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もう一度「愛国心」とは

2010年8月 1日

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 サッカーのワールドカップが終了しました。前評判の芳しくなかった日本代表は、予想以上の活躍でマスコミの扱いも一変しました。「手のひらを返す」を地でいくもので私も同様、心から反省しています。スポーツは見る人の多くを感動させる力があります。そこには、うそ偽りがないからかもしれません。

 北海道で生まれ育った私には、札幌オリンピックでメダルを独占したジャンプ陣の姿が忘れられません。「日の丸飛行隊」という呼び方がその後も日本スキージャンプ陣につきまといます。戦争をイメージするという批判も多くありました。スポーツは、ナショナリズムと切り離すことがむずかしいものです。
「君が代」を歌っていなかったと批判された日本代表もいました。今年のワールドカップでは、肩を抱き合い「君が代」を歌うイレブンの姿が映し出されました。多くの人が何を感じたのか、感じなかったのか、「国旗・国歌法」の制定や「教育基本法」の改悪と向き合ってきた私には、その背景にあるものが、決して心がせまいナショナリズム・排他的な「愛国心」でなければよいと思います。

 「愛国心」を標榜する政治家が多くいます。国や政治家は、「愛国心」を教えるべきではありません。政治家や国は、「愛される国」をつくることに全力を傾けるべきで、国のあり方によって、「愛国心」は自然と生まれていくものです。「この国はいい国だ」との思いは、国籍を超えて存在するのです。スポーツに限らず、多くの若者が世界で活躍する時代となっています。国際的な交流が進む中にあっての「愛国心」とはどうあるべきかが問われています。自国の何が好ましく何がまずいのか、何を変えていくべきなのか。自国に拘泥して世界を見つめることができなければ真の国際人になり得ません。

 6月16日に、「シベリア抑留者法」が成立しましたが、またも国籍条項が入り旧植民地出身者を排除する結果となりました。「愛国心」とは何なのか、もう一度考えるべきときだと思います。日本と対戦したオランダチームの胸には、オランダ国旗と「日の丸」がありました。

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