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ニュースペーパー2010年10月号

2010年10月 1日

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 9月18日~19日、2010「在日朝鮮人歴史・人権月間」全国集会が福岡市で開催されました。写真はフィールドワークで訪れた旧住友忠隈炭鉱のボタ山ふもとにある無縁墓地。過酷な労働のなか異国の地で倒れていった朝鮮人労働者たちは、小さな岩石(写真左下)を墓標にして葬られましたが、日本人が人間のみならず犬猫の墓を立てるなどして荒らしたため、半数が散逸しています。その無念を涙ながらに訴える在日朝鮮人二世の「語り部」裵東録(ペ・トンソク)さん(写真左)。

【インタビュー・シリーズ その50】
どこでも、誰でも、安心して生活できる世界を
日本消費者連盟・代表運営委員 富山 洋子さんに聞く

【プロフィール】
1933年岡山県生まれ。1970年代初めより、地域の消費者団体にかかわる。88年に日本消費者連盟常任運営委員となり、90年、運営委員長。2000年、規約改正により代表運営委員となり現在に至る。ライフワークとして、自然との関係においても、政治・社会・経済的にも暴力を否定した人間のあり方を模索し、合成洗剤追放、食の安全を求める取り組み、反核・反戦の運動等に関わっている。「ふーどアクション21」の事務局長も務めている。

──日本消費者連盟はすでに40年以上の歴史があるそうですね。
 日本消費者連盟の創立委員会が結成されたのは1969年です。60年代というのは各地で公害問題が噴出していた頃です。飢えからは解放され、戦後の復興期、高度経済成長期を経て、とにかくモノをどんどんつくっていくというあり方の中でいろんな公害問題が発生し、全国各地で公害反対運動が取り組まれ始めていました。例えば、60年代後半には合成洗剤追放の取り組みがありました。戦中は石けんすら満足になかったのに、戦後アメリカからやってきた合成洗剤が、50年代には日常的に使われるようになり、その結果、河川は汚染され、多摩川などの堰には泡が大量発生し、さらに手肌の荒れなどのいろいろな問題が起きたことをきっかけにして、合成洗剤追放運動が地域で取り組まれました。
 それに悪徳商法の問題もありました。百科事典の訪問販売などですね。読みもしないのに置いておくと自分もハイソサエティになった気分になる。みんなが文化的なものに飢渇していた時代でした。何だってお金で買えるという幻想にとらわれている人も多かったのです。戦後の日本社会はモノ、モノで通ってきた。だからモノがあることに価値を置いた物質文化に基づいて、日本企業は札束でアジアの人たちをぶっ叩くようにして、今度はカネによる戦争を仕掛けていったわけですよね。だけど人々を真に幸福にする文化は、モノではないんですよ。そういった60年代から70年代にかけての日本の転換期の中で、日本消費者連盟が産声をあげたのです。

──富山さんが日本消費者連盟に参加されたきっかけは何ですか。
 私が世田谷に住んでいた頃、平屋かせいぜい二階建てくらいだった街並みに高層建築が増え、日照権の問題があちこちで発生していました。そんな中で、私自身が日照権を求める運動を始めたとき、日本消費者連盟の創立委員となった野村かつ子さん(本年8月逝去)を紹介されました。そのご縁で野村さんから、日本消費者連盟という組織ができたから手伝いに来てよと言われて、全国に参加を呼びかける手紙の発送作業などをお手伝いするようになりました。日本消費者連盟創立委員会結成が69年、個人会員制の組織として正式に発足したのが74年なので、私は当初からかかわっていたことになります。今のように事務局に入ったのは90年からです。それまでは一人の消費者として地域の消費者団体にかかわり、地域を中心に活動していました。

──日本消費者連盟はどのような活動に重点を置いているのですか?


築地市場の豊洲移転反対を訴えるデモにも参加(08年7月)
 日本消費者連盟には今、四つの活動の柱があります。一つ目は消費者の権利を守ること。その制度を求めています。二つ目は、食の安全と自給。食べることは命をつなぐ上で大切なことです。三つ目が健康と環境。健康と環境の問題は分かちがたいものです。四つ目は平和を求め、暮らし方を変えるということです。これは本当の平和とは何なのか、という問いかけを含んでいます。例えばゴミを大量に出す暮らし方も平和とは言えません。ゴミを燃やすときに排気ガスが出たり、埋め立てたときに有害物質が出たりして、そこの地域に住んでいる人は安心して暮らせないでしょう。暮らし総体から消費者問題を問いかけ、運動を展開していこうということで、そういう中に憲法を守る運動や反原発などが位置付けられています。
 ただ単に守る運動だけだったら私たちは圧倒的に劣勢です。自分たちがこう生きようよ、こう生活したほうがみんな仲良くできるし戦争しなくて済むじゃないか、という新しい価値観を提起する。消費者運動に関わった中で一番意義を感じられるのはそこです。自分たちが行動する中で見えてきたものを提起していきたいという意志と行動があったからこそ、ずっと運動を続けてくることができました。
 モノも情報も国境を越えて来る時代だから、こういう暮らし方がしたいと本気で思ったとき、地域の中で完結するのではなく、世界へと視野が自ずと広がっていく。どこでも誰でも消費者なのだから、消費者運動は国境を越えてつながらなくてはならない。どこでも、誰でも、安心して生活できる世界を、私はめざしたいと考えています。

──富山さんの運動の原点はどこにあるのですか?
 私は岡山県出身で、7歳のときに東京の大森区(現大田区)に引っ越してきました。子どものときに戦争を体験した世代です。敗戦を迎えたのは私が小学校6年生のときでしたが、原爆のことなどを聞いて、何で大人たちは戦争に反対しなかったんだろうと、子ども心に思いました。戦争に反対すれば牢獄に入れられ、殺されてしまうから大人たちは何も言えなかったのだと、後で思いましたが。そんな思いもあって、中学3年のときには社会科のレポートを「戦争のない社会をつくるにはどうしたらいいのか」というテーマで書きました。戦争は子どものような弱者にとって、何の得にもならないものですよね。実際、おなかはいつも減っているし、たいてい身内の誰かは死んでいるし、自分自身も爆弾で殺されてしまうかも知れない。子どもは子どもで、ちゃんと考えていたものです。私たち子どもも侵略者の側に立たされていたことは、後から思い知りましたが。
 また、女性が黙っていてはいけない、そういう意識が女性の中に芽生えていた頃でもあります。戦前は婦人参政権がないために政治には関われなかったし、戦争体験もありますよね。身を引き裂かれるような思いでわが子、わが夫を戦場に送り出して、そのときノーなんて言えなかったし、涙だって流してはいけなかった。自らを押し殺して、お国のために死んで来いとか、心にもないことを言わざるを得ないような状況に立たされた。一人の女性として、一人の人間として、きちんと行動しようという意識がありました。
 戦争を体験し、同じような思いをしてきたはずの私たちの世代が、どうして今こんなにおとなしくしているのかと思います。戦時中はいろんな研究をするにも、物を書くのだって自由にはできなかった。でも今は、いろいろあるにせよ、まだ選択できますし、発言できる。無言の圧力はあるにしても、自分がしっかり立っていれば、まだ進んでいけますよね。自分が岐路に立ったとき、どう選択してきたかが問われているのだと思います。大人たちはそういうことをまず、後に続く子どもたちにしっかり伝えなくてはならないと思っています。

──平和フォーラムに一言お願いします。
 労働団体、市民団体、消費者団体が、地域でもネットワークをつくっていけたら、基地や原発を地域から押し出していく力が生まれるのではないでしょうか。それぞれの地域の人たちがつながりあっていく中で、問題解決の方策は見つかる。そうして編み出されたものを、ひとつずつ披瀝しあって、お互いに手を結び合う中でこそ、未来の豊かな青写真が描けると思います。
 平和フォーラムはすでにそのような場づくりや行動提起をされていますね。今後もさらなる力強い展開を、ともにつくり出していきましょう。

(インタビューを終えて)
 消費者という経済の最小単位で社会を監視する日本消費者連盟の運動は、消費者の権利、生活と食の安全、地球環境、そして地域社会から発信する平和へのメッセージと今日的な課題を半世紀近くにわたって積み上げています。この運動に創成期から参画してきた富山さんの、現代社会を見抜く眼力に敬服しました。平和フォーラムの正式名称にある「平和・人権・環境」という私たちの思いにもエールをおくっていただきました。
(藤岡 一昭)

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米国との従属的関係の危うさ
「人間の安全保障」こそが、私たちのめざすもの

在日米軍基地の「役割」とは何のことか


「基地はいらない」6000人が参加した1.30全国集会(日比谷野音)
 「国外、最低でも県外」との鳩山由紀夫前首相の言葉は、日米の間に強力につくられてきた「安保の壁」に拒まれました。首相辞任直後のテレビ番組においても「独立国に他国の基地がある状態は異常」との考えを示したことは、「鳩山由紀夫」自身の思いが決して虚構ではなかったことを示しています。
 5月29日の「日米共同声明(2+2合意)」は、普天間基地の代替としての辺野古新基地建設を再度確認するものとなりました。しかし、政権与党議員で構成する「沖縄等米軍基地問題議員懇談会」(川内博史会長、近藤昭一事務局長)は、普天間飛行場を将来的に国外・県外に移設することを実現するため、連立与党・政府の基本方針の策定を求めて、与党内議員182人の署名を集め当時の鳩山首相に提出しました。
 5月29日の閣議決定文書には、「基地負担の沖縄県外又は国外への分散及び在日米軍基地の整理・縮小に引き続き取り組むものとする」との文言が挿入されました。これは、名護市長選挙、県民大会、そして9月12日に行われた名護市議会議員選挙で、一貫して沖縄県民が示してきた「基地はいらないという思い」が結実したものであると考えます。
 この間、「沖縄県民の思い」に共感したとしても、日本のどの地域も基地負担の受け入れを表明しませんでした。これは日本国民が、誰一人として米軍基地の受け入れを容認しない、見方を変えれば米軍駐留の必要性を評価していないということに他なりません。今後、このことを政権がどう受け止めて行動するのかが問われています。
 沖縄を中心とした在日米軍は、安保条約の防衛範囲を限定した極東条項をないがしろにして、太平洋・インド洋そしてアラビア海に展開し、古くはベトナム戦争、そして湾岸戦争、イラク・アフガン戦争の拠点となってきました。また、駐留経費の約7割を負担する思いやり予算や、基地内を治外法権とする片務的な日米地位協定など、米国に都合の良いように運用されてきました。改定安保条約から50年、東西冷戦下の東アジアを想定した米軍の日本駐留は、もはやその意味を失っています。変貌するアジアの現状において、在日米軍基地の果たしうる役割があるのか、その疑問に政府は答えなくてはなりません。

普天間・辺野古問題は不平等な日米関係の象徴
 日米政府は8月31日に、辺野古新基地建設に対する計画検討を発表し、これまでのV字滑走路案とI字滑走路案を併記しながら交渉を継続することとなりました。また、ここに来て辺野古新基地へのオスプレイ(イラク戦争やアフガニスタンでの実戦にも参加する米海兵隊の新型垂直離着陸機)の配備を米国側は通告しています。オスプレイ配備はないとの日本政府のこれまでの見解を否定するものです。
 一方で、在沖米海兵隊グアム移転協定の2014年履行は、グアムでのインフラ整備の遅れや米国の財政悪化の影響で実施不可能な状況となっています。米政府は、日本に対する追加負担を要求しており、日本政府は国際協力銀行(JBIC)を通じて米国に対して合意額以上の追加融資する案を伝達していると報じられています。
 しかし、米国民主党の重鎮で歳出委員長のバーニー・フランク米下院議員やロン・ポール議員は、「60兆円を超し米国の歳出の4割を超える軍事費が、経済活動や国民生活を大きく圧迫している」と厳しく批判し、米軍の世界展開を戒めるとともに、海兵隊が米軍の歴史的遺物であるとする報告を行っています。米軍がこの間とってきた軍事展開を見れば、先行上陸部隊としての海兵隊の役割は、薄れていると言っていいでしょう。神奈川県座間キャンプへの米陸軍第一軍団の移駐計画は、米軍側の一方的理由から撤回されました。現在進行中の米軍再編計画は、多様な要素によって変更されるものであることは明らかです。普天間・辺野古問題においても、決定事項はないと言っていいのです。
 普天間・辺野古問題は、日米関係のあり方を象徴しています。米国の軍事関係者からでさえ「島全体が都市化する沖縄の現状では、米軍の有為な訓練は困難になりつつある。グアム・北マリアナへの基地機能・訓練移転は、米軍の戦力向上につながる」との見方が表明されています。
 しかし、当時野党としてグアム移転協定に反対した日本の民主党が、政権奪取してもなお、米国の主張する辺野古新基地建設が撤回されることはありませんでした。辺野古問題の裏側に、どのような思惑や理由があるにしろ、現在の日米関係の現状が、決して平等ではなく米国主導の下で進められていることは明らかです。

「世界の警察」という米国の幻想
 2001年の「9.11同時多発テロ」から9年が経過しました。米国は「テロとの戦い」を標榜してイスラム社会の一部と強く対立してきました。イラクを混乱の極みに押しやった米国は、イラク撤退を決定し、アフガニスタンにおいても、厳しい状況に置かれています。米国が何を意図してきたかは別にして、反米勢力がアラビア湾岸でもアフガニスタンでも少なくとも敗北せず、明らかに米国の望まない方向に進んでいることは確かです。
 米国は、東アジアにおいても「韓国哨戒艦チョンアン沈没事件」をきっかけに、黄海上において米韓軍事演習を繰り返し、北朝鮮とそれを擁護しようとする中国との対立を深めています。
 リーマンショック以降、国内経済の立て直しが急務であり、これまでの単独行動主義を改め、対話と協調へ路線転換したとされる米オバマ政権ですが、「世界の警察として、圧倒的な核兵器と軍事力の圧力を持って世界秩序を構築する」という米国の幻想から抜け出せないでいます。そのことが、米国国民の安全にとって脅威になっているのは明らかです。米国の一方的な世界戦略への憎悪は、多くの勢力との対立を生み出しています。

専守防衛に反する新安防懇報告


普天間爆音訴訟団による外務省への要請行動(8月2日)
 首相の諮問機関である「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」(新安防懇)は8月27日、将来の安全保障に対する報告書をまとめ、菅直人首相に提出しました。その報告書は、日本が世界の平和と安全に積極的な役割を果たす「平和創造国家」をめざすとしていますが、一方では、PKO参加五原則の見直し、武器輸出三原則や非核三原則の緩和、集団的自衛権の行使を禁じる憲法解釈の変更など、これまでの平和国家の理念を覆し、歯止めのない戦力行使への道筋をつけようとしているものでもあります。「基盤的防衛力」という概念の放棄も、「専守防衛」の基本構想を脅かすもので、先制抑止的な考え方に踏み込むものです。「国家存立を脅かすような本格的武力侵攻は想定されない」としながら一方で、力には力という武力均衡、ないしは優位的な武力を用いての、旧来の安全保障の考え方から抜け出していません。
 5月29日に発表された「日米共同声明(2+2合意)」の最後には、「伝統的な安全保障上の脅威に取り組む」と書かれています。新安保から50年が経過し、共産圏を標的にしたこの表現が、いつまで通用するというのでしょうか。平和フォーラムは、大きな疑問を感じざるを得ません。新安防懇の報告書に表現された安全保障のあり方こそ、見直されるべきものであると考えます。

やはり「武力で平和はつくれない」
 平和フォーラムは、「武力で平和はつくれない」として「人間の安全保障」を世界規模で確立させることが、平和への唯一の道であると考えてきました。「平和を求める国際社会で名誉ある地位を占めたい」とした日本国憲法前文にある考え方に立脚した新しい国際貢献が必要です。また、そのことをもってする国際的な信頼醸成、それ以外に、私たちがめざすべき安全保障政策はありません。
 平和憲法を掲げ、第二次世界大戦後65年、一度として引き金に手をかけなかった日本の立ち位置こそ重要であり、その認識の共有こそが世界平和の実現に貢献する日本をつくり上げると確信します。10月16日に開催する「日米安保と東アジアの平和を問うシンポジウム」(東京・社会文化会館)や、11月6日から宮崎で開催される「憲法理念の実現をめざす第47回大会」(護憲大会)において、そのことを徹底して議論することにしています。

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危機的状況にある食料・農業・農村
新年度予算は政策転換につながるか

農業就業人口、農家所得が大幅に減少
 この5年間で農業に携わる人が22%も減少─農水省が9月7日に発表した2010年の農林業センサスの調査でわかりました。農業就業人口は260万人と、前回調査の05年に比べて75万人も減りました。この減少率は過去最大で、農業を支えてきた昭和一けた生まれの世代が離脱していることが大きな原因と言われています。
 さらに、同13日には、08年度の農家の農業所得(純生産)が5年連続で減少し、3兆410億円(前年度比8.3%減)にまで落ち込んでいたことがわかりました。農産物価格の下落や、飼料や肥料、農薬などの生産資材価格の高騰が主な要因です。農業純生産が最も高かったのは1990年度で、6兆833億円でしたから、18年間で半分に減ったことになります。
 一方8月10日に、09年度の食料自給率が前年度に比べて1%下がり、40%になったことも発表されました。低下したのは3年ぶりで、天候不順による減産や、輸入小麦の値下げの影響で米の消費が減ったことなどが原因に上げられています。政府は3月に策定した「食料・農業・農村基本計画」で、食料自給率を20年度までに50%にする目標を掲げていますが、達成が一層困難になってきています。

畑作物にも拡大する戸別所得補償制度


各地で拡がっている農産物直売所(福島県須賀川市で)
 このように、食料・農業・農村をめぐって、かつてない危機的状況が続く中、菅政権による農業・農村再生への政策が重要課題となっています。先の参院選での1人区の大敗も受け、政府は来年度から戸別所得補償制度の本格実施などを進めるとしています。同制度は、今年度から米をモデル対策として行われていますが、農家の生産にかかる費用と実際の販売価格との差額で赤字になる部分を基本に、農家へ国から直接お金を支払う仕組みです。欧米では一般的な政策として行われています。
 来年度からは、米に加えて小麦、大豆、テンサイ、ソバなど7品目の畑作物が対象になり、営農を継続するために必要最低限の10アール当たり2万円が支払われます。さらに、単位面積当たりの収量を増やす努力をした農家には交付金を増やします。また、品質の向上や不作地へ新たに作付けした場合などは、加算措置が取られることになっています。
 これらは、米生産から自給率が低い作物への生産誘導も狙いとされています。こうした戸別補償に対する新年度予算として9,160億円が見込まれています。

「6次産業化」は農業の付加価値を高めるか
 こうした政策に対し、農業現場では概ね期待する声が高まっています。しかし、畑作物の所得補償交付金の一部が、各省が予算の獲得を競う「政策コンテスト」の特別枠に当てられています。このため、今後の政策コンテストや事業仕分けの結果次第では、減額されるリスクも抱えています。「財政難」が叫ばれ、民主党のマニフェストが見直しを余儀なくされている中で、所得補償制度の安定性への疑念も消えていません。
 さらに、来年度の農政の重点施策として、農業の付加価値を高める「6次産業化」があります。これは、農業生産の第1次と加工の第2次、販売などの第3次産業を一体のものとして、こうした市場への参入で農家所得の向上や雇用の創出を実現するというものです。前掲の農林業センサスでは、農産物加工に取り組む農業経営体の数が5年前より43%も増加しています。また、農家が主体となった直売所も各地で増えています。
 こうした動きを後押しするような政策がとられるかどうか、注目されています。また、農山村が主舞台となる自然エネルギーの促進策も必要ですが、これらはまだ具体的な展望が見えていません。
 平和フォーラムは農民・消費者団体とともに、食料・農業・農村の再生を求めて、政府への要請などの取り組みを進めることにしています。

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福島県でプルサーマル受け入れを表明
老朽原発で初の実施に不安高まる
福島県平和フォーラム事務局長 原 利正

「2回目の受け入れ」とアリバイ的三条件
 8月6日、福島県の佐藤雄平知事は、福島第1原発3号機におけるプルサーマル計画の実施受け入れを表明しました。東京電力(東電)は現在、10月に営業運転を開始する準備を進めています。実施されれば、佐賀の玄海と愛媛の伊方原発に次いで、全国で3番目となります。
 実は、福島県において知事が了解したのは、今回が2回目です。1998年に当時の佐藤栄佐久知事が全国で初めて事前了解を行った経緯があります。しかしその後、各地で明らかになった原発の燃料データ捏造、トラブル隠し、茨城県東海村のJCO臨界事故、関西電力のMOX燃料データ改ざん等の影響で、2002年に白紙撤回に至りました。
 ところが、昨年2月に原発をかかえる自治体(大熊町、双葉町など)が、県と県議会に対し議論再開を要請、また東電からも要請があったことから、7月に県は、エネルギー政策検討会を、また県議会では、エネルギー政策議員協議会を再開し議論を開始しました。
 県は検討会で、国や事業者、専門家の意見を聴くなどして検証作業を行ってきました。そして今年2月16日、県議会において佐藤雄平知事は、1)第1原発3号機の高経年化対策、2)同機の耐震安全性、3)MOX燃料の健全性について、安全性が確認されれば、正式に受け入れると表明しました。

劣化が進んだ古いMOX燃料を使用


反プルサーマル福島県民集会でのデモ行進(2010年5月30日)
 3条件について、東電や経済産業省の原子力安全・保安院の結論は、実施について問題なしとするものでした。しかも保安院は、耐震安全性の評価をこれまで行ってきた通常の期間よりも大幅に短縮するという異例の措置もとっています。これらの背景には、東電が6月から9月にかけて行う予定の、第1原発3号機の定期検査に合わせてプルサーマルを実施しようとの計画があり、まさに「プルサーマル導入ありき」ではないかと指摘されているところです。
 元々、知事の示した3条件は、福島県の特別な事情を背景としています。実施予定の第1原発3号機は、76年運転開始という老朽炉で、また福島県沖は地震の巣であり、陸側にも断層が走っています。さらに、福島原発用のMOX燃料は11年前の99年に搬入されており、劣化が進んでいる上、不十分な検査体制でつくられた品質保証に問題があると言われています。
 また、県が求めてきた保安院の経産省からの分離は実現しておらず、核燃料サイクルが確立していない中で使用済み燃料の処分の目途も立たず、行き場のない使用済みMOX燃料が原発内に蓄積され続けることも大きな問題です。

地元での闘いをさらに強化して
 今回の知事の了解後、東電は、8月21日にMOX燃料装荷を実施したのに続き、9月17日には原子炉起動(実際には、トラブルによって18日)、22日に試運転(発電)を開始することとしており、10月26日には国の総合負荷性能検査を受けて営業運転を開始する予定とされています。これが行われれば、高経年化対策が施されている沸騰水型軽水炉で、しかも長期保管のMOX燃料による、初めてのプルサーマル実施になります。
 しかし第1原発3号炉は、保安院の「保安活動総合評価」によれば「重要な課題あり」と判定されています。このまま、プルサーマルを実施すれば、将来に重大な禍根を残し、県民の安全を根底からゆるがすことになります。
 このような動きに対して、福島県平和フォーラムは、昨年5月に、社民党県連合及び地元の「プルサーマルに反対する双葉住民会議」の三者で脱原発県民会議を結成して、実施反対の取り組みを進め、5月に続いて9月19日にも大熊町で反対集会を開きました。今後もこれを軸に運動を強化していきます。

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被爆二世への十分な対策を求め厚労省交渉
「援護法の対象に私たちを入れるべきだ」
全国被爆二世団体連絡協議会 事務局長 平野 克博

 私は、被爆者を親に持つ被爆二世です。私の母親は、原爆投下から2日後の8月8日、広島市で入市被爆をしました。私たち被爆二世は今、大変に中途半端な状況に置かれていると言えます。被爆者は、現実に被爆体験をしていますが、私たちに実体験はありません。

国による対策の不備が私たちを苦しめる
 被爆者には、「被爆者援護法」が適用され、十分とは言えませんが、政府が対策を行っています。しかし、私たち二世には、年に一度の「被爆二世検診」があるだけです。この検診内容は、尿検査や問診など実に簡単なものです。しかも、法的な位置付けもなく、単年度の予算措置によるものです。政府はこの検診を行う目的を、「被爆二世に対する不安の解消」としていますが、何の役にも立っていないのが現実です。こうした、政府の対策の不備が、私たちを中途半端な立場に追いやっているのだと言えます。
 広島と長崎に、放射線影響研究所(放影研)があります。ここは、被爆者や被爆二世への放射線の影響などを調査している機関で、日米両政府が資金を出し合っています。この放影研が2000年から07年まで8年かけて、親の受けた放射線の影響がその子どもの健康への影響の有無を調査しました。私たち、全国被爆二世団体連絡協議会は調査実施の前年に、この放影研と確認書を交わし、スタートしたものです。調査内容は、親の受けた被曝線量と子どもの生活習慣病(高血圧や糖尿病など)の発症率との関係を調査したものでした。
 結果は、07年2月28日に発表されました。それは、「現在のところ、親の受けた被曝線量と二世の健康への影響はほとんど見出せなかった」というものでした。すなわち、「現時点では、親の被爆が二世へ影響があるのかどうかは、はっきりわからない」ということです。

親の被爆との関係は明らかではないけれど


08年9月の日韓被爆二世交流会(福岡)
 世界中の多くの研究者は、ヒト以外の動植物では、放射線の次世代への影響を認めています。私たちの体験からしても、この調査結果は納得いかないことが多くあります。私のいとこも被爆二世ですが、急性白血病によって、30代で亡くなりました。私は3人兄弟でしたが、他の二人は死産でした。これらが、親の被爆と関係があるのかどうか明らかではありませんが疑いがある以上、十分な措置がとられるべきだと考えます。
 このような中で私たち被爆二世協は発足以来、「被爆者援護法の対象に私たち被爆二世を入れるべきだ」と訴え続けてきました。しかし国は、先の放影研の調査結果を盾に何の対策をとろうともしていません。私たちは、放射線の影響がはっきりないと言えないのなら、何らかの対策を取るべきだと主張しています。
 現在、被爆二世の平均年齢も50歳を超えました。私たちは喫緊の課題として政府に対し、「健康診断の中にガン検診を追加すること」を要求しています。また、日本の中に被爆二世の実態について、全く国は把握しようとしていません。そのようなことで、唯一の被爆国としての責任が果たされていると言えるのでしょうか。私たちは、「被爆二世実態調査」も要求しています。

全国の被爆二世とともに粘り強く取り組む
 このような要求を持って9月30日に、私たちは今年二度目となる厚生労働省との交渉を行います。現在、各地で二世団体がつくられようとしています。今後、全国の被爆二世と手をつないで、私たちの要求を力強く政府に対して突きつけていこうと思っています。また、10月10日には韓国・釜山で9回目となる「日韓被爆二世交流会」を行います。
 さらに、二世による被爆体験継承の取り組みも重要です。
 困難な状況が続きますが、粘り強く取り組みを続けていきたいと思っています。世界中で、二度とヒバクシャやヒバク二世をつくらせないために。

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問われる日本のアジア政策
経済がつくる安全保障の新しい流れ

中国がASEAN、台湾と自由貿易協定結ぶ
 今年1月1日、中国と東南アジア諸国連合(ASEAN)との間で「包括的経済枠組み協定」(ASEAN+1)が発効しました。この協定によって中国とASEAN10ヵ国(ASEAN10)は、石油化学、自動車部品、繊維、機械工業など主要製品が関税なしで取引されることとなりました。
 こうしたアジアの新たな経済の流れに危機感を抱いた台湾・馬英九政権は中国と交渉を始め、6月29日に中国との間で「経済協力枠組み協定」(ECFA)を調印しました。これは自由貿易協定(FTA)に相当する協定で、中国は台湾側に農産物、労働力の市場開放を求めないなどの大幅な譲歩を行い、この協定によって台湾は2009年の実績で計算すると約1,100億米ドルの利益を受けると言われます(世界9月号、岡田充「中国―台湾、ECFAがひらく新潮流」)。台湾の野党(独立派)は協定によって国内の中小企業が圧迫されると強く反対していますが、今や台湾経済は中国との貿易抜きには成り立たなくなっており、この協定によって台湾がさらに利益を得るなら、今後、中台間の安全保障問題にも大きな影響を与えるでしょう。
 馬政権は中台間の現状維持(独立でも中国との統一でもない)の立場で、今年1月には米国からミサイル防衛用のPAC3などを購入し、これが原因となって中国は米国との軍事交流を延期しました。しかし中国を中心としたASEAN10と台湾による新たな経済圏の出現は、各国の政治状況にも影響を与え、安全保障問題を含めた新たな流れがつくられることになるでしょう。

中国の脅威を強調する米・国防総省
 米国は今年2月1日に発表した4年毎の「国防見直し報告」は、「アクセス拒否環境」下での戦いに大きな力点を置いていることを印象付けました。「アクセス拒否」(Anti-Access)はここ数年使われ出した軍事用語で中国を念頭に、防衛力が強くて接近できない状況を意味します。中国のアクセス拒否戦力の一つは潜水艦による防御で、もう一つは対艦ミサイル攻撃です。
 しかし、中国が急速に軍事力を強化したとしても、米国との差は歴然としています。ただ、米国が抱える最大の問題はイラク、アフガン戦争によって膨張した財政負担と、リーマンショック後の経済不振によって、軍事予算の大幅削減を迫られていることです。
 ゲーツ米国防長官は、今年5月3日にメリーランド州で開催された「ネイビーリーグ 海―空―宇宙エキスポ」で演説し、次のように述べています。「米国は11隻の大型原子力空母を保有する。大きさと攻撃力において、1隻でも同じレベルの艦船を保有する国は他にはない」「国防総省の計画では、2040年までに11の空母打撃群を保有するとなっている」が、「二つ以上の空母打撃群を保有する国が他にない状況で、今後30年間に11の空母打撃群を持つことが、本当に必要だろうか?」と問いかけ、今後必要なのは長距離無人戦闘機、新しい海からのミサイル防衛、より小型の潜水艦や無人水中軍事拠点などであると訴えました(TUP-Bulletin速報857号)。
 一方8月16日、米・国防総省は議会に年次報告書を提出し、「中国はインド洋や太平洋のさらなる沖合でも行使できる軍事力の獲得を進めつつある。中国が保有する新型兵器は遠方でも操作できるよう性能が強化されている」と中国の脅威を表明しました。
 こうした国防総省による報告を受ける形で8月27日、日本の「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」(新安防懇)は、12月に予定される「新防衛計画の大綱」に向けての報告者を菅直人首相に提出しました。
 新安防墾の報告書は、「非核3原則」、「武器輸出3原則」の見直し、集団的自衛権の行使を禁じる憲法解釈の見直し、必要最小限の基盤的防衛力の見直しにまで及んでいます。行き着く先は、憲法改正の危険性ということがあります。

東アジアの平和に向けてイニシアチブを
 しかし、米中両国は経済的にお互いを必要としていて、軍事的には牽制しつつも、政治的には共存関係を強める以外に道はない状態です。延期されている米中軍事交流も、両者は必要であると認識しているのです。
 民主党代表選では、菅首相が再選されましたが、菅政権はどのような外交政策、アジア政策を示すのでしょうか。普天間基地の辺野古への移転は現状ではほぼ不可能な状況と言えますが、新しい状況への展望は見えてきません。流動する状況の中で、日本だからこそ東アジアの平和へのイニシアチブを取れるのに、逆に国民は危うい状況に導かれているという危惧の念を強くしています。
 私たちは、普天間基地の辺野古への移転を阻止することから状況を変えていかなければなりません。この力で改憲へと進みかねない「新安防懇」の報告書への批判を強めていきましょう。

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【本の紹介】
破綻したプルトニウム利用──政策転換への提言
原子力資料情報室/原水禁国民会議編著


2010年・緑風出版刊
 昨年の政権交代で様々な政策の転換が強く意識されました。10月には原子力政策の転換を求めて「NO NUKES FESTA 2009」が東京で開催されました。中でもプルトニウム利用路線の転換を強く訴えました。そのことの中味を具体的に示したのが本書です。
 現在、プルトニウム利用路線の中核に当たる六ヶ所再処理工場は、高レベルガラス固化施設のトラブルが解決できず、18回目の工期延長となり、2012年10月の完工予定となりました。日本原燃は「これが最後」と不退転の決意を語っていますが、2年間の延長でうまくいく保証はありません。
 また、高速増殖炉もんじゅは、今年5月に運転再開を強行しましたが、8月に重さ3トンの装置が炉心近くに落下するトラブルを起こし、運転再開の目途が立っていません。プルサーマルも使用済み燃料の取り扱いが何も決まらないまま見切り発車しています。
 プルトニウム利用の現場で問題が発生する中、本書は、そのようなプルトニウム利用路線の破たんの全体像を明らかにし、核燃料サイクル政策の転換の必要性を提言としてまとめています。再処理・もんじゅ・プルサーマルの危険性はもとより放射能放出の実態、実用化の幻想を指摘しています。さらにそれぞれの施設の経済性をみれば、当初の予算の2倍、3倍と費用が膨れあがり、そのツケが税金や電気料金というかたちで国民にまわされて、結局は高いものになっていること。それら核燃料サイクルの実態を見れば、日本のプルトニウム利用政策がいかに欺瞞に満ちたものであるかが理解できます。
 プルトニウム利用に伴って多くの施設が必要となり、エネルギーを大量に使い、大量の廃棄物を出し、事故の危険性も生まれます。破たんは明らかで、早急な政策変更を求める必要があることがわかります。本書の最終章にある「核燃料サイクル政策の転換を提言する」は、この7月に原子力委員会に提出しました。原子力政策大綱の見直し議論も始まり、その中で本書の内容を十分活用する必要があります。
(井上 年弘)

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【映画評】
ZERO:9/11の虚構
(2007年イタリア:フランコ・フラカッシ/フランチェスコ・トレント監督)

 2001年9月11日の米国での同時多発テロから9年を迎えました。旅客機4機がハイジャックされ、ニューヨークの世界貿易センタービル2棟に2機が突っ込み、崩壊。さらに1機が国防総省に激突、もう1機はペンシルベニア州で墜落しました。計約3千人が死亡。すかさず、米ブッシュ政権は国際テロ組織アルカイダの犯行と断定し、指導者オサマ・ビン・ラディン容疑者らをアフガニスタン政権がかくまっているとして、同年10月にアフガン攻撃を開始。さらに、03年からイラク攻撃にも踏み切りました。米オバマ大統領は、今年8月にイラク駐留米軍の全面撤退を決定しましたが、その一方でアフガンへの兵力を集中させ、依然として「対テロ戦争」が続いています。
 世界の歴史を変えたとも言われる「9.11」。しかし、当初からこの事件には疑問の声が挙がっていました。テロリストと言われる者が大型旅客機を操縦できたのか? なぜ貿易センタービルがあのように簡単に崩壊したのか? 国防総省に本当に飛行機が突っ込んだのか? このテロをなぜ防げなかったのか? そもそも大統領などは事前にテロを知っていたのでは? 等々。
 2004年に出された米政府の公式説明に対するこれらの疑問は、しばしば「陰謀論」とも言われてきましたが、いまだにそれらに対する明確な答えが出されていないのも事実です。2007年に制作されたこのドキュメンタリー映画は、事件目撃者や犠牲者遺族、米国と欧州の学者や知識人、各分野の専門家、軍や警察の関係者等々の数多くの証言によってつくられています。
 もちろん、これだけ多大な犠牲を払ってまで成し遂げようとする「目的」「陰謀」が果たしてありうるのか、という逆の疑問も湧いてきますが、「テロ対策」の名で差別や弾圧が日本でも日常に起こっている今、もう一度、冷静に事件そのものを振り返る必要があるのではないでしょうか。日本での配給がようやく決まり、東京で9月11日から上映開始。
(市村 忠文)

映画のホームページ http://zero.9-11.jp/index.html

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投稿コーナー
ドイツ・ポツダムに原爆追悼記念碑が完成
広島県原水禁常任理事 金子 哲夫

 2010年7月25日午前11時。1945年7月に連合国が、日本に降伏を勧告する宣言を発したポツダム会談に参加したトルーマン元米大統領が宿泊していた建物前の広場で、原爆で犠牲となった広島、長崎の人々を追悼し、核兵器のない世界を祈念する碑の除幕式が開催されました。会場には、主催者の予想を上回る400人あまりの市民が集まり、広島、長崎両市長からもメッセージが送られました。

「碑に広島・長崎の被爆石を」の願い実現
 ドイツ・ポツダム市議会は、平和市長会議へ加盟したことを機に2005年12月、原爆投下の命令が出されたとき、トルーマン元大統領が滞在していた邸宅(現在もトルーマンハウスとして現存)の前の広場を「ヒロシマ広場」と命名することを決議しました。
 そして06年から当地への記念碑建立のためのカンパ活動が始まり、翌07年7月に市民によって「ポツダム・ヒロシマ広場をつくる会」が結成されたのです。そして、被爆65年目である今年7月25日の完成をめざして活動が進められ、ついに完成を見ることができました。日本でもドイツからの呼びかけに応えて、08年7月に「ポツダム・ヒロシマ広場をつくる会広島」がつくられ、日本国内でのカンパ活動が開始されたのでした。
 記念碑の設計・作成は、ノルウェーを中心に活動する石彫家・藤原信さんの手によって行われました。当初、ノルウェーの石のみで作成することが構想されていましたが、広島、長崎の被爆石も使用してほしいという私の思いを伝え、実現することとなりました。広島からは広島電鉄の路面電車の敷石が、長崎からは山王神社境内の石を、関係者のご好意により送っていただくことができました。
 記念碑は、ノルウェーから運ばれた36トンの石と、広島、長崎の被爆石が乗る銘板が刻まれた石でつくられています。こうしたモニュメントに広島、長崎の被爆石が一緒に使われることは、初めてのことではないかと思っています。

記念碑には三ヵ国語で原爆廃絶誓う
 式典で、広島の被爆者でドイツ在住の外林秀人さん(81歳)が、「原子爆弾の歴史の中で、ポツダムは大きな役割を果たしています」とドイツと核開発の関わりに触れるとともに「広島、長崎の被爆石は被爆者(の声そのもの)で、次のメッセージを持ってきました。核兵器は、人類史上で最悪の兵器。原爆の結果を忘れてはいけません。忘れるとまた再び起こります。......原爆のない世界を祈念します」というあいさつをされ、特に印象に残るものでした。記念碑には、ドイツ語、英語、日本語の三ヵ国語で以下の碑文が刻まれています。


広島・長崎の被爆石も使われた記念碑(7月25日・ポツダム市)
 「1945年8月6日と8月9日に/広島と長崎の投下された原爆によって/犠牲となった人々を追悼して/連合国によるポツダム会談が/1945年7月17日から8月2日まで行われ/その間、アメリカのハリー・S・トルーマン大統領が/正面にある邸宅に滞在していた。/1945年7月25日/アメリカ大統領の同意の下/ワシントンからの軍の原爆投下指令が下された。/原爆の破壊力は、数十万の人々を死に追いやり/人々に計り知れない苦しみをもたらした/核兵器のない世界を願って/上に埋め込まれた石のうち/左が長崎から、右が広島からきた石です/石はあの日、原爆によって被爆しました/現在はもう危険はありません」

論争がその存在を広める役割果たす
 この碑の建設をめぐって、ポツダム在住米国人から「原爆投下は戦争終結の重要な役割を果たした」「日本人は、広島の悲劇を訴えることで、自らを犠牲者としている」などとする反対意見が出ており、碑建立後も論争が続いています。しかしポツダム市は、「碑建立は、原爆廃絶の呼びかけであり、戦争犯罪の追及から日本人を逃れさせる意図はない」としています。こうした論争が、ある意味で記念碑の存在を広める役割を果たし、ドイツ人の関心を呼ぶ結果にもなったようです。
 最後に様々なかたちでご協力いただいた原水禁の皆さんに心から感謝し、報告とします。

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シンポジウムとピースアクション開催
「日米安保と東アジアの平和を問う」

 改定日米安保50年、韓国併合強制条約100年を踏まえ、新しい時代の安全保障のあり方や、米国や東アジア諸国との新たな友好関係を考えるため、10月16日にシンポジウム、17日にはピースアクションを行います。

日米安保と東アジアの平和を問うシンポジウム
日時:10月16日(土)13:30~17:00
会場:社会文化会館・ホール(千代田区永田町)
地下鉄永田町駅、国会議事堂前駅徒歩5分
主催:平和フォーラム
内容:イ・ジョンウォン立教大学教授、ジャーナリスト、国会議員などをパネリストとしたシンポジウム。

武力で平和はつくれない─もう一つの日米関係へ(ピースアクション)
日時:10月17日(日)13:00~ 14:30~パレード出発
会場:芝公園23号地(港区芝公園)
地下鉄「御成門駅」「赤羽橋駅」徒歩3分、JR「浜松町駅」徒歩12分
内容:米国の平和運動ネットワークが呼びかけた国際共同行動の一環として、「やめさせようアフガン戦争」「なくそう普天間基地」「つくらせない辺野古新基地」などをテーマにアピールや音楽など。パレードは芝公園~米国大使館~三河台公園(予定)。
主催:10月「ピースウィーク」2010・東京実行委員会

ピースウィークホームページ http://peaceweek.jp/

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