人権コーナー

2008年12月30日

田巻一彦ピースデポ副代表「米軍再編、自衛隊と憲法」

米軍再編、自衛隊と憲法

田巻一彦(ピースデポ副代表)

憲法平和主義の「規制緩和」をねらう米軍再編

 「われわれは、世界中に小細胞として拡散した敵と対峙する時代に入った。だが、わが軍は依然として巨大な陸軍、海軍、空軍と戦うように配置されている。それを支えるのは『静的な抑止』というアプローチである。このアプローチは守るべき領土を持たず、遵守するべき条約を持たない敵には適用できない」
 2004年9月23日の下院軍事委員会で、ラムズフェルド国防長官(当時)は米軍の世界的態勢見直し(GPR)の動機をこのように述べました。GPRは、海外駐留部隊と基地の再配置にとどまらず、部隊の再編成、統合作戦をキーワードとする作戦運用思想の再検討など、多様な要素を含むものです。
 日本でも沖縄の「負担軽減」のための航空機部隊・訓練の本土への分散移転および海兵隊のグアム移転、陸軍の新司令部の座間(神奈川県)への進駐、原子力空母の横須賀母港化と艦載機部隊の厚木(神奈川県)から岩国への移転などの事案が、2006年5月1日の「日米ロードマップ」などで合意されました。
 しかし、このような部隊の再編に勝るとも劣らぬ意味を持ったのが憲法前文と9条によって謳われた平和主義への挑戦でした。ラムズフェルドの言う「静的な抑止からの脱却」を実現しようと思えば、それは必然的に、憲法平和主義に基づく「日米安保」に対する諸規制を緩和、ないしは解体しなければなりません。ラムズフェルドは、上記の議会証言で次のように「部隊移動の自由」の重要性を次のように強調しています。
 「第2の重要な観点は、米軍の移動に対して好意的な環境のところに駐留するべきだということだ。米軍兵士は短い予告期間でさまざまな場所で必要とされる可能性があり、問題の場所に速やかに移動しなければならない。(略)したがって、軍の駐留、配備、訓練のための場所を選定するにあたっては、より柔軟な法的および支援とりきめを同盟国およびパートナーとの間で開発すること」と「米軍と同盟国軍を世界のどこへでも迅速に移動させることを可能にする」法的枠組みの必要性を強調しました。
 これは、日米安保条約の締結時に交わされた「日本からの出撃は事前協議には事前協議を要する」という約束(交換公文)を廃棄せよと迫ることに等しいものでした。日本政府はこれへの同意は明言しませんでした。しかし、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン戦争そしてイラク戦争における、「日本からの出撃実績」を不問にしてきた政策は事実上この要求を追認するものに他なりません。逆に言えば、「米軍再編」は憲法平和主義による日米安保への規制を復権するチャンスであったにもかかわらず、私たちはそのチャンスを掴まえることができなかったのです。
 それどころか、その後、議論の基軸はラムズフェルドが言った「同盟国軍の迅速な行動」に移ったことは、最近の「海外派遣恒久法」、そしてそれと表裏一体をなす「集団的自衛権行使」の解禁論議(次項)を見れば明らかです。

「規制緩和」の鍵=「集団的自衛権」

 米軍再編合意文書にしばしば登場する言葉に、「共通の戦略目標」があります。米国は大量破壊兵器や弾道ミサイルの拡散防止、テロの根絶など近年の米国の「戦略目標」と同じ目標を日本も持てと迫ったのです。小泉首相(当時)は「国連は日本を守らないが、米国はまもってくれる」として、この「戦略目標」を受け入れました。その論理の先に、米軍が日本からどこへでも出撃できるようにするだけでなく、日本軍=自衛隊もより能動的、主体的に米軍とともに戦うことが求められるのは言うまでもありません。
 この目的で、「集団的自衛権の行使の禁止」という規制を撤廃することに執念を燃やしたのが、安部晋三元首相でした。2007年5月から8月にかけて、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(略称:安保法制懇)は、次の4つのケースが、「集団的自衛権の行使」にあたるという憲法解釈を見直すことの是非を議論しました。
1.公海上で自衛隊艦船と並走中の米艦船が攻撃された場合の自衛隊艦船による反撃
2.米国を狙った弾道ミサイルの日本のミサイル防衛システム※による迎撃
3.PKOなどの国際的平和活動における他国部隊・隊員への「駆けつけ警護
4.国際的平和活動における後方支援
 ところが、2007年8月の安部首相の突然の辞任によって、「安保法制懇」自体が宙に浮いた形になりました。安部内閣をついだ福田首相が、憲法解釈の見直しに慎重な立場であったことから、最終報告が出されたのは、2008年6月24日のことでした。
 報告書は、「21世紀の安全保障環境は、日本国憲法が制定された第2次世界大戦直後と大きく異なることはもとより、これまでのさまざまな政府解釈が打ち出された冷戦期からも大きく変化しており、さらに、冷戦終結直後の安全保障環境とも異なっているとの基本認識を確認した」とし、上記4ケースについて「これまでの政府解釈をそのまま踏襲することでは、今日の安全保障環境の下で生起する重要な問題に適切に対処することはできない」と結論づけました。しかし、憲法解釈を公式に変更するか否かについては国際法や国際情勢を見ながら慎重にすすめるべしと述べるにとどまりました。
 報告書が、もっとも踏み込んで解釈変更の必要性を主張したのは②ミサイル防衛に関するケースでした(これも「共通の戦略目標」の一つ)。要約すれば次のとおりです。
 わが国に飛来する弾道ミサイルは個別的自衛権で撃ち落せるが、米国に向かうミサイルを撃ち落すことは集団的自衛権の行使に当たるのでできないとの立場、あるいは、いずれの場合か判断できないため対応が遅れるという状況は、弾道ミサイルに対する抑止力を阻害する。
 ミサイル防衛を除けば、「集団的自衛権行使の禁止」の憲法解釈は、首の皮一枚ではあるが生き延びています。しかし、予断は許されません。自民党は一方では自衛権と自衛軍を明記した「新憲法草案」を振りかざしているのです。

自治体と市民の抵抗を「カネ」で買う「再編特措法」

 「米軍再編促進特別措置法」が、2007年5月23日に成立、8月29日に施行されました。この法律は、日米軍再編によって影響を受ける自治体への「再編交付金」の交付と、「沖縄の負担軽減」を目的に合意された海兵隊グアム移転費用の日本による負担の枠組みの設立を内容とするものです。
 「再編交付金」は、国が選定した「再編関連特定市町村」に対して、再編による住民生活への影響とその範囲、「再編に向けた措置の進捗状況およびその実施から経過した期間」に応じて支払われます。法案が閣議決定された2007年2月頃から、政府・与党周辺から次のような情報が意図的に流されました。いわく「再編受け入れを拒否したり、難色を示す自治体には交付しない」、「(普天間代替施設の)V字型滑走路案の修正を求めている名護市に交付金を出したら法律違反になる」…
 一方で政府は露骨なムチを振るうことも忘れませんでした。空母艦載機移転に反対する岩国市(山口県)に対しては、市庁舎建設のための補助金交付を凍結するという財政的圧力を執拗にかけたのです。
 「交付金」の額の算定方法は、基地面積の増加、施設の増強、部隊・人員数の増加を含む9項目を点数化し、これらの点数の合計を、国が再編の進捗状況に応じて決定する「交付限度額」に乗じて算出するというものです。「再編の進捗状況」という言葉は意味深長です。自治体が反対の意思を堅持していれば当然、再編は進捗せず交付金はゼロになるのです。
 実際、2007年10月31日に告示された2007年度「交付金」の交付先(33市町村)と交付額(総額約46億円)には、沖縄県で交付候補にあがっていた5市町村のうち、交付先とされたのは浦添市のみであり名護市、金武町、宜野座村は、対象から外されました。また岩国市と、キャンプ座間への陸軍司令部移転に反対している座間市(神奈川県)も交付先には含まれなかった。ところが、2008年3月31日、国は一転して「アセス手続きへの協力が期待できる」として名護市、宜野座村への追加交付を決定しました。また、2月の市長選で「艦載機受け入れ」を公約して当選した福田良彦・新岩国市長に対して、国は、2008年度再編交付金に2007年度分を上乗せして交付することと、市庁舎建設補助金の凍結を解除することをあわせて約束しました。このように、「交付金」を餌に自治体の抵抗を骨抜きにするという手法は、憲法が謳う「地方自治」の原則への明白な違反です。
 しかし、一方で憲法と地方自治の精神は、米軍再編に対する自治体と市民の抵抗のなかで精気を放ちました。それは、住民投票で明らかにされた「艦載機移転反対」の民意を背に信念を通した井原・岩国市政であり、2度の住民投票条例直接請求で原子力空母母港の足元をいまも揺るがせている横須賀市民、そして、普天間基地の危険除去のために奮闘を続ける伊波・宜野湾市政です。普天間代替施設の候補地、辺野古では、今日も人びとの座り込みがつづいています。

米軍再編が奪うグアム民衆の自決権

 在日米軍再編合意の重要な事案の一つは、「約8,000名の第3海兵機動展開部隊の要員とその家族9,000名は、部隊の一体性を維持するような形で2014年までに、グアムに移転する」ことです。移転に伴う施設建設などの費用の約60%にあたる61億ドルは日本政府の負担です。この費用負担のために、国際協力銀行(JBIC)を活用することが、「再編特措法」の目的の一つでした。
 面積549平方キロメートル(淡路島とほぼ同じ)に約16万人の人びと(その37%は先住民・チャモロ)が暮らすグアムは、「日本から最も近い米国」として人気の高いリゾート地ですが、同時に「軍の島」でもあります。土地の30%は現在も米軍基地で占められています。住民は本会議での議決権を持たない連邦下院議員1人を選出できるものの大統領の選挙権は持たされていません。公選の知事と一院制の議会を持っていますが、権限は限定的されています。米軍は、土地の収用の権限も持ち、米軍政下の沖縄を思わせる半植民地的状態です。
 「普天間の危険除去」を求める沖縄の声に対して、日米政府が示したのは海兵隊をこのグアムに移転するということでした。しかし、その後明らかになったのは、「沖縄の負担軽減」では説明できないグアムの基地大増強=戦力投射拠点建設計画の存在でした。計画完了の暁には兵員数は現在の6,500人から実に2万1,000人に増加する。家族を含めれば人口16万人のグアムに2万6,000人の新しい人口が加わるのです。これは、現存するグアムの社会インフラでは到底対応できない規模です。グアム政府を含む地元からは「なんとかしてくれ」という悲鳴が聞こえています。
 それに対して、米軍は「日本がお金を出してくれるから安心せよ」と言っているのです。しかし、米領土内の基地や関連インフラ整備に日本の税金を注ぐことが可能とする法的根拠はありません。「再編特措法」はそれが是とされた場合の資金提供の枠組みを示したにすぎないのです。
 金の問題だけではありません。先住民・チャモロの人びとは次のように訴えています。
 「植民地的関係の下で、数千人の新しい住民と軍事資産が置かれることが、この小さな島の社会にもたらす影響は明白である。そして、このような軍人と軍資産の流入は、植民地の独立に関する国連決議と施政権国としての米国の義務への違反である」、「われわれは、グアム住民が、今回の軍増強計画に関する連邦政府の検討過程から排除されていることに強く反対する。そして植民地下にあるグアム住民に情報が提供され、住民がこの軍増強を欲するのか否かを明示的に決定できるような、現在とは別のプロセスを要求する」(ホープ・A・クリストバール元グアム議会議員の議会証言。2007年8月13日)
 米軍再編は、グアムでも人びとの自決権と平和的生存権を脅かしているのです。

「平和的生存権」に具体的権利性 ― 名古屋高裁判決の意義

 以上のように「米軍再編」を憲法との関連の文脈で追ったとき、明らかになるのは、「米軍再編」は2001年から始まった、海上自衛隊のインド洋派遣、陸上・航空自衛隊のイラク派遣と一連のものであるということです。すなわち、「ショー・ザ・フラッグ」、「ブーツ・オン・ザ・グラウンド」という自衛隊の海外プレゼンスを求める米からの圧力に応えて進められてきた自衛隊の海外派兵が、米軍再編によって「共通の戦略目標」という思想へと高められようとしているという捉えることが重要です。
 相次ぐ自衛隊の海外派兵に法の裁きを求める運動が、各地でとりくまれてきた。そのなかで、2008年4月17日に名古屋高裁で下された判決は、まさに「金字塔」とも呼べる大きな意味をもつものでした。
 1,122人の市民が航空自衛隊のイラク派兵は違憲だとして差し止めを求めた控訴審判決で、名古屋高裁は、米兵などを輸送する「航空自衛隊の空輸活動は憲法違反」とし、「平和的生存権」を憲法上の法的権利であることを認める画期的な判決を出したのです。
 原告が求めた派兵差し止めと慰謝料請求の訴えは退けられました。しかし判決は現在のイラクの状況を「一国国内の治安問題にとどまらない武力を用いた争いが行なわれおり、国際的な武力紛争が行なわれている」と認めました。このようななかでの航空自衛隊の空輸活動は「主としてイラク特措法上の安全確保支援活動の名目で行なわれ、それ自体は武力の行使に該当しない」が、「現代戦において輸送等の補給活動もまた戦闘行為の重要な要素であること」を考慮すれば、多国籍軍の武装兵員を戦闘地域であるバグダッドに空輸することは、「他国による武力行使と一体化した行動であって、自らも武力の行使を行なったとの評価を受けざるを得ない行動」であると判決は述べました。さらに判決は、航空自衛隊の空輸活動を「武力行使を禁じたイラク特措法第2条2項、活動地域を非戦闘地域に限定した同条3項に違反し、かつ憲法第9条1項に違反する活動を含んでいる」と断じました。
 同判決はさらに憲法前文の「平和的生存権」について、注目すべき判断を示しています。すなわち、平和的生存権は「現代において憲法の保障する基本的人権が平和の基盤なしには存立し得ないことからして、全ての基本的人権の基礎にあってその享有を可能ならしめる基底的権利」であり、「単に憲法の基本的精神や理念を表明するに留まらない」としたのです。そして判決は「平和的生存権」には、それに基づいて違憲行為の差し止め請求や損害賠償請求などの方法で救済を求めることができる「具体的な権利性」があると認めました。
 後に論文で「日本は侵略国ではなかった」と強弁した田母神俊雄航空幕僚長は、この判決を「そんなの関係ねえ」と揶揄しました。しかし、この判決は「自衛隊と憲法」を巡る戦後の司法判断の一つの頂を示すものであり、今後も平和を求める市民の共通の財産であり続けるでしょう。

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