2010年、ニュースペーパー

2010年09月01日

ニュースペーパー2010年9月号



 「核も戦争もない平和な21世紀に」―広島、長崎への原爆投下から65年目の今年、「被爆65周年原水爆禁止世界大会」が開催されました。8月4日~9日の間、開会大会や国際会議、分科会討議などに、国内、海外から約1万人を超える人々が参加しました。今年は、広島での平和祈念式典に、バン・キムン国連事務総長や米国のルース駐日大使ら、74ヵ国の関係者が出席するなど、オバマ米大統領が提唱する「核なき世界へ」の実現へ、大きな期待が高まる中での開催となりました。写真は、8月4日に広島で行われた「折り鶴平和行進」。

【インタビュー・シリーズ その49】
多様化するメディア社会での公共放送とは
日本放送労働組合委員長 山越 淳さんに聞く

【プロフィール】
1963年東京生まれ。大学卒業後、NHKに入局。主に大阪でドラマの制作に携わる。日本放送労働組合関西支部の執行委員を皮切りに、同書記長、委員長を歴任し、2003年から副中央執行委員長、06年から委員長に就任。「特に組合活動をやってみたかったわけではなく、順番なので仕方なく役員を引き受けた」ものの、今では労組役員の専従期間が長くなった。しかし、番組制作の夢は持ち続け、「組合を退任したら、つくってみたいのはホームドラマ。それも、普通の日常風景を映し出すようなものにしたい。でも、それでは企画は通らないでしょうね」と笑う。

──放送の世界に入るきっかけを教えてください。
 中学生の頃からドラマや映画に興味を持つようになりました。特に、ドラマでは当時NHKで放送していた「男たちの旅路」(76年~82年・山田太一脚本)や、佐々木昭一郎さんの映像美(四季・ユートピアノ、川3部作など)に魅せられました。大学では、全く違う学部に入りましたが、自主映画づくりに夢中でした。親はかなり嘆いていましたが…(笑)。卒業後も映像表現をしたいと思い、映画の世界も考えたのですが、あまり採用が無くて、そんな時に小さい頃から影響を受けていたNHKが選択肢に浮かび、幸いにも入局することができました。
 NHKでは主にドラマのディレクターをやっていました。制作現場での最後の頃に携わった作品としては、92年の朝の連続テレビ小説の「おんなは度胸」があります。温泉旅館を盛り立てていく嫁と義理の娘の話で、泉ピン子さんや桜井幸子さんが出て、90年代以降ではかなり高い視聴率(平均視聴率38.5%)を取っていました。その後、労働組合の専従をするようになって、現場を離れて15年になります。もう、現場では戻ってきて欲しくないようですがね(笑)。

──NHKは受信料で運営されるということで、他の民間放送とは違いますね。
 正直言って、私も制作現場にいる間は、受信料で支えられていることをあまり意識しませんでした。労働組合に入り受信料を集めに回っている人たちの苦労も知ることで、受信料をもらっていることを改めて意識するようになりました。
 このシステムは特殊で、世界的にも例がない形だと思います。04年の番組制作予算の使い込み問題等から、不払い運動が起こるなど厳しい局面もありましたが、放送の自主自立を担保できる他の制度があるとは思えません。強制力が曖昧な制度ですが、視聴者から自発的にお支払いいただくことでNHKが運営されていることを忘れてはならないと思っています。そうしたことで、スポンサーのしばりがきついと言われている民放とは違う自由な部分がある反面、決して無責任であってはいけないと思っています。

──NHKは公共放送ということが常に問われています。
 公共放送というと、報道やドキュメンタリーが常に思い浮かびますが、ドラマなども良質なものを伝えるということでは、極めて重要な公共性があると思っています。また、多様な意見を伝えるということも大切です。民放を見ていると、一定の意図を持って報道番組などが構成されているように見えるところがあります。その点は、NHKは節度を守っていると私たちは自負しています。それでも、番組をつくる過程でどうしてもつくり手の意図が働いてしまいがちです。「日本の、これから」のような生の討論番組にもチャレンジしていますが、きちんと議論の材料を伝えていくことも公共放送の役割でしょう。
 情報がはんらんする中で、視聴者が何を求めているか、選択するための情報をきちんと提供することができるかどうかで、テレビが存在し続けられるかが決まるという危機感を持っています。人気者だけを集めて番組をつくるということではテレビ文化そのものが無くなってしまう恐れがあります。そして何よりも、放送の自主自立のために現場は何をするべきか、それを不断に考えていくことが大切です。
 あと1年もしないうちに、テレビはデジタル放送に移行してしまいます。しかし、今のままではテレビを見ることができない人も生まれかねません。一方で、パソコンやネットも発達して、私たちの周りには多様なメディアが存立しています。テレビ屋にとっては厳しい状況ですが、私はテレビの可能性はまだまだあると思っています。「家庭にテレビを取り戻す」─これが私のモットーです。インターネットが1対1の通信手段ならば、テレビは多くの人たちが一緒に見て、楽しみ、考えることができる場だと思います。昔の街頭テレビがその典型ですが、そうした環境空間を取り戻したいと思っています。

──そのためには、労働組合の役割も大切になってきますね。


日放労が行っている「公共放送のインタビュー」
(ジャーナリスト・小田切誠さんへのインタビューの様子)

 一般の会社でも経営のあり方をチェックするのが組合の役割だとすれば、公共放送のあり方について常に考えていくのも日放労の使命のひとつだと思っています。日放労では08年度から、あらためて公共放送のあり方を考える取り組みとして、様々な方に提言をしてもらう「公共放送インタビュー」を行っています。私たちはこの取り組みを通じて、将来的な公共放送のビジョンを描くために、それを支える受信料制度の意義づけや公共セクションとしての機能などについて、多面的な知見を収集し、今後のNHK論議に一石を投じていきたいと考えています。その内容は、随時ホームページにも掲載しています。
日放労のホームページ http://www.nipporo.com/
 04年のNHKの不祥事問題は、労働組合の必要性とは何かを考える大きな契機になったと思っています。日放労はユニオンショップ制なので、労組に入るのが当たり前であるため、なかなかそうしたことまで考えることができませんでした。今年、「総務省審議会の審議対象拡大」の規定が盛り込まれ、放送関係者から「番組介入が起こりかねない」と反発が強かった放送法の改正案は廃案になりましたが、メディア規制につながる危機的状況は続いていると思います。日放労でも組合役員の多くは20代、30代になっており、そうしたことも含めて、組合の役割を若い人たちにどう伝えていくかが問われています。

──ところで、趣味はなんですか。
 やはり、テレビが大好きですね。時間のあるときは一日中、様々な番組を見ているときがあって、家族からは疎んじられています(笑)。民放を含めて、色々な番組を見て、何が正解かを考えるようにしています。
 民放の番組では、地方の小さな放送局で長い期間をかけてつくられたドキュメンタリー番組で、時々素晴らしいものがあります。NHKは一定期間で異動があるため、なかなか腰を据えたものがつくれないという弱点があります。取材される側との関係性を作れるような番組は、そうした小さな民放から生まれています。民間放送連盟と協力して、そうした優れた番組をNHKでも流すようになりました。これも公共放送の役割だと思っています。

──平和フォーラムに期待することはありますか。
 平和や反核、環境問題など、大事なことでも、それぞれの組織や個人で全てをやれるわけではないので、平和フォーラムがやっていることは大切だと思っています。しかし、そのためにどう一歩を進めていくかを考えていかなければなりません。昔のように旗を立てれば人が動くような時代ではありませんし、運動に参加する組合員の気持ちはどうなのかをしっかり見ていく必要があると思います。本当の意味での人権や平和のあり方を考えていくことが求められているのではないでしょうか。

〈インタビューを終えて〉
 「公共放送の在り方とは何か」――テレビとともに歩んできたような山越委員長のライフワークのようです。お話を伺うと、「家庭にテレビを取り戻す」ということが、公共放送の物差しのように聞こえてきました。単独の通信手段が広がる中で、一つの番組を複数で見て、楽しんだり意見が分かれたり、そうした営みが家庭というコミュニティの最小単位に不可欠だということなのかもしれません。テレビを家族とともに見る時間をつくることが先決ですが…。
(藤岡 一昭)

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核兵器廃絶、ヒバクシャ支援、脱原発へ向けた取り組み強化を!
被爆65周年原水禁世界大会開かれる

広島・長崎に1万人を超える人々が結集
 被爆から65年目を迎えた8月4日から9日にかけて、広島・長崎で「核も戦争もない平和な21世紀に」をメインスローガンに、原水爆禁止世界大会を開催しました。参加者は、原水禁・連合・核禁会議の三団体の開会大会に広島6,800人、長崎4,500人が集まりました。
 8月5日の国際会議には、約100人が参加し、今年5月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議をどのように受け止め、具体的な運動に結びつけるのかを問いました(内容は5ページ)。
 分科会では、核兵器廃絶、ヒバクシャとの援護・連帯、脱原発の三つの課題を中心に議論しました。また、子どもたちの取り組みとして、「メッセージfromヒロシマ2010」には全国から約400人の子どもたちが集まり、高校生1万人署名運動も、炎天下で元気に署名活動や集会に取り組んでいました。

「核の傘」から離脱し、東北アジア非核地帯を
 NPT再検討会議の議論を受けて、核兵器廃絶に向けた具体的な動きをつくり出すために、これまで以上の原水禁・連合・核禁会議の三団体と平和市長会議との連携強化を進めていくことが確認されました。
 また、核密約問題が明らかになる中で、一部の政治家やマスコミなどによる非核三原則の2.5原則化(一時的寄港や通過を認めるなど)への動きに対して、非核三原則の法制化を提起しました。今後は法制化へ向けた議論や地方議会決議などの展開が求められています。
 日本とインドとの原子力協定の動きは、被爆国日本が率先してNPT体制を空洞化させるものであることも訴え、広島では大会特別決議も採択しました。これも今秋以降、締結反対の地方議会決議などの取り組みが求められています。
 さらに、東北アジアの平和と安全をどのように築きあげるのかが問われ、朝鮮民主主義人民共和国の核実験や韓国の哨戒艇沈没事件、米軍再編と普天間基地問題など、様々な不安定要因を抱える中で、東北アジア非核地帯構想を掲げました。米国の核の傘からの離脱を求めていくことが重要となる中で、菅直人首相の「核抑止力は必要」との発言は大きな問題です。

ヒバクシャ援護対策の充実と国際的な連帯を


広島の平和祈念式典に
バン・キムン国連事務総長が出席(8月6日)

 被爆者健康手帳の所持者は227,565人(2010年3月末)となり、高齢化が進む中で、生活や健康不安を抱えて暮らしており、残された課題の解決が急がれています。特に今大会では、長崎の被爆体験者へ被爆者健康手帳を交付させることや、在外被爆者の課題では、「被爆者はどこにいても被爆者」という立場から、現行の最高限度額を設定した助成制度に限定した制度を国内と同様にすること、さらに、これまで何の援護も受けていない在朝被爆者への援護を行うこと、被爆二世・三世の健康不安を軽減させるための健康診断の充実などが、今後の運動の課題として確認されました。
 また、アメリカの先住民のメニュエル・F・ピノさんが参加し、ウラン採掘における被曝の実態が報告されました。ウラン採掘に日本企業が関わっていることや原子力の商業利用の中での核被害の問題が明らかになり、今後の連携の強化が求められています。

プルトニウム利用の破たんとエネルギー政策転換へ
 脱原発の課題では、プルトニウム利用政策の破たんとエネルギー政策の転換を訴えました。六ヶ所再処理工場が稼働できないでいる中で、もんじゅやプルサーマルが動き出しましたが、その先行は不透明なままです。大会では、プルトニウム利用路線の転換の必要性を明らかにし、各地での今秋以降の運動の強化が確認されました。
 さらに、エネルギー政策の転換を求める上で、自然エネルギーの積極的活用を訴え、エネルギー政策の転換を求める提言を原水禁としてまとめ、今秋からの国会での議論を進めることをめざしています。

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被爆65周年原水禁世界大会・国際会議
NPT再検討会議後の運動を考える

 被爆65周年原水禁世界大会・国際会議は、「2010 NPT再検討会議を受けて―東北アジアをめぐる核状況と非核化」をテーマに、8月3日、広島市のアークホテルで、パネルディスカッション形式で開催されました。討論は、川崎哲さん(ピースボート共同代表)、中村桂子さん(ピースデポ事務局長)の二人をコーディネーターとして進められました。

「ヒバク国日本」が今ほど問われるときはない
 初めに、藤本泰成・原水禁大会事務局長がキーノートスピーチを行いました。そこでは、1)崩壊の危機の中で開催された2010年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議は、不十分ながらも「合意文書」を採択したことによって、核廃絶社会への新たなスタートを切ったと評価。しかし米ロなど核兵器国が、核兵器廃絶への「行程表作成」に強く抵抗したことが示すように、核兵器保有国の核兵器への強い執着心も浮き彫りにされたことから、世界の核廃絶運動の一層の強化が重要。2)中東非核化会議の2012年開催は、イスラエル、イランを含む中東全域での今後を左右するものとして評価。3)韓国哨戒艦沈没をめぐり緊張が続く朝鮮半島について、韓国内では合同調査団の報告に多くの疑念が存在している。真相究明には時間がかかるが、それを待つことなく、6ヵ国協議再開を求めて行くことの重要性。4)現在、日印政府間で協議が進んでいる「日印原子力協定」は、NPT体制を崩壊させかねない問題であり、強く反対すると提起しました。

東アジア非核化へ向けての熱い討論


左からポール・マーティン氏 イ・テホ氏 候紅育氏

 パネルディスカッションでは、米国・ピースアクション政策担当のポール・マーティンさんが「米核戦略と朝鮮半島の非核化」と題して報告。まずNPT再検討会議で合意文書が採択されたことを評価した上で、「核態勢の見直し(NPR)の中で、オバマ大統領は核兵器の役割を削減すると約束しているが、米ロ間の『新START条約』の調印はこうした考えに基づくものだ。議会保守派は新STARTに反対しているが、これは批准されるだろう。また朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の核問題は、軍事的というより、政治的な意味が強い。日本政府は6ヵ国協議を進展させ、米国に協議を継続するよう促すことができる立場にある。もっと積極的に行動すべきだ」と訴えました。
 韓国・参与連帯のイ・テホさんは「朝鮮半島の非核化から東北アジアの非核化へ―今求められること」と題して、東北アジアは核の脅威が解決されるか、さらに悪化するかの岐路にある。積極的な平和活動(先制平和行動)が今、東北アジアで最も求められていると訴えました。


パネリストの議論に熱心に耳を傾ける参加者

 中国人民平和軍縮協会の候紅育さんは「中国から見た東北アジアの非核化」というテーマで、特に北朝鮮、韓国、日本が非核地帯化で合意し、それを中国、ロシア、アメリカが尊重する、いわゆるスリー+スリー(3+3)方式が最も望ましいと訴えました。
 日本からピースデポ特別顧問の梅林宏道さんは「NPT再検討会議の結果と東北アジアの非核化」と題する報告の中で、「核軍縮を進める包括的アプローチ」として、核兵器禁止条約と東北アジアの非核地帯化の必要性を指摘しました。また、討論の中で、元英国海軍将校のロバート・グリーンさんの「核抑止論は虚構である」との報告などもあり、参加者からの意見も含めて討議が進められました。これらの内容は、大会記録集に収録される予定です(10月発行・1,500円)。

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東アジアに真の平和と友好を築くために
今こそ日本の歴史的責任の清算を

 今年は「韓国併合条約」の強制締結(1910年)から100年にあたります。また日本の敗戦による朝鮮半島の植民地支配の終結(1945年)から65年でもあります。日本と朝鮮半島との間に存在する不幸な歴史を振り返る上で、「始まり」と「終わり」という二重の意味で、大きな節目の年にあると言えます。
 しかしながら、この「不幸な歴史」には、本当の意味での終止符が打たれていると言えるでしょうか。

今なお続いている日本の加害の歴史
 日本政府は、村山富市元首相による内閣総理大臣談話(1995年8月15日)で、植民地支配と侵略によってアジア諸国をはじめとした多くの人々に多大の損害と苦痛を与えたことに対し、痛切な反省の意と心からのお詫びの気持ちを表明しました。
 しかしそれ以降、政府がとってきた政策は、過去の歴史に対する真摯な反省を踏まえたものとは、到底言えないものでした。たとえば旧植民地出身者への補償問題や歴史認識問題は未解決のままです。首相や閣僚による靖国神社参拝も繰り返されてきました。そのような中で、国内では歴史を歪曲して侵略戦争や植民地支配を正当化し、あるいは韓国・朝鮮などの在日外国人への差別・排外主義を扇動する勢力が台頭してきています。彼らは、南京大虐殺や従軍慰安婦などの責任を問う人々に対して「嘘吐き」呼ばわりし、あらん限りの悪罵を投げつけています。
 日本の加害の歴史は過去のものとなったのではなく、今なお継続しているものであり、そしてその解決のために、私たち日本人一人ひとりが現在の問題として真摯に向き合わなくてはならないものだと言えます。

課題が残る「菅首相談話」


「韓国併合100年・院内集会」の様子(5月25日・参院)

 8月10日、菅直人首相は内閣総理大臣談話を発表しました。これは韓国併合100年にあたって、「意に反して行われた」植民地支配がもたらした、多大の損害と苦痛に対しての痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを、改めて明確に表明したものとして評価できます。
 しかしこの談話は、もっぱら韓国政府に対して向けられたものとなっていて、植民地支配のもうひとつの当事者である北朝鮮の存在が、すっかり欠落しています。朝鮮半島全体に対して行われた植民地支配の歴史からしても言及がないことは問題です。「将来の東アジア共同体の構築をも念頭に置いたこの地域の平和と安定」を言うのであれば、なおさら日朝間の正常な国交関係の樹立を抜きにしては語ることはできないのではないでしょうか。

被害の実態を把握し、補償実現へ
 平和フォーラムは以上のことを踏まえ、特に次の2点について、首相談話に盛り込むことを要請してきました。

  1.  過去の歴史を直視するため、内閣に日本の侵略行為や植民地支配の歴史的事実を調査する機関を設置し、政府機関が保有する記録を全面開示する。
  2.  戦後処理に関する全情報を開示し、戦後処理の在り方を再検討し、残された戦後諸課題に立ち向かう。

 日本政府は戦後一貫して、加害の事実に向き合うことから逃げ回ってきました。しかし仙谷由人官房長官が日韓における個人補償請求権問題に言及したことや、6月に成立したシベリア抑留者特別措置法が実態調査を規定しているように、状況は変化してきています。被害の実態を把握することは、今後旧植民地出身者に対する補償を実現する上での第一歩となるものです。
 また、ともに新たな未来を切り拓いていくためには、土台となる歴史認識を共有していくことが必要です。
 日本が朝鮮半島をはじめアジアに対して、歴史的責任を果たすことを求める大きな取り組みを、今こそつくり出していかなくてはなりません。平和フォーラムでは、「東アジアとの新しい連帯を築く」署名運動に取り組んでいます。9月30日の最終集約まで、ご協力をよろしくお願いいたします。

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議長国・日本への期待と不安
COP10の焦点とは
市民バイオテクノロジー情報室代表 天笠 啓祐

生物多様性は自然保護の基本
 10月11日から3週間、名古屋で生物多様性条約締約国会議(COP10)と、カルタヘナ議定書締約国会議(MOP5)が開催されます。日本では生物多様性という言葉自体、まだなじみが薄いのですが、とても大切な条約であり、締約国会議です。
 生物多様性とは、自然保護のもっとも基本となる考え方です。私たちの食卓には、多数の生物が並びます。豊かな自然があって初めて生きていくことができます。それは、他の生物も同じで、お互いに食べ物の連鎖になって自然を構成しています。そのため多様性が失われると食べるものが失われ、一つの生物種の滅亡が他の生物種の滅亡を連鎖的に引き起こします。その多様性を守るためにつくられたのが、生物多様性条約です。
 名古屋のCOP10での、最大の争点の一つが、ポスト2010年目標と呼ばれる、生物多様性保護の新たな目標設定です。2002年にオランダで開催されたCOP6で「生物多様性の損失を減速させるための2010年目標」が設定されました。今回はその評価と、新たな目標の設定が議論されます。気候変動枠組条約でいう、CO2削減のための数値目標設定に当たります。この目標設定が甘ければ生物多様性を守ることができず、厳しすぎると各国から「経済発展を阻害する」として批判が強まります。どのレベルで設定されるか、予断を許さない状況にあります。

遺伝資源の利益をどう配分するかも焦点


前回のCOP9に対する国際的な市民デモ(08年・ボン)

 生物多様性条約は、単なる自然保護の条約ではありません。最初は「生物多様性の保護」の方法が検討されました。しかし、検討の過程で先進国と途上国の間で激しい対立が起きました。自然保護を一方的に押しつけられようとした途上国が、経済発展の権利を主張したのです。そして加えられたのが、「その持続可能な利用」「そこから得られた利益の公正で衡平な分配」の2点です。
 途上国が批判した理由が、先進国や多国籍企業による「バイオパイラシー(生物学的海賊行為)」問題です。先進国や多国籍企業は、熱帯雨林などから得られた生物資源を利用して、医薬品などを開発し、利益を得てきましたが、その利益は資源国に還元されてきませんでした。途上国は、その利益還元を求めたのです。それに対して先進国側は、開発努力とその結晶としての知的所有権を強調しました。この「遺伝資源から得られた利益の配分(ABS)問題」は、名古屋で決着を迎え「名古屋議定書」としてまとまる予定ですが、対立の根は深く、これも予断を許さない状況です。

遺伝子組み換えを規制するカルタヘナ議定書
 生物多様性条約には、カルタヘナ議定書というのがあります。遺伝子組み換え(GM)生物を規制したものです。なぜ特別にGM生物を規制したかというと、遺伝子組み換えは、種の壁を超えて他の生物種の遺伝子を導入する技術であり、生物多様性の基本である種の壁を壊すからです。
 しかし、この議定書でも当初から、南北対立が起きました。争点はGM生物などが遺伝子汚染などの被害を引き起こした際に、誰が責任を負うのか、どのように修復や補償を果たすかという「責任と修復」問題です。GM生物の輸出国や開発企業は、責任を負いたくありません。それに対して輸入国は厳しい責任を求めています。現在輸出国は先進国であり、輸入国は大半が途上国です。その対立が解消されないまま、名古屋の会議を迎えます。
 このように、10月の名古屋では「ポスト2010年目標」「ABS問題」「責任と修復」という三つの大きな争点があります。これまで日本政府は、先進国の立場を主張して、途上国と対立してきました。特に「責任と修復」問題では、食料輸入国であるにもかかわらず、米国や多国籍企業の立場を代弁してきました。というのは、米国・カナダ・アルゼンチンといった主な輸出国が全て議定書に加盟していないため発言権がなく、代わりに日本政府が発言してきたのです。そのため、市民・環境団体などから批判を浴びてきました。名古屋では、日本が議長国になります。参加国の大半とNGOは途上国寄りの決着を望んでいます。成功するか失敗するかは、議長の対応によるところが大きいと思われます。

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戦争犠牲者追悼、平和を誓う8.15集会
アジア・太平洋の人々の和解と共生へ


平和を誓う8.15集会

 戦後65周年の8月15日、平和フォーラムは東京・千鳥ヶ淵の国立戦没者墓苑において、アジア・太平洋の人々の和解と共生をめざし、二度と戦争による犠牲者を出さないために、非戦の誓いを新たにする「戦争犠牲者追悼、平和を誓う集会」を開きました。
 各団体代表など250人が参加。正午に全員で黙とうした後、江橋崇平和フォーラム代表が「東アジアの平和と友好のために共同して努力し、次の世代に繋げていくことが重要」と、平和への誓いを述べました。集会には民主党の川内博史衆議院議員や社民党の福島瑞穂党首も参加。また、集会に先立ち、横路孝弘衆院議長や菅直人首相なども参拝・献花を行いました。

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