2011年、ニュースペーパー

2011年12月01日

ニュースペーパー2011年12月号



 東日本大震災と東電福島第一原発事故という歴史的な被害を受けながら、復興に向けて懸命にとりくむ東北は山形市の地で、「震災から考える、『人間の安全保障』で『生命の尊厳』を 憲法理念の実現をめざす第48回大会(護憲大会)」が、11月4日から6日までの日程で開催されました。大会討議の中心は、震災の復興と脱原発。被災地の実情が率直に報告されるとともに、これからの長い放射能とのたたかいとともに、社会を政治を変えていく必要性が改めて確認されました。写真は、2,500人参加のシンポジウムで被災の状況を報告する福島の橋本拓子さん(全体)、福島で開催したフィールドワーク「日本国憲法から見た東日本大震災(福島)」(右上)、400人参加の第1分科会「地球環境~脱原発に向けて」。

【インタビュー・シリーズ その62】
廃炉まで「間に合わなかった」の思いを胸に
ハイロアクション福島原発40年実行委員会 武藤 類子さんに聞く

【プロフィール】
福島県三春町で喫茶店を営みながら、1986年に旧ソビエトで起きたチェルノブイリ原発事故を機に、原発に反対する運動に関わり始める。東日本大震災・福島第一原発事故の発生以降は、地元住民の中継地点として、避難先の受け入れ態勢づくりや、放射線の測定所の運営などの支援を行なっている。9月19日の「さようなら原発集会」では、現地の報告を行なった。

――これまでどんな気持ちで活動してこられたのか聞かせてください。
 チェルノブイリ原発事故をきっかけに、自分が住んでいる福島に10基も原発が建っているということに、血の気が引くほどびっくりしまして、細々とではありますが、25年間活動を続けてきました。福島では去年、プルサーマルが3号機で行われることになりました。一生懸命みんなで反対はしたのですが、それを止めることができませんでした。プルサーマルが始まってから、事故が起きたときに、いったいどうやって逃げるのかという話になっていました。そういう危機感は持っていたのですが、実際、事故が起きるかどうかということは、それほどリアルには考えていなかったと思うのです。東日本大震災・福島第一原発事故であのようなことになってまず感じたのは、止めることができなかった、「間に合わなかった」という思いです。
 私は原発の非常用電源が全部入らなくなったという時点で、家族と一緒に避難しました。しかし1ヵ月後、87歳の母もおりますので、疲れてしまい戻りました。戻ってきて思ったのは、「やはり(原発事故が起これば)こういうことになるのだなぁ」ということでした。

――武藤さんはすぐに避難されましたが、政府の対応によって大勢の人を被曝させてしまいました。
 とてもひどい、政府や東京電力の対応は犯罪的なものだと思いますね。最初に避難区域を広げて、徐々に戻ってくることがあったとしても、もっと広げるべきだったと思います。スピーディーな発表がされていればおそらく、自分たちのところに放射能が来るとわかった人たちだっていたはずです。
 3月11日の時点で、子どもがいる友だちの家をまわって、逃げたほうがいいよと言ってみんな避難したのですが、戻ってきたら、まだ子どもと一緒に住んでいる友だちもいました。本当に混乱状態というのか、何も始めから真実はよくわかっていなかったです。だんだんわかってくる国の対応というのは、ひどいものでした。そういうことがわかってきて、ここで何かしなくてはいけないという思いに至りました。

――何で日本人は怒らないのかとヨーロッパの人から言われますが、いかがでしょうか。


原発いらない福島の女たちの
経産省前100人の座り込み(10月28日)

 やっぱり市民の怒りというものが封じ込められてきたという自覚が必要だと思います。私たちは物言わぬ国民にされてきたのです。学校教育もそうですし、経済成長の頃から、社会もメディアもみんなこぞって、国民を操作してきたというか、物を考えさせないように、愚民として扱われてきたのだとすごく思います。そういう中で、国民一人ひとりが、まんまとそれに乗ったというそういうのもあると思います。
 豊かさとか便利さの陰で、犠牲にしているものがたくさんありますね。原子力発電はウラン採掘や、劣化ウラン弾、被曝労働者、ゴミの問題から、本当にたくさんの被曝者を出さなければできない発電だから、まずそこで犠牲にしていますし、他人を犠牲にしていると同時にやっぱり自分も犠牲にしてきたのだという自覚が本当に必要だと思います。
 自分たちが使っている電気について、9月19日の集会では「コンセントの向こう側」と言いましたが、その向こうにどういう世界が広がっているかという想像力というものが必要だと思います。どこを取っても安全ではありません。そういう人類だけではなくて、いろんな生き物の犠牲を伴う発電方法だということをみんなが知る必要があると思います。
 みんな頭にきていると思うけれど、結局社会とか世界を変えるのは自分だということに、自信が持てないというのがあるのではないでしょうか。私にも、「私ごときが」という思いがありますけど、やはりそこにとどまらないで自信を取り戻すというのがすごく大事だと思うのです。
 特に若い方々が本当についてない時代に生まれて、就職もない、バブルの恩恵もない、そしてすごく自分たちがすばらしいのだという、そういう感覚が持てない、そういう環境にいるのかなと思っています。でも、決してそうじゃなくて、若い人たち一人ひとりの中に、そんな力があるしそれを確信してほしいと思います。それをどんな形でもいいけれど、政治に関わろうが、山の中の暮らしをしようが、自分のことをすごく大好きになって自信を持って新しい、自分の生き方をしてほしいとつくづく思っています。

――福島県も復興計画に脱原発を掲げていますが、自治体の役割についてどう考えていますか。
 中央はいちばん力があって、地方というものへとピラミッド式になっています。そういう構造はやっぱり良くないと思います。自治体というのは、政府と対等な立場であるはずです。自治体には誇りを持ってほしいですね。国の言うことだけを訊いているということでは、まったく自治とは言えません。地方こそ、いちばん地方のことがわかるわけですから。
 前の佐藤さん(佐藤栄佐久・前福島県知事)は、国のエネルギー政策に真っ向から反対しました。彼は細かいところは私たちとの相違点があったとしても、本当に地方自治を全うしようとしたのではないかなと思います。そういう人をみんなで選ばなければいけないでしょう。佐藤さんが最初からそういう考えだったのかどうかはわかりませんが、すごく原発のことについて勉強されたと聞きました。

――現在、平和フォーラム・原水禁では1000万人署名に取り組んでいます。
 自分の名前を書くというのは、やっぱり意思の表明だから署名というのは大事ですし、署名が本当に活かされてほしいと思います。集めたものをどのように国に突きつけていくのか、その方法をぜひ考えていってほしいです。署名を行うことにもいろんな意見があって、「こんなことしたってダメじゃないか?」という考えもよく聞きます。しかし自らペンを取って、自分の名前を書くわけですから、それなりの責任というものがある行動だと思います。
 私は、本当はいろいろわかってなくて、感覚的な運動しかできないのですが、それで十分だと思っています。去年の7月に作家の広瀬隆さんの講演会をやりました。そのときに地震が起きれば津波が起きて、原発事故が起きるとお話なさっていたのです。でもそれが起きるのは静岡の浜岡原発だと思っていました。どこか警戒心や緊張感がなかったという思いはあります。
 非暴力直接行動のようなことが好きで、昨年の8月6日に福島第一原発3号機でのプルサーマル運転が始まった際に、50人くらいで門の前で丸くなってダイインをしたり、青森県六ヶ所村では座り込みをしたり、ハンガーストライキもやりました。あと「核燃いらない女たちのキャンプ」というのをやって、実際道路に出てトラックを止めるということをやりましたが、50分くらいしか止められませんでした。そういうやり方が自分にはものすごく合っているし、好きなのです。話したり、演説したりすることなど、本当はものすごく苦手で、文章を書くことも好きではありません。ですから、今回の「女たちの座り込み」(写真)もそういう意味で表現としては自分の好きな分野です。

〈インタビューを終えて〉
 福島で暮らす武藤さんは、福島原発の非常用電源がダウンしたというニュースを聞いて、爆発が起きる前にこどもを持つ友人知人に避難するよう呼びかけたそうです。チェルノブイリ原発事故から25年、10基ある東京電力の原発を廃炉にするため活動されてきた武藤さん。福島原発事故が起き、「(廃炉が)間に合わなかった」と唇をかみしめて語っていただきました。原水禁・平和運動を進めてきたわが身を振り返り、あらためて一刻も早い脱原発社会の実現に向け、思いを胸に刻むインタビューでした。
(藤岡 一昭)

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憲法理念の実現をめざす第48回大会(護憲大会)を山形で開催
震災から考える「人間の安全保障」と「生命の尊厳」

開会総会に2,500人の参加者
 東日本大震災と東京電力・福島第一原発事故という歴史的な被害を受けながら、復興に向けて懸命に取り組む東北は山形市の地で、「震災から考える、『人間の安全保障』で『生命の尊厳』を 憲法理念の実現をめざす第48回大会(護憲大会)」が、山形ビッグウィング多目的展示場を主会場として、11月4日から6日までの日程で開催されました。(表紙写真)
 初日の開会総会は、通りの街路樹も鮮やかな紅葉で映える好天に恵まれた中、ビッグウィングに2,500人の参加のもと行われました。地元の”百姓シンガー”・須貝智郎さんの震災救援コンサートの後、開会。最初に東日本大震災の犠牲者への追悼を訴えて黙とう。続いて、江橋崇実行委員長の主催者あいさつをはじめ、立松潔山形県実行委員長、高橋睦子連合副事務局長、福島みずほ社会民主党党首、吉村美栄子山形県知事、市川昭男山形市長のいずれも震災からの復興と脱原発・卒原発に向けた強い決意に満ちたあいさつを受けて、藤本泰成事務局長が基調提起。「生活の基盤を失い、放射能汚染で故郷を失っている現実に対し、脱原発と『生存権』確立のとりくみをしなければならない。原子力政策同様、『国策』で日米安保のもと沖縄県民も犠牲を強いられてきた。普天間基地県外移設は確たる県民世論。地方が主体となった政治へと変えねばならない」としました。また、「福島に線量計を」とのカンパの呼びかけに、53万2990円が集約されました。

震災と原発、基地問題でシンポジウム
 シンポジウムでは、震災・原発・基地に絡んで福島・宮城・沖縄の関係者をパネリストに討論。福島第一原発から約70キロに住み、生協で活動する橋本拓子さんは、事故後、子どもたちが室内で遊ぶことに慣れ、当たり前の日常が失われたことや子どもの将来への不安を訴え、放射能に対する考えの違いから、地域社会の人間関係がぎくしゃくする問題も指摘しました。
 石巻で水産加工会社を経営していた高橋英雄さんは、被災地に足を運び「2万人もの人が死んだことを感じてほしい」と訴え、「がんばってという心からの応援の言葉がうれしい」と発言。ボランティアの若い世代との会話を通じて、人と人が切り離されている社会で、多くの若者が悩み苦しんでいることを理解したこと。その若者が、被災地にあって優しさに出会い「人の痛みを知る人間になれた」と話し、一人ひとりの関係性の重要性を語りました。
 玉城義和・沖縄県議会副議長は「日本のすべての自治体が普天間の代替を受け入れる意志がないことは、日米安保体制自体が崩壊している」と指摘。また、「一部返還された土地に廃棄物が放置され苦労している。基地に頼らない地域をつくることが大切。地域の人が知恵を出して地域興しを」と訴えました。最後にコーディネーターの江橋実行委員長は「平和フォーラムは辺野古の問題で譲ることはない。普天間での居座りも認めない。過疎地にカネで基地や原発を押しつけることが問題。潜在的核武装など絶対に許されない」と締めくくりました。

来年の大会は山口県で開催
 第2日目は、分科会や特別分科会、フィールドワーク、ひろばなどが行われ、いずれも震災と原発事故問題を中軸に据えて熱心に学習、討議、交流しました。中でも、関心が高かったのは400人以上が参加した脱原発がテーマの「地球環境」の分科会。長谷川公一東北大学教授が「再生可能エネルギー施設の建設は、地域経済再生と震災復興の可能性の鍵となる」と提起。「脱原発では生活できなくなる」「電力はどうなる」とする人や地域に真摯にビジョンを示す重要な提起でした。
 最終日の閉会総会は、「大震災被災地・岩手からの訴え」について岩手県釜石市の菅原規夫市議会議員、「大震災・原発事故被災地からの訴え」について福島県平和フォーラムの竹中柳一代表、「上関原発建設阻止のとりくみ」について山口県平和運動フォーラムの岡本博之議長、「『さようなら原発1000万人アクション』の今後のとりくみ」について藤岡一昭副事務局長の4人から特別提起を受けました。
 次に、「大会のまとめ」を藤本事務局長が提案。「脱原発が社会を変えることを確信して、運動を進めよう。福島の子どもたちが、七夕の短冊に託した願い『放射能がなくなりますように』を胸に、脱原発を実現しよう。脱基地を実現しよう。憲法理念を実現しよう。そして、『一人ひとりの命に寄り添う社会』を実現しよう。山口で開催する第49回大会に向けて、各地でがんばることを確認しあおう」と締めくくりました。

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辺野古の環境アセスと与那国島への自衛隊配備を許さない
政府は民意に沿って政策転換を

環境アセスの年内提出を進める野田政権


「自衛隊はNO!与那国島を守る大集会」
(11月19日・与那国島)

 9月に誕生した野田政権は、政権発足段階から日米同盟強化を打ち出し、辺野古への米軍新基地建設を強引に進めようとしています。10月17日には一川保夫防衛相が沖縄県の仲井真弘多知事に「米軍普天間基地の移設先とした名護市辺野古沿岸の埋め立てに必要な環境影響評価(アセスメント)の評価書を、年内に(防衛相が沖縄県に対して)提出する」との意向を正式に伝えました。これに対して仲井真知事は「私の政治的公約(県外移設)もある」として反対の意思を示しました。
 しかし野田政権は、一括交付金や北部振興策をちらつかせながら、アメリカ政府と約束した辺野古新基地建設を強引に進めようとする姿勢を変えていません。ハワイで開催されたアジア太平洋経済協力会議(APEC)でも「野田首相はオバマ大統領に辺野古移設を進めることを約束した」と報道されています。
 こうした中で沖縄県議会は11月14日臨時会を開催し、米軍普天間基地代替施設建設の環境影響評価の評価書を年内提出する政府方針について、断念するよう求める意見書を全会一致で可決しました。
 日本政府は、沖縄県民とともに県知事、県議会が反対しているにもかかわらず、これを無視し、新たな基地を沖縄県民に強要しようとしています。
 来年は1972年の沖縄復帰から40周年を迎えます。しかし、沖縄米軍基地問題は全く解決していません。一方、財政悪化で軍事費削減が迫られている米政府内にも、実現困難な辺野古移設を見直す声もあります。
 私たちは、県内移設・辺野古新基地建設を強引に進めようとする野田政権の動きを止めるため、環境アセスメント評価書提出に強く反対し、とりくみを強めていかなければなりません。

【環境影響評価と埋め立て工事】
 環境影響評価は、大規模な建設事業について事業者(この場合は国=防衛相)が環境に及ぼす影響を調査・予測・評価し、都道府県に提出することで、同評価書は最終の手続きとなる。都道府県知事は評価書提出を受けて90日以内に意見書を返送する。政府は意見書を踏まえ、評価書を修正しアセス手続きは終了する。その後事業者は、工事着工に向けた埋め立て承認を知事に申請できる。名護市辺野古沿岸の埋め立て工事については、環境影響評価書の提出は2年近く膠着状態が続いている。また年内に政府側が環境影響調査書提出に踏み切った場合、埋め立て申請の時期は6月頃が予測される。

新防衛大綱で与那国島に沿岸監視部隊の配置計画
 政府・防衛省は、昨年12月に閣議決定した新防衛大綱に基づき、「中期防衛力整備計画」で与那国島に陸上自衛隊の沿岸監視部隊を配置しようとしています。新防衛大綱は「専守防衛」というこれまでの防衛政策の基本方針を、脅威に対して攻撃力を備える「動的防衛力」という考え方に転換しました。そして、脅威とは中国の軍事力であり北朝鮮であると規定。防衛力(攻撃力)の南西重視として国境の島・与那国島に自衛隊を配備しようとしています。また、自衛隊那覇基地のF15戦闘機や陸上自衛隊の増設なども進められています。
 与那国島の中には自衛隊配備で島の過疎化が食い止められるとして「自衛隊誘致」を進めようとする動きもあります。しかし、自衛隊が配備されれば、台湾や中国との緊張関係が高まり、これまで築いてきた経済や文化交流が失われ、島の自立への道が失われるとし、「与那国改革会議」は自衛隊配備に反対してきました。
 与那国改革会議が中心となった自衛隊配備反対署名は、自衛隊誘致推進署名の514人を上回る556人となり、琉球新報による9月の島民世論調査では自衛隊配備反対73.3%、賛成13.3%の結果で、自衛隊配備反対の民意が明確に示されました。11月19日には沖縄平和運動センターも参加し、与那国島集会も開催されました。
 私たちは、動的防衛力そのものが憲法の戦争放棄に反するものと訴えてきましたが、今回の与那国島への自衛隊配備は、東アジアの平和外交に逆行し、軍事的な緊張をさらに高めるものです。ましてや与那国島民を守るものでは決してないことを明らかにしていかなければなりません。

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アジアとともに歩む日本の未来のために
歴史・公民教科書問題にとりくもう

教科書採択での保守側の「草の根」攻勢
 本年度の中学校用歴史・公民教科書の採択は、現在もなお決着を見ていない沖縄・八重山地区を除いて終了しています。採択結果として、内紛によって分裂した「新しい教科書をつくる会」系教科書については、自由社版(つくる会)が低調であったものの、育鵬社版(教科書改善の会)は歴史・公民ともに4%前後の採択率となり、前回(2009年)に比べ大きく伸長しました。
 2005年から扶桑社版(当時の「つくる会」教科書)を採択してきた杉並区での帝国書院版への転換や栃木県下野市、栃木市における採択策動を素早い対応で阻止したとりくみなど一定の成果もありましたが、全体としては、広範なとりくみが思うように進まなかったことも事実です。
 何度かの採択攻防の中で、「つくる会」系教科書を推進する勢力も多様な戦術を採用してきています。「日本会議」などの保守団体と地方議員が連携しながら、議会への請願活動や教科書展示会での意見集中、教育委員会の傍聴など、これまで市民が取り組んできた「草の根」運動的手法を取り入れた運動を展開しました。特に自民党は中央から地方組織に対して「新・教育基本法と学習指導要領の趣旨に最も適した」教科書の採択を推進する指針を発信してきました。
 また、杉並区や横浜市の例に顕著に現れているように、反動的な首長の登場に伴い地域の教育委員会へのてこ入れが進んでいる実態もあります。一方で、選定にあたっては「地域の偉人を取り上げている」「図版を多く掲載していてわかりやすい」といったもっともらしい理由を掲げるなど巧妙なかたちをとっています。
 しかし、「つくる会」系教科書を批判する私たちが、この教科書の問題性を広く一般に衆知し、対抗するとりくみを、残念ながらつくり切れていない現状があります。

他の教科書も記述内容が後退


教科書問題での日韓市民運動の交流会議
(10月29日・済州島)

 ただ、「つくる会」系教科書の採択・不採択という結果のみでは状況を判断することはできません。90年代の「つくる会」登場以来、保守勢力による集中攻撃の中で、各社の教科書も全体として記述内容は後退しています。特に戦争責任にかかわる部分についてはその分量が減少しています。領土問題を口実にアジア諸国との敵対をことさらに煽り、国家主義的な雰囲気を強める流れに警戒しなくてはなりません。
 そのような中で、日本・中国・韓国の歴史学者が共同編集する「未来をひらく歴史」の出版(日本語版は高文研から2012年春に新版発行予定)など、アジアにおける共同の歴史認識を積み上げていく地道なとりくみが進められています。

韓国の運動団体と連携
 また、歴史を歪曲し戦争を賛美する教科書との闘いの最終的な局面を、大きな戦争被害をこうむった沖縄の人々に押し付けてしまっている現実を重く受け止めなくてはなりません。沖縄の子どもたちに、あのような教科書を与えるといったグロテスクな事態を許さないためにも、全国から声を集中させましょう。
 そして教科書問題を、単に4年ごとの「採択阻止のための」地域運動としての位置づけとしてではなく、過去の歴史の反省を踏まえた真の共生社会をつくりだす上での重要な課題として日常的に取り組んでいくことが、何よりアジアの新しい未来を切り拓く力となっていくのではないでしょうか。
 平和フォーラムは、10月29日に韓国・済州島で開かれた教科書問題での、韓国の運動団体との会議などを通じて、とりくみを進めることにしています。

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政府、TPP交渉への参加を打ち出す
迫られる大幅自由化 農業・食料や生活に打撃

 野田佳彦首相は、11月11日の記者会見で「環太平洋経済連携協定(TPP)交渉の参加に向けて関係国との協議に入る」と表明しました。これは「実質的な参加表明」と言えます。そして、野田首相は11月12日からハワイ・ホノルルで開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)に出席し、米国のオバマ大統領をはじめ関係各国に交渉への参加方針を伝えました。今後、TPPの本格交渉に向け、さらに国内での論議が激しくなるものと見られています。

他の教科書も記述内容が後退


APEC会議に対抗しTPP反対などで
国際的な集会・デモが行われた(11月12日・ホノルル市内)

 TPPは昨年10月に、菅直人前首相が突如、参加検討を表明して以来、その是非を巡って論議されてきました。平和フォーラムは食料や農業、環境等に与える影響が大きいことなどから、慎重な検討が必要であると指摘してきました。また自治体においても、都道府県議会の9割、市町村議会の8割がTPP交渉に「参加すべきでない」「慎重に検討すべきだ」としていました。さらに、民主党内の経済連携プロジェクトチームでも「時期尚早・参加表明すべきでない」という意見が多く出され、「政府には慎重に判断することを提言する」としてきましたが、これらを無視した決定といえます。
 政府はTPP参加で大きな打撃を受ける農業対策として、第4次の補正予算を編成するとともに、国際競争力をつけるため、農地集積による経営規模の拡大を進め、今後5年間で、平地では20~30ヘクタール、中山間地では10~20ヘクタール規模をめざすとしています。しかし、現在の平均経営規模を一挙に10倍にするという、地域の実情を無視した一律的な規模拡大一辺倒の政策は、現実性が問われています。
 さらに、TPPは農業問題だけでなく、食の安全や医療、公共サービス、労働、金融など広範な範囲で影響が予想されています。それらの規制の撤廃、全面開放が行われれば、市場主義、競争原理が一層激しさを増し、矛盾や格差の拡大をもたらし、日本社会の有り様に重大な影響を及ぼします。米国はすでに、日本との事前協議の中で、牛海綿状脳症(BSE)に伴う牛肉の輸入制限の撤廃、保険と自動車市場の非関税障壁問題を取り上げることを表明しています。しかし、このような重要な問題について、これまで正確な情報や議論がほとんどありませんでした。

「日米同盟」を深化、東アジアの安全保障にも影響
 今回の拙速なTPP参加方針の表明は、APECの場に間に合わせるだけのものであり、TPPを主導してきた米国の意向に沿うためのものでしかありません。このことで沖縄の基地問題も含めた「日米同盟」をより深化させ、経済におけるブロック化を強めることになります。それは、中国への対抗という形を取るため、東アジアでの安全保障体制にも影響を与えかねないものです。
 今後、日本は、現在参加している9ヵ国すべてが認めなければTPP交渉に参加できません。特に米国は議会の承認が必要になります。来年は米国大統領選挙が行われることから、日本に対してはより厳しい要求を突きつけてくることが予想されます。
 平和フォーラムは、これからも多くの団体と連携して、TPP交渉の動きを監視し、農業・食料をはじめ国民生活に打撃を与えることのないように求めていくことにしています。また、各国の農民・市民の運動とも連携し、農業を含む各国の産業が共存できる貿易ルールを求めるとりくみも重要になっています。APEC会議が行われたハワイでは、併行して、各国の活動者や研究者が集まりTPP問題等での国際会議も開かれ、「TPPは大企業だけが利益を得るものだ」(ニュージーランド・オークランド大学のジェーン・ケルシー教授)などとして、連携してとりくみを進めることを確認しました。

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新潟と島根の現場からのレポート
危険な原発の再稼働を許すな!


輸送トラックに向かって抗議行動を行う
(10月17日・刈羽村)

 2012年1月に定期点検に入る予定の東京電力・柏崎刈羽原発5号機の交換用核燃料(196体)が福島原発震災後、初めて搬入されることとなったため、10月17日に刈羽村で抗議の集会とデモが行われました。集会は、柏崎刈羽原発設置反対新潟県民共闘会議の呼びかけで県内の原発反対市民団体や県平和センター・労働団体・政党などから約200名が参加しました。
 初めに、県民共闘会議の渡辺英明議長が、「定期点検後に再稼働が許されるかどうかもわからないのに核燃料を搬入するとは県民感情を逆なでする言語道断の行為だ」と東電を厳しく批判しました。
 地元三団体の共同代表・高橋新一さんは「7000人を超える福島からの避難者が新潟県に余儀なく住んでいる。二度と、悲惨な事故を起こさせてはならない。今後6号機の交換用燃料も輸送される予定だ、抗議行動を含めて運転再開に反対していく。廃炉に向けて共に闘う」と決意を表明しました。
 県民共闘の共同代表でもある小山芳元・県議会議員は「全国から6万人が結集した9.19集会の成果を無にすることなく原子力政策の転換を強く求めていこう」と提起し、「いのちを守る刈羽村女性の会」の近藤ゆき子さんからは「いつも全県から大勢の方が柏崎・刈羽に来られて激励をいただくことは、私たちの運動の大きな支えだ。3.11で推進派が言う想定外の事故を起こした。廃炉まで闘い抜く」と決意を表明しました。
 集会の最後に「3.11以降、国民世論は大きく変わった。共同通信社の『自治体首長アンケート(回収率95%)』で新規原発を認めず早期に廃止が65.1%で、『認める』の17.3%を凌駕した。経産省に『コスト等検証委員会』が新設されるなど原子力村にも風穴が空いてきたが、私たちの闘いがなければ元のもくあみだということを共に確認しよう」とまとめました。
 集会後「さようなら柏崎刈羽原発!」「危険な核燃料 持ち帰れ」などと刈羽村民に訴えるデモを行いました。また、輸送トラックの車列に対し、路上に立ち止まり抗議のシュプレヒコールを浴びせました。
(中村 進/新潟県原水禁 事務局長)

島根原発の再稼働に首長も慎重姿勢
 3.11の福島第一原発事故の当初、「原発怖いね」と言っていた人たちから、その声があまり聞かれなくなりました。あれから半年が過ぎ、「地震はそんなに起きるわけがない」、「起きたら国が何とかしてくれる」。そして「(原発をやめて)エネルギーはどうするのだ」、「せっかく造った原発がもったいない」、「交付金がなくなると困るし、雇用はどうするのか」。こんな声が聞こえるようになってきました。
 全国で唯一、原発が県庁所在地に立地する中国電力・島根原発。30キロ圏内の人口は46万人とされ、その住民の避難場所や県庁、オフサイトセンターなどの機能移転が議論されています。また、30キロ圏内にある周辺自治体(出雲市、雲南市、安来市、米子市、境港市)は一斉に中国電力に安全協定締結を迫っています。
 島根原発1号機は運転開始から37年が経過した老朽原発です。昨年の点検漏れから止まったままの状態にあり、プルサーマル計画のある2号機は来年1月末に定期検査に入るため、このままいけば原発全てが停止状態になります。
 1号機も2号機も、立地区域に活断層はないとしていたはずでした。
 3号機は、ほぼ建設が完了するものの、制御棒が製造ミスによって試験時に挿入できず、それを中国電力は金属くずが混入し、動かなかったと説明しました。メーカーに持ち帰って点検するものの、うまく動かないにもかかわらず、来年3月には運転開始したいとしています。現在、1~3号機はすべて、2次ストレステスト実施中です。
 島根県知事と松江市長はともに再稼働に対して、ストレステストだけでは判断せず、福島第一原発が地震によってどのような損傷を受けたのかなど、事故の全容解明と説明の上、対策が取られない限り判断できないとして、慎重な姿勢を示しています。
(芦原 康江/島根原発増設反対運動 代表)

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米中の対立構造にインドが参加
揺れ動くアジア・太平洋

大国化する中国とインド、米国
 21世紀に入って、アジア・太平洋は米中にインドが加わる複雑な状勢に大きく揺れ動いています。中国の軍事力発展は、特に海軍力でめざましいものがあり、米海軍の象徴的存在である原子力空母も、うかつに中国には近づけなくなっています。
 中国は長年の悲願であった第1列島線突破から、第2列島線突破を可能とする海軍力の増強をなしとげ、こうした海軍力増強が東シナ海や南シナ海での領海・領有権問題を引き起こす結果となっています。このため、中国近辺の国家で軍事力増強の連鎖が広がっています。東シナ海では、尖閣諸島沖での日本による中国漁船だ捕事件を機に、南西諸島への陸上自衛隊配備という愚かしい計画が進んでいます。
 南シナ海でも中国とベトナム、フィリピンの間で領有・領海権問題が発生し、米国は艦船の自由航行権とからめて両国に介入しています。しかし、米国は一方で中国との経済的関係を発展させる必要があります。そこでインドが東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国との軍事関係を強化する形で出現してくるのです。

米豪の軍事協力に日本が積極参加
 インドとASEAN諸国との軍事関係の前に、日米豪の軍事協力について述べておきます。
 米国とオーストラリア、ニュージーランドとの軍事協力関係は、1951年の太平洋安全保障条約(ANZUS)締結以来続いてきましたが、86年に南太平洋非核地帯設置条約(ラロトンガ条約)が成立する過程で、84年にニュージーランドが非核政策を採択。核兵器積載艦船のニュージーランド入港拒否を宣言したため、米国はニュージーランドに対する義務の停止を通告(86年)するなど、ANZUS同盟は分裂状況で、さらにオーストラリアも長年の続いた労働党政権の外交政策によって、米豪の軍事協力は緊密な状態ではありませんでした。
 しかし、96年に保守連立政権が発足し、米豪関係は一変し、積極的な軍事協力関係がつくられていきます。この協力関係の変化は、2003年に米ブッシュ前大統領の提唱によって結成された、「大量破壊兵器の拡散防止構想」(PSI)の最初の訓練がオーストラリア沖で開催されたことからも知ることができます。
 日本もPSIには積極的に参加していきますが、同時に日本・オーストラリア間の軍事協力関係も強まっていきます。日本は07年3月に「安全保障に関する日豪共同声明」を発表し、08年12月には日豪防衛相間で「日豪防衛協力に関する覚え書き」を交わします。
 こうして日本、米国、オーストラリア3ヵ国による合同軍事演習が07年から始まります。昨年6月に沖縄で行われた日米豪合同軍事演習は、米原子力空母も参加する大がかりなものでした。さらに同年10月の韓国沖で開催されたPSI訓練は日米韓豪の大がかりな軍事演習といえる内容でした。

インドは米国との関係を一層深めるのか?
 米ブッシュ前政権によって、07年に米印原子力協定が締結されますが、これは米国とインドとの積極的な軍事協力の始まりでした。07年末インドは早速、米ボーイング社と10億ドルに及ぶ軍用機の共同製造事業で合意。その後、米印間の合同軍事訓練・演習が開始されます。米国防総省の発表では11年度だけで、どの国よりも多い56回の訓練・演習を行っています(11月2日現在)。米印による軍事包囲網の実態が初めて明らかになりました。
 インドはベトナム、オーストラリア、インドネシア、タイなどと積極的な軍事協力を築こうとしています。ベトナムは中国との紛争の直後、インドに軍事支援を求めるなど、対話よりも軍事的対応に動く姿勢を見せています。同じく中国と南沙諸島の領有権問題を抱える、フィリピンのアキノ大統領は8月末に中国を訪問し、130億ドルの直接投資の約束を取り付けた直後、米国から大型巡視船の購入を発表。9月には訪日し、日本の協力を求めました。米国の中国包囲網の一翼を担う日本が今後どう動くか注目されます。
 中国をライバルとして軍事力強化を進めてきたインドは、米国と協力関係を強める一方、「上海協力機構」への正式参加を求めています。(現在、印パ両国はオブザーバー参加)。政治的にも経済的にも存在感を高める「上海協力機構」が、印パを加盟国として認めるのかどうか。今年11月の総会では結論が出ていません。
 「上海協力機構」には中国、ロシアが参加していますが軍事同盟としての機能は存在しません。対話による国家関係を求める中国としても、印パを加盟国として認めるべきでしょう。中国とASEANとの間では関税なしの「包括的枠組み条約」も今年1月1日に発効しました。米国主導の環太平洋経済連携協定(TPP)にこだわる日本、軍事的大国を求めるインド。2012年はどう動くでしょうか。

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被ばく労働問題で関係省庁と交渉
労働者を守り、脱原発へのプロセスを歩む
全国労働安全衛生センター連絡会議 飯田 勝泰

労働者の被ばく限度を引き上げ
 全国労働安全衛生センター連絡会議では、今年5月から10月の5回にわたり、東京電力・福島第一原発事故による緊急作業に従事する労働者の放射線被ばく問題について関連省庁との交渉を行ってきました。
 3月11日に発生した東日本大震災による福島第一原発事故に伴う政府の原子力緊急事態宣言を受け、厚労省は電離放射線障害防止規則(電離則)の特例省令として、緊急作業に従事する労働者の放射線被ばく線量の上限を100ミリシーベルトから250ミリシーベルトに引き上げる措置をとりました。さらに厚労省は4月28日付けの通達で、緊急作業に従事した労働者が他の原発で働いても5年間で100ミリシーベルトの範囲であれば年50ミリシーベルトを超えても指導しないという方針を出しました。
 緊急事態とはいえ、労働者の被ばく線量の引き上げによって未曾有の原発災害を乗り切ろうとする政府と東電の方針に私たちは強い危機感を覚え、厚労省および、経産省の原子力安全・保安院に今回の措置の理由と根拠を明らかにするよう求めました。一方で、厚労省に「放射線業務従事者の線量限度について」(4月25日付)という文書を開示させ、経産省が厚労省に対し、福島第一原発の事故対処だけでなく他の原発の安全に支障を来すため被ばく線量の緩和を求めていた事実をつかみました。

厚労省に規則の修正を迫っていた経産省
 7月26日の交渉の席上で原子力安全・保安院に対し、この事実を問いただしたところ、翌日に前述の文書を提出してきました。緊急作業の影響として「福島第一原発での作業は、BWR2大プラントメーカーの東芝・日立(協力会社を含む)が日本全国で抱える約3,300名の熟練技術者を動員して実施。メーカーによれば、今後の緊急作業により、100ミリシーベルトを超える者が約320名、50ミリシーベルトを超える者が約1,600名に上ると試算される」と見積り、「今後1,000~2,000名前後の熟練技術者が不足する事態が継続することとなる。これは、福島第一原発の処理及び全国の原子力発電所の運用に重大な支障を来す」としています。そして、経産省の対処方針として「今回の緊急作業で受けた線量は、平常時の線量限度の枠外」とし、「作業員の安全性は、生涯線量1シーベルトを遵守することで担保する」よう厚労省に電離則の修正解釈を迫っていたことが明らかになりました。
 10月31日発表の東電の資料では3月~9月末まで16,916名が緊急作業に従事し、被ばく線量が100ミリシーベルト超は162名、50ミリシーベルト超は750名と報告されています。保安院の想定は、プラントメーカーからの過剰な見積もりに基づき、事故の対応だけでなく他の原発の稼働維持をも目論んだものでした。

線量基準にダブルスタンダードは問題
 11月1日、厚労省は電離則の特例を改正し被ばく線量の上限を100ミリシーベルトに引き下げました。しかし、対象は11月1日以後に新たに緊急作業に従事する労働者のみであり、原子炉建屋やその周辺の高線量な区域で起きるトラブルに対応する労働者も除外されています。
 今回の被ばく線量の上限引き下げは当然の措置ですが、被ばく線量基準にダブルスタンダードを設けたのは、国際的な放射線防護の考えに照らしても問題であると考えます。全国労働安全衛生センター連絡会議は、今後も被ばく労働問題にとりくみながら、脱原発へのプロセスをともに歩んでいきたいと思います。

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《各地からのメッセージ》
市民グループとともに幅広い運動を展開
栃木県平和運動センター 事務局長 福田 宏至

 栃木県平和運動センターは、差別を撤廃し、あらゆる人々の人権を擁護することが、恒久平和の基礎であるという世界人権宣言の精神を具体化するとりくみを掲げ、いかなる差別も許さない、すべての人々の人権確立に取り組んでいます。憲法が内包する平和主義の先進性を広くアピールし、米軍基地撤去運動への積極的な参加など、米国追従外交に反対する運動を進めてきました。また、核兵器の廃絶に向けた運動、プルトニウム利用を許さず、脱原発社会をめざす運動にも多くとりくんでいます。
 福島第一原子力発電所の過酷事故から20日余りが経過した頃、市民団体が中心となって「福島原発事故・緊急講演実行委員会」を立ち上げました。3回の講演会が開催され多くの参加者を得ることができました。そんな中で、「この事故を機に脱原発の流れを確実なものにする運動を栃木県内でも準備していこう」という声が上がり、「原発いらない栃木の会準備会」がスタートしました。準備会の会合を重ねるうち、以前から運動をしていた人たちだけではなく、この事故に危機感を持った主婦や農業者、会社員、陶芸家、染色家、弁護士、大学教員など多士多彩な人々が集まってきました。7月10日に第3回の講演会を終え、講演実行委員会は解散し、「原発いらない栃木の会」へ合流することとなりました。
 7月23日の結成総会には100名以上が参加しました。具体的なとりくみとして、9.19全国集会の前段として9月4日、鎌田慧さんの講演会をメインプログラムとする「さようなら原発栃木県集会」を宇都宮市で開催(写真)、11日には宇都宮市で街頭署名も実施しました。
 現在、自治体に対する「原発から再生可能エネルギーの推進へエネルギー政策の転換を求める陳情」を12月議会に向けて要請する準備を進めています。今後は県内各地で新たにつくられた多くの団体とつながって、「脱原発」の大きなうねりをつくり、確実なものにしたいと思います。

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【本の紹介】
沖縄と米軍基地
前泊 博盛著


2011年・角川Oneテーマ21新書

 わかったつもりで、実はそんなによく知らない。本書の冒頭にもあるのですが、本当のことなど知らないほうが良いし、知ったところでどうしようもない。本土に住む多くの人々にとって、沖縄の米軍基地問題はそういうものではないでしょうか。
 普天間基地移設問題で2010年、当時の鳩山由紀夫首相による「最低でも県外」の出来事がありました。あのときは、それまで無関心だった人々の耳目さえ集めましたが、鳩山首相の挫折から議論は収束へ。加えて、今年の東日本大震災の甚大な被害によって、また人々の記憶から米軍基地問題は遠ざかってしまった感があります。
 しかし、本書を読むと改めてあの騒ぎの末に、前進が見られなかったどころか、より県民の政府に対する、否、政府だけではなく痛みを分かち合わない本土の人間に対する不信感が高まったことを思い、居心地の悪さを感じました。
 本書は、沖縄の新聞「琉球新報」で論説委員長などを務めた前泊博盛さんの筆によるものです。読めば、米軍基地の存在が発展どころか、経済停滞の諸悪の根源となっている実態や、受忍限度をはるかに超えた日常的な騒音、ひき逃げ事故、性暴力などの度重なる米軍犯罪に、県民が苦しんできたことが難なく理解できます。石原慎太郎・東京都知事が運輸大臣だったとき、「米軍は日本の番犬」と発言したエピソードを用いて、その番犬が家人に噛みついたり、襲いかかったりしているとした記述はよく現状を表しています。
 著者は普天間基地移設問題について、しばらく動かないと指摘し、真剣にとりくむ政治家や官僚の不在、運動の先鋭化などをその理由として挙げています。福島第一原発事故をきっかけとして、「迷惑施設」は都市ではない、ある地方に押し付けるという差別体質が顕在化しました。この問題も何ら違いはありません。
 今さら人には聞けないけれど、こっそりちゃんと知っておきたい。そんなときはぜひ、本書を手に取ってみることをお勧めします。
(阿部 浩一)

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さようなら原発1000万人アクション
1000万人署名達成へ集会

 平和フォーラム・原水禁が参加する「さようなら原発1000万人アクション」では、1000万人の署名の達成に向けて、以下の集会が予定されています。

●「がんばろう!さようなら原発1000万人署名」12.10集会
日時:2011年12月10日(土)13:30~
会場:東京・日比谷野外音楽堂
交通:地下鉄「霞ヶ関駅」「内幸町駅」5分、JR「有楽町駅」15分
内容 内橋克人さん(呼びかけ人)、鎌田慧さん(呼びかけ人)、福島からの参加者の訴え ほか
パレードコース(予定)
日比谷公園→東京電力本店前→銀座→東京駅→常盤橋公園

●全国一斉さようなら原発1000万人アクション
日時:2012年2月11日(土・休)13:30~
会場:代々木公園イベント広場、ほか
内容:全国主要都市、原発立地県で一斉アクション

●福島現地集会
日時:2012年3月11日(日)※時間、場所等未定
※東京よりバスツアー予定

●さようなら原発1000万人署名集約集会
日時:2012年3月24日(土)13:30~
会場:東京・日比谷野外音楽堂
内容:集会、デモ・パレード

問い合わせ:原水禁(03-5289-8224)

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