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本当のことが言えない時代

2014年2月 1日

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 日本海側から北海道にかけて強い寒波が襲来しているらしい。雪下ろし作業の悲しい事故の話も聞く。北海道生まれの私には、雪に関わる様々な思い出がある。毎日の雪かき、屋根の上からのスキー、木に上っての新雪へのダイブ、裏山までの雪のトンネル、楽しかったり、つらかったり、そして寒かったり、思い出は苦くもあれば甘くもある。

 そう考えているうちに、亡くなった母を思い出した。母は、1924年、北海道上川郡新得村で生まれた。鉄道省の技官だった父親が、狩勝峠の鉄道敷設の測量に従事していたらしい。その後、3歳で父親を失った母は、母一人子一人、いわゆる母子家庭として苦労を重ねた。

 1931年、7歳になるときに満州事変が勃発する。当時通っていた函館の女学校にも戦争の足音が聞こえだし、外国人宣教師だった学長が米国へ強制送還された。英語の授業がなくなった。そして、軍事教練と言う名の竹槍訓練が始まり、授業を放り出して勤労動員にかり出された。母は漁網を作る会社で働かされたらしい。戦争が長引く中で、勉強とはおよそ無縁の学生生活が始まった。

 15年戦争は、21歳の年まで続き、母の青春は戦争の只中だった。そして敗戦後の混乱期は、着物などを持って連絡船に乗り、青森へ出かけては食料と交換して歩いたらしい。見つかったら没収される危険の中で二十歳を過ぎたばかりの女一人、1887年生まれで敗戦当時58歳になる母親との二人きりの生活は並の苦労ではなかっただろう。

 どうしてそのような会話になったかは思い出せないが、私は母に「竹槍なんかでアメリカに勝てると思ってたの」と言った覚えがある。「そんなこと誰も思ってない。思ってないけど、誰も本当のことを言えない時代だった」というのが母の答えだった。出版法、新聞紙法、軍機保護法、国防保安法など、自由な発言を許さない法律は多い。治安維持法は、1922年に「過激社会運動取締法」として提案されたが、成立しなかった。政府は、1925年に「普通選挙法」とセットで治安維持法として成立させた。1941年の「準備行為」を入れた改定を経て検挙者は7万人を超え、約5700人が起訴されたと言われる。たった7条からなる法文は、政府の恣意的な運用で稀代の悪法となった。これら法律が、国民の自由な発言を許さず、戦争への道をひた走る基盤をつくったことは間違いない。

 「特定秘密保護法」制定の喧噪から年を明けて、母の言葉が胸にしみる。「本当のことが言えない時代」。将来の若者に悲しい思い出を残さないように、時代は正念場を迎えている。

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