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ニュースペーパー2015年2月

2015年2月 1日

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「止めよう!辺野古新基地建設」
 沖縄県議会議員代表団12名が1月15日、県議会で可決された辺野古新基地建設に反対する意見書を持って、米国大使館を含め関係省庁に要請するために上京しました。昨年11月の沖縄県知事選で、翁長雄志さんが仲井眞弘多前知事に10万以上の得票差をつけて当選。このゆるぎない沖縄の民意を携えての要請でしたが、首相官邸や防衛、外務省は誠意ある対応を見せませんでした。
 15日夜、連合会館で開催された同議員団の報告集会には、会場あふれる450名の市民や労働者が参加。知事選に続いての衆議院総選挙においてオール沖縄で闘い勝利した小選挙区選出の全議員、また超党派の国会議員で構成される沖縄等米軍基地問題議員懇談会の近藤昭一会長(衆院議員)らがあいさつ。沖縄からの報告では、県議会の各会派の代表が、辺野古埋め立ての問題点、沖縄経済の発展を阻害している米軍基地、日米地位協定の不平等性を訴え、オール沖縄がいかにして実現できたかなどの報告がありました。集会の最後には、参加者全員が手をつなぎあって、万歳三唱をして幅広いつながりで辺野古新基地建設を阻止する決意を固めあいました。(写真は1月15日の集会)

インタビュー・シリーズ:97
歴史修正主義が権力と一体となった。
作家 保阪正康さんに聞く

保阪正康さん
ほさか・まさやすさんのプロフィール
ノンフィクション作家。日本文藝家協会、日本ペンクラブの会員、「昭和史を語り継ぐ会」を主宰。主に日本近代史(とくに昭和史)の事象、事件、人物に題材を求め、延べ4000人余の人びとに聞き書きを行い、ノンフィクション、評論、評伝などの分野の作品を発表している。また、「医学・医療と社会の関係」をテーマにした作品や教育に関する著作も多い。一連の昭和史研究で、2004年に菊池寛賞を受賞。

─安倍首相は、集団的自衛権に関わる解釈の変更を閣議決定で行いました。このような権力の使い方、このような手法を採る政治家が、これまでにいたでしょうか。
 集団的自衛権に限らず、その前の特定秘密保護法もそうですけど、安倍晋三という首相は3つの特徴を持っていると思います。1つは、根幹をなす考え方の軸を持っていないという事。それはどういう事かと言うと、彼はいろんな事を言うけれど、単にマイナス、アンチに立ち、ある考えに反対するだけ。つまり戦後社会の価値観、システムに異議申し立てをするだけで、彼自身はどうするのかという理論的な構築をしていないという点です。
 2点目は、集団的自衛権に関してですが、集団的自衛権が実際に発動されたら、日本の憲法下でそれが可能か、という問題にきちんと答えていない。集団的自衛権行使によって自衛隊が交戦を余儀なくされるところへ出て行く、あるいはアメリカ軍に従属していれば、戦争になる訳です。自衛隊の中から、私は嫌だ、行きたくないという隊員が出たら、これでは自衛隊の意味をなさないので軍法会議を作らなければいけない、あるいは集団的自衛権を実行するためには関連法をいくつもつくらなければいけない。本来なら現行法規の76条で司法体系を2つも作らないということになっている。それなのに集団的自衛権という大きな網を張っておいて、それを実行するための関連法案をつくるということを何もしないで、こういう政策を平気で出すという政治的な無神経さ。これは順序が違うとかいうよりも、手続きに対して民主主義社会で何の考えも無いという事です。
 3点目は、彼は戦後レジームの解体ということを言います。この体制はアメリカ占領下のものでそれを解体しなければならないと言います。実は戦後レジームの解体と言った時に3つも4つも選択肢があるはずなんです。しかし安倍さんは、たった一つ、大日本帝国憲法に帰るような社会を口にしています。私は、戦後社会が作って来た政治体制が、今ガタガタと音を立てて崩れていっていると思います。乱暴な言葉を承知の上で言えば左の側も軽率すぎるところがあるのを巧みに突いているわけです。私は今の憲法を平和憲法とは思わない。非軍事憲法だと思います。
 非軍事憲法を平和憲法にしていくためには時間と距離と努力が必要なんですね。その努力は、例えば現行憲法では環境権がないから、環境権というものをどのように入れるか、というような事を論じて良いと思うんです。あるいは、色々な自由の概念が変わっているからそういうことを論じても良いと思うんですね。戦後レジームの解体という時一番弱いのは、平和憲法を守らなければいけないという発想そのものが追いこまれているわけです。守るというのは、それで止まってしまうという事です。そこを巧みに突いている。私は安倍さんに不信感を持つけれど、日本社会にはそういった問題意識の希薄さがあるのではないか、という感じがします。
 私は、今の憲法が非軍事憲法で、最低、100年は持たせようと考えています。1947年から2047年までですね、100年持たせようと言う運動を私と半藤一利さんと2人でやっているんです。これを講演などでは必ず言おうと。1世紀持たせれば、国家の中に一つの意志として定着するんですね。まあ、僕らみんな死んでますけれど。今の憲法を100年持たせようというのは、護憲じゃないんです。護憲とみるとちょっと違う。不足分があったり、直すところがあったりすれば、それは直すと。発展的にと言いますか、平和的な直し方があってもいいと思います。
 いずれにしても安倍さんの様な政治家が出て来たというのは、日本社会が劣化したと言えます、とんでもない社会になったなと思います。
 保守党の首相だって、解釈改憲を閣議でやる様な傲慢な事には手をつけなかった。むしろ自民党には後藤田正晴だとか、伊東正義とか宇都宮徳馬とか野党よりもバランスのとれた政治家がいて、私は後藤田さんと親しく話しをした事があるんですが、あの人は護憲だというのを隠さなかったですね。あんな馬鹿な戦争をやっちゃいかんよと。そういう政治家が自民党に今いない。自民党が単なる保守政党じゃなくて、極右政党になっているんだ。健全保守というのが必要だと言う気がします。

─保阪さんは、今日の安倍晋三氏に代表されるナショナリズムの中心に歴史認識があると言われているように思えます。「彼らにとっては歴史自体が屈辱的なんです」と最近書かれた本で述べられていますが。
 安倍さんたちは、歴史を検証する能力がない、歴史に対する誠実さがありませんね。昭和20年の8月14日の閣議や軍事機構の会議で、資料を全部燃やすと決めました。それで、行政の末端まで資料を全部燃やし尽くしました。ポツダム宣言の第10項に戦争の責任者を裁判にかけると書いてあったからです。戦後はアカデミズムであれジャーナリズムであれ、まず資料を集めて、読んで解釈する道のりでした。右派的な解釈も左派的な解釈もある、中にはもっと別な解釈もある。資料は一つでも解釈は多様ですね。そうやって戦後の日本の歴史を作ってきたんです。これがオーソドックスなアカデミズム、ジャーナリズムのごく普通の当たり前の姿です。ところが10年ほど前から、もともとは右翼団体などにありましたが、旗を立て始めるのです。大東亜戦争は聖戦であるとか、日本は悪くないんだという旗を。この旗に見合う史実を、誰が言ったのか分からないようなものとか思い込みとかの資料を集めて来て、どうだ、日本は侵略してないだろって言うんですね。これを、歴史修正主義というんです。

負の歴史に向き合わない勇気の無さ
 歴史修正主義は、ヨーロッパでは極右扱いです。ドイツでは、ナチスを讃えたりすれば法的に触れます。しかし日本では、世界で例のない事に歴史修正主義が権力と一体になっているんです。権力そのものとなったんです。NHKに送り込まれた3人の委員は歴史修正主義者です。つまりオーソドックスな歴史を無視しているという事です。歴史修正主義者は、歴史を政治的ツールに使っているんです。そして、アカデミズム、ジャーナリズムが作ってきた歴史に向き合う姿勢を「自虐的」と言うんですね。日本の悪いところ、良いところを客観的に分析していく歴史研究を自虐的と言う訳です。
 歴史修正主義の一団がこんなに跋扈したのはやはり安倍内閣だからです。こういう首相のもとで跋扈するんですね。だから、彼らはこつこつと歴史を辿ってきて、資料を集め、やっぱり日本は中国を侵略したなぁ、あるいは東南アジアを侵略したなぁ、という結論を出すと、それを自虐史観と言う。彼らにとって歴史自体が屈辱的なんだという主張です。
 こういう歴史観を持っている人たちときちんとした議論はできないんですよ。対話が成り立たない。こういう対話が成り立たないような論理を平気で使っているところに安倍政権の怖さがあります。
 だから、安倍政権の議会答弁を聞いていると、全然質問に答えてないですね。自分の意見を言うだけで、何にも答えていない。もしかしたら質問の意味も解らないのかもしれない。こういう首相が、歴史を云々するなんて、私は、先達の政治家に失礼だと思います。
 負の歴史に向き合うという姿勢にかけるのは、勇気がないということです。事実を知ってそれに見合う言葉を使う勇気がないということです。

─安倍晋三氏も、明治維新前後の政治をリードした山口県の政治家です。しかし、昭和の初めには、大政翼賛会に抗(あらが)った安倍寛という立派な政治家も山口では生み出しています。近代日本以降の政治において、安倍晋三氏をどのように理解すべきでしょうか。
 長州は幕末、明治維新の中心勢力ですが、長州の中の首相と言えば岸とか佐藤栄作とか伊藤博文とか山県有朋ですね。明治には長州人はたしかに山県とか伊藤とかは歴史を作ってきました。憲法の足らざる部分、つまり憲法にない矛盾点は彼らの人間と人間の付き合いでカバーしてきました。彼らは、近代日本の形を作って行くのに相当貢献したと思うのですが、国の中でいかに権力を維持するのかっていうことに関しては、強圧的な、弾圧的な手段をとりましたね。日本の陸軍はたしかに長州人によって作られているんです。明治の30年代には、児玉源太郎、寺内正毅とか田中義一とか何人もいますね。山県は典型的に長州閥を作りました。それに抗する軍人は軍から追い払った。たとえば、東條英機の父、東條英教。優秀だった。その東條英機は昭和という時代に独裁的な政治を行いましたが、それに抵抗した代議士に安倍寛(あべひろし)という安倍首相の祖父がいます。昭和17年の翼賛政治に反対した。安倍首相はこっちの方に学ぶべきだと思いますが、岸とか佐藤栄作に近いような政治姿勢を取ってますね。非翼賛で出るぐらいの骨のある抵抗の精神を持った人が彼の系譜にはあるんだろうけれど、安倍晋三はそうではないです。

─近・現代史においてアジア諸国に対して日本が行った行為、この行為の総括が日本では出来ていません。この「ネック」が日本の将来を危うくしています。私たちは日本の民主主義を歴史の中でどのようにとらえるべきでしょうか。
 昭和16年の6月23日に独ソ戦が始まりますね、日本は北へ進むか南進するかって議論伯仲になりますが、結局南進するんですね。資源を手に入れるという形にします。大東亜共栄圏を目ざすわけですね。こういった資源のために南洋に入って行ったのを、独立を支援しに行ったとか日本が先進帝国主義国を追い出したから独立できたなんて手前かってな都合のいい議論を言う人がいます。日本はやはり新しい侵略者だったんです。オランダやイギリスが帝国主義的侵略をやって一つの地盤を作っていましたが、日本はその後に入って行った支配者ですから、綺麗事は言えないですよね。そういった日本のアジアに対する侵略の歴史を隠して、東南アジアの人々は感謝してるんだとか、ああいう論理を良く言うなぁと思うんです。大状況の基本的誤りを認めないで、どうやって日本が国際社会で生きて行くかを考えていない。
 1945年以降の戦後社会で日本の置かれている地位について基本的な認識をきちんと持つことが出来ていません。日本の戦後民主主義は基本的にアメリカンデモクラシーです。私は前から主張しているんですが、この中の「アメリカン」や「戦後」を取らなきゃいけない。そして民主主義体制は自前で作って行かなきゃならない。アメリカが教えてくれたアメリカンデモクラシーは、力の強いものは正義だという発想が根源にあるんです。日本の民主主義は他国に例がないアメリカンデモクラシーの追随の形になっていて、力の強いものは正義であるという形が民主主義の根幹だと思っている。


日本的ファシズムが近づいている
 そうではなくて、日本の民主主義は日本が持っている論理とかディスカッションする能力とか、どういう国にするかというヴィジョンを求めることです。高知県の自由民権運動の記念館を観ても解ります。幕末から明治、明治の自由民権運動で闘った人達が意図している民主主義は、今の民主主義と違うんです。いつまでもアメリカンデモクラシーや戦後民主主義じゃないんですね。戦後民主主義から「戦後」を取ること、それはアメリカから自立する事なんです。何もアメリカとケンカするという事じゃなく、アメリカという国が20世紀、21世紀を支配するであろう事は国際社会の動きでしょうがないけれども、その中で私達の国は例えば軍事大国にはならないとか、経済大国にならないとの方向に歩みだすべきです。力の源泉は軍事力・経済力だという次元とは距離を置く。そういう方針を具体的に進めて行く以外ないんじゃないですかね。その辺が欠落している気がします。
 私は昭和史を調べていて、これは本にも書いたんですが、権力者は常に国民を四角形の中に押しこめようとするものです。一辺は、報道の自由ではなくて情報の一元化なんですね。次の一辺は官民挙げての暴力なんです。それから他の一辺は、弾圧立法ですね。そして残りの一辺は教育。例えば昭和8年から日本はファシズムになって行くんですが、教科書が国定化してススメススメ兵隊さんススメになるんです。この四角の囲みの中に我々を押し込めて来たんです。それでも権力者は不安でこの四角形をより小さくするんです。当然なことに、抑圧されているだけじゃないかと抵抗がはじまります。抵抗者に対してはまず特高がたずねて来て「あんた、どうしてあんな息子に育てるんだ」、「不忠もの、売国奴ではないか」、「妹が嫁に行けない、誰が就職できない」と脅すんですね。そうすると家族の中から「お前ちょっと家を出て行け、思想を改めろ」というようなことになってきます。逆らうとまず共同体から放逐されるということです。2つ目は、仕事場に特高が来ます。仕事を取りあげられる。仕事場で「やっぱりお前が辞めてくれ」って言って生活権も奪われます。抵抗するというとこういったいやがらせを受けます。そうすると3つの方法しかないんですね。一つは自殺する事です。2つ目は、面従腹背。3番目は亡命ですね。日本は亡命はほとんど無い。杉本良吉と岡田嘉子、こういった形になるんですね。敢えて4番目を言うなら、心理的な逃避ですね。しょうがない、知った事かって。こういった形でしか私達は生きられなくなる。それが民主主義に反する独裁国家、ファシズム体制だと思うんです。  安倍さんのやろうとしているのはこういったことを意識しているのではないかと思います。実際、教科書が教育現場でかなり右寄りになったり。弾圧立法、特定秘密保護法が出来たり。やはり暴力というのが顕在化して来たら怖いと思います。それから情報の一元化。国民は考えるなってことです。言われた事だけしろと。もの言わぬ国民、従順な国民て言う物をつくろうとするんです。これが日本的ファシズムの特徴だと思います。これを今回も意図しているのではないですか。今出てこないのは暴力だけですよ。このような状態を「暴力の近接性」と言いますね。暴力がもうその寸前まで来ているのかなぁと思いますよ。
 今回の朝日新聞の一記者に対する社会的侮辱を見ると、あれは暴力ですね。「暴力の近接性」が社会全体の中に拡がろうとしているのではないかとも思えます。

 

インタビューを終えて
 「日本は、世界で例のないことに、歴史修正主義が権力と一体になっている」。インタビューの収録は2014年という年が暮れかかった冬の寒空の日でした。待合わせ時間ピッタリに来られた保阪さんは、事前にお渡しした質問項目を明確に覚えておられ、一呼吸のうちに、お答えになりました。近現代史の研究家が、こんにち現在の「歴史」を堂々と、一切、奥歯にものが挟まる余地を残さず論じられました。保阪さんは半藤さんと共に日本国憲法を100年残させる運動をされています。権力にも毅然たる歴史家の矜持を見させていただきました。
(道田哲朗)

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違法性が確定した京都朝鮮学校襲撃事件裁判
子どもたちの尊厳と民族教育の権利を守れ
朝鮮学校襲撃事件裁判を支援する会(こるむ)事務局 さとう大

民族教育をおこなう利益にも言及
 2009年12月におきた右翼団体「在日特権を許さない市民の会」(在特会)らによる京都朝鮮学校襲撃事件の裁判は、2014年12月9日に最高裁が上告を退けたことで確定しました。判決内容を解説したイラスト付きリーフレットを作成して販売しています(問合せ・申し込み先:mezasu_hakkyo_k@yahoo.co.jp )。大阪高裁の判決(2014年7月)では、京都地裁判決(2013年10月)同様、新校舎周辺(半径200m)での街宣が禁止され、3回にわたる学校周辺でのヘイトスピーチを現行法(民法709条:名誉毀損、業務妨害)違反と認定しています。「表現の自由」という被告の主張には組みせず違法行為と断じ、1226万円の賠償金支払いを命じました。
 また、人種差別撤廃条約が援用され、条約の趣旨を果たすため賠償金額に加重要素として反映する(京都地裁判決)もしくは現行法の範疇で多額の賠償金を科すことで条約との適合を果たす(大阪高裁判決)という判断がなされました。人種差別撤廃条約に対応する国内法が存在しないなか、裁判の過程を通じてヘイトスピーチが国際的な問題として報道されるようになり、東京や大阪をはじめ全国的にレイシストとカウンターとの対峙闘争が広がるなど社会的に注目を集めたことも、裁判官の筆を軽くした要因だったと思われます。
 京都地裁判決と大阪高裁判決には大きな違いがありました。それは、大阪高裁が在日朝鮮人の民族教育をおこなう利益を認定したことです。この事件は民族教育をおこなう朝鮮学校が標的にされた事件ですから、単に学校業務の妨害を問題視するだけで民族教育の歴史に触れなければ事件の本質をつかんでいないことになりますし、人種差別論としても不十分です。残念ながら京都地裁判決は、原告が訴えてきた民族教育の重要性については一言も触れずに、差別を受けないようつくった学校が攻撃されたという認識が欠落していました。これが大阪高裁判決では、「民族教育権」という言葉は使われなかったものの、判決文のなかに「我が国で在日朝鮮人の民族教育を行う社会環境も損なわれた」という記述が見られるなど、民族教育の特殊性が認定されました。


裁判支援用リーフの挿絵を描く
朝鮮学校の子ども達
重い子ども達や関係者の精神的負担
 裁判闘争は大きな困難をともないました。訴訟を決断した当事者の覚悟は言葉に表せないものですし、法廷では事件で受けた絶望と痛みを証言しなければならない場面や、被告からは朝鮮学校の教育内容を否定する言葉が何度となく繰り返される場面があり、法廷が二次被害の場にもなっていました。口頭弁論の後には報告支援集会を開催して、朝鮮学校の授業や課外活動の様子を写真や動画で映したり、支援者とともに関係者の痛みを受け止め自らの問題としてとらえる時間をもちました。
 当初おぼろげだった事件の被害実態は、裁判が進行するにつれて明らかになりました。子どもたちから「朝鮮人て悪いことなん?」と質問されたと嘆く親の姿。古紙回収車の音や作業着姿の大人を見ると事件を思い出して怯える子ども。夜泣き・夜尿が再開したり、留守番ができなくなる子もいました。校舎の前の公園が使用できなくなり学区隣の朝鮮学校で運動場を借りなければならないストレスや、地道に積み上げてきた地域住民との絆の破壊など、大人が受けてきた動揺は言うまでもなく、それ以上に子どもたちの精神面での負担は深刻でした。
 そんな中、事件から2年がたった春には近隣校と統合し、3年目には新校舎移転事業が進むなど、教育環境もめまぐるしく変化して、地域交流もゼロからはじめなければならず教員の負担は増えるばかりでした。心のケアに十分な時間を取ることもできませんでした。

ヘイトスピーチ抑止に向けて
 いま被害実態の把握とケアの保障が必要です。日本学校であれば当然派遣されたスクールカウンセラーなどの支援体制がいまからでも必要ですし、インターネットを通じてヘイトスピーチが蔓延しているなか、京都の朝鮮学校に限らず全国的な対応が求められていると思います。現実的には朝鮮学校が各種学校に位置づけられているため保健室が未整備であるなどの問題が生じています。国や自治体に処遇改善を求め、外国人学校などの民族教育権を認める法整備を訴える必要もあります。
 ヘイトスピーチ抑止に向けて京都で新たな運動の芽も生まれています。人種差別や民族差別を禁止する国内法の整備と、加害行為を規制する国や自治体の対応が求められています。その運動を通じて、排外主義を生み出す日本社会を問い直していかなければならないと思います。事件の背景には制度的レイシズムが存在します。子どもたちの尊厳を守り、民族教育の権利を保障するために、日本社会のマジョリティーが変わらなければならないと事件は教えてくれています。
(さとうだい)

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新しい機能性表示食品にどう向かいあうか
インチキ表示を見抜く目が求められる
ジャーナリスト/食の安全・監視市民委員会運営委員  植田 武智

 病院で医者からこう言われたとします。「新しい薬があります。医薬品メーカーが安全性と有効性を保証しています。ほらこんなにたくさんの資料もそろえてきています。私は忙しいのでまだ全部目を通していませんが、もしよかった資料のコピーも差し上げるので読んでみて、判断してください」─あなたは、この薬を試してみようと思いますか?

企業の責任で機能性の表示ができる制度
 健康食品の制度が変わろうとしています。今年4月に開始予定の機能性表示食品は、企業の責任で健康食品の機能性を表示できるという制度です。ただなんでも企業が好き勝手に表示できるわけではありません。機能性が本当にあるという科学的根拠が求められます。企業にとってのうまみは、従来の特定保健用食品(トクホ)のように、莫大な研究費を使って臨床試験を実施する必要はなく、他社や第三者による既存の研究データを活用できる点です。開発費が圧倒的に安く済みます。
 その機能性表示食品に求められる科学的根拠は、現在のトクホより厳しいものです。ただ運用に際する詳細なガイドラインはまだ不明で、3月までには消費者庁が作成する予定です。企業はそうした科学的根拠のデータを消費者庁に提出する必要があり、それらのデータは消費者庁のホームページで公開されることになります。「誰もが証拠をチェックできる、世界的にも類のない画期的な制度だ」と消費者庁は自負しています。
 新制度が開始されたら、市販の健康食品はどう変わるのでしょうか?求められる科学的根拠を厳密に適用すれば、表示できる食品成分はかなり限定されます。一番増えると思われるのが、いわゆるトクホのゾロ品(後発品)。例えば「難分解性デキストリン」のように、現在トクホとしても「脂肪の吸収を抑える」「血糖値の上昇を抑える」といった機能性の表示が許可されているものの類似品です。


DHA/EPAの効果を謳う健康商品
効果がはっきりしないものでも表示できる
 ちまたにあふれるトクホ以外のいわゆる「健康食品」はどうなるでしょうか?健康食品事業者の間では、新制度を活用して機能性を表示しようという動きが活発化しています。ただ明らかに効果があるという成分は少なく、多くの成分は効果があるという論文と効果がないという論文が両方あり、白黒はっきりしないものが多いのが実態です。そうした灰色の成分についても企業は強引に証拠ありと届け出してくるでしょう。
 例えば魚油の成分で有名なDHA/EPAという油があります。企業は「有効性を示す論文は2500件以上発表されている」と豪語しています。確かに中性脂肪の低下作用などの証拠はかなり高いといえます。しかしサントリーが現在自社のサプリで宣伝している物忘れやボケといった認知機能への効果については、証拠は不十分で、アメリカでも機能性表示は禁止されています。
 それにも関わらず、サントリーが無理やりデータをまとめて、消費者庁に届け出た場合、だれが止めることができるでしょうか?。消費者庁は、「新制度はトクホのような許可性ではないため企業から提出された証拠の妥当性についての判断はしない」と言っています。証拠資料は体裁が整っていればすべて受理され、届出番号が配布されます。企業はその届出番号をつけて機能性を表示することができるという制度です。

消費者にデータの検証が強いられる
 消費者はだまされないためには、企業が提出した証拠文献を自分で読み込んでその信ぴょう性を自分で判断して健康食品を利用しなければならないわけです。新しい制度は、とても面倒な作業を消費者に課していることになります。それでもまったくの証拠の無いインチキ健康食品は申請できないだろうから、ある程度の効果はあるのではないかと言う意見もあるでしょう。景品表示法違反で昨年12月に措置命令を受けた「夜スリムトマ美ちゃん」のような最低レベルの健康食品のインチキ性は明らかになるでしょう。証拠隠しはできなくなるからです。しかし多くの灰色の成分については、現状のままで登録される可能性が高いでしょう。
 本来は消費者庁が作る科学的根拠の考えかたに基づいて、国がその真偽を審査し許可する制度を作るのが妥当です。そうすれば、証拠レベルの高い本当に効きそうな成分の健康食品だけが生き残るし、効果の疑わしいトクホ製品も落ちることになります。このままでは、ルールは厳しいが、そのルールを守っているかどうかは誰もチェックをせず、消費者が高度な科学的判断を強いられるという、問題の多い制度になりそうです。
(うえだたけのり)

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原水禁発足50周年に思う(1)
核も戦争もない世界の実現をめざして
原水爆禁止日本国民会議 議長 川野 浩一

あの日の光景は忘れない
 ヒロシマ・ナガサキはまもなく被爆70周年を迎える。5歳の時、爆心地から3.1kmで被爆した私も、早いもので75歳を迎えた。あの日(8月9日)、私は近所の子と家の前で防火水槽を背に話しをしていた。飛行機の音に気づき「友軍機やろう」と上空を探していたら、突然、その子が気が狂ったように走り出したところまでは記憶がある。気がついたら15mほど離れたところに倒れていたが、幸いけがはなかった。側の中学生の額からは血が流れていた。あたりを見渡すと夕暮れのように薄暗く人影はなく、上空にはB29が旋回していた。
 怖くなり、近くの防空壕に駆け込んだ.中では近所の人たちが口々に「どこに爆弾は落ちたのか?」と叫んでいたが、吉田のおじさんが「こいつは広島に落とされた新型爆弾ばい」と言うと壕内は静まり返った。まもなく母親が迎えに来てくれ、家の防空壕に移ったが、皆無事だった。しばらくすると爆心地の方から大勢のけが人が逃げてこられた。火が迫ってきたので、山手の防空壕に避難命令が出た。その夜見た光景は今でも忘れない。8月15日、「日本は負けたぞう!」玉音放送を聞いた中学生が駆け上がってきた。彼を取り巻き大人たちが何か喚いていたが、まもなく静かに山を降りた。幸い家は焼けずに残っていたが、帰ってこない人、亡くなった人の話ばかりだった。床の間の破れたバケツの中の炭は浦上のおばあさんだった。
 原爆投下後10周年を祈念して、爆心地近くの公園に祈念像が建立されたが、長崎の詩人、被爆者の福田須磨子は「ひとりごと」と題し、「何もかもいやになりました原子野に屹立する巨大な平和像それはいいそれはいいけどその金でなんとかならなかったのかしら石の像は食えぬし腹の足しにならぬさもしいと言ってくださいますな」と詠った。

原水爆禁止世界大会の開催へ
 「空白の10年」とも言われるが、被爆者に対する援護措置は何もなかった。家族も家も着るものもすべてを失った被爆者は苦しみながら次々と亡くなった。
 1954年3月1日、静岡県焼津市のマグロ漁船第5福竜丸がビキニ環礁での米国の水爆実験により被曝、乗組員23人と、捕ってきたマグロ等が汚染されていたことが判明、さらに、その後5月下旬からは雨水や米、野菜からも放射能が検出され、家庭を担う女性たちが原水爆実験反対の署名活動に立ち上がる。
 翌55年、東京と広島で開かれた原水爆禁止世界大会は、56年に長崎でも開催。会場は私が通っていた県立長崎東高等学校の体育館であった。沖縄の代表団が初めて非公式ながら参加し、祖父母が経営する旅館に宿泊された。代表は瀬長亀次郎さんで、警察の監視が厳しかったことを覚えている。私は朝から各社の新聞を買い集め、昼からは国際電報を打ちに走り回った(沖縄はまだ国外)。近所のおばさんたちも、会場のお世話係と、当時は思想信条も団体の区別もなく、自治体あげての大会だった。しかし、まもなく日米安保、ソ連の核実験などを巡り亀裂が生じ、1965年に原水禁が誕生した。


原水禁大会の非核・平和行進(中央が川野議長2014年・長崎)
ただひたすらに行動を
 その後、米国で開かれたニューヨークの「原爆写真展」では、道行く人々に参加を呼びかけたが、多くの人は無視。中には「リメンバー・パール・ハーバー」との声が返ってきた。韓国のシンポでは、日本の植民地政策が非難され、また、北朝鮮では被爆者に対して、何ら補償も援護措置も講じられていないことも言及された。
 2011年3月11日、東日本大震災のテレビを見ながらとっさに、原発のことを思った。3・1ビキニ・デーの際に、静岡の浜岡原発を見てきたばかりだった。刻々と入ってくる被害の状況、迫り来る原発事故の危機。数日後、被爆者団体に集まってもらい、政府等への要望書を作成し上京した。今年はNPT(核不拡散条約)再検討会議が開かれる5年に一度の年であるが、困難はあるにせよ、一歩でも二歩でも前進させて欲しい。昨年12月にウィーンで開催された「核兵器の人道的影響に関する国際会議」に核保有国の米国と英国が初めて参加し注目されたが、日本の佐野利男大使が「人道支援の能力を上げるべき」「もう少し前向きに見るべき」などと発言しひんしゅくを買った。唯一の核被害国と称するなら、本来先頭に立ってリードするべきなのに、米国のお先棒を担ぎ他国の足を引っ張っていては信頼されるはずがない。
 原水禁は「核と人類は共存できない」のスローガンのもと、「核兵器も戦争もない世界の実現を」めざし、ただひたすらに、行動することが大事だと思う。その信念のもとにこれからもがんばろう!(かわのこういち)

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高浜原子力発電所3・4号機の再稼働を許すな!
周辺住民や近隣府県と連携し反対運動進める
福井県平和環境人権センター 事務局長 宮下正一 

原発展示場化する若狭地域
 福井県の若狭地域は、日本でも有名なリアス式海岸で、とても風光明媚な所です。その若狭湾から直線距離60kmぐらいに15機もの原子力発電所が建設されたのです。福井県で原発建設の歩みを始めたのは、1957年4月17日に福井県原子力懇談会が結成されてからになります。そして最初に産声を上げたのは、日本原電敦賀1号機(1970年3月14日営業運転開始)で、関西電力美浜1号機が同年11月28日でした。以来、次々と原発が設置され、現在では15機(1機は、廃炉作業中)にもなってしまったのです。これだけの狭い地域に原発が集中しているのは、世界から見ても数少ない事であり、また、沸騰水型、加圧水型、新型転換炉、高速増殖炉と種類も多く、まるで原発展示場化しています。
 2011年3月11日、忘れてはならない東京電力福島第一原子力発電所の過酷事故がおきました。その後、電力会社の「電気が足りない」との恫喝に恐れをなした政府は、大飯4号機の運転を再開したものの、事故でその原発も運転が止まったのです。以来1年間以上、ただの1機も原発による発電はありませんでした。それでも日本の電気は十分足りていましたし、企業を中心とした省エネは大きく進んだのです。家庭でも照明のLED化や家電商品の省エネ化は一層進められています。
 今後も、人口減少が加速度的に進むと思われる状況にもかかわらず、政府は原発の再稼働を進めようとしているのです。昨年の衆議院総選挙で大勝をした安倍政権は、遮二無二に原発の再稼働と建設を進めようとしており、高浜原発の再稼働が現実のものとなってきました。

大飯、美浜原発へとつながる運動
 福井県における原発建設に反対する運動は、1969年に「内外海地区原発設置反対推進協議会」が結成され、1970年に大飯町において「住みよい町造りの会」、1971年に「原発設置反対小浜市民の会」、「美浜町を明るくする会」、高浜町では「明るい町づくりの会」が結成されて反対運動が、次々と起こされてきました。こうした各地域で激しく闘われた反対運動は、県境を越えて「原発反対若狭湾共闘会議」として発展し、そして1976年7月に「原子力発電に反対する福井県民会議」の運動へと引き継がれてきました。原発が多いだけにその反対運動は、長期にわたるものになっています。
 これから高浜3・4号機の再稼働をさせない運動を大きく進めるためには、その力量などで多くの課題を抱えています。しかし、昨年9月に鹿児島の川内原発再稼働反対集会と一連の行動に参加して「鹿児島と同じ様な闘いは出来ないが、今ある力で最大限がんばってみよう」と決意を固めました。
 現在、次のような運動課題を考えています。

  1. 目の前にある「高浜原発再稼働を止める」について最大限の力で闘い抜く。
  2. 福井ではその次に大飯があり、美浜へと闘いが続くことから、高浜の闘いを次につながる運動にする。
  3. 全ての原発が止まっても原発サイトに残された膨大な「使用済み核燃料」を超長期にわたり、安全に保管・管理させ、巨大事故時に一人でも多くの皆さんが安全に避難出来るようにするための対策を進める。


福島原発事故後初の仏からの
MOX燃料搬入に抗議行動
(2013年6月13日・高浜原発前)
ネットワークを結成し力を束ねよう
 それに向けて、まず高浜原発再稼働反対運動を進めるために、バラバラで闘うのではなく、その力を束ね大きなものにしていくことが必要です。昨年12月6日の「もんじゅを廃炉へ!全国集会」が終わった後に「高浜原発の再稼働を許さない活動者会議」を市民団体の皆さんにも呼びかけて開きました。12月21日にもう一度この会議を行い、高浜の再稼働を止める為にどうしたらよいのか真剣に語り合い、その会議で、お互い連絡を取り合い、情報を共有するために生まれたのが「若狭の周辺住民ネットワーク」です。
 また、1月6日に、原子力発電に反対する福井県民会議、県平和センター、社民党、共産党の代表と事務局長が一堂に集まり、高浜原発再稼働について話し合って、(1)高浜原発の再稼働に反対する。(2)協力して出来ることを追求する。(3)そのための情報交換と話し合いを継続することを確認しました。
 また、京都、滋賀、岐阜、福井が協力して若狭湾に林立する原発の反対運動を出来ないものかと考えています。今回の再稼働を止めることが出来る決め手は、京都府民と滋賀県民から「再稼働反対」の声が湧きあがることだと思います。京都府、滋賀県の皆さんに実情を訴え、反原発運動に立ち上がって頂く事を訴える事が重要です。さらに、労働組合と市民団体、政党がどれだけ連携が組めるかです。闘いは、今まさにはじまりました。皆でがんばりましょう。
(みやしたまさいち)

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見えない新原子力委員会の役割

 昨年、12月16日、原子力委員会設置法の一部を改正する法律が施行されました。福島原子力発電所の事故の後、原子力委員会の在り方ついて議論された結果、委員の数を5人から3人に縮小すると同時に、その役割を原子力の平和利用(軍事利用しないこと)の確保と放射性廃棄物の処理処分などに限るという提案がされました。しかし、設置法の改正では、そのことは明らかではありません。また、施行同日に開かれた原子力委員会定例会議でのやり取りを見ても、新しい委員会が何をしようとしているのか見えてきません。以下、改正の文言と、12月16日の原子力委員会定例会議における山口俊一科学技術政策担当大臣及び岡芳明原子力委員会委員長の発言、そして、在り方見直しのための有識者会議の提案の平和利用関連部分を抜粋・整理しておきましょう。

改正事項
 (年末に施行となった2014年6月27日の改正の主眼は、委員の人数の削減の他は、以下の下線つきの部分を削除するということです。)

(所掌事務)
第二条委員会は、次の各号に掲げる事項(安全の確保のうちその実施に関するものを除く。)について企画し、審議し、及び決定する。
一原子力利用に関する政策に関すること。
二関係行政機関の原子力利用に関する事務の調整に関すること。
三関係行政機関の原子力利用に関する経費の見積り及び配分計画に関すること。
四核燃料物質及び原子炉に関する規制に関すること。
五原子力利用に関する試験及び研究の助成に関すること。
六原子力利用に関する研究者及び技術者の養成及び訓練(大学における教授及び研究に係るものを除く。)に関すること。
七原子力利用に関する資料の収集、統計の作成、及び調査に関すること。
八前各号に掲げるもののほか、原子力利用に関する重要事項に関すること。

山口科学技術政策担当大臣挨拶
 新たな原子力委員会におきましては、原子力行政の民主的な運営を図るとの原点に立ち戻りまして、原子力に対する国民の信頼を回復することを目指していただきたいと考えております。そのためには今後の原子力の研究、開発及び利用の目指す方向とあり方を示す基本的考え方を幅広い意見を聞きながら取りまとめ、実施を担う関係各省に対してしっかりと示していただきたいと考えております。このことは改正法案審議の過程で国会からも求められておりますので、早急に着手していただきたいと思っております。こうした基本的な方向を打ち出しながら、関係各省が原子力の施策を実施する上でのまさに羅針盤としての役割を十分に果たしていただきますようにお願いをして私からの御挨拶といたします。

岡原子力委員会委員長談話
 新たな原子力委員会においては、原子力基本法にある「原子力行政の民主的な運営を図る」との原点に立ち戻り、公正・透明な運営をもって国民の信頼を回復することを目指します。その上で、原子力の平和利用、放射性廃棄物の処理・処分等の原子力利用に関する政策の重要事項に焦点を当てて、国民の目線で取り組んでまいります。また、これまで原子力委員会は網羅的かつ詳細な長期計画や「原子力政策大綱」を作成してきましたが、新たな原子力委員会では、将来を展望する新たな視点から、原子力利用の在り方、そのための研究活動、人材の養成・確保等の幅広い分野を対象とした基本的考え方を策定いたします。この基本的考え方に基づき、必要に応じて今後の取組等に関する提言等を示すことにより、具体的な施策の実施を促していきます。・・・我が国は、引き続き、原子力の平和利用を担保する国際約束を遵守していくとともに、原子力安全や核セキュリティに係る取組を率先して推進し、国際社会における原子力利用について高い水準の安全と核不拡散・核セキュリティを確保する必要があります。・・・

「原子力委員会の在り方見直しについて」
 (有識者会議:2013年12月10日)
(3)平和利用に関する政策について
 我が国が原子力利用を平和目的に限って行うに当たり、プルトニウム利用・管理の透明性の向上のための取組は今後とも重要な事務の一つであり、これを実施する意義がある。平和利用、核不拡散等に係る政策の観点から、ウラン濃縮を含む核燃料サイクル政策等についても独自の立場から意見を言うことが考えられる。
 なお、海外プルトニウムの保管量の確認は、保障措置における国内プルトニウムの保管量の把握と併せ、原子炉の平和目的利用の審査を行っている原子力規制委員会が、原子炉等規制法に基づく報告を徴収することなどにより、法的根拠を有したものとすることが望ましい。
 また、現在、原子力委員会が行っているプルトニウム利用目的の妥当性の確認(将来のプルトニウム利用計画の確認)は、電気事業者等の公表資料をもとに行うのではなく、原子力委員会設置法に基づき、経済産業省、文部科学省を通じて電気事業者等から必要な資料の提出を求めるなど、根拠を明らかにした形での確認とすることが望ましい。・・・
(田窪雅文:「核情報」主宰)

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《投稿コーナー》全国基地爆音訴訟原告団連絡会議の重要な活動
被害根絶に向けて裁判闘争進める
全国基地爆音訴訟原告団連絡会議 事務局長 福本道夫

 私たちが2008年12月に「全国基地爆音訴訟原告団連絡会議」(全国基地連)を結成して6年が経過した。岩国を除き、結成当時進行中だった各地の基地爆音訴訟団は、高裁や最高裁段階で判決が確定した後に新たな組織を立ち上げ、現在、全国6基地の7つの訴訟に約3万7千人の原告が運動を継続させている。

米軍再編と拡大するオスプレイ配備
 2012年7月に山口県岩国に陸揚げされたMV-22オスプレイは、24機が普天間に配備された後、2013年3月からは岩国を拠点として米軍低空飛行訓練空域で訓練を行っている。一方、九州や中国、四国、近畿地方にとどまっていたMV-22の飛来は、2014年7月の厚木・横田を皮切りに、関東、東北、北海道へと拡大した。オスプレイ慣らしの顔見世興行であったことは明らかである。また、空軍仕様のCV-22は、嘉手納、横田のいずれかの基地に配備されるという発表がいつされてもおかしくない状況が続いている。
 「沖縄の負担軽減」を名目に進められてきた在日米軍再編計画は変容し、基地機能及び軍事力がより強化され、爆音被害や軍用機の墜落の危険が全国へ拡大されている。


政府との交渉を行う全国基地連
裁判で国は損害賠償の減額を主張
 全国の爆音訴訟は、2014年5月に地裁判決を得て、同年11月に高裁での審理が始まった厚木基地以外、すべて地裁段階にあり、小松は第23回、岩国・第29回、嘉手納・第14回、普天間・第10回、第9次横田・第8回、第2次新横田・第6回の審理が行われている(2015年1月現在)。その中で、全国基地連の後押しで始まったといえる岩国では、本年2月5日に最終弁論が開かれることになり、注目している。
 全国の基地訴訟では、私たち被害住民の訴えに対し、被告の国は損害賠償の減額に重点を置いた主張をしている。具体的には「昼間の騒音控除論」や「騒音評価コンターを賠償金計算に利用する際は防衛庁方式でなく環境庁方式を採用せよとの論理」といった主張である。
 「昼間騒音控除論」(通勤・通学等で昼間被害地域にいない原告を基準に被害を判断せよとの論理)は、全国の弁護団・原告団で学習会を開催し討議・研究などを行い、2014年5月に下された第四次厚木爆音訴訟の横浜地裁判決では、国の主張は退けられた。また同様に、環境庁方式も採用されなかった。

騒音による健康被害の実態を調査
 小松基地訴訟原告団・医師団・弁護団は「騒音による健康被害調査」を行うため「医学調査班」を組織し、2011年6月~8月に、騒音コンターW70~85(うるささ指数の範囲を表す)の4地区と非騒音地2地区の計676世帯を対象にアンケート調査を実施した。疫学的に有効なこの調査結果は、全国の基地訴訟において十分に活用していく予定である。2010年7月30日の普天間爆音訴訟の控訴審判決において、全国で初めて低周波音による健康被害が認定された。これを受け、厚木では低周波音の測定調査を行い、裁判で立証活動に使われた。また、沖縄では、オスプレイの低周波音について、琉球大学の渡嘉敷健准教授の測定調査が行われ、低周波音が人体にもたらす影響について県民に伝える活動が行われている。

基地被害者や住民との連携強化へ
 全国基地連の活動は、関係省に対し基地被害の解消に向けての要求をまとめて交渉することが中心であったが、政府側の不誠実な対応をどう打ち崩していくかが課題となっている。これを端的に表しているのが2013年6月の防衛省交渉における省側の一方的な交渉打ち切りであった。防衛省側の横暴な態度に問題があることはもちろんだが、私たちの側での交渉や要求の工夫、訴訟当事者を超えた全国の基地被害者・軍用機被害者を結集させた運動が必要になっていることを感じている。
 運動体としての組織課題では、岩国を除き再スタート・再々スタートとなった各地の原告団の勢いの違いや、原告団員の高年齢化があげられる。この状況の打破のため、今まで以上に全国の仲間との連帯を強化し、情報の共有化を密にすることで、各原告団の弱点をカバーしていこうと考えている。また、「被害感を大事にする」ことで、地域の中で原告団の存在意義を確立していくことも必要だろう。
 さらに、全国の低空飛行訓練エリアの被害住民との連携や、基地問題を平和問題として取り組む諸団体との交流をさらに深め、基地爆音訴訟原告団の枠を超えた全国レベルでの闘いに拡げていく必要がある。
(ふくもとみちお)

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各地からのメッセージ
北富士演習場の全面返還を求め運動進める
山梨県平和センター 事務局長  梶原 貴

 山梨県平和センターは1990年の連合発足と共に,旧総評系の労組会議から県内の平和運動を引き継ぐ組織として発足しました。現在,個人会員と10の労組で15,000人の構成員で組織し、「甲府空襲展実行委員会」や「山梨護憲の集い実行委員会」にも参画し、連携する活動も展開しています。主な活動としては5月の山梨護憲の集い(同実行委員会に参画)、7月の「甲府空襲戦争と平和・環境展」(来場2500名)、8月の平和行動inやまなし(連合山梨と共催50名)、敗終戦記念日甲府駅前街宣行動(参加30名)、山梨県平和友好祭・平和の火リレー(100kmに延べ150人参加)、12月の「不戦の誓い」街宣行動(参加30名)です。
 また、全面返還が本県の県是である北富士演習場をめぐる情勢に応じて企画・参加しているものとして「沖縄駐留米軍による実弾射撃訓練の移転演習反対!現地抗議集会」や「米軍オスプレイ輸送機北富士演習場飛来に反対する現地抗議集会」があります(写真)。またその時々の政治状況に対応しての取り組みも行っており、昨年は7月1日に、護憲の集い実行委員会主催の「集団的自衛権行使容認閣議決定反対集会」にも参加し、私たちの訴えを県民に広げていきました。
 さらに、7月の平和センター総会・学習会では、毎年設立の原点に立ち返りながら、私たち自身の活動理念や存在意義を確認すると共に、講師を招いて様々な角度から平和構築の具現化に向けて研鑽を積んでおります。今年度は,地元在住の戦争体験者の方をお招きし、経験された方でないと分からない平和の尊さについてお話を伺いました。今後も,活動を展開する中で、広く県民に認知され信頼される組織をつくり、訴えを広げていく所存です。また、全国の同志の皆様方と手を携えながら、これからも一緒に歩んで参りますので、今後ともよろしくお願いします。
(かじわらたかし)

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〔映画の紹介〕
『荷車の歌』
1959年制作 山本薩夫監督


 全国農村婦人の10円カンパでできあがった映画がかつて異彩をはなった。大手映画資本が敬遠した中、難航を重ね、映画史に輝く『荷車の歌』は出来上がった。独立プロによる映画制作の嚆矢(こうし)である。
 山本薩夫監督、原作は山代巴。舞台は広島県北部の布野と三次。日清戦争の直前から太平洋戦争と戦後の社会まで物語はたどり、農村に生きる夫婦と家族の生活を描く。ありふれた日常を描きながら独特な緊張と光彩をはなつのは主人公で妻役の望月優子と、同じく夫役の三国連太郎の力による。当初は高峰秀子が主演と目されていたが制作過程の事情により実現せず、望月優子がセキ(妻)役を射止めた。姑の冷たい仕打ちに耐えながら夫と一緒に荷車を引くセキが、初めての子をもうける。母になったセキを演じる望月の演技は一変する。これほど自然でこれほど奥行きの深い表現をし得た女優をしらない。三国は身代を大きくすることだけにまい進する夫(茂市)を演じる。「演技しない演技」の三国の真骨頂が画面に緊迫感をあたえる。
 二人の命がけの演技は、この映画を完成させようとする全国農業者の熱意が実ったとしか説明できない。この二人の主演に長女のオトヨ役の左幸子、姑役の岸輝子の名演がつづく。三国自身、山本薩夫監督のこの作品を昭和映画史の記念塔と呼んでいる。21世紀に生きるわれわれに19世紀終わりからの、この国の天地の匂いを教えてくれる映画だ。
 原作者の山代巴(1929~2004年)は、戦前思想犯として長く三次の女子刑務所に収監されていた。弾圧に抗しながら京浜工場地帯で労働運動にたずさわった人だ。山代巴という昭和を生きた一人の女性がなければ、この映画は誕生しなかった。広島県府中市の栗柄(くりがら)という町に生まれ、瀬戸内沿岸地方に興った繊維産業の光と影を見、そして収監された三次地方の冬を体験してこの原作は生まれた。刑務所で出会った年老いた女性の話から原作のヒントを得たと山代は言っている。農村婦人が共感する女の真実がここにある。今一つ、映画で考えさせられることがある。今日よりも、あの時代が活気にあふれ「豊か」であったことだ。街は集落と結びつき、集落の生命力が男と女、子ども達の元気な声に転化している。江ノ川は流れる、ひとびとの汗のように。
(道田哲朗)

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核のキーワード図鑑


あれから50数年 核の危機はなくならない

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オスプレイ反対東日本連絡会が発足

 昨年7月の安倍政権による集団的自衛権行使容認の閣議決定以降、全国各地に飛来するようになっている米海兵隊のMV-22オスプレイに対し、飛行や配備計画を阻んでいくことを目的に、「オスプレイと飛行訓練に反対する東日本連絡会」が1月17日に結成され、東京・連合会館で発足集会が開かれました。
 この間、オスプレイは、(1)イベントなどでの展示(2)防災訓練への参加(3)日米共同軍事演習への参加などの目的で各地に飛来しています。とりわけ東日本では、陸上自衛隊の木更津駐屯地にオスプレイの整備拠点をつくる計画が持ち上がり、さらに東京・横田基地に、米空軍仕様のCV-22オスプレイ配備計画が取りざたされるなど、急展開の様相を示しています。横田基地空域、群馬県上空の提供訓練空域など、巨大な米軍提供空域が拡がる首都圏とその隣接地域で、オスプレイの飛行に対して早急に対策を立てる必要がありました。
 東日本連絡会では、2月中にも外務・防衛省など関連省庁にたいして要請交渉を行い、その後、各地域の自治体に対しても要請を追及していくことにしています。さらに、政府や各自治体の動向を含め、オスプレイの飛行実態や配備についての情報を共有していくための連絡体制を整え、オスプレイの飛行や配備に反対していくことにしています。

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