2014年、ニュースペーパー

2014年10月01日

ニュースペーパー2014年10月



戦争させない!9条壊すな!9.4総がかり行動
 安倍政権の集団的自衛権の行使容認の閣議決定に抗議し、その撤回や戦争関連法の成立阻止、日米ガイドラインの改定に反対しようと、9月4日に東京・日比谷野外音楽堂で「戦争させない9条壊すな総がかり行動」が開かれ、全国から市民や労働者など5500人が集まりました。主催は「戦争をさせない1000人委員会」と「解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会」。
 開会あいさつに立った山口二郎さん(法政大学教授・戦争をさせない1000人委員会呼びかけ人)は「安倍内閣の本質は戦争をする右翼内閣だ。閣議決定を許してしまったが、関連法案など闘いはこれからだ。この集会はその第1歩だ」と呼びかけました。作家の雨宮処凜さんや落合恵子さんなど呼びかけ人の他、各党代表や弁護士、学者の訴え、沖縄や北海道の現地報告も行われました。
 集会後に参加者は銀座周辺をデモ行進し、横断幕やプラカードを手に「憲法違反の閣議決定を撤回させよう!」「戦争関連法案成立を阻止しよう!」などとアピールしました。(写真はデモ行進の先頭を行く山口二郎さんら)

インタビュー・シリーズ:94
統一こそ東北アジア平和への道
戦争反対平和実現国民行動・共同代表ハン・チュンモクさん
同・政策・マスコミチーム長チェ・ウナさんに聞く


ハン・チュンモクさん 韓国進歩連帯・共同代表、
6・15共同宣言実践南側委員会・共同代表も務める

─「戦争反対平和実現国民行動」(「平和行動」)はいつ結成されたのでしょうか?
 ハン・チュンモク:戦争に反対し平和を実現させるための運動は、朝鮮半島の分断以来ずっと行われてきました。特に朝鮮戦争の停戦から60周年を迎えた昨年は南北の対立が激化して、実際に戦争の一歩手前までいくという状況でした。そんな中、いくつもの市民社会団体や宗教界の中から戦争を憂慮する声が上がり、「戦争を防ぎ恒久的な平和をつくるための運動を国民とともに展開しよう」ということで、2013年4月3日に「平和行動」が結成されました。主な団体は、市民運動団体を筆頭に労働組合、農民団体、青年団体、女性団体、それにキリスト教・仏教などの宗教団体などです。
 具体的な活動としては、2013年に、停戦協定を平和協定に変え恒久的な平和体制を構築しようということで「7・27反戦平和国際大会」を開催しました。今年は8・15自主統一大会を他の市民団体と協議し合ってつくりあげました。来年の解放70年記念事業を行うにあたっても、私たちが中心となるでしょう。

─朝鮮半島の平和を実現するためには、南北の統一が必要だとお考えですか。
 ハン:必要というより絶対条件です。朝鮮半島が分断されている限り、南北が対立し、軍備が強化されるしかないと思います。特に米国は、分断を利用して軍備を強化しており、同じことは日本にも言えると思います。朝鮮半島において統一がなされていく過程と平和を実現していく過程は、バラバラなのではなく一つのものなのです。

─北朝鮮が核武装しなくても平和に生きられる条件をつくることがアジアの平和への第一歩だと思うのですが
 ハン:全く同じ考えです。非核化は朝鮮半島のみならず全世界で必要です。私たちは、北朝鮮の核のみを非難することについてはよく考えないといけないと思います。米国も認めている通り、北朝鮮は生き残りの手段の一つとして核開発を行っていると思います。北朝鮮の核廃絶とともに、米国も北朝鮮への敵視政策を捨てなければなりません。つまり朝鮮半島の恒久的平和を構築する過程で北朝鮮の核も廃絶され、それとともに大国の核軍縮も実現されなければなりません。

─現在の韓国のパク・クネ政権についてはどのようにお考えですか。
 ハン:パク政権の発足当時は、南北関係においてイ・ミョンバク前政権よりは和解・協力政策でいくだろうという期待も一部ありました。しかしこの1年6か月を振り返ってみれば、口では統一を叫びながらも、実質的に南北関係を解決していくようなものはありませんでした。むしろ平和・統一運動を弾圧し、南北関係を軍事独裁政権の時に逆戻りさせようとしています。今回ローマ法王が訪韓されて南北の平和統一について言及されましたし、9月19日~10月4日には韓国・仁川でアジア競技大会が開かれます。これをきっかけに南北関係が改善することを期待しています。同時に北朝鮮に対する5・24制裁処置(注1)の解除、離散家族の面会、アジア大会の南北合同応援団などが実現すればいいと思います。

─保守的なパク政権が誕生した背景とは何でしょうか。
 チェ・ウナ:パク政権はイ・ミョンバク政権の延長だと見るべきです。イ政権の下で景気も南北関係も悪化したため、人々の不満は高まりました。それにも関わらずなぜ革新勢力はなぜ大統領選挙に負けたのか。私たちの分析としては、一つ目の理由として、野党(進歩革新勢力)が団結できないように統合進歩党などの進歩勢力に対して集中的な弾圧が加えられたことが挙げられます。二つ目の理由は、野党がイ・ミョンバク政権を超えるようなオルタナティブとなるには力不足だったということです。


チェ・ウナさん 韓国進歩連帯・自主統一委員長としても
活躍(写真は2013年5月の沖縄平和行進参加時)

─セウォル号事故(注2)の真相究明がなされない中、政府は信用できないという批判の声が高まっています。そんな声が、パク政権を打倒する力になりますか。
 チェ:実際パク大統領は僅差で当選しました。しかも選挙に国家情報院が不正介入していたことが明らかになり(注3)、保守勢力というものは権力を握るためには手段と方法を選ばないということが、再び国民の目に明らかになりました。今年に入ってからはセウォル号事件まで起き、政府に対する不信・不満というものは、過去に例がないほどに高まっています。それにもかかわらず野党は、国民の不満と怒りを政治の場においてしっかりと解決できないために選挙で負け続けています。国民の立場としては、政府も信じられないし野党も信じられないという状況です。
 だから現在の韓国社会は、国民自らが政府に反対する声を大きくしていかなければならない状況、つまり政治の世界に信じられる勢力がないならば市民社会団体が一つの勢力として信頼を得るにふさわしい政治力を作り出し、この国民的な怒りをもっと大きくしていくために努力しなければいけない状況だと思います。この動きが一定の成果を得られた時は、政権を変えることができるかどうかという判断にもつながっていくでしょう。

―安倍政権に対する韓国社会の評価はどうでしょうか。
 チェ:やはり韓国では歴史認識について皆が敏感です。特に第二次安倍政権が誕生以来ずっと歴史を歪曲しようとしてきたことは韓国でもたくさん報道されたため、否定的な見方が多い。ある世論調査によると、今回の集団的自衛権の行使容認について76%の人々が反対していました。歴史認識のみならず集団的自衛権の問題についても大多数が反対だということでしょう。

―安倍政権は韓国にとっての脅威だと捉えられているのでしょうか。
 チェ:それについては歴史認識の問題と日米韓軍事同盟強化というふたつの側面において少し違った形で表れています。日本の再武装について反対するのは、安倍政権を驚異的だと認識しているためです。しかし一方で「北朝鮮の脅威に対して日韓が協力しないといけない」という保守の人達もいるのです。ですから、日韓の軍事協力を推進することが「北朝鮮の脅威に対抗するために必要だ」と大々的に報道されています。歴史認識に比べれば、日本の再武装に対しては反対の声が弱いです。

―アメリカと中国に関してはどのようにお考えですか。
 チェ:アメリカはアジアでの緊張を口実に軍備を増強していますが、それが逆に緊張を高めています。その結果、米中関係が深刻化していると思います。米軍が新しい迎撃用ミサイルを配置することもそうですし、韓国の軍備増強もそういったアメリカの対アジア政策のためだと見ています。それに対し中国もいま軍備を強化させていますし、特に領土問題に関して強硬姿勢をとっています。このような状況が続くならば朝鮮半島の軍事的緊張は高まるしかないと心配しています。

―韓国でも日本の朝鮮学校を支援する運動を始められたと聞きました。
 チェ:イ政権になる前までは、南北交流とともに在日同胞との交流も盛んでした。ところが政権が替わって南北交流が遮断されると、在日同胞との交流も難しくなりました。しかし最近になってまた交流を積極的に行おうとする動きがあり、さらに日本の市民の中からも、朝鮮学校の差別に反対する運動が活発になっていると聞きました。そんな状況で同じ民族である私たちがなにもしないのは人間としてもダメだということで、同胞差別に対する運動を積極的に行おうと「ウリハッキョと子どもたちを守る市民の会」をつくることになりました。
 大阪朝鮮高級学校ラグビー部の奮闘を描いた映画「60万回のトライ」は、韓国での試写会でも「とても感動的だった」と皆さんが言ってくれました。今後は署名運動と一緒に自主上映会も開催していく計画なので、いい成果が得られると思います。

―韓国では集会に若い人の姿が多く見られます。学生や青年労働者の組織化はどうされているのでしょうか。
 チェ:韓国では、2008年の米国産牛肉輸入問題や昨年の大統領選不正介入事件のように、社会全体を揺るがすような事件があり、マスコミの報道だけでなくインターネットなどの多様な経路で情報を得る機会の多い若い世代が自発的に運動に参加しています。インターネットを通じてお互いが意見を交換する中で、関心が社会団体の活動へとつながったりすることもあります。しかし、こうした若者の中には、既存の社会運動団体との連携がない人も多い。このような若者を組織するためにいろいろと試しています。労働者の場合も、これまでの大企業正規職中心から、非正規労働者の組織化を試みています。

―日本の平和運動に期待することをお願いします。
 ハン:日本で憲法9条の改悪が大きな問題となったように、私たちも分断体制の長期化という課題を抱えています。いまこそ私たち日韓の平和運動が、東北アジアの平和のために先頭に立たなければいけないと思います。その中で「平和行動」と平和フォーラムが中心になれたらと思います。

(注1)2010年3月26日に発生した韓国海軍艦船の沈没事故は、北朝鮮による攻撃が原因であるとしてとられた制裁措置。しかしその真偽には疑いが多い。
(注2)2014年4月16日に発生した大型フェリー沈没事故。300人以上の死者・行方不明者を出した。
(注3)大統領直属の情報機関である国家情報院(旧KCIA)の職員が、インターネット上で野党候補の誹謗中傷を行っていた事件。

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辺野古の海は有事の海に
鉄板と弾圧による新基地建設を許すな
沖縄平和運動センター 事務局長 大城 悟

突起型鉄板を「泥落とし」と
 安倍政権の暴走が止まらない。昨年末に国家安全保障会議設置法と特定秘密保護法を成立させ、さらに今年7月には集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の変更を閣議決定した。再び戦争する国づくりに突き進む危険な政治を断行している。
 政府・沖縄防衛局は、昨年12月に仲井眞知事が埋立てを承認したことを筋合いに、辺野古新基地建設のための埋立て工事に伴うボーリングなどの調査を強行している。反対する市民は、辺野古キャンプ・シュワブゲート前での座り込み行動を開始し、海上では漁船やカヌーで抗議行動を連日展開している。
 しかし国は、2004年に反対運動によって工事を断念させられた苦い経験から、あらゆる手段を用いて反対する市民を排除している。ゲート前の道路には、危険な山型の突起を溶接した鉄板を敷き、バリケードを設け市民を締め出した。鉄板を設置した沖縄防衛局が、その山型の鉄板の目的を工事車両の「泥落とし」と釈明したことは、怒りを通り越し呆れるばかりである。自ら危険な鉄板を設置し、市民を締め出す姑息なやり方は沖縄防衛局の常套手段である。
 環境アセスメントの準備書も、今回のブイやフロートも、反対する市民がいない未明に現場へ搬入している。また、海上では海上保安庁が過剰なほどの警備と暴力で、反対する市民の行動を妨害している。海上での作業が始まった8月14日には、海上保安庁が全国から動員した巡視船や巡視艇が19隻、ゴムボートが30隻、沖縄防衛局が配置した民間の警戒船(漁船)30隻以上で警戒態勢をとっていた。自然豊かな大浦湾・辺野古の海が有事のようになった。


3600人が集まった県民大集会(8月23日・辺野古)

地位協定にも無い制限水域拡大
 反対する市民を犯罪者扱いし、憲法で保障された「表現の自由」を、あらゆる国家権力を総動員して阻止し、弾圧しようとする政府の対応は民主主義の崩壊であり、今の日本の恐怖政治の象徴である。
 さらに政府は、一方的に市民を排除するため辺野古海域の立ち入り制限区域を拡大し、海上でのブイの設置を強行した。これまでの陸域から50mと設定されていた区域を最大2,000mまで拡大、その面積は561haにもおよぶ。地元自治体や住民の意思を無視した強引なやり方は許せるものではない。また、これまでの制限水域は日米地位協定による取り決めで設定されているが、その内容にも合致しない。そもそも制限水域は米軍への提供施設の保安のために設定されるものであり、今回のような、基地建設工事のため反対する市民の立入りを制限するために拡大できるものではない。これは政府の歪んだ法解釈と国家権力の乱用であり、法治国家という言葉はこの国には存在しない。
 安倍総理は米軍基地問題に関し「地元に丁寧に説明し理解を得たい」と繰り返してきた。しかし、国の強行姿勢は県民には到底理解できるものではない。民主主義の根幹である地元との合意形成を放棄し、「国のやることに逆らうな」という強権的政治は許してはならない。
 一方、佐賀空港への米軍のオスプレイ訓練の移転計画は、普天間飛行場の機能を佐賀空港に移転しても支障がないことを露呈したものであり、自ら海兵隊の抑止力や駐留の必要性を否定している。1995年の少女暴行事件をきっかけに在沖海兵隊のプレゼンスは当時から検討されていた。そして米軍は沖縄からの撤退も視野に入れていたが、それを拒み駐留を要望したのが日米政府だった。日米の普天間飛行場の返還交渉における当時の米国駐日大使の口述記録が明らかになり、改めて在沖海兵隊の存在意義が否定された。

知事選に勝利し建設を止める
 9月7日、沖縄は統一地方選挙が実施された。県内外から注目された名護市議会議員選挙は、辺野古基地建設に反対する与党議員が過半数を占めた。名護市では過去2回の市長選挙、今回を含め過去2回の市議選挙で新基地建設反対の民意が示された。政府はこのことを真摯に受け止め、基地建設を即刻断念しなければならない。
 さらに11月には沖縄県知事選挙が控えている。知事選には埋め立てを承認した現職の仲井眞弘多知事が出馬を表明しており、改めて基地建設が最大の争点で争われる。先日、菅官房長官がそのことに関し「過去の問題だ」と発言したことは言語道断である。沖縄の県民、有権者が判断することであり、政府が決めるものではない。
 私たちは、知事選に勝利し、県民・国民運動で辺野古新基地建設を止めなければならない。そして国の圧力に屈せず、安部内閣の暴走を止めるため全国の仲間と連帯のきずなを強めたたかう。
(おおしろさとる)

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国際水準からかけ離れた日本の人権状況
国連勧告の実現のために運動拡大を!

ヘイトスピーチ、従軍慰安婦などで厳しい追及
 7月15日~16日にかけて、国連人権委員会の第6回日本政府報告書審査が行われました。人権委員会とは国連人権条約に基づいて設置される条約機関です。委員はこの審査の場において日本政府からの意見聴取も含めて多くの意見を聞き、「日本が条約を守っているか」「前回の審査において出された勧告について進展が見られたか」などをチェックします。この審査を踏まえて委員会は7月24日に日本に対する総括所見を発表し、ヘイトスピーチを禁止する法的整備を行うこと、日本軍性奴隷制度(「従軍慰安婦」)に関する人権侵害行為を調査し加害者の刑事責任を追及すること、公的に謝罪を表明して国家責任を正式に認めること、さらには代用監獄を廃止することなど、多くの勧告を出しました。
 さらに8月21日~22日には人種差別撤廃委員会の審査が行われ、29日にヘイトスピーチや日本軍性奴隷制度に加えて、朝鮮学校の「高校授業料」無償化措置からの排除、沖縄・アイヌなど先住民や被差別部落に対する差別などの改善を求める勧告が出されました。
 今回の勧告から、日本国内には多くの人権問題が解決されぬまま山積みになっており、国際社会は極めて厳しい見方をしているということが明らかになりました。昨年の社会権規約委員会、拷問禁止委員会に引き続き、日本政府は今年も世界から厳しい追及を受けたのです。
 今回の人権委員会と人種差別撤廃委員会において、多くの厳しい内容の勧告が出されたということは、運動のひとつの成果だと言えます。この間、国内の人権NGOや市民運動団体が連携し、「国連・人権勧告を実現させよう」という共通の目標を掲げて集会やデモを行ってきました。また対日審査に先立って共同でレポートを提出し、さらにはジュネーブにまで足を運んでロビー活動を展開しました。このような運動が今回の勧告につながったといえます。


国連勧告についてのNGOの記者会見
(9月2日・参院議員会館)

あまりにも不誠実な日本政府の対応
 しかし、これほど多くの勧告が出されたということ自体が、日本社会の惨憺たる状況を表しているといえます。しかも日本政府はこのような勧告に対して真摯に向き合おうとしていません。例えば昨年の拷問禁止委員会の勧告に対して日本政府は、「法的拘束力はないので、従う義務なし」などというあまりにも不誠実な答弁を閣議決定しました。また今回の人権委員会勧告に対しても国の人権擁護局は「表現の自由を侵害する恐れがある」などとして、ヘイトスピーチそのものの法規制について消極的な姿勢を見せました。
 加盟した以上は、憲法の定める国際協調主義に基づいて条約を遵守する義務があるのは明白です。「法的拘束力がないから…」などと逃げ回るのは、あまりにも無責任な行為といえます。また「朝鮮人はゴキブリ」「良い韓国人も悪い韓国人もどちらも殺せ」などと白昼堂々と怒鳴り散らすことは、果たして「表現の自由」として許容できるものなのでしょうか。現にヘイトスピーチによってマイノリティが萎縮してしまい自由に発言できなくなっているということに、政府や官僚はまったく気がついていないようです。
 自民党もようやく8月21日にヘイトスピーチ対策プロジェクトチームを設置するなど規制への動きを見せていますが、それもどれほど真剣なのか疑わしいものです。安倍晋三首相自身が「侵略の定義は定まっていない」などと過去の侵略戦争を美化するような発言をし、さらには「河野談話」「村山談話」の見直しを行おうとしてきたからです。このような姿勢が、日本軍性奴隷制度の存在そのものを否定するような言説や、主に在日コリアンを標的とするヘイトスピーチを助長してきました。
 9月3日に発足した第二次安倍改造内閣の中にも、過去に歴史修正主義的な発言で物議を醸した政治家が多く入閣しています。このような政権のままで、ヘイトスピーチをはじめとする国内の人権問題が解決することはありえません。
 私たちの目標は「勧告内容を実現させること」にあります。そのためにも、連携の輪をさらに広げて運動を盛り上げ、差別を助長し勧告に向き合おうとしない政府に対して批判の声を上げ続けていくべきです。ただでさえ国際水準からかけ離れている日本の人権状況が、安倍政権が続く限りさらにボロボロにされてしまうでしょう。
 今回の勧告がマスコミでも大々的に報道され、政府にプレッシャーになっていることは確かです。この良い流れを利用してさらに運動を広げ、人権感覚の欠如した現政権の姿勢を追及していくことが求められています。

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TPP交渉合意後に米国が「承認手続き」
自国の主張貫徹まで協定発効させず

 環太平洋経済連携協定(TPP)交渉に日本が参加してから1年以上が経過しました。この間、各分野別会合や首席交渉官会合などが重ねられ、また、アジア太平洋経済協力(APEC)などの国際会合に合わせて閣僚級会合も持たれてきました。さらに日米など各国間では、二国間の交渉も並行して進められています。
 9月にはベトナム・ハノイで各国の官僚による首席交渉官会合も開かれました。この後の動きでは10月にも閣僚級会議が開かれるという予想もされています。米国のオバマ大統領は11月の米国議会の中間選挙後に「大筋合意」を求めていますが、交渉の実態は困難に満ちています。最大の論点といわれる日米の農産物関税交渉をはじめ、米国とマレーシアやベトナムなど新興国の間でも、知的財産権、環境、国有企業等の懸案分野で妥結の目処は立っていません。
 TPP交渉には、各参加国が交渉参加前に交わす「秘密保持契約」があるため、国民はもとより、国会議員ですら交渉の中身がほとんど知らされていません。そうした中、TPPに反対する国際NGOグループは情報収集に努めています。その国際NGOグループより、TPP交渉が合意されたとしても、米国内の貿易協定発効までの議会手続きにより、米国以外の交渉参加国の国内法や政策の変更が強いられる危険性があると指摘されています。それが「承認手続き」と言われるものです。このほど国際NGOグループがまとめたレポートをもとに、その問題点を探ってみました。


韓国で開かれたTPP反対の国際会議。米韓FTAの問題
も強調された(2014年4月・ソウル)

相手国の法律を変更させる圧力
 TPPなどの貿易交渉が合意されれば、各国は協定文を持ち帰り、各国議会での承認を得る手続きに入りますが、そこから協定発効に向けて新たに政府間交渉が始まります。そこで政治・経済力を背景に、米国は相手国に圧力をかけて、協定以上の内容を勝ち取ろうとすることが予想されます。その根拠となるのが、米国の国内法である「通商協定実施法」というものです。協定の合意後も、米国側の主張を貫徹するため相手国の制度・法律を変えさせるまで協定を発効させないようにできるものです。この「承認手続き」については、すでに様々な自由貿易協定(FTA)で活用されてきましたが、その実態は十分に知られていません。しかし、80年代以降に各国と結ばれてきたFTAを認めるための手続きの過程で、米国は他国の法律変更を要求し、実現してきています。
 例えば、中南米とのFTAで、エルサルバドルなどが実施していた自国独自の輸入品検査の法律変更を要求し、米国で承認された食肉や乳製品は無検査で輸入されることになりました。また、ドミニカ共和国やグアテマラに対しては、古い成分である医薬品に対しても特許を認めさせたり、期限を延長させるように圧力をかけてきました。その結果、安価なジェネリック薬の販売が出来なくなり、低所得者は薬を手にすることが困難になりました。
 これらは最初の協定にはなく、「承認手続き」でなされたものです。最近でも韓国とのFTAで、2007年にまとまった協定が、米国議会の主張によって自動車貿易に関して追加交渉がおこなわれ、米国車が韓国に輸出しやすいようにして、2012年まで協定発効が遅れました。

TPPでは日本が最大のターゲットに
 TPP交渉においても、米国はこの「承認手続き」を用いて、他の交渉参加国に対して国内法・制度・慣行の変更を要求するものと思われます。その際のターゲットの筆頭が、日本です。TPP交渉以前から、米国は『貿易障壁報告書』等で日本の様々な法制や規制、慣行を「貿易の障壁だ」と列挙してきました。対象分野には、関税問題の他にも、医薬品、保険などの金融市場、教育サービスなども含まれています。これらの「壊すべき規制」は、仮に協定文に具体的な文言として盛り込まれていなかったとしても、この「承認手続き」において強硬に「変更を強いられる」ことは必至と言えます。
 これまでのTPP交渉会合の場には、米国の多国籍企業の関係者が数百人も待機し、ロビー活動をしています。それらの企業は交渉内容をいち早く知る事が出来るとも言われています。まさにTPPは「一部の巨大な多国籍企業の利益のための交渉」ということが明らかになっています。そうした多国籍企業が、米国議会にも働きかけて、さらに有利な利益を得ようとしているのです。
 この問題について調査した国際NGOグループは、英文のウェブサイトを立ち上げ、様々な文書を発信していますが、このレポートの日本語版についても、同ウェブサイトの次のところに掲載されています。
http://tppnocertification.org/in-japanese/

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川内原発の再稼働 見せかけの新規制基準
鹿児島県護憲平和フォーラム・原水禁鹿児島県民会議 事務局長 野呂正和

 規制委員会がいとも簡単に川内原発再稼働のGOサインを出しました。再稼働と避難計画は車の両輪と発言していた田中俊一・規制委員長が、前言を翻して避難計画を審査対象から外した時から、きな臭く感じてはいましたが、やはりそうなりました。
 今回の川内原発の審査書案発表から1万7千件を超える国民の切実なパブリックコメント(意見公募)が活かされた形跡も見られません。やはり政府の威をかりた規制委員会の再稼働決定です

わがままな知事発言に翻弄
 6月議会の開会日の13日に全国から1,000人以上が集まって県庁前での集会を行ったちょうどその日の午後、伊藤祐一郎鹿児島県知事は、要援護者の避難計画について、半径10~30キロ圏は「現実的ではない」と言い放ちました。さらに「時間をかけて空想的なものは作れるが、機能しない」とも記者会見で発言しています。集会参加者の思いを逆なでする挑発的なものでした。
 知事は昨年3月までは20キロ圏内の避難計画でいいと豪語していました。しかし、知事にはそもそも30キロ圏までの避難計画を作成する義務があります。防災会議議長である知事が知らないはずがないのに、国の指針に押されて突然変更し、担当部署や自治体に混乱を呼び込みました。また、知事はこれまで「国が安全性を十分に保証すること」を再稼働の前提にしてきていました。審査書案が出た頃、知事は政府に対して「再稼働を求める文書」の提出を求めました。
 9月12日の自民党の代表質問の直後、資源エネルギー庁長官が伊藤知事に、小渕優子経済産業大臣名の文書を渡したのです。「万が一事故が起きた場合、関係法令に基づき責任をもって対処する」と言うものです。国の責任が明確になったから、知事も薩摩川内市長も責任を回避した形で、地元合意に対応できるというわけです。


県議会の開会日にあわせた再稼働反対集会
(6月13日・鹿児島県庁前)

実効性の無い避難計画
 県は、避難者及び避難車両などのスクリーニングや除染、要援護者への配慮や福祉避難所の設置、汚染物資の処理・管理などもしっかり示すことができていません。私たち市民団体が各自治体の避難計画について公開質問して、要援護者の避難計画もまったく実効性のないことがはっきりしています。
 住民が風下方向に避難すること、「救護所」が関所になって避難が遅れる危惧、地震や津波など複合災害による通行可能性、学校の児童等の保護者への引き渡し方や避難の交通手段など課題は山積しています。
 経産省は9月1日になって、5人の職員を県と市に派遣してきました。県の原子力安全対策課が詳細を示しえていない避難計画の充実を図るというのです。何を具体的に充実させることができるのでしょうか。要援護者の避難が国の手立てで具体的にどう変わり得るのか。バス協会と折衝をして避難のためのバスを瞬時に確保できるのか。知事は先日、風向きによる避難対応を表明。避難先を指定せずシステムを活用して対応するというものです。67ヶ所のモニタリングは、その後の風向予測情報にはなりません。避難住民はさまようだけです。国の役人が手を尽くしても実効性は担保できません。

再稼働は決まったわけではない
 国民の57%が再稼働に反対しても、再稼働を「エネルギー基本計画」に依拠して進める安倍政権。県議会も薩摩川内市も自民党が大勢を占めていて、再稼働を望まない民意とははっきりねじれています。川内原発の南東に隣接するいちき串木野市では6月22日までに再稼働反対の署名が住民3万人の半数を超える15,464筆に達しました。署名の効果で「市民の生命を守る実効性のある避難計画の確立を求める意見書」を全議員の賛成で採択し、知事に提出されました。
 原発から東南東30~40キロに位置する姶良市では、昨年10月「拙速な再稼働をしないこと」を採択しました。さらに7月に「再稼働反対と廃炉を求める陳情」を採択しました。状況は再稼働へシフトした感がありますが、住民説明会、地元同意の範囲、九電の工事計画書、さらにはカルデラの巨大噴火、888トンの燃料体搬出など、まだまだ課題はあります。9月28日に鹿児島市で開く全国集会を契機に、30日の原発特別委員会、12月議会前に予想される臨時県議会での地元同意などに対し、あらゆる手を尽くして再稼働させない取り組みを集中します。全国からも、鹿児島県議会議員や薩摩川内市議へのメール・はがき攻勢をお願いいたします。
(のろまさかず)

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高校生平和大使が国連欧州本部を訪問
軍縮会議で核廃絶のスピーチ

 高校生平和大使は8月16日~23日にスイス・ジュネーブの国連欧州本部などを訪問し、核廃絶を訴えました。平和大使たちの姿やその時の状況を報告します。

緊張する英語のスピーチ
 平和大使たちは、16日夕、福岡のホテルに集合し英語でのスピーチの練習を行いました。日本語であれば感情表現もしやすいものの、英語となるとみんな苦労の連続です。これから海外に行くということの現実をつきつけられた時間でした。17日早朝に福岡空港を出発し、夜遅くジュネーブのホテルに到着したにも関わらず、翌日の現地交流のため、就寝時間まで英語のスピーチの確認が行われました。
 2日目のユニオン・ネットワーク・インターナショナル(UNI)本部や世界YWCA訪問では、平和大使たちは緊張しながらも、しっかりとしたスピーチを披露しました。どちらを訪問した際にも、現地職員との交流時間がありましたが、UNIではまだ緊張がとけていないためか、なかなか話しかけられずにいました。しかし、午後のYWCA訪問時の各班に分かれてのディスカッションでは、談笑する様子すら見られました。「これは英語でなんて言えばいいのかな?」とそれぞれがどのように伝えればいいのかを模索し、一生懸命に疑問を投げかけていました。終了時刻となっても、なかなか会話が終わらず、別れを惜しんでいる姿が印象的でした。
 その後の軍縮会議日本政府代表部への表敬訪問では、佐野利男大使が用意した「核軍縮分野における日本及びNPDI(軍縮・不拡散イニシアチブ)メンバー国の立ち位置」という資料をもとにやり取りをしました。しかし、「武器不要論は非現実的である」、「日本政府は日本を守る責任を果たすために現実的な軍縮をしなくてはならない」、「平和大使たちには、中国などの核不拡散に従わない国に行ってほしい」など、核兵器廃絶へむけての国際的な機運を作り上げようと奮闘している平和大使の理想を否定する内容の発言もありました。それでも、「佐野大使の言葉は一理あると思うけど、私たちは私たちでがんばっていこうと思う」という平和大使の言葉はとても心強いものでした。


マークラム軍縮局長(中央)に署名と折り鶴を手渡しした
(8月19日・ジュネーブ)

国際社会でも認められる活動
 3日目は一番の目的ともいえる国連訪問および軍縮会議でのスピーチ、そして軍縮局長訪問でしたが、平和大使たちからは、緊張している様子は感じられませんでした。スピーチは、平和大使を代表して被爆3世の活水高校2年生・小柳雅樹さんが行い、「69年前に広島と長崎で起きたことを決して風化させてはならない。若者が立ち上がることで平和の道が開けると信じている」と訴えました。平和大使の国連欧州本部訪問17回目にして、国連組織の中でもとりわけ例外を認めず保守的といわれてきた軍縮会議においてスピーチをするという前例のないことが出来たことは驚くべきことです。
 その後、平和大使たちは、約13万人分の核廃絶を求める署名をマークラム軍縮局長に手渡しました。これまでに提出した署名は欧州本部で永久保存され、折り鶴とともに、その一部が本部内に常設展示されています。核兵器のない未来を実現するために、平和な世界にするために活動する平和大使の姿は、国際社会でも認められていることがわかります。
 4日目にスイスの首都ベルンで行われた署名活動では、平和大使たちは本当にイキイキしていました。「もっと署名活動をする時間があったらいいのに!」という言葉や表情からは、正装して英語でスピーチをするときとはまた違った頼もしさがありました。ホテルに戻ってからは、帰国後の報告会、記者会見に向けた準備に取り掛かりました。スイスに滞在している間、平和大使として一度として気の抜けない状況であったと思います。
 国連訪問に同行し、平和大使たちの志の高さと活動の意義、その重要さを認識し直しました。「微力だけど、無力でない」ことは、積み重ねていけば、大きな力になるということです。平和大使たちの今後の活躍に期待して下さい。そして、より活発に活動できるように、一層のご支援をお願いします。
(橋本麻由)

本の案内 『はばたく高校生平和大使』
 17年目を迎え全国的に広まる平和大使の活動が、長崎新聞報道部の協力を得て、8月に『はばたく高校生平和大使』として出版されました。派遣の経過や平和大使経験者のその後などが掲載されています。
A5判、1500円(税込1,620円)

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〔新刊紹介〕徹底検証・使用済み核燃料 再処理か乾式貯蔵か
最終処分への道を世界の経験から探る
フランク・フォンヒッペル + 国際核分裂性物質パネル編著  田窪 雅文 (翻訳)

 再処理問題は単なる原発問題だと思っている人々にぜひ読んで欲しいのがこの拙訳書です。原題を直訳すると「発電用原子炉の使用済み燃料の管理」となります。下の図に簡略化して示したとおり、管理の選択肢は、原子炉から取り出された使用済み燃料を再処理工場に送るか、発電所の敷地内外で中間貯蔵するかの2つ。最終「目的地」は処分場です。
 原発の使用済み燃料プールが満杯となっており、燃料を再処理工場に送り出さなければ原発の運転ができなくなるというのが日本における再処理正当化の最大の論拠となっています。しかし、本書を読めば分かる通り、取り出しから5年程度以上経った燃料は金属容器に入れて空気で冷やす「乾式貯蔵」にする方法をほとんどの原発利用国がとっています。乾式貯蔵の方がプール貯蔵より安全だと原子力規制委員会の田中俊一委員長が指摘しています。

核兵器利用可能物質の実質的な最小化を提唱
 主編著者はプリンストン大学のフランク・フォンヒッペル公共・国際問題名誉教授で、米国が再処理政策を取ればそれは世界的核拡散に繋がるとして反対の声を上げてきた人物です。また、1993─94年、ホワイトハウス「科学・技術政策局」国家安全保障担当次官として、ロシアの核兵器物質セキュリティー強化のための米ロ協調プログラム策定に関わりました。
 同名誉教授が共同議長を務める「核分裂性物質に関する国際パネル(IPFM)」は、2006年に設立されたグループで、核兵器国及び非核兵器国を含む18カ国の軍備管理・核不拡散問題の専門家から構成されています。同グループは核拡散、テロなどの観点からプルトニウムの最小化を提唱しています。

核兵器5500発分のプルトニウムを持つ被爆国日本
 日本は、2014年3月のハーグでの核セキュリティー・サミットで出した日米共同声明で「プルトニウムの最小化」を世界に呼びかけながら、六ヶ所再処理工場を動かして消費の目処も立たないプルトニウムの更なる分離を始めようとしています。核兵器5500発分以上に当たる47トンも溜め込みながら、年間1000発分(8トン)もの割合でプルトニウムを分離する計画です。
 もともと、再処理で取り出したプルトニウムは、高速増殖炉で使うはずでした。発電しつつ、使用した以上のプルトニウムを作り、無尽蔵のエネルギー源となるというこの「夢の原子炉」は、もんじゅの状況を見れば分かる通り、夢に終わっています。溜まってしまったプルトニウムを普通の原子炉で無理矢理燃やすプルサーマルもうまく行っていません。しかも福島原発事故を受けて全国の原子炉は全基停止状態にあります。

再処理は核兵器
 2012年3月のソウルでの核セキュリティー・サミットの直前に行なった韓国外国語大学での講演でオバマ米大統領は、「分離済みプルトニウムのような我々がテロリストの手に渡らぬようにしようと試みているまさにその物質を大量に増やし続けることは絶対にしてはならない」と述べました。韓国は米韓原子力協力協定の交渉で日本と同じ再処理の権利を認めるよう米国に迫っています。核拡散を懸念してこれに抵抗する米国にとって日本の再処理続行計画は米韓交渉の障害になっています。つまり、六ヶ所再処理工場は、核兵器問題なのです。
 多忙な方々は、ひとまず、訳者あとがき、日本語版への序文、第1章「概観」、第3部「日本への提言」だけでも読んで下さい。各国の状況や最終処分についても関心を持たれた場合には、さらに、その後全体に目を通して頂ければどうでしょう。
 そして、本書が一人でも多くの人の眼に触れるようにするため、近くの図書館でリクエストして頂くよう訳者としてお願いします。

合同出版定価2400円+税
http://kakujoho.net/ndata/snf_repro.html

(田窪雅文:核情報主宰)

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『原子力と核の時代史』を出版して
核兵器と原発の世界への拡がりと反対運動の歴史
原水禁専門委員 和田長久

相次ぐ核実験と原水禁の発足
 「原水禁」が発足したのは1965年2月1日です。しかし日本の原水禁運動はそれ以前からありました。
 1954年3月1日、米国はマーシャル諸島・ビキニ環礁で一連の水爆実験を行い、そのときの放射性降下物が、その近くで操業していたマグロ漁船・第5福竜丸に降りそそぎ、乗組員全員が大量にヒバクします。このヒバクを契機として、日本では核実験反対・禁止運動が始まっていくことは、よく知られていることです。新聞などのメディアはこのビキニヒバクを大きく取り上げ、また広島、長崎の原爆投下による状況が初めて紹介されるなど、自然発生的ともいえる核実験反対署名運動が広がります。こうして翌年8月に広島で原水爆禁止世界大会が開催され、その後に日本原水協が発足します。
 米国が太平洋で最初に核実験を行ったのは1946年7月1日で、やはりビキニ島でした。米国は1963年まで太平洋での大気圏核実験を続けました。一方、ソ連邦は1949年から大気圏核実験を行い、1961年には50メガトンという最大の大気圏実験を行っています。英国も仏も大気圏核実験を行っています。
 大気圏核実験によって作り出される”死の灰”は大気圏に滞留し、世界各地に降りそそいだのです。当然世界中から実験禁止の声があがります。こうした声に押されて、米ソ両国は1958年秋から核実験の一時停止を発表します。これは世界の反核運動の大きな成果であり、さらに全面禁止を求めて運動を続けます。
 しかし核保有国は、核実験再開の機会を探っていたのです。1961年の第7回原水禁世界大会後に、ソ連が核実験再開を発表し9月1日から大気圏核実験を再開したのです。当時米国による核実験再開の動きは伝わってきましたが、ソ連の動きはまったく伝わらず、当時の原水禁運動にとっては思いもよらないことだったのです。
 多くの人たちはどこの国の核実験にも反対でした。日本原水協も一旦は反対声明を出しますが、日本共産党がソ連核実験支持を表明したため、原水禁運動は大きく混乱します。「原水禁」はこの混乱を収め、運動を前進させるために発足したのです。

各国の原子力開発競争と原爆
 ウラン鉱物のなかから強い放射を出すポロニュウムとラジウムを抽出し、初めて「放射能」という言葉が使われたのは、1898年、マリーとピエールのキュリー夫妻によってでした。この発見は当時の物理学に大きな影響を与え、独、仏、英、米各国の大学で原子力研究部門が置かれ、ソ連もまたレニングラード(当時)大学物理学研究所が西側の原子力開発を追っていました。とくに1930年代にかけて、物理学者は競争で研究を続けていました。しかしドイツではナチスドイツが大きな影響力を持ち始め、1933年にはヒトラーが政権につき、ユダヤ系物理学者は次々と亡命し、多くは米国に渡ります。
 1938年末、ベルリンで研究していたオットー・ハーンが、ウランに中性子を当てるとバリュウムその他に核分裂することを発見します。この理論付けは、オットー・ハーンと共同研究していたユダヤ系オーストリア人、リーゼ・マイトナーが行いますが、マイトナーはこの時、ストックホルムに亡命していました。
 この核分裂の発見は、米国への亡命直前のニールス・ボーアに伝えられ、米国に広がることとなります。ベルリン大学から米国に亡命していたレオ・シラードは、もしドイツが原子爆弾を開発すれば大変なことになると考え、アインシュタインによる原爆製造の手紙が、米大統領・ルーズベルトに届けられます。こうして原爆製造計画「マンハッタン・プロジェクト」が発足し、原爆が製造されます。アインシュタインは手紙を大統領に書いたことを強く後悔し、後の「ラッセル・アインシュタイン声明」となります。

日本の反原発運動の広がり
 日本で反原発運動が始まるのは1970年代です。大阪万博に、敦賀原発で発電した電気が送られ、その後、美浜原発などが次々と運転を始めていきます。しかしこれらの原発は、小さな事故を頻発させ、それはいつか大事故になるのではとの不安が高まります。このような状況のなかで、原水禁は原発問題に取り組み始めます。
 このとき運動に大きな影響を与えたのが、大阪大学の久米三四郎さんです。久米さんは、ある会合でどれくらいの放射能が出るかを計算し、その多さに驚き、以降、原水禁に協力し、反原発で各地を回ります。しかし、1986年にチェルノブイリ原発事故が、2011年に福島第1原発事故が起こります。
 この本は、核兵器と原発の世界への拡がりと様々な事故、ヒバク、それに反対する日本を含む世界の運動について書いています。
(わだながひさ)


(2014年8月刊・七つ森書館)

「原子力と核の時代史」
 放射能の発見から、1945年ヒロシマ・ナガサキへの原子爆弾投下、そしてヒバクシャの運動、2011年の福島原発震災と脱原発1000万人署名運動──原子力と核爆弾の開発の歴史を描写して、脱原発と非核をめざす運動のすべてを記録。巻末に年表と索引を収録。脱原発・非核・非戦運動の歴史を総覧し、後世に語り継ぐ。

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各地からのメッセージ
「脱原発」にむけ福島を風化させない
福島県平和フォーラム 事務局次長 大内良勝


(2014年8月刊・七つ森書館)

 あの3・11大震災、原発事故以降の全国の皆様の暖かいご支援に感謝しています。ありがとうございます。
 福島県平和フォーラムでは、2011年3月11日におきた東日本大震災、東京電力福島第一原発事故以降、特に「脱原発」に向け、さまざまな取り組みを実施しています。その中でも「原発のない福島を!県民大集会」を毎年3月に開催しています。集会は、福島県の中で、原発反対の立場の著名な方々を呼びかけ人として、県民の広範な絆を育てることから、実行委員会を組織しこれまでさまざまな反核運動をしてきた組織から毎年少しずつ仲間が増えています。この集会を、原水禁大会、反核燃全国集会のような取り組みができるよう進めています。(写真は今年3月8日に開かれた県民大集会)
 福島の現状は、いまだ事故当時のままで、原発周辺では、新たな事故が起きつつあります。さらに、原発の廃炉に当たっている作業労働者に、さまざまな被害が出てきています。一方、今も13万人もの県民が、避難生活を余儀なくされ、安定しない状況でさまざまな問題も噴出しています。その声は、「新たな生活の場で、学校になじめず、不登校になった」「精神的なストレスで急に大声を出すようになった」というように、PTSD(心的外傷性ストレス障害)が疑われる子どもが増えてきています。また、喉頭がんと診断された子どもが50人を超え、さらに疑いがある子どもがが45人います。いくら専門家が「原発事故との関連性は薄い」と言っても、信用できるわけがありません。
 県民にとって差し迫った課題に除染があります。福島に住み続けるため、ふるさとへ帰るために、放射線量を下げる必要があります。広範な範囲を除染するとなれば時間がかかり、雨が降れば線量が上がります。農地などは、ゼオライトを土に混ぜてセシウムを吸着させる程度で、これも成果は期待できるほどではありません。除染で出た放射性のゴミを貯蔵する場所もなく、庭に埋めています。中間・最終処分場も大きな課題のひとつです。
 ひとたび事故が起きれば、世界どこでもいっしょです。「脱原発」にむけ、福島を風化させないため、「原発のない福島を!県民大集会」実行委員会の絆を広めるため、取り組みを行っていきたいと考えています。全国の仲間の皆さんのご支援をお願いします。
(おおうちよしかつ)

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〔映画の紹介〕
戦後70年へ、長編戦争映画に挑戦しては?

 映画好きで、戦争関連映画もけっこう観てきたけれど、1970年~73年につくられた『戦争と人間』は観ていなかった。とにかく長い。三部作計9時間23分という長尺。この夏、日本映画専門チャンネルで放映されたのでようやく観ることができた。この作品は満州事変から東京裁判までを全四部作で描く予定だったが、日活の経営が悪化したために三部で完結せざるを得なかったといういわくつき。
 でも、長い、と苦痛を感じることはなかった。何せ日活のオールスターが総出演し、新興財閥・伍代家のファミリーたちを滝沢修、芦田伸介、高橋悦史、浅丘ルリ子、北大路欣也、吉永小百合が演じ、それに三國連太郎や石原裕次郎、山本圭・学兄弟、栗原小巻などがからむという豪華さ。
 伍代財閥は軍部と結託して旧満州・中国での権益拡大を目論み、そこに関東軍や特務機関、社会主義者、満州人、朝鮮人、中国人などがからむ。昭和前期の東アジアと日本を描いた野心作だ。山本薩夫監督だけあって、歴史の要点を外さず、構成もしっかりしているから十分楽しめる。原作は五味川純平で、三一新書でなんと18巻(絶版)だから、映画の9時間半なんて、考えようによっては効率的だ。
 ――『人間の條件』や『戦争と人間』は、すなわち日本人が直視しなければならない一大ドラマである。本当は、これらを教科書として現代史を教え、映画やテレビ化されたそれを見せなければならない。山形県酒田市から上京して大学一年生となった1963年の春、たしか池袋の映画館で一挙上映されていた「人間の條件」を夜を徹して見た時のことが忘れられない。頭が冴えて眠気など吹っとんでいたし、衝撃でほとんど立てなかった。以後私は、学生寮に後輩が入って来ると、必ず連れて行って”五味川現代史”の洗礼を味わわせた――五味川純平の『戦記小説集』(文春文庫)の解説にこう書いたのは佐高信さんだった。
 朝日新聞は8月30日の日曜版「NIPPON映画の旅人」で『戦争と人間』をとりあげたが、この作品の強みは歴史を断片ではなく、大きな流れとして提出していることだと思う。来年は戦後70年。稲田朋美政調会長など歴史修正主義者たちに立ち向かうには、侵略や加害の問題を歴史の文脈で理解しなければならない。『戦争と人間』、『戦争の條件』、『日本のいちばん長い日』、『東京裁判』などの映画は格好のテキストだと思う。戦後70年へ、一人でもできるチャレンジを。
(福田誠之郎)

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核のキーワード図鑑


オバマさん「核のない世界」を言わなくなり

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「憲法理念の実現をめざす第51回大会」
11月1日~3日に岐阜で開催

「『戦争をさせない』私たちは平和主義を、そして命を守ります!憲法理念の実現をめざす第51回大会」は11月1日(土)13時~11月3日(月)11時まで、岐阜市内で次のように開催されます。多くの方の参加を呼び掛けています。

●11月1日(土)長良川国際会議場オープニング
13:00~13:30今里哲(シャンソン歌手)、開会総会13:30~14:30、シンポジウム14:30~17:00

●11月2日(日)岐阜市内など
分科会9:30~13:00
(1)非核・平和・安全保障、(2)地球環境-脱原発に向けて、(3)歴史認識と戦後補償、(4)教育と子どもの権利、(5)人権確立、(6)地方の自立・市民政治、(7)憲法
フィールドワーク
Aコース:世界遺産白川郷合掌造りと高山市内観光
Bコース:可児市久々利地下工場跡と中仙道・馬籠宿この他、午後に「ひろば」なども開催。

●11月3日(月・休)じゅうろくプラザ
閉会総会9:30~11:00(1)特別提起、(2)大会のまとめ、(3)遠藤三郎賞表彰、(4)平和運動賞表彰、(5)大会アピール

問合せ:平和フォーラム(電03-5289-8222)
現地実行委:フォーラム岐阜(電058-247-7650)

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