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2018年05月01日

禍根を残さず!安倍内閣を断罪せよ。

久しぶりに、山川出版社の日本史教科書をめくりながら考えた。

初の政党内閣である隈板内閣(第一次大隈重信内閣の通称)が、共和演説事件のごたごたで倒れた1899年、成立した第2次山縣有朋内閣は、政党政治と労働運動を弾圧する2つの悪法を制定している。「軍部大臣現役武官制」と「治安警察法」だ。治安警察法は、台頭してきた労働運動・社会主義運動を徹底して弾圧した。軍部大臣現役武官制は、政党政治に代表する民主主義を破壊し、軍部の政治的台頭を許し戦争への道を確定した。

長州陸軍閥の領袖の山縣は、高杉晋作、周布政之助、久坂玄瑞、大村益次郎そして木戸孝允や伊藤博文亡き後、元老として権力の頂点に君臨した。優れた人材が若く志し半ばで世を去って行く中にあって、山縣は社会全体を俯瞰することなく、自ら軍閥としての狭隘な利益を追求することで、日本社会全体を歪めていった。

1910年、植民地化した朝鮮半島に常駐させる陸軍2個師団の増設の要求を蹴られた陸相の上原勇作は、天皇に帷幄上奏(いあくじょうそう)のうえ大臣を辞任し、陸軍から大臣を出さないという暴挙に及んだ。山縣が成立させた軍部大臣現役武官制は、自己の要求を拒否する西園寺内閣を総辞職に追いこんだ。その後、軍部の主張が政治に大きな影響を与え、1931年には関東軍の陰謀によって満州事変が勃発、泥沼の15年戦争に突入することとなった。

加計学園や森友学園問題、防衛省の日報問題、大揺れに揺れながらも頑迷に政権にしがみつく安倍晋三首相、この人の姿を山縣有朋と重ねるのは自分だけだろうか。安全保障関連法(戦争法)と改正組織犯罪処罰法(共謀罪法)を、民意を無視して強行成立させた安倍内閣。山縣内閣から100年を過ぎた今、軍部大臣現役武官制と治安警察法を正当なるものと評価するものはいない。歴史は、山縣内閣をきびしく断罪する。

さて、戦争法と共謀罪法の100年後はどうだろうか。これからは、米国の尻馬に乗って自衛隊が戦争にかり出される。政府に反対する市民運動は弾圧される。火を見るより明らかではないか。しかし、安倍内閣の断罪を、私たちは歴史にまかせてはならない。山縣内閣のその後をしっかりととらえるならば、戦争法も共謀罪法も、その断罪を歴史にまかせてはならない。私たちの手で必ずや葬らなくては、まさに歴史に禍根を残すこととなる。私たち市民社会が断罪される。
(藤本泰成)

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