2014年、ニュースペーパー

2014年09月01日

ニュースペーパー2014年9月号



被爆69周年原水爆禁止世界大会を開催
 福島大会(上左、7月27日)、福島大会フィールドワークで除染廃棄物仮置き場視察(上右、7月28日)、 国際会議(中左、8月5日・広島)、メッセージfromヒロシマに参加した子ども達(中右、8月5日)、 非核平和行進(下左、8月9日・長崎)、長崎大会開会総会(下右、8月8日)

インタビュー・シリーズ: 93
戦争は忘れるからやってくる
作家 早乙女 勝元さんに聞く

早乙女 勝元さん

さおとめ・かつもとさん のプロフィール
 1932年東京生まれ、12歳で東京大空襲を経験。働きながら文学を志し、自分史『下町の故郷』が20歳で刊行される。その後フリーで、ルポルタージュ『東京大空襲』(岩波新書)が話題になる(日本ジャーナリスト会議奨励賞)。70年、「東京空襲を記録する会」を呼びかけ、同会による『東京大空襲・戦災誌』が菊池寛賞を受賞。2002年、江東区北砂に民立の「東京大空襲・戦災資料センター」の開館に尽力、館長を務める。主な作品に、『早乙女勝元自選集』(全12巻・日本図書センター)、『東京が燃えた日』(岩波ジュニア新書)、『下町っ子戦争物語』『東京空襲下の生活日録』(東京新聞出版部)、『平和のための名言集』(編・大和書房)、最新刊は『わが母の歴史』(青風舎)、9月刊に『もしも君に会わなかったら』(新日本出版社)。戦災資料センターには、自筆の「その火を消すな毎日毎日たき木をくべろ」という色紙が飾られている。

─1932年のお生まれですが、45年の東京大空襲の時のことをお話しください。
 12歳で経験しました。まだ子どもでしたが、かえって、子どもの視線で見ていたので、よく覚えています。その頃は連日のように空襲があり、疎開する人も多かったのですが、私たちは逃げる事が出来ず、勤労動員で、危険なことは分かっていても残らざるを得ませんでした。まさに「去るも地獄、残るも地獄」でした。
 東京大空襲の前にもアメリカは国民から戦意を奪うべく、1月や2月にも東京・下町の人口密集地を狙ってきていたのです。その中でも、3月10日の大空襲は特に規模が大きく、北風の強い中、300機ものB29がナパーム弾(主燃焼材のナフサにナパーム剤と呼ばれる増粘剤を添加してゼリー状にしたものを充填した油脂焼夷弾。アメリカ軍が開発したもので、きわめて高温で燃焼し、広範囲を焼尽・破壊する)を1700トンも落とし、明け方までに下町中を焼き尽くしました。まさに、国際条約で禁止されている無差別攻撃をアメリカは行ったわけです。

─3月10日の大空襲では10万人もの犠牲者が出たと言われています。
 亡くなった方の正確な人数は分かりませんが、両国駅近くの横網町公園内にある東京都慰霊堂には、第2次世界大戦での都民の犠牲者10万5400人が合祀されています。3月10日以外の死者は1万人ちょっとですし、戦後に全ての遺体が掘り出されていないので、私は10万人は間違いなく犠牲になったと思います。火葬場も焼けてしまったので、公園に穴を掘って遺体を投げ込みました。錦糸公園、猿江公園に1万3千体、上野公園に8千体の遺体が仮土葬されたという公式記録があります。
 この大空襲の目的は住宅密集地を焼き尽くして、家屋はもちろん、民間人の人命を奪うことにあったと考えられています。広島、長崎に先駆けるもので、外国で「10万人が亡くなった」ことを話すと「東京も原爆にやられたのか?」と驚かれます。その中でも、皇居はほとんど無傷でした。天皇の安眠を妨げないようにと、空襲警報が鳴るのが遅れたとも言われています。アメリカは戦争が終わった後、日本統治のために天皇制を利用すべく皇居は残したのだと思います。

─そうした経験をされて、改めて戦争についてどう考えておられますか。
 都市無差別爆撃は、日本が中国の重慶などに対して、すでにやっていたわけです。アメリカをうらむという気持ちよりも、「目には目を」の報復で、日本が投げたブーメランが、武器の進歩によって、より強烈になって還ってきたのだと思います。
 しかし、戦後70年を前にして体験者はもう残り少なくなり、私たちの回りでも証言できる人は限られています。戦争の記憶が薄れています。よく「災害は忘れた頃にやってくる」と言いますが、私は「戦争は忘れるからやってくる」のだと思います。過去は未来のためにあります。「知っているなら伝えよう、知らないなら学ぼう」と訴え続けています。
 私は福島の被災地に何度か出かけました。原発事故と戦争とはいくつかの点で類似点と違う点があると思います。まず、発端と経過が戦争と似ています。原発は「安全神話」と「平和利用」がさんざん語られました。第二次大戦も「大東亜共栄圏解放」などと称して、「東洋平和のため」を強調してきました。「開戦の詔勅」には「平和」という文字が6回も出て来るのです。そして、「想定外」の人命被害を出したことも似ています。
 違うところは、戦争が終わるとともに、焼け跡に家を作り住むことが出来たことです。まさに「国破れて山河あり」でした。しかし、福島では帰るべき故郷のない人が多くいますね。「安全神話」を信じてしまったために、何年も何十年も故郷に帰れないという現実があります。過去の戦争の発端と経過をきちんと学んでいれば、原発のウソを見破ることが出来たのではないかと思います。

─早乙女さんが作家になられたきっかけは何でしょうか。
 私は17歳の時に、町工場で働きながら、自分史『下町の故郷』を書きました。戦争で多くの友達を失い、私だけ生き残らせてもらったような気がして、語るすべもない人達の声を代弁しなければと思ったわけです。また、貧困家庭で育ち、虚弱体質で引きこもりがちでしたので、もっと自分を突き詰めてみようと考えたわけです。戦後5年にして、朝鮮戦争が勃発し、入間基地や横田基地からB29が飛び立ち、無差別爆撃の下で多くの人が苦しんでいるさまは、東京大空襲を生きのびた者には他人事とは思えなかったわけです。しかし、日本はその戦争による武器の製造などで「特需景気」になっており、戦争がいいとは思わなくても、背に腹は代えられない状態でした。ずいぶん悩み迷い、自分に出来る事は文章を書くことだと考え、怖いモノ知らずで書きました。それから60年以上も経過しましたが、書き残していくことが死者の思いに答えることだと考えてきました。

─しかし、「東京大空襲訴訟」は、2013年5月に最高裁判所が「請求を棄却する」という不当な判決を出して敗訴しました。
 戦争で亡くなった軍人の遺族への恩給などに政府はこ れまでに約54兆円も支出しています。今でも年間5千億 円近くも出しています。しかし、空襲で死亡した民間人にはビタ一文出していません。それが日本の政治なのです。国民主権と言いながら、民は置き去りにされたまま。それは、新たな戦前に向かおうとしているからです。集団的自衛権で日本が戦争を仕掛けていく時のために、軍人恩給や靖国神社が用意してあるのではないか。
 つまり、日本は民主主義が未成熟で、過去の戦争責任 を明確にしてこなかったツケが回って来ているのだと思います。裁判では敗訴しましたが、多くの人に大空襲の ことを伝えられたのは成果でした。戦争で多くの民間人の命が犠牲になった事実を知ること、それが「平和力」 につながるのです。そのために、民立民営の「戦災資料センター」で学んでほしいと思っています。修学旅行生徒も受け入れていますが、皆さんにはぜひ維持会員になっていただきたいですね。

─「戦争をさせない1000人委員会」の呼びかけ人に早乙女さんにもなっていただきました。しかし、なかなか安倍政権の暴走を止められません。
 でもじわじわと、今の政権のやり方はヤバイという考えが広がっているのではないでしょうか。安倍政権も追い詰められたので、改憲手続きの96条には手をつけられなかった。9条を変える国民投票もできないので、解釈だけで憲法を変えるインチキな方法を取らざるをえなかったのではないでしょうか。「異議あり」の声をあげ続けることが大切です。
 よく中国や北朝鮮が脅威だから軍事力が必要と言われていますが、軍事力には、ほどほどという区切りがなく、最後は核武装にまで行ってしまうのです。プルト二ウムが必要だから、原発の再稼働も狙っているのです。しかし、1発でも核爆弾が使われたら人類は滅亡します。戦争になっても、自衛隊が行くだけで、自分は関係ないという人も多い。かつての戦争の時も、私たちは自分の生活空間を「銃後」「内地」と呼んで、戦場は海の彼方のはずでした。それが一夜にして10万人が死亡する大量殺戮の戦場になったのです。
 私は「東京大空襲を記録する会」結成から40年余、道理に感動がプラスすれば、一なる声も多くの心を結んでいくと考えています。決して無力ではありません。焦らず諦めず、民主主義の「民」を取り戻し、明日の平和のために、もうひとふんばりしようではありませんか。

《早乙女さんの近著紹介》わが母の歴史
 「明治・大正・昭和をりんりんと生き抜いた」新装改訂版貧しさにもめげず楽天的に生き抜いた母おりんの人生をとおして、激動の近現代史の一断面が鮮やかに甦る。母親の生きる姿を懸け橋として、戦争の愚かしさと平和のありがたさをこれほどに描き切った記録は、ほかに類がない。青風舎1728円

インタビューを終えて
 「戦争をくぐり抜けた女にはかなわない」と、私のつれあいの仲間内でこっそり語られている。戦争の時代は、「欲しがりません勝つまでは」ではなく、欲しがっても何もない時代、何も頼ることのできない時代だった。早乙女さんの近著は、そんな時代を生きぬいた、戦後生まれに「かなわない」と言わしめる「わが母の歴史」(発行元:青風舎)だった。「出かけていく者に死んで帰れは、どうもいただけない」と時代を非難しつつ、大空襲の後に「がっくりした人はあちこちにいただろうさ。でも、あたしらはちがうんだよ。つぶす身上もなかったからね」(同書より)。楽天的に生き抜く人間の姿から、その時代を活写している。
 「戦争は忘れるからやってくる」と早乙女さんは言う。だから、東京大空襲の歴史の継承に生涯をかけた。私が高校一年生の秋、岩波新書の「東京大空襲」を出版した年に、私は早乙女さんの話を聞いた。「私たちが火の海を逃げ回っている夜、三島由紀夫は花火のようにきれいだったと書いている」との早乙女さんの言葉を今も忘れない。早乙女勝元と言うひとりの人間の生涯の努力を無にしてはならない。
(藤本泰成)

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被爆69周年原水爆禁止世界大会報告
「核と人類は共存できない」

 被爆70年を目前に控えた今年の原水爆禁止世界大会は、「核も戦争もない平和な21世紀に!ーくり返すな原発震災!めざそう!脱原発社会」をメインスローガンにして、7月27日に福島大会(1300人)、8月4日~6日に広島大会(3300人・開会総会)、8月7日~9日に長崎大会(1800人・開会総会)、そして8月5日は国際会議を開催してきました。大会には、アメリカ、ドイツ、韓国など4か国18人の海外からの参加者もありました。
 大会期間中、台風の影響など天候の悪化により各地で被害が発生し、高知からは大会参加が見送られ、上関原発や端島(軍艦島)のフィールドワークなどが中止されるなどアクシデントもありましたが、大会は、核兵器廃絶、脱原発、ヒバクシャの援護・連帯の課題を中心に進められました。(写真は広島大会の分科会から)

現状は厳しくとも、希望の復興へ─福島大会
 2011年3月11日の東日本大震災は、多くの人命と生活基盤を根こそぎ奪い取る未曾有の大災害となり、さらに東京電力福島第一原発事故による被害が加わりました。3年半近く経ったいまでも事故の収束の見通しが立たないなかで、4回目となる福島大会を開催しました。大会は、現地の実情をもっと知ってもらおうと、地元からの報告を中心に組み立てました。「3・11後の教育現場からの報告」や、福島の復興へのプロジェクト「かーちゃんの力・プロジェクト」の報告、医療現場からの取り組み報告など、原発事故以降の福島県民の苦闘の一端が報告されました。
 福島県だけでも、13万人におよぶ人々が、故郷を奪われ先の見えない避難生活を余儀なくされているなかで、被災地のコミュニティや家族生活は分断され、多くの人々が放射能と向き合う生活を強いられ、人権が侵害される状況が続いていることが報告されました。その上で「3・11後の日本で、大人が子どもたちの未来へ何を残していくのかが問われている。フクシマから福島を取り戻すことが必要」(「きらり健康生活協同組合」福地庸之さん)と訴えられました。
 さらに現地の実情を知るために、翌日には除染廃棄物『仮置き場』(伊達市)と公共下水道汚泥処理施設(国見市)の現状についてのフィールドワークを行いました。福島では30キロ圏外でも様々な問題が山積していることがわかりました。原発事故の問題を風化させてはならないことを強く訴えた大会でした。

密接に結びつく核兵器と原子力―広島・長崎大会で
 広島大会、長崎大会では、大会基調でも強調したように、核兵器廃絶の課題と脱原発の課題が密接に結びついていること、核問題をトータルに捉えていくことが原水禁運動に求めらていることを訴えました。日本の核燃料サイクル政策により現在45トンものプルトニウムを保有することが核拡散につながり、「周辺諸国の軍事的脅威となっている」こと、また東北アジア非核地帯化構想の障害にもなっており、日本のプルトニウム利用政策(原子力政策)は、核兵器問題でもあることが強調されました。藤本泰成大会事務局長からも「日本がプルトニウムを放棄することが極めて重要」と指摘しました。
 脱原発課題では、福島原発事故と再稼働問題に特に焦点をあてました。収束が見えない中、汚染水問題、除染問題など技術的な問題の他に、長引く避難生活、健康や就労、そして差別の問題など様々な問題が山積していることが報告されました。
 原子力資料情報室の澤井正子さんから、現在の福島第一原発の現状報告の中で環境中にどのように放射性物質が放出されたかというシュミレーションが示され、その7割以上が偏西風に乗って太平洋上に飛散していることが明らかになりました。これが、日本列島の西側にある福井県の大飯や高浜、島根、玄海、川内などの原発であれば、もっと大量の放射性物質が日本列島全体を覆う可能性があり、再稼働の危険性が訴えられました。
 ヒバクシャ課題では、あらゆるヒバクシャへの援護連帯を訴えました。その中で、ヒロシマ・ナガサキの残された課題について分科会で学びました。
 在外被爆者の問題は、韓国の被爆者の報告をいただきました。被爆二世・三世問題、被爆体験者問題など当事者の発言を中心に討議を行いました。高齢化する被爆者の課題の解決が急がれることが訴えられました。
 さらに世界に広がる核被害者の実態を豊崎博光さん(フォトジャーナリスト)や振津かつみさん(医師)らから提起いただき、核被害のこれ以上の拡大を許さないことを学び、あらためて「核と人類は共存できない」ことを確信しました。

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国際会議では日本のプルトニウム政策と核拡散に焦点

核兵器問題としての再処理
 安倍政権は「新エネルギー基本計画」を決定、原発を「重要なベースロード電源」と位置づけ、破綻している「核燃料サイクル計画」を継続するという。「2030年代原発ゼロ」とした民主党の「革新的エネルギー戦略」が無かったかのような政策をとっています。核兵器非保有国で唯一、核燃料の再処理に固執する日本は、現在45トンもの分離済みプルトニウムを所有しています。被曝69周年の原水爆禁止世界大会「国際会議」では、日本のプルトニウム政策と核拡散に焦点を絞り、日米韓の専門家のパネリストによる討論を行いました。
 東北アジアの平和のためには東北アジア非核地帯の構想が重要です。構想実現には「南と北は核再処理施設とウラン濃縮施設を保有しない」とした1992年の「朝鮮半島の非核化に関する共同宣言」が決定的な意味を持っています。ところが、2014年3月に期限切れを迎えた「韓米原子力協定」では、日米原子力協力協定で米国が日本に認めているのと同じような再処理の「権利」を韓国側が要求するなど、日本の再処理政策が悪影響を及ぼしています。日本のプルトニウム政策を核兵器問題と認識し、2015年NPT再検討会議を前にして、核兵器廃絶への重要な一歩を、具体的な日本の政策変更から始めることが必要だと改めて確認されるなど、熱心な討論が展開されました。

日本の核燃料サイクル政策は変われるか?
 長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)副センター長で前原子力委員会委員長代理の鈴木達治郎さんからは、福島原発の事故後、核燃料サイクルの選択肢評価がされ、「柔軟な核燃料サイクル」への転換が提言されたものの、基本路線は修正されておらず、国際的懸念が高まっている日本の状況の説明がなされました。政策の硬直性は、地元自治体への約束などを口実に使用済み燃料を資源とする考え方を変えないこと、代替案を評価する仕組み自体の欠除などが理由としてあげられます。
 核燃料サイクル政策を変えるためには、使用済み燃料の貯蔵容量拡大、直接処分を可能とする取組み・制度、独立した政策評価機能の確立が必要で、さらに再処理を前提とした政策の転換には、プルトニウム利用の見通しを明確にし、それに応じて再処理を実施すること、つまり在庫量削減の見通しが立たない状況で、再処理を実施することは適切ではないことや、プルトニウム在庫量削減に向けた明確なコミットメントとして、削減の代替案の検討・評価、プルトニウムを処分するための国際協力プロジェクト等が重要であると指摘がされました。
 米国カーネギ-国際平和財団「核政策プログラム」のジェイムズ・アクトンさんからの報告「米国その他から見た日本のプルトニウム政策」では、国際的観点から、非核兵器国で唯一、日本が再処理をするという前例を作ることの意味、主に中国との地域的緊張がまず指摘されました。米国内では、日米同盟に深く関与することから関係を傷つけたくないためもあり、この問題に対してまだ真剣で継続した論議はされていませんが、日米原子力協定の2018年7月30日の期限が米国での検討を迫る可能性があります。米国内の主な懸念は、核セキュリティーに関するものと、不拡散に関しては少数派の懸念としては日本の核開発、多数派としては余剰プルトニウムを無くそうという米国の政策を日本が台無しにしてしまうというものです。今後の予想として、米国が再処理同意の撤回や、日米原子力協定の更新を盾にプルトニウム政策の大幅変更を要求することは無いものの、必要以上のプルトニウム分離を黙認することもあり得ません。
 中国外交部報道官が「日本側が国際社会の懸念に真摯に対応し、早期に機微な核物質の需給のアンバランスを解消するための具体的な措置をできるだけ早く講じ、とりわけ、アンバランスを悪化させる行動を慎むことを願う」と発言したことも紹介されました。再処理に関して韓国側が抱く不公平感は最近の日韓関係の問題によって悪化しているが、関係改善が進んでもやはり続くと言う分析でした。
 イ・ヨンヒ(李榮熙)カトリック大学社会学科教授からの「韓国における使用済み燃料・再処理問題」報告では、韓国の原子力政策の状況、とくに使用済み燃料がたまり続けるなか、核廃棄物処分場を1986年以来、20年近く探してきたこと、透明でなく、民主的でもなく、強圧的でさえあるアプローチとそれに対する粘り強い反対運動が紹介されました。韓米原子力協力協定では、再処理やウラン濃縮のような核拡散に関連した活動をしてはならないとされており、今年3月までに新たな協定に合意することができず、条約は2016年3月まで2年間延長された状態です。
 これは、韓国政府が元の協定を変更して使用済み燃料の再処理に関して日本と同じ地位を強く要求しているからで、日本の再処理政策の韓国に与える影響がはっきり見られます。「核主権」という議論を持ち出すことによって韓国人のナショナリズム、愛国主義をかき立てる動きも出て来ています。核兵器を持つべきという議論も出て来ていますが、韓国の市民社会は、一般に、再処理・リサイクルは、コスト、技術的可能性、核拡散リスクなどの点から好ましくないと考えているいうことです。
 日本側参加者からは、日本のプルトニウム政策が、現実に東アジアの平和にも関わる核拡散の影響を与えていること、原子力政策の弥縫策としての核燃料サイクルを核兵器問題としてとらえることの重要な意味を指摘する発言が相次ぎました。NPT再検討会議に向けて具体的政策変更の最大の機会を迎えています。

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国民を愚弄する密室のクーデター
歴史に学べ─集団的自衛権行使を許してはならない
フォーラム平和・人権・環境 事務局長 藤本泰成

自民党でさえ解釈改憲を認めていなかった
 「7.1クーデター」と誰もが呼びます。安倍首相は、憲法99条の憲法の尊重・擁護義務に反し、憲法96条の改憲手続きを無視し、9条の平和主義をないがしろにする集団的自衛権の行使を容認する閣議決定を強行しました。法治国家・立憲主義の国とは思えない、非合法的手段に訴えて憲法の解釈を変更し、日本国憲法の基本である「平和主義」を蹂躙しました。
 安倍首相がどのように主張しようが「日本国憲法9条は、集団的自衛権の行使を認めていない」と言うのが、戦後一貫した内閣法制局および日本政府の見解でした。
 「現在、政府は、集団的自衛権について『保持していても行使できない』という解釈をとっていますが、『行使できない』とすることの根拠は『9条1項・2項の全体』の解釈によるものとされています。このため、その重要な一方の規定である現行2項(『戦力の不保持』等を定めた規定)を削除した上で、新2項で、改めて『前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない』と規定し、自衛権の行使には、何らの制約もないように規定しました」。この文章は、「自民党憲法改正草案Q&A」に記載されているもので、安倍首相が最高顧問を務める「自民党憲法改正推進本部」が作成したものです。ここでは明確に、「集団的自衛権は、憲法9条1項及び2項の解釈によって認められない」ので、改正草案には「自衛権の発動を妨げるものではない」という規定を設けたと説明しています。
 加えて同Q&Aでは、「草案では、自衛権の行使について憲法上の制約はなくなりますが、政府が何でもできるわけではなく、法律の根拠が必要です。国家安全保障基本法のような法律を制定して、いかなる場合にどのような要件を満たすときに自衛権が行使できるのか、明確に規定することが必要です。この憲法と法律の役割分担に基づいて、具体的な立法措置がなされていくことになります」と記載しています。「法的根拠が必要」だから国家安全保障基本法であったわけです。しかし、安倍首相はそのような手段を執らず、禁じ手のような「閣議決定」と「関連法案の改正」という手段に打って出ました。


集団的自衛権の閣議決定撤回を求める集会
(7月31日・全電通労働会館)

「戦争をする国づくり」の最終場面へ
 安倍首相は、前回の政権時の2006年12月に「教育基本法」を改悪し、愛国心を強要する規定を挿入しました。彼は、着実に「戦争をするための国民づくり」をめざしています。自らと思想を同じくする者を、教育再生実行会議に集めました。安保法制懇やNHKの人事のように、政治的偏向を非難されようが一顧だにせず、ひたすら自身の思いで突き進んでいます。
 安倍内閣の教育施策を担当する下村博文文科大臣は、戦前の国家主義教育の基本であった「教育勅語」を復活させようとし、「一旦緩急あれば義勇公に奉し、以て天壌無窮の幸運を扶翼すべし」という文言を再評価し、いわゆる国のために命をおしまない人間をつくる教育を明確にめざしています。法律を変えても戦争を実際に担うのは人間です。その人間をつくることは重要であり、戦前の教育は全てがそこに帰結していました。教育勅語と軍人勅諭はセットで戦争を支えてきたのです。私たちはそのことも厳しく見つめていかなくてはなりません。
 最近、大義に自己の命を犠牲にするヒロイズムが、映画やテレビドラマの中に頻出しているのではないでしょうか。そして、その最後を靖國神社が締めくくります。諸外国の非難の中、安倍首相が靖國へ参拝することは、戦争をする国づくりの最終場面と言わざる得ません。今夏、広島・長崎での原爆慰霊式の後の首相と被爆者との懇談会で、被爆者からは「集団的自衛権行使に反対し戦争への道に決して踏み出すな」との発言が相次ぎました。首相は、「平和主義は守る、自衛権行使で抑止力が高まり、より戦争から遠ざかる」などと発言し、「見解の相違である」と一蹴しました。多くの人々が、安倍首相の政治姿勢を非難し始めました。日本の市民社会は、決して戦争を望んでいません。そのことは、世論調査でも明らかです。アジア・太平洋戦争は、日本人310万人、アジア諸国民2000万人とも言われる犠牲者を出しました。その歴史に学ばずして日本の将来はありません。多くの人々の艱苦から見えてきたものが、徹底した「平和主義」だったのです。

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安倍政権の農業政策の目的は何か
農地と農協の信用・共済事業ねらう
農政ジャーナリスト 神山 安雄

 安倍政権の農業政策のねらい(魂胆)がいよいよあらわになってきた。最終的には、一般企業が農地を所有できるようにして、農地を一般の土地商品として投機の対象にしていくことと、預貯金高30兆円強という農協の信用事業および、生命共済・損害共済あわせて約300兆円という農協共済事業を、総合農協から切り離して、内外の資本に市場を投げだしていくという方向だ。
 背後には、環太平洋連携協定(TPP)交渉とそれにともなう日米障壁協議があることは明らかだ。農地法制による規制と農協の信用事業・共済事業は、米国通商代表部が日本の”障壁”として「年次報告」に掲げつづけている問題なのである。現代資本主義は「グローバル資本主義」である。国際的に過剰となった資金(カネ)が奔流のようにグローバル(地球規模)に駆けめぐっている。「新自由主義」をその思想として、多国籍に展開する資本は、企業の売買を含む証券投機と規制緩和・公的企業の民営化によって極限まで利益を追求している。TPP交渉はその資本のために行われているのである。


稔りの時期を迎えた水田。しかし米価は大幅下落の見込み
(2014年8月・新潟)

後退する農業所得政策
 政府は、6月下旬に、「農林水産業・地域の活力創造プラン」を改訂した。改訂のポイントは、(1)輸出促進・地産地消・食育等の推進、(2)6次産業化の推進、(3)農業の構造改革と生産コストの削減、(4)経営所得安定対策の見直しおよび日本型直接支払制度の創設、(5)農業の成長産業化に向けた農協・農業委員会等に関する改革の推進、(6)人口減少社会における農山漁村の活性化、(7)林業の成長産業化、(8)水産日本の復活、(9)東日本大震災からの復旧・復興─である。
 経営所得安定対策の見直しによって、農業所得政策は後退した。米の直接支払交付金は、2014年産米から半額(10アール当たり7500円)とされ、18年産米から廃止される。経営所得安定対策の政策対象は、15年度から担い手(認定農業者、集落営農、認定就農者)だけになる。米の生産調整についても、18年度をめどに行政は手を引く方針だ。自民党の選挙公約「農業・農村所得倍増」は、農林水産品の輸出拡大や6次産業化などで実現するのだという。農業構造改革の柱は、農地中間管理機構の事業だ。県ごとに設置された中間管理機構に小規模・高齢農家などから農地の中間管理権を白紙委任してもらい、機構は中間管理し、必要な場合は大規模圃場などに基盤整備し、「意欲的な受け手」に農地を集積・集約化する計画だ。受け手は、「人・農地プラン」の中心的な経営を基本にするが、募集方式で一般企業などの参入の道も開く。

企業を遇するための農協・農業委改革
 「活力創造プラン」の改訂は、TPPに参加し貿易等を大幅に自由化することを前提にしている。TPP妥結後にも生き残れる「強い農業経営」をつくるというのだ。6次産業化が多額の投資を必要とすることを考えれば、「強い農業経営」には一般企業の農業参入を想定していることになる。参入した一般企業が農地を所有できるように、すべての面で制約・規制を取り払うことが、改訂の最大のねらいだ。
 その手始めが、農協・農業委員会等の改革である。農地を所有することのできる農業生産法人は、要件を大幅に緩和する。役員の過半は農業・関連事業に従事し、そのまた過半は農作業に従事しているとの従来の役員要件は、「役員または代表的な従業員の1人以上が農作業に従事」と大幅緩和する。農業以外からの出資者(株主)も50%未満まで引き上げ、制約も設けないことにする。
 これを許可する農業委員会は、選挙制から市町村長の選任(任命)制とし、委員数を半減させる、認定農業者の代表とする、などとしている。農業委員会制度は、選挙によって選ばれた農業者代表の農業委員が、合議制の行政執行委員会を組織し、農地を自主的に管理する仕組みだ。選挙制が農業者の代表性を担保し、地域の農家の信用・信頼の上で農地の権利調整を自主的に行っている。選挙制の廃止は、こうした制度の根幹を揺るがす問題だ。
 農協の改革も、JA中央会の「新たな自律的な組織」への改革、JA全農の株式会社化、信用・共済事業の代行・代理店化、准組合員の利用制限などを提案している。農協組織の弱体化への提案だ。
 これらは、一般企業の農地所有に道を開く内容だ。しかし、農地購入代金は経営上の必要経費ではなく生産費に算入されない。経営上は、農地を借りている方が合理的だ。一般企業の農地所有へのこだわりは、農業経営以外の目的からだろう。農地転用では、6次産業化等の目的に転用の特例を設ける方針だ。加工・販売・観光施設が建設されたのに、参入企業が撤退することになると、その土地はどうなるのか。先の農地法改正で、国家買収規定はすでに廃止されているのである。

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核のキーワード図鑑


核ミサイルと原発の衝突が心配で夜も眠れず……

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川内原発再稼働するな!フクシマを忘れない!
9月23日「さようなら原発全国集会&大行進」

 政府は、原子力規制委員会の適合審査報告をうけ、地域住民の防災計画・避難計画も不十分のまま、今秋にも川内原発(鹿児島県)の再稼働を押し進めようとしています。フクシマの教訓を顧みず、原発の再稼働を強行し、原発輸出まで進める安倍政権に対し、全国から「さようなら原発」の声を、たゆまぬ脱原発の願いを、突きつけていきましょう。

 「さようなら原発1000万人アクション」実行委員会と「原発をなくす全国連絡会」「首都圏反原発連合」は、9月23日に大規模な集会を東京・代々木公園で開催します。

日時:9月23日(火・秋分の日)
場所:代々木公園(JR山手線「原宿駅」、地下鉄「明治神宮前駅」「代々木公園駅」)
11:00ブース開店(原発立地地域の出展、関連グッズ販売、飲食コーナーなど)
12:20オープニングライブ「エセタイマーズ」
13:00トークライブ内橋克人、大江健三郎、落合恵子、鎌田慧、澤地久枝ほか、鹿児島・川内原発現地から、福島から、海外ゲスト(韓国、台湾から)
集会後にデモ行進(3コース予定)

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