2010年、ニュースペーパー

2010年04月01日

ニュースペーパー2010年4月号


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3月6日から9日、九州ブロック原水禁の19名がグアムを訪れました。沖縄海兵隊の移転先となるグアムでの視察と住民交流が目的です。いまグアムでは、基地拡張のための土地収用が進んでいます。写真は東海岸のマンギラオ。ここは射撃訓練場の予定地で、約200世帯が立ち退きを迫られています。「先祖から受け継いだ土地は渡せない、米軍が来れば闘う」とグアムの先住民・チャモロ族のデニーさん(写真・左)は語りました。

【インタビュー・シリーズ その44】
助け合いながら労働者の自立と平和をめざそう
新産別運転者労働組合 書記長 太田 武二さんに聞く

【プロフィール】
1949年沖縄県宮古島生まれ。那覇市へ移住後、米軍による土地取り上げや重大事件・事故の多発によって沖縄が混乱状態に陥ったことで55年、東京の叔父宅へ避難して以来、首都圏で生活。67年、沖縄に帰省した際に直面した米軍支配下の差別の現実に、沖縄の自立解放をめざすようになる。

 現業公務員を経て80年、新産別運転者労働組合(新運転)東京地方本部に加入し、運転手として働きながら活動を展開。2001年新運転書記長に就任。また音楽グループ「The 琉球ネシアンズ」を結成し、各地の平和集会などで演奏活動を行っている。

──新産別運転者労働組合(新運転)は労働者供給事業(労供事業)に取り組む珍しい労働組合ですね。
 運転手を中心としたクラフト・ユニオン(職能別組合)であり、日本の労働運動の中ではごく少数派の独立組合です。
 一般的な日本の労働者は、アルバイトであれ、正社員であれ、まず会社に就職することになります。その上で、労働組合に組織されるわけです。労働組合の行う労供事業の場合、個人がまず労働組合に加入します。そして労働組合が言わば「集団的労使関係」で、いろんな会社と相対的に高い労働条件、きちんとした労働時間管理、そしてもちろん労災や社会保障もついた労使契約を結びます。そこに、あくまで組合員として働きに行きます。
 タクシー運転手などの例外もありますが、原則は日々雇用、日雇い労働の形態になっています。これは「ギルド」(中世から近世の西欧に成立した職能別組合)を出発点とした欧米型のユニオンに近い形です。権力や企業、そして政党から独立した労働組合の組合員として、お互いに助け合いながら仕事をつくっていくのです。

──新運転労組の特徴を教えてください。また、現在の組織状況はどうですか。
 国籍、経歴、年齢、性別も問いません。新規加入者でも、20年来のベテランと同じ仕事をしたのであれば同じ賃金です。まさに、「同一価値労働・同一賃金」なのです。また、仕事の少ないときは日雇い雇用保険(日雇労働求職者給付金)の受給資格を持った人が休んで、他の人に仕事を分けるワークシェアリングなども、50年以上ずっと続けている労働組合です。
 それから、例えば私が集会に参加するときや沖縄に帰るときは、会社に言うのではなく、組合の支部長に報告するのです。そうると支部長が代わりに違う人を派遣します。労働の主体が会社にあるのではなく、組合と組合員が自主的に仕事を選択することができる。「ワークライフバランス」(仕事と生活の調和)の実現です。つまり日雇い労働であっても、労働者が自らを組織すると、きちんとした労働条件の下で働けるということです。
 ただ、バブルが崩壊した後、仕事が減ってきます。するとやっぱり辞める組合員も出てきます。仕事がなくなってくると、新しい組合員もなかなか入れられません。多いときは約4,000人の組合員がいましたが、94年ごろには2,000人弱まで減ったことがありました。しかし今は、また組合員が増えている状況です。

──取り組まれている課題は多いと思いますが、特に力を入れていることを教えてください。


「The 琉球ネシアンズ」を率いて三線を片手に歌を歌う

 例えば、清掃関係の公務員は欠員を補充せずに、仕事がだんだん民間に委託されるようになっています。そういった公務労働を民間の会社が安く請け負って、その会社が儲けることを第一の目的として労働者を働かせて、収奪することがあります。そうではなくて、NPO法人や協同組合といった形もありますけが、私たちのような労働組合と直接労供契約を結んで、ちゃんとした労働条件でやりなさいという活動です。そうすれば、現在の厳しい経済状況の中であっても、それほどコストをかけることなく、きちんとした生活ができる労働条件をつくることができるわけです。
 今や非正規労働者が全労働者の3分の1以上となり、ましてや安定しているとされる公務員でも低賃金労働者がいる「官製ワーキングプア」と言われている状況の中で、公務労働の非正規労働者を組織していくためには、この労供事業を行う労働組合というのは、うってつけです。労働組合の行う労供事業については、通常の派遣労働と違って、禁止された職種がないのです。年数制限もありません。そういったことを公務員を中心とする組合である自治労などとも協力して、正規と非正規の均等待遇も含め、現場でどう公正な公務労働を行っていくのか、制度問題としての解決が課題ではないでしょうか。
 新運転では今、清掃事業関係を中心に組合員が増えています。また、非正規労働者の組織率の低い沖縄でも、連合沖縄などに働きかけて、沖縄地本をつくっているところです。

──ご自身が沖縄出身ということで、沖縄に関する運動や平和運動に積極的に取り組まれていますね。
 2000年からJR駒込駅(東京・豊島区)そばに「琉球センター・どぅたっち」を開き、沖縄物産の販売、ライブコンサート、琉球料理会、カンカラ三線教室、ビデオ上映会などを開催しています。不景気で物が売れなくなって、経営はなかなか厳しいのですが、沖縄や全国からのカンパで開いた所ですし、多くの人に開かれた運動の拠点としても根付いていますので、がんばって営業しています。
 また、95年の米兵による少女暴行事件をきっかけに「命どぅ宝ネットワーク」の運動を展開し、沖縄を非核・非武装の「琉球ネシア連邦」とすることをめざしています。アジア・太平洋に戦争を持ち込ませないために、沖縄を非武装の緩衝地域にして、そこに東アジアの代表が集まる人権機関などをつくり、東アジア共同体構築に向けて、沖縄を経済的・文化的・人的交流の拠点にする。そういうものとして「琉球ネシア連邦」を構想しています。
 それぞれが持っている伝統的な文化や生活のあり方を大切にしながら、それに見合った平和に向けた戦略をつくっていけば、東アジア共同体は実現できると思います。歴史的にはいろいろあっても、特に沖縄では、国際的に交流しながら平和的にやってきた歴史を持っています。

──平和フォーラムにひとことお願いします。
 新運転は、もともと全国産業別労働組合連合(新産別)加盟の組合として、平和運動にも積極的に関わってきました。今年は日米安保50年、韓国併合100年の節目の年です。そして、この5年が勝負です。「普天間基地はいらない 辺野古・新基地建設を許さない1.30全国集会」もそうでしたが、沖縄だけではなく全国からの声として基地撤去の世論を形成していかなくてはなりません。5月の平和行進に向けてますます運動を盛り上げていきましょう。
 今までの労働組合の枠組みだと、60~65歳になり退職すると、そのまま平和運動などからも引退してしまう状況があります。しかし、こういう時期だからこそ、年金生活に入った人たちが、もう一度運動の前線に出て来てほしいと思います。沖縄では、年金生活の人たちが、辺野古の座り込みなどをはじめとして、闘争の現場に再び出てきています。平和フォーラムとしても、退職した人たちを組織していくような取り組みをしてほしいです。

〈インタビューを終えて〉
 戦後の混乱期の沖縄から逃れて東京で生活しながら、しかし、故郷沖縄を思う。反戦・反差別の闘士は、まず独立し自立した労働者でした。
 「新運転」という日本では珍しい組合のあり方も太田さんの姿にぴったりだと感じました。非核・非武装の「琉球ネシア連邦」。それはきっと古来からの沖縄のあり方。太田さんのDNAに流れる沖縄のアイデンティティーかもしれません。
(藤本 泰成)

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2010年度の平和フォーラム総会を前に
政権交代を踏まえ政策の転換を求めよう
フォーラム平和・人権・環境 事務局長 藤本 泰成

政権交代に期待されるもの
 日本の財政が危機にひんしています。国と地方の借金は2010年度末で949兆円(推定)、国内総生産(GDP)の約1.97倍になります。この数字は英国や米国の倍以上で、先進国の中では際立って大きく、「財政破綻目前」という見方も出始めています。
 09年の政権交代は、自・公連立政権が進めてきた新自由主義経済の下、疲弊する地方社会や「年越し派遣村」などに象徴される格差の拡大などへの国民の不満が、「生活が一番」を標榜する民主党への大きな支持につながり、成し遂げられたものです。その意味で、国民の期待は、日本経済を活性化し財政を立て直し、将来に向けた安定した国民生活をつくり上げることなのです。

安保下での従属的な日米関係
 自民党政権は、長期間にわたって日米安保条約の下、中国や朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)などの社会主義国を仮想敵国として、米国の核や通常兵器の抑止力によって安全保障を確保する政策を継続してきました。また、そのような従属関係の中で、生産力が増大していくとともに、生活様式も米国の価値観に影響されるようになってきました。一方で、農村社会を基本にした日本の文化や価値観は、高度経済成長の波に飲み込まれる結果となりました。
 「戦後レジューム」からの脱却を唱え、「美しい国日本」と謳ったのは安倍晋三元首相ですが、実はその「戦後レジューム」が、日本国憲法と民主主義ではなく、安全保障条約の下での従属的な日米関係であり、それは彼の祖父である岸信介元首相が尽力したものなのです。また、「美しい国日本」とは農村社会を基盤にした里山と水田の風景とその文化でしたが、それを荒廃させてきたのは、自民党政権下での農業政策にあり、安倍元首相の主張は、自らの否定につながるものです。

米国の退潮と自民党
 世界は明らかに変貌しています。圧倒的な経済力と軍事力を持って、第2次大戦後の世界を牽引してきた米国社会は、単独行動主義と新自由主義の失敗、9.11同時テロ以降のイラク・アフガン戦争や、「リーマンショック」などを通じてその指導力を低下させています。
 長期間続いてきた自民党政権は、米国との従属的なパートナーシップを基本に政権運営を行ってきたもので、米国の権威の失墜と同時に政権を失いました。そのことは、日本経済の方向性を示すものとして重要です。

新しい勢力の台頭


「在日朝鮮人歴史・人権週間」全国集会(09年8月・名古屋市)

 BRICs(ブラジル・ロシア・インド・中国)などの新興工業国は、潜在的な力を発揮しつつあります。特に中国は、09年の名目国内総生産(GDP)が33兆5353億元(約450兆円)と、日本の約3分の1だった2000年に比べ、3倍以上に膨らんでいます。40年近く米国に次ぐ世界第2位の地位を保ってきた日本に迫っており、年内にも逆転劇が起きる可能性が高いというのが一般的な見方です。
 13億人の人口を抱える中国経済の内需の規模は想像を超えるものがあります。日本経済には、これまでの米国依存の状況から抜け出すことが重要であり、中国などアジア諸国を中心に、世界各国との新しい関係性の構築が求められます。

東アジアとの連帯を築くために
 平和フォーラムが提起する、東アジアとの連帯を築く取り組み、とりわけ歴史観の確立や戦後補償問題の解決は、アジア諸国との経済関係や友好関係の構築にとって欠かすことのできないものです。
 今年は韓国併合条約による植民地支配の開始から100年、日米新安保条約締結から50年の節目の年にあたります。鳩山由紀夫首相は「東アジア共同体」と「対等なパートナーシップによる日米関係の深化」をあげています。そのためには、アジア諸国との歴史的な明確な和解が必要となります。
 侵略戦争と植民地支配を真摯に反省した95年の村山首相談話以降も、多くの政治家による差別事象、従軍慰安婦問題を否定する発言や靖国神社への公式参拝、侵略戦争を美化する教科書の検定合格など、近隣アジア諸国に抗議を受ける場面を繰り返してきました。平和フォーラムは新政権に対し、1)歴史観のダブルスタンダードを許さない「鳩山首相談話」の実現、2)戦後補償問題の解決、3)戦争被害の実態調査や歴史認識の共有化、4)歪曲された歴史教科書の排除、5)北朝鮮との国交回復と懸案事項の解決を求めた取り組みを提起しています。

新しい時代の日米安全保障


六ヶ所再処理工場の近くに立つ風車
(09年4月・青森県六ヶ所村)

 また、新しい日米関係の第一歩として、普天間基地返還・辺野古新基地建設の撤回と差別的な日米地位協定の改定を勝ち取り、東西冷戦構造の下でつくられた日米関係を見直し「新しい時代の安全保障とは何か」の議論を始めなくてはなりません。
 防衛政策大綱の新政権下での見直し作業が進められています。ミサイル防衛(MD)システムなどの多額の財政支出をどう考えるのか、喫緊の課題です。これらのことが、「東アジア共同体」を構想していくためには欠かせないベースであることは間違いありません。

脱原発と再生可能なエネルギーへの転換
 エネルギー問題は世界経済の大きな課題となっており、原水禁が進めてきた脱原発社会の実現についても新たな段階を迎えています。EU諸国は風力や太陽光などの再生可能なエネルギーへの転換を図っています。オバマ米大統領も「グリーン・ニューディール」を掲げ、この分野での雇用の確保を進めることを打ち出しています。

経済にも大きな効果
 しかし、これまでの日本の原子力中心のエネルギー政策は、その分野への進出の大きな妨げになっています。地球温暖化対策として、新政権は2020年には90年度比で温室効果ガスの25%削減の方向性を打ち出し、3月に「地球温暖化対策基本法案」を閣議決定しました。しかし、原発推進が盛り込まれた方法論は、世界の潮流からは大きく遅れています。地震などで長期停止に至ったり、安全性確保のためには定期点検が欠かせない原発は、稼働率が悪く代替の火力発電での温室効果ガスの排出量増加につながりかねません。また、その原子力政策の将来像である核燃料サイクル計画の中心となっている「高速増殖炉もんじゅ」(福井県敦賀市)や「六ヶ所再処理工場」(青森県六ヶ所村)などは、膨大な財政支出を繰り返しながら計画そのものが破綻した状況に至っています。
 再生可能なエネルギーを中心に、脱原発、特に核燃料サイクル計画から脱却することは、その潜在的経済効果と財政負担の削減によって、日本経済に大きな効果を生むものと期待されます。平和フォーラム・原水禁は、脱原発・再生可能なエネルギー政策への転換を求めて、「エネルギー政策プロジェクト」を発足させ、政策提言を行っていくことにしています。

課題解決へ全力で
 新政権誕生は、多くの場面で私たちの課題解決への可能性を広げています。しかし、旧政権から引き継いだ社会状況は困難を極めています。平和フォーラムは、前述した二つの大きな課題をはじめ、憲法や人権課題、核兵器廃絶やヒバクシャ課題など山積した問題に対しゆるぎない取り組みを続けなくてはなりません。憲法理念の実現に向けて、総会に向けて真摯な議論を重ねていきましょう。

平和フォーラム総会・原水禁全国委員会
■日時:4月21日(水)
 ◎原水禁第85回全国委員会  13:00~
 ◎平和フォーラム第12回総会 15:00~
■場所:総評会館2階「大会議室」

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原子力政策の根本からの問い直しを
問題点が次々明らかになる放射線照射食品

 放射線照射食品は殺菌・殺虫・発芽阻止を目的として、電離放射線(コバルト60から出るガンマ線など)を当ててつくられます。日本では現在、一部のジャガイモの芽止めだけ認められていますが、食品衛生法で原則的に製造・流通・販売が禁止されています。しかし、06年10月に、内閣府原子力委員会が放射線照射食品の推進を検討するよう厚生労働省などに求めてきました。
 平和フォーラムや主婦連合会、日本消費者連盟、生協など、多くの消費者団体等で構成する「照射食品反対連絡会」は、こうした動きに対し、食品への放射線照射に反対する運動を続けてきました。この間、活動によって、問題点がさらに明らかになっています。

ずさんな調査報告をもとに検討を進める動き


照射食品に反対する署名を厚労省に提出
(09年12月10日・衆院内)

 08年4月に、厚生労働省は三菱総合研究所(三菱総研)に約3千万円を支払い、食品への放射線照射についての情報収集や食品業者・消費者等のニーズ調査などを委託しました。この調査報告をもとに、厚生労働省では審議に入ろうとしていました。
 ところが、09年5月に提出された報告書は、「照射の推進」を前提とした偏った内容であることが明らかになりました。例えば、放射線を照射すると、被曝した食品は成分が変わり、ビタミン類など栄養素は破壊され、新しい物質も生じます。中でも「シクロブタノン類」は、ガンを引き起こす作用(プロモータ活性)があるとの報告があります(仏パスツール大学、02年実験)。
 三菱総研の報告書では、この実験をもとに「シクロブタノン類自体は発がん物質ではない」と報告しています。しかし、パスツール大学の実験は、プロモータ活性があるかどうかを確認するものであって、発がん性はないというような結論を出せる実験ではありません。それを強引に「発がん性がない」とまとめたことは、恣意的と言えます。
 この他、世界各国の規制や運用状況の調査でも、ドイツでは照射食品の国内での販売が禁止されていることが記載されていないなど、古い内容も多くなっています。さらに、これまで国内での照射食品をめぐる事件や日本政府が行った調査報告すら収集していない、ずさんな内容です。
 照射食品反対連絡会はこうした問題点を指摘し、厚生労働省はこれを認め、三菱総研に調査のやり直しを指示しました。しかし、いまだに三菱総研から再報告が出ないままとなっています。

オーストラリアでペットフードへの照射が問題に
 最近になり、オーストラリアで昨年6月、照射されたペットフードを食べた猫に神経障害が起きている可能性が高いとして、政府が照射キャットフードを猫に与えないよう警告していたことが明らかになりました。
 豪州では殺菌目的で、輸入ペットフードへの照射を義務付けてきました。しかし一昨年、カナダからの輸入ペットフードを食べた約90匹の猫が体調を崩し、うち30匹が死んだと報告されています。カナダの会社は、他国ではそうした事例がないことから、豪州だけで実施されている照射処理によるものだと主張しています。
 この事件は、放射線そのものによるのか、その際の加熱が原因か定かではありませんが、いずれにしても照射によってペットフードの原材料に何らかの変質を引き起こしたものと考えられます。これによって、豪州では放射線照射したキャットフードは事実上、禁止されています。
 このような危険性をもった不確定な技術である照射食品を認めないよう、「照射食品反対連絡会」では昨年12月に約20万筆の署名を提出するなど、活動を続けています。この問題の根源は、05年に出された「原子力政策大綱」の中の「放射線利用」にあります。原発、核燃料サイクルを推し進める「大綱」そのものの問い直しと合わせて、取り組みを強めていく必要があると言えます。

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「核燃料サイクル」なんかいらない
原子力資料情報室 共同代表 西尾 漠

動き出したプルサーマル
 玄海原発3号機で2009年11月、伊方原発3号機で10年3月から、プルサーマルが動き出しました。しかしそれは、核燃料サイクル政策の前進ではなく、むしろ後退の象徴であると言えます。本来、核燃料サイクルとは、高速増殖炉サイクルのことで、プルトニウムを増殖させることによって「1000年エネルギー」を保証しようというものでした。ところが、その開発は頓挫しており、プルトニウムの増殖どころか、プルトニウムを消費することのみが目的化して、プルサーマルが推進されているのです。
 高速増殖炉は、燃料として消費される以上のプルトニウムを生み出す「魔法のかまど」として知られています。天然のウランには核分裂しやすいウラン235が0.7%しか含まれておらず、残りの99.3%は核分裂しにくいウラン238なのです。このウラン238が、原子炉の中で中性子を吸収してプルトニウムに変わります。普通の原発よりも効率よくプルトニウムに変えられるのが、高速増殖炉です。
 しかし、効率がよいと言っても、生まれるプルトニウムはわずかなもので、当面は燃料として必要になるプルトニウムのほうがずっと多いのです。言い換えると、高速増殖炉の開発が進まなければ、燃料に使われるはずだったプルトニウムが余ることになります。
 しかも、プルトニウムは核兵器の材料でもありますから、使えるときまでと言って貯め込んでおくと、諸外国から、核兵器をつくる意図があるのではと疑いをかけられかねません。余らせておけないので、普通の原発の燃料として消費するしかないというのが、プルサーマルなのです。

「もんじゅ」の運転再開


プルサーマルに反対する集会でデモ行進(08年10月・北海道)

 「いや、高速増殖炉の開発も、原型炉『もんじゅ』の運転が再開され、進展しそうではないか」と思われるかもしれません。しかし、仮に「もんじゅ」の運転が再開されたところで、高速増殖炉の開発は、まったく進むものではありません。
 福井県敦賀市にある日本原子力研究開発機構が所有する「もんじゅ」は、95年12月8日にナトリウムが漏れて火災となる事故を起こして以来、14年余りにわたって試運転が中断されています。とっくの昔に時代遅れとなった炉なのです。現在、構想されている実用炉とは似ても似つかない設計となっています。
 運転を再開しても実用化には貢献せず「原型炉」の用をなさないが、再開しないと開発に失敗したことになります。ともかく一度は動かしてからでないと、無理にでも「成功した」と宣言して終わらせることができません。たとえ、今まで以上に無駄な経費をかけ、炉を放射能で汚しても、再開すること自体が目的となっているのです。「もんじゅ」が動こうと動くまいと、2050年頃とされている実用化は、もう5年も経てばさらに延期されることでしょう。

現実を踏まえた政策転換を
 プルトニウムが余っている現状からはありがたいことに、青森県六ヶ所村に日本原燃が建設した再処理工場は運転に入れず、プルトニウムの生産は止まっています。10月に竣工できるとは、冗談にしか聞こえません。再処理工場では原発の使用済み燃料を切り刻んで濃硝酸に溶かし、燃え残りのウランとプルトニウム、燃えかすの高レベル放射性廃棄物を分離します。高レベル放射性廃棄物の硝酸溶液をガラスと一緒にステンレスの容器に固めこむ固化工程で失敗しました。さらに、補修をしようとするとそれにも失敗。硝酸溶液の漏れまで起こすというお粗末さで、2基ある固化設備の試験合格は、およそ不可能です。
 無用の悪あがきはやめて、計画を放棄するのが誰にとっても望ましいことです。日本原燃にとっても青森県にとっても、今ならまだ被害を最小限にとどめることができます。もちろんそれは、高速増殖炉開発やプルサーマル計画についても言えることです。
 こうした核燃料サイクル失敗の現実を踏まえ、政策の転換が求められます。2010年は、原子力委員会が「原子力政策大綱」を定めてから5年目にあたります。小手先の「改定」ではなく、全面的な見直しが急務です。

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忘れられた被爆者に光を
全国被爆体験者協議会 相談役 平野 伸人

原爆被爆の実相と援護から外された被爆者
 1945年8月6日広島、9日長崎に投下された原子爆弾は戦闘員、非戦闘員の区別なく殺りくする絶滅兵器とも言えるものでした。その恐怖は、強烈な熱風と猛烈な爆風、そして、原爆放射線による殺傷という3点にあります。原子爆弾の爆心点の温度は摂氏100万℃と言われていますが、地上でも爆心地周辺は3,000~4,000℃もありました。さらには、爆風によって建造物ばかりか人々の体も、内臓が破壊され眼球は飛び出し、皮膚は焼けただれた状態となりました。そして、原爆被害の最も特徴的なものが放射線による殺傷とその後障害の問題です。直接被爆した人ばかりか、投下後に広島、長崎に入った人々でも無傷なのに死亡する人が相次ぎました。また、放射線の影響は長く様々な障害を起こし今も続いているのです。
 高齢化している被爆者の問題の残された課題は4点あります。1)原爆症に苦しむ被爆者に厳しい原爆症認定基準の見直し問題 2)外国に居住していたために差別されてきた在外被爆者問題 3)被爆者と同じように援護を求めている被爆二、三世の問題 4)行政区域で決められた被爆地の是正問題です。
 残された課題の解決のために、多くの被爆者裁判(原爆症の認定基準の見直し・在外被爆者問題・被爆地の是正)が起こされています。原爆被害の最大の特徴は、人類史上例を見ない残虐な死とともに、生き残った被爆者もガンをはじめとする様々な放射線後障害に苦しめられるということにあります。しかし、国はこれまで原爆被爆の被害を過小評価し、「これ以上被爆者を増やさず、被爆者が死に絶えるのを待つ」ことに腐心してきました。このため、被爆者なのに援護法による救済から除外される「被爆者」が存在するようになったのです。これが「被爆体験者」と言われる「被爆者援護法の対象から外された被爆者」たちの問題です。

「被爆地」はどのように決められたのか


「被爆体験者」訴訟に支援を(08年11月・長崎地裁前)

 長崎の被爆地域は原爆投下時の旧長崎市を基本に南北12㎞までが「被爆地」とされました。しかし、距離よりも旧行政区域内であることが優先されたために、12㎞以内の人でも「被爆者」とは認められない人々がいるまま現在に至っています。当然、このような被爆地の決め方はおかしく、是正するべきだという運動が起きました。その結果、74年に時津町や長与町が、76年に現川、田上、柿泊などが、健康診断特例地域に指定され、事実上の「被爆地」となりました。しかし、旧西彼杵郡の香焼、深堀、茂木、日見、矢上、喜々津、古賀、伊木力、三重、式見などは12㎞圏内であるにもかかわらず、被爆地とは認められませんでした。これらの地域では、放射性降下物(いわゆる黒い雨)が降り注いでいます。それゆえに、地域全体が放射線に汚染された地域で、急性放射線障害はもとより、放射線後障害による健康被害は深刻なものがあります。

被爆体験者訴訟と30万人署名活動に支援・協力を
 被爆地の見直しを求める運動が強まると、国(厚生労働省)はこれらの地域で被爆したと見られる人々を03年に「健康診断特例地域」にいる「被爆体験者」としました。これによって、原爆の放射線の影響は認められないが「被爆体験」による精神的要因に基づくPTSD(心の傷が元になるストレス疾患)だけが認められるようになりました。これは被爆体験者に原爆放射線の影響を認めず、被爆者援護法での援護を阻むものでした。そして今も様々な制約を設けて、被爆体験者を被爆者と認めない差別政策を続けてきています。被爆地域と認められない地域の人々は様々な健康被害を被っているのです。原爆の放射線は旧長崎市という行政区域内だけに影響するものではありません。
 このような理不尽な国の方針に対して、被爆体験者たちは12Km圏内で被爆した全ての人を「被爆者」と認めるよう要求して、07年11月15日、長崎地裁に裁判を起こしました。原告は395人になり、提訴以来16回の口頭弁論が開かれています。被爆者に冷たい国の対応に負けず、この裁判を進めていかなければなりません。被爆体験者訴訟原告団は、多くの支援に支えられて裁判闘争を進めています。そして、4月から全国30万人署名を提起して、その前進を図ろうと取り組み中です。皆さんのご協力をお願いします。

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NPT再検討会議での連帯を考える
核抑止論の呪縛から脱却を

 3月1日に発表予定だったオバマ政権の「核態勢の見直し」(NPR)は再び延期となりました。ニューヨーク・タイムズなどの報道によると、1)核兵器の大幅な削減を盛り込む、2)「信頼性のある代替核弾頭」(RRW)入れ替えや、地中貫通核爆弾の開発は行わない、3)核兵器先制不使用は盛り込まない、4)一方で、ミサイル防衛システムを一層開発・改良する──などが中心となると考えられます。そして先月号で取り上げたように、老朽化した核弾頭に代わる代替核弾頭の開発、さらに化学兵器や毒ガスなど核兵器以外の大量破壊兵器を持つ国に対して「核攻撃を行わない」との表現を盛り込むかどうかが論議されているとのことです。いずれ、正式発表後に本誌で紹介しますが、オバマ米大統領による、2009年のプラハ演説からはかなり後退したものになりそうです。

「4年ごとの国防見直し」(QDR)をどう読むか
 2月1日、フロイノ政策担当国防次官が「4年ごとの国防見直し」(QDR)と、「弾道ミサイル防衛見直し」(BMDR)について発表しました。本来ならこの日にNPR、さらに「宇宙態勢見直し」(SPR)も発表される予定でしたが、間に合わなかったのです。
 QDRには、ゲーツ米国防長官の強い意向が反映されています。ゲーツ長官が米国の国防政策をどう変革しようとしているのかは、米国の外交専門誌であるフォーリン・アフェアーズ日本語版09年1月号の「『複雑な紛争』に即した戦略を──伝統的戦力と新しい戦力バランスを」と題した論文で読むことができます。
 QDRは、米軍の今後20年の基本指針であるとしているため、NPRやSPRが発表され、全体的な見直しが明らかになった時点で改めて考えたいと考えます。少し触れるならば、アフガニスタン(アフガン)やイラクでの「今日の戦争」に勝利することを最優先課題とした上で、紛争の予防・抑止、緊急事態への備え、志願兵体制の維持・強化が必要、としています。つまり、イラクが米国の望む方向で安定し、アフガンでタリバンに勝利することが前提となります。ゲーツ論文もイラクとアフガンでの試みに失敗すれば、世界の米国に対する信頼は大きく失墜すると、強い危機感を表明しています。
 しかし、イランの安定はもとより、アフガンでの勝利もおぼつかないという現実があり、財政的にも厳しい中で、米国の軍事力を維持しようとするなら、東アジアでは日本、韓国の協力が必然となります。QDRとともに発表されたBMDRでは、北朝鮮やイランの脅威を強調し、柔軟な対応を強調する一方で、日本のミサイル防衛の展開は日米協力の成果だとして賞賛しています。3月13日の朝日新聞は、米国が韓国にミサイル防衛を打診し、日韓米によるミサイル防衛の共同運用が検討されている、と報じましたが、これは朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の非核化よりも、米の東アジアにおける軍事的優位を優先させる構想と言えます。

必要なのは核抑止論からの脱却
 まもなく発表されるNPRはどのような内容になるのでしょうか? 「核先制不使用」を宣言しないとするなら結局、オバマ政権も核抑止をベースとした軍事戦略で世界に向き合うということです。
 2月1日にQDRが発表されたとき、日本のマスコミの多くは米国が中国に強い警戒感を持っていると書き立てました(実際はゲーツ長官が配慮し、中国脅威論は原案より大きく後退したのですが)。日本のマスメディアの大半は、核兵器廃絶に賛成しながら、日本に対する米国の「核の傘」を肯定しています。北朝鮮の脅威を書き立てるばかりで、被爆国日本として、積極的に核抑止論を否定する論調は見当たりません。
 現在、米軍の艦船は削減傾向にある一方、中国海軍は近代化、増強を急速に進めています。日本周辺で米海軍力が減少し、中国海軍力の増大する状況は脅威と映るかもしれません。しかし、QDRで中国の脅威の部分を大きく削減したことからも、米国は中国の軍事力をさし迫った脅威とは感じていないのです。日本だけがうろたえ、米の核抑止力に頼るという思考は、新しいアジア太平洋のあり方を冷静に見ていないと言えます。
 5月から始まる核拡散防止条約(NPT)再検討会議は、核抑止の立場を堅持したい核保有国を交えての会議です。世界が核抑止論を肯定する限り、偶発的な核戦争の危険や、新たな核保有をめざす国が現れる危険はなくならないでしょう。
 私たちは、改めて日本政府に核廃絶への積極的な取り組みを求め、非核のアジア太平洋を実現する具体的な構想・提案を求めなければなりません。NPT再検討会議に参加する世界の人々との連帯は、自国に核抑止論を拒否させる運動の共同作業であり、オバマ大統領のプラハ演説で抱いた希望を幻想に終わらせない、私たち自らの行動を確認する作業でもあります。

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【本の紹介】
農山村再生
─「限界集落」問題を超えて
小田切 徳美 著


岩波ブックレット 09年刊

 政権交代の中、食料や農業政策も大きな転換期にあります。新政権は、食料自給率を50%に引き上げることや、農家への戸別所得補償制度の創設などを掲げています。それは、農山村問題とも直結する課題なのですが、それについてはあまり関心が広がっていません。
 いま農山村は恐るべきスピードで空洞化が進んでいます。著者の小田切徳美さん(明治大教授)は、高度経済成長期以降の過疎化による「人の空洞化」、農林地の耕作放棄・荒廃による「土地の空洞化」、集落機能の後退による「むらの空洞化」の三つの空洞化が広がり、それは農山村に住む人々の「誇りの空洞化」になっていると指摘しています。その現象は中山間地域から徐々に地方中小都市へと拡大し、「東京一極滞留」を招いています。近年の農家所得の大幅な減少や「平成大合併」と言われる市町村合併が、さらに拍車をかけてきました。
 そうした中にあって、農山村では新しいコミュニティの構築が模索されています。小田切さんはそれを「手作り自治区」と称し、行政単位の自治体・町内会等とは別に、住民が必要とするサービスを自ら作り出す動きを追っています。採算が合わないために業者が撤退した後の、共同売店やガソリン・スタンド、居酒屋、福祉サービス、生活交通などの経済活動を伴うNPO法人が各地に生まれています。本書ではその代表的な事例を紹介しながら、「住民が当事者意識を持って、地域の仲間とともに手作りで自らの未来を切り開くという積極的な展開」が「農山村再生」へのカギとしています。
 そのためには、都市と農山村が対立ではなく、共生が真に必要な局面にあります。私自身も新潟県の中山間地に生まれ育ち、いまやその田舎も消滅しようとしています。しかし、単にノスタルジーからではなく、食料やエネルギー、水、二酸化炭素吸収源などは農山村が供給している事実から、国内戦略地域としての農山村への転換を考えるときにあると言えるでしょう。
(市村 忠文)

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【映画評】
ONE SHOT ONE KILL
―兵士になるということ
(09年日本・藤本幸久監督)

 藤本幸久監督とは今年1月に、沖縄名護市辺野古の新基地建設に反対するテント村で偶然お話をする機会を得た。この作品は、辺野古新基地建設問題の渦中にある米海兵隊、そこに入隊する若者たちの姿を追ったドキュメンタリーである。
 映像は深夜の米海兵隊ブートキャンプ(新兵訓練所)から始まる。サウスカロライナ州パリスアイランドにあるブートキャンプ入口に、まだ私服の若者たちが並んだ。どこにでもいそうなこの若者たちが「つま先から頭の先まで肉体のすべてが兵器」(指導教官の話)に改造されることになる。
 家族への電話は「ありがとう、さようなら」と決められた会話以外できない。髪をそられ、制服が支給され、ライフルが手渡される。海兵隊の目標と決まりを暗唱させられる。決められたことは全力でこなし、それ以外は何もできない。兵士となる第一歩なのだろう。
 入隊の動機がインタビューされている。「自分を鍛えるため」「自分のキャリアを高めたい」「地球のあちこちを見たい」「語学を学びたい」「自分の限界に挑戦したい」……ごく普通に自分の未来と向き合う若者が、極端な非日常の世界、それも人間との戦闘で勝ち抜くことが使命の海兵隊になぜ入隊したのだろうか? 彼らの言葉の中からは戦争とか平和といった言葉は出てこない。
 ブートキャンプの新兵訓練は最後の野外演習まで12週間続く。入隊する新兵の大半が卒業し、さらに訓練を受け、早ければ半年ぐらいで戦場に送り出される。1年間に2万人の海兵隊員が誕生するそうだ。人を殺せる海兵隊が毎年2万人つくられていることになる。
 ところでアメリカ社会では、戦闘で命を失う若者とともに、心の病で自ら命を絶つ若者、復員しても社会復帰できない元兵士が社会問題化している。いくら訓練しても、人間は「兵器」ではないことの証なのかもしれない。
 許された取材の中であっても、ブートキャンプの訓練と兵士の声をたんたんと綴るドキュメントに、寡黙な藤本監督の叫びが聞こえるようだ。
(藤岡 一昭)

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投稿コーナー
ストップ! アジアへの原発輸出
ノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパン
事務局 佐藤 大介

積み重ねられてきた日本発の運動
 鳩山由紀夫首相は2月27日、ベトナムの原発2期工事(2基)を日本企業に受注させるためズン首相に親書を送る意向を表明しました。首相自らトップセールスで売り込みをかけると言います。これは、自民党政権以上の原発推進ではありませんか。
 昨年末、韓国のイ・ミョンバク大統領が、アラブ首長国連邦(UAE)の原発を受注し、またロシアではプーチン首相が、ベトナムの原発の1期工事(2基)の受注をほぼ確定させたのを受けて、先を越された形の日本の原子力産業が強く働きかけたのです。彼らは、チェルノブイリ事故以降、国内でほとんど売れなくなった原発をアジアに売るために画策を続けてきました。それに反対して、私たちは運動を続けています。
 日本では、毎年「アジア地域原子力協力国際会議」(現・アジア原子力協力フォーラム)を開催しています。また、多数の研修生を受け入れるなどの技術協力を行い、韓国、台湾とは毎年協力会議を開催し、東南アジアにも毎年、官民から大規模なミッションを派遣してきました。そこで私たちは対抗して1993年に日本で「核も原発もないアジアをめざす」、ノーニュークス・アジアフォーラムを開催。アジア各国からの参加者は30名、全国の原発現地など28ヵ所で集会を行いました。それ以降毎年のように、各国持ち回りで開催されてきたフォーラムには、8~10の国や地域から参加者が集まり、情報の交換、経験の交流、共同の行動を積み重ねてきました。「アジアへ反原発運動が輸出されている」と推進派に言われるほどです。

アジア各国へと及ぶ原発建設計画と反対運動


台湾第四原発1号機原子炉搬出抗議行動
(03年・広島県呉港)

 インドネシアでは90年代、初の原発建設計画となるムリヤ原発(ジャワ島中部)の計画が浮上しました。日本の関西電力の子会社が事前調査(91~96年)を行い、三菱重工業が輸出する可能性が高いと言われていたので、日本では93年から97年にかけて「ストップ原発輸出キャンペーン」として原発輸出反対運動を行いました。インドネシアから原発に反対する人々を毎年招へいして、署名運動を展開、政府や国会に対して働きかけ、また、インドネシアをたびたび訪れ、原発の危険性などさまざまな情報を伝えて歩きました。
 96年の第4回はそのインドネシアで開催され、インドネシア各島の人々が初めて一堂に会して、反原発全国ネットワークが誕生しました。同国では、97年に原子力法が制定されてしまいましたが、原発建設は延期となり、98年にスハルト軍事独裁政権が崩壊したのを機に、原発計画も立ち消えとなりました。その後、07年に復活したものの、現地の住民たちによる、大規模な抗議行動の展開によってストップされました。
 台湾では90年代民主化運動が盛り上がり、第四原発建設問題が最大の政治課題となっていました。そして、毎年1万人規模の原発反対デモ(95年には3万人が参加)が行われました。現地・貢寮(コンリャオ)郷での94年の住民投票では96%が原発建設に反対しました。しかし、96年に第四原発の入札が行われてしまい、ゼネラル・エレクトリック(GE)社(米国)が落札。日立と東芝が原子炉を製造することになりました。

 以来、日本と台湾の間で、実に多くの人々が行き来しました。日本からの初の本格的原発輸出に対し、署名運動、不買運動、集会、国会での質問、株主総会参加、政府との交渉など、様々な反対運動を展開しましたが、及びませんでした。03年に日立の1号機原子炉が、04年に東芝の2号機原子炉が輸出されてしまいました。建設工事は大幅に遅れ、12年完成予定と言われています。日本からは、「地震と原発の危険性」を訴え続けています。第四原発は柏崎・刈羽原発6・7号機と同じ沸騰水型原子炉(ABWR)です。
 フィリピンでは昨年、マルコス独裁政権時代に建設されたものの、運転開始前に稼動を凍結させたバタアン原発を復活させる動きに対し、現地を中心とした多くの人々が立ち上がり、これを止めました。タイでも、原発建設計画に対して90年代から粘り強く運動が続けられています。今後も、地球温暖化を口実にアジア各国で原発建設計画が進められようとしており、原子力産業は原発売り込み合戦を繰り広げるでしょう。
 誰も、放射能の被害者にも加害者にもなりたくはありません。原発輸出を食い止めましょう。

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『5.15沖縄平和行進』の日程決まる
普天間包囲で基地返還・新基地建設阻止を

 毎年、沖縄平和運動センターは、5月15日の沖縄返還の日を中心に平和行進を行っています。政府は5月までに沖縄・普天間基地の返還について、結論を出すとしており、普天間基地の閉鎖・返還と県内での新基地建設を断念させるために、今年の平和行進はより重要な位置を占めることになります。
 平和行進の日程などは次の通り予定され、全国からの参加を呼び掛けています(日程等は一部変更されることもありますので、ご注意ください)。

◎5月13日 14:30~15:30 全国結団式(県立武道館)

◎5月14~15日 平和行進
 東コース 辺野古(名護市)出発
 西コース 読谷村出発
 南コース 平和記念公園(糸満市)出発
※全コースとも宜野湾市海浜公園屋外劇場に到着

◎5月15日 15:30~17:00 「5・15平和とくらしを守る県民大会」(宜野湾市海浜公園屋外劇場)

◎5月16日 14:00~15:00
 米海兵隊普天間基地包囲行動(約13km)

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