2009年、ニュースペーパー

2009年02月01日

ニュースペーパー2009年2月号

【インタビュー・シリーズ その31】
インタビューシリーズ 社青同委員長 柏原孝行さんに聞く

【プロフィール】
1969年埼玉県岩槻市(現・さいたま市)生まれ。88年に東武鉄道に入社。90年から東武労組の青年部などで活動。93年に社会主義青年同盟(社青同)に加盟。04年に社青同埼玉地本委員長。07年に東武鉄道を退社し、社青同埼玉地本専従を経て、08年10月より社青同中央本部の委員長。山歩きやスキー、野球などスポーツが趣味だが、「最近は時間が無くて、近くの日帰り温泉に行くことが楽しみに」。

──労働運動や社青同に参加した動機は何ですか。
 埼玉の工業高校を卒業して、1988年に東武鉄道に入社しました。今は非正規の人などの解雇が深刻ですが、当時はバブルの絶頂期で、就職先を選ぶ事で悩んだくらいでした。東武に入ったのは、地元の大企業という事もありましたが、「電車がただで乗れるのでは」「職場が駅から近いのでは」という不純な動機もあり入社しました(笑)。私は「電路区」という、鉄道の架線を保守点検する職場に配属されました。昼間は列車の合間を縫って作業をするので、いつ列車が来るのか、また高所で電圧1500ボルトに直接触れる作業など危険と隣り合わせで、不安と戸惑いの中で仕事を覚えました。
 そうした中、隣の保線区という職場に社青同の先輩達がいて、「見通しの悪い所は列車接近を知らせる見張り員をもっと増やせ」と会社とやり合っていたのです。同じ所で作業しているのに隣の職場と見張りの人数が違い、「おかしい」と感じたのです。そこから労組の青年部運動に関わり、その中で社青同の先輩たちから加盟を勧められたのが契機です。

──職場ではどんな運動が行われていたのですか。
 当時は社青同が中心となり、職場の中で「生命と権利の闘い」という闘争が行われていました。私のいた東武鉄道でも労災認定闘争などが行われていました。私は直接関わっていませんが、80年代初頭に「太田闘争」というものがありました。電車の乗務員は終電後、初電まで仮泊室という所で仮眠を取るのですが、浅草駅は高架上にあり、そこの仮泊室は下まで降りる階段が無く駅の改札口から出入りしていました。しかし、改札口は終電が終わるとシャッターが閉まってしまい、終電車の乗務を終えて食事をしていると出入りが出来なくなってしまいます。そこで、ある人が高架の縁にある仮梯子を伝って登ろうとしたときに誤って転落死してしまう事故がありました。しかし、会社は当初、「労働災害」として認めなかったのです。
 これについて、社青同が「なぜそうせざるを得なかったのか」という事故の背景を職場の中で議論し、会社に責任を追及していこうという取り組みが労働組合をあげて行われていました。しかし現在は、当局ではなく同じ働く仲間に目が向く状態が作られ、そうした運動がしづらくなっていますが、「職場の仲間と議論し、意思統一してみんなで闘いを作っていく」という原則は今でも大切なことではないかと思います。

──社青同に入られた頃は、旧ソビエト連邦の崩壊など、社会主義に対する批判が盛んでしたが…。
 社青同は1960年代の労働運動の高揚期に、総資本対総労働の闘いと言われた「三池闘争」(1959~60年に九州の三池炭坑の人員削減に反対しての闘争)や、60年安保闘争から生まれたといわれています。しかし、今の同盟員の中には「安保と三池」の闘い自体を知らない人が数多くいます。私もその当時はどうだったのか良く分かりません。その頃は、学生を中心に、社会主義のイデオロギーを学んで社青同に入ってくる人たちと、職場での闘いの中から参加してくる人たちがいました。しかし、今は後者がほとんどです。
 働く現場にいると、格差の問題や労災など、矛盾がたくさんあります。自治体では、委託・非正規化の流れの中で嘱託・臨時職員が増え、民間では分社化・子会社化によって賃金・労働条件の低い仲間が入ってきています。これは資本主義社会の構造的な矛盾だと考えています。そうしたことを一気に変えるのは難しいのですが、最終的には今の社会システムを変えていく必要があると思います。いまの非正規雇用問題を考えても、正規労働者が自分たちの労働条件だけを守っていては限界があります。私も東武にいただけでは、そうした社会の矛盾は分からなかったと思います。社青同に入ってそうしたことを学ぶことが出来ました。

──いま青年の労組への参加が減っている状況です。


「反核・平和の火リレー」の取り組み(広島平和公園)

 30歳代を境にして、仕事に対する考え方に大きな違いがあると思います。以前は職場の先輩に仕事を教えてもらったりして、物事が組織として動いてきました。今はパソコンが発達して、逆に若い人ほど仕事が速い。組織の必要性を感じなくなっている環境が生まれていると思います。また、就職氷河期の中で、周りの人と協調していくというよりは、「いかに勝ち抜いていくか」という意識が強いように感じます。そのため「仲間とどう関わっていいのか分からない」という状態に陥っています。そうした環境で育ってきた人たちが多いので、なかなか「組織の必要性」が理解されず、労働組合なんて必要ないと考える人も増えて来ています。それが労組の組織率低下を招いている一因と思います。
 まずは、組織の必要性について、若い人とどう認識を一致していくかが課題だと思います。そのためには、彼らがぶつかっている問題について、上からの目線ではなく、一緒になって考えていく事が大切だと思います。私は鉄道職場にいましたが、そこでは東武の社員だけでなく、様々な下請け会社の人達が働いていました。しかし、会社・職場が違うと気にも留めないことが多いのです。まず違いはあれども隣にいる仲間の声に耳を傾けていくことから始めて、その上で「格差が起きているシステムとは何か」ということに目を向けていく必要があると思います。

──社青同では、平和運動についてはどのような取り組みをされていますか。
 私たちは毎年、「平和友好祭運動」という取り組みを様々な労組の青年・女性部などと共催で行っています。その一環として、広島の平和公園に灯る「平和の火」をトーチに掲げてリレーをしながら、各自治体や沿道の方々に平和の尊さを訴える『反核・平和の火リレー』という取り組みを夏期に全国で行っています。沿道を走っていると、いろいろな方々の意見を聞く機会があるのですが、中には「国を守るには軍備も必要ではないか」「原発のおかげで我々の生活も保てている。またロウソク暮らしをしろとでも言うのか!」という方もいます。見方を少し変えれば、そうした思いが生まれる背景があるのではないかと思います。
 私たちの運動は同じ思いの仲間だけが集まるのでは小さく凝り固まったものとなってしまいがちです。こちらの主張を頭ごなしに押し付けるのではなく、そうした方々とどう向き合い、話し合っていくのかという事が必要ではないかと思います。

──好きな本を紹介してください。
 最近読んだものでは「鉄道の峠」(今尾恵介著・けやき出版)です。鉄道という分野なので私の思い入れもありますが、著者は地図の専門家で様々な峠に実際に足を運びながら歴史を振り返り、当時「峠越え」が命がけで行われていた事など、働く現場の苦労が説明されています。
 この本を読んで、今は何の苦労もなく生活出来ていることも、当時は生きることが命懸けで苦労が絶えなかった。だからこそ、当時の人達は何事にも真剣に向き合い、そこで社会が発展してきたんだと感じました。現代はなかなか真剣に向き合うということが少なくなってきているような気がします。そのような中で、今後の社会はどうなってしまうのか、という事を考えさせる一冊でした。

〈インタビュ─を終えて〉
 社会主義青年同盟は平和フォーラムの構成団体です。時代の変化の中で、社会主義の輝きが色褪せて見えます。しかし社青同は「社会主義」を標榜し続けています。委員長のインタビューということで、レーニンやマルクスの理想や理論が語られるのかと、昔を思い出しながら、すこしかまえて臨みました。しかし委員長は少し違いました。本当にまじめな青年です。現場の労働者・勤労者の苦労と思いを共有し、そして共に歩もうとしています。そして社青同もこの現実から出発しようとしています。青年の現在と未来を輝かせるためにがんばれ。
(福山真劫) 

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「非核・平和条例を考える全国集会in金沢」の論議から
自らの足下から、平和への取り組みを!

進む「戦争をする国」づくり
 「日本が侵略国家であったなどと言うことは濡れ衣だ。日本は蒋介石によって日中戦争に引き込まれた被害者だ。多くのアジア諸国が大東亜戦争を評価している」とは、田母神俊雄前航空幕僚長の発言です。靖国参拝を繰り返し、有事法制の整備を進め、イラクへの自衛隊派兵を強行した小泉純一郎元首相、教育基本法を改悪し、集団的自衛権行使に道を開こうとし、憲法改正をも主張した安倍晋三元首相、そしてこの間に、「東京裁判」を否定するような、いわゆる「自由主義史観」が横行し、過去の歴史を都合よく改ざんし、「戦争をする国」づくりがすすめられています。
 それに呼応しつつ、キャンプ座間(神奈川県)への米陸軍第一軍団移駐、横須賀への原子力空母配備、山口県岩国への空母艦載機の移駐、沖縄・辺野古沖への普天間基地移転と、米軍の意のままに、国の強硬姿勢だけが際だって見える状況にあります。米軍機の訓練は日本中に拡大し、米軍艦船は民間港に我が物顔で入港を繰り返しています。政府は、米軍再編と呼応して米軍・自衛隊の軍事一体化を押しすすめ、イラクへの自衛隊派兵を足がかりに、集団的自衛権の行使へ道を切り開こうとしています。平和憲法下において、市民生活はますます戦場への距離を縮めています。

大切な9条改悪阻止の闘い


集会で講演する小池清彦加茂市長
(11月22日・金沢市)

 「平和な海、静かな空、いまこそ自治体の平和力」をテーマに、08年の「非核・平和条例を考える全国集会」は、皮肉にも田母神論文を最優秀賞とした懸賞論文「真の近現代史観」を主催したアパグループの本拠地の石川県金沢市で、11月22日から23日にかけて開催されました。全国から500人が参加しました。
 初日の講演では、元防衛庁教育訓練局長・防衛研究所長で、現在新潟県の加茂市長である小池清彦さんが、「憲法9条を語る」と題し、「日本は平和憲法があったからこそ、朝鮮戦争・ベトナム戦争・湾岸戦争にも参加せずにきた」として、現在の米国に追随する日本政府の姿勢と、田母神問題に象徴される状況に対する鋭い批判を展開しました。
 さらに、「政府は、教育基本法で外堀を埋め、国民保護法で内堀を埋め、憲法改正へ持って行こうとしているが、しかし、これをやらせてはならない」と、憲法9条改悪阻止の闘いがいかに大切かを力説されました。
 次いで講演にたった前岩国市長の井原勝介さんは、市民の声に基づいた「市民主義」の立場から、新たな艦載機移駐を拒否した岩国市に対して、約束の補助金を打ち切るなど、いかに国が傲慢な姿勢であったかを語りました。「米国追随の外交姿勢を改めなくては、日本はだめになる」と、市民派市長としての憤りを露わに訴えました。

市民の手で「自治体の平和力」を高めよう
 「非核・平和条例を考える全国集会」は、1999年10月、全国各地で平和を求めて活動する市民によって函館市で第1回が開催されてから、今回の金沢集会で9回目となります。全国の基地周辺では、生活の場、地方自治の場から、安全・安心な市民生活を求める時、日米安保条約を基本にした日本の防衛政策と対立せざるをえません。国に抗して、地方自治体が取り得る手段を、市民の手で十二分に発揮させる取り組みをどう進めるかが集会の課題となってきました。
 国の施策として、米軍基地を受け入れざるを得ない状況が各地にあります。そしてそのことが、市民の安全を脅かし、戦争へ間接的にしろ手を貸すこととなっています。今こそ、「自治体の平和力」を高め、生活の場から平和の取り組みを、という本集会の基調が重要となっています。
 集会では、非核平和条例制定運動、米軍再編・日米地位協定、国民保護計画と平和的生存権などの課題について、全国での取り組み報告や活動者の意見が飛び交いました。さらに地域から議論を進めていく必要があることを確認して、集会を閉じました。

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ソマリアの海賊と日本の対応(上)
海上自衛隊の派遣は自衛隊法に逸脱する

ソマリアの沖合で何が起きているのか
 日本政府は現在、海上自衛隊をソマリア沖へ派遣する準備を進めています。この海域で多発する海賊の取り締まりを行うためです。ソマリアはアフリカ大陸東岸の国で、国土の北東部がアデン湾に面しています。アデン湾はスエズ運河に続いており、スエズ運河を利用してインド洋と地中海を行き来する船舶は、この海域を通らなければなりません。1年間にソマリア沖を通過する船舶は約1万8,000隻。うち日本の船舶は約2,000隻です。この海運の要衝であるソマリア沖で近年、海賊被害が増加しているのです。07年は44件、08年は9月末までに63件の海賊被害がありました。
 国連・安全保障理事会は海賊対策として、1)各国に軍艦の派遣を要請する決議、2)各国の軍艦がソマリア領海に進入することを認める決議、3)各国の軍隊が海賊の地上拠点を制圧するためにソマリア領土に進入することを認める決議を採択しています。
 北大西洋条約機構(NATO)軍の艦船は昨年10月から、ソマリアに支援物資を運ぶ「世界食糧計画」(WFP)の貨物船の警護を始めました。12月からは欧州連合(EU)艦隊がNATO軍の活動を引き継ぎ、艦船6隻と航空機3機を派遣しています。また中国も12月から駆逐艦3隻を派遣し、自国船舶の護衛を開始しました。

なぜ漁師が海賊になったのか
 ソマリアはかつて、北部をイギリスに、南部をイタリアに植民地支配されていました。1960年にそれぞれが独立し、統合してソマリア共和国を建国しました。しかしその後もクーデター・戦争・内戦が絶えませんでした。近年は暫定会議派とイスラム法廷会議派が国土を二分していましたが、暫定会議派を支援するエチオピアや米国が軍事介入し、混乱に拍車をかけました。そのためソマリアは90年代より政府が存在しない状態が続いています。ソマリア自身では、海賊に対処することができないのです。
 現在、ソマリア沖で海賊対策を担っているのは、対岸のイエメンとオマーンの沿岸警備隊です。しかし両国ともに沿岸警備隊の規模が小さく、海域全体を警備するには無理があるようです。
 それでは、ソマリアの海賊とは、どのような勢力なのでしょうか。朝日新聞08年11月15日朝刊に、『ソマリア海賊 みんな漁師だった』という記事が掲載されています。記事の中で、海賊の広報担当者が電話取材に答えて、次のように語っています。「みんな漁師だった。政府が機能しなくなり、外国漁船が魚を取り尽くした。ごみも捨てる。我々も仕事を失ったので、昨年から海軍の代わりをはじめた。海賊ではない。アフリカ一豊かなソマリアの海を守り、問題のある船を逮捕して罰金を取っている。ソマリア有志海兵隊(SVM)という名前もある」。
 これが事実とすると、ソマリアの政治と社会が安定しない限り、海賊問題を解決することはできません。

自衛隊派遣は合憲か
 海上自衛隊のソマリア沖派遣は、国内法で許されるでしょうか。憲法とのギャップの中で誕生した自衛隊は、海外派遣を想定していませんでした。そのため日本政府は、米国政府の要請に応じて自衛隊を海外に派遣する際には、「PKO法」、「旧・新テロ特措法」、「イラク特措法」などを制定して対処してきたのです。
 海上自衛隊のソマリア沖派遣にあたって麻生内閣は、当面は「自衛隊法第82条の海上における警備行動」で対処し、今国会中に海賊対策の新法を成立させるとしています。「自衛隊法第82条」には、「防衛大臣は、海上における人命若しくは財産の保護又は治安の維持のため特別の必要がある場合には、内閣総理大臣の承認を得て、自衛隊の部隊に海上において必要な行動をとることを命ずることができる」と書かれています。
 法文上は、活動を日本の領海や周辺海域に限定する文言はありません。しかしこの条文が日本の領海や周辺海域を想定していることは明らかで、ソマリア沖まで自衛隊を派遣することは拡大解釈です。
 実は麻生内閣も私たちとは別の視点から、同条項を根拠にするには問題が多いと認識しています。同条項では、海上自衛隊が行使できる権限が警察権に限られるからです。そのため、1)正当防衛の場合しか武器を使用できない、2)使用する武器もけん銃や小銃などに限定される、3)日本籍の艦船しか警護できない、4)他国海軍との連携に支障をきたす――など多くの制限を受けてしまうのです。そこで麻生内閣は、海上自衛隊が警察ではなく軍隊として海賊対策を行えるように、新法を制定しようとしているのです。
 海上自衛隊のソマリア沖派遣の具体的な問題点と、日本が行うべき貢献策については、次号で解説します。

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危険な放射線照射食品いらない
原子力の拡大利用のための推進策

 食品に放射線(ガンマ線など)をあてて遺伝子を傷つける作用を利用し、殺菌や殺虫、出芽を止める加工技術を使って作られるのが「照射食品」です。日本では食品衛生法で禁止されていますが、唯一、1970年代から、北海道・士幌農協においてジャガイモの発芽阻止(芽止め)用だけ許可されてきました。しかし、内閣府の原子力委員会は放射線技術を拡大しようと、照射食品の許可を広げるよう、06年10月に、厚生労働省などに、使用拡大への検討を要請しました。
 これに対して、消費者団体や原子力に反対する市民団体等は、照射食品の安全性に疑問があることや、食品に照射された放射線量を測る技術が確立されていないこと、また、食品の質の低下が予想されることから、長年にわたって反対運動を続けています。
 原子力委員会の提起から2年以上が経過し、まだ厚生労働省は結論を出していませんが、認可への準備が進められています。この問題を改めて検証してみます。

照射すると新たな危険物質ができる
 第1の問題点は、放射線を照射すると新しい化学物質ができることです。特に「シクロブタノン」と呼ばれる物質が問題になっています。ネズミに半年間与えると大腸に急激に大きなガンができることをフランスのパスツール大学が報告しています。
 半年間の短い実験ですから、さらに慢性毒性実験をすれば、他の臓器にもガンを作る可能性があります。また、子孫への影響も検討する必要があります。しかし、こうした事を厚生労働省は検討をしていません。まず、こうした実験やデータを整理すべきです。
 平和フォーラムも参加している「照射食品反対連絡会」では昨年夏に、照射食品についての消費者アンケートを行い、回収は11,700人に及びました。そのうち、「照射に反対するか」という問いには、88.6%が反対と回答しました。
 また同時に、38県の学校給食で働く栄養士、調理員など286人にもアンケート調査を行い、照射食品を「使うべきではない」と回答した人は235人(82.1%)にのぼりました。このように消費者だけでなく、学校給食現場の人たちも照射食品に反対しているのです。

欧米でも消費者の反対で流通はわずか


「照射食品は必要か?」消費者団体の集会
(07年9月・東京)

 内閣府の食品安全委員会は2004年に、世界の照射食品の流通状況について調査しています。報告書では、「欧州では一時推進されたが、今は照射食品は減少し、輸出用や外食産業など直接、自国の消費者の目にふれないところで使われ、大手スーパーや食品産業も照射食品を使うことを避けている。照射食品拡大の見通しはたっていない」(要旨)と報告しています。
 また、米国でも市場に出回っているのはスパイスと冷凍牛ひき肉で、その流通量は牛肉市場の1%以下しかないと報告しています。米国食品医薬品庁(FDA)も「消費者は、照射食品に対して否定的な見解を持っている」とし、米国農務省も「消費者は照射食品に対して否定的な意識が強い」と報告しています。米国でも消費者の反対が強く、受け入れられていないのです。

日本に押し寄せる照射食品
 日本で照射食品を許可しようとする動きの背後には、海外からは違法な照射食品が入ってきていることがあります。最近でも、07年5月にキッコーマンが米国から輸入した健康食品の大豆原料や、同年12月のドイツから輸入したパプリカへの照射、昨年も6月に大分の会社が中国から輸入した乾燥しいたけや、10月には名古屋の健康食品会社がペルーから輸入したマカへの照射が判明して、それぞれ回収措置が取られました。
 日本に輸出するとき照射すれば、腐敗を防いで鮮度保持ができるためです。また、食品にあてられた放射線の量を測る方法がないため、輸出元が「照射していない」と否定すれば、日本で摘発しても曖昧なままとなって、監視も管理もお手上げという実態があります。
 照射を推進する側は、照射の表示をすれば消費者が選べると主張しています。しかし、昨今の食品の偽装や不当表示が氾濫している状況を見れば、これはまったく説得力がありません。
 照射食品の推進の動きを完全に止める必要があります。「照射食品反対連絡会」では、さらに食品メーカーなどにも働きかけをしていくことにしています。

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韓国の被爆者交流と光州民主化闘争を学ぶ訪韓団
高齢化し病弱な被爆者の援護を早急に求める

 08年12月15日から19日にかけ、原水禁は川野浩一副議長ら10名で、在韓被爆者の実態を把握するとともに、1980年の光州民主化闘争の当事者との交流を目的に訪韓しました。

在外公館での被爆者健康手帳の申請第1号に
 被爆者援護法の改正に伴って、在外公館での被爆者健康手帳の申請が12月15日から実施されることになりました。それに合わせ、16日に、韓国南部の陜川(ハプチョン)高麗病院に入院している鄭南壽(チョン・ナムスン)さんの被爆者健康手帳の代理申請を支援することになりました。鄭さんは、これまで寝たきりで来日することができず手帳を取得できないでいました。そのため、海外からの申請を認めるよう「在外被爆者手帳裁判」を起こし、08年11月10日に長崎地裁で勝訴しました。しかし、国が控訴し現在も争われています。
 今回、新制度の実施に伴い、釜山の日本領事館に申請した第1号となり、09年1月中には取得できる見通しとなりました。申請後、入院中の鄭南壽さんに申請の報告をしました。また同病院に入院していた下光珠(ビョン・カンジョ)さんも、広島で被爆し、膝下が悪く動けないため、手帳取得に妹2人が広島に行き、代理申請を行っているという話も聞きました。ここにも来日できない被爆者がいることがわかりました。
 ソウルの日本大使館では、改正された被爆者援護法の運用の実態を聴取しました。その中で、在外公館での被爆者手帳取得のための問い合わせがすでに数本入っていることが明らかになり、日本に来日できない被爆者がまだまだいることがわかりました。

重い医療費の負担、貧弱な福祉対策


広島被爆者の金文成さんから聴き取り(釜山市内で)

 釜山では、広島で被爆した金文成さんを訪問し聴き取りを行いました。金さんは、広島の川内町生まれで、小学1年の時、兄の自転車の後ろに乗っているところで被爆しました。その時の火傷などで身体の半分が被害を受けました。帰国後、皮膚ガンにかかり長崎医大で移植手術を受け、その後さらに甲状腺ガンにもかかり、05年に原爆症に認定されました。いまだに原爆の被害を引きずり、病魔とも闘い続けています。
 韓国原爆被害者協会釜山支部では、会員の平均年齢が75才と高齢化し、それに伴い生活の中で医療費の占める割合が年々増え、現在の援護法における医療費負担の上限を外して欲しいとの要求が出されました。また、韓国原爆被害者協会本部では、被爆二世のイ・スンドクさんから、「二世は一世と違い何の利益もない。名乗りを上げる人がなく、組織化で苦労している」と、二世の置かれている厳しい現状が訴えられました。
 陜川の原爆被爆者福祉会館には被爆者約80人が在所していますが、いまも入所希望者が多く順番待ちの状態です。増築し、収容者の増強をはかる予定ですが、高齢化する被爆者が増え続ける中、その対応が限られているのが現状です。改めて、高齢化し病弱な被爆者の援護が早急に求められていることがわかりました。

光州民主化闘争のシンボル保存を
 一方、1980年5月の光州民衆化闘争を闘った人々とも交流しました。現在、民主化闘争で最後に戒厳軍と闘った旧道庁舎が、再開発計画で取り壊されようとしていることに対して、「元全羅南道庁保存のための共同対策委員会」を組織して座り込みを続けています。道庁舎は157名が立てこもり戒厳軍と闘ったゆかりの場所で、「血と魂が入っている建物」です。闘争では公式には165名が亡くなったことになっていますが、今でも行方不明者もおり、実態はもっと多いとのことです。対策委員会は、「後世に闘いの歴史と意味を残す」として、旧道庁舎の保存を求めています。
 2010年は光州民主化闘争30周年にあたります。韓国では、イ・ミョンバク政権の登場によって、民主化運動に逆風が吹いています。改めて韓国民主化運動の一つの原点である光州闘争の意義を考える必要があります。そのため、原水禁の招待で、2月28日から3月6日にかけて対策委員会の代表4名が広島や長崎の平和公園や原爆資料館等を訪れる予定です。

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オバマ米新大統領への期待と危惧(3)
すすむか中東安定の歴史的和解

ガザ虐殺で始まった2009年
 2009年はイスラエル軍による大規模なガザ攻撃が続くなかで幕を開けました。仏・サルコジ大統領がいち早く停戦を呼びかけ、EUも調停に乗り出し、また中国、ロシアが軍事行動の即時停止を訴えましたが、米国ではブッシュ大統領やペロシ下院議長がイスラエルの立場を支持しました。国連安保理の即時停戦決議も米国が棄権しましたが、1月8日に賛成多数で採択されました。しかし、イスラエルは停戦を拒否し、ガザ大規模攻撃を続けています。
 オバマ次期大統領も「大統領は一人だ」と説明して態度表明を避けていました。しかし米国内の世論は大きく二分され、とくにオバマを支持した人たちの間ではオバマ政権への失望感が広がっていきました。こうした中、1月6日にようやくオバマも記者会見でガザ状勢に懸念を表明。11日には「何十年も続いている(中東和平の)行き詰まりの打開を試みようと、一層決意を固めている」「(新政権発足の)初日から直ちに最良の人材で中東和平プロセスに取り組めるよう人事を行っている」(ABC「This Week」)と語りました。
 1993年にクリントン政権の仲介によって、パレスチナ暫定自治合意=オスロ合意(注1)が成立したとき、積極的に関わったのがこの1月からオバマ大統領の首席補佐官となるラーム・エマニュエルです。
 一方、米国とともに沈黙していたエジプトは1月6日に停戦案を提示し、ようやくハマス、イスラエル双方が参加する停戦協議が始まりました。

注1 :
 93年9月、イスラエルが初めてパレスチナ解放機構・PLOをパレスチナ人の正式代表として認め、PLO議長もイスラエルの生存権を認め、和平交渉を進めることで合意した。しかし06年7月のイスラエル軍ガザ侵攻などによって、合意は崩壊したとアラブ連盟は見なしている。

攻撃に手を貸している米国の責任
 しかし、オバマ大統領が中東和平にどう動こうと、今回のガザ虐殺に米国は大きな責任を負わなければなりません。現在ガザ攻撃に使用されてイスラエル軍兵器の多くは、米国製の最新鋭兵器です。前ブッシュ政権は発足以来、中東和平に消極的姿勢をとり続けてきただけでなく、07年8月には、今後10年間で300億ドル相当の軍事援助を実施する協定に署名しました(注2)。
 また米国議会も昨年9月、ボーイング社製の「スマート爆弾」(地中への破壊力が大きいバンカー・バスター)1千個(7700万ドル)をイスラエルに販売する案件を承認しており、その爆弾はいまガザで連日投下されています。
 さらにガザでは米国製の新兵器・DIME(高密度不活性金属爆薬)の使用も疑われています。DIMEは超高濃縮炭素の内側にタングステン合金粉末を詰めた爆弾で、爆発とともに炭素は溶け、合金粉末だけが人体の表面をほとんど傷つけず、骨や内臓を高温で焼いてしまうという、殺傷範囲は狭いが、被害を受けた人の治療はきわめて困難といわれる爆弾です。
 また煙幕として使われている白リン弾(白燐自体が猛毒であるが、空気に触れて自然発火し、透過性のきわめて低い5酸化ニリンの煙を発生させる。この煙に触れると激しい火傷となり、吸い込めば肺を傷つけ、呼吸困難となる)もきわめて残虐な兵器です。米軍は白リン弾をイラクでも使用していて、その被害の深刻さがいま大きな問題となっています。

注2 :
 ライス前米国務長官の中東各国訪問に際して取り決められた援助で、このほかエジプトに130億ドル、サウジアラビアに200億ドル、その他の湾岸諸国に200億ドルの援助が行われる。

パレスチナとイスラエルの共存への課題
 イスラエルは07年6月からガザ沿岸を封鎖するとともに、ガザ唯一の発電所への燃料供給を停止してきました。このためガザ住民の70%は停電のなかでの生活を強いられ、食料、医薬品などが極度に不足する状況が続いていたのです。国連人権特別調査者・リチャード・フォーク・プリンストン大学名誉教授は、昨年12月10日に声明を発表し、イスラエルのガザ封鎖は「徹底的な包囲攻撃」であり、人道に対する罪であると訴えています。こうしたなかでのガザ大規模攻撃はまさに虐殺としかいいようがありません。悲しみとそして憎しみの芽が大量に芽生えることでしょう。
 イスラエルはハマスを徹底的に攻撃し、穏健派のファタハのパレスチナにしたいと望んでいます。しかし、ファタハのアッパス議長への支持は急落していて、任期も今年1月9日に終わり、後任を選ぶ選挙もできない状況です。今となってはパレスチナとイスラエルの共存しかなく、そのためには米国の積極的な関与が不可欠となります。
 エルサレムの複雑な帰属問題、パレスチナ側に大きく侵食した分離壁撤去と国境問題、400万人といわれる難民問題など、多くの難問を抱えていますが、オバマ大統領がどう関与していくのか、私たちは注目したいと思います。(1月15日記)

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【本の紹介】
9条で政治を変える─平和基本法
フォーラム平和・人権・環境 編


発行・高文研

 フォーラム平和・人権・環境は、2005年に軍事評論家の前田哲男さんと相談し、平和基本法要綱案づくりのプロジェクトを立ち上げました。そのメンバーがこの本の著者の前田哲男さん、児玉克哉三重大学教授、ピースボートの吉岡達也共同代表、飯島滋明名古屋学院大学専任講師。2007年参議院選挙での与野党逆転という結果によって政権交代が現実化したことを受けて、作業を改めて行なってきた上で刊行されたものです。
 最初に、「なぜ、いま平和基本法なのか」の章で語られているように、単に憲法9条を守る「確信と信念」だけでなく「現実政治の展開に向けた「9条にもとづく安全保障政策」を結集軸として呼びかけ、国民・有権者の前に提示しなければ説得力を持ちえ」という立場から作成されています。そして、「9条を具現化した政策を明示する」として、1)国家の交戦権否定 2)集団的自衛権禁止 3)非核3原則 4)武器輸出三原則 5)海外派兵禁止 6)攻撃的兵器の不保持を条文に明記し、7)文民統制原則 8)国連中心主義をかかげること、を提起。
 自衛隊は改編し、1)国土警備隊 2)平和待機隊 3)災害救助隊に分割すること。当面存置される「国土警備隊」は、組織・任務・装備の面で、「陸海空その他の戦力」に当たらないものに限定すること。大幅に削減される予算・人員・施設を、「災害救助」と「国際協力」分野にふりむけ、憲法前文と9条にふさわしい日本の姿を世界に示すことなどを明らかにしています。
 第2章には全13条にわたる「平和基本法案要綱」基本法の要綱、第3章では22項目にわたるQ&Aで要綱の内容をわかりやすく解説しています。
 平和基本法が直接に登場するのは、90年代前半にさかのぼります。冷戦の崩壊のもとで平和と軍縮の動きが国際的に進み、細川内閣、村山内閣と自民党以外の首相が誕生し、平和憲法重視が基本指針とされましたが、自衛隊の縮小・改革は具体化しませんでした。
 また、その後、とりわけ小泉内閣以後、有事法制、海外派兵の連続と憲法はまったく蔑ろにされてきました。平和基本法は、その経験・歴史も踏まえて、いまの状態から憲法理念を現実化していくための提案です。「最小限防御力」をめぐる評価などの議論も含めて、護憲運動関係者はもとより、政治のあり方を変えたいと思う人々にとって必読の書です。
(五十川 孝)

 ※平和フォーラムでも取り扱っています。

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【映画評】
女工哀歌(エレジー)
(05年/アメリカ/ミカ・X・ペレド監督)

 経済・雇用危機が深刻になっていますが、視点を世界に向けると、貧富の格差、労働賃金の違いに呆然とさせられます。特に「世界の工場」と言われる中国では、驚くほどの低賃金で様々なものが世界中に向けて作られています。その1つが、私たちが日常、何気なく穿いているジーンズです。
 四川省の貧しい農村から広東省の縫製工場に出稼ぎに来た少女ジャスミン・リー(16歳)はブルー・ジーンズの糸くずをハサミで切る仕事を延々と続ける糸切り係の女工。中国には彼女のように農村から都市に出稼ぎに来て働く「農民工」が、総人口の1割に当たる1億3000万人もいます。この縫製工場では、ウォルマート(米国最大の小売企業)など欧米の小売店で売られるジーンズが作られています。最低賃金以下で労働者を働かせ、残業代も支払わず、徹夜の作業、給料の遅配も日常茶飯です。彼女たちの平均時給は0.5元(約7.8円)、14歳の少女も年齢を偽って働いています。
 このドキュメンタリー映画は、納期に間に合わせるために無給で徹夜で働かされることに怒った労働者がストを行ったり、工場の社長が競争で製品価格を引き下げられ、そのしわ寄せを労働者に押し付ける姿なども描いています。さらに、主人公のジャスミンをはじめ少女達が、夢と希望を持ってたくましく生きていく日常の姿も捉えていて、深刻な問題にも関わらず画面は明るく、88分の上映時間は長く感じません。
 ウォルマートの店頭で400ドルで売られるジーンズを、この縫製工場はたった4ドルで売り渡しています。「私たちが毎日つくるジーンズ、誰がはいているんだろう?」─ジャスミンのつぶやきは、多国籍企業が世界の経済を支配するグローバリゼーションの中では、先進国の消費者には届きません。私たちの生活を支えている世界の現実に目を向け、そのあり方を問い直す、格好の映画といえます。08年から日本公開。
(市村忠文)

 映画の紹介はこちらのウェブを。http://www.espace-sarou.co.jp/jokou/index.html  

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【投稿コーナー】
国連総会で「劣化ウラン兵器決議」可決
「非人道的無差別殺傷兵器」廃絶へ
「ウラン兵器禁止を求める国際連合」運営委員
振津 かつみ

クラスター爆弾禁止からウラン兵器禁止へ
 昨年末、「クラスター爆弾禁止条約」が調印されました。同条約の実現は、「クラスター兵器連合」(CMC)に結集した世界の市民・NGOと被害者の連帯した国際運動の大きな成果です。対人地雷に続き、「非人道的無差別殺傷兵器」の禁止に向けて、世界はまた新たな一歩を踏み出しました。
 同じく「非人道的無差別殺傷兵器」であるウラン兵器の禁止を求める運動に、「ウラン兵器禁止を求める国際連合」(ICBUW)が取り組んでいます(原水禁も賛同団体)。「非人道的無差別殺傷兵器」禁止の国際的流れの中で、ウラン兵器禁止に前進しましょう。
 昨年12月、ニューヨークの国連総会では、「劣化ウラン兵器使用の影響に関する決議」が賛成多数で採択されました。同決議では、一昨年の国連総会初の「ウラン兵器決議」を再確認し、さらに多くの国々に同兵器の影響評価についての見解を出すよう促し、また、世界保健機関(WHO)、国連環境計画(UNEP)、国際原子力機関(IAEA)などの国際機関に調査・研究を更新し完成するよう求めています。
 2年後の国連総会で、ウラン兵器問題が再び議論されます。それまでに、国内外の運動をさらに強め、同兵器の危険な影響を国際的に認めさせ、禁止に向けた次のステップへとつないでいくことが重要です。

NGOの働きかけでNATO諸国にも変化


「劣化ウラン弾NO!」を訴える6千人の人文字
(03年3月・広島/撮影・豊田直巳)

 ICBUWは国連総会に向け、「予防原則」に基づき、ウラン兵器使用のモラトリアムから禁止へと進むべきであると各国代表に訴えました。アルゼンチン、カタール、ボリビア、そして被害国のセルビアなどが国連事務総長に提出した見解の中で、モラトリアムや禁止条約を求める立場を表明しました。昨年5月、欧州議会でも、「緑の党/欧州自由連合」とICBUWが協力して起草した、「モラトリアムと禁止条約を求める決議」が圧倒的多数で採択されています。
 一昨年と同じく「非同盟運動」(NAM)諸国が提案した国連決議案は、キューバが中心となって起草されました。北大西洋条約機構(NATO)諸国などから、前回以上に強い抵抗が予想され、決議案には、残念ながらモラトリアムは含まれませんでした。しかし、前回を上回る141ヵ国の賛成で可決し、ウラン兵器問題を国連総会の軍縮課題のひとつとして継続審議させ、国際社会が動き出したことは、重要な一歩です。
 決議に対し、米・英・仏・イスラエルは反対しました。一方、前回棄権したフィンランド、ノルウェー、アイスランド、タジキスタンが賛成に、オランダ、チェコは反対から賛成や棄権に転じました。フィンランド、ノルウェー、オランダが賛成に転じたのは、ICBUWと連携した各国NGOが、自国政府への粘り強い働きかけを行った成果です。NATO諸国の多くは棄権しましたが、前回同様、独、伊、オーストリア、アイルランドが賛成し、この問題でのNATO諸国内の見解の相違が改めて浮き彫りにされました。

日本は積極的な役割を果たせ
 私たちは日本政府に対し、「被爆国」の政府として、また諸国民の「平和的生存権」を掲げる憲法を持つ国の政府として、ウラン兵器禁止に向けて国際的に積極的な役割を果たすよう求めてきました。これには原水禁をはじめ、多くの日本の団体、市民が参加し、外務省交渉、国会議員への働きかけなどに取り組んできました。そのような中で、一昨年に引き続き、日本政府が同国連決議に賛成票を投じたことは、歓迎すべきことです。引き続き、対政府の働きかけを強めなければなりません。政府は、在日米軍基地内でのウラン兵器貯蔵を公に認めています。それらの実態を明らかにさせ、撤去を求めていきましょう。
 ウラン兵器は、原発・核燃料サイクルから生み出された核廃棄物=劣化ウランの軍事利用であり、新たな放射能汚染とヒバクシャを生み出しています。あらゆる核に反対し、世界のヒバクシャと連帯して闘ってきた原水禁とともに、ウラン兵器禁止に向け、今後も前進したいと思います。

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ビキニ水爆実験被災55年
第五福竜丸 航海中です
第五福竜丸展示館学芸員
市田 真理

様々な反応を示す来館者


第五福竜丸を見学する子どもたち

 「うわー、でっけ~」「マジ?これホンモノの船?」─展示館に入ると、目の前にせまる船尾を見上げて子どもも大人も異口同音に歓声をあげます。いまから55年前の1954年3月1日に、アメリカの水爆実験により被災した木造船第五福竜丸が丸ごと展示されているからです。140トン、全長約30m、高さ15m、幅6m)
 来館者には、この船が戦後の食糧難の時代に遠洋漁業に従事していたこと、乗組員の被災と魚の放射能汚染で大騒ぎになったこと、吹き上げられた「死の灰」が雨に混じって日本をはじめ世界各地に降りそそいだこと、マーシャルでは67回もの核実験が行われたこと、全国で原水爆禁止の署名運動がとりくまれたことなどを、ボランティアガイドや私たち学芸員が解説します。2001年に「ボランティアの会」を結成して以来、希望者にはほぼ100%実施しています。
 被災半年後に、無線長だった久保山愛吉さんが40歳で亡くなったことを告げると、小学生、中学生たちの顔がシュンとなります。自分の親に重ねているのかもしれません。学生たちは、久保山さんの「原水爆の被害者は、わたしを最後にしてほしい」という言葉に敏感に反応します。世界にはいまなお2万7千発もの核兵器が存在していると知り、憤る子どももいます。
 常設展示にはフォト・ジャーナリスト豊崎博光さんが撮影した、世界のヒバクシャのポートレートがあります。その隣にはこれまでに行われた核実験の回数と、核兵器の動きを示した年表があり、そこで立ちすくむ人たちも少なくありません。

各地に広がる福竜丸のメッセージ
 解説しながら、私はビキニ事件も船の保存運動もリアルタイムでは知らないし、最近まで第五福竜丸を知らなかったことも正直に言います。ほんの短いひとときではありますが、「ナマの声」で伝えることで、聞いている方の記憶がよみがえり、貴重な聞き取りができることも少なくありません。私同様、事件後に生まれた人口が約7割になったいま、福竜丸が発信するメッセージと、船を守ってきた先輩たちの思いをどう受け止めて伝えていけるか、模索しながらの日々です。
 よく「若い世代へ」と言いますが、実は「あまり若くない世代」も、案外知らないようです。各地での「福竜丸展」のよびかけにも取り組み、私たちスタッフが出前講演させていただく機会も増えてきました。またここ数年は、新しい資料の発掘や研究もすすめられ、劇団によるテント芝居や、市民グループの朗読劇、ミュージカルのテーマにも取上げられるなどの広がりも生まれてきました。
 一方で第五福竜丸一隻だけの被害ではない、核実験被害は地球を覆い、イキモノたちの体も心も文化さえも蝕んでいることを、さらに伝えていかなくてはと思っています。

 東京都立第五福竜丸展示館(1976年6月10日開館)
 東京都江東区夢の島3-2 夢の島公園内
 開館時間 9時30分~16時/月曜休館
 (月曜が祝日のときは開館し火曜休館)

市民講座 3・1ビキニ記念のつどい
 久保山さんはなぜ死んだ~解剖所見から見えてくるもの
 被爆者医療に携わる医師の聞間元さんを講師に、第五福竜丸元乗組員たちの現在の健康問題などを考えます。

 日時 : 2月22日(日)午後2時~4時半
 会場 : 日本教育会館(東京都千代田区一ツ橋)
 資料代 : 700円
 問合せ : 第五福竜丸平和協会(TEL 03-3521-8494)
 ホームページ : http://d5f.org

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【新刊案内】
核兵器全廃への新たな潮流
~注目すべき米国政界重鎮四人の提言
A5判/95ページ 頒 価:500円

内容:
一章 概観
二章 核兵器の現状と四人の提言/具体的措置の提言/世界の核状況/具体的措置の背景
三章 レイキャビク20周年会議を経て具体的措置の提言へ/発端―レイキャビクのゼロ提案/レイキャビク20周年会議へ/シュルツの警告/外交と科学
四章 『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙投稿/2007年1月4日「核兵器のない世界」/2007年1月31日「核の脅威」ミハイル・ゴルバチョフ/2008年1月15日「核兵器のない世界に向けて」
五章 サム・ナン元上院議員インタビュー
六章 各国の反応 英国/フランス/ノルウェー/ドイツ/オーストラリア/イタリア/ロシア
七章 バーゲン(取引的約束)の履行と強化

 資料 : 米国民主党選挙綱領
 著者 : 田窪雅文(ウェブサイト「核情報」主宰)
 発行 : 原水爆禁止日本国民会議

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