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ニュースペーパー2010年7月号

2010年7月 1日

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 6月19日、アジア太平洋経済協力会議(APEC)エネルギー担当大臣会合が、福井市内で開かれました。会議のまとめとしての「福井宣言」では、エネルギー源の多様化と二酸化炭素(CO2)の排出削減に向けて、省エネの推進や再生可能エネルギーの導入促進をうたいつつも、「新規の原発建設の促進」を明記しました。このような動きに対抗して、原水禁、原子力資料情報室、原発反対福井県民会議の3者によって「6・19対APEC市民エネルギーシンポジウム」を開催し、地球温暖化対策に原子力発電は役に立たないことを訴えました。シンポジウムに先立ち、厳戒態勢が敷かれる市内で抗議のデモを行いました。

【インタビュー・シリーズ その47】
人がつくった差別は人の力で無くすことができる
部落解放同盟中央執行委員長 組坂 繁之さんに聞く

【プロフィール】
1944年福岡県生まれ。大学卒業後、福岡に戻り、部落解放運動にまい進。70年に小郡市連協青年部長となり、その後、筑後地協、福岡県連合会の役員を務める。90年より部落解放同盟中央執行委員、書記長を歴任して、98年から中央執行委員長に就任。無類の読書家として知られ、「学生時代はロマン・ローランやゲーテなど叙情的なものが好きだったが、運動に入ってからは、ドストエフスキーや武田泰淳、井上光晴など、心の深いところの悲しみを描いた作品に惹かれるようになった」。最近はゆっくり読む時間もなく、福岡と東京を行き来する多忙な日々が続く。事務所には尊敬する上杉佐一郎元委員長の写真を飾る。

──部落解放運動に関わる経緯を教えてください。
 私は、福岡の小郡市の被差別部落で育ちましたが、戦後の平和憲法や民主教育のおかげで、子どもの頃はあまり差別を感じませんでした。母親が子どもの頃はかなり激しい差別や迫害があったということですが、そうした露骨な差別はありませんでした。しかし、私たちの住んでいる地区の公文書の地名が実際と違うなど、何となく変な雰囲気を感じてきました。中学に入り、大人たちの冷たい視線を感じて初めて部落問題を考えるようになりました。高校のときにつきあっていたガールフレンドの友だちが「組坂は部落民だ」と告げ口をしたことを聞いて、その女友だちに厳しく問い質しました。彼女は最初、シラを切っていましたが、最後には泣いて土下座をして謝りました。そのときが部落差別というものを直接経験した初めてのときです。
 最初は、どうして部落差別があるかわからず、酒を飲んでは差別する者とケンカしたりしていましたが、同郷の上杉佐一郎元委員長(1996年死去)の影響などを受け勉強を始めてからは、これではいけないと悟りました。東京の大学を出て、実家に戻ったときに、部落の青年が結婚のことで相談に来ました。結局、それは破談になりましたが、結婚で差別を受ける人が多いことをしみじみと感じました。出身の高校に部落解放研究会ができたので行ってみると、みんな暗い顔をしているのです。そこで「差別がなぜ生まれたのかを考えよう。人がつくった差別は人の力でなくすことができるのだ」と訴えましたが、当時の私は力量不足であり、若い人にもっと展望を示す必要があると考えました。

──今は、部落差別も無くなってきたと言われますが。


狭山事件の再審を求める市民集会(5月12日・日比谷野音)
 69年から33年間あった「同和対策特別措置法」によって、6,000あると言われる被差別部落のうち、解放同盟が運動を進めてきたおよそ3,000部落について、確かに環境は良くなってきたと思います。また、高校進学率も奨学金制度で向上してきました。しかし、96年の地域改善対策協議会(地対協)の「意見具申」にあるように、教育や就職、そして結婚についての壁は厚いものがあります。特に結婚差別は根強く、私たちは、憲法24条の具体化のためにも、結婚式のときには「○○家」という言い方はやめようという運動をしています。また、人権侵害事件の相談が法務省の調べでも年間2万件以上あると言われ、そのうち直接的な部落差別事件が100件以上報告されています。私たちの調べでは、福岡だけでも200件もあるのです。  また、世界的な経済のグローバル化のもとで、あらゆる面で格差が進行しています。日本でも貧富や地域の格差拡大が起き、社会的不安がまん延しています。このような状況のもとで、人々の心はすさび、不安のはけ口を求め、「社会的弱者」に向けて様々な差別事件が起こっています。それも悪質・陰険・巧妙な差別になっているのです。電子版を含めた部落地名総監差別事件、行政書士などによる戸籍等大量不正取得事件、おびただしいインターネット差別書き込み、就職時の統一応募用紙違反も急増しています。最近では、マンション建設の際、調査会社が周辺の被差別部落の存在を調べていたことがわかり、政府や自治体に真相究明を求め、業者などへの糾弾闘争に取り組んでいます。

──こうした中で、力を入れている運動はなんですか。
 個々の差別問題はもちろんですが、すべての人の権利擁護につながる「人権の法制度」確立が大きな課題です。そのため、公権力はもとより、日常生活で起こる様々な人権侵害被害に対する救済制度に向けた「人権侵害救済法」の早期制定を求めています。昨年11月に93万筆以上の署名を提出しましたが、現在、まだ政府案もまとまっていない段階です。ぜひ、早期制定を勝ち取っていきたいと取り組んでいます。
 狭山事件(63年に埼玉県狭山市で発生した高校1年生の少女を被害者とする誘拐殺人事件)の石川一雄さんの第3次再審闘争では、今年5月13日に東京高等検察庁が、石川さんの取り調べテープなど5項目36点の証拠を開示しました。これは、私たちが長年求めてきたもので、これまで検察側は証拠開示を拒否してきたものです。しかしまだ、裁判所から開示勧告されながら「不見当」(探したが見つからなかった)として、殺害現場での血痕反応検査結果など3項目は出されていません。まだ隠された証拠もあるので、今後もさらに証拠開示を求めるとともに、今回開示された証拠を精査し、事実調べも強く求めながら、石川さんの無実を明らかにしていきたいと思います。
 また、狭山闘争を通して、司法の民主化や、他のえん罪事件の被害者との連帯を強めています。えん罪の温床になっている密室での取り調べに対して、録画記録などを義務付ける「取り調べ可視化法案」や別件逮捕、代用監獄の廃止などを求めることも重要です。
 さらに、世界からあらゆる差別と人種主義の撤廃をめざして、反差別国際運動(IMADR)を、解放同盟が呼びかけて88年に設立されました。93年には、日本に基盤を持つ人権NGOとしては初めて国連との協議資格を取得し、ジュネーブにも事務所を設置して、国連機関などへの働きかけにも力を入れています。インドではカースト制度の中で厳しく差別されているダリット(アウトカースト)の人が1億8千万人もいると言われ、差別・貧困に苦しんでいます。国内でもアイヌ民族、沖縄の人々、在日コリアン、移住労働者・外国人などに対する差別の撤廃に取り組んでいます。さらに、解放の父・松本治一郎先生の遺志を受け継ぎ、九州ブロックでは中国の貧困地帯に小学校を建てる運動も続け、昨年までに10校を建てました。

──部落解放同盟は労働組合と連帯した運動も進めておられます。
 そのきっかけは、「総資本対総労働の闘い」と言われた三池闘争(59年~60年、福岡の三井鉱山三池鉱業所の大量人員整理に反対した闘争)ですね。会社側がいわゆる暴力団を使ってスト破りをさせていましたので、総評の太田薫さん(当時議長)たちが、当時の松本治一郎委員長に支援を要請しました。松本委員長が支援を決断して、大勢の人がバスで現地に行ってみると、その暴力団の中に部落の青年たちも多数入っていたのです。そうした人たちは知人の姿を見て逃げていきました。
 その頃、部落民は差別による貧困にあえぎ、まともな教育も受けられない状況で、仕事にも就けない悪循環の中にありました。そのために暴力団に雇われてスト破りの隊列に加わっていたのですね。そのときに、上杉佐一郎さんは、部落の青年たちがお金で資本の走狗(手先)になってはダメだ。そのためにも教育が大切だと痛切に感じたと言っておられました。
 また、労働者との連帯も大切だということも学びました。その後、狭山事件の闘争なども契機となって、75年に総評との間で部落解放共闘会議をつくり、現在は連合とも一緒になって、就職差別反対の闘いなどを行っています。
 さらに、平和や反戦の取り組みも一貫して労働組合とともに取り組んできました。歴史的な政権交代で少しでも市民の側に立つ政治が実現するように期待し、今後も平和フォーラムとともにがんばるつもりです。

〈インタビューを終えて〉
 組坂委員長の半生をお伺いする中で、ゲーテやドストエフスキーの作品の中に自分史を描くスケールの大きさと、「人がつくった差別は人の力でなくすことができる」という言葉に、部落解放、人権運動の指導者としての確固たる信念を読み取ることができました。格差の拡大と社会の匿名化は差別の拡大につながる危険があります。あらためて人権の重みを心に刻みつけるお話を伺いました。
(藤岡 一昭)

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2010年参議院選挙を前にして
前を向く国民、決して後戻りはできない!

政権交代後の政治・外交運営の困難の果てに
 5月28日、鳩山由紀夫内閣は普天間基地問題に関して、名護市辺野古移設を基本とする日米共同声明(2+2)を発表しました。辺野古への新基地建設を容認する内容は、連立合意に反するとして社民党が政権を離脱し、6月2日、責任をとって鳩山首相は辞任しました。普天間問題をめぐって、嘉手納基地統合案、長崎県大村案、沖縄県勝連沖案、鹿児島県徳之島案など変転する政府の対応は、鳩山前首相の「できれば国外、最低でも県外」とした当初の思いをも飲み込み、結果として国民の期待を裏切るものとなりました。
 日米共同声明が出る前日、民主党や社民党など182人の有志議員メンバーが、「将来的な国外・県外移転の方針を政府の基本方針とする」ことを求める緊急声明を鳩山首相に提出しました。閣議決定文書には「基地負担の沖縄県外又は国外への分散及び在日米軍の整理・縮小に引き続き取り組むものとする」という文言が挿入されました。このような取り組みはこれまでの政権になかったことで、今後の政権内部での議論が注目されますし、私たちは、この事実を意識しつつ普天間早期返還・辺野古新基地建設阻止の闘いに取り組む必要があります。
 鳩山前首相は、辞職後のBS朝日放送のインタビュー番組で、「自分は、独立国にいつまでも他国の軍隊が駐留することがよいとは思っていない」「できれば国外と考えていたが、外務省や防衛省のこれまでの外交交渉のいきさつもあって最終的にそうはならなかった」と述べています。54年間にわたる自民党政権から交代した後の困難な政治・外交運営が想像できます。

内閣支持率回復は「後戻り」拒否の表れ
 6月8日、鳩山内閣に代わって菅直人内閣が発足しました。産経新聞は6月1日の報道で「低迷鳩山政権、無党派層の離反は決定的」として民主党支持が11.4%となったと報じましたが、6月7日には「無党派層、突然の民主回帰」とし、民主党支持が30.6%に回復したと報じました。6月10日の朝日新聞の世論調査では、菅内閣支持が60%、民主党支持が38%で自民党の17%を大きく超えています。
 この驚異的な支持率回復は、国民が決して「後戻り」を選択しないことの表れではないかと考えます。54年の長きにわたった自民党政権は、1950~60年代を米国との親密な関係を基盤としつつ経済成長政策を強力に推進し、「一億総中流」などと称された所得倍増計画は国民の支持を集めてきました。しかし、成長戦略が破綻した中で、グローバリズムと新自由主義政策に翻弄され、自民党政権は国民の中に絶対的な経済格差と地域格差を生み出しました。グローバリズムに対抗するべく非正規雇用を拡大した政策は、「終身雇用」を基本にした日本型経済の終えんを呼び込み、ついに国民の不満を爆発させ政権交代を余儀なくしたのです。
 戦後社会において競争主義に徹し、脇目もふらず忠実に働かされてきたことに、辟易しつつある国民の思いが自民党政権崩壊の要因の一つでした。

「新しい国のあり方」への思いを大切に
 民主党を中心とした連立政権は、普天間問題できびしい国民の批判にさらされました。しかし、朝日新聞の世論調査では「アメリカの軍事力に頼るべきだ」とする意見は38%、「アメリカとの関係を深める」とする意見が52%の一方で「中国との関係を深める」とする意見が48%となっています。アメリカ一辺倒の外交関係、特に米軍基地を受け入れての安全保障問題には、国民世論は大きく変化していると思われます。
 この世論調査は、昨年の政権交代がこのような国民意識の変化のもとに実現していったことを証明しています。競争に明け暮れた時代は、その成果が乏しくなった現在、終わりを告げたと言っても過言ではなく、結果として戦後長きにわたって政権の座にあった自民党の敗退を意味したのです。
 鳩山内閣は、事業仕分け、子ども手当、高校授業料実質無償化などの政策を実施してきましたが、マニフェストに示された多くは未だ実現していません。外国人参政権などの人権課題はもちろん、東アジア共同体構想や対等な日米関係など、この国のあり方を問われる課題が山積しています。
 私たちは、現状が示している国民の選択とその背景にある「新しい国のあり方」への思いを大切にしながら、これまでの運動のさらなる推進に向けて取り組んで行かなくてはなりません。

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8月~9月に2010在日朝鮮人歴史・人権月間
「韓国併合」100年 今こそ平和と友好に向けて

 今年の8月22日から9月20日にかけて、在日朝鮮人が置かれている現在の人権状況を、その文化的・歴史的性質を踏まえて理解することを目的として「在日朝鮮人歴史・人権月間」が行われます。これは2007年から行われてきた「在日朝鮮人歴史・人権週間」を、取り組みの実態に合わせ改称したものです。8月29日の東日本集会(横浜)、9月18・19日の全国集会(福岡)のほか、全国各地で写真展、映画上映など、様々なイベントが行われる予定です。
 なお、ここでいう「朝鮮」とは南北朝鮮を包括するもので、現在の国籍に限定されない概念として使用しています。

歴史的経緯に対する認識の欠如


200名が参加した昨年の全国集会(09年8月19日・名古屋)
 2001年に国連によって行われた人種主義・差別撤廃世界会議(ダーバン会議)は、人種差別を歴史的な問題として捉えなおし、その根源となった奴隷制度と植民地支配を行ってきた「先進国」の歴史的責任を鋭く問うものとなりました。
 また、国連人権委員会のディエン報告書(2006年1月)は、日本の現状について次のように指摘しています。「最も甚大な表れ方をしているのは文化的・歴史的性質を有する差別である」「コリアン・中国人コミュニティーについては、こうしたマイノリティーに対する差別の歴史的・文化的根深さが、日本では認識されていない」。
 日本は1910年の「韓国併合条約」強制締結以来、朝鮮半島を植民地化し、皇民化教育や強制労働、戦争動員、そして「従軍慰安婦」など、数々の人権侵害を行ってきました。しかし残念ながら、戦後65年を経過した現在も、植民地支配の歴史の清算はなされていませんし、何より朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との国交関係は不正常なままです。
 また、在日朝鮮人の「固有の尊厳」と言える民族的アイデンティティの尊重と、差別的な処遇の改善は未だなされていません。そのことは今年の「高校実質無償化」からの朝鮮学校除外の動きに端的に現れています。また京都朝鮮第一初級学校への襲撃事件を引き起こし、「特別在留資格」や「通名使用」などを指して「在日特権」と言いなす「在特会」をはじめとする排外主義勢力の言説の背景には、在日朝鮮人の人権状況を形成してきた歴史的経緯に対する認識の欠如があると言ってよいでしょう。

違法に進められた植民地支配
 平和フォーラムは世界の人々が人権確立に向けて築き上げてきた地平に立って、朝鮮人強制連行真相調査団や在日朝鮮人人権協会などとともに、在日朝鮮人が置かれている現在の人権状況の持つ文化的・歴史的性質を理解することを目的に、「在日朝鮮人歴史・人権週間」の取り組みを毎年行ってきました。これまで、「強制連行犠牲者の遺骨問題」「関東大震災と朝鮮人虐殺」「阪神教育闘争」「在日無年金問題」などを取り上げてきました。
 「韓国併合100年」にあたる今年は、1910年条約(韓国併合条約)の前提条件となった1905年条約(乙巳五条約)にスポットをあてます。強制的に締結された1905年条約が当時の法的水準においても無効であり、その継承条約である1910年条約も当然無効であることを解き明かし、日本の朝鮮半島の植民地支配が当初から違法に推し進められたものであることを明らかにします。過去の植民地支配は当時としては適法かつ有効とする日本政府の態度に対する的確な反論となるでしょう。多くの参加をお願いします。
 今回のテーマをわかりやすく解説した2010年度版リーフレット「『韓国併合』100年 今こそ平和と友好に向けて」(A3判両面四つ折り/頒価100円)のほか、展示用パネルの貸し出しを行っています。ぜひご活用ください。また、「在日朝鮮人歴史・人権月間」の取り組みを発展させるため青年・学生の活動を対象に「奨励賞」を設置しています。お問い合わせはいずれも平和フォーラムまで。

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資源の活用による森林・林業・山村地域の再生を
10年後の国産材自給率50%をめざして
森林労連中央執行委員 犬飼 米男

適正な管理ができない危機的現状
 日本は、国土の3分の2が森林で覆われた世界有数の森林国です。戦後、積極的に造成された1千万haの人工林は、資源として本格的な利用が可能となる時期を迎えつつあります。また、世界的規模で環境問題が取り上げられる中、地球温暖化対策では「京都議定書」の確実な実行が求められていますが、日本は、温室効果ガスの1990年度比6%の削減目標のうち、森林が吸収する分で3.8%(3分の2)を達成しなければなりません。
 しかし、林業は長期にわたる木材価格の低迷や担い手不足などにより、森林所有者が施業を放棄するなど森林の適正な経営管理ができない現状となっています。さらに、公共事業の削減など山村における雇用機会が減少し、過疎化・高齢化が森林の荒廃に拍車をかけています。

政府が「森林・林業再生プラン」を策定


地域材を活用した宮崎県「日向市駅」(農水省HPより)
 こうした中、新政権は昨年10月「緊急雇用対策」を決定し、グリーン分野(農林、環境・エネルギー、観光)を「緊急雇用創造プログラム」推進の重点分野に位置付けました。さらに、12月に「森林・林業再生プラン」を公表し、中・長期的な政策の方向を示しました。
政府・林野庁は、森林・林業の再生を成長戦略の中に位置付け、「新たな森林・林業政策」の指針として、10年後の国産材自給率50%(現在28%)をめざし、雇用も含めた地域再生を図ることとしています。森林・林業基本政策検討委員会を中心に五つの検討委員会がつくられ、6月の中間取りまとめに向け議論が進められてきました。
 検討委員会の議論において、日本の林業は、1)所有形態が小規模である(5ha未満が75%)、2)不在村森林所有者(森林の所在する市町村に在住していない)の保有する森林が4分の1に達する(約327万ha)、3)世代交代による林業に対する関心が低下している、4)森林の所有境界の不明箇所が増大している、などが課題とされてきました。
 こうした現状に対して、林業振興と生産性の向上を図るため、施業の集約化、路網(作業のための道)などの基盤整備、人材の育成(日本型フォレスター、施業プランナー、林業技術者・技能者)、国・都道府県・市町村・森林所有者の役割の明確化、木材利用に関わる加工・流通の体制づくりの構築などが検討されています。

「循環可能な公共財」としての森林
 林業の振興のためには、木材の利用を積極的に進めなければなりません。経済が低迷し住宅建築が伸び悩んでいる中で、国産材の自給率目標達成に向け予算措置を含めてどのように実行していくかが問われています。学校等の公共施設やガードレール、ビルの内装などへの木材使用や、地域エネルギーとしての木質バイオマス等の推進も含めて、充実しつつある森林資源の利用を拡大して、林業を産業として確立するための新たな施策が必要です。
 世界的には木材需要が増加しており、資源ナショナリズムの高まりから、これまでのように外材に依存することが困難になっています。こうした事態に対応するためにも、「森林・林業再生プラン」の着実な推進には、人材育成を軸とした多くの条件整備と、10年先を見通した先行投資が重要となっています。
 森林は、国民に恩恵をもたらす「循環可能な公共財」であり、その恵みである木材を無駄なく使っていくことが、低炭素社会実現への鍵となります。森林の公益的機能の発揮、地域振興、山村の活性化に向け、政策の着実な実行と地域における林業再生、市民の参加・支援が必要となっています。

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福井でAPECエネルギー大臣会合
原子力の宣伝は許さない対抗シンポ
原子力資料情報室共同代表 伴 英幸

 アジア太平洋経済協力(APEC)会合が15年ぶりに日本で開かれます。首脳会議は11月に横浜で行われる予定です、この他に、貿易相会合が6月5日~6日に札幌で開催され、また食料安全保障会合や財務大臣会合などが計画されています。

温暖化対策と称して売り込まれる原発
 今回の一連の開催予定のうち、エネルギー大臣会合が福井市で6月19日~20日にかけて開催されます。福井市での国際会議は初めてのことで、この日に向けて福井では開催推進協議会を設置、観光を含めて県を上げての取り組みが準備されています。エネルギーの大切さを知ってもらう出前教室なども子ども向けに開かれているようです。また、福井駅では1月22日からカウントダウンが始まっていると言います。県内に14基もの原子力施設が立ち並ぶ福井県での開催です。いや、だからこその福井開催とも考えられます。あるいは「もんじゅ」運転再開への地元合意をスムーズにするための地域振興策としての開催とも考えられます。
 いずれにしても、エネルギー大臣会合ではAPEC域内のエネルギー問題、とりわけ温暖化防止対策としての原子力を大きく宣伝する場になることは間違いないことです。そして、域内各国への原発の輸出土壌を醸成しようとしているのでしょう。これが福井開催の意味と言っても過言ではありません。

省エネ・再生可能エネルギー社会を展望


市民エネルギーシンポの様子(6月19日・福井市教育センター)
 そこで、この動きに対して市民エネルギーシンポを6月19日に福井市(福井市教育センター)で開催することを企画しました。シンポに先立ってデモ行進も行います。主催は、原水爆禁止日本国民会議、原子力資料情報室、地元団体である原発反対福井県民会議の3団体です。題して「原発は温暖化対策の切り札になるか? 省エネ・再生可能エネルギー社会を展望する」。
 パネリストは藤井石根さん(明治大学名誉教授)、大島賢一さん(立命館大学教授)、長谷川公一さん(東北大学大学院教授)、鈴木真奈美さん(環境ジャーナリスト)、そして西尾漠さん(原水禁副議長、原子力資料情報室共同代表)の面々です。シンポでは、これら専門家の方々により、原発が温暖化防止に役立たないことを、コストや二酸化炭素排出量の面から明らかにします。そして原発がむしろ、省エネや再生可能エネルギーの進展を妨げていることを指弾します。その上で、省エネや再生可能エネルギーの必要性と可能性や、急速に再生可能エネルギーが進展した欧米の事例を紹介します。
 これらを通して、原発に依存する温暖化対策が誤りであり、ましてや原発を持たない国へ温暖化対策と称して原発を輸出するなどもってのほかであることを確認できるものにしたいと考えています。

無謀な「もんじゅ」運転再開に反対を
 敦賀市にある「もんじゅ」が5月6日に原子炉を再稼動させました。14年半も停止していたので、すでに老朽化しています。稼動前からナトリウム漏れや、燃料に穴あきが生じたことを知らせるなどの、様々な警報が鳴り続けています。多い日は1日に75回もの警報が鳴ったと公表されています。いずれも誤警報ですが、重要な機器が正常に機能していない証拠です。
 「もんじゅ」の開発ではこの先の展望がなく、まさにムリ・ムダ・無謀な運転再開です。4月18日に現地で抗議集会を開催しましたが、再稼動後も反対の声を上げ続けることが大事です。市民エネルギーシンポも「もんじゅ」廃炉を訴える機会となります。
 また、関西電力の発表によれば、4月9日にフランスを出港した、プルサーマル燃料を積んだ専用の輸送船が、6月後半に福井の高浜原発に到着する予定です。こうした原子力の動きを日本側は宣伝したいのでしょう。私たちは市民シンポを通して反対の声を強めていきたいと考えています。

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被爆65周年原水爆禁止世界大会の課題
ヒロシマ・ナガサキを風化させない議論の展開を

 ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下からまもなく65年。被爆者は高齢化し、記憶が風化しつつあります。あらためて被爆の実相の継承とともに、現在の課題にどのように結びつけていくかが問われています。
 今年も8月4日から9日にかけて、広島・長崎の二つの被爆地において原水爆禁止世界大会が開催されます。その課題とポイントを整理してみます。

国際会議-NPT再検討会議と東北アジアの安全保障


昨年の国際会議でも活発な議論が交わされた
(09年8月5日・広島)
 米・オバマ大統領の登場によって、これまで停滞していた核軍縮への機運が高まる中で、今年5月に核拡散防止条約(NPT)再検討会議が開かれました。2000年に合意された「核保有国による核廃絶への明確な約束」などがあらためて確認され、2012年に中東非核化についての会議の開催など、いくつかの核軍縮にむけた合意が採択されました。しかし、核兵器国の核軍縮への具体的な取り組みが極めて不十分なことも大きな課題として残りました。
 国際会議では、アメリカ、中国、韓国の運動団体の代表などを招いて、まずNPT再検討会議の結果と課題を明らかにします。その上で被爆国日本の果たす役割や東北アジアの平和と安全をどのようにつくり出していくかを考えます。特に東北アジアにおける非核地帯化の展望について議論します。

三つの課題で広島・長崎大会
 広島と長崎の大会では、現在直面している次の三つの運動課題に重点をおき、分科会・フィールドワークなどを行います。

1) 核軍縮・平和の課題
 NPT再検討会議の結果を受け、今後の課題を明らかにし、国内外でどのような取り組みを積み重ねていくことが重要かを提起します。鳩山由紀夫前首相も国連で「核廃絶の先頭に立つ」ことを訴えるなど、被爆国日本の決意を述べていました。新たに発足した菅直人政権にもその継承が問われています。
 核密約の問題など、これまでの政権が取ってきた対応に終止符を打ち、非核三原則の法制化や、東北アジアの平和と安定のための非核地帯化構想の提起が求められます。そして、東北アジアを緊張させる米軍再編や普天間基地など平和の問題についても考えます。

2) ヒバクシャの援護・連帯
 ヒロシマ・ナガサキの原爆被害によってもたらされた被爆の実相を伝えるとともに、被爆者の残された課題を明らかにします。特にこれまで対策が十分にとられてこなかった被爆体験者、在外被爆者、被爆二世・三世の課題の解決に向けた動きをどうつくり出すのか、それぞれの現状報告と討論を行います。高齢化する被爆者から直接語られる被爆の実相と核兵器廃絶への想いを聴きながら話し合います。
 さらに、世界に広がる核被害の実態を知るために、今年は核の軍事利用、商業利用の出発点でもあるウラン採掘による核被害の実態を、アメリカの先住民の方をゲストに迎えて報告していただきます。54基の原発が稼働する日本は、先住民たちにとっては加害者であるとも言えます。

3) 脱原発の課題
 原子力政策の最大のほころびは、プルトニウム利用政策にあります。青森の六ヶ所再処理工場は、高レベルガラス固化施設のトラブルで停止したままで、完成の目途が立っていません。さらに、高速増殖炉もんじゅ(福井)は、強引に運転再開しましたがトラブルが続いています。プルサーマル計画は、玄海原発(佐賀)、伊方原発(愛媛)で実施されましたが、安全性、経済性、そして後処理の問題など課題は山積しています。高レベル放射性廃棄物の処理・処分も未だ不透明です。 さらに、各地で闘われる脱原発の動きを紹介します。
 そうした原子力政策の矛盾と破たんを明らかにした上で、原子力に頼らないエネルギー政策の展開を提起します。

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被爆65周年原水禁世界大会に向けて(2)
人々の希望は核廃絶を実現するのか
成功と課題も残したNPT再検討会議

NPT体制崩壊の危機感が採択を実現
 5月28日の午後、国連総会議場で「最終文書」が採択された瞬間、各国代表はもちろん、傍聴席のNGO席からも大きな拍手がわき起こりました。前日まで最終文書採択は無理だという悲観論が支配する中、2005年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議に続く失敗は、NPT体制を崩壊させるという危機感が、採択を実現したと言えます。とくに広島、長崎のヒバクシャの強い願い、平和市長会議の2020年までに核兵器廃絶を求める「ヒロシマ・ナガサキ議定書」に1,000を超える自治体が賛同したことなどが示すように、非核世界を求める国際世論が、再検討会議を支えました。
 最終文書の冒頭に「すべての国は『核兵器なき世界』を達成するという目標と完全に一致する政策を追求することを約束する」と述べていること。またイスラエルの核が大きな問題となり、非核化の中東地域をつくるため、地域の全ての国が参加する会議を2012年に開催することが盛り込まれたことなどは、世界が核廃絶へむけた新しい一歩を踏み出したことを感じます。

核保有国の強い抵抗で後退した内容
 しかし一方で、最終文書にたどり着くまでに多くの原案が、核保有国の抵抗で削除・修正を余儀なくされたことは、今後に大きな、厳しい課題を残しました。最終文書の当初の案には、「核廃絶に向けた行程表作成のための2014年の国際会議開催」などが盛り込まれていましたが、この案に核保有国が強く反対。「核保有国は核軍縮への具体的加速を約束し、2014年の再検討会議準備委員会に進展状況を報告する」と、大幅に後退しました。これは、いったん核兵器を保有した国の、核兵器放棄がいかに困難であるかを示しています。また、会議にインドやパキスタン、イスラエル、北朝鮮が参加していないことも、今後に大きな問題を残しました。
 日本政府は閣僚級の代表を送らず、批判がありましたが、オーストラリアと共同でつくった「核不拡散、核軍縮に関する国際委員会(ICNND)」報告による提案の他に、中東非核化の国際会議の2012年開催を提案するなど、積極的な役割も果たしています。今後ともNGOとの密接な関係を築くことが求められます。
 ただ、米国では今一つ盛り上がりに欠け、冷めていたようにも感じました。イラク、アフガニスタンでの見通しが立たず、米ロの新START条約、包括的核実験禁止条約(CTBT)批准のメドも立っていないことが、大きな原因のようです。そうしたNPT再検討会議の検証も、今年の原水禁大会の課題の一つです。

NPT再検討会議最終文書の要旨

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【本の紹介】
原発スキャンダル
木原 省治 著


10年5月 七つ森書館刊
   広島県原水禁常任理事で、「原発はごめんだヒロシマ市民の会」の代表を務める木原省治さんから新著「原発スキャンダル」が届きました。その本の帯には、評論家の佐高信さんが「竹下登と桜内義雄が大ゲンカ、原子力発電をめぐる深い闇を告発したこのドキュメントは恐ろしいまでにおもしろい」と推薦文が書かれていました。推進派内のバトルが生々しく描かれているのではないかと期待して早速読ませていただきました。「バトル」はそれほどでもなかったのですが、実名も飛び出し書かれている通り面白く読めることは間違いありません。
 上関や島根だけでなく、これまで原発建設を阻止してきた鳥取県の青谷、山口県の田万川、萩、豊北など中国地方の原発問題を中心に、原発と金、そこにうごめく政治家やブローカー、そして中国電力の暗躍など、表の原発推進という美名の下で繰り広げられてきたまさにドロドロした実体を報告してくれています。そこには推進派や反対派の証言も盛り込まれています。特に原発を阻止してきた地域の人々の話は、すでに歴史に埋もれようとしており、貴重な証言です。中国地方の原発問題を、著者が32年間の体験と人脈を使ってまとめ上げた労作でもあり、体験的裏面史とでも言うべきものです。
 現在、中国電力は上関原発や島根原発の新増設を強引に進めていますが、その中で「地球温暖化防止の切り札として原発が必要」、「資源小国日本に原発は必要」というかけ声が聞こえます。しかし原発を誘致する地元は、そんな論理で動いていないことがよくわかります。表面的にはきれい事ばかりが語られる原発の推進は、結局、地域社会を巻き込み、地域社会や人間関係を分断し、地域を疲弊させて進められています。本書の中でも、上関町で原発に反対していたAさん夫妻の話では、町内の推進派の職場に息子がいるため、夫の葬儀の場で、妻は「主人は原発建設に反対......」とは言えず、「上関の美しい海をこよなく愛し......」と言うのが精一杯だったと言います。結局は、原発は地域社会を破壊し、人間関係までも破壊するものであることをあらためてこの本で強く感じました。
(井上 年弘)

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【映画評】
ミツバチの羽音と地球の回転
(2010年日本/鎌仲ひとみ監督)

 前作、「六ヶ所村ラプソディー」から4年。六ヶ所再処理工場の問題を、賛成、反対それぞれの立場から取り上げたドキュメンタリーは大きな反響を呼び、映画をきっかけに新たに関心を持った若い人たちと、従来の運動体が交わる場面をつくり出せた点で、その功績は小さくないと言えるでしょう。原子力政策の要である問題を取り上げた作品に続く本作は、国民投票で脱原発を決めたスウェーデンと、原発の新規立地計画が進められる山口県上関町の双方を「旅するカメラ」(鎌仲監督)が追います。そこで、私たちが地球温暖化や環境破壊に直面する昨今にあって、どのようなエネルギーを選択するべきかが問われます。
 上関町の埋め立て予定地である田ノ浦には、手付かずの自然が数多く残されています。原発はどこにあっても、良いことはありませんが、よりによって、なぜここを埋め立てるのか、と思わずにいられない海と地上の楽園です。真向かいにある祝島の人々は、建設計画が持ち上がったときから28年にもわたって反対運動を続けています。長く苦しい闘いを支えてきたのは、故郷や生活を守りたいという強い思いはもちろん、島民の方々の明るさに依るところも大きいのではないかと感じました。大変な闘いにもかかわらず、あまり悲壮感がない。自然の中に暮らす人々の底力には、都市生活者にとって学ぶべき点があるように思えました。
 本作のワンシーンですが、現地で闘いを続ける山戸孝さんが、何で自分たちのエゴのために、みんなに迷惑をかけて反対運動をするのか、という「苦情」が寄せられた、そんな主旨のことを語る場面があります。自分たちの島での生活を守ろうとすることが、外部の人にはそんな風に受け止められているのかと思ったという、彼の言葉に胸が痛みました。「やっかいなもの」を都市から離れたところに押し付ける差別構造は沖縄基地問題も同じでしょう。福祉の充実を図り、持続可能エネルギー社会を推進するスウェーデンと、反対運動を続ける住民を司法に訴え出る国・日本の、人権意識の差が垣間見えるように思いました。
(阿部 浩一)

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投稿コーナー
厚木爆同と鈴木保さん
厚木基地爆音防止期成同盟副委員長
金子 豊貴男

 神奈川の平和運動にとってかけがえのない人が亡くなりました。その名前は鈴木保さん。厚木基地爆音防止期成同盟(厚木爆同)の結成に参加。1970年からは40年間にわたって、委員長を務めてこられました。厚木爆同50年の歴史の中で、常に運動の牽引車として、まさに倒れるその日まで運動の中心にいた鈴木さん。その足跡を、厚木爆同の運動の歴史とともにたどってみます。

亡くなる前日まで元気に爆音訴訟関係者を激励


亡くなる前日に報告集会で発言する鈴木さん
(4月26日・横浜地裁)
 鈴木さんが突然亡くなられたのは4月27日未明。前日の午後、横浜地裁で開かれた第四次厚木基地爆音訴訟の公判の参加報告集会で、元気に弁護団や原告・支援者を激励しての帰り、横浜駅で具合が悪くなり、病院に担ぎ込まれたのですが、そのまま帰らぬ人となりました。誰も予想していなかった訃報。厚木爆同50周年の記念行事の準備に忙しく立ち回り、爆音裁判に、沖縄連帯行動にと、連日のように出かけていた中での訃報でした。鈴木さんは爆同運動とともに歩んできた人、いや、歩んできたというよりは運動を引っ張って来た人、そして神奈川の平和運動になくてはならない人でした。
 69年には爆音をなくすための飛行実力阻止闘争を行います。基地の滑走路北側の民有地で竹竿にのぼりを立て、古タイヤを燃やし米軍機の飛行を3日間止めたのです。そして、当時の社会党の国会議員、加藤万吉さんや大出俊さんが間に入って国と自治体の間で飛行協定を結ばせました。その後、海上自衛隊の厚木基地移駐反対闘争で、提灯デモを繰り広げるなど、果敢に運動を進めました。
 75年に市民の声を議会に届けたいと大和市議会議員選挙に立候補して当選。以来、市議会議員を4期務めました。
 76年には国を相手取って爆音裁判を起こし、第一次厚木爆音訴訟団(原告92名)を結成、原告団長に就任し、法廷闘争をスタートさせました。その後、横須賀米軍基地への空母の母港化に反対し、県内の反基地運動全体の連携にも尽力、横須賀市まで交渉に出かけました。84年には第二次訴訟をスタートさせ、88年に1年かけて厚木基地の包囲行動・人間の鎖を成功させました。
 これ以降も精力的に活動を進め、95年には第一次訴訟の「厚木基地の爆音は受忍限度を超えている」との判決を勝ち取りました。98年に第三次訴訟団を結成、原告5,047名の大原告団となりました。
 2000年に神奈川県央地域の平和運動団体として「基地のない神奈川をめざす県央共闘会議」を結成して代表に就任。07年には第四次訴訟団の結成に尽力、訴訟団の顧問となります。08年9月に厚木、横田、小松、岩国、嘉手納、普天間の基地騒音訴訟団との連携に努め、初の全国交流集会を成功させました。同年12月には、「全国基地爆音訴訟原告団連絡会議」を立ち上げて、国会での交渉、対政府交渉等にその力を発揮しました。

遺志に報いる運動の展開をめざして
 今年は厚木爆同結成50周年の記念行事を行うにあたり、その実行委員長も務め、式典の準備や記念行事としての沖縄訪問団にも参加して、「50年で爆音被害を終わらせたい」と活動を進めていた、その矢先の訃報でした。
 鈴木さんはいつも闘いの先頭にいました。一昨年の横須賀・原子力空母母港化阻止の闘いでもその先頭にあり、集会では宣伝カーの上から、参加者に厚木基地の爆音被害を訴え、闘いの経過、今後の運動への期待を語っていました。厚木基地の集会とデモ、キャンプ座間や相模総合補給廠(在日米軍の補給施設)の基地強化に反対する様々な活動に、その姿がありました。
 鈴木さんが亡くなった直後も、厚木基地では激しい爆音が響いていました。5月の葬儀前後から厚木基地での激しい訓練、さらにCQ・空母着艦訓練が深夜まで行われていました。爆音をなくしたい、平和な空を取り戻したいという鈴木さんの遺志に報いなければなりません。厚木爆同では、6月27日に「鈴木委員長を偲ぶ会」を大和市内で開催します。

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