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ニュースペーパー2009年8月号

2009年8月 1日

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【インタビュー・シリーズ その37】
ヤスクニを支える思想と日本社会の問題を語る
弁護士 内田 雅敏さんに聞く

【プロフィール】
1945年愛知県蒲郡生まれ。1975年東京弁護士会登録。日弁連憲法委員会委員。花岡平和友好基金運営委員会(北京)運営委員。姜尚中東大教授が、「戦後民主主義を『虚妄』に終らせないために、『在日』を通じて朝鮮や中国など、アジアとの交わりに粉骨砕身する知識人」と評する。憲法・戦後論・靖国などの著書多数。

──戦後補償や靖国問題に関わるきっかけは。
 僕が弁護士になったのは1975年です。前年に起きた三菱重工爆破事件で東アジア反日武装戦線のメンバーが一斉逮捕され、僕が弁護を引き受けることになりました。彼らは日本の戦争責任や天皇制の問題を主張していましたが、戦後30年以上も経っていましたし、当時、大事なのは階級闘争だと思っていましたので、それほど彼らの訴えに共鳴していませんでした。ところが、1988年から翌年にかけて、昭和天皇の下血騒ぎがあって、テレビで井上陽水の「お元気ですか」のCMが中止されたり、お祭りも中止になるやら、日本社会が天皇賛美一色になりました。このとき、これは何だと思ったんです。彼らが提起した問題は、爆弾という方法は別として、正しい指摘だと認識したんです。戦後補償問題については、冷戦後の1980年代末から秋田・花岡事件や香港軍票の訴訟にかかわるようになりました。

──「平和の灯を!ヤスクニの闇へ」の取り組みは。
 2002年からですね。小泉政権が登場して靖国問題がクローズアップされました。次第に政治的利用の度を増して外国の圧力に屈しない強い指導者を演出するようになり、その集大成が2006年8月15日の参拝でした。
 僕はいまでは靖国問題をいろいろ語りますが、学生時代にはほとんど語ったことはありません。植民地支配や天皇制、歴史の問題よりも階級闘争という発想が強かったんですが、靖国問題を取り組めば取り組むほど日本社会の根源的な問題という気がしています。
 靖国問題には、裁判上の視点と運動上の視点がありますが、裁判上では最初、首相の参拝が違憲かどうか、憲法20条の政教分離原則の関係で語られていました。それがいまは勝手に合祀され、靖国の神々にされていることを止める、とくに植民地の人たちの合祀を取り下げる問題になっています。これは単なる政教分離原則ではなく歴史認識の問題に深く斬り込むものです。そういうように靖国裁判も進化してきました。
 その中でどうしてもわからないことがありました。いま取り組んでいる韓国人の合祀取り下げ訴訟で、合祀されたのは1959年です。戦後、一宗教法人となった靖国神社が、戦後14年を経て、しかも外国人、植民地支配の被害者を靖国の神々として祀るのかという疑問でした。法廷で質問しても靖国神社側は答えません。
 最近、纐纈厚山口大学教授の「私たちの戦争責任」という本を読んでわかったんですが、靖国神社に祀られると生前の地位や経歴や資産に関係なく護国の英霊とされ、そこに天皇が頭を垂れる、一君万民であり、天皇の関係では皆等距離という虚構があるんです。その虚構を維持するためには、たとえ植民地支配下の人でも、天皇の戦争に駆り出されたのだから、すべて祀らないと教義として完結しないんです。死者を悼むのではなく、自分たちのイデオロギーを合理化するために死者を戦後も利用する、その根底に一君万民があるんです。これが天皇制の本質です。靖国神社の問題は、A級戦犯が合祀されていてその分祀云々ではなく、その歴史認識こそ問題なのです。
 もう一つの問題は、靖国神社に8月15日に年老いた多数の遺族が参拝していることです。国が戦争に駆り立てて殺してしまったことに、犬死にではない何らかの意味付与をして祀ってほしいという気持ちを、靖国神社がとり込んでしまっていることです。

──田母神論文を許すような日本の状況もあります。
 戦後の日本はアメリカの核の傘の下で、しかも海に囲まれていて、アジアとの関係を正面から対峙せずにすんでしまいました。これに対してドイツは歴史の問題に取り組まなければヨーロッパの一員として迎えてもらえませんでした。また、ドイツは5月8日でナチスの第三帝国が壊滅して戦前を清算していますが、日本の場合は8月15日を境にして軍部はいなくなったけれども切断がないのです。

──北朝鮮の核実験やミサイルの問題をどう見ますか。


小学2年のときの文集をもとに最近出版された内田さんの著書
 いままでは冷戦下、アメリカの核の傘の下で防いでもらってきた中で平和憲法を言ってきましたが、東北アジアがこういう状況のなかでも平和憲法でいくと言える覚悟ができているのか、まさに本当の意味で憲法が試されていると思います。
 結局、論議しているのは、日本の核武装とか、敵基地攻撃能力とか、専守防衛といっても、攻めてきたら海岸でではなく、飛んでくるのだから、その前にどうするかとなります。相手をせん滅するか、飛んでこさせないようにするしかない。飛んでくる前に相手をせん滅するのは先制予防攻撃です。これでは19世紀に戻ってしまう。とすれば飛んでこないような外交関係をつくるしかないんです。ドイツは、「歴史上初めて隣国すべてが友人となった」、つまり究極の安全保障を得たわけです。EUにはいろんな経済的格差の問題があるけれども、安全保障の点では成功しています。それにはドイツにおける歴史の取り組みがあるわけです。
 ノンフィクション作家の保阪正康さんは「戦争体験といっても、戦場体験の有無でぜんぜん違う。いろいろ聞き取りをしたが戦場体験のある人は間違いなく憲法を擁護している」と述べています。日本国憲法は残酷さの中から生まれてきたし、それを忘れてはならないというのです。たしかにその通りだと思います。
 「敗戦後論」を著した文芸評論家の加藤典祐さんは「日本の戦後はアジアの被害者に目を向けてきたけれども、国内の被害者に目を向けてこなかった」と書いています。アジアの被害者に目を向けてきたこともないですが、後半の国内の被害者に対して戦後の革新勢力が目を向けてこなかったのは事実だと思います。それが靖国に取り込まれてしまったのです。
 最近、『半世紀前からの贈物』『補論・戦争が遺したもの』(れんが書房新社)という本を出しました。われわれの世代は敗戦の年生まれですが、1953年、朝鮮戦争の休戦の頃、小学2年のときの文集をもとに書いたエッセイと、その続きです。この本をつくって、われわれの世代には父親を戦争で亡くした同級生がたくさんいるのに、何で子どものころに話題にすることがなかったのかと思ったわけです。同じような多くの人が、護国神社のお祭りや靖国神社の遺児の集まりとかに行って作文を書いたりしているんです。戦後民主主義、もう平和になったということでアジアに対する被害を忘れたばかりではなくて、国内の問題についても十分に向き合ってこなかったという気がしています。
 原水禁は広島・長崎の被爆体験に基づく大きな理念につながった大事な運動ですが、もっと身近なところにいる戦争被害者に対しても、もっと目を向けてくれば、そういう人たちを靖国神社に取り込まれずにすんだのではないかという気がしています。戦後民主主義という言葉の陰で、何か忘れられてきたものがあるのではないでしょうか。

──過去を見ないとアジアと付き合えないですね。
 僕は、憲法前文の他に、暗唱している文章が二つあるんです。一つは1985年の中曽根康弘元首相の国連演説でいいことを言っているのです。「戦争を反省して平和と自由、民主主義と人道主義を至高の価値とする国是を定め、そのための憲法を制定した。日本は平和国家に徹します」。しかし、同じ戦後40年のドイツのヴァイツゼッカー演説と比較すると中曽根演説は加害責任を語っていません。それが日本で語られるのは1995年の村山首相談話です。10年の差があるのです。僕は村山談話も暗唱していますが、憲法と戦後50年の村山談話をセットにして考えていく必要があると思います。

〈インタビューを終えて〉
 1945年生まれの内田さんは、戦後民主主義を体感してきた世代です。戦後民主主義は、加害と向きあうことに大きな努力を払ってきました。だからこそ、忘れられたものに目を向けなくてはならないとの言葉に説得力があります。話す言葉に褪せることない情熱を感じさせ、目の中にまた何か企てようとする光を感じました。
(藤本泰成)

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私たちの希望と未来を壊し続ける自公政権を許さない
さあ総選挙だ! 政権交代を勝ち取ろう

世の中が変わるんだ
 私たちの目の前で世界的な規模で時代が激動しています。その基本的な流れは、新しい枠組みの創出をめざして動いていることを私たちは体全体で感じることができます。ブッシュの時代が終わり、オバマの時代になりました。結果として、世界に100年に一度といわれる大不況を押しつけることになった米国の一極支配をめざした時代の終えんです。
 日本でも自公政権が終わろうとしています。彼らには新しい時代への対応能力がないのです。戦後日本の政治権力を握り続けてきた自民党に代表される保守勢力の時代が終わり、民主党、社民党を中心とする勢力が政治権力を獲得する政権交代が実現しようとしています。
 戦後初めての本格的な政権交代です。自公政権は最後のあがきとして、いろいろな謀略を仕掛け続けていますが、この流れをとどめることはできません。私たちも新しい時代、政権交代を勝ち取る一翼を担いたいものです。

貧困、格差、生活不安と危機が覆っている


「反貧困ネットワーク」の労働問題シンポ
(09年3月・東京)
 2001年、小泉純一郎が首相になり、私たちの生活と平和が狂い始めました。自公政権は新自由主義・市場原理主義に基づく経済・財政・金融政策を推し進め、また雇用保障・社会保障制度などのセイフティネットを破壊し、貧困者を大量に生み出す格差社会をつくり続けています。
 また平和の面でも、米国の「軍事力による世界支配」に追従して、憲法空洞化と「戦争する国づくり」を推し進めました。05年の衆議院総選挙において、自公政権が3分の2の議席数を獲得して以来、さらに傍若無人にその路線を強化、突き進みました。
 しかし、そんな政策は長続きしません。矛盾が噴出し始めました。貧困、格差そして生活不安と危機が日本全体を覆っています。生活の基本である雇用状況は、08年度末の完全失業率が4.8%と増加し続けています。企業の倒産件数も増え続け、毎月1,000件を超え、08年度は総計15,645件となっています。
 また、企業の合理化対策の中で、非正規労働者化が進行し続け、08年は就業者5,159万人のうち約1,760万人と、3分の1以上にのぼっています。雇用保障もなく、賃金や労働条件、その他の権利も差別されたままです。大半の就業者は労働組合に組織化もされていません。また年収が200万円以下の人は1,000万人を超え、全労働者の3分の1です。生活保護世帯も増え続け、120万世帯と言われています。

憲法も実質的に改悪され続けてきた
 自殺者は11年連続して3万人を超え、自殺未遂者はその10倍の30万人と推定されています。毎日100人の人が自殺をしているのです。そして家出人は毎年約9万人と言われています。毎日300人が家出をしているのです。警察庁の発表によると犯罪件数は、08年度は約180万件と、1日約6,000件発生し、検挙件数はその3分の1にすぎません。
 医療・看護体制、年金制度、社会保障制度も危機が続き、国民生活が基礎のところで壊れています。農業も衰退を続け、食料自給率は先進国では最低の40%です。これが、自公政権がつくりだした私たちの日本の生活実態です。
 憲法も解釈改憲によって、実質改悪され続けています。世界第5位の軍事力を持ち、米軍再編成や沖縄・辺野古への基地建設、インド洋、ソマリア沖への自衛隊の派兵など、憲法9条は危機に瀕しています。教育基本法も改悪されました。過去の清算、拉致問題の解決、日朝国交正常化をめざさなければならないのに、「ミサイル防衛だ、制裁だ」と、東北アジアで軍事的緊張を率先して高めています。
 さらに、破たんが明らかにもかかわらず原発・プルトニウム利用政策の強行による無駄と危機も深刻化させています。麻生自公政権の無策と悪行を数え上げればきりがありません。

麻生はただちに退陣すべきだ


このパワーを政権交代へ
(08年7月・横須賀原子力空母反対集会)
 自民党は、小泉政権の後、安倍、福田、麻生と政権のたらい回しを続けてきました。その結果、安倍も福田も政権を放り投げ、麻生にいたっては、あまりの無節操さによって崩壊寸前です。彼には「めざすべき理念」など何もなく、あるのは、将来に膨大な負担のつけを残す単なる人気取りのばらまき政策だけです。日本郵政社長人事への対応も、問題の多い西川社長ではなく、鳩山総務大臣の首を切ってしまいました。郵政民営化とそれにともなう利権に群がり、荒稼ぎした連中の実態を闇に葬ったのです。このことはさらに多くの国民の期待を裏切り、失望させました。
 本人が駄目なら、内閣を構成する大臣たちもひどく、「日教組をぶっ壊せ」などと労働組合を攻撃することが憲法違反であることを理解できない中山成彬国土交通大臣、酔っ払って記者会見場に現れ、「日本の財務大臣のレベル」を世界に広めた中川昭一財務大臣などが辞任しました。
 また、政権を支えている官僚たちもひどく、事故米を食用米として販売することを実質容認した農水省官僚、村山談話を公然と否定する航空自衛隊のトップである田母神元空幕長、接待ゴルフ漬けの守屋元防衛省事務次官、日米間の重要文書を勝手に処分をしたり、拉致被害者救済に対し無策の外務省の官僚たち、政治的圧力により偽の証明書を発行したり、年金制度を大混乱させている厚労省官僚、国策捜査の検察、朝鮮総連弾圧の警察庁など、官僚たちの実情を見れば見るほど、自公政権とそれをささえている官僚たちにこれ以上の政権を任せることはできません。

国民はチェンジを求めている
 05年の総選挙では、小泉とマスコミが一体となった郵政民営化騒ぎの中で、野党は敗北しましたが、07年の参議院選挙では、比例代表区・政党別確定投票数は民主党2,325万票(39.5%)、自民党1,654万票(28.1%)であり、定数242人中、自公は103人しか獲得できませんでした。参議院での与野党逆転が実現しました。
 09年に入ってからの地方選挙では、千葉県知事選と秋田県知事選では自公系候補が勝利しましたが、その後の名古屋市長選、さいたま市長選、千葉市長選、7月の静岡県知事選、奈良市長選、東京都議選では民主党を中心とする野党候補が勝利を続けています。また千葉市長選、奈良市長選、東京都議選では、若いパワーが大活躍しました。国民は古い自民党に「ノー」を突きつけ、チェンジを求めているのです。
 また直近の世論調査でも、麻生自公政権の支持率は、読売新聞(7月10日)で20.2%、朝日新聞(7月6日)では20%となり、逆に不支持率は、読売で69.3%、朝日は68%となっており、世論は、麻生自公政権の退陣を強く求めています。
 私たちは、こうした国民の意思を合わせて、現実のものにする必要があります。何としても、平和と民主主義勢力を拡大し、民主党、社民党などの連立政権をつくりださなければなりません。

私たちが連立政権に期待する政策
 私たちがまず求めなければならないのは、国民生活の安定です。そのためには、雇用保障、賃金水準の確保、労働者保護制度や社会保障制度の確立が最も重要です。
 さらに、期待する政策は平和フォーラムが担っている分野だけでも数多くあります。その主なものでは、1)憲法理念の実現をめざして、平和基本法の成立と東アジアに平和を確立すること、2)米軍再編成の見直しと辺野古への基地建設を見直しすること、3)過去の清算をし、日朝国交正常化を実現すること、4)エネルギー政策の転換を図り、プルトニウム利用路線からの転換を図ること、5)アメリカの核の傘から離脱し、東北アジア非核地帯化を実現すること、6)労働者の雇用、賃金、権利を確立すること、7)年金・医療・介護の社会保障制度を確立すること、8)日米間の密約を明らかにすること、9)未批准の人権関連条約をただちに批准すること、10)憲法にもとづく教育と体制をつくること、11)国の権限を縮小し、権限や財源を地方に移管し地方主権を確立すること、などです。
 現行の政策は長年の経過と力学の上につくられていますから、その改革は、村山政権を思い出すまでもなく、多くの困難が予想されます。しかし、これらを掲げ続け、求め続けることが重要です。古い勢力との激突は必至です。
 総選挙の日程が決まりました。8月30日の投票日に向けて、私たちの怒りを行動で示しましょう。

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総選挙とともに最高裁判所裁判官の国民審査
憲法と人権をないがしろにする裁判官には×を!

不適格な裁判官を辞めさせる権利
 8月18日公示、30日投票で衆議院議員選挙が予定されています。総選挙と同時に第21回最高裁判所裁判官の国民審査が行われます。
 この制度は裁判官が政府により任命された後(長官だけは政府が指名して天皇が任命する)、事後的ではありますが、憲法79条2項により、政府による最高裁人事に問題がないか否かを審査し、×印の過半数で不適格な裁判官を罷免(辞めさせる)する権利を主権者である国民に保障し、これを具体化するために国民審査制度が設けられたのです。

×印票以外は「信任票」 多い制度の問題点
 現行の国民審査は様々な問題点があります。投票方法を○×式にしていないことに加え、×印票以外の無記載票を全て「信任票」とみなすこと、投票したくない、判断できない有権者に、個別的な棄権の自由が実質的に保障されていません。また、国民に提供される判断資料も審査公報にスペースを限定して1回だけにとどめ、裁判官の任命経過や適格性に関する情報が決定的に不足しています。期日前投票にも期間の制約があります。
 1952年2月、最高裁自身が、この国民審査は裁判官を辞めさせるか否かを決める制度であるから、×印をつけたい投票者だけを明らかにすれば足り、「何も書かない」票をすべて信任扱いして良いとの判例を出し、国民審査制度を骨抜きにしてしまい、そのまま判例に即した制度運用が現在まで続いているのです。
 現行制度では×印をつけることだけが唯一の権利行使であり、有権者の意思が公正に反映されるシステムとしては不十分です。これまでの審査結果では対象裁判官のうち、最も多かったのは、1972年の第9回審査で、司法反動が叫ばれた時期の下田武三判事ですが、それでも投票総数のうち×印票は12.95%でした。
 こうした制度の現状から、1)最高裁裁判官の出身別構成枠を最高裁発足当初の、裁判官5・弁護士5・学識経験者5に戻すとともに、少なくとも、5人の女性裁判官を任用すること、2)国民審査を○×投票にするなど投票方法の改正を急ぐこと、3)最高裁長官人事は、他の裁判官とは異なる選任方法によっているので、既に国民審査を受けた裁判官の中から長官に任命された場合には、改めて国民審査に付すこと、などの改善が必要です。

今回国民審査を受けるのは9人
 今回は、竹崎博允最高裁長官(裁判官出身)、那須弘平(弁護士)、涌井紀夫(裁判官)、田原睦夫(弁護士)、近藤崇晴(裁判官)、宮川光治(弁護士)、櫻井龍子(行政官)、竹内行夫(行政官)、金築誠志(裁判官)の9人が審査を受けます。
 平和フォーラムは、弁護士などの専門家と相談し、対象裁判官の過去の関与判決、経歴を分析して「×」印をつける裁判官を提起し、「×」印を増大させる取り組みをすすめます。
 とりわけ、90年代の日米ガイドライン見直し時に外務省の条約局長で、小泉政権下で外務事務次官としてアメリカのイラク戦争支持、自衛隊のイラク派兵をすすめた竹内行夫裁判官、最高裁判事任命と同時に最高裁長官に「異例」の就任をした竹崎博允長官、そして、住基ネットを違憲とし、住民票コードの削除を命じた大阪高裁判決を破棄して住民逆転敗訴の判決を下し、東京高裁時代に労働裁判で多くの反動的判決をしてきた涌井紀夫裁判官などを中心に、罷免運動を提起する予定です。
 詳細は平和フォーラムのホームページを参照してください。

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「緑の公共財」を無駄なく使い、山村地域の活性化を
市民の参加・支援で森林・林業の再生へ
森林労連 中央執行委員 犬飼 米男

温暖化対策、国土保全に大きな役割


間伐前(写真上)と間伐後の森林の違い
 日本は、国土の3分の2が森林で覆われた世界有数の森林国です。戦後、積極的に造成された1千万ヘクタールの人工林は、資源として本格的な利用が可能となる時期を迎えつつあります。また、世界的規模で環境問題が取り上げられる中、地球温暖化対策では、「京都議定書」の確実な実行が求められています。日本は、1990年度比6%の削減目標のうち、森林吸収源で3.8%(3分の2)を担うこととしています。
 さらに、2008年に発生した岩手・宮城内陸地震をはじめ、近年の地震や集中豪雨の頻発により、甚大な山地被害が発生しており、国土保全の点からも森林整備・保全面での積極的な対策が重要となっています。
 間伐(密度を調整する抜き伐り)等の森林整備が遅れた森林は、太陽の光が地面に届かず、下草がなくなり土壌が露出し雨水により土が流され、保水力が低下する恐れがあります。日本の森林は約4割が人工林であり、間伐が必要な森林が約6割を占めるなど、着実な手入れを行うことが急務となっています。

過疎化、高齢化が進行する山村
 こうした中、民有林においては国による支援措置も実行されていますが、所有形態が小規模(5ヘクタール未満が75%)であり、不在村森林所有者(森林の所在する市町村に在住していない)の保有する森林も民有林面積の4分の1(約327万ヘクタール)を占めるなど、事業推進に大きな課題を抱えています。
 日本の山村は、国土面積の約半分、森林面積では6割を占めているにもかかわらず、わずか3%という少ない人口で管理しています。農林業の低迷とも相まって、人口の減少・高齢化が進行しており、山村の過疎化・廃村が危惧されています。
 林業や農業の再生は、山村振興対策としても有効な手段であり、新たな地域産業としての木質バイオマスの利用促進、雇用機会の拡大を図ることは、エネルギー自給率の向上および地球温暖化防止に寄与することからも、国の政策でも最優先課題と言えます。

就業者の確保・定着対策が必要
 間伐などの作業が行われれば、1)水源かん養、土砂災害防止などの多面的機能の充実、2)木材供給による住宅産業などの振興、3)山村地域の雇用の拡大、活性化、4)木材利用による炭素の固定、5)京都議定書の目標達成への寄与、など多くの波及効果が見込まれます。木材の活用は「資源循環型社会」「低炭素社会」実現のモデルともなります。
 事業を実施するためには、林業労働力の確保が不可欠ですが、林業特有の屋外での危険作業、低賃金問題など作業環境や待遇の改善等の課題が克服されていません。05年度の国勢調査では、林業従事者が46,600人と2000年度より2万人も減少し、年齢構成も60歳以上が4割を占める状況となっており、定住化対策等も含めた就業者の確保・定着対策が必要となっています。
 美しい景観や憩いの場を求める国民の声が高まる中、森林に熱い目が向けられていますが、林業が産業として確立されることが前提であり、日本の森林はこのような要請に十分応える資源を持ちつつ、行政と市民の連携による有効な活用を待っています。
 森林は、広く国民に恩恵をもたらす国民共通の貴重な財産です。「循環可能な公共財」として、その恵みである木材を無駄なく使っていくことが、低炭素社会実現への鍵となります。
 森林の公益的機能の発揮、国土保全、地域振興、山村の活性化に向け、政策の着実な実行と、地域における林業再生へ市民の参加・支援が必要となっています。

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放射能を出さないクリーンなエネルギーへ
政策の転換を求める全国集会へ準備着々

原発は地球を救わない
 地球温暖化問題に大きな関心が集まる昨今、政府はその切り札として再処理・プルトニウム利用と原発を中心とする原子力政策を推進しようとしています。しかし、そんな掛け声とは裏腹に、事故やトラブルを積み重ねて、放射能汚染をともなう原子力政策に多くの人々が疑問を抱いています。そんな、綻びが明らかな日本のエネルギー政策の転換をめざし、エネルギーのあり方や環境、食の問題に取り組む人々も参加して、10月3日に東京・明治公園で「10.3 NO NUKES FESTA 2009 ~放射能を出さないエネルギーへ~」の全国集会を開催しようと、いま準備が進められています。
 秋期以降に動き出す予定の、各地のプルサーマル計画や青森・六ヶ所再処理工場の本格稼動、福井の「もんじゅ」の再稼動などの動きに対して、全国の声を一つに集めて、運動の大きな山場をつくりだす必要があります。米・オバマ政権は、「グリーンニューディール政策」を進め、太陽光や風力発電などを積極的に拡大し、エネルギーと雇用の創出を図ろうとしています。政権交代も予想される中、私たちは、危険な放射能よりも、エネルギーの使い方を見直し、自然エネルギーを積極的に活用することによって、エネルギー政策の転換を実現する転機となる集会をめざしています。

盛りだくさんの企画やとりくみ
 10月3日の集会に先立って、前日の2日には経済産業省に対し、原子力政策の転換を求める署名と、山口県上関町の原発建設計画の中止を求める署名を提出し、要請行動を実施します。これらの署名運動は、現在全国で進められています。
 また、同日の夜は次の三つの討論会を開催します(会場は総評会館)。「核燃料サイクル―現地の抱える問題」では、福井などの核燃サイクルの現状と問題点を討議、また「原発現地から」では、各地の原発を抱える現地からの声に耳を傾けます。「原発茶会 ~私たちにできること~」は、参加者が脱原発に向けて意見や思いを語り合う場を提供します。その他、フォトジャーナリスト広河隆一さんのチェルノブイリ原発事故の写真展も開催されます。
 3日の明治公園の集会は二部構成で、第一部では各地からの発言とともに、音楽やパフォーマンスなど多彩に催します。第二部の全体集会で、集会の意義や今後の闘いについて全体で確認。その後、青山や原宿、渋谷方面へパレード(デモ)が行われます。この他、自然エネルギーに関連する展示、飲食・物販等のブースもたくさん出る予定です。また、3日の夜と4日にも討論会などの自主企画が予定されています。

全国へさらなる賛同の輪を広げよう


全国集会のチラシ
 大電力消費地である東京で、全国の人々が集まり元気を分かち合うことができる集会をめざして、各地でも様々な取り組みが行われます。すでに、7月11日には佐賀市で「プルサーマルはいらない九州集会」が開かれ、同日、新潟県柏崎市でも「柏崎刈羽原発震災2周年県民集会」が開かれました。
 今後も、8月の広島・長崎での原水禁世界大会の分科会やひろば、フィールドワークで原発問題や自然エネルギーの討論や視察が行われます。さらに、9月19日に茨城県東海村で「JCO臨界事故10周年集会」が、9月26日には「原子力空母母港化1周年抗議全国集会」が神奈川県横須賀市で開催されます。
 こうした取り組みは、随時、ホームページで紹介していきます。http://www.nonukesfesta2009.com/
 また、この集会への賛同も次のように呼びかけています。ぜひ、多くの方の協力をお願いします。

■ 申込先=東京都千代田区神田淡路町1-21-7 静和ビル1階「10.3 NO NUKES FESTA 2009 全国実行委員会事務局」(TEL・FAX:03-3256-1695)
■ 賛同金=個人1口1000円、団体1口3000円
■ 振込口座=郵便振替 口座名「脱原発フォーラム」
  口座番号=00140-0-282496

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プルサーマルは政策破綻のつけ回し
玄海原発に今秋にも導入をもくろむ
原子力資料情報室共同代表 伴 英幸

 5月にプルサーマル燃料がフランスから九州電力玄海原発の専用港に到着しました。船は四国電力と中部電力のプルサーマル燃料も積んでいました。フランスを出港するときにグリーンピースが抗議行動を行いました。また、到着に先立って佐賀では「NO MOX」の人文字をつくって抗議集会が行われ、到着時にも抗議集会が各地で行われました。

住民投票で拒否 各国も実用化せず
 1995年12月に「もんじゅ」でナトリウム漏洩火災事故が起きたのを受けて、約1年後に政府と電力各社は強引とも言えるプルサーマル計画を発表しました。この計画では99年からプルサーマルを実施することになっていました。関西電力高浜原発に輸送されたプルサーマル燃料は、品質データが偽造されていたことが暴露された結果、返品になりました。
 東京電力の計画は2001年に刈羽村で行われた住民投票によって拒否されました。この翌年に東京電力のトラブル隠しが発覚、新潟と福島でのプルサーマル計画は地元自治体によって拒否、事前了解が白紙撤回されました。東京電力のプルサーマル燃料は発電所内のプールに貯蔵されたままです。
 プルトニウムは新しい原子炉(高速増殖炉)で使用するのが「資源小国」日本のあり方と、50年も前に決めました。しかし、高速増殖炉の開発は各国で取り組まれましたが、技術的に難しく、費用もかさむために各国とも撤退していきました。実用化に至った国はありません。
 日本も「もんじゅ」が事故後、今日まで停止しているのですから、税金の浪費を止めて開発から撤退するべきでしょう。そして、プルトニウムを取り出す再処理も不要なものとするべきです。しかし、政府は取り出したプルトニウムはプルサーマルで使う路線を押し付けています。いわばプルサーマルは破たんしている政策の付け回しなのです。

まやかしの資源有効利用 原発はいっそう危険に


玄海原発へのプルサーマル導入に反対する集会
(09年7月・佐賀市)
 「もんじゅ」事故が起きるまで、このタイプの原子炉ではウラン資源を60倍も有効利用できると大宣伝されていました。しかし、プルサーマルではわずか1割程度の有効利用でしかありません。しかもこれは机上のプランで、実際にはさらに少なく5%程度です。プルサーマルを進めているのは世界でフランスと日本くらいです。これでは、ウラン資源の有効利用は虚偽宣伝といっても過言ではありません。
 さらにプルサーマルはコストが高く、消費者に高い電気代を押し付けることになるでしょう。こうした点を十分に議論することが重要だと考えます。
 プルサーマルの危険は一口に言えば原子炉の停止余裕を減らすことにあります。もともと原子炉はウラン燃料用に開発されたものですが、そこにウランよりも核分裂しやすいプルトニウムを数パーセント余分に入れることにともなう現象です。フランスでは制御棒の数を増やして対応していますが、日本ではそのままです。追加費用をかけたくないからだと推察されます。
 しかも原子炉の安全余裕はいろいろなところで減らされてきています。維持基準や定期検査間隔の延長など、全体としてどれほど余裕が削られているのか、誰も総合評価を行っていないのです。
 プルサーマルを導入した原発で大事故が起きたとき、災害はいっそう広範囲に及ぶことになります。原発の危険性を高める行為はわずかでも認められません。

プルサーマル導入にあくまでも反対を
 仮にプルサーマルを実施したとして、使用済みプルサーマル燃料はどうなるのか。この扱いは政策上もまったく決まっていません。数十年にわたって地元に留め置かれるだけでなく、処分されるとすれば500年も貯蔵しておく必要があるとの評価もあります。「原発はトイレのないマンション」ですが、この批判を受け止めることなく、さらに厄介なゴミをつくりだすのがプルサーマルです。
 九州電力は佐賀県の玄海原発3号炉で、この秋に行われる定期検査時にプルサーマル燃料を入れる計画です。何としても装荷を止めさせ、無駄で危険なプルサーマル計画をストップさせましょう。

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核実験被害を教訓に5番目の非核地帯化
重要な米中のCTBT批准

中央アジア非核地帯条約が発効
 今年3月21日、「中央アジア非核地帯条約」(通称セメイ条約)が発効しました。世界で5番目の非核地帯条約ですが、核保有国のうち中国、ロシアが条約を承認。米、英、仏が反対の態度です。それ故か、条約発効があまり知られていません。
 セメイ条約はカザフスタン、ウズベキスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタンの5ヵ国が参加しています。詳細は不明ですが、加盟国による地域集団安全保障協力条約でもあります。セメイというのは、条約の調印地であるカザフスタンの地名で、旧セミパラチンスクだといえば知っている人も多いでしょう。セミパラチンスクは旧ソ連の最大の核実験場だった場所です。
 現在、ロシアは、旧ソ連から引き継いだもう一つの核実験場、ノバヤゼムリャ島で未臨界実験を行っていますが、セミパラチンスク核実験場は1949年に開設されてすぐ、ソ連最初の核実験が行われ、それ以来、水爆実験や史上最大といわれる58メガトンの実験も行われてきたのです。実験が停止される1989年までに456回行われ、そのうち116回は大気圏核実験が続けられてきました。

核実験場の閉鎖を求める運動広がる
 実験がどのような状態で行われたのかを、周辺住民が語っています。「核実験はいつも北風の吹く日に行われた。核実験場の北150キロにセミパラチンスク市があったからだ。しかし核実験場の南方数十キロ地点にも数万人が生活しており、核実験の当日は、住民は政府によって避難させられたが、せいぜい3日で帰宅させられた。帰宅すると、実験で吹き上げられた土埃が屋根のうえに積もっていた」と。死の灰は周辺の農場を含めて広範囲に降下していったと考えられ、数十万人単位でヒバクが存在したと想定されています。
 多くの住民が放射性疾病にかかり、亡くなっていきました。しかし、ソ連では核実験による被害はないと宣伝されていましたから、放射線による疾病の治療法も研究されず、放置されてきました。住民は様々な疾病は核実験のためだと考えましたが、反対の声を上げることができませんでした。
 89年に東欧、ソ連に民主化の波が押し寄せ、カザフスタンにも民主化の運動が起こります。こうした民主化の動きの中で、セミパラチンスク核実験場の閉鎖を求める運動が起こり、ようやく核実験被害者救済の運動が広がります。
 運動は米国のネバダ核実験場の閉鎖を求める運動とも連携し、「ネバダ・セミパラチンスク運動」として世界に広がっていきました。1990年にカザフ共和国の首都・アルアマタとセミパラチンスクで、「核実験禁止のための国際市民会議」が開催され、原水禁からも16人の代表が参加しました。それを契機に、その年の被爆45周年原水禁世界大会に、セミパラチンスク核実験の被害者ら11人が参加し、ソ連核実験被害の凄まじい報告に、日本と世界は大きな衝撃を受けました。
 セメイ条約は単に各国が署名した土地というだけでなく、ヒバクが存在したことを忘れない人々の思いがこもっているのです。

核兵器廃絶へ向けた正念場を迎える
 その後、核実験停止の運動が国際的に盛り上がり、94年から全面的核実験禁止条約(CTBT)の審議が始まり、96年の国連総会でCTBTが採択されました。
 しかし、CTBTの発効にはイスラエル、インド、パキスタン、北朝鮮など、国際原子力機関(IAEA)の「世界の原子炉・研究炉」の表に記載されている44ヵ国全ての批准が条件となっていているため、まだ発効には至っていません。とくに米国は、96年10月に、当時のクリントン政権がCTBT批准案を上程しますが、米上院は批准案を否決し、さらにクリントンの後を継いだブッシュ大統領は、02年2月演説で、CTBTの死文化を表明しました。
 こうした米国の対応は中国にも影響を与えて、中国も未批准です。原子炉、研究炉を設置している国で、未批准国は、北朝鮮、インド、パキスタン、イスラエル、イランの5ヵ国です。
 今年7月8日、イタリアでのG8サミットで、「核兵器のない世界」に向けた状況をつくることを約束し、CTBTの早期発効に努力すること、来年3月にワシントンで核サミットを開催する声明を発表しました。米・中両国がCTBTを批准すれば、国際的な核廃絶世論をさらに大きく広げるだけでなく、北朝鮮の核兵器完全放棄への圧力、さらにイスラエル、インド、パキスタン、イランにも大きな圧力となるでしょう。
 ただ、米国内には、老朽化した核兵器の更新、近代化のために核実験が必要との声も強く、オバマ大統領がどこまで国民に訴え、議会を説得できるか、核兵器廃絶へ向けた正念場を迎えようとしています。

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投稿コーナー
フランス核実験被害者訴訟の最終弁論に参加して
長崎平和運動センター・被爆者連絡協議会事務局長
奥村 英二

日本・ポリネシアのヒバクシャの絆
 2008年5月に提訴しているフランスの核実験被害者訴訟裁判の最終弁論が、09年4月27日にタヒチのパペェテ地方裁判所で行われました。今回の訴訟の原告はムルロア核実験場の元労働者8名(生存者3名、被害者の遺族5名)です。
 フランスの核実験の健康被害に対する損害賠償訴訟は、フランス本国ではすでに400件以上提訴されており、08年8月現在までに24件の勝訴が確定しています。タヒチでの判決は6月25日に言い渡される予定です。現地の被害者組織である「ムルロアと私たち協会」は、組織をあげて裁判の傍聴の取り組みをしていました。
 原水禁国民会議は、この最終弁論を重視して、日本から被爆者を派遣することを決め、長崎の被爆者から私が参加しました。日本のマスコミも最終弁論に関心を持ち、NHK広島放送局の取材班が、8月7日に放送する予定の特集番組「世界の被爆者」の中で、「日本・ポリネシア被爆者の絆」と題して放映する予定とのことで、取材が行われました。
 「ムルロアと私たち協会」は、日本から被爆者が来ることを知り、大変に歓迎し、タヒチの空港に到着すると、オルダム会長、ジョンドーム事務局長が出迎えてくれ、06年以来の再会を歓迎してくれました。裁判を控えた4月25日に、私たちはテマル大統領に支援要請を行い、その席で、長崎から持参した、高校生1万人署名活動が作成した被爆証言のDVDを大統領に手渡しました。
 27日の裁判の当日は、400名の支援者が結集して事前集会が開催されました。その集会で私は激励のあいさつをしました。最終弁論に対して裁判所側も熱心に聞き取りをして、終了したのは午後8時でした。翌日の記者会見で私は、日本の被爆者とポリネシアの被害者の交流と連帯の絆の証として、被害者記念公園の記念碑に、広島・長崎の被爆者の核兵器廃絶の熱い想いが詰まった石を捧げることを発表しました。

両国の裁判闘争が互いに影響しあう


式典を行う「モルロアと私たち協会」の人たち
(06年・ポリネシア)
 私は、02年、06年と過去2回参加しましたが『ムルロアと私たち協会』の組織と活動が強化されていることを感じることができました。そして、原告の人たちとの交流の中でフランス政府が被害を認めず、補償もしないことに強い憤りをもって裁判に臨んでいることを知りました。
 その一方、核被害者の人たちが日本の被爆者の支援に期待していることが伺えました。「ムルロアと私たち協会」も、私が連続して3回訪問したことを非常に喜び、今回の参加で「ムルロアと私たち協会」と「原水禁国民会議」の連帯がより強化されたと思いました。しかし、今回も地元のマスコミの取材を受けたとき、貴方は「本当に被爆者ですか?」と聞かれました。まだまだ現地の多くの人が、被爆者は熱線で火傷のあとや、放射能でケロイドがあるのが被爆者と思っているようです。
 フランスの核実験被害者の闘いは、体内被曝や被曝線量、残留放射線が「カギ」になるのではないかと思い、日本における集団訴訟に見られるように、被害者が裁判でいかに被曝後の病気での苦しみ、悩み、人権無視などを訴えることが出来るかが裁判勝利への展望ではないかと思いました。フランスの核実験被害者の補償が裁判で勝訴すると、日本で現在闘っている集団認定訴訟や被爆体験者の闘いに影響します。また、日本の集団認定訴訟や被爆体験者の闘いが勝利することは、フランス核実験被害者の闘いに大きく寄与することになると思いました。
 この裁判の判決は6月25日です。かたくなに被害を認めようとしないフランス政府に対し、裁判所がどのような判決を出すのか非常に関心を持っています。6月25日の判決を受けて「ムルロアと私たち協会」が、今後どのようにポリネシアの人たちの被害者認定と補償の裁判を進めていくのかについては、今年の原水爆禁止世界大会で「世界のヒバクシャと連帯するために」分科会(広島・長崎で開催)で意見交換しあうことで、よりヒバクシャ救済の闘いの連帯が強化されると思います。

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