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大切な何かを失わないように─東松山という町で─

2013年1月 1日

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 埼玉県吉見町の「吉見百穴」(写真・吉見町ホームページ)、これは地元では「ヒャクアナ」と読むらしい。ずっと高校の教員時代に「ヒャッケツ」と教えてきた。誰が「ヒャクアナ」と名付けたのか。古墳時代後期の横穴墓群だ。平和フォーラム関東ブロックの総会後に訪れた「吉見百穴」には、太平洋戦争の末期、1945年になってから軍需工場として突貫工事で作られた洞窟が存在する。相当な規模で、一部が解放されている。強制連行後に逃げ出したりした朝鮮人労働者が働いていた。今でもつるはしの痕が鮮明で、非公開部分には刻まれたハングル文字もあるという。埼玉を拠点に零式戦闘機などを製作した中島飛行機製作所の工場を移転しようとしたらしいが、湿度の多い洞窟内では精密な作業は困難で、終戦もあってほとんど役に立たなかった。遠い異国で、腹を空かせて無駄な労働を強いられた人々の思いはいかほどか。戦争の本質は、そこにある。

 そこから、さほど遠くない東松山市に「原爆の図」で有名な「丸木美術館」がある。広島で生まれた丸木位里と北海道は極寒の秩父別で生まれた俊の出会いによって、そして原爆投下後の広島との出会いによって生まれた「原爆の図」14部は、圧倒的な主張をもって、私たちに迫る。嘆き、悲しみ、苦しむ人々、呆然と空間を漂う瞳、なすすべもない怒り。そこには、キノコ雲も、原爆ドームも、廃墟と化した町並みも描かれない。ただ、さまよい、傷つき、亡くなっていく人らしき人の群れ。「ピカも、人が落とさにゃ、落ちん」という、位里の母親スマの言葉。戦争の本質がここにもある。人が落としたピカの下で、人がどのようにあったのか。そのことを、これでもかこれでもかと突きつけてくる二人の画家の、言葉に表すことのできない思い。受け止めきれない重さを感じながら、平和フォーラムの果たすべき役割を思う。

 自衛隊を「国防軍」になどと主張する人間が出現する今を、「原爆の図」に描かれた人々はどう受け止めるのか。大切な何かを失わないようにしたい。

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