・農村政策をめぐって」

 

参加者=137名
助言者・コーディネーター=磯田宏さん(九州大学大学院農学研究院准教授)
報告者=村上進さん(有限会社木之内農園代表取締役社長)
報告者=磯田毅さん(熊本県議会議員)
報告者=西田毅さん(熊本県地方自治研究センター事務局長)

初めに磯田宏さんから「『安倍政権』農政・現局面の重要問題と課題」と題して提起を受けました。アメリカ抜きのTPP11の現状、日欧EPAの大枠合意、日米(FTA)協定などが大企業・多国籍企業・国際金融資本の要求を実現するためのものでしかないこと具体例を挙げて述べ、それを「断れない」安倍政権が続く限り国難は去らないとしました。
また、安倍政権の進める「農業競争力強化プログラム」農政について、「国民的農業」を解体し、「グローバル農業」化を進めるものであり、最大の受益者となるのは大企業・多国籍企業であるとしました。これに対抗して実現せねばならないのは「国民的農業」であり、国民経済の一環として、自国消費者の食料供給など、消費者・地域に向き合う農業をめざすべきとしました。
磯田毅さんからは「熊本県の農林業の現状と課題」について報告を受けました。熊本は生産農業所得が全国5位の農業県であり、代表する作物はトマトであること、また木材生産でも全国4位だが、1964年に丸太の関税が撤廃されて、産出額が落ち込んで以降、回復していない状況が報告されました。こうした中で、政府が進める自由貿易の流れは脅威であり、輸出に依存するのではなく、内需拡大を目ざす農林業を実現すべきであるとしました。
村上進さんからは、熊本地震による農園の被災の状況について報告を受けました。いまだに農業用水も幹線道路も復旧していない状況にあり、次第にボランティアが減っていく状況の中、人手の確保が困難になっていること。震災がなくても集落は高齢化で過疎になっていたかもしれないが、震災でそれが前倒しになって一層深刻な状況にあることだ。しかし、次世代のために何か行動しなければという思いで日々取り組んでいると報告を受けました。
西田毅さんからは、「グローバル農業」化に対抗し、過疎が進む地域を立て直すための政策として、「環境支払い」の理念・制度について提案がされました。これは、農業を通して自然環境を守っている農家の営みを、新しい方法で評価し、その対価を国民全体で負担することであり、「いのち、環境」を価値基準にした社会の転換を進め、地域を守っていこうと提起がされました。
パネルディスカッションでは、被災の実情に即した農業の復興や、新たに就農する場合の問題点や課題などが議論されました。

 

第4分科会「森林・水を中心とした環境問題をめぐって」

 

参加者=129名

講師=林 視さん(九州森林管理局 計画保全部長)
講師=武田かおりさん(NPO法人 AMネット事務局長)

最初に林視さんが「安全・安心な暮らしと森林」と題し、森林の推移・機能、治山事業について説明。熊本地震や九州北部豪雨を例に山地災害と復興対策について提起しました。九州森林管理局は震災直後から職員を派遣し、ヘリコプターと地上での現地調査を実施、災害復旧事業計画作成を支援しました。また、特定個所に集中した豪雨は、森林の有する山地災害防止機能の限界を超えたために山腹崩壊が発生、多量の雨水が周辺森林から凹地形へ集中し土壌の深い部分まで浸透したため表層崩壊が発生し、立木と崩壊土砂が流水により渓流周辺の立木や土砂を巻き込みながら下流域に流下したことを説明しました。
今後の対策として、災害発生の恐れがある場所を把握し、発生区域では保安林の配備や伐採、土留工事を行うこと、流下地域では流木化する可能性の高い立木の伐採や流木捕捉式治山ダムなどを設置する。下流では、森林緩衝林として機能させることが必要であると述べました。最後に、先人が植えて育てた森林を適切に管理し、上手に利用し、次の世代に引き継ぐことが重要であると訴えました。
続いて、武田かおりさんが、大阪市の水道民営化計画に対する取り組みを報告しました。民営化提案の経過や背景、市議会で明らかになったさまざまな懸念事項などを説明し、市議会への慎重審議要求、陳情書提出などを行った経験から、「市民が積極的に活動すれば議会の議論が深まることを実感した。無関心であった市民にも、海外での失敗例などを通し水道民営化は時代遅れであることが浸透したことで、民営化案の廃案につながった。住民が関与しないと自治体の政策は変わらない」と訴えました。
水道労組も市民主催の集会などに出向き、あるいは水道サポーターのような仕組みで住民参加を進めることで、現場を知る組合と市民が「市民にとってのより良い公共サービス」を共有化することが重要なこと、市民にとって必要とわかれば市民に守ってもらえることを強調し、さまざま説明を重ねるよりも「海外で民営化は失敗している、民営化より公営が得である」とシンプルに100万回言おうと訴えました。
さらに、佐藤智洋・全水道九州地本選出政策推進委員が、水道と森林とのつながり、水道民営化における自治体・事業体の責任やユーザーとしての市民の監視の必要性などについて助言しました。
その後会場から、①流木災害などに対する国の対応、②外国人による水源涵養林の土地購入の規制などの質問と意見が出されました。

 

第5分科会 フィールドワーク「熊本地震の被災地を訪ねて」

参加者=52名

前夜からの雨も明け方には止み、快晴の中、フィールドワークは予定通り開催されました。 企画・運営を熊本県実行委員会が担当し、熊本地震の語り部として、連合熊本森岡雅史・副事務局長と熊本地協議長代行が現地案内をしました。
熊本駅前からマイクロバス2台で出発し、車内では熊本地震に関するDVDと併せて、語り部から震災発生当時から今日までの経過等の説明がありました。車窓からは、震災から1年7ヶ月が経過した現在の益城町や南阿蘇村の街並みを見学しました。
益城町では、倒壊した家屋の多くは解体され更地が目立ちましたが、その中でも、一部残った倒壊した家屋や、波打つ歩道などが見受けられ、発生当時の凄まじさが垣間見えました。また、町内には仮設の町役場や多くの仮設住宅が建設されており、特に県内最大の仮設住宅地には、避難されている方のための簡易集合商業施設や平屋の住宅展示場なども併設されていました。
南阿蘇村では、崩壊した阿蘇大橋の迂回路として8月27日に改修され、供用が開始された長陽大橋を渡り、復旧工事がまだ行われている道路を通って「東海大学阿蘇キャンパス」を訪ねました。東海大学阿蘇キャンパスは、現在も震災当時のままの姿が多く残されており、現地の語り部を担当していただいた東海大学の椛田聖孝名誉教授からキャンパス内の説明を受けながら見学をしました。キャンパス内の中庭には断層が走り、校舎周りのアスファルトの地面は凄まじい地割れと波打つ状況で、歩くのにも気が抜けない所もありました。耐震補強工事が施されている校舎さえも地震の影響で、外壁のひび割れ等による損傷が激しいため解体が予定されているとの説明がありました(上写真)。
最後に、熊本県中北部を流れる一級河川の白川の総水源であり、日本名水百選の一つである南阿蘇村にある「白川水源」に移動し、毎分60トンの湧水が地底の砂とともに勢い良く湧き上がる光景を見学しました。熊本地震直後はこの水も一時は枯れたということで、改めてその影響を実感しました(下写真)。
早朝から半日の行程は非常にタイトなスケジュールでしたが、熊本地震が残した爪痕を見る中で、多くの住民の方の日常が奪われたこと、しかしながら、1年7ヶ月が経過した中で、少しずつ確実に復旧・復興に向けて進んでいることを、参加者は身近に感じることができました。

 

 

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