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ニュースペーパー2010年8月号

2010年8月 1日

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 1987年にJR不採用、90年4月1日に国鉄清算事業団から二度目の解雇を受けた1047名。解決を求めた四半世紀のたたかいは、6月28日、雇用問題が残されたものの、鉄道・運輸機構と国労など「4者・4団体」の間で補償などの和解が成立しました。写真は、6月15日の中間報告集会であいさつする4者代表。(右から、川端一男鉄道運輸機構訴訟原告団代表、神宮義秋国労闘争団全国連絡会議議長、酒井直昭鉄建公団訴訟原告団団長、池田孝治全動労争議団鉄道運輸機構訴訟原告団団長)。

【インタビュー・シリーズ その48】
日本の東アジア支配レジームからの脱却を
立命館大学教授 徐 勝(ソ・スン)さんに聞く

【プロフィール】
1945年京都府生まれ。韓国・国立ソウル大学校大学院に留学中の1971年、軍情報機関に逮捕され、政治犯として19年間を獄中で過ごす。1990年釈放。米国・カリフォルニア大学バークリー校客員研究員などを経て、1998年から立命館大学法学部教授。比較人権法専攻。著書に「愛は恐れない」(朝日新聞出版社、2010)、「朝鮮半島の和解・協力10年」(お茶の水書房、2009)、「誰にも故郷はあるものだ」(社会評論社、2008)など。

──在日朝鮮人への差別は子どもにも強いですね。
 春休みに小学生の双子の娘が「君が代」を歌っていました。卒業式で覚えたそうです。子どもには日本の天皇を礼賛する歌だから、お前たちには関係ないと話し、妻には学校に止めてくれるように言おうと話しました。すると、妻は、校長に手紙を出すのはいいが、うちの子どもだけ卒業式や入学式で別行動するのは大変だと言いました。妥協的な見方ですが、一般の感覚なんですね。つかこうへいの本でも「子どもがかわいそうだから帰化する」という論理が出てきます。
 戦前の「創氏改名」で面白いのは、朝鮮総督府の内務局は皇民化政策を推し進めるとして積極説、軍・警察は日本人と区別がつかないと治安上問題があるとして消極説と、意見が対立したことです。そこで、日本人と区別できるように、本貫(氏族発祥地)を戸籍に残し、日本人と紛らわしい名前を避けて、とくに皇室と関わる字の名前は許さないよう指導しました。金田とか金本とか素性がすぐわかるよう改名して、同化と差別化を同時に進めたのです。1945年の解放後、韓国では日本名を名乗る人はいませんが、在日朝鮮人は通名を多用していて、役所でも書類に通名欄があり、書かないと必ず通名を聞かれます。また、学校や金融機関の書類は、平成や昭和で書かせますが、在日朝鮮人にとっては精神的な障害物です。私は西暦に書き直しますが、本当に面倒な日常のくらしです。
 戦後の日本は、制度的に強要していなくても、在日朝鮮人を萎縮させる社会の圧力があるわけです。それどころか、皇民化政策は朝鮮民族の抹殺を図る文化的ジェノサイドという歴史的な人権侵害であったことが見落とされて、在日朝鮮人自身が朝鮮出身を隠すという倒錯した状況もあります。これは近代社会以降、西洋中心の世界支配が「文明と野蛮」という形で優劣をつけ、日本の植民地支配もその中で行われてきたことに淵源(成り立ちの根本)があると思います。

──日本人の文明観を変える必要があります。
 変わるのは、衝撃を受けたり、壁に突き当たるところからです。体験的なことが大事だと思います。戦争に対する恐怖や拒否感は地上戦を経験しないとわかりませんが、日本で地上戦を経験したのは沖縄だけです。普天間問題でも民意が嫌だといっているのに政権が平気で押し通すのは民主主義に反します。こういう沖縄と日本との感覚の違いがあるのは地上戦での経験の差だと思います。今回、天安艦沈没事件で李明博政権は北への強硬姿勢を打ち出し、鳩山由紀夫政権の普天間県内移設方針と相互に支持表明し非常に呼吸が合っていました。しかし、韓国の統一地方選挙では政権与党が予想外に大敗しました。世論は「天安艦を沈没させたのは北以外にありえない」が70%ですが、一方、「南北間の戦争はあってはならない」も70%です。朝鮮戦争で日本をはるかに上回る地上戦を体験し、虐殺などによる民間人100万人以上をはじめ400万人もの犠牲者を出したので、さんざん反共教育をしてきても、戦争はダメだという思いが身に染みついているのです。
 その意味で日本人は戦争の痛みを受けとめていないと思います。そうでなければ、朝鮮人や台湾人の遺族が靖国神社への合祀が嫌だといっているのに平然と合祀する感覚はありえません。日本の独善的な歴史観や戦争を正当化する言説、当時の小泉純一郎首相の靖国参拝に対して2005年には東アジアで反日デモが起き、「日本孤立」と呼ばれる状況となりました。日本が東アジア共同体と言いながら現実感がないのは、誤った歴史認識が温存され、安全保障や文化交流の政策にもあらわれているからです。明治以後の日本の自尊心を主張する人たちは、高い壁にぶつかって反発するでしょうが、日本以外では通じないことが明らかになるとき、方向転換せざるをえないと思います。その際に、故・小田実さんをはじめ、日本の東アジア侵略を真摯に反省する人たちがつくってきた歴史の認識と未来に向けた作業は、中国や韓国、北朝鮮も含めて響きあって、新しい水路を導くものとなると思います。

──日本の運動は壁にぶつかっていないでしょうか。
 日本の中だけでなく東アジアに共感体をつくってきている面も重要です。私は韓国の「ナヌムの家」の日本軍慰安婦歴史館の創設に関わり、顧問をしていますが、年間の訪問者は韓国人より日本人のほうが多い。韓国には「もうわかっている」という観念があるのです。実際は違うのですが......。
 韓国の歴代政権、とくに軍事政権時代には「タテマエ反日、ホンネ親日」の言説があり、最近、政権が代わってからは、「親日は愛国」説まで出てきました。日本の植民地支配があったから軍事技術を学び、解放後に共産主義者を抑え、1948年大韓民国を建国した李承晩と、経済的に発展させた朴正煕の2人の大統領こそ重視すべきという主張です。これは、日本が戦前行った様々な国家暴力犯罪に日本の政権・政治家が何も思わないでいるのと一体です。東アジアにおける日本の支配レジームが清算されずに、植民地時代の支配と被支配、それからの解放運動のせめぎ合いが今日まで続いています。
 日本は戦争に負けたけれども、アメリカの東アジア戦略によって、天皇制の温存と旧帝国支配の上層部を取り込んで、アジアに対する過去の清算が免除される一方、日本の中では戦傷者や病没者、遺族等、援護法や軍人恩給などによって、戦前から天皇の軍隊の戦死者を継続して援護してきました。私の住む京都の嵐山では、天竜寺などの名勝地のそばに魚雷観音や飛天観音、忠魂碑、護國社など戦争に関わるものが並んでいます。かつて愛国婦人会が建てた忠魂碑の掃除を今も町内婦人会が輪番で行うなど、戦争賛美は日常に溶け込んでいます。日本では地上戦を経験した沖縄や、極度の被害を目の当たりにした広島、長崎などを除いて、戦争の惨禍に対する意識は希薄ではないでしょうか。
 日本の平和運動は、被害意識によるだけでなく、戦争への道を誰がつくったか、そこで人々が公権力によってどれほど犠牲になったのか、その痛みを実感することが必要です。日本自身に対する過去清算問題が同時に、あるいは先行して変わらなければ、アジアとの間では壁にぶち当たり続けると思います。

──韓国併合100年に村山談話を超える政府見解が必要ではないですか。
 李大統領は就任前から天皇訪韓による決着を重視していますが、問題の解決にはならないと思います。なぜなら、日露戦争以後、朝鮮半島を実質的に植民地支配してきた過程が重要で、高宗が併合条約にハンコを押したかどうかなど、支配者による併合条約調印の論議は副次的なものであること、天皇訪韓による、「天皇制過去清算」では、日本の主権者に支えられた本当の意味の過去清算にはならないこと、東アジアへの侵略と支配の問題と同時に、その体制を支えた治安維持法、国家総動員法など軍事法、戦後のレッドパージにいたるまでの明治以後の数々の公権力による侵害を認め、日本国内での民主化のための具体的措置をとる必要があるからです。
 戦後のドイツは近隣諸国との過去清算を進めていますが、ファシズムの根を断ち切るためにナチへの賞賛や宣伝を刑法で禁じています。日本ではやりたい放題です。これが無くならないと東アジアの過去清算を語れません。かえって不信は激化します。
 関連して、戦後日本は、平和国家と言いながらアジアの歴代独裁政権を強く支持してきました。今年は光州事件30周年ですが、80年5月の軍部による市民虐殺事件後、同年9月には岸信介は使節団を送り、翌年には当時の中曽根康弘首相が国家首脳として初訪韓し、国際世論で孤立する全斗煥政権に財政支援を約束しました。今日も日本はその反省をしていないことは一例です。日本の東アジア支配レジームが戦前・戦後と続いていると思います。

〈インタビューを終えて〉
 戦後の混乱期を在日に生きて、長じて政治犯として獄中に19年、想像を絶する人生から生まれる言葉は、きびしい内容であるにもかかわらず、人間へのやさしさに満ちている。その人の「日本の侵略を真摯に反省してきた人の取り組みは、各国に響き合って新しい水路を開く」との言葉は、自分の胸に強く響いた。平和と人権を求める運動に勇気が湧く!
(藤本 泰成)

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安保50年・日米同盟の見直しを
米軍基地・自衛隊を徹底検証

日米同盟の「神話」に立ちすくむ日本政府


横須賀基地に停泊する米海軍のイージス艦
(米国外で唯一の母港)
 「できれば国外、最低でも県外」と約束した鳩山由紀夫前首相は、それに反して「普天間基地の移設先は辺野古崎周辺」とする日米共同声明を5月28日に閣議決定し、結局辞任しました。その後成立した菅直人政権は、「辺野古崎周辺の新基地建設には地元合意が必要」としつつも「日米合意は尊重する」との考え方をいち早く表明しました。
 かねがね鳩山前首相は「常時駐留なき安保」を主張し、菅首相も民主党代表だった2003年当時「海兵隊が沖縄にいなくても極東の安全は維持できる。沖縄海兵隊の撤退を米国に求める」と発言しています。しかし、政権につくと考え方を変え、得体のしれない日米同盟を国民生活よりも優先する姿勢は容認できません。
 これまで日本政府は、日米同盟=日米安保は日本や極東の安全と平和のための基軸であり、安全と平和を脅かす勢力への抑止力として在日米軍基地(大半は沖縄にある)を提供しそれを維持するための財政負担を日本が負うことは、平和の代償として不可欠であるとしてきました。そして最近では、アジアの平和と安定のための「公共財」とまで日米安保は「格上げ」されています。まさに日米安保は、手をつけてはならない神話化された国是となり、政権交代後の鳩山・菅政権も立ちすくんでいる状態が続いています。
 しかし、日米同盟=日米安保締結からすでに50年が経過し、現在どのような意味を持つのでしょうか。そもそも日米同盟とはどの国々に対する同盟なのでしょうか。抑止力が必要とされる具体的な脅威とは何なのでしょうか。
 冷戦構造が崩壊し、多極化するとともに中国をはじめアジア諸国が経済発展を続け、人と物の行き交いが拡大し、国と国の互いの利益が重なり合う時代を迎えています。確かにテロや内戦が続いているのも事実ですが、その政治的背景は極度の貧困や環境破壊の中で、少ない富を大勢が奪い合う矛盾が原因であり、その解決に日米安保は何の役にも立たないどころか、むしろアジア諸国に脅威を与え、紛争の火種になる危険性もあります。その意味で、新政権の東アジア共同体構想は今後の日本外交の基軸であり、そのためにも日米安保の根本的な見直しと在日米軍基地や自衛隊の国外移転・縮小が不可欠です。

日米安保・地位協定の見直しが必要
 日米安保による在日米軍基地は歴史的に見ると事実上、米占領軍の延長でその体制が維持されています。1951年、当時のダレス米国務省顧問は、日本が国際社会に復帰する際、米軍基地の存続にあたって米国は「われわれが望むときに、望む規模で、望む場所に米軍基地が置けるようにすることが(安保条約の)米側の目的である」と発言しました。こうした考え方が日米安保に基づく米軍基地の基本に据えられ、日米地位協定もこれを補完するものとして結ばれています。さらに問題なのは、思いやり予算も含めて、米軍基地を維持する莫大な経費の多くを日本側が負担していることです。日米安保、日米地位協定の根本的な見直しとは、こうした日本政府の立場を問い直す意味を持ちます。
 普天間問題の基本的な解決は、即時閉鎖・返還、辺野古新基地建設反対であり、単に移設先をどうするかという問題ではありません。在日米軍基地はなぜ必要なのか、海兵隊の抑止力とは何か、そもそも日米安保の役割は何なのか、といった根本的な問題を考えていかなければなりません。平和フォーラムでは、これまで沖縄平和行進、普天間基地包囲行動や岩国、横須賀、厚木など米軍基地問題の地元集会を取り組んできました。また、政府や国会への働きかけも続けてきました。こうした取り組みを踏まえ、米軍基地や自衛隊の徹底検証を進めながら日米安保の見直しに向けた大きな世論をつくり出さなければなりません。
 平和フォーラムは今後、1)在日米軍基地と安全保障について、曖昧な抑止力、誇張されている東アジアの軍事的脅威とそれを根拠とする安全保障の矛盾を明らかにする。2)日米安保50年を契機に在日米軍基地の実態と日本の財政負担を明確にし、日米地位協定も含めて根本的な見直しの根拠を整理する。3)沖縄を中心とした在日米軍基地、自衛隊基地の基地被害の実態(騒音、事故、環境、米兵被害、基地訴訟など)、基地依存財政による歪んだ自治体予算や自治体政策への悪影響などを明らかにしていきます。

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放射線照射食品 厚生労働省は認めず
消費者の反対運動が成果あげる

強引に推進してきた原子力委員会の責任追及を
 食べ物に放射線を当てて、殺菌や殺虫など行う「照射食品」を認めるかどうかについて、長年にわたり議論が行われてきましたが、平和フォーラムも参加する「照射食品反対連絡会」の強い反対運動の結果、ようやく一定の決着を見ました。
 2006年10月、原子力委員会は厚生労働省に対し照射食品を許可するよう、その解禁を迫りました。要請された厚労省は約3千万円をかけ、三菱総合研究所に調査を委託し、今年になってようやく報告書が提出されました。それを受けて厚労省は、5月18日に薬事・食品衛生審議会規格部会を開催。ここで、「照射によってできるアルキルシクロブタノン類(発がんを促進する働きがある物質)の毒性データ、生成量、推定暴露量のデータが不足している。また、消費者の理解が進んでいない」として、実質的に照射食品を認められないとしました。
 今回、厚労省がデータ不足等を理由として、認めないとしたことは、画期的なことであり、運動の大きな成果と言えます。しかし、原子力委員会は原子力産業界とスパイス業界の利益のために、今後も解禁に向けた圧力をかけてくるものと見られます。この間に、厚労省だけでも3千万円も使って調査をさせるなど、その無責任な姿勢も目立っています。横暴な推進に完全に歯止めをかけるため、原子力委員会の責任を追及していくことが必要です。

豪で照射エサを食べた猫に異常。被害者が来日し訴え


80人が参加した放射線照射食品反対集会
(7月17日・主婦会館)
 こうした中で、オーストラリアでは放射線照射されたキャットフードを食べた猫に異常が発生し、死亡する事故が相次いでいたことが明らかになりました。オーストラリアは、外国から病害菌を持ち込ませないためという理由で、輸入されるペットフードに放射線照射が義務づけられてきました。ところが08年頃から、カナダより輸入され照射を受けたキャットフードを食べた猫に次々と脳神経障害が出始めました。95匹の猫が体調を崩し、そのうち37匹が死んだと報告されています。カナダの輸出会社は、他国ではそうした事例がないことから、オーストラリアだけで実施されている照射処理によるものだと主張しました。
 こうしたことから09年5月、オーストラリア政府は輸入キャットフードへの放射線照射をやめるよう通知を出しました。この事件は照射食品の危険性を明確に知らせています。そこで、照射食品反対連絡会では、ペットの猫が被害を受けたため、照射の危険性を訴えて活動してきたオーストラリアのタニア・カミングさんを日本に招き、被害の実態などについて報告してもらう集会を、7月に東京などで開催しました。
 タニアさんは、「カナダからの輸入ペットフードは高価だが、猫の健康に良いものだと信じて食べさせてきた」が、愛猫が08年末頃から肢体麻痺になって以来、他の飼い主たちとともに、政府を追いつめて照射の禁止を勝ち取るまでの経過を克明に報告しました。しかし、「豪ではまだ犬のペットフードには照射が認められており、完全な対策とは言えない。表示も不十分なままだ。病気になった猫たちは、何か異常があることを教えてくれている」として、照射食品の全面的な禁止に向けてともに闘っていこうと訴えました。

「原子力政策大綱」の根本的な転換を
 照射食品反対連絡会は、この集会を機に、現在、唯一認められている北海道の士幌農協でのジャガイモの芽止めのための照射も含めて、全面的な禁止を求めて活動を進めることにしています。さらに、この問題の根源は、2005年に政府が閣議決定した「原子力政策大綱」の中の「放射線利用」の項で、照射食品の推進を決めたことにあります。その大綱では、危険な原子力発電や核燃料サイクルも推し進めています。今後も、原子力大綱そのものの問い直しと合わせて、取り組みを強めていく必要があります。

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原発推進の大きな「負の遺産」
先住民と連帯しウラン採掘に反対しよう
「ウラン兵器禁止を求める国際連合」運営委員・医師 振津 かつみ

先住民の犠牲の上に行われてきたウラン鉱山開発
 米国南西部のニューメキシコ、アリゾナ、コロラド、ユタの四州の州境が交差する「フォー・コーナーズ」周辺地域は、ナバホ、ホピなど、多くの先住民が住む土地です。この地域に米国最大のウラン鉱脈があることがわかり、核兵器開発と原子力エネルギー推進の中で、1940年代後半からウラン採掘が始まり、50年代をピークに80年代初めまで採掘が行われました。
 コロンブスのアメリカ大陸上陸以来、「白人」は先住民の命、土地や資源、文化を奪い、抑圧と差別の下に置いてきたのです。そして先住民に、ウラン採掘による環境汚染やヒバクの危険も知らせないまま採掘が行われ、劣悪な条件下で働かされたウラン坑夫の多くが肺がんや呼吸器疾患などで苦しんで亡くなりました。その家族や周辺住民も、様々な形でヒバクしたのです。

日本企業が進める新たなウラン採掘にストップを


来日するメニュエル・ピノさん
(撮影・Claus Biegert)
 開発が始められてから半世紀以上経った今、フォー・コーナーズには、1000ヵ所にものぼるウラン鉱山廃鉱跡が残されました。先住民たちの運動によって、汚染された環境を元に戻す作業が一部では始められていますが、まだごく限られたものでしかありません。また、ヒバクした元坑夫や遺族への補償のために「放射線被曝補償法」(RECA)も90年に制定されましたが、実際には被害の認定に様々な制約があり、多くの先住民の元坑夫や遺族が補償を受けられていないのが現状です。2005年に、ナバホ・ネーション(ナバホ族の自治政府)は、ネーション内でのウラン採掘を禁止する法律を制定しました。
 このように過去の「負の遺産」もまだ解決されていないにもかかわらず、「地球温暖化の解決のために原発推進を」と、新たな原発推進策を展開する原子力産業と各国政府によって、世界各地で再びウラン採掘の動きが活発化しています。日本政府と企業も、海外でのウラン資源確保を官民一体となって進めているのです。
 ニューメキシコ州グランツ鉱脈のロカ・ホンダでは、日本の住友商事が、カナダの鉱山会社ストラスモア社と共同で、新たなウラン採掘プロジェクトを進めており、昨年10月には、その採掘許可申請が州に提出されました。同プロジェクトは、南西部先住民の五部族(ラグーナ、アコマ、ナバホ、ズニ、ホピ)の聖山であるマウント・テイラーの麓に位置しており、一部は「伝統的文化遺産」指定区域に含まれています。
 現地の先住民と非先住民の連帯したネットワーク「安全な環境を求める複合連合」(MASE)などが、同プロジェクトの中止を求めて闘っており、日本の反核運動に取り組む人々にも連帯して、同プロジェクト反対に取り組んでほしいと呼びかけているのです。
 ウラン採掘被害を訴える、米国先住民との連帯と交流は、原水禁がこれまでも取り組んで来た課題の一つです。日本企業が加担する新たなウラン採掘プロジェクトに、現地と連帯して反対運動に取り組みましょう。

原水禁大会に米先住民活動家が来日
 ロカ・ホンダのウラン採掘プロジェクトをはじめ、米国、オーストラリアなどの先住民の土地でのウラン採掘反対を訴え、8月に米南西部先住民の活動家メニュエル・ピノさんが来日します。ピノさんはニューメキシコ州の先住民アコマ・プエブロの出身で、彼の生まれ育った地域(アコマとラグーナ・プエブロの「居留区」)にあるグランツ鉱脈では、世界最大と言われた露天掘りの「ジャックパイル・ウラン鉱山」があります(操業期間は1953~82年)。同鉱山での70年代の採掘量は、米国のウランの25%、全世界の11%を占めていました。 ピノさんの日本招へいは、原水禁と市民グループの協力で取り組まれます。「もんじゅ」をはじめ原発の集中する福井、また大阪などでの市民集会、東京の住友商事本社への抗議が行われ、広島・長崎の原水禁大会でも被害の実態と運動の連帯を訴えてもらいます。

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島根原発の差し止め訴訟棄却
中国電力のぞっとする安全管理の実態
島根原発差し止め訴訟原告団長 芦原 康江

「最新の知見」を盾に不当な判決
 島根原発のわずか2km先に「なかったはず」の活断層が確認されて以来、私たち住民をはじめ全国からも参加した原告は、11年間にわたって「島根原発1、2号機の運転差し止め」を求めてきました。判決を迎えた5月31日、原告及び多くの支援者が詰めかけ、松江地裁の法廷は緊張と熱気に満ちていました。しかし、判決は「原告側請求を棄却する」として、「安全に暮らしたい」という願いを踏みにじる不当なものでした。
 冒頭、原告側弁護士の求めによって判決要旨を読み上げた裁判長の口からは、原告請求を棄却した理由が述べられました。その最大のポイントは、「原子力安全委員会の新耐震指針、原子力安全・保安院のバックチェックルール(耐震の再評価)等は最新の科学的・専門的技術的知見を反映したものである」。そして、「中国電力の宍道断層の長さの評価は、それらに基づき資料と根拠が示されており、住民らが指摘する事実を持っても、それより長いと認める根拠とならない」としています。この考え方は、地震動評価や設備の耐震安全性評価、経年劣化でも同様の判断を示しています。
 要するに、「最新の知見」に基づく国が示す指針などに沿った資料や根拠を示していれば認め、たとえその評価が過小である事実を示しても、国が示す指示事項等に反映されない限り認めないというものです。
 私たちは、国の判断や中国電力の主張を鵜呑みにした司法判断を情けないと思うとともに、島根原発が想定外の地震に安全性が確保できない危険性をかかえたままだという事実は一切変わっていないと考えます。

結審後に明らかになったずさんな安全管理


判決言い渡し後の報告会
(5月31日・島根県弁護士会)
 今年3月30日に、中国電力が長年にわたって511件もの大量の点検漏れを放置してきたことが判明し、一層強く島根原発は止めなければならないと思っています。中には運転開始以来、点検をしなかったものさえあるという、かなりずさんな管理に、住民のこれまでの暮らしは、実は綱渡り的な「安全」でしかなかったと考えると、ぞっとするばかりです。
 この点検ミス発覚の発端となった「高圧注水系蒸気外側の隔離弁の駆動用電動機」は、緊急炉心冷却システム(ECCS)を構成する重要な機器であり、本来、2006年9月から07年4月の1号機の定期検査時に取り替えられるべきものでした。それが、サイズの違うものが納入されたことから取り替えることができず、そのまま3年余りにわたって放置されたものです。安全上重要な機器を、取り替え時期を大幅に超えて使い続けること自体、原発の安全性を左右しかねない極めて重大な問題です。もはや中国電力には原子力を扱う資格さえないと考えます。
 どんなにしっかりと耐震設計を行っていても、肝心な「安全」は徹底した管理なしには成り立たないのです。残念ながら、事実が判明したのは結審後であり、判決に考慮されませんでしたが、それでも原告としては、事実を目の前にしたまっとうな判断をして欲しかったと残念でなりません。

安全な暮らしのための闘いは続く
 一方で私たちは、じりじりと活断層評価を延長させていったこと、そして、中田高・広島工大教授らの独自の調査結果が、中国電力の活断層調査と評価のでたらめを証明するに至って、新耐震指針に変動地形学的調査が取り入れられるなど、裁判は大きな意義があったとも思っています。何より、中国電力が島根原発1、2号機の設置許可申請に際して「活断層はなかった」と判断していたものの存在が確認されたこと、時間が経過するとともに成長していったことから、判決が中国電力の設置許可申請時の調査や判断の間違いと、国の安全審査の間違いを認めたことも大きな成果であろうと思います。
 私たちは、再び控訴してこれらの問題を含めて争うこととしました。全国の皆様には、改めてご支援をいただきますようお願いします。

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日印が原子力協定締結に向けた交渉開始
NPT体制崩壊につながる動きに反対する

インド・パキスタンの核開発競争の恐れ


長崎の被爆者5団体が交渉開始に抗議
(6月29日・長崎新聞より)
 核拡散防止条約(NPT)再検討会議が何とか最終文書を採択してから、あまり日も経っていないのに、現実の世界情勢は、イラン、イスラエル、北朝鮮と核軍縮をめぐる道のりの厳しさを示す事態が続いています。パキスタンに、2基の原子力発電所を中国から提供することも現実味を帯びてきました。この動きに対応して、46ヵ国で構成される原子力供給国グループ(NSG)の会合が6月24日から25日までニュージーランドのクライストチャーチで開催されました。
 これに対して、各国大使にパキスタンやインドへの原発輸出に反対する国際書簡を米国軍備管理協会(ACA)が中心になって出しました。原水禁や、多くの反核・平和団体の代表や専門家が署名しています。
 2008年のNSG会合では、米国の圧力で、核輸入国の全ての核施設を国際原子力機関(IAEA)の監視下に置くことを前提としたガイドラインからインドを例外とすることを認めてしまいました。今回、パキスタンもそれに続く恐れがあったわけですが、会合の中では決まりませんでした。しかし、終了後に中国はパキスタン・チャスマの原子炉2基建設を支援することを明らかにしました。中国がNSGに加盟した2004年以前の契約だからということです。
 インド、パキスタンが核実験を行った1998年、日本も共同提案国となり、全会一致で決議された、国連安保理決議1172では、インド及びパキスタンに対し、「核兵器開発計画の中止」、「核兵器用の核分裂性物質の生産中止」を求め、「全ての国に対し、インド及びパキスタンの核兵器計画に何らかの形で資する可能性のある設備、物質及び関連技術の輸出の禁止」を求めています。今年のNPT再検討会議の最終文書でも、「全ての加盟国に対して、核関連輸出が直接的にせよ間接的にせよ、核兵器の、またその他の核爆発装置の開発を支援してはならない」ことを確認しています。
 また、インドは包括的核実験禁止条約(CTBT)にも署名していません。日本が促進をしているCTBTの発効要件国のうち、未署名国はインド、パキスタン、北朝鮮だけです。インドとの交渉では、少なくともCTBTへの署名・批准、インド国内の全ての核施設を査察の対象として、核兵器開発をやめさせることが前提となるべきです。そうでなければ、日本自ら提案した国連決議に反して、核兵器計画に何らかの形で資する可能性のある設備、物質及び関連技術の輸出につながる協定を結ぶことは許されません。原水禁は、6月25日に首相と外相宛に日印原子力協定の締結に反対する書簡を送りました。

日本の核軍縮外交の存在感を示すチャンスに
 日本とインドは6月28日、原子力協定の締結に向けた第1回交渉を開始しました。NPTの土台をゆるがす状況が続く中、逆に日本から働きかける材料があります。先にインドとの原子力協定を結んでいる米国やフランスから日本の協力への圧力がある背景は、日本企業の持つ原子炉関連技術です。原子炉圧力容器の生産に関しては、日本製鋼所が世界の8割のシェアを占めています。インドへの原子力発電の機材や技術の輸出を望む産業界に屈せずに、非核を国是とした核軍縮外交の存在感を示すチャンスです。
 インドが核兵器を放棄してのNPT加盟は無理でも、日印交渉では核軍縮に向けた原則を掲げて、核実験、保障措置、核燃料の転用防止、再処理・濃縮のような機微技術(核兵器に転用できる技術)、核物質生産モラトリアムなどの点でどれだけ軍縮・不拡散への実質的成果をあげられるか、外交の真価が問われています。
 インドでは2020年までに原発20基以上を建設するという見通しも出されています。インド国会の委員会で審議中の「原子力による被害に対する民間補償責任法」では、事故が起こった場合でも補償の上限を4億5千万ドルにしようとしています。原子力産業を事実上免責にし、人々にリスクを負わせてまで原子力を推進する道を取ろうとしており、日本がそれに手を貸すのかどうか、重大な選択が迫られています。

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被爆65周年原水禁世界大会に向けて(3)
新しい核兵器廃絶の枠組みが必要

オバマ米大統領は中東を裏切るのか
 前号で核拡散防止条約(NPT)再検討会議はぎりぎりに合意文書を採択し、NPT体制崩壊の危機は回避されたと書きましたが、その後、やはり危機感をいだく事態となっています。
 まず、今年の再検討会議の成果の一つに、中東非核化会議の2012年開催があります。中東非核化会議は、1995年の再検討会議で、NPTの無期限延長と引き替えに米欧が中東諸国との協議で合意したものです。しかし、15年間会議は開催されず、中東の怒りは頂点に達していました。今年の再検討会議では冒頭から中東諸国が中東非核化会議の開催を求めたのです。
 こうした中東諸国の怒りは国際原子力機関(IAEA)会議でも反映され、昨年9月の総会でイスラエルの核問題に懸念を表明し、米欧の反対を押し切ってイスラエルのNPT加盟を求める決議が採択されました。これを受けて、IAEAは5月10日に、6月開催の理事会でイスラエルの核問題を正式議題とすることを発表しましたが、6月7日に開催されたIAEA理事会で、米欧がイスラエル核問題を議題とすることに反対し、討議に入れないまま、イスラエル核問題は9月の総会へと先送りされました。
 さらに、7月5日に訪米したイスラエルのネタニヤフ首相に、オバマ米大統領は9月のIAEA総会でイスラエル問題を取り上げることに反対すると明言しています。米国は、NPT再検討会議・合意文書の中で、2012年に中東非核化会議を開催するという文言には賛成しています。一方、米国はどこまで本気でイスラエル核問題に取り組むのか、中東の怒りは再び高まっています。
 しかし、イスラエルが少しずつ追い詰められているのは確かで、こうした中、イスラエルによるイラン攻撃の噂も再び流れています。イラン攻撃はイスラエル単独では不可能と言えますが、6月下旬にはイランを偵察する軍事衛星を打ち上げており、軍事攻撃する準備は進んでいます。

インドを軸とする原子力輸出の流れの危険
 08年に米ブッシュ前政権は、インドと「米印原子力協定」を調印しましたが、これはインドを第6の核保有国として認め、NPT体制を空洞化させかねないものでした。ただ、協定が効力を発揮するためにはIAEAと原子力供給グループ(NSG)によるガイドライン修正が必要で、とくに、被爆国日本が修正案を認めないことを、日本と世界の反核運動が求めました。しかし、日本を含め全ての加盟国が修正案を承認したことによって、協定は米国両院で承認され、発効しました。
 そして今、日本政府はインドからの原子力技術供与の要請に応え、原子力協定締結へと動き出しています。インドは急速な産業発展の中で、エネルギー不足を補うために、特に日本の原子力発電技術の提供を強く求めています。日本の原発メーカーもまた、国内での原発建設が進まないため、海外へ売り込みを図っているのです。
 しかし、深刻な放射能汚染事故の危険が大きい原発の輸出より、風力や太陽光発電技術など、自然エネルギーを輸出する方が、はるかに安全な輸出と言えます。日本とインドとの原子力協定締結の動きの中で、韓国もインドとの締結に動き出しています。また、中国もパキスタンで原発建設を進めようとしています。

NPTの欠陥を封印するな
 もともと、NPTには大きな問題があります。NPTは1967年以前に核兵器を保有していた米、ソ(ロシア)、英、仏、中の5ヵ国を核兵器国として定め、それ以外の国を非核兵器国として、核兵器を保有しないことを約束し、IAEAの保障措置の受諾を義務づけています。
 一方、核兵器国は核軍縮へ向けて「誠実な交渉を行うことを約束する」としているだけで、核兵器開発、製造、貯蔵などは一切規定していません。こうした非核兵器国だけを厳しく規制する条約ですが、仏、中は「NPTは米、ソによる支配」だとして加盟を拒否し、仏、中のNPT加盟は冷戦が終わった後でした。インド、パキスタンは5ヵ国にだけ核保有を認める不平等条約だと加盟を拒否し、核武装の道を歩みました。
 しかし、これら核保有国を見ていると、核が国を守ってくれると考えるのか、核保有国は程度の差こそあれ、各国とも傲慢な態度を取り始めます。NPTは本当に核兵器廃絶を実現する道を切り開くのでしょうか。全ての核保有国が参加した、核兵器廃絶への道を討論する、新しい枠組みが今、必要だと思います。
 そして、被爆国・日本は積極的なイニシアチブを取れると考えられるのですが、それは幻想なのでしょうか。今年の原水禁大会では、そのことの議論の深まりも期待されます。

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【本の紹介】
人は愛するに足り、真心は信ずるに足る アフガンとの約束
中村哲著・澤地久枝(聞き手)


2010・岩波書店刊
 中村哲医師(ペシャワール会代表)は、主にアフガニスタンを中心にハンセン病などの治療と、水不足解消のため井戸を掘り、用水路を造る活動を26年にわたって続けてきた。その中村さん(現在63歳)の素顔と理念に澤地さんが迫っている。対談を行う目的について澤地さんは「何か役に立ちたい、私は考え、思案の末に行き着いたのは中村先生の本を作り、本が良く売れるようにつとめ(これが問題だが)、得られる印税によって先生を若干なりと助けること」と書いている。
 なぜこの医師は人生の大半をこの活動に捧げてきたのか。クリスチャンとしての信仰、父からの論語教育、その父と伯父火野葦平が社会主義者として生きつつも治安維持法に屈服したとの教訓、とくに祖父・父の世代への畏敬の念が人格形成の根幹にあることがわかる。
 澤地さんは中村さんの医師としての活動だけでなく、今まで中村さんが語ってこなかった家族のこと(肝っ玉の太い奥さんとの間に5人のお子さんに恵まれたけど1人を病気で亡くしている)、生い立ち(大の昆虫好きだが、人の役に立つ人間になれという父親の教えを受けて医学の道へ)、アフガニスタンの庶民の暮らし(大部分が農業で生計を立ててきた部族生活)などへの深い共感のもとに、中村さんの全てに迫っている。
 「高校生くらいの人がわかる話をしてください」との申し出で始まる本書。平易な言葉で深く熱い2人の思いが伝わる、地に足がついた静かな反戦の語り合いである。ぜひ、この夏あなたも2人の真剣勝負に立ち会ってみてほしい。
(鈴木 智)


水路開通で歓声を上げる作業員たち
(ペシャワール会HPより)
ペシャワール会HP
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/

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【映画評】
弁護士 布施辰治
(2010年日本/池田博穂監督)

 1910年、韓国併合条約が締結され、朝鮮半島は日本の植民地支配の下に置かれました。以来朝鮮の民衆は、皇民化教育や創氏改名などによって民族的アイデンティティーを否定され、さらに強制労働や戦争動員、そして「従軍慰安婦」など、数々の人権侵害に苦しめられることとなりました。厳しい弾圧が横行する中、しかし民衆の自由と独立を求める声は止むことはありませんでした。
 1919年2月8日、東京に留学していた朝鮮人学生たちは、植民地支配の不当性を明らかにした上で、民族の自由と生存のために独立を求めるとする宣言文を読み上げ、その場に居合わせた者の多くが検挙されました(「二・八独立宣言」)。この動向が朝鮮半島にも伝わり、最大の独立運動である「三・一独立運動」の引き金の一つとなりました。
 このとき、逮捕された彼らの弁護を引き受けたのが、布施辰治でした。彼は、朴烈・金子文子が皇太子暗殺を計画したとする「大逆事件」などの弁護、あるいは関東大震災の際に発生した朝鮮人虐殺の真相究明に携わったほか、女性、小作人、政治犯など抑圧された民衆の側に立った活動を行った人物です。精力的な活動の結果、彼自身も一度は弁護士資格を剥奪(資格は恩赦で回復)、また投獄され、息子も政治弾圧で獄死するなど波乱の生涯を送っています。
 キリスト教、トルストイに影響された人道主義者で徹底した死刑廃止論者であった布施辰治。映画「弁護士 布施辰治」は、彼の足跡をたどることで思想と行動を、そして関係者の豊富な証言を通して人間像を、生き生きと描き出しています。「生きベくんば民衆とともに、死すべくんば民衆のために」という彼の座右の銘が、胸に響きます。
 2004年、布施に対し独立に寄与したとして韓国から、日本人初の「建国勲章」が贈られています。韓国併合100年にあたり、日本と朝鮮半島の真の平和と友好を展望する上で、分断と抑圧に対し、勇気をもって闘い抜いた布施辰治の姿から、学ぶものは大きいのではないかと思います。
(山本 圭介)

問い合わせ先
製作委員会 http://www.fuse-tatsuji.com

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投稿コーナー
在朝被爆者とどのように向き合うか
ジャーナリスト・映画監督 伊藤 孝司

何の措置も受けていない在朝被爆者
 米国が投下した原子爆弾によって、広島で約5万人、長崎で約2万人の朝鮮人が被爆しました。その生存者の中で帰国したのは、広島が約15,000人、長崎は約8,000人。帰国した先は、朝鮮半島の南側へ約2万人、北側へは約3,000人と推測されています。
 朝鮮民主主義人民共和国で暮らす被爆者は「反核平和のための朝鮮被爆者協会」に組織されています。その協会が中心になって実施した被爆者の実態調査で、1,911人の被爆者を確認したものの、健在なのは382人であることがわかりました。死亡者は加速度をつけて増えており、2007年末の調査から2年半が過ぎた今では、健在な人はかなり減っていると思われます。
 韓国やブラジルなどで暮らす在外被爆者たちは、「被爆者はどこにいても被爆者」を合言葉に、日本の被爆者と同じ援護措置を日本政府に求めて運動してきました。その結果、居住している国で、被爆者健康手帳の申請・取得と日本政府からの諸手当を受けることができるようになったのです。ところが被爆者の中で唯一、何の措置も受けていないのが在朝被爆者なのです。

医療保障や被爆手帳交付をすぐに


李桂先さんは原爆投下から
12日後に広島で入市被爆した(映画より)
 政権が交代したにもかかわらず、政府の朝鮮政策は転換できていません。それどころか、韓国での哨戒艦沈没事件では、事実関係が明らかになる前に韓国政府の「調査結果」への支持をいち早く表明。また朝鮮の船舶への臨検をするための「貨物検査特別措置法」を施行しました。日朝国交正常化の実現は、さらに遠のいたと言えるでしょう。
 こうした厳しい日朝関係ではあるものの、政府は在朝被爆者に対して行わなければならないことがあります。1)医療支援、2)被爆者健康手帳交付と手当ての支給、3)補償です。補償については、国交正常化交渉の中でしか決められないでしょうから、実現にはかなりの時間がかかります。もっともハードルが低いのは医療支援です。2001年に外務省・厚生労働省による在朝被爆者調査団が平壌(ピョンヤン)へ派遣され、医療支援実施へ動き出したことがあります。日朝関係悪化により中断しているものの、日朝間に横たわる多くの難問の中では医療支援は前進させやすいでしょう。
 日朝国交正常化の前であっても、在朝被爆者への被爆者健康手帳交付と手当の支給は不可能ではないと思います。朝鮮と同じように国交のない台湾の被爆者が、台湾国内で申請をして手帳を取得しており、国交がないことは手帳交付を拒否する理由にはなりません。朝鮮と国交がある国は162ヵ国で、平壌には数多くの国が大使館を置いています。そのため大使館を持つどこかの国へ、手帳交付などの受付を委託するといったこともできるのではないでしょうか。受付のための事務所を、政府が平壌へ一時的に設けるという方法もあるでしょう。
 母親と共に広島で入市被爆し、今は平壌で暮らす李桂先(リ・ゲソン)さんは、母親が手帳を取得した際の書類で被爆が証明されており、手帳交付を受ける条件が整っています。また、帰国事業で朝鮮へ渡る際に手帳を返納や破棄した被爆者たちは、再発行を受けることが可能です。「朝鮮被爆者協会」副会長の朴文淑(パク・ムンスク)さんは、朝鮮の被爆者代表として参加した1992年の原水禁大会の際に手帳を取得しています。

映画「ヒロシマ・ピョンヤン」上演で支援の実現を
 この夏、私が監督した映画「ヒロシマ・ピョンヤン 棄てられた被爆者」が劇場公開されます。平壌で暮らす娘と広島の母親とが互いを思いやる心を中心に、在朝被爆者の実態を描いた映画です。制作・公開で平和フォーラム・原水禁に全面的な協力をいただきました。  この映画を一人でも多くの方にご覧いただくことで、在朝被爆者への一日でも早い医療支援の実現などに寄与することができればと思っています。

「ヒロシマ・ピョンヤン 棄てられた被爆者」劇場公開予定

■東京 ポレポレ東中野(03-3371-0088)~7月30日(金)
■横浜 シネマ・ジャック&ベティ(045-243-9800)
 7月31日(土)~8月13日(金)
■新潟 シネ・ウインド(025-243-5530)
 7月31日(土)~8月6日(金)
■広島 横川シネマ(082-231-1001)8月14日(土)~26日(木)
■京都 京都シネマ(075-353-4723)
 8月21日(土)~9月3日(金)
■大阪 第七藝術劇場(06-6302-2073)8~9月公開予定

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今年の原水禁大会 主な海外ゲスト

 今年も海外からゲストが原水禁大会の分科会や国際会議へ参加します。主な参加者は次のとおりです。
■ポール・マーティンさん(米・ピースアクション政策担当)
 1993年から政策担当としてピースアクションで活動。

■イ・テホさん(韓国・参与連帯副議長)
 今年のNPTのNGO会議「アジア太平洋の軍国主義への抵抗と核兵器廃絶の実現」のパネリスト討論にも参加。

■メニュエル・F・ピノさん(アメリカ先住民・アコマ族)
 1970年代後半から「全米インディアン青年会議」の活動家として、ナバホ族居住地の石炭開発の環境破壊問題などに取り組む。

■郭 貴勳さん(元韓国原爆被害者協会会長)
 1944年、日本軍に召集。広島で45年に被爆。その後、韓国に帰り、教職の傍ら原爆被害者協会の設立に尽力。

■李 一守さん(在韓被爆者)
 韓国原爆被害者協会釜山支部会員。長年在韓被爆者の救援活動にかかわってきた。広島被爆者。

■ロバート・グリーンさん(ニュージーランド軍縮・安全センター共同所長)
 1962年から82年まで、英国海軍に勤務。その後、「国際司法裁判所プロジェクト」の英国支部議長、中堅国イニシアチブ戦略計画委員会議長を務めた。

■スヨルさん(韓国・社会進歩連帯政策委員)
 社会経験を経て、韓国社会進歩連帯政策編集部長から政策部長。現在は政策委員を務める。

■オ・ソンイさん(韓国・エネルギー正義行動スタッフ・エネルギー白書発刊担当)

■(中国・平和軍縮協会)
※韓国・社団法人5.18拘束負傷者会からも参加。

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