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ニュースペーパー2008年12月号

2008年12月 1日

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【インタビュー・シリーズ その29】
山場の1,047名不採用問題解決に全力をあげる
国鉄労働組合書記長 濱中 保彦さんに聞く

【プロフィール】
1952年北海道浜頓別町生れ。70年国鉄浜頓別保線区に臨時雇用員(臨雇)として就職。72年音威子府保線区に準職員採用。臨雇時代から国労活動にかかわり、1987年の分割・民営化時は旭川地本の企画部長。89年広域採用でJR東日本に採用、92年から常磐線松戸駅に15年間勤務。98年より東京地本副委員長を経て、2007年8月から現職。趣味はゴルフ・読書。最近読んだ本に「沈まぬ太陽」(山崎豊子著)、「模倣犯」(宮部みゆき著)、「三国志」など。

───子ども時代の思い出は。
 北海道の貧乏な家庭で育ち、飼っていたヤギ(緬羊)の毛を紡いで編んだ服を着ていました。お袋が何日も手間をかけてつくった苦労も知らずに一日でボロボロにしたことを今でも言われます。わんぱくでしたね。

──国労とのかかわりや印象的な取り組みは。
 1970年から2年間、臨時雇用員として働きますが、当時の管理者は、人が足りているので採用していないと言っていたんです。ところが1年目に6人も新規採用者が入ったのでおかしいと思ったんです。当時、未加入でしたが、国労の人たちに相談すると臨雇の職員化を要求してくれたので加入したのが出発です。
 浜頓別保線区から72年に準職員になって音威子府に行きますが、マル生(生産性向上運動)攻撃をもろに受けていて、職場70人のほとんどが全施労(第2組合)に脱退していました。そこに私同様、臨雇から採用された国労の5人が配属されました。最初から国労の役員をせざるをえませんでしたが、5年かけて最終的に全員が国労に復帰しました。これは自分の人生でも大きな経験です。それからは、保線での機械化合理化との対決、スト権ストのたたかい、マル生で国鉄総裁が謝罪するという動きがあり、国労も勢いがありました。
 しかし、1984年頃になると、「ヤミ手当・カラ出張」などの攻撃が始まり、「職場規律の是正」を名目とした締め付けなどが矢継ぎ早に行われます。そして、87年の分割・民営化になるのです。このとき、単に職場がなくなるだけではなくて、住民の足そのものを奪い取る攻撃だということを主張しました。あちこちに住民の足を守る共闘会議ができて、自治体首長も巻き込んだとりくみにしました。鉄道がなくなることへの恐れは基幹産業がない北海道ではとくに強かったですね。

──分割・民営化の攻撃はどうでしたか。
 直前までほとんどが国労組合員でしたが、会社と改革労協が一体となった「バスに乗り遅れるな。国労にいたら採用されない」という分断を受けました。北海道では2万6,000人の国鉄職員に対して新会社は1万3,000人しか採用しない。国労は2人に1人以上が不採用という実態でした。分割・民営化後は、清算事業団に圧倒的な人たちが押し込められる状態になって、再就職を必要とする職員とされました。再就職といっても、私のいる音威子府では地場産業は農業・林業しかないし、北海道全体でも大きな企業はないので、多少の公的部門を除いては不安定雇用・賃金補償もない再就職口しかなく、選択肢もありませんでした。

──採用者と清算事業団に分かれる中での運動ですね。


採用差別問題の解決をめざす大集会に1万1200人が参加
(08年10月24日・日比谷野外音楽堂)
 中心はやはり不採用の人たちの思いを受けとめることでした。清算事業団にいる人たちは何で俺たちはこんな目に遭うのかという憤りに満ちていて、清算事業団側は何も応えず、怒りは組合に向けられてきました。自分も同じ立場ですから気持ちも分かりますしね。広域採用で東京や西日本に移動して生活基盤を確立しようと提起してもなかなか進みません。行ける者が行かないとますますたたかいが難しくなると判断して、地本役員だった自分が先頭になって東京に来ました。
 しかし、不採用者1,047名中、北海道関係者は約580人で、九州もほぼ同数ということになりました。

──その1047名の権利回復のポイントは何ですか。
 一番大きかったのは労働委員会の命令です。採用差別を問題にしましたが、中央労働委(93年12月)をはじめ、全国17の地労委が不当労働行為を認定したことは大きな成果でした。しかし、中労委命令を取り消す裁判が東京地裁(98年)、東京高裁(2000年)、最高裁(03年)まで争われ、「JRに法的責任はない」「採用過程に不当な行為があった場合、清算事業団(現・鉄道運輸機構)がその責任を負う」という判決が確定しました。労働委員会制度は労働者を救済する社会全体の安全弁なのに、不当にも司法が潰したわけです。これではセーフティネットはなくなってしまいます。
 判決に対する対応は非常に複雑でした。裁判の一方で、4党合意をめぐる組織混乱があり、鉄建公団相手の独自訴訟により、内部で団結できずに混迷した苦しい時代でした。鉄建公団訴訟の2005年の9.15判決を契機に、このままでは解決する展望をえられないと、関係する4者4団体が団結して新たな解決の枠組みをつくり、それから信頼関係を深めて今日に至るわけです。

──4者4団体のとりくみでの課題は。
 私が書記長になったときに克服すべき課題が4つありました。1つは団結です。4者4団体はつくったけれども、まだ信用されない状態でした。それを被解雇の4者を中心に、国労など4団体がサポートする陣形を内外に明らかにしたことで急速に団結を回復できました。2つは、政治窓口です。北海道・九州中心のとりくみで民主党を軸に確立できました。
 3つ目は風化論の克服です。もう国鉄なんて知らない人ばかりなのに国費を出して救済する国民的合意は得られないという攻撃がありました。これに対して大きかったのは地方議会の意見書です。現段階で776議会(全人口の約55%)に到達しました。自治体首長や議員の上京要請なども積み重ねてきました。
 4つは、裁判の問題です。まず裁判をおろせということに対しては、政治解決がみえない段階での武装解除はできない、あくまで同時決着を明確にして、雇用・年金・解決金が最低限の要求との方針を確立しました。

──いま政治解決にむけてはどういう状況ですか。
 鉄建公団訴訟で東京高裁の南裁判長が裁判外での話し合いを提案し、冬柴国土交通大臣(当時)がこれを受けると発言したことは、画期的な局面で22年目にして解決に向けた土俵となるものです。分割・民営は国策として行われたものであり、中曽根元総理が国労・総評・社会党を潰して新しい憲法をつくることを意識して行ったと語っているように、政治的意志を持った不当労働行為です。「一人も路頭に迷わせない」「所属組合による差別はしない」という約束も全部反故にされたのですから、政治が責任をとるべきです。
 その意味ではようやく解決場面に来たのかなと思います。南裁判長は、12月24日結審、来年3月判決との意向をもっています。1万1200人が参加した今年の10.24集会を築き上げた力をもとに、雇用・年金・解決金の要求解決の動きをつくりたいと考えています。
 JRグループの雇用救済の責任が盛り込まれるかが重要です。鉄道運輸機構には1兆3,000億円の剰余金があり、解決しようと思えばいつでも解決できるはずです。被解雇当事者の決意や思いを中心に置き、当事者を守ることに国労は徹します。もう一踏ん張りです。

──国労の当面する課題は何ですか。
 一番大きいのは組織拡大です。JR内の国労差別は会社と和解して基本的には解消されたので、文字通り組織戦の絶好のチャンスと考えています。安全の問題は交通労働者の使命ですから、労働組合が会社をチェックしてもの申す役割を柱にして組織を拡大します。
 一番立場の弱い者を守ることが労働運動の本質だとすれば、国労は一貫して不採用問題を方針の中心に据えてきたことに誇りを持とうと全国大会で集約しました。社会全体の弱き立場にある者をいかに守っていくか、その視点で運動が広げられるようにしたいですね。

〈インタビューを終えて〉
 国労の長い闘いが体全体に刻み込まれている。闘争局面を思い浮かべながら、その歴史を語る。思わず私の目頭が熱くなる。マル生、スト権奪還、国鉄分割民営化阻止、1,047名JR採用差別糾弾。20年をこえる闘い。今当事者と支援団体がまとまり、統一した闘いへ。最前線を担う書記長のこぶしにまた力が入る。
(福山真劫)

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第2回歴史関連NGOソウル大会と光州を訪問して
歴史認識の共有と一日も早い過去の清算を

 日本の戦争責任を問う各種集会がインターナショナルなレベルで多く開催されていますが、10月8日から12日まで、韓国のソウルで第2回歴史関連NGO世界大会が開催されました。
 大韓民国での開催でもあり、「日本の侵略戦争について」の歴史を正しく認識し、残された課題を解決し、将来に向かって平和を作り出すことをめざす大会でした。日本からは、「日本の戦争責任資料センター」を中心に参加していました。

 

対話による歴史問題の解決へ
 実行委員会の議長は韓国と日本で構成され、日本のNGOを代表して、荒井信一さんが共同議長の役割を果たしていました。荒井さんは「日本の戦争責任資料センター共同代表・駿河台大学名誉教授」であり、最近では岩波書店から「空爆の歴史―終わらない大量虐殺」を出版しています。
 荒井共同議長が、キーノートスピーチを行い、その中で、「この1年間、歴史問題の解決に大きな転換があり、日中韓3国の首脳の発言が、歴史問題に関わって、『過去の清算、過去の克服』から、『過去の歴史を直視』が使われることが多くなった」とし、「対話によって、解決策を見出そうと動き出している。政府の努力とあわせて、歴史関連のNGOの役割が重要だ」と強調しました。

被爆者課題の解決と平和の確立
 大会では韓日被爆者関連のワークショップも開かれ、日本からは日本被爆者団体協議会の坪井直代表委員、同協議会の田中照巳事務局長、「韓国の原爆被爆者を救援する市民の会」の市場淳子会長、そして私の4名が参加し、それぞれの立場から提起しました。
 坪井さんは、自らの被爆体験を語ると同時に、「原爆の被害は、国際法違反であり、人道上から絶対許されるものではなく、絶対悪と言わざるを得ません。もしいま核戦争になれば、人類の滅亡は明白です。核廃絶に向けて立ち上がろう」と提起しました。
 私は、「日本政府のアジアにおける危険な動きと対決することや、米軍再編成への取り組み、核兵器廃絶に向けた2010年のNPT再検討会議への活動、東北アジア非核地帯を作り上げる運動などに、各国のNGOの連帯した取り組みが必要だ」と提起しました
 韓国のNGOから、「日本政府は歴史の改ざんをやろうとしている。被爆者問題をはじめ過去の清算は終わっていない」として、「核軍縮課題とあわせてNGOが連携して取り組もう」と提起がありました。
 その他のワークショップでは「靖国神社をめぐる課題」、「強制連行課題」、「軍隊慰安婦課題」などが討議されました。
 全体を通して明らかになったことは、「日本政府に対して、正しい歴史認識の確立、過去の清算・補償について、積極的に取り組むことが強く求められている」ということです。しかし日本政府の動きは遅々として進んでいません。私たちが参加者たちと連帯するためには、日本国内おいてさらなる取り組みの強化が求められていることを強く感じました。

光州民主化抗争を忘れるな、座り込み部隊の支援を
 韓国では、1980年に全斗煥国軍保安司令官が軍事クーデーを起こし、全土に非常戒厳令を敷くと同時に、全羅南道の光州では民主化を求める市民に対して、5月18日から27日までの9日間軍隊を投入し、徹底的に弾圧をくわえました。市民は全羅南道庁舎に立てこもり徹底抗戦をしました。その犠牲者は1000人を超えるといわれています。
 その庁舎は、韓国民主主義を象徴する建物でもあります。いまその一部を撤去する動きがあり、当時闘った人々が撤去反対の旗を掲げて庁舎前に座り込んでいます。私たちもあのとき、光州で民主主義のために闘い、犠牲になられた方々に思いを馳せ、注目すると同時に支援をしたいものです。
(平和フォーラム事務局長 福山真劫)

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横須賀からの平和への「思い」をつなごう!
原子力空母母港化撤回と全国の米軍基地縮小・撤去に向けて

1万5千の仲間の結集から


参加者で埋め尽くされた集会会場(7月19日・横須賀)
 平和フォーラムが、今年度の最大の課題として取り組んだ「原子力空母ジョージ・ワシントン横須賀母港化阻止」の闘いは、残念ながら9月25日に強行入港を許したものの、7月から9月にかけて、集会・デモ行進・座り込み行動・駅頭情宣・新聞広告など、現地闘争本部を設け、あらゆる手段を尽くしてすすめられました。その闘いの中で、平和への大きな「思い」が積み上げられてきました。特に、7月の集会が近づくにつれて、全国の仲間からの現地闘争本部への電話・FAX・メールなどが相次ぎ、その手応えが確かなものとなっていきました。
 7月19日の全国集会には、貸切バスや臨時列車で、飛行機で、全国各地から予想を大きく超える1万5千人の仲間が、横須賀のヴェルニー公園に集まりました。集会の開始から最後のグループがデモに出て行くまで5時間余り、気温37度を超す炎天下の中にあっても、元気な仲間の笑顔と「思い」を共有する喜びがありました。「原子力空母の母港化を決して許さない」という仲間がこんなにも集まった、その喜びがひとり一人を支えました。

「平和」を支える世論をつくろう


米空母上の戦闘機訓練の様子(NAVY NEWSから)
 小泉・安倍内閣と続いた新保守主義の流れの中で、「平和」に対する日本国憲法とその下に暮らす日本国民が持ってきた機能というべきものが、融解しつつあるとの危機感が拡がっています。いじめ、セクハラ、情報漏洩、収賄など一連の自衛隊員や防衛省による不祥事、そして今回の田母神俊雄航空幕僚長の論文問題など、イラク派遣以降の防衛省・自衛隊の傍若無人な行動は、その様な機能が失われつつあることの象徴ではないでしょうか。
 米国は、一方的に「自らが世界の秩序を形成する」としながら、イラクやアフガンなど行く先々で戦闘を引き起こし、一般の市民を犠牲にしています。そして、その目的達成のために原子力空母の横須賀配備を強行したのです。その直後の10月16日には、巡航ミサイルを150発も積むという大型原子力潜水艦「オハイオ」を横須賀に初入港させました。また、11月10日には、事前通報がないまま原子力潜水艦「プロビデンス」が沖縄ホワイトビーチに入港しています。米国もまた市民感情を逆撫でするようなごう慢な行動を続けています。平和憲法の理念に立って、このような行為を許さない世論形成が重要になっています。

憲法の理念を繰り返し叫ぼう
 米軍基地の存在は、米国の世界覇権の拠点であり、決して世界平和の構築に役立っていません。むしろ、罪のない市民の生活や命を脅かすものであることが明らかになっています。「武力で平和はつくれない!」日本国憲法の平和の理念は、決して非現実的でもなければ間違ったものでもありません。繰り返し何度も、そのことを叫び続ける必要があります。粘り強く声を上げ続けることが、「平和」への国民的機能を強化し「平和」を作り上げる力になっていきます。
 原子力空母が母港とした横須賀では、これまでの市民運動が新たな段階を迎えようとしています。平和フォーラムは、これまでの運動をバネに、全国で、そして横須賀で、平和への「思い」を共有する多くの仲間と共に歩んでいきます。今後、原子力空母の母港化の撤回と全国の米軍基地縮小・撤去に向けた取り組みを提起することにしています。

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安全・安心には「化学物質政策基本法」が必要
合成洗剤追放全国連絡会事務局次長 岩野 淳

市民参加・予防原則が国際的動き
 今年ほど私たちの毎日のくらしに関わる「安全・安心」について、特に食品についての不正・偽装表示、有害な化学物質を巡っての事件・事故の多かった年はありません。中国製冷凍餃子への農薬メタミドホスの混入事件、牛肉やウナギなどの偽装表示、揮発性有機物トルエンの食品容器への移行、日本製の醤油などからヒ素やトルエンが基準を超えて検出されたとの中国からの報道......。
 様々な化学物質問題が頻発する中、私たちは健康や環境をどのように守ればいいのでしょうか。国際的には1992年ブラジル・リオデジャネイロ「環境と開発に関するリオ宣言」で地球環境問題解決のために市民参加の重要性が認識されました。その行動計画である「アジェンダ21」の第19章に有害化学物質の適正な管理が明記され、化学物質管理における市民参加の制度化の必要性が確認されました。
 これを受け2002年南アフリカ・ヨハネスブルグで「国際化学物質管理における戦略的なアプローチ(SAICM)」が採択され「予防的取り組み方法に留意しつつ......化学物質が人の健康と環境にもたらす著しい悪影響を最小化する方法で使用、生産されることを2020年までに達成することを目指す」と国際合意されました。2006年ドバイでSAICM2020年目標の世界実施計画が承認されました。

家庭の有害物質排出量の半分以上が「合成洗剤」


化学物質政策基本法を求める集会
(11月8日・全水道会館)
 日本でもやっと具体的動きが始まりました。1996年のOECD勧告を受けて、化学物質の排出移動量届出制度(PRTR制度)が1999年法制化され、2001年度分からそのデータが国により公表されています。2003年国連勧告に基づく世界共通の化学品の危険性の絵表示制度(GHSシステム)のごく一部が労働安全衛生法の改正として2006年制度化されました。
 一方、合成洗剤による人体被害、環境汚染は1960年代から顕在化し、有害性の強い界面活性剤のABSや、富栄養化の原因となる有リン合成洗剤などは市民・労働者の追放運動で少なくなりましたが決して法で禁止されたわけではありませんでした。しかしPRTR制度の法制化に伴い、「人の健康を損なうおそれ又は動植物の生息若しくは生育に支障を及ぼすおそれがある化学物質で相当広範な地域の環境において存すると認められる」第一種指定化学物質に354物質が指定され、そのうち合成界面活性剤が6種指定されています。
 PRTRデータは2001年度から2006年度まで国により集計され、環境省・経済産業省のホームページや各都道府県によって公表されています。それによると家庭からの有害物質排出量の半分以上が直鎖アルキルベンゼンスルホン酸(LAS)、ポリアルキルエーテル(AE)などの合成洗剤成分です。最近マスコミを騒がしている防虫剤のパラジクロロベンゼンも家庭からの有害物の大きな一部です。
 これらはPRTR制度の導入で、より明らかになりました。私たちの健康と環境を守る活動にも有益な情報です。しかし、合成洗剤など家庭用品にはまだ危険表示のGHSは適用されていません。このPRTR制度を定めている「化学物質排出管理法」(化管法)、日本における化学物質規制の出発点となった1973年制定の「化学物質審査規制法」(化審法)が見直しの時期を迎えています。

総合的な化学物質の管理確立へ署名運動を!
 世界的には、より産業優先に立つアメリカ・日本と、予防的立場のEUとの違いが表面的には見られます。日本における見直しは厚生労働省、環境省、経済産業省の3審議会の合同作業で行われていますが、どちらかといえば産業界の利益を代表する経済産業省が主導しがちです。また現行の化学物質関連の法制度は「司令塔なき省庁縦割り」といった状況で、規制にすき間があり、対策はバラバラなのが実態です。より市民・労働者の立場にたった総合的な対策が必要です。
 そこでこれまで化学物質問題に関心を持ってきた市民団体などが集まり、2008年6月に「化学物質政策基本法を求めるネットワーク」(ケミネット)を結成し、化審法の改正の動きにあわせ、国への働きかけを強めています。そのための署名運動にも取り組んでいます。皆様のご理解とご協力をお願いします。

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相次ぐ原爆症認定の勝利判決
早急に求められる被爆者援護法の抜本的改正

認定基準の見直しを求める司法の判断


原爆症認定を求める厚生労働省前での行動
(08年10月)
 原爆症認定集団訴訟は、広島・長崎での被爆者が2003年から全国で提訴した裁判です。原告らは、被爆後60年近くを経てガンなどを発症し、自分の病気を被爆者援護法により「原爆症」と認定してもらうために申請したところ、厚生労働大臣から「原爆放射線に起因するとはいえない」として却下された人たちです。現在、15地裁、8高裁に係属中で、原告は304人ですが、すでに提訴後59人が判決の結果を知ることなく亡くなっています。
 これまで裁判では原爆症認定制度が批判され、大阪や広島など各地の地裁でほとんどの被爆者を原爆症と認める判決が繰り返され、大阪や仙台では、原告の被爆者全員を原爆症と認める高裁判決も確定しました。
 これらの声に押され、今年4月には認定制度が改正されましたが、その中に旧基準の柱であったDS86及びDS02(注1)を前提に、「しきい値論」や「原因確立論」(注2)を持ち込まれ、新基準でも距離や時間などの被爆状況を機械的に適用していました。裁判の中で、新基準でも不十分であることが度々指摘され、新基準の中に含まれていない「肝機能障害」なども積極的に認める判決が出されました。司法と行政の判断に大きな乖離が生まれ、新基準そのものを抜本的に見直しすることを司法は求めています。
 4月の新基準導入後、原爆症認定は1,241人(10月20日現在)。そのうち原爆症認定訴訟の原告も170人が認定されましたが、裁判で勝訴しながら認定されていない原告が約50人います。早急な認定が求められていますが、7,000件をこえる原爆症認定申請の「滞留」という、審査体制そのものの問題も残されています。高齢化する被爆者はもう待てません。早急な認定が必要です。

これ以上の認定先延ばしを許すな
 10月の千葉地裁判決で国は、通算して12連敗となる敗訴を繰り返しました。しかし、それに対する反省もなく、高裁での判決が下るまで争う方針(控訴)としています。裁判の長期化は高齢化する被爆者をますます苦しめるものです。被爆者救済の援護法の精神に照らして、認定基準の抜本的見直しが必要です。
 原水禁は、これまで連合・核禁会議との3団体で厚生労働省や政党に対して度々申し入れを行っています。今後もねばり強く、1)司法判断と被爆実態に応じた原爆症認定方針の抜本的な見直し、2)集団訴訟の一括解決、3)「滞留」に対する特別の審査体制確立などを求めていくことが重要となっています。
 もうこれ以上被爆者に対して認定の先延ばしは許されません。今後続く被爆者認定訴訟に積極的な支援が重要になっています。

(注1)
「DS86」、「DS02」とは、核実験により集められたデータをもとに、爆心地からの距離によって被爆した放射能の量を推定する基準。

(注2)
「原因確率論」とは、被爆者の被爆した放射能量を推定した上で、負傷又は疾病の種類、被爆時の年齢、性別ごとに作られた表に当てはめて原因確率(当該負傷又は疾病につき原子爆弾が原因で発生する確率)を算出し、それが50%以上ならば認定し、10%以下ならば却下するという基準。 

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もんじゅへのプルトニウム
燃料輸送の監視を茨城・東海村から12月に輸送か
京都反原発めだかの学校 佐伯 昌和

危険なプルトニウムが日本のど真ん中を走る
 『夢の原子炉』とうたい、幻覚症状に捉われた国がずるずるとムダ金を投入してきた高速増殖炉「もんじゅ」に引導を渡す時がきたような気がします。それが出来るのは地元を軸とした全国各地の人々の運動の盛り上がりです。
 1995年12月のナトリウム火災事故以来、運転を停止している福井県敦賀市の「もんじゅ」は動かそうにも様々なひずみを抱えています。プルトニウム燃料の劣化もその一つです。核分裂するプルトニウム241(半減期14年)が核分裂しないアメリシウム241に半分ぐらい変わってしまいました。この状態では臨界に達することができません。
 そこで今年の10月に「もんじゅ」が運転再開するため、日本原子力研究開発機構(原子力機構)は作りおきしてあった78体(炉心燃料は全部で198体)のプルトニウム燃料と交換する予定でした。そして運転再開後、40%出力テスト前と100%出力テスト前に交換する燃料81体の製造を国の認可を得て、原子力機構は今年7月末に始めました。ところが運転再開は「プラント確認試験」の遅れという理由で、来年2月に延期となりました。さらにその2月も怪しい状況となっています。ナトリウム漏えい検知器の誤警報問題、活断層の上に立地している問題、そしてプルトニウム燃料劣化、機器の劣化と問題は山積しています。
 それでも原子力機構と国はあきらめません。往生際の悪いことです。ということは、新たに作ったプルトニウム燃料81体を茨城県東海村から運ぶことになります。それだけでは100%テストができないので、さらに燃料製造をして運ばなくてはなりません。その燃料が12月頃に輸送されるといわれています。
 輸送ルートは、茨城県東海村から常盤自動車道・首都高速・東名高速・名神高速・北陸自動車道を通って敦賀市の「もんじゅ」へのコースですので、輸送沿線都県は、茨城・千葉・埼玉・東京・神奈川・静岡・愛知・岐阜・滋賀・福井となります。
 プルトニウムは100万分の1グラムでもガンを引き起こすほどの超猛毒物質です。もんじゅのプルトニウム燃料は一般車両に混じって運ばれます。輸送中の交通事故、とりわけ火災をともなう事故が心配です。

沿線の自治体に情報公開を求めよう


核燃料輸送車と抗議する人たち(7月18日・敦賀市内)
 もんじゅが本格稼働に入れば、年間4回から5回もこの輸送が繰り返されます。そのことを考えれば、沿線での取り組みも大切になってきます。沿線の消防署や広域消防組合あるいは都県消防防災担当課に事故対策を聞いてみて下さい。放射線防護服や放射線計測器などの資材の整備状況はどうでしょうか。
 また、輸送沿線の都県公安委員会には、事業者側から「核燃料物質等運搬届出書」が出ているので、都県情報公開条例を使って資料請求してみてはどうでしょうか。今年5月15日~16日と7月17日~18日にもんじゅの作りおきのプルトニウム燃料輸送について調べてみると、その資料の黒塗りの多さに立腹すると思いますが、行政不服審査法の規定に基づき審査請求をしてみてください。

 今年5月の輸送を福井新聞は大きく取り上げたのですが、写真にあった日立物流の大型トラックのナンバーにはボカシが入っていました。十数年前にはそんなことはありませんでした。ちなみに日立物流のトラックは3台で、ナンバーは「水戸100か6843」,「6844」が5月と7月とも使われ、もう1台は5月が「6845」、7月が「6846」でした。
 夏と冬でもんじゅへの到着時間は違いますが、朝6時~7時です。東海村出発は午後3時30分~4時30分です。1台のトラックに4体~6体のプルトニウム燃料が積まれます。輸送隊列はトラック3台~4台で、それに日立物流のワゴン車や警備会社の車が伴走します。「放射性─この車両に近づかないこと」と、近づかないと読めない字が「放射マーク」の下に書かれた標識がトラックの荷台の両横と後部に張ってあるのが目印です。プルトニウム燃料からはガンマ線だけで通常値の100倍ほどの放射線が出ています。これに中性子線が加わるので、近づかないのに越したことはありませんが、各地で輸送の時間に合わせて監視行動に取り組んでほしいと思います。

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オバマ米新大統領への期待と危惧(1)
アフガン安定は期待できない

軍閥が支配し、腐敗するアフガン政府
 米国大統領選に民主党のバラク・オバマ上院議員が当選したことによって、新自由主義時代は終わりの始まりとなるでしょうか。選挙前の公約からオバマ新大統領への期待と危惧について考えます。
 まず危惧の面ですが、彼は、イラク駐留米軍(現在14万5,000人)を大統領就任後、16ヵ月以内(2010年半ばまでに)に完全撤退させ、同時にアフガニスタンに2~3個旅団(6,000~15,000人)を増派させ、「アフガンで始まった『テロとの戦い』はアフガンで終わらせる必要がある」と、マケイン候補とのテレビ討論で語っています。現在アフガンに米兵3万1千人が派兵されており、さらに11月~1月に最大5,700人の増派予定されています。
 しかし、アフガンへ米軍を増派することで、戦争は解決へ向かうのでしょうか。アフガンでは早くからタリバンが強い勢力を復活させており、カルザイ政権が支配できている地域は首都カブールに限定され、それも米軍の軍事力に頼ってのことです。政権内に腐敗がまん延し、地方軍閥が強い力をもっています。とりわけ政権内で主要閣僚を占める北部同盟が、どれほど暴虐の限りを尽くしているかは、06年12月10日のアフガニスタン女性革命協会(RAWA)の声明にも詳しく述べられています。アフガン国民の困窮はタリバン支配以前に戻ったといえるのではないでしょうか。
 結局、軍閥連合でしかないアフガン政府はタリバンとの戦争には勝てないと考え、今年早くからタリバンとの交渉を始めました。この交渉にサウジアラビア外相が関与していることも明らかになっています。さらにこの交渉をゲーツ米国防長官、ペトレアス米中東軍司令官(10月31日就任)も容認する発言を行っています。このようなアフガンに対して、米軍が兵力を増派しても安定は望めないでしょう。

アフガンは第2のベトナム戦争になるのか
 今年8月27日のインターネットJanJanニュースは、アラブ首長国連邦の英字日刊紙「ガルフ・トゥデイ」の8月6日付けの社説を紹介しています。それは、米国はアフガンで勝利を収めることは困難であり、「唯一の選択肢はタリバンや他の部族勢力を(パキスタン、イラン、インド、ロシア、トルクニスタン、タジキスタン、中国など)周辺諸国と共に議論の場に着かせることである」と論評しています。
 米軍はいまアルカイダ掃討のためとして、パキスタンへの越境攻撃を強めていて、その結果、多くのパキスタン民間人が殺されています。この攻撃をオバマ新大統領は必要と考えています。
 米国はこれまで親米的なパキスタンを維持するために、ムシャラフ大統領と、亡命先の英国から帰国したブット元首相との協力を画策しましたが、07年12月27日にブット元首相が暗殺され、その計画は崩れました。昨年9月、ブット元首相の夫・ザルダリが大統領に就任しましたが、ザルダリ大統領は選挙公約の多くを実行せず、人気が急落するなか、世界金融危機のなかで国自身の破綻さえ取りざたされています。
 アフガンから逃れたアルカイダ掃討を名目に、米軍がパキスタンへの攻撃を強化すれば、パキスタンで反米政権が成立する可能性も否定できません。
 前述のガルフ・トゥデイ紙は「米国の形勢が硬化するなかで周辺のラオスやカンボジアまで巻き込むことになった『ベトナム戦争の二の舞』になる危険性が出てくるだろうと」と警告しています。オバマ新大統領は、公約通りアフガンへ米軍を増派し、パキスタンへの越境攻撃を強めるのでしょうか。それはパキスタンを反米化する道でしかないでしょう。

求められるロシアとの対話
 現ブッシュ政権は、チェコとポーランドにミサイル防衛(MD)施設の建設を計画し、ロシアとの対立を強めてきました。これに反発するロシアは、今年11月6日にメドべージェフ大統領が連邦議会に対する年次報告演説で、飛び地カリーニングラード州(ポーランド、エストニアと隣接)に最新ミサイル「イスカンデル」(射程距離500Km)を配備すると述べました。
 ロシアはカリーニングラード州への配備を発表する一方、イスカンデル配備は東欧へMDが配備された場合に限定されるとして、ロシア、米、EU間での安全保障のあり方を見直すべきだと、オバマ新大統領に提案しています(11月11日)。オバマ新大統領はポーランドへの配備変更はないと語っていますが、最近、軍事力増強を強めるロシアとの対話は、今後ますます重要性を増すでしょうし、そのとき東欧のMD配備問題抜きには進展しないでしょう。それはまた新大統領が産軍複合体をどう抑えられるかという課題でもあります。
 「オバマの核政策とロシアとの関係」については次号で詳報します。0

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【本の紹介】
セメント樽の中の手紙
葉山 嘉樹 著


角川文庫
 戦前のプロレタリア文学の名著と言われる小林多喜二の「蟹工船」が、最近、ワーキングプアの青年層に愛読され50万部を超すベストセラーになったことが話題になっています。
 筆者はこの話題に接したときに、戦前のプロレタリア文学、労働者文学を再評価するのなら「戦旗」派の小林多喜二だけでなく、「文芸戦線」派・労農派の葉山嘉樹の「海に生くる人々」も出版してくれないだろうかと期待していました。そんなときに、角川文庫が小林多喜二の「蟹工船・党生活者」につづくワーキングプアの文学、第2弾と銘打って、9月に出版したのがこの葉山嘉樹短編集「セメント樽の中の手紙」です。
 葉山嘉樹は、昭和初期に登場した小林多喜二よりも以前の大正期から労働者文学、プロレタリア文学をリードした作家です。貨物船の水夫見習い、鉄道局の臨時雇い、名古屋セメント会社の工務係などを経て、名古屋新聞記者となり、労働運動にも深く関わりました。そして、労働争議や政治弾圧事件で検挙・服役も多く、獄中で執筆した「淫売婦」(1923年、短編集所収)で注目を集め、「海に生くる人々」(1923年筆、26年刊)でプロレタリア作家としての地位を築きました。小林多喜二にも大きな影響を与えたことは、多喜二自身が、「私は、貴方の優れた作品によって、『胸』から、生き返った...、云うならば、私を本当に育ててくれた作品は『戦旗』の人達のどの作品でもなくて、実に貴方の作品」と高く評価していることにも明らかです。
 「セメント樽の中の手紙」は、ダム建設現場で働く男がセメント樽の中から手紙を見つける。セメント会社で働いている女工が、自分の恋人が石を砕くクラッシャーにはまって亡くなったこと、そのセメントであると知らせる手紙という設定。わずか3000字の超短編ですが、衝撃的な作品です。
 本書は、前述の「淫売婦」の他、「労働者の居ない船」「牢獄の半日」「浚渫船」「死屍を食う男」「濁流」「氷雨」と1937年までの8篇を所収しています。
 なお、葉山嘉樹の他の「海に生くる人々」などの作品は下記アドレスで閲覧可能です。
(五十川孝)

http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person31.html

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【映画評】
JSA(00年/韓国)
パク・チャンヌク監督


 『JSA』は、朝鮮半島38度線上の板門店を中心とした南北共同警備地区のこと。ある晩、北朝鮮側の歩哨所で銃撃戦が発生し、北朝鮮兵士が死亡、韓国兵士が負傷した。北朝鮮は「南のゲリラ攻撃」と言い、韓国は「北に拉致された兵士が反撃した」主張する。生き残った南北2人の兵士は、口を閉ざす。そこへ中立国スイスの韓国系女性法務将校が、調査のために派遣される。彼女の調査で明らかになったのは、韓国兵士2名が38度線を越えて北側の歩哨所に行き、北朝鮮兵士2名と友人になっていたという事実だった。
 私は先月、韓国のオドゥサン統一展望台を訪れた。そこには映画の主人公、南北2人の兵士と、韓国系スイス軍兵士の人形が置かれていた。北朝鮮まで460mの展望台には、多くの韓国人がやってくる。北朝鮮の建物を肉眼で見ることができるし、売店には北朝鮮のケソン(開城)工業団地で作られたお土産も売っている。民主化前の85年に別の展望台を訪れたことがあるが、韓国人ガイドは、「あそこに見える村はハリボテで、人は住んでいない」と言っていた。南北双方に大型スピーカーが設置され、プロパガンダ放送を流していたのを覚えている。38度線の緊張関係は変わっていた。
 朝鮮戦争で肉親を殺された人、肉親と離れ離れになった人、「北朝鮮の軍人には鬼の角が生えている」と学校で習った人もいる。韓国の人々の北朝鮮に対する思いは複雑だろう。しかし「会いたい」「行きたい」という思いが、この20年間で南北の政治を大きく動かしたのは確かだ。それは「分断国家統一」という政治スローガンとは全く別な、民衆としての感情だろう。映画が作られたのは2000年。この年の6月15日には、南北首脳会談が開催されている。一つになろうとしている隣国の人々の思いを、強く実感した作品だ。
 ところで、日本では「歴史の修正」や「反共」を叫ぶ勢力が、自衛隊に巣くっていることが明らかになった。戦争の責任を取らず、戦争を賛美する亡霊を退治すること。それが南北分断の原因を作った、私たち日本人のせめてもの償いではないだろうか。
(八木 隆次)

DVDも発売中(5,040円)。

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投稿コーナー
食問題の背後に広がる貧困の連鎖に立ち向かおう
ジャーナリスト・脱WTO/FTA
草の根キャンペーン事務局長 大野 和興

 10月19日に東京・明治公園で開かれた「反貧困・世直しイッキ」集会に、千葉県三里塚の若手農民や都会の貧民青年たちと語らって、「食わせろ!」という分科会を引きさげて参加した。ビラに分科会の趣旨を書かなければならないということになり、こんな文を書きあげた。

 おコメつくってもメシ食えない/乳搾ってもメシ食えない/お魚獲ってもメシ食えない/包丁研いでもメシ食えない/牛丼盛ってもメシ食えない/笑顔つくってもメシ食えない/食えないどうしが集まろう!/食えないどうしがつながろう!

食品産業で横行する低賃金・長時間労働


「反貧困・世直しイッキ」でデモ行進(10月19日・明治公園)
 市場原理の徹底を図るグローバル化のもとで、貧困が世界中にまん延している。80年代初め、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などと、やにさがっていた日本も例外ではない。人間の使い捨てが横行し、食うや食わずの若者、シングルマザー、職を追われた中高年者、住まいからも排除されたネットカフェ難民や野宿者、こうした人びとが日々増殖している。この貧困にもっともさらされているのが農と食、介護・福祉の労働現場である。共通しているのは、いずれもひとの生命を扱う場だということだ。
 農の現場では、この10年で生産者手取り米価が半分になり、農地価格も急落している。生乳の価格はこの30年じりじりと下がり、飼料高が続く中で酪農家の廃業が相次ぐ。農業経営の赤字は、規模拡大した大規模経営層をも巻き込み、規模拡大のために作った負債の返済はおろか、借地料や水利費まで滞納する大規模農家が東北のコメ地帯で広がっている。
 農村の貧困化は、そのまま都市の食の労働現場に連なる。スーパー、コンビニ、弁当屋、ファーストフード、ファミレス、焼肉チェーンなどなど、食に関わる産業は多くの業界の中でも非正規職員の比率がきわめて高く、かつ低賃金・長時間労働が横行している。「マクドナルド」、牛丼チェーンの「すき家」、安売り食品コンビニ「SHOP99」など、名ばかり店長が横行し、残業代不払いで労働者に裁判で訴えられた企業が多い業界なのだ。「すき家」を労働基準法違反で刑事告発したアルバイト店長は「月400時間近く働いて手取りは10万円を超えなかった」と話している。とっくに過労死水準を越えている労働時間である。
 生存権さえ奪われているこうした労働現場から、安心して食べられる食べ物が生まれるはずがない。いま横行している汚染食品の背後にあるのは、貧困という世界を覆う構造問題なのである。

食の安全を脅かす農産物と労働力の買いたたき
 農と食の現場の貧困の後ろには、さらに大きな貧困の海がある。いま世界を覆う金融恐慌は、その海をさらに拡大する。それは市場の急速な縮小となって農業・食料分野を襲う。11月13日付の読売新聞は博報堂生活総合研究所が行った最新の調査を紹介、「今後節約したいもの」と言う質問に対し、「ふだんの食事にかけるお金」と答えた人が44%で、10年前の98年に比べ14ポイントも上がっていた、と報じている。
 安くないと売れないと、食品企業はいっそうのコスト低減を求める。それは、原材料である農産物の買い叩きと、それを扱う労働者の人員縮小・賃金切り下げ・過重労働という形で、農民と労働者に押し付けられる。日本では限界があるので、中国に出かけ、中国の農民と労働者に、国内よりいっそう輪をかけた農産物と労働力の買いたたきを、買い手の力を振りかざして事実上強制する。
 08年初めに大騒ぎとなった中国の農薬入りギョウザ事件も、いま世界中で問題になっているメラミン入り牛乳も、こうした貧困の強制と連鎖が生み出したものに他ならない。こうして作られた中国の安い食品を世界でもっとも受け入れているのは最貧国のもっとも貧しい人びとである。
 こうして貧困のグローバル化が危ない食品のグローバル化を生み、弱者を襲う。この連鎖に立ち向かう道はひとつ、食えないどうしがつながり、たたかいの連鎖を作り出す以外にない。

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