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ニュースペーパー2011年10月号

2011年10月 1日

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 9月19日に東京・明治公園で開かれた「さようなら原発集会」は、全国から6万人が集まり、福島原発事故の責任を徹底して追及するとともに、全国の原発の再稼働を絶対に許さないことを確認しあいました。平和フォーラム・原水禁の参加団体をはじめ、市民や女性、子どもたちも大勢参加し、パレードで思い思いにアピールしました(2面~3面に記事)。
 写真は左上から時計回りに、熱心に訴えに聞く会場を埋めた参加者。手作りのプラカードで訴える参加者。集会会場の最前列に並ぶ福島の皆さん。パレードの先頭を行く呼びかけ人の鎌田慧さん、内橋克人さん、落合恵子さん(左2人目から)。
【写真提供は今井明さん】

「さようなら原発」─6万人が集まり9.19集会開かれる
再稼働を許さない意志を1000万署名につなげよう!

東京・明治公園を埋め尽くす全国からの参加者。入りきれない人々の列は最寄りのJR千駄ヶ谷駅まで続いた。(写真はすべて今井明さん)

 「さようなら原発 いのちが大事!」「子どもたちを守ろう!」「海・空・大地を守ろう!」─会場を埋め尽くす6万人のシュプレヒコールが響き渡りました。福島第一原子力発電所の事故を受け、9月19日、作家の大江健三郎さん、鎌田慧さん、瀬戸内寂聴さんなどが呼びかけた「さようなら原発1000万人アクション」の集会が東京・明治公園で開催されました。原発問題を訴えるアクションでは過去最大規模のものとなり、脱原発への決意を新たにしました。

運動の結節点であり、出発点にしよう
 最初にあいさつに立った鎌田慧さんは「この集会はこれまでの運動の結節点であり、これからの出発点だ」とした上で、「8割が原発はいらないと言っているのに、再開しようというのは人民への敵対行為だ」と、政府の動きを批判。「核と人類は共存できないことを訴え、1000万署名を達成しよう」と呼びかけました。
 大江健三郎さんは「原発は荒廃と犠牲を伴う」とし、「イタリアは国民投票で脱原発を明らかにした。日本ではこれからも原発事故を恐れなくてはならない。私たちはそれに抵抗し、政治家や経団連に思い知らせるためには、集会やデモしかない。まず、それをしっかりやろう」と訴えました。
 経済評論家の内橋克人さんは、地下原発など「原発の新たな安全神話」をつくり、核武装が可能な潜在力を持とうとする動きに警鐘を鳴らした後、「原子力エネルギーではなく、いのちのエネルギーが輝く国にしよう。今日はその第1歩を踏み出す日にしよう」と、再生可能な自然エネルギー推進を提唱しました。
 「幼い子どもが『げんぱつこないで』と泣き叫ぶような社会をつくってしまった」と、落合恵子さんは悔やみながら、「次は誰が犠牲になるのかというストレスはもういやだ。原発という呪詛から自由になって、『いのち』から始まる社会をつくろう」と語りました。

脱原発はできるかどうかではなく、やることだ
 骨折で療養中の作家の澤地久枝さんも立ち、「今日はなんとしても来たかった。広島・長崎の原爆を体験した日本は原発を持ってはいけないはずだった」と述べながら、「歴代の政権や電力会社の責任を明らかにさせて、市民の運動による世直しに希望をつないでいきたい。その人間の砦を築いていこう」と、力強くアピールしました。
 環境団体のFoEドイツ代表でミュンヘン大学教授のフーベルト・ヴァイガーさんは、福島原発事故を受け、ドイツで2022年までに原発の全廃を決めた動きを報告し、「脱原発はできるかできないかではなく、政治的にやるかやらないかの問題だ。国際的な連携を強めて核のない社会を実現しよう」と呼びかけました。  俳優の山本太郎さんも駆けつけ、「3月11日以来、生き延びたいという気持ちが強くなった。そのためには原発を全て止めるしかない」とエールを送りました。


集会で発言する
呼びかけ人の大江健三郎さん(中央)ら

印象的な言葉がそこら中にあふれた


アーティストのU.Gサトーさんが呼びかけた
「脱原発ポスター」

「さようなら原発!」を強く訴える
長野県原水禁


市民のグループでは
ユニークなプラカードが目を引いた


悲しみの中から立ち上がる福島につながって
 最後に福島からの1000人以上の参加者を代表し「ハイロアクション福島原発」の武藤類子さんが立ち、これまでの支援に感謝を述べた後、「福島の美しい風景に、放射能が降り注いで、不安の中で、逃げるか逃げないか、食べるか食べないかをめぐり、人とのつながりが引き裂かれてしまった」と涙をこらえながら、この半年を振り返りました。そして、まだ原発を推進する動きに対し、「バカにするな! いま私たちは静かに怒りを燃やす『東北の鬼』になって、悲しみの中から立ち上がっている」と憤怒をこめ、最後に「どうか私たちとつながり続けてほしい。忘れないでほしい。一人ひとり考え決断し、行動し横につながっていこう」と、力を込めて訴えると、満場の拍手がやみませんでした。
 集会後、参加者は三つのコースに分かれパレード行進。楽器を演奏したり、横断幕やプラカードを掲げながら、「原発はいらない!」「再稼動をさせるな!」などと訴え、渋谷、原宿、新宿の繁華街を歩きました。沿道の関心も高く、手を振ったり、拍手をする人が続き、パレードは4時間近くにわたって行われました。

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【インタビュー・シリーズ その61】
経済と環境を両立させた脱原発政策をめざす
ドイツ連邦議会議員・緑の党会派 副代表 ベーベル・ヘーンさんに聞く

【プロフィール】
1952年、ドイツ・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州フレンスブルク市生まれ。78~90年、デュイスブルク―エッセン大学で研究助手。85年に緑の党入党。90年、ノルトライン=ヴェストファーレン州議会選挙で当選。95~2005年同州農業大臣。2005年ドイツ連邦議会選挙で当選。被爆66周年原水禁世界大会ではゲストとして参加。国際会議(広島)、長崎大会で報告を行った。

――ベーベルさんは元々、社会運動に関心を寄せていたのですか。
 私は緑の党に関わるまで、特に他の党などに関わったことはありませんでした。1970年代半ばには、平和運動や反原発運動、女性運動など様々な運動があり、そうした運動が集まって緑の党が設立されました。
 1970年代の運動は、私たちが親の世代に反発するという意味もありました。私たちの親の世代というのは、第二次世界大戦に直接責任を負っている世代と考えたからです。その戦争世代にはなかった、新しいものをつくり出していくという思いがありました。これは興味深いのですが、戦争責任を負っている国、ドイツ、オーストリア、イタリアもそうなのですが、これらの国は段階的な原発からの撤退を打ち出している国です。それが、世代間闘争といいますか、前の世代に対する反発の表れ、そうした意識があったということが言えるかもしれません。そのようなことで、私も緑の党に入党しました。
 脱原発といえば、1986年のチェルノブイリ原発事故以前からその動きはありました。とりわけ、79年にアメリカのスリーマイル島原発事故が起こって、核汚染の問題であるという観点から、原発に反対する運動が盛り上がっていました。私も当時は学生でしたが、デモ行進にも参加しました。
 チェルノブイリの事故当時、私はドイツ・ルール地方の工業地帯に子どもたちと二人でいました。しかし、実際に放射線の危険を知らされたのは、事故から5、6日経ってからのことでした。しかも、これはロシアからではなく、スカンジナビアの計測によって初めて知ったのです。そこから、ドイツの脱原発運動が盛り上がっていきました。

――なぜドイツは政治の中に脱原発を盛り込むことができたのでしょうか。


ドイツ全土から16万人が参加し脱原発デモ
(5月28日・ベルリン)
 原発に対する経済利権というものはドイツにもありました。とりわけ、エネルギー関係の大企業は原発を推進したいという立場でした。そんな中でも、原発はダメだと主張する人も数多くいました。それでも、チェルノブイリ事故の前から原発に明確に反対していたのは緑の党だけでした。ドイツ社会民主党(SPD)に関しては、党内で二つに分かれていました。しかし、事故後は方針を転換して脱原発のほうへシフトしました。それで原発の段階的廃止ということを訴えるようになり、2001年の脱原発法につながったのです。
 しかし保守政党は、エネルギー関連企業とのつながりが深いですから、推進の立場は変わりませんでした。そうした中で、メルケル首相は、稼働年数を延長する政策をとってきましたが、日本の福島第一原発事故を受けて、その方針を転換せざるを得なくなりました。
 反原発のロビー活動ということを私たちもやっていて、エネルギー企業に対して、原発反対ということを訴えてきました。私も議員に当選して、この問題を調査、研究したのですが、こうしたエネルギー関連企業の利益は、脱原発法以降、逆に上がっているのです。2002年は60億ユーロだったものが、2010年には300億ユーロになっています。これは、電力4社の寡占状態に加えて、ドイツの電気料金がかなり高いということもあるのです。いかに経済的に、なおかつ環境的に良い方法でやるか、ということを議論の中心に据えてきたこともあります。

――ドイツの労働組合は原発に対してどういう立場をとっていますか。
 統一サービス産業労働組合(ヴェルディ)は、大学や企業の人々がメンバーになっていて、私もその一員です。現在、委員長は緑の党の関係者なのですが、原発に対する立場は、雇用状況でちょっと揺れています。しかし、実際には再生可能エネルギーのほうが雇用を生み出す力が10倍以上あります。
 組合が対象にするのは、あくまで雇用されている人であって、失業している人とか、中小企業の人ではなく、大企業中心というところがあります。大企業にいれば、かなりの権利を持てるということがあります。労働組合はだいたい反原発の立場を取ることが多いのですが、100%そうとは言えません。左翼政党でも同様です。「反原発」でも、どこまで信用したらいいのか、よく見極めなければなりません。
 チェルノブイリ原発事故の後、緑の党は「原発を全て閉鎖しろ」と、当時にしては急進的な主張をしたわけですが、選挙では残念ながら負けてしまいました。なぜかというと、人々は原発を閉鎖するのはいい、でもそれで雇用はどうなるのだということを心配していたのです。それに対する展望を当時は出すことができませんでした。その後、2001年にSPDと緑の党が20年間で段階的に原発を閉鎖するということを打ち出し、福島の事故を受けて、保守系の政党もほぼ同じ目標で閉鎖するということを言い始めています。

――2022年にドイツでは原発が全く動かなくなるということは確かなのですか。
 2001年にSPDと緑の党、そして大企業である電力会社が妥協の末、言ってみれば協定を結んだわけです。緑の党には、なぜ20年もかかるのか、5年もあれば十分ではないかと反対の声もありました。ただ、この「妥協」がメルケル政権に原発稼働延長への言質を与えたということです。2022年に原発が全て停止するかということですが、9基のうち3基は確かに閉鎖されます。残りの6基に関しては2021年までとは書いてあるのですが、実はこの年の8月に選挙があります。その際に「経済への影響」ということを持ち出して、延長しようという動きが出る可能性はゼロとは言えません。

――今後、「EU全体で脱原発」という動きになっていくと考えますか。
 メルケル政権が、原発の運転を12年間延長すると決めたとき、私たちは強く反対しました。その決定に多くの企業が支持を表明しました。ただ、興味深いことに1社だけ、それに反対した大企業があったのです。原発をなくすために、再生可能エネルギーを進めたいとするシーメンスです。自分たちが、フィンランドでの原発開発で大損しているという背景があるとは言え、シーメンスがそれに反対したのは興味深いところです。
 もう一つ興味深いのは、エコノミストも指摘していることなのですが、今後5年間で環境部門の経済効果は、再生可能エネルギー関連企業が自動車メーカー(全体で約60万人)を凌駕し、それより多い雇用が生まれるのです。
 EU全体としては、残念ながら脱原発の方向へ向かっていないと思います。国によってかなり傾向が違いますし、ドイツが原発の段階的廃止というのを決定したときに、中には「ドイツはどうかしている」とかなり怒っている国もありました。ドイツの後を追うような国もありますが、それとは全く違う方向へ進もうとしている国もあって、フランスはそのいい例です。多くの保守政党も、脱原発は決まってしまったものの、何でこんなことをやらなければいけないのか、という意識を持っているというのが実情だと言えます。

〈インタビューを終えて〉
 「ドイツの気のいいお母さん」と言うようなベーベル・ヘーンさん。ドイツのポスト団塊世代か。「戦争世代の親たちの、前の世代に対する反発の表れ、その中で自らのアイデンティティーをつくり上げてきた」と述懐している。日本のポスト団塊の世代の私は、戦後の社会の中で、戦争世代の親たちの社会と闘ってきた団塊世代への、ゆがんだ憧れとある種の劣等感の中で生きているように思う。ベーベルさんのにこやかな笑顔と「日本人はどうして怒らないのですか?」という柔らかいが辛辣な批評。嗚呼、このように闘えたら日本も変わるのかと思う。
(藤本 泰成)

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キャラバンと全国集会を開催
上関を「脱原発」の大きな転換点に
原水爆禁止山口県民会議 事務局長 大久保 弘史

福島原発事故を受け建設が困難に


キャラバンは長崎市「爆心地公園」からスタート(8月16日)
 上関原発建設をめぐっては、3月11日の福島第一原発事故以後、中国電力は3月13日、14日と準備工事を実施しようとしていましたが、福島の事故の影響はあまりに大きく、15日になって一時中断となりました。
 しかし、原子力安全・保安院が指示している陸域での詳細調査は、6月まで行っていました(すでに海上ボーリングは中断)。それ以降、現在まで中国電力側の動きは止まったままです。
 その間、3月22日には原水爆禁止山口県民会議など、地元の団体は中国電力本社(広島市)へ「建設中止」の申し入れを行いました。二井関成山口県知事は、6月27日の県議会本会議で「国の原子力政策や具体的な安全対策が示されていない現時点で、上関の計画自体が不透明な状況にあることから、埋め立て免許などの制度運用について新たな手続きに入ることはできない」と述べ、予定地の公有水面埋め立ての免許(2012年10月まで)の延長を現状では認めない考え方を示しました。8月1日には、「上関町の『原発建設中止!』を求める署名」が100万筆を超え、1,009,527筆を経済産業省の中山義活大臣政務官(当時)に手渡し、要請を行ってきました。新しく就任した野田佳彦首相の「原発の新設は現実的に困難」とする発言からも、電源開発・大間原発(青森・建設中)と共に残された、新規原発建設予定地である上関原発をめぐる動きは、ますます私たちの主張する方向になりつつあります。

広島・長崎からキャラバン行動―現地では集会開催
 そのような流れの中で、上関原発の問題を広く訴えるために、8月16日から28日にかけて、長崎の爆心地公園を出発し、佐賀、福岡そして山口県内とつないでキャラバン行進を行いました。広島からも26日に広島市内の平和記念公園を出発し、28日の「さようなら上関原発全国集会」に合流しました。
 炎天下、時には「ゲリラ豪雨」に襲われながら、二週間にわたって続けられたキャラバンでは、上関に原発が建設され、それが過酷事故を起こしたならば、周辺の町はもとより西日本一帯にも放射能が降り注ぐこともあり得ると訴えました。沿道からはたくさんの声援をいただきました。各地の原水禁組織、特に九州ブロックの原水禁の方々には大変お世話になりました。
 キャラバンの締めくくりとして、上関町室津の埋め立て地において、「さようなら上関原発全国集会」を開催しました。山口県内はもとより、全国から1,250人もの参加を得ました。集会冒頭、原水禁山口の岡本博之議長があいさつを行い、「福島での原発事故をうけ、脱原発への動きが大きなうねりとなりつつある。さようなら原発1000万人アクションを成功させ、国のエネルギー政策転換を実現させたい」と訴えました。
 続いて、上関原発を建てさせない祝島島民の会の山戸貞夫代表は、「上関原発準備工事は福島の事故を受けてストップしているが、推進派の中には、われわれの生活を壊すような動きも出てきており、上関原発の建設をやめると言わせるまでがんばりたい」と決意を語りました。また、長島の自然を守る会の高島美登里代表からは、環境保護団体として、各専門学会と連携した取り組みをさらに進めていることが報告されました。
 福島からの報告として、福島県平和フォーラムの竹中柳一代表から、放射能被害の影響で地元の食物が口にできない現状や、福島県民の避難状況、県外への移転状況などが話されました。そして、福島第一原発事故により「福島県は人が住めないところ、耕作できない田畑、子や孫らの未来など、決して銭金(ゼニカネ)で取り戻すことのできないものを失った。福島を忘れさせないためにも国、政治の責任を追及すべき」と訴え、同時に「祝島はお金では買うことのできない、大きなものを守っている」とエールを送られました。
 まさに「脱原発」への大きな転換点となるのが、上関原発の建設問題であり、上関が「脱原発」の最前線の闘いの場でもあることを改めて痛感させられました。ここが突破(建設)されれば、日本の社会において、二度と「脱原発」の社会はつくれないという思いです。
 そして、参加者全員で「原発いらん」(原発いらない)とデモ行進を行った後、上関原発建設計画を中止させることが日本の脱原発の象徴になる、という集会宣言を採択しました。

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震災から考える、「人間の安全保障」で「生命の尊厳」を
憲法理念の実現をめざす第48回大会(護憲大会)の課題

「生存権」が問われる東日本大震災
 3月11日の「東日本大震災」は、東北地方を中心に日本各地に大きな被害をもたらし、東京電力・福島第一原発事故は大量の放射性物質の放出問題などが続き、なお収束の動きは確立されていません。憲法理念のもと生命の尊厳を最重視し「人間の安全保障」の確立をめざすとともに、脱原発の取り組みを進めてきた私たちは、この事態に脱原発へのエネルギー政策転換を求めて強い信念を持って立ち向かわなくてはなりません。  生活の基盤や雇用を失い、そして放射能汚染によって故郷を失っている現実に、私たちは「生存権」という憲法理念の課題として、向き合うことが求められています。民主党政権は、2009年の「連立政権樹立にあたっての政策合意」の中で、「憲法の保障する諸権利の実現を第一とし、国民の生活再建に全力を挙げる」としていました。打ち出された政治の方向をあらためて築くことが求められています。  しかし民主党政権は、米国との対等な関係を求めるとしながら、沖縄の普天間基地問題で裏切り、東アジア重視と言いながら、尖閣諸島の問題では対中国関係を悪化させ偏狭なナショナリズムをあおる動きを強めました。高校授業料無償化では朝鮮学校を排除し、外国人地方参政権付与法案なども見送られてきました。  さらに震災復興の混乱の中、「非常事態」「危機管理」「超法規」などの名目で憲法理念を歪め、逸脱する動きが起きています。米軍の協力「ともだち作戦」や自衛隊の活動は、災害復旧やその協力の域を超えて、日米の共同軍事作戦行動の側面が浮き彫りにされました。  また、消費税増税や社会保障の制限、原発政策の推進、昨年5月に施行された「日本国憲法の改正手続に関する法律」に関連して、改憲発議を3分の2から過半数に引き下げることを目的とした超党派の「憲法96条改正を目指す議員連盟」の発足や、混迷する政治情勢から大連立の動きがうごめいています。

今年は山形市で震災・原発もテーマに開催


今年の大会ポスター
 こうした中、例年11月3日の「憲法公布の日」を前後する3日間、時々の課題をテーマに憲法の平和・人権・民主主義の学習と交流の場として全国持ち回りで開催してきた「護憲大会」は、本年はこの震災・原発被害に直面する東北の地・山形市で、「震災から考える、『人間の安全保障』で『生命の尊厳』を――憲法理念の実現をめざす第48回大会」(略称・第48回護憲大会)を名称に、11月4日(金)~6日(日)の日程で開催されます。山形県での開催は初めて、東北では2000年の福島市での開催以来となります。
 大会は名称通り、震災に関わるテーマを前面に出しています。スローガンとしては、「憲法の生存権のもと、脱原発・温暖化克服の環境づくりとライフスタイルを築こう」「被災地の復興に向け地方主権と市民政治を確立しよう」「原子力災害に関わるすべての被害への補償制度を確立しよう」「災害救助隊の整備など、憲法にもとづく平和基本法を制定しよう」他、例年の課題に加えて震災・原発事故を踏まえた9本を掲げています。

「さようなら原発1000万人アクション」の提起も
 4日の開会総会後に行われるシンポジウムでは、震災・原発被災をめぐる情勢と復興の課題、また、「国策」のもと犠牲を強いられている沖縄問題も討議します。
 5日も、(1)地球環境-脱原発に向けて、(2)地方主権・市民政治-復興の礎を、(3)人権確立-生命の尊厳と被災者の人権、(4)教育と子どもの権利-被災・被曝問題を中心に、(5)歴史認識と戦後補償、(6)非核・平和・安全保障-大震災と米軍・自衛隊、(7)憲法、の七つの分科会が開かれます。また、震災・原発被災地の視察と住民との交流を行うため、宮城県石巻市と福島県南相馬市の2コースのフィールドワークも行います。さらに、(1)男女共同参画、(2)東日本大震災・原発被災救援を進めるシンガーソングライター・須貝智郎さんのコンサート、(3)全国的に有名な山形のドキュメンタリー映画上映会、の三つのひろばも行います。
 そして最終日の6日には、改めて震災・原発被災者や「さようなら原発1000万人アクション」についての提起を受ける予定です。脱原発の実現は、新しい社会をつくりだすことです。「我慢」と「自己犠牲」の時代から、自らを「主役」とする時代へと大きな転換をめざすための大会としていく予定です。

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沖縄・八重山などで教科書採択めぐり混乱
地域住民や現場の意見重視を

踏みにじられる沖縄県民の思い
 「史実に反する教科書を使用することは責任問題となる」「検定意見の撤回(2007年)を求め、県民大会も行われた。全市町村議会の意見書採択可決を反故にするわけにはいかない」。沖縄県竹富町の慶田盛安三教育長は、そう主張して「教科用図書八重山採択地区協議会(八重山地区協議会)」が選定した教科書のうち、「育鵬社版中学校用公民教科書」を採択せず、現場の教員などからなる調査会が推薦した「東京書籍版」を採択しました。
 育鵬社版公民教科書の記述は、沖縄の米軍基地の抑止力を評価し、自衛隊を大きくとりあげ、軍事力を背景とした国防を基本に据えているものです。また、小泉純一郎元首相の靖国参拝をとりあげるなど、歴史教科書と同様に偏狭なナショナリズムをあおるものです。基本的人権を「公共の福祉」を理由に大きく制限し、愛国心を強制していこうとする内容となっています。
 沖縄県は、薩摩藩の侵略や明治新政府の琉球処分、沖縄戦とその後の米国統治など、アジア諸国との友好的交流の中で繁栄してきた歴史が、国家権力によって踏みにじられてきた経緯があります。特に、先の戦争では本格的な地上戦が繰り広げられました。「軍官民共生共死」の考え方を基本に据えて、本土決戦の捨て石として民間人を巻き込んでの徹底した持久戦が展開されました。約20万人の沖縄戦における犠牲者の半数は民間人とも言われています。「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」という太田実少将の言葉は偽りではありません。
 2007年の教科書検定に際して、文部科学省は、高校歴史教科書の沖縄戦における「集団死」(集団自決)への日本軍の関与を示した記述について「沖縄戦の実態について誤解する恐れのある表現」として修正を指示し、日本軍による強制・誘導等の表現を削除・修正させました。沖縄戦を経験してきた沖縄県民は、11万人もの集会を成功させ、怒りの声を文部科学省に届けました。戦火の中を逃げ惑い、愛する家族を、恋人を、失った悲しみは癒えることがありません。慶田盛教育長の思いは、沖縄県民の思いなのです。

一部の人の恣意的判断で採択


各社から出されている中学校用の公民・歴史教科書
 今年の教科書採択では、問題のある育鵬社版の教科書を採用する地域が増えています。どの地域も、現場教員などの推薦した教科書を無視し、採択方法を意図的に変更し、教育委員会内部の一部の人の極めて恣意的な判断で決まっています。このことは、横浜市の採択において、中田宏前市長の任命した教育委員4人が全員、育鵬社版を選択したのに対し、林文子現市長が任命した教育長・教育委員は、現場教員から推薦された東京書籍版を選択したことに表れています。
 杉並区では、中田前市長と政治理念を同じくする山田宏前区長の下、これまで自由社版が採択されてきましたが、山田前区長引退後の今年は、現場教員が推薦する教科書が採択されました。このことは、育鵬社版などつくる会系の教科書が極めて政治的に採択されてきたことを象徴しています。

民主的手続きを認めない文科省
 八重山地区採択協議会の再度の協議が決裂した中で、地区内3市町の教育委員13名によって再度協議が行われ、多数決で東京書籍版が採択されました。しかし、多数決を拒否した石垣市と与那国町の教育長は納得せず、問題は混迷を深めています。これは、地区内は同一教科書とする無償化の効率を図る「教科書無償化措置法」の趣旨と、採択の権限は教育委員会にあるとする地方教育行政法との矛盾が表面化したものです。
 文科省は9月15日、県教育委員会に対し、竹富町を八重山地区協議会の決定に従わせるよう通知を発出しました。県民の意向を無視したこの強引な通知は、07年の教科書検定問題の再来になることが予想されます。
 そもそも、このように各地の採択で問題となる教科書を、検定合格させている文科省に問題があります。また、その教科書を採択しようと姑息な手段を講じてきた教育委員会の姿勢に対して、「将来的には学校毎の採択」との方針を持つ文科省がそのまま放置してきた結果とも言えます。地域住民や現場の教育関係者の目線に立った解決が重要です。

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生涯100ミリシーベルト以下なら安全なのか?
食品安全委員会の放射性物質リスク評価の問題点
科学ジャーナリスト 植田 武智

放射能の危険性を示さない食品安全委の評価
 放射線の発がん性はどんなに被ばく量が少なくても影響があるという「しきい値なし」という考え方は、放射線以外の様々な発がん物質の安全性の評価にも採用されています。食品添加物や農薬などで、もし放射線のように遺伝子を直接傷つける作用による発がん性が見つかった場合、使用禁止にされます。これ以下なら安全という許容摂取量を決められないからです。ただ今回の福島原発事故のように、環境を汚染してしまったものの場合、被ばく量をゼロにすることはできません。また自然界の放射線もあります。自然放射線は防ぎようがないので、われわれにできることはそれ以外の放射線の被ばくをどれだけ低く抑えるかということになります。またゼロにはできない場合、その被ばく量によってどの程度の危険性を背負わなければならないかを明らかにする必要があるわけです。
 食品安全委員会が7月26日に出した、食品中に残留する放射性物質の基準に関する評価案は「健康影響が見出されるのは外部と内部の被ばくを合わせた生涯被ばく100ミリシーベルト以上。自然放射線や医療被ばくなどは除く」という内容でした。これは、私たちが福島原発事故によって背負わなければならなくなった危険性の程度をまったく示していない点が問題です。
 食品安全委員会は100ミリシーベルト以下で安全という証拠はないが、危険性がはっきり出てくるのは100ミリシーベルト以上だと言っているわけです。危険性がはっきりと見えてくる量の線引きをしただけにすぎません。また100ミリシーベルトを被ばくした場合の危険性を明示していません。さらにそこから推測される10ミリシーベルトや1ミリシーベルトでの危険性も指摘すべきでしたが、それもありません。

食品の規制値設定は厚生労働省に丸投げ


「放射能のない福島を返せ!」と
デモ行進(福島市・7月31日)
 ただし、生涯100ミリシーベルトという値はとてつもなく甘い数値だとは言えません。人の一生涯を80年だと見て、年間平均被ばく量にすると1.25ミリシーベルト/年です。国際放射線防護委員会(ICRP)が定める平常時の一般人の年間被ばく限度1ミリシーベルトとほぼ同じ値になります。つまり年間1ミリシーベルトという基準値も、決してそれ以下なら安全ということではなく、「生涯80ミリシーベルト程度までならがまんしてください」という意味の基準なのです。ただ80歳までで80ミリシーベルトになるのと、1歳時で80ミリシーベルト被ばくしてしまうことの危険性の違いはあります。生涯100ミリシーベルトという基準ではその違いが見えなくなる問題はあります。
 3月に定められた食品等の暫定規制値では、放射性セシウムだけの場合でも年間の被ばく量5ミリシーベルトが目安でした。そう考えると今後、食品の規制値は5分の1以上も下がる可能性はあります。その一方、総量100ミリシーベルトまで許容できると解釈すれば、緊急時の数年間は5ミリシーベルト以上でも許容できるとして食品等の規制値をもっと甘くすることも可能です。これをどう解釈し、規制値をどのくらいにするかについては厚生労働省に丸投げとなってしまっています。この点も大きな問題です。
 ただ、今回の食品安全委員会の評価書案の良い点としては、食品からの内部被ばくと外部被ばくを合わせた総被ばく量で危険性を評価しようとしたことです。今回の事故の影響で、日本の政府機関でそうした総被ばく量を考慮している機関が他にないからです。
 内部被ばくと外部被ばくを合わせるとすると、当然ながら外部被ばくの大きい福島の人たちと、それ以外の地域の人たちで食品からの内部被ばくの許容量が変わってくることになります。年間1ミリシーベルトを目標にした場合でも、福島の人たちはすでに外部被ばくでギリギリか、それを超える量の被ばくを受けているわけですから、食品からの被ばく量はできるだけゼロに近くすべきです。

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レイキャビク会談25周年を迎えて(1)
核兵器廃絶への展望を考える

80年代の核戦争の危機と反核運動の高まり
 1986年のアイスランド・レイキャビクで開催された米ソ首脳会談は、核問題の転換点としての意味を持つ会談でしたが、会談そのものは合意が成立したものではありませんでした。当時の状況は、80年代に入ると、ヨーロッパでは中距離核ミサイル配備をめぐって大きな反対運動が広がりました。英国でも米軍基地・グリーナムコモンへの巡航核ミサイル配備に反対する女性たちの運動など、英、独、オランダで、反核運動が広がっていきました。
 米国では1980年11月の米大統領選挙で、軍需産業の支援を受け、旧ソ連の核兵器の恐怖を訴えた共和党のレーガンが大統領に当選し、中性子爆弾や新型核ミサイル(MX)開発を命じますが、米国でも核兵器凍結を求める運動がカトリック教会も巻き込んで全米的な運動となっていきます。米ソは81年から軍縮交渉に取り組みますが、ほとんど成果なく時間だけが経過していきました。こうした中、水爆研究者のエドワード・テラーが戦略防衛構想(SDI)をレーガン大統領に吹き込みます。
 SDIとは、宇宙に巨大な鏡を打ち上げておき、発射直後のミサイルをその鏡に反射させたレーザー光線で迎撃するというもので、スター・ウォーズとも呼ばれました。レーガン大統領はこの構想に飛びつき、83年3月にテレビでSDIの必要性を訴えます。米国民はこの構想を一時は支持しました。
 しかし、膨大な費用を費やすだけで、実現性がないことが次第に明らかになっていきます。米国の核問題専門誌「アトミック・サイエンティスト」の終末時計は、破局の3分前まで進みました。反核運動は一層広がりを見せ、レーガン政権は次第に追い詰められていきます。
 この反核運動は、東欧でも教会関係者を中心に広がり始めます。「兵器を鋤(すき)に」という、ニューヨークの国連で展示されている東欧作家の彫刻をバッジやワッペンにして運動を始めました。

「核ゼロ」をめざしたゴルバチョフとレーガン
 85年に、ソ連共産党書記長に就任したゴルバチョフは、行き詰まっている軍縮交渉を打開するため、米ソ首脳会談などでレーガン大統領との対話を進める道をとり、軍縮交渉は一気に進展しはじめます。また、86年4月のチェルノブイリ原発事故に遭遇したゴルバチョフは、核戦争が起これば被害はチェルノブイリ事故よりももっと大きく、核兵器のない世界をめざすべきだと確信します。レーガン大統領もまた、ゴルバチョフ書記長を信頼できる相手として、ソ連との積極的な軍縮交渉を行うことを軍縮担当チームに命じていたのです。
 こうして86年10月11日~12日にかけて、アイスランド・レイキャビクでレーガン大統領とゴルバチョフ書記長の会談が行われます。この場に同席した米国のマックス・キャンベルマン軍縮交渉主席代表によると、レーガン大統領はゴルバチョフ書記長に「核兵器ゼロ」の提案を繰り返し、もう少しで合意するところまでいったと述べています(「核兵器全廃への新たな潮流」・田窪雅文著・原水禁発行)。
 結局、SDIで妥協が成立せず、会談は決裂しました。しかしこのときの交渉は、翌年12月にゴルバチョフ書記長が訪米し、ワシントンで開催された米ソ首脳会談で、中距離核兵器(INF)を全廃する条約調印として結実することになるのです。

核状況の悪化がつづく25年後の現在
 レイキャビク会談から20年後の2006年、レーガン政権当時の国務長官だったジョージ・シュルツと、米スタンフォード大フーバー研究所のシドニー・ドレルを中心に、「レイキャビク20周年会議」が開催され、この会議を契機として07年1月と08年1月に「ウォール・ストリート・ジャーナル」にシュルツ、ヘンリー・キッシンジャー(ニクソン政権の国務長官)ら4人の連名で「核のない世界」を呼びかけ、これが09年4月のプラハでのオバマ大統領の核廃絶へ向けた演説につながっていくのです。
 このオバマ演説を出発点として昨年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議へと世界の反核運動は盛り上がっていくのですが、核兵器国の抵抗で、期待したほどの成果は生まれず、2010年4月に署名した米ロの新START条約も、その後の展開は見えません。レーガンのSDI構想はミサイル防衛構想として生き続けています。
 レイキャビク会談25周年を記念して今年も核廃絶の専門家会議の開催が予定されていますが、核兵器を取り巻く状況はすっかり変わってしまいました。この問題を運動の立場から、さらに検証していきたいと思います。

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《各地からのメッセージ》
護憲大会に向け、若手運動家の養成セミナー
山形県平和センター 事務局長 北畠 教行


 山形県平和センターは16の単産と県内8地区の平和センターで構成され、他の市民団体等と協力しながら護憲・反戦平和運動や反原発の運動、豊かな自然環境を守る運動を展開しています。
 「5.3護憲集会」の取り組みや「原水爆禁止山形県平和大会」及び関連事業などを通して、憲法の理念の実現を求める運動を行ってきています。今年11月に、山形市を会場として第48回護憲大会が開催されることもあり、この成功に向けて運動を強化しようと、今年度新たに「平和セミナー21」と銘打って、若手の運動家を養成するための講座を、年4回開催することとしました。  第1回目は「憲法と政治を考える」というテーマで、山形大学の教授に講演をいただいた後、県議会議員と会場とのセッションを通して、政治と私たちの生活の密接な関係、そこにあるべき憲法の理念について共に考えました。第2回目は原水禁山形大会と併せ、福島原発事故について学び、3回目を一般公開講座の形で高遠菜穂子さんを講師に迎え、イラクの現状とそこから見える日本の姿について学び考えました。4回目は沖縄平和運動センターの協力を得て、基地問題を学ぶ予定です。
 平和セミナーを開催することで、私たちはこれまで取り組んできた運動の意義を再確認し、憲法の理念を実現するためには政治を批判するだけではなく、自らが憲法理念の具体化を求め行動しなければならないという思いを刻み込むことができたと感じています。
 現在は「さようなら原発1000万人署名」の成功に向け、各地区・組織とも取り組みを強化しているところです。集約したことのない大きな数が目標となっていることもあり、これまで共に行動したことがない団体にも声をかけ、実行委員会を立ち上げたところです(写真)。
 今回の東京電力・福島原発事故は、私たちに改めて「核と人類は共存できない」ことを教えています。このような悲劇を二度と繰り返さないためにも、全国の仲間とともにがんばっていきたいと思っています。

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【本の紹介】
「核の今」がわかる本
太田 昌克 著 共同通信核取材班


2011年・講談社+α新書
 本書は、2009年6月から共同通信が「核なき世界-人類の岐路」として配信したものをまとめたもので、現在の「核」をめぐる様々な側面を簡潔にルポしたものです。世界各地に拡がる「核実験場」「研究施設」「核関係者」「ヒバクシャ」などさまざまな核に関わる当事者に直接インタビューし、「核」が抱える問題点がコンパクトに提起されています。もともと新聞に連載したものをまとめたもので、肩もこらずにたいへん読みやすく、「核」をめぐる現状を広く知るためにも最適な本です。
 今年の原水禁世界大会は、福島原発事故の問題を大きく取り上げ、核の「軍事利用」、「商業利用」に関わらず、「核社会」そのものを問う大会としました。だからこそ多角的に「核」の存在を問う本書の意義と重なりあうところがあります。
 核兵器をめぐる状況もいまだ厳しいものがあります。2万発を超える核兵器の存在、進まぬ核軍縮の下で核被害に苦しむ人々の存在があり、核テロリズムの危険性も大きくクローズアップされてきています。一方で、それに立ち向かう人々もいます。その中で核軍縮に向けた日本の技術協力など、具体的に「核」に関わる人々の姿がわかりやすくルポされています。「核」を巡って様々な立場の人たちが動いていることがわかります。
 米・オバマ大統領は「核なき世界の平和と安全」を表明し、核兵器廃絶に大きな期待が高まりましたが、一方で原発建設が世界的に拡がる中で、核拡散や核テロへの危険性が拡がっている現実があります。その下で核の「闇市場」の実態。その中に日本の企業も巻き込まれていた現実があったことなども当事者の証言は興味深いものがあります。本書にも「押せないボタン」として、核兵器のボタンが押せなかった歴史が記されていますが、いまだそのボタンは核大国の為政者の手にあることは忘れてはなりません。
 福島原発事故が「核」めぐる状況を大きく変えることができるかどうかは、私たちの今後の運動にかかっていることを改めて考えさせられました。
(井上 年弘)

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憲法理念の実現をめざす第48回大会
震災、原発被災テーマに
11月4日~6日に山形市で開催

 「震災から考える、『人間の安全保障』で『生命の尊厳』を 憲法理念の実現をめざす第48回大会」(護憲大会)は、11月4日(金)~6日(日)に山形市内で開催。東日本大震災や福島原発事故の被災地の東北から、憲法理念の実現の課題を探ります。主な内容は次の通り。

第1日目 11月4日(金)開会総会など 13:00~17:00
会場:山形市「ビッグウィング多目的集会展示場」
内容:オープニング(コンサート)、開会総会(挨拶、基調提案)、シンポジュウム(震災・原発被災、沖縄基地問題もあわせて討議)

第2日目 11月5日(土)分科会など
会場:山形市内各所
内容:分科会─「地球環境」「地方主権・市民政治」「人権確立」「教育と子どもの権利」「歴史認識と戦後補償」「非核・平和・安全保障」「憲法」の課題。
フィールドワーク─「宮城・福島の被災地」
ひろば─「男女共同参画」「被災支援コンサート」「ドキュメンタリー映画上映会」

第3日目 11月6日(日)閉会総会 9:30~11:00
会場:山形市民会館大ホール
内容:特別提起、大会のまとめ、大会アピールなど

問い合わせ:フォーラム平和・人権・環境 TEL:03-5289-8222

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