2011年、ニュースペーパー

2011年03月01日

ニュースペーパー2011年3月号



 平和フォーラムは例年2月11日、戦前の「紀元節」を「建国記念の日」としていることに異議を唱え、集会を行っています。戦後の日本は、自民党内閣の下で、東アジアとの関係、とくに歴史認識について繰り返し問題を起こしてきました。政権交代後の昨年8月には、植民地支配を反省する菅首相談話が出されるなど一定の前進もありましたが、朝鮮半島や尖閣諸島をはじめ、東アジアの緊張状態は強まる一方です。本年の集会には250人が参加して、中学歴史・公民教科書などの検定が行われる問題点についての上杉聰さん(大阪市立大学教員)の講演と、適用対象から排除されたままである朝鮮学校の高校無償化問題について、東京朝鮮学校オモニ会連絡会代表の厳廣子(オム・グァンジャ)さんの提起と訴えを受けました。

【インタビュー・シリーズ その55】
世界のヒバクシャを見つめ続ける「まなざし」
フォトジャーナリスト 豊崎 博光さんに聞く

【プロフィール】
1948年、横浜市生まれ。復帰前後の沖縄、在日韓国人・朝鮮人、アメリカ・インディアンなどを取材後、アメリカが核実験を行った太平洋中西部、マーシャル諸島のビキニ島住民や水爆実験の死の灰を浴びせられたロンゲラップ島住民などの取材をきっかけに、世界各地の反核・反原発運動などを追うようになる。

――核をテーマに仕事をされるようになったきっかけを教えてください。
 今から33年前の1978年3月末、グアム島にあるアンダーソン空軍基地で、航空機・B52に同乗して取材する予定だったのですが、その直前の新聞にマーシャル諸島・ビキニ環礁の話が掲載されていました。当時ビキニ環礁には、核実験が終わった後にアメリカ政府が「安全宣言」を出したことで、島民が戻っていました。しかし、帰った島にはまだ放射能が残っていて島民たちが汚染されたのです。それでもう一回閉鎖しますという記事でした。それを読んで、グアム島の取材が終わったらビキニに行こうと決めたのが最初です。その頃から原水禁国民会議と付き合うようになりました。
 ビキニに入って取材を始めたのですが、そう簡単にはいきませんでした。核実験の跡は目に見えるものだと思っていたのですが、実際には全く見えないわけです。例えば、地中に放射能が残っていて、「ここの椰子の実は危険な食べ物だ」と言われても、その椰子の実は別に変形しているわけでも何でもありません。島の人も、「これのどこに放射能があるのだ、何にも変わっていないし、味も変わっていない」と言いました。このとき、放射能という全く見えないものを表現する難しさを感じたのですが、非常に奥深い問題であると考えて、とにかく現場に行って写真を撮ることを始めました。ビキニの核実験の跡を感じさせるものは、まだ少し残っていましたが、もっぱら島の人たちの暮らしや表情を中心に撮りました。しかし、話を聞けば非常にその内容は重いわけです。
 その後、アメリカ国内でも同じことが起きているのではないかと思い、翌年からネバダの核実験場などへと取材を広げていきました。

――戦後、冷戦という形を伴って核被害者を再生産させたという事実は重いですね。
 旧ソ連が原爆を持つことになってイギリスが追随し、フランスや中国なども持つようになりました。核軍拡が続く一方でしたが、その陰で、実はたくさんの人々が被害を受けているということを重要なことだと感じたのです。きっかけはマーシャル諸島のことでしたが、80年にはアメリカのネバダ実験場やアリゾナ州の先住民族・ナバホインディアンの居住地における、ウラン採掘などによる被害の取材を行いました。
 アメリカの取材ではウラン鉱石から始まり、核兵器の開発、79年のスリーマイル島の原発事故まで、一連の流れの中にある被害者の姿を知ることになりました。

――核開発が先住民を抑圧しています。


1954年3月1日
水爆「ブラボー」でできたクレーター

 核開発が権力に弱い地域を利用して行われてきたという話は、80年代後半に出てきます。初めてその話を聞いたのは、88年にカナダのサスカトゥーンというところで、「先住民ウラン公聴会」という小さな集会があったときです。そこに、アメリカの先住民やオーストラリアの先住民・アボリジニとカナダの先住民がやって来て、「ウラン採掘から核実験によってわれわれは被害を受けている」ということを言ったのです。そのとき、先住民たちが一方的に被害を受けている、偏っているという意味合いとして「Racism」(レイシズム)という言葉を使いました。
 先住民族の核被害が認識され始めたのが、マンハッタン計画開始から50年目の92年にオーストリアのザルツブルグで開かれた「世界ウラン公聴会」です。つまり、核兵器が使用されたのは「ヒロシマ・ナガサキ」ですが、世界の核開発はマンハッタン計画を端緒にして始まり、世界中でウラン採掘が始まったわけです。その75%が先住民族の居住地域に当たっていました。そこに注目した彼らがウラン公聴会を開いて、ウラン鉱石の採掘から核実験、原発から核廃棄物の処理など核開発のあらゆることを全部、先住民族のところで行っている、被害を与えているではないかと訴えました。そのとき初めて、核開発による人種差別という意味の造語である「Nuclear Racism」を使いました。
 一般的に先住民族は、後から来た入植者たちによって、最初は肉体的に消す、つまり殺されるという形で、次にはかわいそうだから保護しようということで、居留地をつくって「同化」を強要してきました。最初の虐殺は、英語で「Body Determination」、肉体的根絶と言います。「同化」していくことはCultural Determination(determinationは「根絶」)と呼んで文化的に根絶していく。つまり、あなたたちの持っているものはいらない、アメリカ化しなさい、文明化しなさいとしたのです。先住民たちはそのような被害を受けながら生き残ったところでもう一つ、核開発の被害にあったのです。どれも並行して行われてきました。
 「Nuclear Racism」という言葉の一つ前に、今でも使われている言葉が、「Environmental Racism」というのがあります。
 これは、環境汚染の一番ひどいことが、全部先住民族に行くということです。例えば、マーシャル諸島の人々や、北極圏に住んでいるイヌイットの人々などに一番被害が集中します。「Environmental Racism」という言葉は、新しい辞書にはすでに載っていると思います。そして、環境破壊のもう一つは核開発の影響であるというのが90年代になって出てきました。それが世界を支配してきました。マンハッタン計画の開始を端緒にすれば、核開発はそういう少数の先住民族の人々にずっとその被害を押しつけることで成り立ってきたということで、今も続いています。
 原発が温暖化の切り札だと言って日本もそれに乗っかっています。90年代の終わり頃にこれに一番敏感に反応したのはエネルギー産業界です。原発をつくることで燃料のウランが足りなくなることがわかると、あっという間に世界中でウラン採掘が始まりました。全部少数民族の住む所です。今、集中的に採掘が行われているのはカザフスタンやアフリカです。アフリカには、アメリカやヨーロッパのような採掘の際の環境保護の規制がありません。だからやり放題の採掘です。そうして得た安いウラン燃料を手に入れ、原子炉とセットにして原発を売るということです。われわれの暮らしもそのことによって維持されています。

――平和フォーラム・原水禁に何かお願いします。
 原水禁が「非核太平洋運動」を始めたときに、「反核」ではなく「非核」という言葉が入りました。それまで反核というのは「核兵器はいらない」、あるいは「原発はいらない」というものでした。そうではなく、非核ということはあらゆる核をわれわれは廃絶するとしたのです。太平洋の非核化運動というのは、核実験を体験したビキニなどやマーシャル諸島、クリスマス島やポリネシアが核実験を体験したから非核としたのではなく、かつて太平洋に核廃棄物を投棄され、また核廃棄物が投棄されようとしているから非核だと言ったのです。捨てられる廃棄物は原発のものでもあるし、医療用のものもあります。原水禁には、反核というより非核、あらゆる核を使わない、拒否するという方向で運動を続けてほしいと思っています。
 原水禁が中心になって、以前は核被害者世界大会を開いてきたわけですし、その経験を活かして、ヒバクシャを救済する、あるいは補償法をつくる。ヒバクシャの問題を一国の問題としないで、むしろ国連の世界人権宣言のように、「世界ヒバクシャ人権宣言」を制定するくらいに、国際的なレベルに押し上げられるよう、取り組んでほしいと思っています。

〈インタビューを終えて〉
 豊崎さんは、マーシャル諸島ロンゲラップ島やネバダ、セミパラチンスクなど、米ソ冷戦下の核実験で被曝した人々の生きざまを撮り続けてきました。核実験場で被曝した先住民や関係者、チェルノブイリなど原子力発電所の事故で死の灰を浴びた人々は数百万人を超え、甚大な被害となっている事実は意外と知られていません。3.1ビキニデーを前に、核被害者の実態、人類と核は共存できないという歴史的な事実を再認識しなければならないでしょう。
(藤岡 一昭)

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新しい時代にどう向き合うか
「教科書問題」の本質を見据えて

 今年の夏に、2012、13年度中学校で使用される教科書の採択が各教育委員会で行われます。歴史事実を歪曲する「つくる会教科書」も対象となります。こうした教科書が出てくる背景を考えてみます。

崩壊する「一億総中流」と米国の「黄昏」
 「戦争を知らない子どもたち」世代の少年時代、日本の社会は「アジアの奇跡」と呼ばれる高度経済成長の下にありました。「名犬ラッシー」や「奥様は魔女」などの米国産ホームドラマには、戦後の日本社会がめざした豊かさがありました。内田樹さんはその著書「街場のアメリカ論」の中で、「日本は黒船来港以来アメリカにどう映るかを意識してきた」と書いています。
 黒船来港から32年後の1885年、福沢諭吉は日本が「アジアの固陋(ころう)を脱して、西洋の文明に移りたり」「わが心に於いてアジア東方の悪友を謝絶するものなり」と言い切っています。いわゆる「脱亜論」ですが、このような西欧列強に追いつこうとする政策は、侵略と植民地支配の歴史を、そしてアジア蔑視と欧米信奉の国民的感情を形成してきたに違いありません。「天皇制」という、市民革命を経験した欧米社会には受け入れられない社会制度を維持しながら、日本社会は欧米の豊かさを希求してきました。紆余曲折があったにしろ、第二次大戦の敗戦後においても、まさにそのように生きてきました。
 戦後政治を担った自民党政権は、アメリカとの「ハネムーン」を大過なく過ごしていけば良かったのです。米国的な小さな政府であっても、米国に後押しされた経済成長が国民の生活を支え続け「一億総中流」と言われる社会をつくってきました。そのことが自民党政権を支えてきたのです。
 しかし、グローバリゼーションの進行と経済的・政治的に台頭する新興国の力の中にあって、米国主導の新自由主義政策によって地方経済の崩壊を招き、広がる経済格差が国民の不安をかき立てています。日本経済を支えてきた製造業は空洞化の時代を迎え、頼みの米国は、リーマン・ショック以降厳しい不況に襲われています。自民党政権の崩壊は、世界の超大国として政治的・経済的にイニシアティブを握ってきた米国の「黄昏」とともにやってきたに違いありません。

偏狭なナショナリズムをあおる層
 1978年の「元号法制化実現国民会議」に始まる「日本会議」(1997年統合して発足)などを形成する戦前から一貫して支配者であった保守層が、国旗国歌法制定、教育基本法改悪、歴史教科書の策定などに積極的に関わる背景には、時代への大きな危機感があります。戦後の民主主義と国民教育は、個人の権利の伸長を実現してきました。その中で、天皇制を基本にした国家観、家長制度を基本にした家族観も大きく揺らぎはじめました。終身雇用が当然と言われた日本企業は、非正規雇用という新たな階層をつくり出しました。経済成長の下で「豊かさ」を提供し、その求心力を維持してきた保守層は、高度成長時代の終焉を迎えて、その権力維持のために新たな求心力を求めざるを得ないこととなりました。
 教育勅語に表われた道徳観や国家への奉仕などをことさら強調することで、国民に何も提供できない国家、いや、何も提供するつもりのない国家へ「忠誠心」と「滅私奉公」を強要する社会をつくり上げようとしています。先の戦争を「アジア解放の聖戦」と美化し、その犠牲を崇高な死とまつり上げながら、侵略戦争という歴史的事実を否定し、アジア蔑視の思想からナショナリズムを醸成しようとする方向性は、そのことを如実に表わしています。

権力側の都合を押し付けるな
 「つくる会系教科書」の問題は、このような意図を象徴的に表わしています。黄昏る米国と、そして台頭するアジア諸国とどのように向き合うのか、教科書問題はそのような社会のあり方と密接に関係する極めて重要な問題なのです。成熟する市民社会をつくるために、アジア社会と共存する日本の将来のために、それを担う子どもたちのために、権力の都合によってつくられた教科書を使わせることはできません。
 現在「新しい歴史教科書をつくる会」とそこから分裂した「教科書改善の会」が、それぞれ中学校用の歴史と公民の教科書を検定申請しています。2009年に横浜市で自由社版が採択されて、その採択率は1.7%に上昇しました。さらなる拡大を阻止し、これらの教科書を葬り去ることができるか、運動は今後正念場を迎えます。

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ないな可視化しかないな
待ったなし!「権力犯罪」根絶の第一歩

 「ないな可視化しかないな」という回文の標語は、「ミスター可視化」と呼ばれる小坂井久・日弁連取調べの可視化実現本部副本部長の作。小坂井弁護士の所属する大阪弁護士会の建物の外にはこの標語を書いた大きな塔の看板が立ち、京都弁護士会はこの標語とともに回文キャラクター「カシカシカ」を作成し、取調べの全面可視化の実現を強く訴えています。言うまでもなく、えん罪を防ぐ第一歩だからです。

相次ぐえん罪事件はなぜ起こるのか
 無期懲役が確定し服役させられた足利事件の菅家利和さんは、DNA再鑑定の結果、無実が確定的となり、その後、再審無罪が確定しました。再審公判では、当時の取調べの様子を録音したテープが再生され、犯行を否認する菅家さんを精神的に追い詰めて「自白」に追い込む様子が明らかにされました。菅家さんは、「警察官から髪の毛を思いっきり強く引っ張られ、足蹴りで脅され、恐怖心から虚偽の自白をした」。また、裁判所では「傍聴席に刑事がいるんじゃないかとビクビクしていた」と、警察による暴力で精神的に抵抗できない状況が公判段階まで続いたと振り返っています。
 茨城県で起きた布川事件で、再審無罪が確実視されている桜井昌司さんと杉山卓男さんも、自白強要でえん罪の調書がつくられたと、密室での取調べの怖さを訴えています。この他、密室でつくられた自白によるえん罪事件は、狭山差別事件をはじめ、結局無罪となった鹿児島県議選選挙違反をめぐる志布志事件、誤認逮捕の富山・氷見事件など枚挙にいとまがありません。
 本人が無実を主張し続けても、有罪を「演出」する恐るべき検察の状況も知られはじめました。村木厚子さんが大阪地検特捜部に逮捕された厚労省文書偽造事件では、検察官が関係者を呼び出しては逮捕すると脅して、自分たちのストーリーどおりの供述調書をつくり上げ、証拠の改ざん隠ぺいまで行っていました。
 これらは氷山の一角であり、警察や検察の取調べで蔓延していることは、昨年9月の大阪府警が恫喝して取調べている録音が公開されたことや、今年1月には放火事件で知的障がいのある男性の起訴を大阪地検が取り消した問題で、取調べを担当した検事が答えを誘導して自白調書を確認していたことなどに示されています。この事件はたまたま裁判員裁判の審理対象事件だったのでDVDに録音・録画されましたが、もし対象外であったら、真相はやぶの中でした。

「一部可視化」では改善につながらない


マスコットキャラ「カシカシカ」

 一連の事件や事態の発覚を通じて、検察や警察に対する市民の信頼が地に落ちる中で最高検は、昨年12月に検証報告書をまとめ、1)取調べの一部録音・録画を特捜部が扱う事件にも取り入れる、2)高検検事長が重要事件を指揮するなどの方策を打ち出しました。しかし、これは、東京、大阪、名古屋各地検にある特捜部を存続させるものであるとともに、「全面可視化」を拒否するものです。
 「一部可視化」では、取調官が脅したり誘導したりして得た供述でも、「罪を認めた瞬間」の録画・録音だけを編集・演出して利用できます。
 司法に対する信頼回復へ、最低でも必要なのが取調べの全過程可視化(録画)です。これはえん罪をなくす第一歩です。証拠の全面開示も不可欠ですし、取調べの様子を全て録画するだけでなく、検察官の倫理規定をつくり、録画・録音の上で作成された調書のみを証拠採用するように、捜査のシステム自体を変えることも必要です。また、任意取調べの名で連日12時間以上もの長時間の取調べが行われたり、警察署の留置場を「代用監獄」にした長期勾留や、自白を強要する過酷な取調べは拷問禁止条約などにも反するもので、糺さなければなりません。
 取調べの可視化を含む刑事訴訟法改正案は、すでに参議院で二度も可決され、マニフェストに可視化実現を掲げた民主党は衆議院総選挙に勝利しました。2009年9月の政権交代後、千葉景子法相(当時)は実現を明言しました。2010年1月には「取調べの全面可視化を実現する議員連盟」(会長・川内博史衆議院議員)も発足。法相の私的諮問機関「検察の在り方検討会議」による協議も進められてきました。その後の法務省の動きは鈍いものでしたが、内閣改造で登場した江田五月法相は積極姿勢です。今の通常国会の大きな焦点です。えん罪被害者支援団体や人権団体が広く連携した「取調べの全面可視化を求める市民団体連絡会」や、日弁連による取り組みも進んでいます。「権力犯罪」の犠牲者をこれ以上出さないためにも法制定は待ったなしです。「ないな可視化しかないな」。

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TPPと食の安全を考える
アメリカの身勝手な要求を認めるな
日本消費者連盟 事務局長 山浦 康明

食の安全基準が非関税障壁として引き下げ
 環太平洋経済連携協定(TPP)は、農産物や工業製品の関税をゼロにするという、厳しい貿易自由化の原則を重視しているものです。今後日本が参加することになれば、米国や豪州からの農産物が押し寄せてきて、日本の農業は壊滅的な打撃を受けることになります。
 しかもTPPは、次のような食の安全基準が非関税障壁として引き下げられるという側面もあって、消費者や日本の食品事業者たちにとっても、多くの問題を引き起こすことになります。この問題を検討するには「米国通商代表部(USTR)」の「外国貿易障壁報告書」を見る必要があるでしょう。それはTPP交渉において、米国側からすれば、日本への農産物の輸出拡大のために、日本の安全基準に対する攻撃材料だからです。
 USTRは毎年、米国の貿易相手国の貿易障壁を勝手に取り上げ連邦議会に報告しています。それが「外国貿易障壁報告書(NTE報告書)」、「衛生及び植物検疫に関する(SPS)報告書」、及び「貿易の技術的障壁に関する(TBT)報告書」です。
 NTE報告書では、他の分野とともに「農業」での規制改革が不十分だとして、「日本の農業部門は高関税で非関税障壁が多い」と述べ、重要品目までも関税を引き下げようとしています。
 「輸入政策」については、日本はWTO協定上のミニマムアクセス(MA)米として年間40万トンを米国から輸入しているのですが、米国はそれらを加工用、飼料用、援助米ではなく消費者の主食用に使ってほしいと要求しています。また、米国は「小麦、豚肉、牛肉のセーフガード」、「水産物」にも言及し、さらに、牛肉、かんきつ、乳製品、加工食品の関税が高いと不満をもらしています。

BSEや遺伝子組み換えもやり玉に


消費者団体が主催したTPP反対集会(2月16日・参院)

 「SPS報告書」では、日本の衛生措置、植物検疫措置をやり玉に挙げています。牛肉及び牛肉製品については、牛海綿状脳症(BSE)問題の発生以来、日本が20ヵ月齢以下の牛の製品しか輸入していないことを問題視し、米国の全ての月齢の牛肉及び牛肉製品の市場を再開するよう要求しています。しかし、米国が約束した輸出条件が何度も破られ、特定危険部位の脊柱が混載しており、また、飼料規則も不備なことから、米国産牛肉への不信は今でも消費者に根強いものがあります。
 馬鈴薯(ばれいしょ)については、日本が米国産冷凍フライドポテトの大腸菌の基準を厳しくしているため輸出できなかったと、米国は不満を訴えています。米国は自分の違反事例を棚にあげて、加熱するから大丈夫だなどと、乱暴な主張をしているのです。また、米国は日本で食品添加物のポジティブリストに上げられた46品目のうち、25品目についても早く認可するよう求めていますが、日本の消費者は食品添加物の削減こそ求めているのです。
 「TBT報告書」では、日本が遺伝子組み換え食品(GMO)に表示を義務付けていることを貿易障壁だと米国は非難しています。すなわち、「表示が義務化されていることから安全が低いという印象を消費者に与える。表示を付けるためコストがかかる」などと言うのです。現在の日本の表示制度自体、まだ不完全で消費者の選択権を確保できていません。科学者の議論でもGMOの安全性に懸念を示す考え方が示されており、より厳しい表示制度こそ求められています。
 TPP協議では、こうした米国の身勝手な言い分が出されてくるでしょう。こうした点からもTPP交渉などに参加することは認められないと言えます。貿易至上主義が、食の安全基準を引き下げることを批判していく必要があります。

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使えない核兵器の意義を無くすための次の手段は?
新START発効とその後のステップ

難関を突破、ようやく新たな一歩
 米国とロシアは2月5日、ミュンヘンで戦略兵器削減条約(新START)の批准書を交換して、条約を発効させました。長い交渉を経て昨年4月の署名発表以来、もっとも懸念されていたのは、米上院での批准承認でした。中間選挙で大敗した米国民主党では絶望視された批准承認を、ぎりぎりの議会運営で年末に採択。続いてロシアの上下院でも批准承認して、なんとか両国とも核軍縮の旗ふり役にとどまり、核無き世界への第一歩を踏み外さずに済んだ形です。
 これで戦略核兵器の配備数を2018年までに1,550とする上限ができました。数を見れば、成果は極めて限定的ですが、2009年12月のSTART-Ⅰ失効以来、実施できなかった両国の戦略核の検証が可能になり、条約発効をミュンヘン安全保障会議に合わせて行ったことからも見えるように、他国にも核軍縮を訴えやすくなる意味もあります。

次の焦点は戦術核、ミサイル防衛の問題も
 さらに核軍縮へ向け、新START対象外の戦術核の削減条約交渉を計画する米国に対して、ロシアは通常戦力で劣り、北大西洋条約機構(NATO)諸国・中国との長い国境に接している地理条件もあり、消極的です。米国の戦術核は合計で500、そのうちヨーロッパに配備されているものは、ベルギー、ドイツ、オランダ、イタリアの各国の基地と、イタリア、トルコ内の米軍基地に配備されている核爆弾B61が200と推計され、戦闘機F-16やトルネードに搭載されます。
 このヨーロッパ諸国の核弾頭については、11月のNATOリスボン・サミットで注目すべき戦略概念が発表されました。1999年以来11年ぶりに改訂され、NATOの今後の指針となる新戦略概念では、核兵器の無い世界のための条件をつくり出すため、「核兵器が世界に存在する限りNATOは核同盟であり続ける」とオバマ大統領のプラハ演説に平行する形で核抑止を認めています。しかし、ヨーロッパ配備の戦術核に関しては、NATOでの欧州と米国の間の不可欠な政治的・軍事的リンクであるとする99年の戦略概念にあった表記が消え、戦略核のみが重要であるように変わっています。戦術核兵器の配備が政治的・軍事的役割を無くしたと解釈できます。
 これまでも、2009年にドイツが戦術核配備の撤去を提案するなど、議論されてきています。また、99年から2010年までに、ロシアの戦術核配備に関係なく一方的に約480から200に削減されてきた経緯もあります。90年代のブッシュ大統領による一方的核削減の成功を思い起こせば、米軍のヨーロッパ配備の戦術核の一方的な撤去こそが合理的判断のはずです。
 新戦略概念は一方で、ミサイル防衛(MD)を重要な抑止力として強調しており、さらにこの指針を実際の核政策に反映させる今後の議論では、強硬姿勢を示しているフランスとの妥協もあり、一筋縄では行きそうにありません。MDについては、米上院での批准承認に際して、これと引き換えに、条約がMD開発に制限をかけないとする決議を採択しています。

核無き世界へ確実な歩みを
 アジアではどうでしょうか。2月8日に発表された米国の7年ぶりの「国家軍事戦略」では、北朝鮮の核開発や中国の軍拡を強調し、アジア太平洋地域を最重視しています。米軍は北東アジアで今後数十年、強固な軍事力を維持すると記されており、米国や同盟国への核攻撃抑止が核兵器の基本的役割としています。核抑止の考えは変わっていません。
 戦術核に関しては、日本からの働きかけで特記すべきこととして、米国の戦術核全体の5分の1を占める核トマホーク(TLAM/N)の退役決定があげられます。従来の日本政府は米国に対し、核卜マホークの退役に反対し、核先制使用のオプション維持も要請していました。退役決定には、昨年4月の米国核態勢の見直し(NPR)決定に向けた、当時の岡田外相からの書簡や、日米の反核運動が連携した働きかけも功を奏したと思われます。
 他方、北朝鮮の核開発で新たに明らかになったウラン濃縮、またヨンピョンド(延坪島)砲撃などを受けて韓国国防相が戦術核の再配置検討に言及するなど、南北軍事協議の不調も含めて、情勢は流動的です。日本の核依存政策も、核先制使用については、従来の容認姿勢から変化の流れが見えたものの、実際の政策としては変えられていないのです。核の無い世界へ向けて確実に歩みを進めなければなりません。

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台湾で新たな被爆者調査を行う
実態を把握して早急な支援体制を
在外被爆者支援連絡会 共同代表 平野 伸人

乏しい外国人被爆者の情報
 国外に居住している被爆者のことを在外被爆者と言います。しかし、在外被爆者は2種類に分類されます。それは外国人被爆者と日本人被爆者の2通りです。アメリカやブラジル、南米に移民として居住するようになった被爆者や、仕事やその他の理由で国外に居住するようになったのが「日本人」被爆者です。
 しかし、広島や長崎で被爆したのは日本人ばかりではありません。韓国・朝鮮人や中国人、オーストラリアやイギリス、オランダなどの捕虜なども被爆しました。そして、韓国・朝鮮と同じように植民地であった台湾の人も被爆しています。しかし情報が乏しく、これまで実態が明らかではありませんでした。調査についても、関係者が居た長崎医科大学関係の被爆者についての調査が、昨年行われたに過ぎません。今回、14人の台湾の被爆者に関する情報を得て、1月15日から3日間台湾での被爆者調査を行いました。

政府が初めて在外被爆者の調査を報告


台湾の被爆者・王文其さん(左)に話を聞く平野さん(手前)

 昨年12月に厚労省のホームページに「平成17年原子爆弾被爆者実態調査」(調査概要)がアップされました。この調査は「被爆者の生活、健康等の現状などを把握することを目的」として2005年度に実施され、このたび、調査結果がまとめられたものでした。国内の被爆者65,217人(回答者48,689人)が主とした対象者ですが、今回の被爆者調査では、初めて「国外調査」として、在外被爆者への調査が行われています。
 「国外に居住している、平成17年9月1日現在の被爆者手帳および被爆確認証交付者3,058人のうち、死亡、長期不在及び所在不明の事実が判明したものを除いた3,039人に対し、調査票を郵送して調査を実施した」もので、回答のあった人は、2,499人となっています(回答率82.2%)。
 今回の調査報告で注目されたのは、台湾の被爆者の14人の回答でした。台湾人の被爆については、何人かの所在が確認され、私も訪台して調査を行っています。そのときは、全員が長崎医科大学関係者でしたが、今回の回答者の被爆地をみると、広島6人、長崎8人と、「広島で被爆した台湾人被爆者もいる」ということが判明しました。韓国・朝鮮人以外は、極めて少数の外国人がいるだけですので、「外国人被爆者」としては、台湾の被爆者は人数的にも多いほうだということになります。

情報が届かず援護対策に遅れ
 そこで、所在の判明した被爆者9人と遺族2人に面会しました。内訳は、広島で被爆した人が3人、長崎で被爆した人が6人、長崎の被爆者ですでに亡くなった被爆者の遺族2人です。67才から97才までの男性6人、女性3人の被爆者に面会して、被爆状況や原爆前後の生活、被爆後の健康状態について聞きました。
 今回の調査でわかったことは、1)勉学のために日本に来た人が多い。特に長崎は長崎医科大学関係者がほとんどだった。2)経済状態は、医学関係、学校関係者が多く比較的裕福に感じた。しかし、「援護が十分でなく苦しい」という人もいて一様ではない。3)健康状態は高齢のために厳しい状況にある。4)日本の被爆者援護については情報が行き届いていなくて、被爆者手帳の取得が遅れた人が多い。一方、日本との行き来があった人は早い時期に被爆者手帳を取得しており対照的であった。また、402号通達のために被爆者手帳を取得しても意味がないと思い、被爆者手帳の申請が遅れた人もいた。5)被爆者団体や支援団体がなく支援体制がない。行政の支援もほとんどない。
 以上のことが、今回の調査でわかったことです。今後、さらに新たに所在の明らかになっている3人の被爆者と死亡している被爆者の遺族との面会を行い、台湾の被爆者の実態把握に努めるとともに、支援体制の確立に尽力していかなければなりません。

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広がるチュニジア・エジプト革命の影響
米ロの軍事戦略の違いが顕在化

変革の動きは中東全域におよぶ
 チュニジアからエジプトへと続いた体制変革の波は、中東全域に広がりつつあります。これは、これまで長期独裁政権に軍事的支援を行い、原油などの資源を得てきた米国の帝国主義的外交政策の破たんでもあります。また、イスラエルが大きな影響を受けるのは確実です。さらに、昨年1月の任期切れ以降も居座り続けてきたアッバス議長率いるパレスチナ自治政府は、議長と評議会(国会)の選挙を9月までに実施すると発表しました。1月にアルジャジーラが、自治政府の資料を暴露したこともあり、ハマス派の議長に代わることは確実です。
 昨年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議の最終文書には、「イスラエルのNPT加盟と同国の核関連施設全てを国際原子力機関(IAEA)の査察下に置くことの重要性を確認した2000年決議を想起し、中東地域の全ての国家が非核国としてNPT参加を求める」「核兵器など大量破壊兵器が存在しない中東非核地帯をつくるため、地域の全ての国家が参加する会議を2012年に開催する」ことが盛り込まれました。
 同じく、昨年開催されたIAEA理事会では、19年ぶりにイスラエルの核兵器が議題となりましたが、米国などの抵抗によって、具体的な議論に入ることはできませんでした。今後の米国や欧州、日本の対応が問われます。

パキスタンで広がる反米感情


飛行中のプレデター(airforce-technology.comより)

 中東の変革は、米国のアフガニスタン戦略に影響が及ぶのは必至です。この戦略の失敗はいまや明らかですが、その余波でパキスタンの情勢も不安定さを増しています。現在、パキスタン政府は殺人容疑で逮捕された米国人の即時釈放を強く求める米政府と、釈放を拒否する警察との間で揺れ動いています。米議会からは釈放しなければ支援金75億ドルと、軍事支援20億ドルを凍結するとの主張が出ています。
 パキスタン政府の対応如何で、一気に反米感情が吹き出る可能性があります。パキスタンで反米感情が広がっている原因の一つに、アフガン領内からパキスタンへ無人攻撃機が発進し、多くのパキスタン市民が殺傷されていることがあります。
 しかしこの無人攻撃機が、米・ネバダ州にある、ネリス空軍基地から操作が行われていることはあまり知られていません。当初は無人偵察機だったプレデターが攻撃機に改造され、次々に新型が開発され、パキスタンを攻撃しています。ネリス空軍基地で、パイロット、カメラ操作のセンサー・オペレーター、情報収集官3人でパキスタンを攻撃し、市民が被害を受けているのです。

軍拡を招く米での核関連予算増大
 今年2月5日、米ロ間で「戦略核兵器削減条約」(START-Ⅰ)の後継条約、「新START」が発効しましたが、この条約交渉の過程で、米ロ間の軍事戦略の違いが顕在化し、今後の重要な課題である非戦略(戦術)核弾頭削減交渉へ進むのはきわめて困難な状況となっています。
 この軍縮交渉過程で、ロシアは米国のミサイル防衛(MD)と「即時グローバル打撃(PGS=Prompt Global Strike)」に強い警戒感を持ち続ける一方、米国はMDの展開やPGSの推進に新STARTが障害にならないかを警戒しているのです。
 PGSとは、今では全世界を監視できるようになった衛星画像によって、1時間以内に世界のあらゆる場所をミサイル攻撃するというものです。通常兵器使用とされていますが、相手国からは核、非核の区別は困難であり、核戦争の引き金を引きかねません。
 オバマ米政権は、核関連予算を増大し続けてきました。2月14日に、大統領は2012年度の予算教書を提出しました。オバマ政権では結局、核関連予算を増やし、軍拡を進めただけだったということになれば、世界に無力感が広がるだけです。
 米国には包括的核実験禁止条約(CTBT)批准など重要な課題が残っています。こうした重要な課題の達成は、米国だけでなく世界の運動が監視を続けなければ実現しません。今後の私たちの運動の展開、そして日本政府の姿勢が問われています。

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《各地からのメッセージ》
平和を創る・国民が求める”大衆運動”を
静岡県平和・国民運動センター 事務局長 鈴井 孝雄

 「静岡県平和・国民運動センター」を英訳するとどうなるか、英語の得意な人に訳してもらいました。様々なご意見を伺ったのですが、「Shizuoka Pref. Peace & National Campaign Center」を採用しました。英訳をしてみると、単に「平和センター」だけでよいところを「国民運動」という言葉が入るところに深い意味があるように思えます。つまりこの名称には、平和運動だけではなく、国民が求める”大衆運動”を引き受けるのだ! という諸先輩方の熱い思いが感じられるのです。
 静岡は3・1ビキニデー全国集会の取り組みをはじめ、東海大地震の震源域に浜岡原発があり、市民団体の「原発震災を防ぐ全国署名連絡会」の会長団体として参加しています。東富士では沖縄県道104号線越えの実弾演習反対集会(写真)、浜松では自衛官の自殺の原因は上司のイジメによるものであり、放置してきた国と自衛隊の責任を問う裁判支援などに取り組んでいます。県護憲連合とは別に「憲法9条を擁護し実現する会」を立ち上げ毎年憲法記念日集会を開催し、今年は「世界がもし100人の村だったら」の池田香代子さんに講演していただきます。
 隣国とけんかをしていては平和にはなりません。昨年、清水澄子平和フォーラム副代表をお呼びし、日朝友好静岡県民会議で韓国併合100年の記念講演を行い好評でした。ベトナム枯葉剤被害児童支援チャリティコンサートも、勤労者協議会連合会、社民党と実行委員会をつくって開催し、カンパを送りました。
 また、東海ブロックの仲間と情報交換と共に憲法フォーラムを各県持ち回りで開催し、昨年は憲法に詳しい伊藤塾塾長の伊藤真さんに来ていただきました。
 幹事会では、当面する取り組みだけでなく学習会を行うとともに、組織拡大を課題としており、昨年末、新組織が加盟してくれたことは大変うれしいことです。平和フォーラム=「日本最大の平和運動団体」の一員としてこれからも組合員・団体の皆さんの気持ちを大切にしながら運動を進めていく決意です。

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【映画評】
「フード・インク」
2008年/アメリカ
ロバート・ケナー監督

 映画のエンディングに明るい音楽が流れても、どうにも「やりきれない」思いが残った。タイトルは「食品株式会社」の意味だが、アメリカの農業が今や工業そのものになり、大量生産・消費される肉や穀物の大部分を巨大な多国籍企業(穀物メジャー)が支配をしている姿が、時には隠しカメラで明らかにされる。
 日の当たらない巨大鶏舎で従来の2倍のスピードで育てられ、2、3歩歩くと足が折れるブロイラー、何万頭もの牛が狭い柵に押し込まれ、草食であるはずがコーンだけ与えられたために病気も多発。それらを解体する屠畜場も巨大化し、そこで働く人々はメキシコからの低賃金の不法労働者ばかり。不衛生な流れ作業の結果、アメリカでは年に何回も肉による感染が起こっているという。
 そうしてつくられたハンバーガーを幼い息子に食べさせたために、わずか12日間で死なせてしまった母親は「ハンバーガーを批判すれば訴えられる」と口をつぐむ。養鶏会社が指導する飼育方法を拒否した農家は潰され、遺伝子組み換えの種子を使わない農家は陰湿な攻撃を受け、結局一つの会社の種子を使わざるを得なくなる。
 こうした巨大企業による食べ物の支配は、企業のトップが、アメリカ政府の政策決定の立場にもなりうる政治構造によるものだ。農業への莫大な補助金はそうした企業を後押しし、それによる安い農産物が世界の市場を席巻している。安全性が確認されない食品が認可され、表示もされない。低所得者は安いハンバーガーに依存して、肥満や糖尿病を増大させている。
 こんな異常な国に食料の多くを頼り、さらに環太平洋連携協定(TPP)で追従しようとする日本。「安い食品が輸入される」と期待する人にこそ、ぜひ見てほしい。
 映画は最後に「このシステムを変えるチャンスが1日に3回ある」と、「労働者や動物に優しい、環境を大事にする企業から買う。地産食品を買う。有機食品を買う。ラベルを読んで成分を知る」などと呼び掛けている。2月から順次全国で上映が始まった。
(市村 忠文)

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投稿コーナー
チェルノブイリ事故から25年
悲劇は今も終わらないまま
チェルノブイリ子ども基金 事務局長 佐々木 真理

 1986年4月26日、旧ソ連(現ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所で爆発事故が起きました。環境に放出された放射能は広島型原爆の500倍とも1,000倍とも言われ、人体・環境に多大な被害をもたらしました。事故から25年を経た現在の被災地の子どもたちの様子と、私たちの救援活動についてお伝えします。

病気は次世代の子どもにまで


母親に抱かれるルスラン君(左)とアーニャさん(右)

 チェルノブイリ事故から数年後、被災地では小児甲状腺ガンが多発しました。発見が遅れたため命を落とした子どもたちもいました。子ども基金は設立当初、甲状腺ガンの子どもたちの支援を中心に活動を行いました。甲状腺手術後の患者に生涯必要となるホルモン剤などの医薬品や医療機器の支援、同時に子どもたちを現地サナトリウムでの転地療養に招待してきました。
 この世代はすでに結婚をして子どもをもつ人が多くいます。幼少時に甲状腺ガンの手術を受けたインナさん(ウクライナ・キエフ市)は、妊娠すると医師から出産を諦めるように言われました。しかし彼女は無事出産しました。インナさんの子どもに今のところ大きな問題はありませんが、次の世代の子どもたちの中には、重い病気の子どもも少なくありません。
 事故数年後に小児甲状腺ガンが多発したベラルーシ・ゴメリ州では今、次世代の子どもたちに、様々な腫瘍病が表れています。ゴメリ市の小児病院で働く看護士マリーナさんは言います。「チェルノブイリ事故の前には、病気の子どもはこんなに多くありませんでした。今は患者がいっぱいで病室が足りません。こんなことがいつまで続くのかと思うと恐ろしいです」。彼女の娘も甲状腺に異常があります。
 現在、子ども基金は、このような次世代の子どもたちに対して、医薬品の援助を行うとともに、現地サナトリウムでの転地療養に招待しています。同じように病気をもつ子どもが集うこの転地療養では、それまで心を閉ざしていた子どもが「自分は一人ぼっちではない」と気づくことで、見違えるように明るくなります。それは病気を克服する力となっています。
 2000年生まれのディーマさん(ゴメリ州カリンコヴィチ地区)は8歳のときに脳腫瘍の手術を受けました。手術後は左半身に麻痺が残り、リハビリを続けています。07年生まれのルスラン君(ゴメリ州ドーブルシ地区)は2歳で腎臓ガンの手術を受けました。父親はショックのため自殺、現在24歳の母親が一人で子どもを育てています(この女性の妹は、幼少時に白血病で亡くなっています)。01年生まれのアーニャさん(ゴメリ州レリチツァ地区)は腹膜の神経芽細胞腫と診断され、6歳のときに手術を受けました。1年後に退院しましたが、現在も定期検査が欠かせません。アーニャさんの暮らしている村のすぐ近くに、「放射能汚染により立ち入り禁止」という立て札のある森が広がっています。しかしそこには柵も監視所もなく、誰でも自由に入ることができてしまいます。その森でとれたキノコが町で売られたり、伐採した木が家庭用の燃料として使われたりしています。

公的援助打ち切りなど厳しい状況に
 発病した子どもが「チェルノブイリ事故障がい児」と認定されると、以前は医薬品や通院のための交通費が無料となり、また公共料金の減額などの援助がありました。しかし数年前からこのような援助は徐々に削減されたり、打ち切られたりしています。そのため収入の少ない家族の家計が圧迫されています。また、「高濃度放射線汚染地域」として人々が立ち退きをさせられた地区の中には、最近になって居住が認められるようになったり、農地としての利用が始まったりしているところもあります。病気の子どもを抱える家族はみんな言います。「子どもたちの病気はチェルノブイリのせいです。汚染された土地に住んだり、その土地の食べ物を食べたりしてはいけないことはわかっています。しかしここに住み、ここでとれたものを食べるしかないのです」。
 一度原発事故が起きると取り返しのつかないことになってしまうことを、子どもたちは身を持って示しています。地震国日本に54基もの原発を抱える私たちにとって、チェルノブイリの悲劇は決して過去の出来事でも他人事でもありません。

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武力で平和はつくれない
WORLD PEACE NOW 3.19

東アジアに平和を/イラク・アフガニスタンから外国軍の撤退を/沖縄に基地はいらない
 今年は「9.11事件」と「米国などによるアフガニスタン攻撃」から10年目にあたり、この3月20日でイラク戦争から8年になります。イラクでは十数万もの市民が殺され、100万人以上の人々が難民化しました。アフガニスタンでも数百万人が難民・避難民となったままです。アフガン戦争とイラク戦争には、日本に基地をもつ米第7艦隊や海兵隊が出撃し、多くの市民を殺傷してきました。鳩山前首相は米国の圧力に屈して、この米海兵隊が存在する沖縄・普天間基地を辺野古に移設することに合意してしまいました。
 また、昨年の韓国海軍哨戒艦「天安」の沈没事件、尖閣諸島沖での中国漁船拿捕事件、北朝鮮による韓国延坪島砲撃事件など、北東アジアの軍事的緊張も高まっています。
 私たちは、沖縄から基地をなくし、世界中のあらゆる戦争をやめることを訴え、3月19日にピースパレードを行います。ぜひご参加ください。

日時:3月19日(土)12:00~16:00
場所:代々木公園B地区ケヤキ並木(JR「原宿駅」、地下鉄「代々木公園駅」「明治神宮前駅」徒歩7分)
内容:ブース展示、トーク&ライブ、ピースパレード。ピースパレード出発15:00
主催:WORLD PEACE NOW

■武力で平和はつくれないWORLD PEACE NOW 3.19
http://worldpeacenow.jp/pdf/WPN319.pdf

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