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ニュースペーパー2010年3月号

2010年3月 1日

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【インタビュー・シリーズ その43】
被曝の体験を乗り越えて語られる核廃絶への思い
元第五福竜丸乗組員 ビキニ水爆実験被曝者 大石 又七さんに聞く

【プロフィール】
1934年、静岡県榛原郡吉田町生まれ。48年から漁師となり、53年にマグロ漁船「第五福竜丸」へ。航海中の54年3月1日、ビキニ環礁でアメリカ軍が行った水爆実験により被曝する。入院生活を経て、東京都内でクリーニング店を営みながら、自らの体験や核廃絶について語り継ぐ活動を続けている。

──ビキニで被曝されるまでのいきさつを教えてください。
 最初に私は、インド洋を漁場にしている別の大型マグロ船に乗るつもりでした。そこの会社に申し込みをしていたのですが、まだ帰ってきていなかったので焼津市に買われてきた第五福竜丸に、別の船が戻ってくるまででも乗ってほしいと頼まれました。
 結局、それまでの腰かけのつもりだったにもかかわらず、1年近くも乗ることになってしまったわけです。
 ビキニ事件に遭遇することになった第5航海目の出港は、私が20歳の誕生日になる前日の1月22日でした。操業2日目にはえ縄(漁具の一種)を隠れ根(大きな岩)に引っ掛けたのか、大量に海中へ紛失してしまい、操業不可能になりました。もっとも、その航海中は、サメが泳いでいるばかりでまったく収穫がなく、あきらめて3月1日を最後の操業と決め、帰港するはずだったのです。まさに、その日にビキニで水爆実験に遭遇して、被曝するという不運に直面してしまいました。
 太平洋戦争中、広島・長崎に原爆が投下されたという地獄絵図があったにもかかわらず、敗戦後、日米政府は報道管制で国民には一切伝えませんでした。そのため、原爆や放射能の知識が私たちにはまったくなく、その1,000倍といわれる水爆が目の前で炸裂しても何が何だか見当がつきませんでした。
 無線長から大声で「近くにアメリカ軍が指定している危険区域がある。船か飛行機が見えたらすぐに教えろ。下手をしたら沈められるかもしれない」と聞かされて、ようやく危険が自分たちの身に迫っていることを知ったのでした。
 その時点では怖さを知らない「死の灰」「放射能」よりアメリカ軍のほうが怖くてドキドキしながら見張っていました。

──被曝したことによって、偏見の目で見られたこともあったのではないですか。
 被曝の症状はその日の夕方から出てきました。頭痛、めまい、吐き気、下痢などです。2日目頃から灰が当たったところがふくらみはじめ、中に水がたまるようになりました。10日目頃から髪の毛を引っ張ると抜けるようになって、不安だったけれど理由が誰にもわかりませんでした。
 2週間後に入港して私たちが被曝したことが報道されると、多くの人は知識がないため、近寄ると伝染するからと私たちを怖がりました。専門家は放射線の影響など深刻に論じていましたが、私たちはまだ体が動いていたのであまり心配していませんでした。
 4週間が過ぎた頃から急に体がだるくなり、それが放射能の影響だとわかってきました。その頃から無線長だった久保山愛吉さんの症状も悪化しはじめ、脳症を起こし意識を失い、意識を取り戻すと暴れ出すのでそばで見ていて不安になりました(久保山さんは54年9月23日死去)。自分たちも同じように放射能を浴び、白血球が減りはじめていたので、明日はわが身の思いで、死を強く意識するようになりました。

──そんな肉体的、精神的な苦しみの中でその後、どのようにビキニ事件を考えておられたのですか。


都立第五福竜丸展示館を
見学する子どもたち(東京・木場)
 被曝して2年後、周囲の偏見の目から逃れるために東京へ出ました。人ごみの中へ身を隠すために逃げ出したのです。 15年ほど、事件のことは一切隠して生活していました。そのうちに、仲間たちが一人、また一人と同じ病気を発病して亡くなったのです。私自身もガンに侵され、死線をさまよいました。そして、どうにか結婚はできましたが最初の子どもは死産でした。このときは本当にショックでした。 自らの境遇への不満が募り悩んでいたとき、私が東京に隠れていることを知った中学生たちから、事件の当事者の話をどうしても聞きたいと言われ続けて、それに応じたことが外へ向けて発言するきっかけとなりました。 最初は悔しさだけが頭にあって、そのことばかり訴えていましたが、この事件の裏側には、核兵器と目に見えない放射能という恐ろしい内容が含まれていることがわかり、これは現在にもつながっている問題ではないかと気づいて、話す内容が変化しました。

──この事件が1ヵ所で起こった単なる過去の出来事にとどまらない理由とは何でしょうか。
 ビキニ事件は実験段階であるにもかかわらず、大気圏に吹き上げられた「死の灰」が雨に混じって広範囲に降り注ぐようになり、太平洋上に落ちた灰はあらゆる動植物を汚染しました。魚は小さいものから大きいものへと食物連鎖で何千、何万カウントに濃縮されて人間の口に入ってきたのです。
 この恐怖を日米政府は、核兵器開発のためにわずか9ヵ月で政治決着をさせて、事件は解決したのだとして隠してしまいました。

──核のない世界をつくっていくために私たちが考えるべきことは何でしょうか。


現在は都内でクリーニング店を営む
 広島型原爆の数10倍の威力を持つ核弾頭が、2万6千発と言われる数にふくれあがり、核ボタンを押すだけで地球上の人類を何回も殺せるという結果になってしまいました。
 アメリカはビキニとエニウエトク環礁を使って67回の核実験を行っています。この爆発威力は100メガトンと言います。この爆発は広島型原爆を毎日1個ずつ19年間落とした計算になるというのです。
 核実験はアメリカだけではありません。ロシアも中国も、イギリスもフランスもその数は増える一方です。1960年代、この時期から世界ではガン患者が急増し、日本でも死亡率のトップはガンで年間35万人と言われています。私は、核爆発が同時につくり出す27種類の目に見えない汚い放射能が関わっていると考えています。
 指導者たちの言うことだけを信じていては平和も健康も守れません。一般市民が核についての知識をたくさん持つべきだと思っています。

〈インタビューを終えて〉
 「被曝の事実を伝え、歴史に残すことが私の役割」―56年前、マグロ漁中にアメリカの水爆実験に遭遇し、被曝した大石さんは落ち着いた口調で語った。場所は、日本から4,500キロの太平洋上、マーシャル諸島のビキニ環礁付近である。夜明け前の暗い海に、突然巨大な火球が出現した恐怖を生々しく語ってくれた。この事実の意味するところを次世代に伝えたい。その一心でこれまで生きてきたと話は続いた。この言葉をしっかり受け継ぎ、2020年までに核兵器廃絶を実現しなければならない。
 (藤岡 一昭)

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沖縄米軍基地を考える
宜野湾市・普天間基地の無条件返還、名護市・辺野古をはじめ新基地建設反対
米軍再編に伴う日米安保を根本的に見直し、東アジアの共生をめざそう

100304.jpg ジュゴンだってチェンジ! 市民団体の先頭を歩く「辺野古への基地建設を許さない実行委員会」の皆さん(1月30日・全国集会デモ)

民意は米軍基地返還、辺野古新基地建設を許さない
 沖縄普天間基地返還、辺野古新基地建設問題が重大な局面を迎えています。政府は昨年末、「普天間基地の移設先は当面決めない。移設関連予算は計上するが、移設先は与党三党で協議する」とし、結論を5月に先送りしました。この間沖縄現地はもとより、宜野湾市の伊波洋一市長もたびたび政府・与党に働きかけ、1月24日の名護市長選挙では、辺野古新基地建設反対を掲げる稲嶺進さんが当選しました。同30日には東京・日比谷で「チェンジ日米安保! 普天間基地返還 辺野古・新基地建設反対全国集会」とデモ行進に6,000人以上が参加しました。沖縄現地と本土をつなぐ大きな民意が動き出しました。

新基地をつくらなければ日本は危機に陥るのか
 一方、自民党や公明党は「辺野古新基地建設は米国政府との合意事項であり、それが実現できなければ日米安保体制が大きく崩れ、ひいては日米関係も危機に陥る。その結果、1996年に返還合意されている普天間基地も存続することになる」とし、政権与党を揺さぶりました。
 岡田克也外相や北澤俊美防衛相は明確な態度を示さず、一部には同調するような発言もありました。さらに、マスコミや新聞各紙の論説もこれに近い報道を繰り返しました。しかし、辺野古に米軍基地を建設しなければ本当に日米関係が危機になるのでしょうか? 普天間基地の返還も反故になるというのでしょうか?

米軍再編の実態、利権構造、税金の無駄使い
 冷戦が終結し20年、核抑止力が意味をなさなくなるとともに、貧困やテロが国際社会の大きな脅威となってきました。米軍の世界戦略や米海兵隊のグアム移転とともに、日本の米軍基地機能は刻々と変化しています(平和フォーラム発行「普天間基地はいらない 新基地建設を許さない」参照)。
 しかし、自公政権下で外務省と防衛省は、米国政府と米軍の要求を無条件で受け入れ、関連する情報や政府間協議の内容などもほとんど国民に知らせてきませんでした。たとえば、辺野古新基地建設が希少動物のジュゴンの生息を脅かし「米国文化財保護法」に違反するとして提訴されたジュゴン訴訟では、米国防総省側が敗訴し、現状では工事が着工できないという事実も明らかになっていません。
 また、グアム移転経費約5,500億円、辺野古新基地建設費は1兆円と言われ、これに群がる日米ゼネコンの利権争いも過熱しています。これらはすべて日本側の負担であり、思いやり予算も含めて考えれば、究極の税金の無駄遣いと言えます。

日米安保見直し、沖縄から基地縮小・撤去の取り組みを


辺野古の座り込みテント近くにある立て看板(1月15日・名護市)
 国際社会と東アジアの政治と経済抜きに安全保障はあり得ません。日米新政権に東アジアの発展と共生を踏まえた安全保障の根本的な見直しを求めていかなければなりません。同時に、沖縄の基地問題は戦前・戦後を通して犠牲になり続けてきた沖縄の実情を受け止めなければ解決しません。日米地位協定の見直しや米軍被害補償の立法化も切実な課題です。米軍基地の返還と新基地建設を許さず、沖縄の基地依存経済の転換をめざしながら基地の縮小・撤去を進めていかなければなりません。

市長選前の名護市を訪ねて
 1月15日、普天間基地移転、辺野古新基地建設の是非を問う、沖縄県名護市長選挙の告示を2日後に控えた、反対派の稲嶺進さんの選対事務所は活気にあふれていました。それとは対照的に、その活気を包む名護市内の様子はどことなく寂しいものに感じられました。
 日米の沖縄特別行動委員会(SACO)で、名護市辺野古が普天間基地の移設先とされたのが13年前。その見返りとして、約500億円もの国費が市にもたらされました。しかし、それは決して町を豊かにしたと言えるものではありませんでした。とってつけたような公共事業は、施設等の維持管理の負担を増やすだけで、一般的にも公共事業頼みの町づくりは、人々から自立性を奪う側面があるものです。市内の空き店舗率は上がり、農業生産高も激減。また、誘致企業による雇用の創出という面でも、実は大半が契約社員の低賃金労働者であると言われています。
 市長選では結果的に、稲嶺さんが1,588票の僅差で勝利しました。反対の民意が反映されたことも確かですが、圧勝ではなかっただけに町は二分されてしまいました。
 多くのマスコミは、この問題の「先送り」が日米関係に悪い影響を与えるという論調で報道を続けました。それを言いながら一方で同じ新聞社が、沖縄の負担軽減には真剣に取り組むべきとするなど、世論を見極めようとする対応の迷いも一部には感じられました。県外、国外、その先にある移設先としてのグアム。自分たちさえよければそれでいいのか。そのあたりが、鳩山由紀夫首相が結論を出すとする5月までに、私たちが何をなすべきかを考えるポイントです。基地は地球上のどこにもいらない。私たちはその着地点でぶれることなく、沖縄や市民と連帯して取り組みを進めます。


ヘリ基地反対協議会共同代表
安次富 浩さん

 私たちの望みは、(新基地を)県外にもつくる必要はない。アメリカに持って帰れ。元々アメリカの基地ですよ。アメリカが引き取らなければ太平洋の藻屑に消えればいいのです。他のところへ持っていく必要はない(日比谷集会での発言より)。

 

 

 

 

 

 


沖縄平和運動センター事務局長
 山城 博治さん
 ごった煮のように詰め込まれた沖縄の米軍基地を、整理・撤去しましょう。それは政府だけの責任ではない。ここに集まった一人一人の国民の、市民の責務であり、そのことによって成し遂げられるものだと思っております(日比谷集会での発言より)。

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日本の人権と民主主義に不可欠な定住外国人の地方参政権
歴史の真実を究明し、人権確立の流れをつくる

 2009年9月に鳩山新政権が誕生して以来、外国人参政権の実現の問題が大きくとりあげられるようになりました。鳩山首相や民主党の小沢一郎幹事長は「永住外国人地方参政権付与法案」の制定に積極姿勢を示し、訪韓したときにも制定を明言しています。民主党は、「予定」との注付きですが、通常国会上程法案リストに入れており、内閣として提案されれば、制定は間違いありません。国民新党の反対や民主党内の異論などのハードルや、普天間問題などの動きなどもあり、予断はできませんが、予算の審議・通過する3月以後、同法案の国会上程と法案審議が大きな焦点です。

世界・アジアに広がる「外国籍住民の権利」
 外国籍住民は地域社会を構成する一員としてどこの国でもその発展に応分の寄与・貢献をしています。外国籍住民の基本的人権を保障し、差別のない共生社会実現のためにも地域社会に参画する権利として定住外国人の地方参政権は、欧州各国をはじめ世界に広がっています。経済開発協力機構(OECD)30ヵ国中、外国籍住民に地方参政権を与えず、出生地主義をとらず二重国籍をも認めないのはもはや日本だけで、G8のうち地方参政権を認めない国も日本だけです。
 アジアでも韓国が04年7月、定住外国人の住民投票権を認める「住民投票法」を定め、06年5月31日、韓国に住む19歳以上の日本人を含む永住外国人が、地方選挙で初めて一票を投じました。韓国では、1980年代まで軍事独裁政権に対する長期にわたるねばり強い民主化闘争が積み重ねられてきましたが、金大中、盧武鉉政権が登場する中で、01年11月には、「国家人権委員会」が誕生。「住民投票法」に続いて07年7月には「在韓外国人処遇基本法」も実施されてきました。

日本は10年以上も法案たなざらし


地方参政権制定を求める集会(2008年4月16日)
 現在、日本には190ヵ国の外国籍住民が221万人以上も暮らし、年々増加しています。そのうち、特別永住者が42万人、一般永住者が49万人にものぼっています。90年に提訴された地方参政権訴訟で、最高裁判所は、95年2月、「憲法は、永住者など地方公共団体と緊密な関係を持つ外国人に、法律で地方選挙権を付与することを禁じているものではない」との判断を示しました。また、最近になって自民党が反対方針を打ち出したため、県議会などでの反対決議が急速に増加しましたが、90年代からこれまでに半数近くの地方自治体議会で制定を求める決議・意見書が採択されてきました。
 98年秋には、民主・公明両党が国会に永住外国人の地方参政権法案を初めて提出。審議された後、自民・自由・公明の3党連立政権政策協定に盛り込まれましたが、10年経っても主に自民党タカ派の反対、外国人住民排除の排外主義的な動きで実現しませんでした。提案を重ねた公明党も、当初の案からあった選挙権のみを認めるとし、永住者限定という問題点に加えて、朝鮮籍排除や相互主義(事実上対象は韓国籍のみ)と内容を後退させた末に、それでも通過しませんでした。

植民地支配と戦後責任
 日本の場合、特別永住者──朝鮮半島や台湾などの旧植民地出身者にとって、戦前はもとより戦後も差別と人権侵害の歴史でした。戦後の民主化、憲法での人権確立といっても、在日にとっては敗戦直後の1945年12月、女性参政権が初めて認められた衆議院議員選挙法改正時、旧植民地出身者の選挙権および被選挙権は「停止」され、その後「国籍条項」によって様々な制度的差別が生まれたという歴史なのです。
 旧植民地出身者に対する不当な差別をなくすための取り組みは、70年代の就職差別裁判、80年代の指紋押捺制度や入居差別とのたたかい、90年代からの戦後補償、移住労働者の在留権・生活権の取り組みへと、広範な領域で行われてきました。日本で定住外国人の地方参政権運動が本格的に開始されてから10年余になります。いま問われるのは、民主主義への「意志」と歴史の真実を究明していこうとする「姿勢」です。制定の好機に、民主主義・人権のため尽力しましょう。

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「合成洗剤追放全国集会」を3月にさいたま市で開催
家庭の排水口から地球環境を見つめよう
合成洗剤追放全国連絡会 事務局長 岡崎 徹

結成35周年を迎えた全国連絡会
 合成洗剤追放全国連絡会(全国連)は、来る3月13日と14日に、さいたま市において「きれいな水といのちを守る合成洗剤追放第31回全国集会」を開催します。
 全国連は、1974年11月に結成され、「きれいな水といのちを守るために合成洗剤を追放する」をスローガンに、多様な運動を積み重ね、様々な成果をあげてきました。「水の再生・いのちの共生・循環型社会をめざして」全国的な取り組みを展開し、一人ひとりが地域で運動を進めることの大切さを共有してきました。
 また「大量生産、大量消費、大量排出(廃棄)」社会の歪みが大きな社会問題となっています。経済優先の社会が自然を破壊するだけでなく、地球環境そのものを変えてしまっている事実にも警鐘を鳴らしてきたところです。
 加えて、アフガニスタン・イラク戦争をはじめ、様々な形態をとる地域紛争の発生等、テロも含めて戦禍の火は止まることなく、多くの尊い人命が失われている現状があります。従って、国内外における自然破壊と戦争の愚かさを批判し、「共生と自然を守る」取り組みの大切さを訴えてきました。

「なくてはならない水」の深刻な状況


2008年に開かれた第30回全国集会(08年10月・秋田市)
 21世紀に入り「水」の重要性、大切さが改めて注目されています。地球上のあらゆる生き物にとって水はなくてはならないものです。
 その水がいま深刻な状況を迎えています。現在、世界では安全な水を得ることができない人々が11億人いると指摘され、安全・安心な水の早急な供給が求められています。
 日本においても「水」の総合利用が求められており、山・川・都市部・海をめぐる水循環のあり方を統合した「水基本法」の制定が急がれています。
 さらに日本は、木材や食料の輸入を通じて、大量の「水」(バーチャル・ウォーター)を輸入している実態があります。改めて、私たちは日本の農業や林業の実情について考え直さなければならないところにあり、森林の涵養整備や食料問題の解決は、そうしたことからも大切な課題となっています。

「有害な化学物質」の合成洗剤規制を
 2001年度から、環境汚染物質の排出・移動量について、把握する制度(PRTR制度)が実施されています。そのデータでは、人の健康や生態系に有害なおそれがある化学物質(第1種指定化学物質)のうち、家庭から排出される半分以上が合成洗剤です。これは6年連続のことです。しかしPRTR制度で有害とされた成分を含む合成洗剤も、所管省庁によって表示法が異なるなど、正しい選択ができない実態にあります。
 こうしたことから、規制のすき間、縦割り行政の問題解決のために「化学物質政策基本法」を制定し、総合的な施策の実行が重要となっています。全国連はこうした課題も含めて、環境をめぐる様々な取り組みを進める人々との連携を進めています。
 全国連の結成35周年を迎えたいま、改めて「家庭の排水口から地球環境を見つめる」ことの実践を訴えています。その第一歩として、身近にある「合成洗剤」の有害性を訴え、「石けん」活用をPRする取り組みを強化しています。そのため、新たにポスター(4枚組)と、合成洗剤と石けんの違いなどを解説したリーフレットを発行しました。
 さらに「有害化学物質を許さない運動」など、環境問題を考え取り組んでいる運動体の皆さんとの連携と協力・共同を積極的に推進して行くことが重要となっています。「人の営み」を根源から問い直す合成洗剤追放運動の飛躍と、持続可能な自然環境の再生に向けて、全国から運動への積極的な参加を呼びかけます。

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ばらまく「アメ玉」最大30億円
ムダで危険なプルサーマルの中止を

 四国電力伊方原発3号機(愛媛県)でプルトニウムを使ったプルサーマル発電が、3月上旬にも始まろうとしています。その動きに対して2月14日、「四国ブロック平和フォーラム」の呼びかけで、計画中止を求める抗議集会が開かれ、全国から250名が原発ゲート前で抗議の声を上げました。

問題だらけの計画は破綻する
 プルサーマルはすでに、昨年12月には、九州電力玄海原発3号機(佐賀県)で、国内初の営業運転が強行され、伊方原発以外にも2010年度中に浜岡原発(静岡県)、高浜原発(福井県)で予定されています。国はこれまで2015年までに16基~18基の原発でプルサーマル計画を実施する予定ですが、東北、東京、北陸の各電力会社と日本原子力発電では、地元の同意は得られていません。特に東京電力の柏崎刈羽原発でのプルサーマル計画について、地元の泉田裕彦新潟県知事は、「議論する以前の話だ」としています(2月3日定例記者会見)。プルサーマル計画全体もすでに2010年から2015年に先延ばしされています。この発言でも明らかなように、大幅にズレ込むことは必至であり、国の考えた計画がまたもや破綻することは明らかです。
 プルサーマル計画には、以下のような問題点があげられています。1) 核反応がより不安定となり、制御棒の効きが悪くなり、燃料が壊れやすくなる。事故時の被害が大きくなるなど安全面での危険性。2) 国の安全審査や電力会社の自主検査などの詳細な内容、データが明らかにされていない。3) ウラン燃料価格より高いMOX燃料を使う経済性の問題。4) 使用済みMOX燃料などの管理や処理と処分の問題。5) プルサーマル実施地点が「核のゴミ捨て場」にされてしまう危険性、などです。

進まぬ地元合意と多額の交付金


四国電力担当者へ要望書を手渡す
(伊方原発ゲート前・2月14日)
 地元合意の遅れから、経済産業省は、原発のプルサーマル発電に同意した自治体に最大30億円の交付金を支払う新制度を設けました。これは、今までプルサーマルに難色を示していた自治体を懐柔させるために、多額の交付金という「アメ玉」をもって同意を迫ろうとするものです。今年の7月までに同意すると30億円、来年3月までで25億円、1年遅れるごとに5億円が減額され、2014年で打ち切られるという制度で、まさに国の失政を「カネ」で買収するものです。
 このような交付金という振興策は、これまでも、原発のある自治体に様々な形でバラまかれてきました。しかし、一時の振興策によって、地元経済が活性化したことなどありません。一時的に潤ったように見えても、その後交付金も減っていき、地域社会が疲弊していくだけで、地元の意思や自立的発展を歪めるものとなっています。

地域住民を危険にさらすな
 原発・プルサーマルなどの推進という名の下に地域社会を分断し、振興策の名を借りた「利権の政治」を地元有力者と政府、推進側が結託して行う構造は今も変わりありません。今回のプルサーマル交付金の新制度設立は、まさにその構造を利用し、地域社会は原子力でしか発展できないという幻想を与えるものです。
 さらに地元の県や町の対応は、「プルサーマルは国策」、「法的責任を持つ国が安全を確認し、自治体は国や電力会社の主張をそのまま受けいれる」という、住民の生命を守る立場にある自治体としての自主性や主体性を放棄するもので、国や電力の代弁者でしかありません。
 プルサーマルは、ただでさえ危険な原発の安全性確保への余裕を奪い、地域住民を危険にさらし続けるものです。また、交付金は地域社会の安心と安全をお金によって買収するものであり、決して許されることではありません。

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NPT再検討会議への課題(2)
運動強化が状況を切り開く

核態勢見直しで米政権内が対立?
 昨年4月プラハで、オバマ米大統領が「核のない世界をめざそう」と訴えた演説は、世界に大きな感動と期待をもたらしました。ただこの演説には、核兵器のない世界を訴える一方で、核兵器が世界に存在する限り、米国は安全で効果的な兵器を維持すると述べるなど、二面性を含んでいました。
 このプラハ演説を機に、8年ぶりとなる「核態勢の見直し」(NPR)作業が始まりました。しかし、当初12月に発表予定だった新しいNPRは、今年3月1日へ延期される事態となっています。背景にはホワイトハウスと国防総省の間の対立があり、それは「抑止力維持のため代替核弾頭開発を続けるのか」「核先制不使用を宣言するのか」の2点で意見が食い違っているためで、ゲーツ国防長官は潜水艦の老朽化した弾道弾の代替弾頭の開発を強く主張している、と報道されています。
 ブッシュ前政権は2005年に、冷戦時代の核弾頭を「信頼性のある代替核弾頭」(RRW)に入れ替える方針を打ち出しましたが、オバマ大統領は09年の予算教書でRRWの交換は中止すると明言し、一方で既存弾頭の改修、長期保管の研究は継続すると発表しました。そして現在トライデント搭載の核弾頭の老朽化が問題となっているのです。
 こうした中、07年1月と08年1月にウォールストリート・ジャーナル(W・J紙)で「核のない世界を」訴え、オバマ大統領に大きな影響を与えたと言われるキッシンジャー元国務長官、シュルツ元国務長官ら4人が、今年1月20日に、同じW・J紙で、「どうすれば核抑止力を守れるか」と題する論文を発表し、核のない世界を実現するまで、米国の核抑止力を維持するため、核兵器の安全性・信頼性を保つ必要がある。技術水準向上のため、ロスアラモスなど三つの核兵器研究施設への資金投入が必要だと述べています。
 これでは米国は、これまでの核政策に戻ったに過ぎず、「核のない世界」にむけての積極性は見えません。「核態勢の見直し」がどのような内容になるのか、内容によっては協議中の米ロ後継条約や、核不拡散条約(NPT)再検討会議にも影響するでしょう。老朽化した核兵器の廃棄、核先制不使用などの積極的な見直しを求めるものです。

オバマ政権はまず米朝交渉へ一歩を
 昨年12月8日~10日にかけて、ボスワース米・朝鮮民主主義共和国(北朝鮮)担当特別代表が訪朝しましたが、ほとんど進展を見ることなく帰国しました。今年に入り北朝鮮は、朝鮮半島の休戦協定を平和協定に転換するための会談を当事国に求め、その会談が始まれば、制裁解除を条件に6ヵ国協議の枠内で平和協定の会談を進めることも可能との立場を強く打ち出しました。
 2月初旬、中国共産党の対外連絡部長らが訪朝し、金正日総書記と会談しましたが、「制裁解除と平和協定締結協議開始が6ヵ国協議再開の条件」という北朝鮮の立場は変わりませんでした。
 しかし、米国はこれまで「北朝鮮が検証可能で、不可逆的な非核化に応じるなら、関係正常化、休戦協定に代わる平和協定、経済支援のすべてで話し合う用意がある」との立場を一貫して表明しており、この立場からさらに対話を進めるべきでしょう。
 制裁解除の問題にしても、方策はいろいろ考えられます。平和協定協議開始が先か、6ヵ国協議復帰が先かで、いたずらに時間を費やすのでなく、北朝鮮の非核化で5ヵ国が一致していれば、状況は切り開かれると考えます。

イランの核問題は新たな段階に入るか?
 一方イランは2月9日、サレヒ原子力庁長官がテヘランの研究炉で使うために、濃縮度20%のウラン燃料製造作業に入ったと発表しました。ナタンツの原子炉で20%もの濃縮は可能か、などの議論はありますが、状況は少しずつ悪化しつつあります。
 しかしイランの核問題は、基本的には中東全体の非核化、安全保障の問題でもあります。イスラエル、パレスチナの関係改善はほとんど前進が見られません。イスラエル核問題には言及しないなど、オバマ政権の中東政策が問われているのです。
 新たな経済制裁は、イランによる核武装をさらに誘発し、それを阻もうとするイスラエルによる軍事攻撃の危険や、アラブ、中東全体の核拡散という危機的状況も存在する問題です。6ヵ国(国連安保常任理事国+ドイツ)の慎重な対応を求めなければなりません。
 NPT再検討会議を前にして多くの課題がオバマ政権に課せられています。それは世界最大の核戦力を持つ米国が、避けては通れない課題でもあります。厳しい状況を切り開くためには、各国の市民・運動体が運動を強める以外にないことを改めて確認しましょう。

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【本の紹介】
アイヌ民族、半生を語る
貧困と不平等の解決を願って
中村 康利 著


クルーズ・09年刊
 2007年9月、国連総会で「先住民族の権利に関する国際連合宣言」が採択されました。これは自決権をはじめ先住民族のもつ権利を謳いあげたものです。当時札幌在住だった私は報告集会などに参加したのですが、アイヌの人々の今にも踊りださんばかりの、喜びに満ちた笑顔を忘れることができません。アイヌ民族は明治維新以降の近代化の過程で、民族固有の土地、文化、言語などを奪われました。徹底した同化政策の中で、貧困と差別に苦しんできました。そして今もなお、アイヌ民族を取り巻く状況は厳しいものとなっています。
 「先住民族の権利宣言」以降、2008年の国会決議、今年の有識者懇談会からの報告書発表などの動きもありましたが、問題解決への道筋は、はっきりとは見えていません。
 本書はアイヌ民族18人のインタビューを中心に構成され、アイヌ民族の貧困問題にスポットを当てています。懸命に努力しつつも、進学、就職、結婚など人生の様々な選択の場面で、その不安定な生活基盤ゆえに、困難を強いられ、断念せざるを得なかった。そんな姿が浮かび上がります。そして、一人ひとりの幸せを妨げる根深い問題が、いまも存在していることが、道内アイヌ民族の世帯平均所得や大学進学率などの数字からも、明確に読み取ることができます。
 筆者は社会全体の貧困の問題も見据えつつ、また歴史的経緯をたどりながら、アイヌ民族の貧困の背景にある「歴史的に形成され、労働市場の中で制度化された職業的階層構造」(差別的経済構造)を指摘し、貧困対策について提起しています。さらに、アイヌ民族を不利な状況に追いやってきた国家としての責任にも言及しています。
 あのときの笑顔には解放への期待感が込められていたと感じます。これ以上問題解決を遅らせることはできません。いま具体的に何が求められているのか、考えるには恰好の一冊です。
 (山本 圭介)

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【映画評】
山のかなた
(09年/日本/池島芙紀子監督)


 
 「地球温暖化対策の切り札」として、原子力を推進する動きがありながら、世界的な不況のあおりもあって、そもそも先進国でのエネルギー需要が伸びていません。日本でもその需要は低迷し、原発から出るプルトニウムを再利用するプルトニウム利用政策は袋小路に入っています。
 本作は、高速増殖炉「もんじゅ」がある福井県敦賀市の白木浜から、風向調査のために飛ばした風船を拾った青年たちがもんじゅを見学。六ヶ所、広島、東京、小浜、美浜、京都、三重へと関係者へのインタビューの旅へ出る構成になっています。
 身内同士での会話の場面はどこかぎこちなく、手作り感があって微笑ましいものですが、正面から原子力発電やそれに連なる核の問題を取り扱い、代替エネルギーについて考える体系的で意欲的な内容となっています。
 特に、地震によって原発が被害を受けたときの「原発震災」は、地震大国と言われる日本では大変に現実味のある話で、いかに私たちの日々の暮らしが、実は危険と隣り合わせであるかを思い知らされます。私たちは、中越沖地震に見舞われた柏崎・刈羽原発のことを忘れてはいけません。
 そんなことを、もっと多くの人たちに知って考えてほしい。とは言え、既存のマスコミは様々なしがらみから、これらの問題を取り上げません。それ故にくやしいし、脱原発を言うこと自体がマイナーな存在として見られる面がないとは言えないでしょう。しかし本作では、著名な音楽家である坂本龍一さんが音楽を担当しています。
 坂本さんは、以前から再処理工場の問題等で発言されていますが、もっと「メジャーな人々」もこれらの問題に関わり、長年地道に活動を続ける人々や新しい仲間と結びつく場面をつくり出せれば、それなりの力になると思うのです。
 そんな観点からも、今後より元気な運動をつくり出す上で、これが制作された意義は大きいし、原発を取り巻く「現在」を考えるのにタイムリーな教材となるでしょう。
 (阿部 浩一)

※DVDの購入・問い合わせ先
「ストップ・ザ・もんじゅ」TEL&FAX:072-843-1904

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投稿コーナー
「希望の持てる未来」を子どもたちに
日教組全国教育研究集会に参加して
神奈川県高等学校教職員組合 鈴木 敏江

山形で3日間に渡り熱い討議
 1月23日から3日間にわたって、山形市「山形ビッグウイング」を全体会会場に、日教組全国教育研究集会が開催されました。残念ながら全国紙の取り扱いは大きいとは言えませんでしたが、全国から集まった教職員が県内各地で25分科会に分かれ、3日間の熱い討議を展開しました。
 私が司会として参加した第18分科会(平和教育分科会)は、毎回激論がたたかわされ「平和ではない平和教育分科会」と揶揄されています。それゆえに、どんな幕開けになるのだろうと、興味と不安の入り交じった複雑な心境で始まりました。現代的な課題に敏感に反応する運動と、各地のきびしい実情の中で試行錯誤を続ける教育実践が、両輪となって構成される平和教育分科会は、提出レポートも多く、課題も多岐にわたります。

集会の成果は子どもたちへ
 私はこの分科会の司会を務めるにあたって、すべてのレポーターの方々に同等に発言の機会を与え、そして、初めて参加した人たち(特に若い世代)が、それぞれの地元に持ち帰ることができる内容の分科会にしたいと心掛けました。これには10年前、私がこの分科会に初めて参加したときの思いが影響しています。
 平和問題は一見、対立軸が見えやすく、議論の矛先がある一点に集中しやすいものですが、私たちが日々の生活で接するのは生徒や児童です。私たちが、研究集会の成果を返すべき対象はその子どもたち。だからこそ、実り多いものにしたいと考え、3日間を過ごしました。

平和教育の原点は人権教育


2008年に開かれた第30回全国集会(08年10月・秋田市)
 今回の共同研究者としては、筑紫女学園大学講師の永井俊策さん、平和フォーラム代表の福山真劫さん、広島平和教育研究所の國貞守男さんにご協力いただきました。タイムリーな問題としては、分科会討議の柱のひとつでもある基地問題から話題となっていた沖縄県・名護市長選が期間中にあり、その結果を報じた地元の沖縄タイムスと琉球新報の記事を福山さんに用意していただき、会場でも入手できました。国内各地の平和をめぐる様々なテーマのレポートに、共同研究者の方々に、多角的な見地から的確な意見や示唆をいただき大変勉強になりました。
 平和教育の原点は人権教育だと確信を持っています。子どもたちが自らを肯定し自尊感情を高めていくことが、他者への、そして遠く離れた地域や、時代を遡った人々(戦争体験者等)への共感を起こし、追体験をも可能にします。平和運動と平和教育は自分の生き方を見つめ直す側面も持っています。何かを批判するだけでは、前進はありません。
 もちろん、憤りや悲しみから批判や抗議を行うことも重要な市民権であり運動ですが、それらを繰り返す中でも常に、自己の中の生活観や差別と偏見の意識を問いただす視点は忘れずに持ち続けなければならないと思っています。

「教え子を再び戦場に送るな」を忘れずに
 今回の集会のレポートにも、同和教育的な観点からの授業実践や表現教育を取り入れた実践、教師からいくつもの手法を提示された子どもたちが自分たちで考え行動し、世代を超えた仲間づくりのための実践など、活気あるレポートが印象に残りました。
 平和とは何かといった構造論、発達段階にあわせて小中高へと継続していくカリキュラムなど、多くの課題が討議され、それらは参加者一同の「宿題」となってそれぞれの地域へ持ち帰ることとなりました。
 どの分科会においても社会的な格差が与える教育現場の諸問題の実態は共通していたと思います。私たちは、どのような社会に生きようとも「希望の持てる未来」を示せる教育を子どもたちに残していきたいと考え、そして願っています。それこそが「教え子を再び戦場に送るな」から始まった戦後教育の目標だと思います。
 そのヒントとなる教材をこの平和教育分科会から今後も発信していきたいと、集会をすべて終えたいま、強く思っています。

戦争も基地もいらない
WORLD PEACE NOW 3.20

 来る3月20日でイラク戦争開始以来7年になります。この間、米軍等の多国籍軍に占領されたイラクでは数十万人とも百万人とも言われる市民が殺され、国内外の難民・避難民も数百万人に達しています。当初米国がイラク侵攻を正当化するために掲げていた「サダム・フセイン政権とテロ組織との関係」や「大量破壊兵器の存在」がウソだったことが明らかになりましたが、イラクの「民主化」の名のもとにいまだ戦争・占領は続いています。
 「テロとの戦い」を掲げたブッシュ政権に代わってオバマ大統領が誕生し、イラクからの撤退を明言しましたが、米兵や軍事物資の空輸など戦争協力を行った日本の自衛隊など多くの国が撤退する中、米軍は今も撤退することなく占領を続けているというのが現状です。
 私たちは、イラク、アフガニスタン、パレスチナをはじめ、世界中のあらゆる戦争をなくすため、そして沖縄から基地をなくすため、「武力で平和はつくれない」という声をあげたいと思います。ぜひご参加ください(呼びかけ文より)。
◎日時:3月20日(土)13:00~ パレード出発15:00~
◎会場:東京・芝公園4号地
◎発言:「イラク戦争を検証する」志葉玲 (ジャーナリスト)/「パレスチナ問題」大河内秀人(パレスチナ子どものキャンペーン)/「アフガニスタンの現状」谷山博史(JVC)/「沖縄・普天間基地問題」安次富浩(名護・ヘリ基地反対協)

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