2015年、ニュースペーパー

2015年04月01日

ニュースペーパー2015年4月






原発のない福島を!県民大集会
 東日本大震災による福島第一原発事故から4年目を迎えた3月14日、福島市「あづま総合体育館」において「2015原発のない福島を!県民大集会」が開かれ、県内外から6500人が参加しました。県平和フォーラムなどさまざまな団体の代表が呼びかけ人となった実行委員会が主催し、2012年から毎年3月に開催されています。実行委員会を代表し、角田政志実行委員長(福島県平和フォーラム代表)が「事故から4年がたったが、収束にはほど遠い。12万人もの人たちが避難生活を余儀なくされ、故郷に戻れるかどうか、先が見えない。このオール福島の集会を原点に、すべての原発の廃炉と被害の補償、生活支援を国と東京電力に求めていこう」と訴えました。トークリレーでは、集会呼びかけ人や農漁業団体、旅館業団体などの代表が厳しい現状を報告し、昨年、福島から高校生平和大使に選ばれた高校生も「原発は正義に反するものだ。故郷をお金で売ってはいけない。命を守るために原発に反対する」と力強く語りました。(写真はあいさつする角田実行委員長)
 翌日は、原発事故による放射能汚染に襲われ、いまだ全住民の避難が続く飯館村で、立ち入り禁止になっている地域や、除染作業で出た膨大な土などを詰めたフレコンバッグの状況などを視察しました。

インタビュー・シリーズ:99
地域に生きる人々の力を引き出す支援を
日本国際ボランティアセンター 代表理事 谷山 博史さんに聞く

谷山 博史さん

たにやま・ひろしさんのプロフィール
1958年東京生まれ。大学在学中からJVC(日本国際ボランティアセンター)にボランティアとして参加。1986年からJVCのスタッフとして、タイ・カンボジア国境の難民キャンプで活動。その後タイ、ラオス、カンボジアの駐在を経て、94年から8年間事務局長を務める。2002年からJVCアフガニスタン代表。2006年11月より現職。2007年より国際協力NGOセンター(JANIC)副理事長兼任。日本イラク医療協力ネットワーク(JIM-Net)理事、イラク戦争の検証を求めるネットワーク呼びかけ人、戦争をさせない1000人委員会呼びかけ人など多数のネットワークに関わる。著書(共著)に、『NGOの選択』、『NGOの源流』(めこん)、『福島と生きる』(新評論)など。

─まずJVCについてご紹介ください。
 1980年2月に設立された国際協力NGOです。東西冷戦下のカンボジアから大量に流れてきた難民を支援するために、タイで組織を作ったのが始まりです。当初は難民支援を行っていたのですが、カンボジア国内が大変悲惨な状況であるということを難民の声を通して知るわけです。そこで、カンボジア国内にも入っていって人道支援を始めました。当時、西側諸国はカンボジアに対して経済制裁をしており、日本も含め国交もありませんでした。ところが難民に対しての援助は西側から殺到していました。なぜかというと、東西冷戦のさなかで、カンボジアを敵とみなし、そこから逃げてくる難民が反社会主義国のキャンペーンに利用されてしまったわけです。
 私たちの活動原理は、基本的に人間の尊厳をいかに守るかということで、政治的な立場に組みしない、必要とされるところには基本的にはどこにでも行くという、政府や既存組織の枠を初めから超えた立場で活動することをスタンスとしていましたから、難民だけに焦点があたるのは不自然なことであると捉えていました。私たちが政治的な立場に組みしないと言っても、紛争のなかでどちらかの立場に立たされる現実にさらされてきたのも事実です。そこで、バランスをとるために、支援の届いていないところに意識的に支援するということをあえて行うようにしました。

─安倍首相のいう人道支援とはスタンスが全く異なりますね
 後藤健二さんの事件について、何が問題だったのかとマスコミから取材を受けるなかで、私は安倍さんが「イスラム国と戦う国に人道支援を行う」と言ってしまったことを問題にしました。紛争状況にある敵対勢力、あるいはその敵対勢力下にある人々から見れば「人道支援というのは名ばかりであって、戦略支援だろう」と敏感に感じ取ってしまいます。そもそも人道支援は政治的に利用されやすく、戦略性を帯びるものなのです。にもかかわらず安倍さんは有志国の側に立って、人道支援を後方支援として使うと、正直に人道支援の戦略性を語ってしまったのです。これは「イスラム国」(IS)に限らず、アメリカの中東政策に批判的なアラブの民衆にとっても決して良いメッセージとはなっていません。
 私たちは人道支援から活動を始めましたけれども、だんだん地域社会、農村社会に入っていって、その地域がそこに住む人びとの手で、しかも自分達が持っている資源で、誇りをもって活用しながら、安定した安心できる社会をつくるための援助に力を入れ始めました。というのも、そもそも紛争や戦争をどうして回避できなかったのかという問題を考えると、紛争に至るまでの過程で政治的に和平の可能性を壊してきたプロセスがあって、その結果、戦争が起こされてしまう現実を見てきました。そこで私たちは、そのように至る前にすべきことはもっとあったはずだと思い始めたのです。
 ただし、地域社会に入ると言っても、社会には何らかの対立の芽がある。外から企業が入り込んでくるときには、その対立を利用して入ってくる。私たちも外から入ってきて、そこの社会を改善しようとしたときに、ともすると同じように社会を壊してしまう。ですから、そこの地域の人たちの力を伸ばすとすれば、対立の芽となるどこの社会でも内在している構造的暴力、権力の偏在だとか、貧富の格差だとかをどう変えていくか。その対立の根っこをなくしていくことによって、地域社会の目的を達成させていく。それぞれが参加できる形で、彼らなりのいい地域づくりができるかどうかということに、私たちは力を尽くしていく必要があると思っています。
 地域社会に入るときには、なるべく外から持ち込まない。そこの社会の人たちが持っている地域資源をそこの住民と一緒に再発見しながら、それをどう活用するかということを第一に考える。地域資源とは、自然だけではなく、そこの地域で展開され適応してきた技術、あるいは知恵、知識、労働力です。人材あるいは歴史もあるかもしれないですね。
 政府開発援助(ODA)などの援助は散々見てきましたが、金さえ、インフラさえ、技術さえ整えれば発展するという考え方は根本的に間違っていると思います。一つの社会にODAが入ってきて、金が入ってきたり、道ができたりすると、入ってくる以上に出ていくものがあるんですね。この出ていくものを開発専門家というのはあまり考えない。外から押しつけた技術や資材などは、地域の人たちのものにはならないのです。それだけでなく失うものも多い。一番わかりやすいのが環境ですね。農業技術の導入で、もともと地域に合った農業体系は失われるわけです。これは地域の基盤を喪失するということです。

─「イスラム国」(IS)の問題をはじめ、イスラム社会の混乱など、アメリカの責任は大きいと考えていますが、このアメリカに追従する日本について、どのようにお考えですか。
 日本の中東政策が、安保政策の転換に伴って大きく変わりつつあります。去年5月にイスラエルと日本の間で防衛協力する共同声明が出され、今年1月にはイスラエルで記者会見をし、「イスラム国」と戦う人々の人道支援を表明した。これはアメリカの側にがっちりと組みするという構造を示すことになる大きな転換なわけです。
 日本は中東でどちらかにも組みすることはしないということを長年やってきたので、中東の民衆の間には欧米と違うという認識がありました。それがいいか悪いかは別にして、中東の石油の関係で国益も絡めて、友好関係を築いてきたわけです。アメリカを中心とした有志連合を支援することをイスラエルの旗のもとで記者会見をするというのは、いかに無神経かということです。
 僕たちにとって、中東の民衆が日本人を色眼鏡で反発を持ってみたら、私たちは入っていきにくいし、安全にも大きな影響を与えるわけです。アフガン紛争の時は、日本はアメリカの戦略の中に組み込まれているとはみなされていなかった。もう少し独自性があるとみなされていた。なぜならば軍隊を派遣していないからです。軍隊を派遣した国は、どんな経済支援をしたとしても軍事戦略の一環であり、政治の思惑でやっているのだろうと、アフガンの人々は見るわけです。
 そしてまた日本に対してはもう一つの期待があった。和平の仲介ですね。包括的な和平協議をセッティングする場合には仲介役が必ず必要なのです。紛争当事者の一方の側は仲介役にはなれません。他国に軍隊を派遣することが普通になれば、仲介役としての可能性がなくなります。これは日本の外交上の損失であり、国際社会の損失でもあります。


JVC の活動地・アフガニスタンの子どもたち

─平和国家として築いてきた信頼を全部崩していく大きな政策転換ですね。安倍首相は非軍事に限っていたODA大綱も、他国の軍隊を支援できるようにしてしまいました。
 とても奇異に感じるのは、「ミレニアム開発目標」(MDG)の次のグローバル目標についていろいろな議論があり、最終的には「持続可能な開発目標」(SDG)に統合される形になってきていますが、それが今年国連総会で決定するわけです。グローバルな国際公約をつくろうとしているときに、それに沿って国際社会のために日本はこういうことができるんだということを打ち出すことが本来あるべきだと思うのです。ところが、今回SDGの取りまとめを待たないうちに、ODA大綱を変えてしまったんです。地球的規模での利益、国際的立場でどう貢献できるか、国際的な公約に向けて自分たちは何ができるか、それをアピールすることによって国際的な信用が高まると私たちは考えますが、SDGを踏まえたODAをアピールすることはなかったわけです。
 一方で何が強調されているかというと、国益です。地球的規模の課題に対しての貢献を全くしないわけではないが、国益・経済成長というものの比重がこれまでよりずっと高くなっている。安倍首相はそれを先に打ち出したかったのだなと感じますね。

日本国際ボランティアセンター(JVC)にあなたも参加しませんか
〇JVC会員募集年会費:
一般…10,000円
学生…5,000円団体…30,000円

〇JVCマンスリー募金
毎月500円から設定できる自動引き落とし募金です。

〇その他ボランティアも募集しています。
詳細はJVCのウエブサイトをご覧いただくか、お電話にてお問い合わせください。
ウエブサイトhttp://www.ngo-jvc.net/
03-3834-2388担当:大村

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後藤健二さんたち殺害事件と集団的自衛権体制
無責任な安倍政権 武力では何も解決されない
ジャーナリスト 豊田 直巳

それは突然のことではなかった
 いま思うと、それは突然ではなかったのだろう。1月20日午後のNHKのBS放送を観ていると、テレビ画面に見覚えのある顔。しかし、その姿は異様ななりをしていた。オレンジの囚人服のようなTシャツを長くしたようなものを被って、隣には黒服の男がナイフを手に、何かアジテーションのようにカメラのマイクに向かう。後ろで結んだ長い髪が丸刈りにされた後藤健二さんに間違いなかった。
 しかし、私にとっても救出劇は、本来ここから始まるべきではなかった。昨年11月頃だったと思う。ジャーナリスト仲間から「豊田さん、後藤さんが行方不明になっている話は聞いているか?」と掛かってきた電話で、彼がシリアに行くと言ったままに「消えてしまって」いたことは知っていたのだから。しかし、その時は10月末に彼が出国したこと、シリアに向かったこと、どこかで連絡が途絶えてしまったこと以外の詳しい事情は、その電話をくれた友人も知らなかった。
 しかし、もう一方で、後藤さんと一緒に冒頭のテレビ画面に写っている湯川遥菜さんの「イスラム国」による拘束事件については、私も少し知っていた。実は私も43名の原告の一人である特定秘密保護法の違憲確認訴訟の裁判報告会で常岡浩介さんの話を聞いていたからだ。常岡さんはイスラム教徒であるだけでなくイラク、シリア、あるいはアフガニスタン、チェチェンの取材経験も豊富。彼は、イスラム学者の中田考さん(元同社大学教授)と一緒に「イスラム国」に向けて出発予定だった。その前日に警視庁公安部外事三課にパスポートや携帯電話、コンピューターを没収されて、出発を阻止されていたのだ。
 常岡さんによれば、彼らは10月前半に「イスラム国」から「入国」の許可を得て、「イスラム国」が準備している「湯川さんの裁判の通訳と立会人」として、一度シリアに入り、しかし、現地の戦闘の激化で湯川さんにも会えずに帰ってきていた。そして、改めて湯川さんの「裁判」に向けて出発しようとしたところ、法の成立後初の適用となった私戦予備・共謀罪で逮捕された北大生の事件に関連しての家宅捜査を受けたと言う。
 この湯川さん救出作戦とも言える常岡さんたちの「イスラム国」行きが実現していたら、その後に後藤さんが「湯川さん救出」にシリアに向かうこともなかったことを思うと、日本政府は「二人の人質救出に何もしなかった」のではなく、その真逆のことをしたと言えるだろう。

外交的手段で解決する道を
 その後は、マスメディアでも報じられているように、後藤さんの妻に「イスラム国」から身代金の要求があり、その情報は安倍政権にも伝えられていた。後藤さんが殺害されて以降、安倍政権は後藤さんたちの拘束相手が「イスラム国」と特定出来ていなかったと言い訳するが、言い訳にもならないことは論を待たないだろう。特定できなくとも「イスラム国」と想定しての対処が要求されていたのだから。
 そればかりか、まるで宣戦布告するがごとくに安倍首相自らが「『イスラム国』と戦う諸国に援助」をカイロで明言する。あとは戦争の論理になってしまったのは、テレビや新聞で報じられたとおりだ。だからこそ、もう一度「戦争当事者たち」は頭を冷やし、暴力を排して交渉のテーブルに着くことを願って、私の参加する日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)は、日本語と英語、そしてアラビア語で声明を発した。(1月20日)「私たちは、暴力では問題の解決にならないというジャーナリズムの原則に立ちます。武力では何も解決されない現実を、取材を通して見てきたからです。『交渉』を含むコミュニケーションによって問題解決の道が見つかると信じます。(中略)私たちは、同時に日本政府にも呼びかけます。あらゆる中東地域への軍事的な介入に日本政府が加担することなく、反対し、外交的手段によって解決する道を選ぶようにと」(JVJA声明より)

安倍政権は交渉窓口を閉ざした
 しかし、安倍政権は交渉窓口を閉ざすことを宣言するかのように、アラブだけでなくイスラムの敵であるイスラエル国旗と日の丸を並べた前に立って「テロ」を非難してみせた。2億ドルを要求する「イスラム国」は、その限りに置いてはテロリストではなく、人質誘拐組織だと言えるのだが、アメリカに言われるままに「テロリストとは交渉しない」というなら、ただ黙って水面下で交渉すればいいだけの話しである。事実、後藤さんの妻から連絡を受けたイギリスの会社はトルコ経由で接触を続けていたという。
 まさに外交という言葉はそうした文脈の中でも生きるものではないのかと思う。もちろん、事件解決後には、その過程は全面公開されなければならない。民主主義を担保するためだ。しかし、まるで日本に外務省など不要とばかりに戦争や力の論理を振りかざす安倍政権は、その結果としての後藤健二さんたちが殺されたことに責任を取るつもりがない。そして、この間の人質事件の対処過程も隠そうとしている。この事件は集団的自衛権とは何か、特定秘密保護法とは何かを、如実にそして象徴的にも物語るものだ。それを許してはならないとあらためて思う。
(とよだなおみ)

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沖縄・辺野古新基地建設に反対する
平和と民主主義の闘い、将来を誤るな!
フォーラム平和・人権・環境 事務局長 藤本 泰成

 沖縄では昨年1月の名護市長選挙から何度も選挙を繰り返し、そのたびに辺野古への新基地建設に反対の声を上げ続けてきました。しかし、建設推進の政府の方針は変わりませんでした。米海軍の新基地建設に反対するカヌー隊に参加している芥川賞作家の目取真俊さんは「私たちの声はヤマトゥ(本土)には届かない。残された手段は、もう工事を直接止めるための行動しかない」と述べています。

海上保安庁の暴力的姿勢 「いつか死者が出る」
 辺野古の海ではカヌー隊の抗議活動に対して、海上保安庁による「確保」という名目の暴力的な排除が、毎日のように繰り返されています。カヌーを転覆させたり、波の高い4キロもの沖合へ曳航し置き去りにしたりする無謀な嫌がらせ、頸椎ねんざや肋骨骨折などのけが人も出る事態が続いています。翁長雄志県知事や稲嶺進名護市長などが過剰警備の中止を要請していますが、海保に耳を貸す姿勢はありません。沖縄タイムスは2月3日に「いつか死者が出る」とする記事を掲載しています。
 キャンプ・シュワブ前の抗議行動においても、山城博治沖縄県平和運動センター議長が、抗議する市民らを整理している中、通路上に引かれた基地内を示すラインをわずかに越えたとして、日米安保条約6条を根拠とした刑事特別法によって一時拘束されるなどの事態がおこっています。また「県民同士が対立している状況に苦しむ職員もいる」との声が上がっています。
 中谷元防衛大臣は、3月3日の予算委員会において、埋め立ての本体工事の開始は「可能なら夏ごろ」と表明し、3月12日には半年ぶりにボーリング調査を再開しました。翁長知事は「県民に対して説明がない中で物事を進めており、許せない状況だ」と発言しています。「沖縄県民の理解を得ながらすすめる」としていた辺野古新基地建設は、沖縄県民の理解どころか、声を全く無視し、一方的に進められています。
 翁長知事は首相や防衛相に話し合いを求めていますが、中谷防衛相は「会ってより対立が深くなるなら意味がない」と述べています。対立があるなら議論しない、話は聞かないというのが民主主義でしょうか。政治のあり方でしょうか。「社会で一番大事なのは民主主義のはず。県民の民意を否定して、その民主主義を壊すつもりか」とは、海軍兵士として出征し、左の太ももから腰まで貫通する重傷を負いながらも九死に一生を得て、戦後、辺野古の地で子どもを育ててきた「嘉陽のおじい」こと嘉陽宗義さん92歳の怒りの言葉です。


辺野古沖で新基地建設作業のため
設置されているクレーン船(2月15日)

サンゴや魚などに大きな影響 許可取り消しも視野
 沖縄防衛局が辺野古沖にフロート(浮具)などを設置するため投下した巨大コンクリート・ブロックがサンゴ礁を破壊していることが発覚したのを受け、沖縄県はボーリング調査に必要な岩礁破砕許可の取り消しも視野に調査を進めています。菅義偉官房長官は「この期に及びアンカーの大きさなどを指摘すること自体、遺憾だ」と不快感を示したと報道されていますが、そもそも45トンものコンクリート塊がアンカー(錨)と呼べるものなのでしょうか。
 辺野古周辺の海域は、珊瑚礁の海でありジュゴンを含めて希少な自然の残る地域であることはまちがいありません。一度消えた自然は元に戻りません。サンゴ礁の破壊の問題に対してアンカーの大きさを云々するのは「遺憾」だとする政治家の姿勢にこそ問題があります。自然保護の専門家は「基地が建設されれば、湾内の潮流が変化する可能性がある。埋め立てに使われる土砂の影響も懸念される。周辺に生きるサンゴや魚などに大きな影響が出るのではないか」と指摘しています。
 「防衛相発言対話拒むなら移設撤回せよ」(琉球新報3/15)、「辺野古掘削続行極まった政権のおごり」(沖縄タイムス3/14)、「辺野古調査強行民意となぜ向き合わぬ」(東京新聞3/13)、「沖縄との対話首相側から呼びかけを」(毎日新聞3/14)、「作業を止めて対話せよ」(朝日新聞3/14)など、多くのメディアが政府の姿勢を批判しています。
 沖縄県は、今年1月、仲井真弘多前知事が政府の埋め立て申請を承認した過程を検証する第三者委員会を設置しました。検証の終了までの調査中止を防衛省に要請しています。辺野古新基地建設は、前知事の承認は得ましたが、現知事と県民の承認は得ていないのです。
 政府の姿勢はまさに傲慢です。傲慢とは「人を見下して礼を欠くさま」で、傲という漢字は「人」と「死者を叩いて壊す」という組み合わせ、相手の首をはねて「どうだー」と胸を張ることを表しています。市民社会が、権力に負けることはできません。辺野古の闘いは、日本の平和と民主主義を守る闘い、私たち自身のための闘いであることを忘れてはなりません。
(ふじもとやすなり)

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見通しが不明なTPP交渉の行方
各国で高まる反対の声 「漂流」の可能性も

 環太平洋経済連携協定(TPP)交渉は、来年のアメリカ大統領選挙までのスケジュールからすると、今年の夏前には交渉の協定案の成立が必要であり、そのため3月中に各国の閣僚合意が前提となっていました。しかし、閣僚会合は早くても4月以降と言われており、スケジュールはすでに大幅に遅れています。その原因と今後の見通しを考えます。

医薬品の特許と国有企業問題でマレーシアが抵抗
 TPP交渉で合意がとれない分野は「知的財産権」と「国有企業」の問題で、どちらもマレーシアが絡んでいます。マレーシアの公立病院の多くはジェネリック薬を使っています。ジェネリック薬は、医薬品の特許が切れた後に、同じ効能をもつものとして製造・販売された安価な医薬品です。医薬品の開発には長い期間と多額の資金が必要なのに対し、ジェネリック薬は短期間に作れるので、コストを安く抑えることができます。かつてエイズ治療薬は高額でしたが、ジェネリック薬によって患者を救えるようになりました。
 アメリカの薬品メーカーは、利潤を得るため、薬の特許に関わる知的財産権を強めて、ジェネリック薬を作りにくくしようとTPP交渉で画策しています。以前、マレーシアはアメリカとの自由貿易協定の交渉を行ってきましたが、2007年に決裂しました。その時も薬の価格問題と書籍の著作権がネックになりました。
 これは日本でも問題となっています。3月9日に都内で開かれた「TPPを考えるフォーラム」で福岡県歯科保険医協会の杉山正隆副会長も「国民皆保険制度によって、国民はいつでもどこでも医療に自由にアクセスできる。
 政府は表向きこの制度を堅持すると言うが、TPPによってこれが実質的に崩壊する」として、ジェネリック医薬品が普及しにくくなることと、「診断・治療・外科的方法」が特許保護の対象である米国ルールが導入される恐れがあることを指摘しました。
 さらに複雑なのは国有企業の問題です。「マレーシアの経済は、石油の輸出で稼いで、公共事業に投資を行い人々の所得につなげるという、典型的な開発型経済」(マレーシアのジャーナリスト)となっています。その中でも、国民の3分の2を占めるマレー系民族の国有企業に対して優遇措置をとり、その見返りに選挙で票を稼ぐという構造が作られてきました。その構造にアメリカはTPPで切り込もうとしています。政権の基盤を壊す恐れのある協定には簡単には応じられないのがマレーシア政府の姿勢です。


TPPを考えるフォーラムで反対意見が相次いだ
(3月9日・東京ウィメンズプラザ)

交渉権限を米政府に与える法の成立がカギに
 一方、アメリカでは「大統領貿易促進権限」(TPA)法案が暗礁に乗り上げています。これは、本来は議会が持っている通商交渉の権限を一時的に政府に与えて、交渉結果について議会は賛否のみを行うことを定めたものです。この法案が成立しなければ、交渉が合意しても米議会で内容を変えられる恐れがあり、他の交渉国は米政府を信用して交渉することができません。
 TPP阻止国民会議の事務局長で元衆議院議員の首藤信彦さんの分析では、いま同法案の最大の障害は日本をターゲットとした「通貨操作禁止条項」を盛り込むか否かという点にあります。産業界の要請もあり、アメリカ議会ではこの条項への支持が高まっています。通貨安を誘導する国家からの貿易には特別関税をかけるという条項は、円安をてことして輸出拡大を進めようとしている安倍政権の政策と対立するもので、日本政府も警戒感を露にしています。
 さらに、米民主党の最大の支持組織である労働組合が全面的に反TPPの姿勢を打ち出してきています。ナショナルセンターの「米国労働総同盟・産業別組合会議」(AFL-CIO)など60の主要労働組合が3月に上下両院議員に、TPPは米国の雇用を減らして賃金を下げ、中流階級を衰えさせると公開書簡を送り、ロビー活動を行っています。これは、米国がこれまでメキシコなどと結んできた北米自由貿易協定(NAFTA)などの結果、雇用や労働条件が悪化してきたことに基づいています。このような労働組合の一斉行動は民主党の議員に強い圧力となっています。
 オバマ政権がこれまでTPA法案を成立させてこなかったために、TPP協定合意とTPA法案成立とが時間的に重なり、両方に反対する議員に加えて、貿易促進のTPPには賛成しても、オバマ大統領に特権を与えるTPAには反対という共和党議員がいるなど、米議会は混迷を深め、長期にわたって膠着する可能性も否定できません。
 さらに、米国でTPP反対の運動は各州・各自治体にも広がりつつあります。他にニュージーランドやオーストラリアでも反対運動が活発化しており、TPPがこのまままとまらず、長期にわたって「漂流」する可能性が高まっています。
(市村忠文)

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原水禁発足50 周年に思う(3)
「核絶対否定」の思想をひとり一人の行動原理にしよう
原水爆禁止日本国民会議 元事務局次長 井上 啓 

 「核は軍事利用であれ、平和利用であれ、地球上の人間の生存を否定するものである、と断ぜざるをえないのであります。核と人類は共存できないのであります」、「共存できないということは、人類が核を否定するか、核が人類を否定するかよりほかないのであります。われわれは、あくまで核を否定して生き延びなければなりません」、「『平和利用』という言葉にまどわされて『核絶対否定』をためらっていたら、やがて核に否定されるでありましょう」、「くりかえして申します。『核分裂エネルギーを利用する限り、人類は未来を失うであろう』と。「人類は未来を失ってはなりません。未来の偉大な可能性を確保しなければなりません」、「人類は生きねばなりません。そのためには『核絶対否定』の道しか残されてはいないのであります」。
 これは、ご承知の通り、1994年1月に亡くなった、原水禁元代表委員の森瀧市郎さんが被爆30周年原水禁大会で高らかに宣言した「原水禁テーゼ」です。

「人類は生きねばならぬ」との森瀧さんの信念
 私が最初に原水禁運動に出会ったのは、1960年、高校2年の時でした。安保闘争の渦中に身を置きながら、第6回原水爆禁止世界大会の高校生分科会に参加したのが最初でした。翌年、友人に誘われて日本原水協の世界大会のアルバイト。1年浪人して大学入学後は学生新聞運動の共同デスクスタッフとして大会を取材し続け、63年の夏、日本原水協の「いかなる国の核実験にも反対する」かどうかを巡る論争の末、分裂し、広島平和公園前での混乱に涙したものでした。
 翌64年、原水禁運動の正常化を求めて結成された被災3県(広島、長崎、静岡)連絡会議が原水禁大会を開催し、その全国への訴えを基本に65年2月1日、原水禁国民会議が結成され、被爆20周年原水爆禁止世界大会を主催し、今に至る道を踏み出しました。残念ながら私はこの時期の動きにはタッチしていませんが、66年になって、大学を卒業できないまま卒業後の道を探っていた私に、結成時から原水禁事務局員として活動していた高校時代の友人から、後事を託される形で事務局入りを進められ、同年9月から原水禁事務局が置かれていた参議院会館の社会党控室に通うようになり、以来23年間、仕事をさせていただくことになりました。
 結成とともに代表委員に就任した広島の被爆者であり、哲学者である森瀧市郎さんは、63年の分裂の原因を教訓とし「系列化・固定化は絶対望むところではない。真に被爆地から被爆者の心に立って起こる運動であれば、いずれの側のものでもなければ、いずれの国につくものでもなく、生きんとする人類すべてをつなぐ運動たりうる」との信念を語り、原水禁運動の立ち位置を示されました。

原発立地地域住民の反対運動と強く連帯
 それから10年、冒頭の「テーゼ」は、この立ち位置と「人類は生きねばならぬ」との信念から導き出されたものといえます。時あたかも、ベトナム戦争の最中で、原水禁運動も被爆者援護法制定活動と共に、米軍基地問題、原子力潜水艦寄港問題、沖縄問題、そして原子力発電所・再処理工場問題を正面から取り上げねばならない状況にありました。とくに原発問題は、その製造され蓄積され続ける「死の灰」、放射能の本質的危険性から、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニのヒバクシャ救援の対極に位置し、核兵器と共に人類の生存を脅かすものと捉えられ、立地地域住民の反対運動と強く連帯することとなりました。
 反原発運動への取り組みは、沖縄核基地問題や太平洋非核化運動、核実験反対運動、ビキニを始めとする核実験被害者救援と世界核被害者大会の実現など、国際的にも多くの協力者を得て、大きな連帯の輪を作ることになったと思います。
 原水禁運動の「統一」の動きは、世界的な平和軍縮運動の高まりと、78年の第1回国連軍縮特別総会をめざした署名運動を契機に強まり、77年の唐突な「5・19草野・森瀧合意」によって、これまで独自の集会などを続けてきた「市民団体」を糾合しての「統一世界大会」が共同開催されることになりました。原水禁国民会議の存在を公式に認めない当時の原水協との協議の場は友好的とはほど遠いものでしたが、78年、81年の国連軍縮総会に向けての共同代表団の派遣活動と、7年間続いた「統一世界大会」では、「森瀧テーゼ」を基本に対応し、最後まで原発問題での合意は得られないまま、原水禁は独自の大会を続けることで今日の地歩を維持することができたと考えています。
 86年、チェルノブイリ原発事故とともに「統一世界大会」が終焉したことはきわめて象徴的でした。対立しながらも、ともに席についてきた原水協の幹部が個別課題での共同行動を模索し始めた途端、解任されるという事態は予想だにしませんでしたが、原水禁の立ち位置の重要性を改めて示したといえます。
 私は89年に事務局を辞することになり、原水禁運動とは位相の異なるジャンルでの社会運動に携わることになりましたが、3・11東日本大震災と連動して起きた福島原発事故を目の当たりにし、「森瀧テーゼ」を改めて深く心に刻み込み、ビキニ被災61周年、被爆70周年の今年、「核絶対否定」の思想を人類普遍の思想とし、核エネルギー利用の禁止に向けた協同をつくりあげる一助を担えれば、と考えています。
(いのうえひらく)

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NPT再検討会議に向けて
変わらぬ核兵器国の姿勢 ―成功の鍵は市民社会と非核国
NPO法人ピース・デポ 事務局長代行 塚田 晋一郎

 2015年核不拡散条約(NPT)再検討会議の開幕(4月27日)まで約1か月となった。前回、2010年再検討会議の最終文書に「核兵器禁止条約」の文言が初めて登場してから5年となる。しかし、核兵器国による核軍縮は遅々として進まない。現状を打破するためには、核兵器禁止条約や枠組み条約などの、核兵器を禁止・廃棄するための法的枠組みの交渉開始が必要である。その機運を高めるための非核兵器国と市民社会の行動が、いま問われている。

核兵器国の「P5 プロセス」 核軍縮の進展なし
 今年2月4~5日、ロンドンにおいて、NPT上の5核兵器国(米国、ロシア、英国、フランス、中国。「P5」と呼ばれる)は、「2010年NPT再検討会議における誓約の進捗について評価するため」に会議を行った。2月6日に発表された共同声明は、「核軍縮の停滞」という現実をかえって浮き彫りにした。
 P5がNPT再検討会議や準備委員会の前後に開催してきた一連の会議プロセスは「P5プロセス」と呼ばれている。P5プロセスは、2008年に英国のデス・ブラウン国防相(当時)が他のP5諸国に呼びかけ開始された。
 これまで、09年から14年にかけて、英国、フランス、米国、ロシア、中国の順に主催し開催されてきた(NPT再検討会議があった2010年は開催されず)。
 ロンドンP5会議は、2010年合意の核軍縮義務の履行状況がどのように報告されるかが最大の関心事であった。NPTのコンセンサス・ルール(全会一致)の下でP5も同意し採択された2010年最終文書「行動5」に盛られたP5への7項目の履行勧告の概要は、以下のとおりである(ピースデポ・ブックレット「2010年NPT再検討会議―市民社会からの総括」に全訳)。
 a.速やかな備蓄核兵器の総体的削減。/b.種類や場所を問わないあらゆる核兵器の問題への対処。/c.軍事・安全保障ドクトリンにおける核兵器の役割の低減。/d.核兵器使用の防止および究極的廃棄につながり、核戦争の危険を低下させ、核兵器の不拡散と軍縮に貢献しうる政策の検討。/e.核兵器システムの作戦態勢の緩和。/f.核兵器の偶発的使用の危険性の低下。/g.透明性および相互信頼の向上。
 そして「核兵器国は、上記の履行状況について、2014年の準備委員会に報告するよう求められる。
 2015年の再検討会議は、第6条の完全履行に向けた次なる措置を検討する」とされている。これに対し、5年後の現在、P5の姿勢はどうなったか。P5ロンドン共同声明は、次のように述べた。「ステップ・バイ・ステップ(漸進的)アプローチは、核兵器のない世界の達成に向けた現実的かつ実際的な唯一の道筋である」、「核軍縮の更なる展望を論じるにあたっては、グローバルな戦略的安定性に資するすべての要素を考慮することが求められる」。これらは、P5の従来の姿勢の繰り返しであり、核軍縮が停滞を続けていることを表している。

法的枠組み追求に賛同を
 2014年のNPT準備委員会では、新アジェンダ連合(NAC)が作業文書を提出し、NPT第6条に基づく、核兵器の禁止・廃棄のための法的枠組みの諸オプション(検討すべき法的枠組みの可能性)を初めて提示した。そして、14年準備委員会の議長勧告は、「明確な達成基準や時間軸をともなう」、「包括的で、交渉された法的拘束力のある枠組み」に言及した。以降、市民社会からもいくつかの法的枠組みに関する提案がなされている。
 2010年のNPT最終文書では、(1)核兵器の非人道性、(2)核兵器禁止条約などの核兵器禁止・廃棄の法的枠組みの必要性、の2つの重要なテーマが初めて明記された。5年が経った現在の核兵器国の姿勢は、(1)については若干の留意がなされているものの、実質的に「核兵器のない世界」へと歩み出すプロセスの入口となる、(2)については、依然として議論をすること自体を回避するというものである。
 核兵器国と非核兵器国の間の対立構造の激化は、結果として核兵器のない世界をさらに遠方へと追いやりかねないことにも留意しつつ、このような共同声明が発出されたいま、来たるNPT再検討会議に向けて、核兵器国に具体的行動を迫る非核兵器国や市民社会の圧力を強めることが求められている。
 核兵器の非人道性に関する共同声明や国際会議を通して推進されてきたアプローチは、核兵器国も言及せざるを得なくなるだけの影響力を持つまでに至っている。
 14年12月の非人道性に関するウィーン会議を主催したオーストリアは、同会議において、すべてのNPT締約国が法的枠組みを追求することを求める「オーストリアの誓約」を発表した。同国は、同様の文書をNPT再検討会議に提出するために、1月中旬からすべての国連加盟国に賛同を求めている。これに対し日本は、米国からの不賛同の働きかけを受け、賛同しない方針を固めたと報じられている(3月13日付・共同通信)。
 「唯一の被爆国」である日本の行動が国際社会に及ぼす影響は大きい。日本政府が賛同するよう、私たち市民は粘り強く求め続けていく必要がある。
(つかだしんいちろう)

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日本のプルトニウム
英国で急増の怪


2013年末日本のプルトニウム保有量(単位kg)

 2014年9月16日の原子力委員会定例会議で、同委員会事務局(以下事務局)は2013年末の日本の保有プルトニウムが2012年末の約44トンから約47トンへと約3トン増えたと報告しました。この内の純増は、日本の使用済み燃料の再処理が2004年に終わっていたはずの英国で急に増えた2.3トンです。国際原子力機関(IAEA)の数え方でいうと核兵器300発近くになる量の増加がなぜ生じたのか会議では明確にされておらず、3人の委員のうち会議でただ一人質問をした阿部信泰委員長代理は状況を誤解したままに終わったようです。以下、2013年のデータを整理した後、英国における純増の意味を考えてみましょう。

2013 年の増減の整理
 3トンの内分けは、国内分640kgと英国分約2.3トンです。2012年末と2013年末の日本のプルトニウム保有量の比較は若干複雑です。国内分の増加は、2011年に玄海原発3号炉に装荷した混合酸化物(MOX)燃料に含まれるプルトニウムから来ています。装荷したからということで政府の報告から姿を消していた640kgが使われないまま3月に取り出されたのを受けて「増加」として報告されたということですが、元々、保管量として示すべきだった数字が復活しただけで実質的に増えたわけではありません。6月にはフランスから高浜原発に901kgのプルトニウムを含むMOX燃料が送られましたが、これは場所が変わっただけで日本の保有量はそのままです。一方、ドイツが英国にある自国のプルトニウム650kgを日本所有に移し、フランスの日本所有の同量をドイツ所有に移すスワップを希望し、これが実行されました。帳簿上日本のプルトニウムの英国保管量が増え、フランス保管量が減った勘定ですが、日本の保有量上の変化はありません。要するに、純増は英国における「追加割当て」2.3トンだけです。


日本のプルトニウム保有量(単位kg)

三つの疑問
 会議の録音を聞いていて起きた疑問が三つあります。
 1)この2.3トンの純増の意味について委員・事務局・記者諸氏は理解したかどうか。2)2004年以後基本的に変化のなかった英国分が急に2.3トン増えたのなら、今後さらに増える可能性はあるのか。3)政府は、この2.3トンの追加割当てを予想していながら再処理政策を巡る議論の中で意図的に触れなかったのか。
 事務局の説明はこうです。「英国の再処理施設のほうで処理が進んだことによりまして、25年内に新たに約2.3トン、日本に返還予定のプルトニウムというものの割り当てと申しましょうか、保有量の追加が行われたというふうに聞いております」。「ということは、イギリスの再処理工場はまだ動いているということですかね」との阿部委員長代理の質問に対する答えは「イギリスの再処理工場はまだ稼働しております」というものでした。
 この後の発言から見て、阿部委員長代理は2013年に日本の使用済み燃料が再処理されて2.3トンのプルトニウムが分離されたと理解したように思われます。代理の発言に基づく間違った報道もありました。

知っていても知らなくても問題の英国分追加
 英国側の記録から日本の使用済み燃料は2004年に終わっていることが分かっています。しかし、顧客へのプルトニウムの「割当て」は物理的再処理の時期とは関係なく行われるため、2013年に追加があり、その結果英国保管の日本のプルトニウムの増加が生じたという訳です。阿部知子議員事務所を通じた事務局との複数回のやり取りの結果、英国では日本分の割当て量がさらに約1トン残っていることが判明しました(フランスでは残っている追加割当て分はないとのことです)。これまでの再処理政策を巡る議論の中でこの合計約3.3トンの追加割当てがあると原子力委員会や経済産業省が明らかにしてなかったのはなぜでしょうか。例えば、2013年5月2日の原子力委臨時会議で核情報が示した上のグラフについて、近藤駿介委員長(当時)が次のように述べたとき3.3トンは意識されていたのでしょうか。「グラフにありますように・・・ようやくピークを打って保有量が下がり始めた・・・どんどんふえると表現されるけれども・・・いずれ下がることになることは、このことからも想定できる。」プルトニウム「需給」に関するデータを意図的に隠していたのか、明確に把握していなかったのか。どちらにしても問題です。原子力の平和利用の確保を主要な役割とするはずの原子力委の事務局には割当て問題について即座に答えられる人はいないようでした。電力会社側が知っていたことは間違いありません。
(田窪雅文:「核情報」主宰)

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《投稿コーナー》国際社会と日本の歴史認識
歴史の真実は黙っていては与えられない
韓国・アジア平和と歴史教育連帯 共同運営委員長 梁 美康(ヤン・ミガン)

物議を醸したシャーマン発言
 去る2月27日、米国国務省のウェンディ・シャーマン国務次官はカーネギー国際平和研究所のセミナーにおいて、第二次世界大戦の終戦から70年を迎え、東北アジア地域内の歴史認識問題が深刻化していることに懸念を示した。彼女は日本軍「慰安婦」問題、歴史教科書問題、海の名称(訳者注:韓国では「日本海」のことを「東海」と呼称している)などに関する摩擦について「理解はできるが失望している」と話した。そして現在の東北アジア地域内における摩擦の原因は政治指導者が民族主義を利用し過去の敵を批判することで「安っぽい喝采」を得ている現実にあると把握しており、このような挑発は前進ではなく麻痺を生むと発言した。
 彼女の発言は韓国において大きな波紋を呼んだ。朝鮮半島の専門家として米国国務省ナンバー4の地位にあるシャーマン国務次官の発言を、第2期オバマ行政府における対東アジア政策の変化を意図するものとして捉えたためだ。ヒラリー前国務長官が日本軍「慰安婦」問題について「戦時性奴隷」と強い語調で批判したこととは異なり、その発言のレベルは大きくコントロールされた。
 シャーマン国務次官の、双方を非難するような発言は、戦後70年を迎え東アジアの歴史認識問題がますます迷宮に入り込んでいるという米国の認識が下地となっている。米国は日米同盟を通じてアジアでの覇権を維持しなければならないのだが、歴史認識問題によって日本が足首を掴まれアジアにおける役割をまともに果たせていないことに対する懸念の表現であるというわけだ。
 シャーマンの発言にも全く一理がないわけではない。民族主義を国内政治に利用している韓国と中国の事例がないわけではない。しかし、日本も同じような状況ではないだろうか?彼女の指摘する東北アジア地域の協力と和解は必ずや実現されなければならないものだ。しかしそれは、過去に蓋をするのではなく、再びこのようなことが起きないように、原因を作った日本が相手の立場から問題解決に向かって動き出した時に可能となる。

ドイツが示した和解への道
 東アジアの歴史認識問題を眺めるにあたって、また違った視角がある。ドイツのメルケル首相だ。3月10日、戦後70年を迎え第二次世界大戦の戦犯国であるドイツの現職首相としてメルケルが発言した内容は、歴史問題が盛り込まれた率直な表現であった。ドイツが起こした戦争に対して被害国が与えた寛容を挙げ、ドイツは過去の歴史と正面から向かい合ったと強調した。
 被害国との和解を果たす過程はドイツにとっては歴史の過誤を認める道であり、その道のみが和解のための前提であるという。既に彼女は首相就任後の2007年9月、国連総会の場においてドイツの犯した過ちについて国際社会に繰り返し謝罪している。2008年3月にはイスラエルを訪問し、議会演説を通じて、ホロコーストはドイツにとって最大の恥辱であったということを公にかつ明確に話した。
 過去の歴史に関するメルケル首相の発言の数々は、ドイツ人としては苦痛であっただろう。しかしその発言には、なさねばならない正しい道であったという内容が込められている。日本の高級官僚たちは絶えず「ドイツと日本を比較することは正しくない」という。しかしどんなに状況が違うとしても歴史の真実から顔をそむけることは出来ない。和解のための加害国の努力が先行し、その次に被害国の寛容があって初めて真の意味での歴史認識問題の解決がなされるという点は変わらないからだ。戦後70年となる今年8月、日本の安倍首相は被害国の寛容を引き出すことのできる談話を発表するだろうか?


 中学校教科書採択の日韓円卓会議
(2月28 日・上智大学)

次世代のための歴史教科書を!
 2015年、韓国と日本は歴史のこじれた糸を解かなければならない。戦後70年、日韓協定締結50年を迎える今年、日本では中学校用教科書の検定が行われる。もつれにもつれた糸を解いていくためには、次世代のための教育がしっかりと行われているか注視しなければならない。
 シャーマン国務次官とメルケル首相の発言を通じて、わたしたちは日本の歴史認識が決して韓国と中国にだけ該当する問題ではないという事を考えさせられる。この問題を解決するために、わたしたちは国際社会の関心と支援を強く訴えていかなければならない。3月の教科書検定から8月の採択まで、韓国と日本の市民団体は国際社会が求める基準にあった教科書を検定し選択することのできるような前提を作っていかなければならない。歴史の真実は黙っていては与えられはしない。わたしたちの苦労と努力の分だけ成し遂げられるのだと思う。
(訳:朴承夏)

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各地からのメッセージ
全国の運動に刺激を受けて広範な取り組みめざす
護憲・原水禁千葉県実行委員会 兼古 博行

 千葉県には、平和運動センターなど、労働団体等が加盟した平和共闘組織はなく、社民党が事務局となり平和フォーラムや原水禁、護憲大会等への参加を呼びかける「大会派遣実行委員会」として取り組みを行っています。
 例年3月に行われるビキニ・デー集会へ2009年から参加し、全国の運動に刺激を受けながら、この年を境に原水禁や護憲大会以外の運動にも取り組むようになりました。以降、護憲・原水禁千葉として「核兵器廃絶1000万署名運動」に向けた講演会を開催し不十分ながら署名活動を行いました。また、20数年ぶりに5.15沖縄平和行進の取り組みも始まり、2009年に参加者2人を送り、昨年は9人へと徐々に増えてきました。また東電福島第一原発事故以降、フクシマ集会への取り組みは、市民運動の方々、県内各地域、労組等からバス2台を仕立てて参加してきました。
 さらに2004年に学者、文化人、弁護士等の呼びかけ人により、「憲法9条を世界へ、未来へ千葉県実行委員会」が結成され、春と秋に「憲法学校」を開催しています。「憲法学校」は今年で12年目を迎え、憲法記念日の5月3日に朝日、毎日、東京の3紙に「意見広告」を掲載します。
 昨年は、平和フォーラム、関東ブロック連絡会の援助の下、「フクシマ連帯キャラバン」を行い、千葉県や野田市、鎌ヶ谷市への要請、駅頭宣伝、「憲法学校」で報告を受けるなどに取り組み、新聞でも取り上げられました。(写真)
 最近では、木更津市にある陸上自衛隊駐屯地がオスプレイの整備基地になるという動きがあるなか、現地で学習会も行い、2月2日には神奈川平和運動センター等が取り組んだ基地調査団やオスプレイの配備問題での申入れにも参加しました。また、昨年9月、「再び戦争をさせない千葉県1000人委員会」が、約380人が結集するなか発足しました。あわせて県内の3市で1000人委員会が発足しています。
 護憲・原水禁千葉の運動は小さく単発的であり、およそ継続性のある大衆運動と言える状況にはありませんが、平和フォーラムへの加盟を維持しながら運動を広げていくことが課題です。
(かねこひろゆき)

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〔本の紹介〕
『戦前外地の高校野球』
川西 玲子著 彩流社 2014 年刊

 長いストーブシーズンが終わり、センバツ高校野球、そしてプロ野球のシーズン開幕となりました。また数々の熱戦でテレビの前に釘付けとなる日々が始まります。とはいっても、辺野古新基地建設、安保法制、原発再稼働など、安倍政権との熱い闘いにも万全のシフトを敷かなくてはなりません。というわけで野球ファンとして、歴史をひもとき、学習をしようと手に取ったのが『戦前外地の高校野球』。
 日本における野球の歴史は古く、発祥地であるアメリカで野球が発明されてから、四半世紀余りの明治初期にはすでに日本に紹介されています。高校野球も、夏の甲子園大会が始まったのが1915年(大正4年)です。
 すでにこのころは、野球は国民的娯楽として大人気を博していました。
 そしてアジア・太平洋戦争を迎えるころには、野球は敵国スポーツとして弾圧され、沢村栄治をはじめとする名選手が召集され戦場に散っていく・・・と、ここまでは野球に精通している方なら常識の類でしょう。
 しかし戦前に、台湾、朝鮮、満洲で、日本の高校球児と同様、甲子園をめざして青春の汗と涙を流していた球児たちがいたことはあまり知られてはいません。本書はこの外地での高校野球の実情について歴史をさかのぼり、日本の海外侵略の歴史とともに、台湾・朝鮮などに野球が波及し、日本人のみならず現地の人々ともども熱狂し、それぞれの地域に根付いていく様子がまとめられています。
 球児たちの多くは入植した日本人ですが、さまざまな民族によるチーム構成を作り上げた学校も少なくありません。その代表格は台湾の嘉義農林高校でしょう。日本人、漢民族、台湾先住民族で構成されるチームが甲子園に出場し、決勝まで進んでいったのです。
 甲子園をめざす各地の高校野球部の勝敗についてページの大半を費やし、満鉄などの企業が野球に関わっていく様子などをところどころに織り込みながら、実に淡々と叙述しています。しかし本書の最後で、戦局の悪化とともに野球排撃の機運が広がっていき、戦没する元球児たちが描かれていているところでは、前半部分の記録集を読んでいるような淡白さがあっただけに、涙を誘います。日本の植民地政策の分析に深入りしないところはありますが、埋もれてしまった歴史に再び光を与えた点を評価したい一冊です。
(近藤賢)

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核のキーワード図鑑


ドイツと日本、この違いはなぜ?

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止めよう辺野古新基地建設!全国で立ち上がろう!
沖縄に連帯する取り組み

 沖縄県民は、辺野古新基地建設にたいしてゆるぎない反対の意思を示し続けています。県民の民意を踏みにじる安倍政権に対する闘いが山場を迎えています。平和フォーラムは市民団体などとも連携し、沖縄での闘いと「本土」での闘いを結び、最大限の反基地闘争として取り組みをすすめていきます。

 当面する5月の取り組みは以下の通りです。状況に応じて追加・変更がありますので、詳しくは平和フォーラム事務局にお問合せ下さい。(電話:03-5289-8222)

○第38回5.15沖縄平和行進
日程:5月14日全国結団式(那覇市)
15日平和行進1日目、辺野古現地集会および座り込み行動
16日平和行進2日目、普天間基地包囲行動、辺野古現地座り込み行動
17日「止めよう辺野古新基地建設!美ら海を埋め立てるな!県民総決起集会」(那覇市)

○沖縄上京団国会前座り込み
日程:5月21日(木)~23日(土)
場所:国会周辺

○「全国で立ち上がろう~5.24首都圏アクション~国会包囲ヒューマンチェーン」
日程:5月24日(日)14:00~15:30
場所:国会周辺
主催:実行委員会(平和フォーラム、ピースボート、一坪反戦地主会関東ブロックほか)

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