2012年、ニュースペーパー

2012年05月01日

ニュースペーパー2012年5月号



 4月7日、青森市・青い森公園で第27回「4.9 反核燃の日全国集会」(止めよう再処理!全国実行委員会主催)が開かれ、県内外から約1,200人が参加し、雪が舞う中、核燃料サイクル路線からの撤退と原発再稼働の阻止を訴えました。同日、「原水禁・全国交流集会」では、福島や福井などの現地報告とともに、原子力資料情報室の伴英幸さんから、政府の再処理など原子力政策見直し議論の動向が話され、今後の行方が注目されることが報告されました。翌日は、日本原燃本社正門前での抗議集会を開催しました。

【インタビュー・シリーズ その66】
復帰40年、「基地の街」は何も変わっていない
第三次嘉手納基地爆音差止訴訟原告団 団長 新川 秀清さんに聞く

【プロフィール】
1937年、コザ市(現・沖縄市)生まれ。沖縄市福祉部長を経て、90年に沖縄市長。「戦争はすべてを破壊する。だから平和にまさる福祉はない」の考えの下、2期8年の任期中に「平和の日」の条例化などを実現する。2000年から県議会議員(2期)。昨年から第三次嘉手納基地爆音差止訴訟原告団団長をつとめる。

――第三次訴訟の経緯と目的をお話しください。
 沖縄は復帰40年を経た今も在日米軍基地の74%が押し付けられ、人権被害や爆音被害などにさらされる毎日を送っています。この状況に対して、30年前に「せめて夜ぐらいは静かに寝かせてくれ」と突きつけたのが、嘉手納基地周辺住民906人による第一次訴訟でした。16年の裁判闘争を経て、1998年に「米軍機の爆音は違法」との判決を引き出しました。しかし飛行差し止め請求は認められず、深夜、早朝の爆音被害は続きました。その後、2000年に5,540人による第二次訴訟、昨年3月に22,058人で第3次訴訟団を結成しました。
 今回の訴訟について、沖縄県内の2紙(沖縄タイムス、琉球新報)は、「現代の民衆蜂起」「2万人の告発始まる」と報じました。第一次訴訟から30年に及ぶこの闘いは、「基地被害に苦しむ沖縄県民を人間として認めよ」という叫びとともに、平和を願う沖縄県民の切実な思いが根底にあります。

――4月28日に提訴したということも重要ですね。
 沖縄は1945年4月に米軍が上陸し、すでに敗戦が明らかとなっているにもかかわらず、「本土」防衛のため、米軍との地上戦を強いられました。その結果、県民の4人に1人が犠牲となりました。1952年4月28日にサンフランシスコ条約で、「本土」は米軍の占領下から解放され国際社会に復帰しますが、沖縄の米軍統治は72年まで27年間続きました。そのため沖縄は4月28日を「屈辱の日」として胸に刻み込まれました。4月28日に提訴したのは、沖縄の実態は変わっていないということを日本政府に告発していることを意味します。そしてこのことは、4月28日の沖縄県民の痛みに無理解なヤマト(「本土」の人)への問題提起でもあります。

――第三次訴訟の原告は2万人を超えました。
 この裁判の目的は単なる損害賠償請求ではないということです。沖縄そのものが日米両政府に対して、いわば「基本的な人権」を求めているわけです。
 第一次訴訟の後、第二次訴訟は基地周辺5市町村の住民5,540人をもって原告団が結成され、裁判は9年に及びました。2009年の控訴審で、「爆音の違法性とともに、受忍限度を超える騒音にさらされている事実は明らかであり(中略)その後も抜本的な改善が図られていない。国は騒音状況の改善を図るべき政治的な責務を負っている」と、国の怠慢が厳しく指摘されました。普天間基地の爆音訴訟でも同じように国の責任が指摘されています。しかし、日本政府と米軍はこれを無視し、1996年に日米両政府で合意された「騒音防止協定」も守られていません。
 こうした中での22,058人の原告団とは、嘉手納町民の3人に1人、周辺5市町村(沖縄市、うるま市、嘉手納町、北谷町、読谷村)の15人に1人、そして沖縄県民70人に1人の割合で参加していることになります。つまり、基地周辺の地域社会そのものが立ち上がったという意味があります。

――普天間基地の嘉手納統合案が議論されています。
 普天間基地の早期閉鎖、返還は沖縄県民全ての願いです。そうした中でこの案が最初に持ち上がったのは96年でした。当時、基地周辺の沖縄市、嘉手納町、北谷町は「三者連絡会」を設置して嘉手納統合に反対しました。私たち沖縄県民は沖縄県内の新たな基地建設も、嘉手納基地への統合も強く反対しています。22,058人の大訴訟団となった背景には、「もうこれ以上がまんできない」という気持ちと決意があります。
 戦後67年の沖縄の痛みを、日本政府は自らの責任として理解すべきです。私たちは嘉手納統合案に反対するとともに、「普天間米軍基地から爆音をなくす訴訟原告団」とも連携して普天間基地の即時閉鎖・返還、県外・国外移設の立場でその運動の一翼を担っていく考えです。

――今年は「復帰40周年」です。
 私が1990年に沖縄市長に就任して、93年には9月7日を「平和の日」とする条例案を提出しました。なぜ9月7日かと言えば、1945年9月7日に旧越来村森根(現在の嘉手納基地内)で、米軍と旧日本軍との間で降伏調印式があり、節目となったためです。この日は、沖縄戦で多くの住民が犠牲になった悲痛な戦争体験を決して忘れることなく、市民が平和の尊さを考え、平和創造とする日です。しかしこの日は、27年間の米軍統治が始まった日でもあります。その意味では、人権が無視され、平和憲法が適用されなかった復帰前の沖縄を考える上でも重要な日なのです。
 私は旧・コザ市(現・沖縄市)に生まれ75年余り、基地の中で生きてきました。私たちは各地域に青年団をつくり活動しました。生活をよくすることから始まり、やがて「基地被害と闘う、米兵から命を守る」ことになりました。復帰後40年経ちますが、本質的に「基地の街」の実態は何も変わっていません。占領後も銃剣とブルドーザーで土地が強奪され、拡張されてきた米軍基地は、国家の主権が及ばない治外法権とされ、日米地位協定の見直しも先送りされています。
 1959年、当時の石川市(現・うるま市)の宮森小学校に、嘉手納基地から飛び立った米軍のジェット戦闘機が墜落し、一瞬にして児童11人を含む18人の市民の命が奪われ、210人の重軽傷者が出る大惨事が起きました。45年後の2004年8月に沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落したことも、記憶に新しいものがあります。基地周辺住民の生きる権利や人権、さらには人間的な尊厳さえ奪われている現実は何も変わっていません。
 沖縄に押し付けられている米軍基地が、日本の安全保障に不可欠とするならば、日本の安全は沖縄にとって命の危機であり、人権無視の非道になっていると言えます。

――沖縄基地問題には構造的な差別があると思います。
 そうです。1945年、終戦前の沖縄戦で日本軍は沖縄に玉砕を強い、52年4月28日、サンフランシスコ条約で沖縄を切り捨て、72年5月15日「本土復帰」となりましたが、県民の土地を奪って造られた米軍基地はそのまま押し付けられ、日本政府は米軍に手厚い「思いやり予算」を提供しています。そして今や、自衛隊の沖縄配備も強まろうとしています。これが日本の安全保障とするならば、まさに沖縄差別の上に成り立っていると言えます。私たち訴訟団はそのことを問題にしているのです。

――平和フォーラムへの期待をお願いします。
 私たちの取り組みは裁判闘争を通じた平和運動です。そうした意味で、これまでも平和フォーラム、そして地元の沖縄平和運動センターと連帯して取り組んできました。そして嘉手納基地、普天間基地の爆音訴訟団は、米軍・自衛隊基地を抱える厚木、岩国、横田、小松の各基地爆音被害訴訟団と連携し、「全国基地爆音訴訟原告団連絡会議」を設立し、日米両政府に対する運動を広げてきました。全国組織の平和フォーラムとはそうした面からの連携を強めていければと思います。
 私は沖縄市長を8年間務めましたが、地域住民が命と生活を守るために立ち上がったことを、政府はもちろんですが自治体もしっかりと受け止めるべきだと思います。いま日本社会は基地とともに地域に押し付けてきた原発問題が問われています。特に再稼働問題で自治体の合意ということが大きな焦点となっていますが、自治体は地域住民の命を守る最後の砦でなければなりません。その逆になっては絶対にいけません。そして平和フォーラムは、住民の命を守る自治体とも連携し、支える側になっていただきたいと思います。そうした幅広い地域の運動に平和フォーラムを通じて大勢の皆さんが参加することを強く期待しています。

〈インタビューを終えて〉
 新川団長は、1990年代に沖縄市長を務められ、今回は22,058人の原告団長として、また、全国基地爆音訴訟原告団の中心の一人として、平和に向けた思いを語っていただきました。特に「沖縄の米軍基地が日本の安全保障に不可欠とするならば、日本の安全は沖縄の危機」という鋭い指摘が沖縄基地問題の本質を突いています。改めて構造的な差別関係の中で、沖縄に米軍基地を押し付けている日本社会を、根本的に問い直す運動が求められているという思いを強くしました。
(藤岡 一昭)

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「復帰」40年、サンフランシスコ条約60年
沖縄米軍基地、日本の安全保障を問う

 1972年5月15日に、沖縄の施政権が米国から日本に返還されて40年を迎えます。しかし、在日米軍基地の74%が沖縄に集中している現実は返還後も一向に変わりません。むしろ日本政府は、普天間基地の閉鎖・返還にともない、名護市辺野古に新基地を建設する方針を変えず、中国などの軍事的脅威に備えるとして沖縄への自衛隊配備も強めています。4月の北朝鮮衛星打ち上げ問題の際にも、石垣島にPAC3を緊急配備するなど、沖縄への基地負担と犠牲を強めています。
 復帰40年の今年、あらためて沖縄米軍基地の縮小、撤去とともに、沖縄米軍基地問題と日本の安全保障について問い直していかなければなりません。

切り捨てられ、押し付けられた沖縄の歴史
 日本は1945年8月に終戦を迎えますが、その年の4月、米軍は沖縄に上陸し、6月23日までの凄惨な地上戦で沖縄県民の4人に1人が犠牲となりました。すでに敗戦が決定的であるにもかかわらず、「本土防衛」のため沖縄は玉砕を強いられたわけです。
 そして1952年4月28日にサンフランシスコ条約が発効し、日本は米軍統治から解放され国際社会に復帰しますが、沖縄は切り捨てられ、72年5月15日まで統治が続きます。米軍は沖縄上陸から27年の間に、いわゆる「銃剣とブルドーザー」で占領基地を拡大しました。このため沖縄米軍基地の大半は民有地です。72年の施政権返還後も、沖縄県民から強引に奪って造られた米軍基地は、「日本の安全保障には不可欠」として、復帰40年の今日に至っても沖縄に押し付けられています。
 さらに、一昨年12月に閣議決定され、改定された「防衛大綱」では、専守防衛の基本理念を転換し、中国などの軍事的脅威に動的抑止という言葉で対峙する考え方を明確にしました。これにより、沖縄への自衛隊配備が強化され米軍との一体化も進められようとしています。具体的には辺野古新基地建設方針を変えず、危険なオスプレイの配備を容認し、沖縄北部の高江ヘリパット基地建設の強行や与那国島への自衛隊配備などのすさまじい動きが物語っています。

辺野古環境アセス問題で明確となった差別構造


「ガッティンナラン! 沖縄差別集会」
(4月20日・全電通労働会館)

 沖縄基地問題の歴史は、切り捨てられ、押し付けられてきた歴史に他なりません。こうしたことが続けられてきた背景には構造的とも言える沖縄差別の実態があります。このことが最も陰湿に表れたのが、防衛省の辺野古環境アセス問題で飛び出した、当時の田中聡沖縄防衛局長による「犯す前に犯しますと言いますか」発言です。オフレコ懇談会の席であったにせよ、この発言を聞いた記者の頭は真っ白になったと言います。コメントを求められた仲井真弘多知事は「クチ、ハゴーサン」(口が汚れる)と言って嫌悪しました。また沖縄総領事でもあったケビン・メア米国務省日本部長(後に更迭)は「沖縄はゆすりの名人」と発言しました。
 マスコミに取り上げられたこうした発言とともに、米兵による頻発する事件、先送りされている日米地位協定の見直し問題、騒音防止協定を無視し早朝、夜間に飛び交う米軍機問題など、沖縄県民の人権は無視して当たり前という差別構造が沖縄への基地負担の強要を生み出す大きな背景となっています。

変わる安全保障政策、共同の利益の追求を
 冷戦構造が崩壊し、21世紀の安全保障を取り巻く環境は根本的に転換しました。途上国の経済発展とグローバル化は、国家の富を武力で奪い合う国際関係を大きく変えています。格差や貧困、環境破壊がテロや地域紛争を引き起こすことがあっても、経済関係に壊滅的な打撃を生み出す国家間の戦争行為が発生する可能性は極めて低い時代に変わりつつあります。
 しかし日本政府は沖縄への差別構造を固定化しながら、日米同盟を強化し、実質的にアメリカの安全保障政策に追従しています。特に経済活動が活発化している東アジアにあって、沖縄の軍事的な強化は、時代の変化と逆の作用しか果たさないことは明確です。
 国際社会が富の奪い合いから、共同の利益による発展という流れに変わろうとする中で、日本はその流れを確かなものにしながら、共同の利益を守るための東アジアの共同の安全保障政策を追求すべきです。そして、沖縄への差別構造から決別し、沖縄を東アジアの軍事拠点ではなく、経済、文化の交流拠点に転換させることが平和につながる唯一の道と言えます。

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5月3日は私たちが歴史を振り返る日
「憲法改正」での政治的結集を許さない

具体性のない自民党の憲法改正案
 自民党の「憲法改正推進本部」(保利耕輔本部長)が憲法改正案をまとめ、サンフランシスコ条約締結から60年にあたる4月28日までに決定すると報道されています。「自衛隊を自衛軍にする」「天皇を国家元首と位置づける」などの内容です。「自衛軍」は、次期総選挙における自民党の公約の原案にも位置づけられたと伝えられています。
 石原慎太郎東京都知事は「敗戦後の占領統治のための憲法。国家を守る軍隊が自由に行動できない。こんな憲法は無効だ」と持論を展開しています。北朝鮮の人工衛星打ち上げに対するPAC3の南西諸島配備や新防衛計画大綱など、中国や北朝鮮を脅威として、日本社会の閉塞感からくる国民的不満をそらそうとしているかのようです。軍隊を自由に展開して国民の何を何から守ろうとするのか全く具体性がなく、日本社会の将来的ビジョンに立ったものではありません。
 戦後67年、自衛隊が一度も銃の引き金を引かないで来たように、交戦権を認めない憲法9条、そして「非核三原則」「武器輸出三原則」は、侵略戦争を引き起こした日本が国際的信頼を取り戻すのにどれほどの力になったのか。そのことを忘れてはならないのです。

底の浅い天皇をめぐる議論


昨年の憲法記念日集会
(2011年5月3日・日本教育会館)

 日本国憲法には、元首の規定はありませんが、その第4条で「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と定め、規定される総理大臣の職務とを勘案すれば、天皇と総理大臣の立場は明確です。「天皇を国家元首に位置づける」とする改正は意味が理解できません。しかし、国旗・国歌も憲法規定に入れるということと並べて考えると、そのめざす意図は透けてきます。現在の天皇は、幼い頃父親が戦争の歴史に翻弄された姿を見て、戦後の時代を生きてきました。「日の丸・君が代」をめぐって「強制にならないように」と発言した天皇の言葉の意味を考えなくてはならないでしょう。
 憲法改正案をめぐる自民党内の議論には、その前文に「日本は大災害も乗り越えてきた」「和をもって貴しとする理念を持っている国」という文言を入れるべきだとの意見が出たと伝えられます。どの国においても災害を乗り越えた歴史があります。そして、人間の和は人間社会において共通の徳に違いないのです。しかし、そのことは決して「黙って人の言いなりになる」ということでないことも自明です。このような稚拙な議論が展開されていることにあぜんとしてしまいます。日本社会を規定する憲法への底の浅い議論には、日本社会、そして政治の将来への大きな不安を覚えます。

稚拙な議論で改正要件を引き下げるな
 大阪で圧倒的支持を得てきた「大阪維新の会」は、「維新版・船中八策」の中で、首相公選制や参議院の廃止などに触れるとともに、第96条の憲法改正発議の要件を総議員の3分の2から2分の1に緩和することを提起しています。国会においても、同様の主張で議員約100人による超党派の「憲法96条改正を目指す議員連盟」が立ち上がっています。戦後憲法は、憲法改正を党是として政権与党に座り続けてきた自民党でさえ、この要件の下で憲法改正の発議を行うことができないできました。それは、国民の選択でもあったのだと思います。解散総選挙も取りざたされる中、憲法改正での政治的結集を許してはなりません。
 憲法は、近代の長い歴史の中で市民が獲得した権利と社会のあり方を規定し、権力の策動を許さないものです。その獲得に多くの血が流されたことは言うまでもありません。日本においても、先の戦争の大きな犠牲の上に成立した憲法であり、戦火の暗い生活から解放された国民にとって大きな希望の光でさえあったのです。5月3日は私たちが歴史を振り返る日です。稚拙な議論で改正の要件を引き下げて、思うがままの憲法をつくろうとする勢力を決して許してはなりません。

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TPPをめぐり海外の識者が問題点を提起
広範な分野で法律や制度変更を迫るもの

 環太平洋経済連携協定(TPP)交渉への参加をめぐり、1月から交渉に参加する各国と日本との事前協議が行われ、「多くの国が日本の参加に賛同している」(政府発表)とされています。しかし、いまだにTPPに関する政府からの情報開示は不十分なままです。
 こうした中で海外からは、TPPをめぐり様々な問題点が指摘されています。「異常な契約」(ニュージーランド・オークランド大のジェーン・ケルシー教授)と呼ばれるTPPは、単なる貿易交渉に留まらず、広範な分野で国内の制度変更を迫るものであるとの指摘が相次いでいます。3月に、そうした各国の研究者や市民団体代表、国会議員が来日して国際シンポジウムが開かれました。そこでの発言などをもとに、TPPの問題点を考えます。

企業による企業のための交渉─アメリカ・韓国


「市民国際シンポ やっぱりTPPでは生きられない!」
(3月13日・総評会館)

 TPP交渉を占うものとして注目されるのは、米国とカナダ、メキシコの3ヵ国で1994年に結ばれた北米自由貿易協定(NAFTA)。米国の市民団体「パブリック・シチズン」で貿易交渉を監視するロリ・ワラックさんは、「NAFTAと同じように、TPPは企業による企業のための交渉だ。米国でも自由貿易への反発が強まっているが、議会の手続きを抜きにこっそりと規制緩和を進めようとしている」と批判しました。
 ロリさんなどが特に問題だとしているのは、外国に進出した企業が、その国や自治体の規制によって不利益を受けたとして、投資先の政府や自治体を提訴できる「投資家・国家訴訟(ISD)条項」です。例えば、カナダで露天堀の採石場開発計画が持ち上がり、地元の州政府が地下水の汚染問題から開発にストップをかけた際、米国企業はNAFTAのISD条項を使ってカナダ政府を訴えました。そのため、カナダでは、環境を守る規制などの政策を決められなくなるという危機感が高まっています。
 また、アメリカがTPPのモデルと位置づけている韓国との自由貿易協定(FTA)が3月15日に発効しましたが、韓国では急速に反対運動が拡大しました。韓米FTA阻止汎(はん)国民運動本部の政策委員長を務める朱帝俊さんは「米韓FTAは単なる通商協定ではなく、無分別な規制緩和で、韓国の法律や制度を変えるのが目的だ」と指摘。米国が米韓FTA交渉の条件として、牛肉の輸入規制緩和や国民健康保険制度の変更などを求めたことを紹介しました。さらに「学校給食に遺伝子組み換え食品を使わないという制度も廃止されようとしている」とし、多国籍企業の利潤追求で、市民の安全が損なわれると警告しました。

4年間は交渉過程文書を非公開─ニュージーランド
 すでに、シンガポール、チリ、ブルネイとともにTPPを発効させているニュージーランド(NZ)からも、「緑の党」のラッセル・ノーマン共同党首は、米国が加わることでTPPが変質していることを指摘。「NZ政府はTPP交渉の中身を国民はおろか国会議員に公表していない。また、交渉過程の文書は、締結後4年間は開示しないことになっている。これでは国会議員としての役割が果たせない。議会を無視し、国内規制より優先する条項が強制されれば、民主主義や国家主権の根幹が揺らぐ」と秘密主義を批判しました。
 また、TPP交渉の実態について「現在のTPP協議はアメリカが完全に主導権を握っている。小国は反対できない」「TPP交渉に首を突っ込めば抜けられなくなる。日本がこのバスに乗らないと主張すれば他の国も乗らないだろう」(ロリ・ワラックさん)と、日本は交渉に参加すべきでないと警告を発しました。
 シンポジウムで東京大学の鈴木宣弘教授は、「史上最悪のFTAであるTPPに入る意味がどこにあるのか。TPP反対運動は、『頑張ったけどダメでした』ではすまない。TPPの拡大をストップさせるための具体的な手順を打ち出さなくては意味がない」と、国際的な連帯とともに、TPP阻止に向けた世論形成の重要性を訴えました。

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ストレステストで大飯原発の安全性は判断できるか
原子力資料情報室共同代表・物理学 山口 幸夫

ストレステストは「だまし」
 ストレステストは原発を推進する人たちが編み出した新手の「だまし」手法である。この4月13日、政府は大飯原発3、4号機の運転再開を妥当と判断した。関西電力が提出したストレステストの第一次評価報告書が、専門家11人による「意見聴取会」で認められたと原子力安全・保安院(保安院)が判断した。さらに原子力安全委員会(安全委員会)がそれを確認した。それらの一連のプロセスを経た後、関係4閣僚が「おおむね安全が確保された」として、運転再開へと動き出したものである。
 3.11福島原発震災は未だ進行中である。事故の検証もなされていない。政府の事故調査委員会は中間報告を年末に出した段階であり、国会の事故調は実質的に今年1月にスタートしたばかりである。科学的・技術的に事故の解明はなされていない。
 にもかかわらず、政治家が再開判断をしたということは、民主主義の本旨に反している。いざというときには「責任をとる」と言うが、どのような責任を取るのか。3.11地震で引き起こされた福島第一原発震災は基本的に人災である。だが、政治家、官僚、学者を含めて責任をとった人は未だ一人もいない。保安院、安全委員会、そしてもっとも責任を取るべき原子力委員会の誰一人として、責任をとった人はいない。
 ストレステストは、福島第一原発事故の惨状を見たEU理事会が、傘下の14ヵ国の原発を対象に実施要請をした耐性試験のことである。公開性と透明性を謳い、市民の理解と認知を得ることが重要だとした。また、当該国の専門家を除いたピア・レビユーなど、慎重に原発の安全性をチェックする姿勢を示した。

保安院の意のままの意見聴取会
 しかし日本の場合、菅総理(当時)が7月7日、「全原発を対象に実施する」と参院予算委員会で発言。7月11日、枝野・海江田・細野3閣僚が「1次評価を停止中の原発の運転再開の条件」とする声明を出し、再稼働条件にしてしまった。
 それを受けて、保安院は専門家11名による「発電用原子炉施設の安全性に関する総合的評価に係わる意見聴取会」(ストレステストの表現は使われていない)なるものを設け、11月14日から2月8日まで8回にわたって意見聴取を行った。ちなみに、保安院は9月から11月にかけて、次の四つの課題についての意見聴取会を発足させた。「高経年化技術評価」、「東電福島第一原発事故の技術的知見」、「地震・津波の解析結果の評価」、「建築物・構造」に関してである。
 これらの意見聴取会の大きな特徴は、委員が意見を述べ、それを聴いた保安院が委員の意見を集約するものであり、委員同士で議論をたたかわせて結論を導くものではないことである。保安院の意図のもとで、専門家の意見がまとめられてしまうとは奇妙な仕組みである。福島第一原発事故の直接の責任は保安院にあるのであり、これまでの保安院の方針・実施・判断の責任がきびしく問われているのだ。少なくとも保安院の課長クラス以上は引責辞任すべきなのである。さらに、3月31日をもって保安院も安全委員会も解体されることが決まっている(ただし、4月14日現在、解体されていない。新組織の原子力規制庁が発足できないでいるからである)。

大きく広がった「地元」の概念
 ところで、ストレステスト意見聴取会は、原発の安全性に関する総合的評価が課題である以上、福島事故の検証ナシ、破綻した従来の安全基準の見直しナシ、事故時に被害を受ける地元住民の参加ナシは異常と言うべきである。意見聴取会には利益相反の疑いが濃い委員が4人もいるありさまだ。
 一方で、後藤政志・井野博満の両委員は、毎回、安全性を問う意見を提出したが、二人の意見のほとんどを保安院は無視して、関西電力のストレステスト第一次評価報告書を「妥当」と判断したのである。ストレステストの第二次評価報告書は、各電力会社が年末までに提出するはずだったが、未だ一つも提出されていない。なんと拙速なことであろうか。
 福島事故を踏まえれば、「地元」の概念は大きく広がった。しかし、どこまでを地元と言うのか、今後つめなければならない。いまや、関西圏の滋賀、京都、大阪、兵庫も地元というべきである。大飯原発3、4号機の再開などは全く論外なのである。過ちは二度と繰り返してはならない。

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失望の総選挙結果、そして韓国の反核運動
韓国・エネルギー正義行動 代表 イ・ホンソク

高まる原発問題に対する韓国民の関心

 福島原発事故後の最初の韓国の総選挙が終わった。今年の総選挙は、いつにもまして変化への期待が高かった。韓米FTA、四大河川事業、チェジュ島の海軍基地問題など主要な懸案はもちろん、李明博大統領が普段自信があると豪語していた経済問題に至るまで、国民の失望が大きかったからだ。ほぼ全てのメディアは、今回の総選挙で野党の勝利を予想し、各種世論調査の結果はそれを裏付けていた。
 特に原子力発電の問題に対する国民の関心と熱は非常に高かった。宗教界では総選挙の候補者に対する政策の検証内容を発表し、原発の周辺地域と新規原発候補地では原発問題は選挙の最大の争点であった。これまで脱原発問題で微妙な反応を見せていた野党第一党の民主統合党までが「原発見直しの立場」を発表し、与党のセヌリ党を除くすべての野党が原発に対して否定的な立場を表した。福島原子力事故の前は、少数の進歩政党だけが原発廃止を公約に掲げていたことを考えると大きな変化であった。

緑の党の出発とセヌリ党比例代表1番
 この変化の最たるものが緑の党だ。以前にも韓国社会で「緑の党」という名前の政党が結成されたことがあったが、きちんと「緑」の価値が含まれていないと批判を受けたりし、新しい政党の結成を難しくさせている韓国政党法の限界を乗り越えることができなかった。韓国で政党を結成するためには少なくとも五つの広域市にそれぞれ千人ずつの党員が必要だが、これは新生政党にはあまりにも大きな壁だからだ。しかし福島原発事故は、この厳しい状況を変える大きな流れをつくり、結党は難しいという一部の予測を超えて党員7,000人規模の緑の党が結成され、地方選挙区の国会議員候補2名と比例代表候補3名が出馬した。
 このような脱原発陣営の流れにも与党は全く反応しなかった。セヌリ党は今後の原子力発電政策を問う市民社会陣営の質問に回答を遅らせるような形で結局答えなかった。しばらく時間稼ぎをしていたセヌリ党は比例代表の1番に「韓国原子力研究院」の研究委員を選ぶという「正面突破」を試みた。セヌリ党は女性科学者の役割を考慮して彼女を選定したと表明しているが、様々な女性科学者がいる中で、どうしてよりによって「原子力工学」を選んだかについては、相変わらず黙ったままだった。これは誰が見ても脱原発への意志がないことを明確に表した事件だった。

より強固な運動をつくる苦い薬に
 そして総選挙が終わった。しかし、結果は非常に失望に満ちたものだった。選挙運動期間中、大統領府が政府に批判的な芸能人をはじめ、民間人を査察していたという証拠が出てきたり、一部のセヌリ党の候補者は、セクハラ、論文の代筆など資質が問題になったりしたが、国会議員全議席の過半数の152議席をセヌリ党が獲得した。ヨンガンを除いた既存の原子力発電所の地域と新規原子力発電所の地域でセヌリ党の候補が当選した。脱原発政策に何度も言及しながら比例代表候補当選のために努力していた緑の党と進歩新党は、それぞれ0.5%と1.1%の支持を獲得するにとどまった。韓国の政党法上、2%未満の支持率だった政党は解散することになっているため、これらの政党は新たに登録手続きを踏まなければならない。
 今回の選挙結果は、まだ選挙で政策が優先されない韓国政治の断面を見せた。原発問題をはじめ様々な社会的問題への関心はこれまで以上に高かったが、まだ進歩政党はオルタナティブな勢力として認識されておらず、野党第1党の民主統合党に対する失望がより大きく作用したのだ。
 韓国反核運動は、新たな戦略を練らなければならない。その戦略は、核のない世界を夢見る人々の考えを結集することから始めなければならないだろう。今回の総選挙は、巨大な大衆運動として反核運動が発展しない限り、原発を廃止させることができないという、最も単純な真理を韓国反核運動全体に伝えている。「雨降って地固まる」ではないが、今回の総選挙の結果は明らかに痛恨の失敗ではあるが、より強固な反核運動をつくるのに必要な”薬”になるだろう。この苦い薬を飲んで再びスタートに立てば、いつかは韓国でも真の脱原発が成されるだろう。

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東北アジアの非核化を求めて(1)
北朝鮮の衛星発射と日米の対応を考える

あいまいな米朝協議後の衛星打ち上げ
 今年の2月29日、米・国務省と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)外務省はそれぞれ、北京での高官協議における合意事項を発表しました。その内容は、「北朝鮮は核実験、寧辺(ニョンピョン)でのウラン濃縮活動、長距離弾道ミサイル発射実験の一時停止を受け入れ、国際原子力機関(IAEA)からの査察に応じる。一方米国は、24万トンの栄養補助食品を提供し、さらに追加的な支援を協議する」というものでした。
 この協議は、昨年12月14、15日に開かれた米朝高官協議直後の17日に、金正日総書記が死去したため、仕切り直しとして開催されたと言えます。この12月の協議では、北朝鮮側から衛星打ち上げが伝えられています。北朝鮮は2009年3月に「宇宙条約」に加盟していて、2月の協議でも「平和的な衛星打ち上げ」と主張し、一方で米国は「衛星もミサイルと見なす」と主張し、双方の意見がまとまらないまま、前記の合意点だけ発表されたのが真相といえます。
 こうしたあいまいな米朝合意後の3月16日、北朝鮮は4月15日の故・金日成主席の生誕100年に合わせ、地球観測衛星「光明星3号」をロケット「銀河3号」で打ち上げると発表。4月13日早朝、人工衛星を打ち上げましたが爆発し、破片が黄海に落下しました。

米国の懸念は長距離弾道ミサイル
 今年末に大統領選を控え、外交成果の欲しい米・オバマ政権と、金日成国家主席生誕100年を前に食料支援を求める北朝鮮、双方の思惑があいまいな合意を作りだし、結果として合意を無にする結果となりました。6ヵ国協議再開や朝鮮半島、東北アジアの非核化を求めてきた私たちとしては、今後どう運動を進めていくのか、北朝鮮の衛星発射をめぐる米韓日の対応、特に日本の対応を検証し、考えていくべきだと思います。
 米国の北朝鮮に対する懸念は、小型核弾頭の開発と長距離弾道ミサイルの開発です。核弾頭は現在では不完全なものでも、小さな都市を破壊できることがわかっています。ですから当面の最大の懸念は、長距離弾道ミサイルの開発です。また衛星と弾道ミサイルのどちらも、同じロケットを使用するので、米国としてはどちらについても反対の立場です。ただ理由づけとして、国連安保理決議違反であるとしたのです。
 こうして米国は反対の姿勢を強く打ち出し、宇宙、海上、陸上配備のレーダーと迎撃システムによるミサイル防衛網を起動させます。さらに日韓両国と共同して対処する方針を打ち出したのです。日韓両国もまた北朝鮮の衛星発射を最大限利用しました。ただ、核サミットに参加した中国の胡錦濤国家主席との会談では、反対の立場は引き出せたものの、中国は「憂慮する」との表現にとどめ、自制を求めました。

日米統合作戦の訓練の場に
 北朝鮮の衛星発射を積極的に利用した日本は、どう動いたのでしょうか。北朝鮮の衛星が3段ロケットで、1段目が韓国西方沖の黄海、2段目が沖縄県・石垣島上空付近を通過し、フィリピン・ルソン島東方沖へ落下するとの通報を受け、3月30日に安全保障会議を開き、衛星打ち上げを長距離弾道ミサイル発射実験と見なして田中直紀防衛相は、自衛隊法に基づく破壊措置命令を出しました。さらに、イージス艦1隻を日本海に、2隻を沖縄周辺海域に配備、PAC3部隊を首都圏、沖縄本島、石垣島、宮古島に配備。その上、自衛隊員800人を沖縄本島や、石垣島、宮古島、与那国島に配備しました。
 航空自衛隊の航空総隊は、米軍再編成によって3月26日に、これまでの府中基地から福生市の米軍横田基地に移転したこともあり、日米初の統合作戦が行われることになりました。陸上自衛隊の中央即応集団司令部も2013年3月までに、在日米軍司令部のある神奈川県のキャンプ座間に移転する予定です。アジアに軍事力の重点を移すとした米政権と、日本政府が2010年末に閣議決定した「防衛大綱」「新中期防」で「動的防衛力」を打ち出し、対中国への防衛力増強(沖縄などへの軍事力増強)を進めようとする両国政府にとって、北朝鮮衛星発射問題はまたとない日米統合作戦訓練の場となりました。
 さらに北朝鮮の衛星発射に際して、沖縄などへの連絡の遅れあったことを大きな理由として、政府は偵察衛星の必要性を訴えようとしています。衛星打ち上げに失敗した北朝鮮は、今後どのように動くでしょうか。昨年末までの米朝協議では、05年9月19日の6ヵ国協議共同声明を基礎とすることが確認されてきました。
 しかし、金正日総書記の後を継いだ金正恩第1書記は、核武装は父の遺訓であると語るなど、今後、核実験にまで踏み切るのかは見えていません。

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《各地からのメッセージ》
県内全市町村で脱原発キャラバン行動に取り組む
平和環境岩手県センター事務局長 野中 靖志

 平和環境岩手県センターは、2010年12月、県原水禁、県護憲連盟と平和環境岩手県労組センターが統合し、新組織として結成されました。昨年3月11日の東日本大震災・大津波によって、本県でも大きな被害があり、この間の全国からの支援に対し感謝申しあげます。
 当センターは、社民党岩手県連合とともに、さようなら原発1000万人アクションの取り組みの一環として、2月14日から3月6日にかけ県内全町村の延べ700キロをめぐる「脱原発キャラバン行動」に取り組みました(写真)。キャラバン隊は、県都の盛岡市を出発し、県北地域から沿岸部、県南部の順に県内を1周して、市民に脱原発を訴え続けました。
 キャラバンでは、社民党の地方議員団が弁士として街頭宣伝を行い、県北部の久慈地域では市の日にあわせて街頭署名行動にも取り組みました。地元の社民党市議が、「福島第1原発の放射能もれ事故によって、本県南部を中心にシイタケなど農作物をはじめとする風評被害や、幼稚園・保育園、学校などの庭土からも放射性セシウムが検出され、市民の不安が大きい。今こそ、岩手から脱原発の声を大きく上げていこう」と、市場に訪れた買い物客に訴えました。
 現在、岩手県内に原発はありませんが、今から50年前には、岩手でも原発の誘致、建設の動きがあり、県労連(当時)や社会党が地域住民といっしょになって反対行動に取り組み、原発建設を阻止した歴史があります。1000万人署名の岩手県の目標は10万筆であり、現在7万筆を集約したところです。
 3月11日に福島県郡山市で開催された「原発いらない3.11福島県民大集会」には岩手から70人が参加。また、4月7日に青森で開催された「反核燃の日全国集会」にも40人が参加しました。今後も、広範な市民とともに手を携えて、脱原発への道筋を確かなものにするため取り組んでいく決意です。

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【本の紹介】
ヤクザと原発 鈴木智彦 著


文芸春秋 刊

 「原発はあんたたち(注・マスコミの人間)ふうに言えば、タブーの宝庫。それが裏社会の俺たちには、打ち出の小槌となるんだよ。はっはっは」。とある原発立地の街のヤクザの組長の言葉です。地元の有力者をとりまとめ、街を代表して電力会社と交渉し、補償問題を解決する。ゼネコンと話をつけて、息のかかった地元の土建屋に仕事を振り、また労働者のあっせんを請け負う……。筆者はこう言います。炭鉱でもそうだったように、「暴力というもっとも原始的、かつ、実効性の高い手段は、国策としてのエネルギー政策と常にセットとして存在している」。
 筆者はヤクザ専門誌の元編集長で、裏社会取材を得意とするジャーナリストです。暴力団関係者から寄せられた情報をきっかけに取材をするうちに、周辺取材に飽き足らず、福島第一原発へ作業員として潜入取材を行いました。筆者自身が汗まみれになり被曝の恐怖を肌身に感じながら、付け焼き刃の工事の実態、ずさんな放射線管理、すさんだ現場の様子を記録していきます。事故直後の第一原発での決死の作業に従事した、いわゆる「フクシマ50」の当事者にも接触しています。彼の所属する会社への電力会社からの要請は、「死んでもいい人間を用意してくれ」。その内容は実に生々しいものです。
 筆者は、タブルスタンダードの常用を余儀なくされる点に、ヤクザと原発の親和性を嗅ぎ取ります。「原発は村民同士が助け合い、かばい合い、見て見ぬふりという暗黙のルールによって矛盾を解消するシステムの上に成り立っている。不都合な事実を詰め込む社会の暗部が膨れあがるにつれ、昔からそこに巣くっていた暴力団は肥太った。原発と暴力団は共同体の暗部で共生している」。構成からも、取材の行き当たりばったりさが伺えますが、それが筆者の息遣いをよく伝えていて、迫真のノンフィクションに仕上がっています。
(山本 圭介)

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外国人の「人間としての尊厳」奪う「入国管理法」の改訂
移住労働者と連帯する全国ネットワーク 
事務局長 鳥井 一平

 これほど当事者に知らされていない法改定と施行は珍しい。出入国管理法(入管法)の改定である。私たちの反対にもかかわらず2009年に入管法が改定された。この改定には2つのポイントがあった。ひとつは、外国人労働者の受け入れ方法として技能実習制度を固定化したことである。これはすでに2010年7月に施行され、人身売買、奴隷労働を構造的につくり出す悪法・制度であることは、これまでも指摘をしてきた。
 もうひとつの問題は、本年7月9日に施行されようとしている「新たな在留管理制度」による外国籍住民への監視、管理の強化である。その問題について指摘したい。

外国人登録法が廃止、重くなる罰則規定
 具体的な大きな変更点は、外国人登録がなくなり在留カード・特別永住者証明書に変わるということである。外国人登録がなくなり外国人も住民基本台帳に登録されることになる。そして地方自治体での手続きではなく、法務省(入管)で行われることになる。つまり外国籍者を国で一元管理しようというものである。
 しかし、外国籍者から見れば住民サービスと在留管理が別々な手続きを強いられることになる。一見「在留カード(IC)」化によって便利になるかのような印象を与えているが、手続きは困難となり、義務規程を増やし、それに伴い罰則が増えて重くなっており、「在留資格取消し」理由も増やしている。
 手続きが周知されないための混乱が予想されるだけではなく、施行により人権侵害が増大する懸念がある。想定される具体的問題の詳細については「移住労働者と連帯する全国ネットワーク・入管法対策会議」などが発行した「改定入管法 外国人のためのQ&A(日本語版)」(3種セット300円・送料込)をぜひ読んでいただきたい。

非正規滞在者への政策こそ民主主義の水準


「在留カードにNO集会」(3月4日・韓国YMCA)

 改定入管法は、超過滞在、難民申請者など非正規滞在者への施策が欠落している。これまでは非正規滞在者も外国人登録が行われ、一定の住民サービスが行われてきた。ところが改定入管法は、非正規滞在者を「法の他者」として排除の対象としてしか見ていない。これまで時代錯誤の「単一民族国家論」による移民政策や労働力政策の欠如にもかかわらず、実際に入国と就労を認めた結果としての非正規滞在者の存在を無視することは、労働者の普遍的権利や人権からも許されないことである。7万人近く居住する非正規滞在者への施策は急を要する。
 また、全ての働く仲間にイメージしてもらいたいことがある。「非正規」との言葉の響きはあまりよくない。しかし、彼ら彼女らの実像は10年、20年と、この社会で働き、子どもは学校で学び、地域生活を送っている同僚であり、隣人なのである。また、やむを得ず母国から難民として逃れてきている人びとである。非正規滞在者への政策こそ、この社会の民主主義の水準を示すことになるのではないだろうか。

総背番号制・監視社会への導入口になる危険
 もう一つ強調したいのは、改定入管法が、ゼノフォビア(外国人嫌い)・民族排外主義を利した総背番号制・監視社会への導入口となっていることである。改定入管法では個人情報の届出義務が課せられ、詳細な個人情報が法務省入管局に集中されることになる。そしてその情報が在留カードのICチップに埋め込まれる。「外国人だから」を使った総背番号制・監視社会への突き進みに気がつかなければならないだろう。
すでに「多民族・多文化共生社会」は始まっている。ひとつの家族の中で、親は外国籍、子どもは日本国籍というような社会になってきている。経済成長や交通手段の発達は、地球規模での移動を促してきた。改定入管法は、そのような社会の実態を反映していないどころか、逆行すると言っても過言では無い。労使対等原則が担保された多民族多文化共生社会への移民政策が求められる。
 私たちは外国人の「人間としての尊厳」を奪う入管法の改定に反対して「『ともに生きる』1万人宣言」の団体賛同を呼び掛けている。詳しくはこちらから。
http://www.repacp.org/aacp/tomoni/

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さようなら原発1000万人署名達成を5月末の集約に向けて

 「さようなら原発1000万人署名」は現在、650万筆が集まり、さらに拡大しています(4月17日現在)。署名運動は5月末日まで継続しています。今後、全ての原発の停止と再稼働に向けた動き、夏にかけて国のエネルギー政策が議論されるなど、脱原発への大きな山場を迎えます。引き続きのご協力をよろしくお願い致します。 

さようなら原発1000万人署名運動のホームページ
http://sayonara-nukes.org/

ネット上からも署名ができます─オンライン署名
ホームページ上からも署名できるオンライン署名のフォームをつくっています。こちらも同じ署名です。

署名フォームはこちら
http://sayonara-nukes.org/shomei/pttn_frm_j/
集約先:「さようなら原発1000万人アクション実行委員会」
〒101-0062千代田区神田駿河台3-2-11総評会館内 原水禁

集会・イベントなども行います
「さようなら原発1000万人アクション」では、今後も様々な集会・イベントを行います。(詳細はお問い合わせを)
5月5日(土)「原発ゼロの日 さようなら原発5・5(ゴーゴー)集会」(13:00~芝公園)
5月26日(土) 署名の呼び掛け人などによる講演会(13:30~日本教育会館)
7月16日(月・休)「7.16 さようなら原発10万人集会」(代々木公園B地区)

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