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ニュースペーパー2010年2月号

2010年2月 1日

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【インタビュー・シリーズ その42】
雇用と平和を守る、それが労働組合の社会的責任
全日本造船機械労働組合 委員長 水口 欣也さんに聞く

【プロフィール】
1955年東京都杉並区生まれ。高校時代から社会運動に参加。都立烏山工業高校機械科卒業後の74年、住友重機械工業株式会社入社。副委員長を経て、2004年9月より全日本造船機械労働組合委員長。アスベスト被害の救済活動や、昨年、24回目を数えた「横須賀PEACE FESTIVAL」に「やり続けることに意義がある」と1回目から関わるなど、幅広く社会運動に取り組んでいる。

──造船業界に入ったきっかけを教えてください。
 工業高校の機械科にいたときに溶接の実習があり、これはなかなか面白いと思っていました。就職先を決める際、溶接の技術を活かせないかと考えたとき、これは造船だと思いました。当時の日本の造船業界は、世界の建造量の半分を担い、まさにピークの時代だったと言えます。校内の求人を見ながら、いろいろな会社が当時あった中で東京から少し離れていて、何かあれば東京にすぐ戻れる距離ということで、横須賀の住友重機械工業を選択しました。
 入社後、配属の決定や技術講習のために、1年の学習訓練期間がありました。そこで、適性を見定めながら配属が決められていきました。私は運良く会社側の判断と希望が一致して溶接へ配属されました。私が入社した年まで横須賀の浦賀に、中学を卒業後、3年間実習を重ねながら現場配属されていくという会社の養成校がありました。当時は、自分のところの技術を自分たちで守っていくという伝統があったのです。造船というのは裾野が広くて、実際に造船現場で働いている人たちの他に、下請け業者や外注業者を含めれば、何十倍にもなる業界で、その街でいちばんの職場ということにもなり得るわけです。

──組合との関わりはどのようなことからですか。
 会社に入ると、当時は労働組合に入るのは当たり前です。私たちの高校時代は、まだ学生運動の影響が色濃く残っていた時代で、私も当時から社会運動に参加してきました。その意味で組合の重要性については理解していたと思います。
 造船業界の転機は1979年の第一次産業合理化でした。ずっと受注量を確保してきた造船業界は、オイルショックを契機に窮地に追い込まれます。国は、海運造船合理化審議会を立ち上げ全ての造船所は設備を35%削減せよというような大合理化を提案します。国が主導した産業合理化の結果、何が起こるかと言えば、人がいらなくなるわけです。合理化に対抗していく中で、組合運動にどんどん入り込んでいきました。人の生い立ちというか、高校時代から社会運動に関わっていた自分と組合運動の共鳴があったのだと思います。自分が今あるのは組合があったからで、組合の一員として全造船機械労組に恩返しをしなければならないという気持ちを今も強く持っています。

──今後の造船業界の展望と組合の役割とは何ですか。
 現在、外航船をつくっているところにはある程度の受注残があります。ただ、08年のリーマン・ショック以降、世界的な不況の構造に入ってからは当然、海上の荷動きは減っています。造船業界は、山が高ければ谷も低いわけです。このままでは、3年後に必ず仕事量不足が発生して倒産に陥る企業も現れかねません。私は、中央本部の中で昔の倒産争議を知っている最後の人間です。だから、いかに若い執行委員に倒産争議の闘い方を伝承していくかが私にとって最大の課題だと考えています。

──倒産争議は難しいですね。
 倒産争議は全て同じではありません。法律に基づく違いから、地域における違いまで様々です。事業を継続しながら、雇用を確保すること。企業をもう一度立ち直らせる方策を講じることも、労働組合の大切な社会的責任のひとつです。
 昨年7月に香川県の讃岐の造船所(讃岐造船鉄工所)が倒産しました。従業員約30名、下請け労働者を含めて約200人の会社です。最初は、民事再生で建て直しをめざしたのですが、立ち行かなくなって再申請したところ、認められず破産に移行しました。しかし、そこには、受注残が13隻ありました。私たちは労働債権の確保は当然のこととして、併せて生産再開と事業継続を方針に掲げました。幸い、建造途中の船については船主が引き続きつくってほしいという要望を破産管財人に伝えてきたため、事業を再開させた上で、12月22日に船主に引き渡しました。

──このような社会情勢では、労働組合の責任はますます重くなっています。


造船業界の軍需産業化反対を
訴えるリーフレット(05年2月)
 先ほども言いましたが、造船は裾野が広い。その街の多くが何らかの形で関係しているのです。会社を、生産を残していくこと、つまり雇用を確保していくことは、地域経済にとって重要な課題なのです。私は、そのことは組合の社会的責任であると思っています。

──アスベストの問題を造船業界の中で切り開いてきた組合として現状をどう見ますか。
 公害の問題としては、いろんな方が一生懸命に取り組んでいます。全造船機械としては、アスベストユニオンを組織して、全国組織として本部直轄でやっています。大手については補償措置が確立しても中小は補償が大変ですから、国にきちんと関与させなくてはいけません。これは経営者側と同じ言い分なのですが、国が安全だというから使ってきたのになぜ今さら、ということです。国の政策に大きな誤りがあっても、それを言えないのが企業の弱さです。ならば、労働組合が代弁して国に対して物を言おうということです。

──昨年の政権交代と今後の社会、また平和フォーラムにも一言お願いします。
 新政権については、スタートしたばかりであり簡単には言えないものがあります。しかし、世の中が一度に変化しなくても、よりよき政府をつくり、よりよき政治を実行させるという点ではひとつの大きな変化ですし、その意味で評価すべきだと思います。
 平和の課題で言えば、「なぜ日本に外国の軍隊が駐留しなければいけないのか」、その一言だと思います。まず、アメリカが世界の憲兵として振る舞うのであれば、自国から出発すればいい話で、どこかの国を踏み台にする必要はないわけです。全造船機械は戦時中の反省から「再び日本の造船業を軍事産業にするな」という組合の基本的方針を持っています。このことは普遍的な原則として、変えるべきではないということで活動しています。
 住友重機械工業は現在、自衛艦などの艦船の受注は他の会社に譲渡してしまって行っていませんが、以前は専門の部門がありました。しかし、米海軍横須賀基地にある艦船の修繕を行っています。そんな業界の現状の中で、組合の平和運動のあり方を問われることもありますが、労働組合は規約に基づいて行動するのですからそれほど難しく考えることはありません。先ほど述べた基本的方針に沿って取り組んでいくだけです。
 平和フォーラムについては、方針や取り組みはすばらしいと思います。ただ、産別統合などの中で労働組合の結集が少なくなっていることは残念なことです。もっと平和フォーラムに加盟する労働組合が増えなくてはと思います。

〈インタビューを終えて〉
 造船労働の現場からの平和運動、水口委員長は簡単なことだと言う。それは戦後の全造船組合運動の柱だからと。しかし、そうではあるまい。そのことに結集する組合員の意識を育てていく組合の取り組みは簡単ではないだろう。合理化と闘い、倒産争議をけん引し、アスベストやじん肺問題の闘争に取り組んできた全造船の運動に、組合員の、そして地域社会の人々の命と暮らしを守るという頑固な姿勢があるからだろう。私たちも学ばなくてはならない、その頑固さも含めて。
(藤本 泰成)

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「建国記念の日」とは? なぜ2月11日? 「紀元節」とは?
歴史的根拠なく、天皇統治の国体の神話的な起点

 2月11日が「建国記念の日」という名称で「国民の祝日」とされたのは1966年。祝日として初実施されたのは翌67年です。43年も経ち、この日が休日で当たり前に思う人も多くなっています。しかし、なぜ2月11日が「建国記念の日」なのでしょうか?

神話をもとに明治政府が制定した「紀元節」
 戦前、2月11日は「紀元節」でした。明治維新後間もない1872年、政府は太陽暦に改めるのを機に、神話上の神武天皇が即位の年を元年とする皇紀(神武天皇紀元)を採用して、毎年、即位の日に祭典を行うとしました。最初は旧暦元日としたため、1873年は1月29日でした。これでは毎年日が変わるので、2回目の1874年から2月11日に改めました。
 このように「紀元節」に歴史的根拠はなく、天皇統治の国体の神話的な起点を意味するものですが、近代天皇制国家最大の聖なる記念日とされ、新年・天長節(11月3日)とともに三大節と呼ばれました。

天皇制国体と戦争を正当化させる役割
 「紀元節」はその後、天皇制統治国家と日本の戦争を正当化する儀式として最大限に利用されました。1889年には「大日本帝国憲法」(明治憲法)を発布し、天皇制統治国家を法的に確立しました。
 1891年には小学校祝日大祭儀式規程が定められ、天皇皇后の御真影(写真)に対する最敬礼と万歳奉祝、校長による教育勅語の奉読などからなる儀式を小学校で行うことになりました。
 日清戦争開戦前年の1893年2月10日には国防に関する詔勅が出され、軍艦建造費の削減を求めた議会を抑え込みました。1904年2月10日には日露戦争を宣戦布告しました。これらの出来事は、翌2月11日の「紀元節」当日の新聞を通じて広められたのです。
 1914年からは全国の神社で紀元節祭、1926年からは青年団や在郷軍人会などを中心とした建国祭の式典が各地で開催されました。

「紀元節」の廃止と復活


09年2月11日の「建国記念の日」を考える集会(全水道会館)
 戦後、1948年に国民の祝日に関する法律が制定され、祝日「紀元節」は廃止されました。しかし1951年、吉田茂首相が「独立後は復活したい」と国会で発言して以来、歴代の政府・保守(自民)党、神社本庁、郷友連盟などは復活運動を推進。国会では、1957年に議員立法として上程されて以来、廃案8回。1966年に9回目の法案を政府提案したときも、国会で紛糾、議長あっせんで日付を決めずに公布・施行されました。
 その後、ほとんど政府・自民党寄りの学者・文化人で構成された月日を答申する審議会でもまとまらず、反対委員を右翼の脅迫で辞任に追いこみ、多数決で2月11日を答申し、政令で決定された、いわくつきの日です。
 「国民の祝日に関する法律」で定める祝日は15を数えますが、「建国記念の日」だけが日付や曜日・暦で記載されずに、「政令で定める日」とされているのです。

東アジアの平和を考える集会を開催
 こうして決められて以来、平和フォーラムは、前身である憲法擁護国民連合の時代から、この日に天皇元首化、日本の軍事力増強・戦争協力の動き、教科書・靖国・戦後補償、要人の歴史歪曲発言をはじめ日本と日本人の歴史認識や人権意識に関わる問題で集会・行動を重ねてきました。
 現在、鳩山新政権は、東アジア共同体に向けた意欲的な姿勢を示し、日本に何よりも必要な戦争の歴史と責任に関する認識を明確にしようとしています。折しも2010年は韓国併合100年です。植民地支配がもたらした人権侵害についての歴史認識が重要です。
 今年の2月11日に平和フォーラムは、新政権に「戦争責任」とともに「植民地責任」も明確にした「鳩山談話」を閣議決定することを求めていくために、東アジアの平和を考える集会を開きます(内容は12面)。

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期待はずれのCOP15・コペンハーゲン会議報告
2013年以降の温暖化対策は決定されず
気候ネットワーク(国際担当) 川阪 京子

世界中の注目は集まったけれど
 コペンハーゲンで12月7日から18日まで国連の地球温暖化防止に関する会議である、気候変動第15回締約国会議(COP15)が開催されました。
 今回の会議は、京都議定書の期限後の2013年以降、世界全体でどのようにこの問題に対応していくのかを定めた新しいルール(国際的な法律)を決める、いわば地球の、私たちの未来を決める重要な会議でした。アメリカのオバマ大統領、日本の鳩山首相、中国の温家宝首相など20ヵ国近くの首脳も集まったこともあり、世界中から注目が集まったこの会議。参加登録者数は、政府代表団、NGO、メディア関係者合わせて過去最高の65,000人にもなりました。
 今回の会議では、世界全体の温室効果ガスの排出量を削減に転じさせていくための、2050年の世界全体の削減目標と、20年における特に先進国全体の削減目標と個別の目標、さらに、中国やインドなど主要な途上国が行う個別の削減対策の決定がめざされていました。
 しかし実際は、どのような合意をめざすのか具体的なイメージが共有されないまま、1週目には、これまでの2年間の交渉をあまり考慮しない形で事前につくられていたデンマーク首相の政治合意案のリークによって、COP15での最終的な合意に対する各国の不信感が高まってしまいました。そのために、事務レベルでの細かい交渉が進まず、合意がまとまることなく閣僚級、首脳級交渉に突入し、19日の午後3時30分にようやく終了となりました。

来年のメキシコ会議では合意を


COP15の会場で宇宙人に扮し、
地球人に警告メッセージを伝える(コペンハーゲン)
 具体的な成果と呼べるものとして、かろうじて20ヵ国ほどの首脳たちが集まってつくった政治的合意文書であるコペンハーゲン・アコード(コペンハーゲン合意)ができたことくらいです。しかし、内容は長期の削減目標なども示されず、世界全体の排出量を削減に向かわせることを確保していない非常に弱いものになってしまいました。また、たった20ヵ国だけでつくったというプロセスの不透明さが他の国の不信感を呼び、190ヵ国全体の合意が得られず、結局この合意はテイクノート(参考にする)という形にとどまりました。
 目立った成果がなく、さらに次をどうするのかという具体的なスケジュールも決められないまま終了したことは非常に残念です。しかし、この問題が世界の首脳たちが話し合うまでの課題となったことは無視できないことです。来年12月に、メキシコで開催される会議で再度話し合いが行われる見込みです。メキシコでは世界全体の排出量を削減に転じさせるような2013年の国際的な枠組みに合意しなければなりません。
 また、温暖化の問題は緊急を要する問題であることに変わりはなく、国内でさらなる対策を引き続き進めていかなければなりません。

制限されたNGOの参加
 消防法で定められた会議会場の最大収容人数は15,000人。そこに65,000人が登録する異常な事態。さらに、首脳たちのセキュリティー確保や会場の収納人数の関係で、NGOの参加が非常に問題となりました。会場に入るためのID(参加者を識別する券)を受け取るために、雪の中を10時間も待たなければならなかったり、会議を傍聴できるNGOの数が500にまで減らされたりして、会議の意思決定プロセスの透明性への市民参加が確保されない状態となってしまいました。
 日本のNGOで会場に最後まで参加できたのはたった4名。私も最後はテレビやウェブキャストを観るしかありませんでした。歴史的に一番重要な会議で、また、環境問題の意思決定にNGOや市民参加の確保を定めたオーフツ条約(98年6月にデンマークのオーフツ市で採択され、01年1月に発効された条約)ができたデンマークで、このような事態が起こったのは非常に残念です。

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農家への直接所得補償制度が新年度からスタート
食料自給率引き上げ、農政の転換への第一歩に

 昨年8月の総選挙で民主党が政権公約で掲げてきた、農家への「戸別所得補償制度」の第一弾として、来年度から「米の戸別所得補償モデル事業」が実施されます。これは、日本の低い食料自給率(現在41%)を、10年後には50%、20年後には60%に引き上げることを主眼に実施されるものです。

生産費と販売価格の差額を補てん
 この制度は、過去数年間の標準的な農産物生産にかかった費用と販売価格の差を計算して、農家の赤字分を補てんするものです。これを来年度(10年4月以降)は、まず米だけをモデル的に実施し、その後、その他の農産物へも広げていこうとするものです。具体的な数字では、この数年間で米の生産に要した費用は60㎏当たり平均13,703円でしたが、販売価格は同11,978円しかありませんでした。その差額分の1,725円を政府が各農家に直接的に支払うということです。面積単位では10a当たり15,000円になります。
 こうした政策は、欧米や韓国など主要国では当たり前の制度として長年行われてきています。それは、農産物の自由化が進んで農産物価格が下がると、耕作放棄や離農が進み、食料自給率の維持や、環境・国土保全などの農業が果たしている多面的機能が損なわれることが懸念されるからです。
 現に、日本では全農家の所得は15年前に6兆円あったものが、現在では3兆円にまで下落しています。これでは農業は続けられないと、耕作放棄が急増し、今では埼玉県の全面積と同じ38万ヘクタールも農地が使われていません。食料自給率も一向に上がりませんでした。
 そこで新政権は重要課題として、農業政策の見直しを掲げました。これまで、補助金の多くは農協や農業団体を通じて配分されていたのを、今度は農家個々に直接的に赤字分を補てんして、経営の維持を図ろうというわけです。

自給率の低い作物への転換も進める


米の戸別所得補償モデル事業の概要
 また、もうひとつ新たに実施されるものとして、「水田利活用自給力向上事業」があります。これは、余っている米生産から、足りない作物への転作を進めて自給率を向上させようと、水田に新たに作付けした作物に補助金を出すという制度です。
 麦や大豆は10a当たり35,000円、家畜のエサとなる飼料用の米や、米を粉にしてパンなどを作る米粉の生産には同80,000円などの交付金が全国一律に出されます。農水省ではこれによって「他の作物をつくっても米と同程度の所得が得られる」としています。

農の持つ多面的機能の維持へ
 しかし、農家などからは問題点も多く指摘されています。米価の補償では、全国平均を基準にしているため、生産費が高い地域や小規模農家は依然として生産費をすべてカバーできません。また、交付金をもらう条件として、政府が示す生産調整(減反)を達成する必要があります。そのため、「交付金をもらうよりも、減反しないで米をつくったほうが得だ」という農家も出てくる可能性があります。そうすると、米が過剰となって、さらに米価が下がってしまい、財政がもたなくなる恐れがあります。
 また、転作交付金も作物によっては、これまでもらっていた額より下がってしまう例もあります。岩手などでは粟やキビなどの雑穀生産を地域特産とするため特別に高い補助金を出してきましたが、新制度は全国一律の金額になるので下がってしまいます。この他、生産費や価格をどのように計算するかなども課題となっています。
 しかし、これまでの農政では、自民党政権の維持のために農村への補助金が使われてきた経緯からも、平和フォーラムはこうした本格的な所得補償制度を評価しています。また、これは農家の保護のためだけではなく、それによって自給率の向上や農山村の持つ多面的機能の維持につながるように要求し、注視していく必要があります。

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原爆症認定集団訴訟の成果を援護法の改正へ
「核兵器のない世界」をめざして
日本原水爆被害者団体協議会 事務局次長 岩佐 幹三

政府による原爆被害の過小評価


厚生労働省へ向けての原告・支援者デモ(08年6月4日)
 7年を超える原爆症集団認定訴訟が、全国の裁判所での判決では原告・被爆者の21連勝という成果をあげて、今終結へ向けた動きが進んでいます。
 そもそもこの訴訟は、長崎の松谷英子さんが最高裁に、京都の小西建男さんが大阪高裁まで10数年かけて争った原爆症認定について勝訴判決(2000年)にもかかわらず、その後、国(厚生労働省)が被爆者援護施策に活かそうとしなかったことに端を発しています。国は、最高裁が批判した方針をさらに逆行させた「原因確率」という、松谷さんや小西さんでも認定されないような新たな数値の基準を考えついて、被爆者の認定申請をきびしく却下してきました。これは、元をただせば被爆後から日米両国政府がとってきた原爆被害を隠し、被爆者を救援しようとはせず放置したまま被害の受忍を強いてきた基本姿勢を反映したものです。
 その後、第5福竜丸のビキニ被災を契機に盛り上がった原水爆禁止世界大会の第2回大会(1956年)の中で、被爆者は全国組織・日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)を結成しました。全国民的な支援を受けた日本被団協の運動によって翌年、被爆後12年経って初めて被爆者に対する「医療法」が制定されるに至りました。しかし、そこでは原爆被害を放射能被害に限定して、ごく限られた疾病のみが被爆の影響によるものとされたのでした。
 日本被団協は、その後も国民的な支援の世論を背景に運動を進めて、68年健康管理を目的にした「特別措置法」を、94年にはこの2法を一本化した現行の「原爆被爆者援護法」を制定させ、国の被爆者対策は徐々に前進しました。しかしそれらの法律でも、原爆被害を過小評価し、被害の受忍を強いる国の基本姿勢は変わっていません。
 原爆症認定申請では、被爆者に放射能被爆の立証を求めており、国側が立証責任を負う制度にはなっていません。また放射線の影響は、初期放射線に限定して、残留放射線や放射性降下物による体の内外の被爆についてはほとんど考慮せず、遠距離被爆者、入市被爆者、救護被爆者には、放射線による被爆の影響は認められないと却下してきました。
 これに対して日本被団協は、広範な支援者などの献身的な協力を得て、裁判所に原爆被害の実態についての理解と公正な判断を求める運動を積み重ねて、連戦連勝してきました。そして認定審査の最大の壁であった「原因確率」を基準から外させるなど「審査方針の改正」を実現させました。

前政権との「確認書」の実質化を
 しかし、この訴訟の原告すべてが勝訴し認定されたわけではありません。訴訟続行中で未判決の原告からも敗訴して認定されない被爆者が出ると、敗訴原告は20~30人に上ることになります。訴訟の終結にあたっては、それら敗訴者に対する対応も視野に入れた対策の確立が必要になりました。また訴訟の結果、訴訟前と比べて認定者数が大きく増大しました。同時に認定申請者も増えて、今では8,000人を超える被爆者が審査待ちの滞留状態になっています。審査に当たる医療分科会を含めて厚生労働省の対応は行き詰まり状態です。
 こうしたことから、訴訟の運動推進団と前内閣との折衝により、一応の対応策が決まりました。09年8月6日、広島で麻生太郎首相(当時)と日本被団協との間で、訴訟終結基金の設定や厚生労働大臣との定期協議の実施などについての「確認書」が取り交わされました。政権が交代した現段階で、この確認書の実質化がこれからの課題です。
 被爆者は、今後この集団訴訟の教訓と成果をふまえて、認定制度の抜本的な改善、さらに死没者補償などの課題を含めて、現行法の改正に取り組みます。また、核兵器の容認にもつながる原爆被害の過小評価を転換させて、「ふたたび被爆者をつくらぬ」「核兵器のない世界」をめざしてがんばります。

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新たなヒバクシャを生み出す「ウラン兵器」の禁止を
「ウラン兵器禁止を求める国際連合」運営委員
振津 かつみ

もう一つの「非人道的無差別殺傷兵器」
 核兵器・原発核燃料製造のウラン濃縮工程で生じた核廃棄物である"劣化"ウランを弾芯として用いた劣化ウラン弾は、強力な貫通力を有し、戦車などの強固な標的に当たると、高温を発して燃え上がり、酸化ウランの微細粒子を生じます。その粒子は戦場を越え、広範囲に拡散して環境を汚染し、兵士のみならず一般市民も、粒子を主に吸入することにより体内に取り込まれ被曝させるものです。
 劣化ウランは放射性毒性だけでなく、重金属としての化学毒性もあり、ガンをはじめ健康へ様々な有害作用を及ぼします。「ウラン兵器」は核兵器(=核エネルギーを破壊力に用いる兵器)ではありませんが、核兵器と同じく環境を放射能で汚染し、新たなヒバクシャを生み出させるものです。ウラン兵器禁止は、これ以上の核被害を許さず、世界のヒバクシャとの連帯をめざす原水禁運動にとっても、重要な課題のひとつです。
 ウラン兵器は、1)一般市民にも無差別に危害を与える②戦闘終了後も環境汚染によって被害が続く③紛争当事国の国境や中立管轄区を越えて被害が広がる可能性がある、などの理由から、「ハーグ条約」(1907年)、「ジュネーヴ条約」第一追加議定書(77年)等の「国際人道法」にも反する「非人道的無差別殺傷兵器」です。
 ウラン兵器は、イラク(米英軍が使用)やバルカン(NATO軍)などの戦争で大量に使われました。世界で約20ヵ国が所有しており、今後も戦争や紛争で繰り返し使用される危険性があり、その使用禁止が急がれます。同じ「非人道的無差別殺傷兵器」である対人地雷やクラスター爆弾は、世界の市民と被害者の力が「オタワ・プロセス」(96年8月採択の軍縮の仕組み)、「オスロ・プロセス」(07年2月採択)の流れを生み出し、禁止条約を実現しました。その運動の経験に学び、さらにウラン兵器禁止へと進んで行くことが重要です。

国連や欧州などで進む禁止への動き


マンチェスターの兵器製造企業前での抗議活動(英国)
 ウラン兵器を全面禁止し、被害者を支援する国際条約締結をめざす世界の草の根ネットワーク「ウラン兵器禁止を求める国際連合」(ICBUW)が2003年に結成され、現在、世界30ヵ国の122団体が参加(原水禁も参加)しています。ICBUWはこれまで、各国政府、国連や世界保健機関(WHO)などの国際機関、欧州議会やラテンアメリカ議会など、世界の国と地域でのキャンペーンとロビー活動を展開してきました。
 これらの取り組みの中で、「予防原則」に基づき、ウラン兵器使用のモラトリアムや禁止を求める世界の動きが出てきています。国連総会ではウラン兵器の健康への有害な影響を憂慮して、これまでに二回の「決議」(2007、08年)が採択されました。ベルギーではウラン兵器禁止の国内法が昨年6月に発効し、同様の禁止法は、中米コスタリカでも間もなく成立の見通しです。ニュージーランドやアイルランドでも同様の取り組みが始まっています。欧州議会(08年)やラテンアメリカ議会(09年)では、同兵器の禁止を求める決議が採択されました。08年の国連決議を受け、今秋の国連総会で再びウラン兵器問題が議論されます。それに向けて、禁止を求める国内外の世論をさらに高めることが重要です。

核廃絶の動きとともに国内外での働きかけを
 日本政府は、二回の国連決議に賛成票を投じましたが、ウラン兵器の規制や禁止に向けて積極的に取り組む姿勢は未だ示されていません。また、在日米軍基地内に現在も劣化ウラン弾が貯蔵されていることを認めながらも、火災事故等による基地周辺の汚染や住民被曝の危険性を無視し、貯蔵場所や状態等について、米国側に問い合わせることも一切してきませんでした。
 ウラン兵器の禁止に向けて積極的に取り組むことは、「被爆国」日本として、また諸国民の「平和的生存権」(憲法前文)をうたう憲法を持つ国としても、当然の国際的責務です。新政権に対し、その責務を果たすよう強く求めていきましょう。
 ウラン兵器禁止の課題は、「放射能汚染に反対し、ヒバクシャをつくらせない」という視点から、また「核拡散防止条約」(NPT)や2000年の再検討会議での最終文書でも確認されている「全面的かつ完全な軍備縮小」を推し進めるという視点からも、核兵器廃絶の運動とも連帯して闘わねばならない課題です。

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NPT再検討会議への課題(1)
2010年を軍縮元年にしよう

米はCTBTを批准できるか?
 いよいよアジアの時代―2010年代が始まりました。今年は日本の韓国併合100年であるとともに、朝鮮戦争勃発60年の年でもあり、今年は重要な年となります。  オバマ米政権は昨年末、最重要法案としてきた医療保険改革法案が上院で可決されたこともあり、核のない世界へ向けての具体的な行動が期待されます。  とくに5月に開催される核不拡散条約(NPT)再検討会議までに包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准を成立させられるかは、大きな焦点となります。  しかし米国がCTBTを批准するには上院(100議席)で3分の2以上の賛成が必要で、民主党上院議員全員(60人)が賛成しても、共和党からも7人以上の賛成を得なければならず、また民主党内にも核実験全面禁止には反対の声があります。  さらにCTBTの批准は、次に述べる問題と相互に関連しているのです。それは1)米ロ間で12月5日に失効した第1次戦略核削減条約(START-Ⅰ)の後継条約の成立、2)朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との交渉で、北朝鮮の6ヵ国協議復帰と非核化への具体的明示、3)イランとの6ヵ国協議での進展などです。

START-Ⅰの後継新条約は期待できるか?
 1994年12月に厳格な検証規定を設けて発効したSTART-Ⅰ(戦略兵器の削減および制限に関する米ソ間条約)は09年12月5日に失効しました。この日までに米ロ両国は新条約を成立させようと交渉を重ねてきましたが、削減する核兵器の監視や範囲など検証問題で対立したまま、12月5日を迎えました。
 米ロ両国は、新条約交渉期間中はSTART-Ⅰを有効とすることで合意しましたが、現在米ロ間で有効な核兵器削減条約は03年6月に発効した「米ロ戦略攻撃兵器削減条約」(SORT=モスクワ条約)だけとなりました。この条約も2012年に失効しますが、米ロはそれまでに戦略核兵器を1,700~2,200個に削減することにしています。
 しかしこの条約は、核弾頭や運搬手段(ミサイル本体や爆撃機など)の廃棄を義務づけておらず、またどのような戦略兵器を保持するかは独自に決定できる上、大陸間弾道弾(ICBM)、戦略原潜発射弾道弾(SLBM)、戦略爆撃機の種類や数、個別誘導、複数目標弾頭(MIRV)ミサイルの保有も自由となっています。
 したがって核兵器廃絶をめざすためには、世界の核兵器の90%を保有する米ロが、START-Ⅰの後継の新条約で合意し、成立させることが不可欠と言えます。
 しかし前号にも書いたように、新条約の大きな障害になっていたのが、米ブッシュ前政権時代に進められた東欧でのミサイル防衛(MD)網計画で、ロシアは強く反発し、新条約の協議も進展しませんでした。こうした状況を打開するために、オバマ米大統領は09年9月17日、東欧へのミサイル防衛網計画中止を発表しましたが、この中止決定がロシアの反発・不安をどこまで払拭したかは不明です。

ロシアは米のミサイル防衛に強い警戒感
 ゲーツ米国防長官はオバマ大統領の中止発表後の記者会見で、チェコとポーランドにミサイル網は配備しないが、代わりに同地域に、海上発射のスタンダード・ミサイル-3(SM3)と移動型レーダーによるシステムを2011年から配備し、15年にはSM3を地上型に改変・配備すると語りました。つまり米本土と同じMD(GBIミサイル、前号参照)計画は中止するが、別のMD計画を進めるというのです。
 昨年12月29日、ロシアのプーチン首相は極東のウラジオストックで、MD計画を進める米国とのバランスを維持するため、ロシアは戦略核兵器を強化する必要があると語りました。(共同通信発09年12月30日、福井新聞ほか)。依然ロシアは米のMDに強い警戒感を抱いていると言えます。
 さらに新条約が米ロで合意・調印されたとしても、両国には批准手続きが必要であり、米国はやはり上院で3分の2の賛成が必要となります。すでに米共和党上院政策委員会は昨年9月30日に、新条約に6つの原則が満たされなければならないとし、その中にロシアの短射程の戦術核兵器や米国のMD計画を制限すべきでないことなどが含まれていると伝えられています。
(09年12月9日、SankeiBiz)。

背後にある巨大な軍産複合体
 米ロ両国の背後には巨大な軍産複合体が存在しています。昨年12月に米国の軍需企業・レイセオン社が台湾と新型地対空誘導弾パトリオットミサイル(PAC3)システムを総額11億ドルで契約したと発表。今年の1月7日には、同じくロッキード・マーチン社が台湾との間でPAC3システムを受注したと米在台湾協会台北支部(代表部)が発表し、中国の強い反発を招いています。新条約がどこまでSORTを超えられるか、軍縮への強い世論が求められています。

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【本の紹介】
日本の植民地建築
帝国に築かれたネットワーク
西澤 泰彦 著


河出ブックス・09年刊
 本書は、著者の研究成果をまとめた「日本植民地建築論」のダイジェスト版として刊行された。同書は2009年日本建築学会賞を受賞している。本書はそのダイジェスト版ということだが、著者も言うように支配国側の建築家や建築材料の調達、支配地相互の経済や治安情報などとの関連で植民地政策と植民地建築を関連付ける試みがされていて興味深い。
 さて植民地建築の代表格は台北の台湾総督府庁舎、ソウルの景福宮の一部を破壊して建設された旧朝鮮総督府(現在は取り壊されている)、旧満州国の行政機関や銀行、満鉄の奉天駅舎などがあげられる。現存し展示されたりそのまま利用されたりしている建築物もあり、本書を読んだ後に訪れてみたいものである。
 ところで建築物は、人間が、人間のためにつくる工作物である。支配地の植民地建築は、植民地支配の政治的な目的と植民地化に伴う莫大な富の調達、安定的な植民地支配を継続することが最大の目的となる。本書では、植民地建築の建築場所、設計、機能、建築材料の調達、建築技術や労働者の調達など具体的に検証され、植民地支配の実態が浮き彫りにされている。植民地政策は単に武力だけではなく、支配地の情報、流通、資源、経済、そしてコミュニティや文化、価値観といった人々の生活そのものが支配下に置かれる。植民地政策がその国の近代化を進めたといった論理が、支配側の都合のいい「言い訳」であることが実態として理解できる。
 本年は日韓併合100年、満州事変の発端となった柳条溝事件から80年を迎える。台湾は日清戦争の結果、1985年に「割譲」となっている。併合や、かいらい国家、割譲など政治的な支配形態は違っても日本が支配した歴史的事実は、日本が支配地に建築した支配のための建築物が雄弁に物語っている。著者は植民地建築の研究を通じて侵略と支配を問い直し将来にわたる平和の確保を訴えている。
(藤岡 一昭)

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【映画評】
キャピタリズムマネーは踊る
(09年/アメリカ/マイケル・ムーア監督)


 人気ドキュメンタリー映画監督マイケル・ムーアは、今回も元気だ(09年12月の連合主催の試写会にも参加)。彼の集大成とも言うべきこの作品では、これまで取り上げてきた様々な社会問題の核心と資本主義に正面から立ち向かう。  といっても、経済理論を振り回すのではない。取り上げるのは、高騰する金利で払えなくなったローンのため、自分の住む家から強制立ち退きさせられる人、閉鎖される工場で突然の解雇に反対して団結する人々などの視点から、何がこの社会でおかしくなっているのかを描く。
 産業の荒廃するデトロイトなど米国の中西部、ムーア監督の故郷フリントも取り上げられ、長年の工場労働者として中流の生活ができた時代のあった彼の父親も登場。彼の伯父が1936年、初めて労働者が勝利した座り込み闘争に参加した話も紹介され、歴史の流れがどう変化し、狂乱金融資本主義から今の世界同時不況になったかを見ていく。
 レーガン政権やブッシュ政権時代に対する視線は厳しく、中でも当時の財務長官たちの犯罪的行為には、あぜんとさせられる。ブッシュ政権末期の土壇場、大統領選の直前に大恐慌が来ると恐怖をあおって国庫から出された70兆円の税金は、ウォール街のどこに消えたのか? デリバティブなど金融工学を駆使してつくられたマネーゲームのつけはどこに?
 犯行の主役たちは逃げ追うせ、1%の最富裕層が、底辺95%の持つ合計よりも多くを所有する「プルトノミー資本主義体制」となった。しかし、そこに体制の脆弱性と残り99%の人々の希望がある──もし、1人1票の民主主義の権利を行使すれば。
 日本も米国型経済に追随してきた。今や非正規雇用が労働者の3分の1の1,700万人、年収200万円以下のワーキングプアが1,000万人、3月までに非正規労働の85,000人が失職見込みという。映画のスクリーンではない、現実社会で身につまされる切実なことが起こっている。「座して待つ時間はない」という、作品最後に出てくる監督の呼びかけに答えられるのかは、われわれ一人一人に問われている。
 厳しい内容にかかわらず楽しめるエンターテイメント作品。1月から全国で公開中。
(金生 英道)

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投稿コーナー
アフリカへお米を届けて27年
自立と戦争防止につながる支援
マザーランド・アカデミー代表  村上 章子

 1983年6月のある朝の事でした。「母ちゃん! 僕、知ってるョ!」「あら、見つかっちゃったのね」「そんなお米、アフリカに贈ったらダメなんだから...」と、小学3年の子どもが布団の中から顔を出して言いました。夫や子どもが、目覚める前に、天井一面にう化した蛾を掃除機で捕っているときでした。「皆に見られたらお米を送る運動を止めろと言われると思って...」。
 当時、全国から送られてくる古いお米から発生する虫の処理をする前に、涼しい子ども部屋に置いていたときでした。母親たちの力では専門倉庫が借りられず、役員の家が倉庫になり、応接間や子ども部屋に協力米を保管していました。家族の物はベランダへ、自分の荷物は庭に出して保管場所を確保していました。
 世界中の人々の"命が等しい"ことを、行動を通して子ども達に伝えることが「教育」であり、「しつけ」であると考え、子育ての反省の会として、マザーランド・アカデミー(命の尊さ等しさを行動で子供たちに伝える母の会)を発会。あの朝の出来事は、アフリカなどの食料に困っている子ども達にお米や衣類を送ろうと、走り回って活動している母親たちに蹴飛ばされそうになっても、ついてきてくれた子ども達の成長を全身で感じた瞬間でした。

全ての子どもは食料を平等に得る権利がある


マリで協力米を前にした子ども達(右が村上さん)
 その成長を大切にしようと、その朝から手作りの新米を国際協力米として贈る活動を本格的に開始しました。"全ての子ども達は食料を平等に得る権利があり、食料を平等に配る義務がある"ということを基本理念にして、子ども達全員に農業の大切さを伝える活動が始まりました。水田が近くにない子ども達は、バケツでお米作りをしてもらい、秋には小さな封筒に入った新米が全国から私たちの元に送られてきました。
 それから27年が経ち、今年も全国各地から新米が東京港に集まっています。米袋には幼稚園生や小学生の絵やメッセージが描かれているものや、この活動を推進している団体や県名が書かれているものもあり、各地の皆様の数知れないご苦労が目に浮かび、頭が下がる思いがします。その中でも、長い間休止することなく運動を継続されている平和フォーラム様の国際協力精神がひしひしと伝わってきます。

食料配布から農場建設へと広がる活動
 国際協力米は今年も3つの任務を背負って、最も支援が必要な国の1つであるアフリカ・マリ共和国へ向けて、次々と輸送されています。
 任務の1つは、2人に1人しか食事ができない地域への緊急食料支援、そして2つ目は自立支援です。現地で長期間ともに活動可能な農業者や教育者を集め、生活支援体制を整えて、学習用品を用意します。次に、学習所兼配給所を建てて、文字、治水、農林業の勉強を始めます。水利施設、植林場、農場を学習所の近くに建設し、これらを一体にして自立支援事業を進めていきます。
 3つ目の任務は戦争予防です。子ども達は「大地は食料生産の場であって、人間が戦う場所ではない」ということを農作業の中で学んでいます。
 国連では2004年を「国際コメ年」と定めました。お米は世界人口の50%以上の主食でありながら、お米の生産に必要な土地や水の活用が、戦争や技術不足のため十分になされていないとして、国際年とした国連の意図が十分感じられます。しかし、食料不足地域の56%に内乱が生じているのです。
 マリの地で収穫の日に、子ども達は育てたお米を自分で食べる前に、さらに苦しい生活状況の人々に届けに行きます。この活動を通して、子ども達は、小さな力でも人々の役に立てることを学び、その向こうにある人権問題に心を開くようになりました。
 協力米(支援米)配布地区では、定住が進み、木々が確実に根付き、大地に作物が実り、二酸化炭素が削減されています。広大なサハラ砂漠では、まだ規模は小さくても協力米の配布は人々の自立、砂漠化防止、戦争予防につながる事業となりました。そしてこの事業はこれからも、次の世代へと引き継がれながら続いていきます。
 今後とも皆様のご協力をよろしくお願いします。

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