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ニュースペーパー2015年8月

2015年8月 1日

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戦争法案を廃案に!
 7月15日に衆議院の「安全法制に関する特別委員会」で、「戦争法案(安全保障関連法案)」の強行採決が行われ、翌16日に衆議院本会議でも強引に可決されました。平和主義、憲法の前文および9条の理念を踏みにじる暴挙であり、決して許されるものではありません。世論調査でも審議が進んでいくほどに、「法案に反対」する人は過半数を大きく超え、「法案の説明が不十分」との意見は8割を超えました。そして、内閣支持率は低落し不支持が上回ることとなりました。
 平和フォーラムは、「戦争をさせない1000人委員会」「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」に結集する多くの仲間とともに、法案に反対し、強行採決に抗議する行動を繰り広げてきました。7月14日は日比谷野外音楽堂に2万人以上が集まり、集会と国会に向けた請願デモを行いました。15日と16日は国会正門前を中心に数万人が詰めかけ、朝から夜遅くまで「強行採決糾弾!」「戦争法案を今すぐ廃案に!」などとコールをあげました。(写真は14日の日比谷野外音楽堂での集会)

インタビュー・シリーズ: 103
憲法・戦争・平和について、頭だけでなく感性も悟性も総動員して考え、行動してほしいのです
平和の白いリボン行動実行委員会 浮田久子さんに聞く

浮田久子さん
うきた・ひさこさんのプロフィール
1918年、東京生まれ。父親の仕事の関係で小学校3年生までサンフランシスコで育つ。聖心女子学院英文科卒業。1942年に辻堂(藤沢市)に疎開し、そのまま今日まで在住。戦後、浮田さんの子どもたちと米国の友人の子どもたちの交換留学をとおして、また国際的平和運動をとおして、アメリカ市民の暮らしと考え方に、今日までたえずふれあってきた。カトリック正義と平和協議会会員。日本平和学会会員(元副会長)。婦人国際平和自由連盟(Women'sInternationalLeagueforPeaceandFreedom)日本支部元会員(元副会長)。「平和の白いリボン行動・藤沢」のウェブサイトはhttp://www.ne.jp/asahi/kei/ko/ribon.htm

─浮田さんは戦争を体験されたわけですが、その頃のことからお話をお聞かせください。
 はい、でも、その前に、ちょっとお話させてください。今年は先の第二次世界大戦が終わって70年にあたります。そのせいか、戦争体験者の私達に当時のことを話すようにと、ほうぼうから頼まれています。少しでもお役に立てることがあるならばと思い、お引き受けするのですが、そのうちに、気になり始めたことがあります。その頃の自分の経験を思い出したからなのです。私も子ども時代や青春時代に祖父母等から先の戦争(日清・日露戦争)についていろいろと話を聞いたものでした。でもそれは、当時の自分とは何の関係もない、いわば、悲喜こもごもの多分に美化された昔話でした。
 でも、今は違います。私たちの話はこれから生きるすべての人の運命と深く関わっているからです。軍備は外交の一要件、戦争を抑止するために不可欠という考えがひとり歩きしているようですが、戦争を身をもって体験した私たち民衆のものではありません。軍備があったら先制攻撃をすべきだというのが先の真珠湾攻撃の際の専門家の意見だったのではありませんか。
 安倍晋三首相は国民の生命や生活の安全が脅かされると判断した時には戦争も辞せずというつもりでしょうが、そのとき、真っ先に犠牲になるのは自国民のいのちと暮らしです。その前に、取るべき手段はすべて尽くすでしょうか?、尽くせるでしょうか?。残念ながら、信用できません。戦争となっても、当方は何の損害も受けず、紛争は解決、世界に平和が戻るなどの超楽観主義が今の世界に通用しない事は誰の目にも明らかでしょう。平和憲法を戦争の出来る憲法に改めようとする権力の意図に対して、戦争経験者の私たちが、軍国主義下の政治の苦い経験についてお話するのはなんとしても大切だと思います。

─私たちも「戦争をさせない1000人委員会」という運動を行っていて、なんとしても今の戦争法案を止めようとしています。
 私は1940年10月に結婚をしました。ところが、夫はその翌年の2月に勤務先の支店がベトナムにできたために、そこに赴任することになりました。私と子どもは、はじめは東京に住んでいましたが、空襲が激しくなって来る気配が高まってきたので、辻堂に移り、さらに米軍の本土上陸の場所が相模湾だと取り沙汰されるにいたって、長野県の蓼科に疎開しました。
 当時、蓼科には諏訪鉄山というのがあって、朝鮮から強制連行されてきた人達が働いていました。沖縄が落ちた頃だったかと思います。私たち疎開者も鉄山の幹部に呼ばれました。「本土上陸作戦を覚悟しなければならない。その時、我ら男は玉砕する。女は子どもを連れて逃げろ。逃げきれなくなったら、子どもを殺して自害するように」と言われたのです。その時わたしは、自分が殺されても、子どもを自分の手で殺すことは絶対しない、出来ない、と強く思いました。信頼しきっている母親が最後の思い出の中で自分を殺す、そんなむごたらしいことはないわけです。アメリカ人だってみんながみんな鬼畜ではない筈です。そこに賭けるのだと思いました。でもね、戦争とは、こんなにも、メチャクチャなものです。覚えておくべきでしょう。
 ある日、私たちの一人が、残雪の上に、「我々の解放の日は近いぞ、希望しよう、元気を出そう」と、朝鮮から強制連行された方が書いてあるのをみたと言い、私たちの不安は募りました。広島に新型爆弾が投下されたという報道がなされた頃のことだったかと記憶しています。


平和の白いリボン行動でお話しする浮田久子さん
(2014年5月10日・藤沢駅前)
─戦争が終わった時はどんな思いを持たれましたか。
 戦争が終わった時は27歳で、長男が3歳でした。夫とは連絡がとれないまま、辻堂に戻ってきました。とにかく生き延びたのです!。しかし、食べ物がなかったのには往生しました。ところが、不思議に闇市にゆけばなんでもあったのです。ただしびっくりするほどの値段で。ホウレン草が一杷100円と聞いて、近所のおばさんが腰を抜かさんばかりに驚いたのを、いまも忘れません。私達は確かに戦争に負けました。でも戦勝国のアメリカに対して私達民衆は、決して卑屈ではなかったと私は感じていました。人間は落ちるだけ落ちるとかえってサバサバするのか。それは、あるいは、当時の自分の年齢、若さ、そして女性であることの故であったのかもしれません。
 戦争が終わりました。だからもう電灯をつけてもいいのです。思い切り笑っても、泣いてもいい。また新しい憲法のおかげで、素晴らしい未来の世界が私たちの前に開けたのです。新憲法を当初から屈辱的なものなどと、私たち女性は思いもしませんでした。今頃になってあれは自主憲法ではない、などという輩がありますが、いったん手に入れた以上は我がものです。時期を見て、自由に変えたらよいのではありませんか。
 ただし、人口の半分を占める女性の意向が存分に反映されたものでなければならないのは、無論のことです。敗戦直後、当時の翼賛議員の男性たちの手になった自主憲法の原案はどんな相貌だったろうかと思うと、なんだかくすぐったくなります。

─浮田さんは戦争に反対する「平和の白いリボン行動」を始められましたが、どういうきっかけがあったのですか。
 私は2001年の6月から2ヵ月ほどアメリカに行って来ました。3~40年前に私の家にホームステイしていた「アメリカの子どもたち」が招いてくれたのです。帰ってきて2週間も経たないうちに、9・11の同時多発テロがおきました。心配して電話すると、息をするのも苦しい空気だと、声がふるえていました。でもイサカというコーネル大学のある街に住む彼女は、事件から1週間も経たないうちに「報復戦争反対」をとなえて、毎日、少数の女性たちとピースウォークを始めたという報告が届きました。
 これは当時のアメリカの状況下で、ほんとうに、ものすごい勇気がいる行動でした。でもコーネル大学でも、反戦・平和をアピールする白いリボンを付けた学生が日々増えていくのが希望だとも書かれていました。
 私たちは彼女たちの勇気を賛え、応援しようと、藤沢で白いリボンを付ける運動をはじめたのです。朝日新聞で取り上げられたこともあって、運動は一時、全国的に広がりましたが、今は少なくなっているようです。でも、藤沢では今も駅頭でアピールする事を続けています。
 そのほか、藤沢市内の、普段は別々に活動している様々なグループが協働して憲法問題に取り組むシンポジウムを開催する活動もはじめ、今年で3年目を迎えました。温かな市民の励ましに手応えを感じています。

─いま、特に若い人に訴えたいことは何でしょうか。
 単刀直入に申しますと、頂いたいのちを大切にして生き抜いてくださいということです。戦争はそれを阻みます。今の世界を見ていると、第三次世界大戦の蓋然性が時とともに高まるのを感じて心配でたまらないのです。戦争はあなたのいのち、あなたの生涯に深く関わっています。あなたの生きる「よすが」、レゾンデートルさえ断ち切られてしまいかねないです。戦争の不条理さ、むごたらしさは、私の貧しい言葉ではとてもいいあらわすことはできません。
 一方、人間は、私たちが宇宙から地球を眺めることさえ可能にしました。軍事的な要請に応えた結果だと聞いたことがあります。それにしても、宇宙から眺める地球はなんと美しいことでしょう。この美しい星を人間が戦争によって廃墟にしてしまってはなりません。
 平和は慈しみ、育てる手が必要です。子どもたちよ、若いお姉さん、お兄さんたちよ、どうかその手になって下さい。そして働くときは主体性を忘れないように。

インタビューを終えて
 「国民の命や生活が脅かされるなら、戦争も辞せず、しかしその時、真っ先に犠牲になるのは自国民の命と暮らしです」。1918年、第一次世界大戦が終了したその年に生まれ、アジア・太平洋戦争を丸ごと経験した、96歳の浮田久子さんはそう話し、「思い出話で終わるのは嫌、若い人に今の戦争法案を考えて欲しい」と訴えています。96歳の力強い言葉と思いに感動しました。「戦争が終わって、もう電灯をつけてもいい、思いっきり泣いても、笑ってもいい」─この言葉に、その瞬間の人間の解放の思いが凝縮しています。私たちが、想像力を働かせて嗅ぎ取っていかなくてはならないその瞬間の思いだと感じました。
(藤本泰成)

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総がかり行動で平和憲法の再確定を
高まる戦争法案反対の民意
ジャーナリスト・軍事評論家 前田 哲男

 「発言する者、離席する者多く、議場騒然、聴取不能」―速記者はそう記しただろう。7月15日、<戦争法案>が衆議院特別委員会で強行採決された。インターネット中継で国会審議の結末を見どけたあと、この原稿に着手したが怒りは収まらない。画面に映し出されていたのは「言論の府」の威厳と節度からほど遠い、自・公両党による「数の力」をむき出しにした驕りと専横であり、権力政治家・安倍晋三の<対9条クーデター>へのあくなき野望であった。前夜、日比谷野外音楽堂で2万人の参加者から発せられた地鳴りのような民意が耳の奥によみがえる。
 7月15日を忘れまい!しかし、それは<9条の死>の日付としてではない。<安倍政権の終わりの始まり>がカウントダウンされた日、の意味においてである。論戦の場は参議院に移る。だがそれ以前に、安倍政権と自・公両党は、国会前の歩道を埋め尽くす「戦争させない・9条壊すな総がかり行動」の市民たちと対峙することになろう。若者たち、母親たちが加わり、また全国各地、地方議会からの抗議とも向き合わなければならない。2015年の<暑い夏>は、いま始まったばかりだ。


明白になった反憲法的法案
 衆議院に設置された特別委での質疑をつうじ広く明らかになった点を確認しておけば、その第1は、(白々しくも)「平和安全法制」と名づけられた<戦争法案>の反憲法的性格が、国民にくまなく知れ渡ったことにある。国民がこれほど「憲法9条」を身近に考えたことは、1946年の憲法制定時を除くとなかったのではないだろうか。委員会審議が進むにつれ「憲法違反」「法案反対」の声が増え、内閣支持率は逆に急下降していく世論調査の数字に、民意の目覚めがしめされている。
 理由は単純である。安倍内閣が、従来の自民党政権によって「現行憲法のもとでは違憲・不可」とされてきた「集団的自衛権の行使」を、一片の「閣議決定」によって「自衛権行使の新3要件」に置き替え、そこから「他国防衛」=「集団的自衛権行使」が可能とする憲法解釈を引き出したことによる。世論の変化は、自民党と公明党支持層(とくに創価学会員)の多くにとっても、「そこまで安倍政権に付託したつもりはない」と受けとめられたからにちがいない。
 それでも、安倍自民党と山口公明党は<9条くずし>に向かって暴走した。「新3要件」のもと、11法からなる「平和安全法案」を作成し、そこに「存立危機事態」とか「重要影響事態」などと命名された、海外における「自衛隊の活動領域」と「武力行使モデル」を設定しつつ、自衛隊の恒常的な海外派兵および米・多国籍軍への弾薬輸送など兵站(「後方支援」)に従事させる活動を盛りこんだ。
 舞台となったのが衆議院特別委だったのだが、皮肉なことに、そこで9条解釈変更の欺瞞性が徹底的に暴露された。内閣法制局長官を更迭してまでつくりだした「新3要件」がいかに<粘土細工>にすぎなかったかが、全国の憲法学者ばかりか、身内、しかも、他ならぬ<政権の顧問弁護士>たる法制局長官歴任者3人(それも自民党推薦の参考人をふくむ)から「違憲」の烙印を押され、新解釈の「憲法適合性」が崩されてしまったことで劇的にしめされた。法案は文字どおり<粘土足の巨人>だったのである。この段階から、プラカードとシュプレヒコールの「民意」が国会前の歩道を埋めるようになる。公明党支持者の反対意思も過半数を超えた。法案審議は、<反面教師・安倍晋三>による憲法教育の場となった。


衆院特別委員会での強行採決に抗議する人達
(7月15日・国会正門前)
まともに答弁できない安倍首相
 「民意」が動いた第2点は、そもそも土台が<粘土づくり>だから当然だが、国会審議における首相以下の法案説明には誠意と説得力がまったく欠け、しどろもどろ、不得要領、周章狼狽、二転三転の答弁に終始した内容もあったことである。テレビの国会中継はその模様をリアルに容赦なく伝え、これも<国民教育>の機会となった。審議時間116時間中、答弁に窮し中断した回数がじつに104回、合計すれば4時間24分に及んだという数字に、政府側のパニックぶりがよくしめされている。
 中谷元防衛相が答弁に立つたびに、背後に控えた官僚から耳打ちとメモを受ける様子は、さながら<プロンプターつき答弁者>というべき姿だった。安倍首相にしても多弁なだけで、質問に答えるよりも自説を長々と述べるだけで「巧言令色鮮し仁」の見本と言え、繰りかえし、はぐらかし、要点外しに言葉を費やすばかり。肝心の「どうなる・どうする」に正面から答える姿勢は見えなかった。
 国民が聞きたかったのは、「どうなる=憲法解釈変更の妥当性」とともに、「どうする=自衛隊が海外で何をするのか?」にあったはずである。
 法案には過去の「PKO」や「復興人道支援」と異次元の活動―「存立危機事態」や「重要影響事態」―が柱に据えられている。ならば、それはどのような「事態」なのか?、「日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより日本の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利を根底から覆される明白な危険」とされる「存立危機事態」とは、具体的にどんな状況を指すのか?、「存立危機」と「重要影響」への対処の違いが、自衛隊の「後方支援活動」にいかなる変化をもたらすのか?、どちらにせよ、海外派兵された自衛隊員のリスクが格段に高まることは避けられないのではないか?。これらごく素朴な、しかし<殺す・殺される>自衛隊員の立場からすれば深刻きわまりない「どうする」についての疑問に、政府答弁者はつねに逃げの説明しかしなかった。中谷防衛相の答弁を<立往生型>とすれば、論理をすり替える<ごまかし答弁>の典型は安倍首相である。細かく追及されると「規模、態様、推移により一概に言えない」とか「総合的な見地から判断いたします」を連発し、みずから「限定的に行使する」とした集団的自衛権の限度と歯止めについて答えようとしなかった。5月27日の審議初日と7月15日の「締めくくり総括審議」で、おなじやりとりが繰りかえされたのは議論が深まらなかったなによりの証明である。

新ガイドラインの実効性を担保するための法案
 審議中断、採決強行となった結果、欠落した論点も多い。論じられなかった最大の論点は「法案」と「日米安保条約」、とりわけ4月に合意された「新ガイドライン」関係だろう。
 1960年に改定された日米安保条約は、日本の「個別的自衛権」を前提(第5条「日本の施政の下にある領域における...共通の危険に対処する」)としていて「集団的自衛権」は排除されている。そのことは60年安保国会で岸信介首相(当時)が述べた次の答弁によっても明白である。
 「特に日本の憲法は、世界のどこにもない特殊の性格を持っております。すなわち、日本自身が持っておるいわゆる防衛上の力も、この自衛権の範囲内に限られておるものであることは、ご承知の通りであります。従って、日本の自衛隊は、各国におけるところの軍隊と同様の性格を持つものでない。いかなる場合においても、この領域外に出て実力を行使するということはあり得ないという建前を厳守すべきことは、日本の憲法の特質でございます。このことを前提としてこの条約が結ばれておるということも、大前提の一つであります」(1960年3月31日・参議院予算委員会)
 であるなら、「日米同盟の深化」や「日米安保協力に資すために」などという理由で「集団的自衛権」を容認するには、それ以前に「安保再改定」が必要というのが筋道となる。日本は第5条にある<共同防衛のギャップ>(アメリカは日本防衛義務をもつが日本はグアム、ハワイ防衛義務を持たない)を埋めるため、第6条で「基地許与」(在日米軍基地提供)の権利をあたえた。現在進行中の「6条義務」の実例が「辺野古新基地」である。もし今後、「集団的自衛権」を行使してアメリカの戦争に共同参戦するのであれば、条約第5条が<対等条項>になるのだから、第6条の<バーター条項>は削除されなければならない。
 安倍政権は、この大前提に目を向けることなく「集団的自衛権容認」に踏みきったばかりか、関連法案制定と時期を合わせて「日米ガイドライン」(防衛協力指針)の改定を行った。内容はことごとく<戦争法案>を先取りしたものである。というより「新ガイドラインの実効性を担保するために法案が必要だった」とするのが正確だろう。一例をあげると、「日本以外の国に対する武力攻撃への対処行動」に規定された以下の記述がある。「自衛隊は、日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより日本の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態に対処し、日本の存立を全うし、日本国民を守るため、武力の行使を伴う適切な作戦を実施する」。以下、機雷掃海、後方支援など具体的な作戦協力が列挙されているが、この一文だけで両者の一体関係は明瞭である。「新ガイドライン」を精読していけば、11本の<戦争法案>に埋めこまれた日米軍事協力の実態がさらにはっきりするだろう。

まだ第1ラウンドが終わったばかり
 <戦争法案>の基本矛盾である「憲法9条との関係」については、衆議院における論戦で国民共通の認識となった。一方、「安保第5条と集団的自衛権」「第6条と辺野古新基地」をはじめとする<もうひとつの基本矛盾>については参議院審議への宿題となった。その意味でも、まだ<第1ラウンド>が終わったばかりなのだ。
 安倍政権は、民意との間に<4つの鬼門>をもっている。国立競技場建設・辺野古新基地・原発再稼働、そして戦争法案である。いずれも「安倍権力政治」対「民意の覚醒」という共通の根を持つ。根底に憲法的価値―国民主権と平和―があるのはいうまでもない。いま国立競技場建設は「計画見直し」へと急展開しつつある。辺野古新基地でも「埋め立て承認取り消し」に向け<オール沖縄>の意思が固まった。原発再稼働阻止への草の根の抵抗もゆるぎない。「戦後70年」の夏を、民意の総がかり行動で平和憲法を再確定する契機としたい。 (まえだてつお)

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市民の結集で辺野古新基地建設阻止へ
埋立て承認の取り消し、撤回から考える

注目される翁長知事の権限行使
 辺野古新基地建設にかかわる承認の過程を調査している沖縄県の第三者委員会の報告が7月16日に出され、8月中に翁長雄志沖縄県知事が判断を下すことになりそうです。すでに翁長県知事は、第三者委員会が取り消しを提言すれば「取り消すこととなる」と明言し、承認過程に瑕か疵しがないと判断がなされても「承認の撤回」を検討すると表明してきました。これに対し安倍政権は、知事の権限行使があっても「工事を進めながら裁判で争う」と対決姿勢を鮮明にしています。
 ここではまず、注目される公有水面埋立にかかわる知事権限について検討してみます。
 そもそも公有水面埋立法とはどのような法律なのでしょうか。第1条で公有水面は国の所有に属するとしたうえで、第2条で公有水面を埋立てをしようとする者(国以外の者)は、都道府県知事の免許が必要とし、国が埋立てをしようとする場合は、都道府県知事の承認が必要(第42条)だと規定しています。そして第4条で埋立て免許の要件を示しており、国が行う埋立て承認の場合も、第4条の要件を準用する(第42条第2項)としています。埋立てが終わったら、国以外の者は竣工認可を都道府県知事に申請し、認可が下り、告示を経て所有権を取得できることになります。一方、国の場合は、竣工後は都道府県知事に通知するだけで、後の規定は何もありません。
 国以外の者と国とで違いがあるのは、この法律が明治憲法下の大正10年にできたもので、地方分権の考えも希薄であり、中央集権が非常に強力であった時代の産物であるがために、国の行為が軽い手続きでできるようになっていたものと思われます。

安全保障上の問題が争点に
 以上のことを念頭に置いて、知事による承認の取り消しもしくは撤回について検討してみます。ここで「取り消し」とは、ある行政行為に問題がある場合(瑕疵がある)、さかのぼってその行政行為を無効にすることです。また「撤回」とは、ある行政行為は問題がなかったけれども(瑕疵がない)、相手方に義務違反があったり、問題が起こったりして、行政行為によって不利益が生じた場合(公益上の支障)に、将来に向かってその行政行為を無効とすることです。
 さて、翁長県知事が承認の取り消しをするということは、承認過程で瑕疵があったと判断したということであり、公有水面埋立法の第4条で列記されている要件の判断に問題があったということになります。要件は6つありますが、重要な点は、「国土利用が適正で合理的か」「環境保全がなされているか」「施設の配置や規模が適正か」という点です。仮に国と県が取り消しをめぐって裁判となっても、この要件判断が主要な争点となります。
 いっぽう「撤回」の場合はどうでしょうか。前県知事の承認に至る要件判断に瑕疵はなかったけれども、このまま工事を進めていくと沖縄県の公益上の支障が生ずるので、今後はこの承認を無効としますということになります。仮に裁判になると、埋立て承認を得た国の不利益と、撤回しなければ公益上の支障が出る沖縄県の利益とが秤にかけられることになるのです。(なお、政府は県知事が承認の取り消しや撤回などの権限を行使できないと主張し、この点が争点になる可能性もあります。)
 安倍政権は翁長県知事の権限行使をけん制して、「抑止力の低下につながり、日本の安全保障に支障が出る」「普天間基地の固定化になる」とたびたび発言しているところから、国の不利益とは「日本の安全保障上の不利益」であり、沖縄県の公益上の支障とは、撤回しなければ辺野古の海の環境を守ることができず、また沖縄に集中する米軍基地の負担が軽減されることなくむしろ強化されることの不利益ということになります。つまり撤回の場合は、安全保障上の問題が争点になるのです。

「本土」でも大きな世論を作ろう
 承認の取り消しと撤回とでは、主要な争点に違いがでてきます。特に撤回の場合は安全保障論が主要な争点となり、裁判所はこの種の判断を回避する傾向にあります。「統治行為論」といわれていますが、「高度に政治性のある国家行為」に対して裁判所の判断はなじまないとし、「最終的には国民の政治判断に委ねられる」として、安全保障分野での判断を回避する歴史が裁判所にはあるからです。
 ちなみに県知事による公有水面埋立て承認に対する権限の行使で、国の対抗措置として行政不服審査法に基づく不服申立てがなされる可能性も指摘されています。しかし公有水面埋立法が、国に対して特別の地位においていることを考慮すると、国を「一般私人と同様の立場」と考えることはできません。国が行政不服審査を行うとしたら、日本は無法国家であると宣言するに等しいことです。政府の動きを厳しく監視して、「本土」でも大きな世論を作り上げていき、辺野古新基地建設を断念させましょう。
 当面、東京では次の行動を行います。「辺野古新基地建設の問題点を探る-土砂の採取、埋め立てによる環境への影響を考える-」(8月31日18:30~豊島公会堂)。「止めよう!辺野古埋立て9.12国会包囲」(9月12日14:00~15:30国会周辺)。
(近藤賢)

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最後の大詰めを迎えたTPP交渉
軟弱な妥協を許さないアメリカ議会

 アメリカ議会で大統領へ貿易交渉権限を付与する貿易促進権限法(TPA法)が6月末に成立したことを受け、7月9、10日に日米協議が行われたのに続き、同24日からハワイで交渉参加12カ国の首席交渉官会合、28日から閣僚会合が予定されています(7月22日現在)。日本では早々から、「7月中に閣僚会合で合意は可能だ」(甘利明TPP担当相)などと、アメリカとともに交渉を主導して強引に「合意」を図ろうとしています。大詰めを迎えたTPP交渉ですが、超党派の国会議員で作る「TPPを慎重に考える会」会長の篠原孝民主党衆議院議員の分析などをもとに、アメリカでのTPP交渉をめぐる動きや今後の課題を検証します。

たがをはめられたオバマ政権 さらに強硬主張も
 日本のマスコミなどでは、TPA法案の成立でTPP交渉は一気にまとまるとしています。しかし、アメリカと歩調を合わせて、TPPを急いでまとめたいと思っているのは日本だけで、オーストラリア、ニュージーランド、シンガポールなどは、アメリカの今後の動きには懐疑的です。その理由は、今回のTPA法案の成立が共和党主導の議会との妥協によってようやく成立したことにあります。そのため、いつでも交渉権限を大統領から剥奪できる仕組みになっています。少しでも議会の意にそぐわない交渉内容があれば、そこで止められるという危ういものです。オバマ政権の手にした交渉権限は手枷足枷のついたものにすぎず、交渉権限を与えたふりをして、逆に「たが」をはめたのが今回のTPA法と言えます。
 今後アメリカは、今まで以上に強硬な主張を行ってくることも予想されています。TPA法には「農産物関税は撤廃か、アメリカの水準以下に引き下げる」などと規定しており、これを受けてアメリカは日本に対して、コメの輸入増も含め、以前より倍加させた無理難題をふっかけてくるかもしれません。オバマ政権は交渉で軟化することなど絶対にできないように、議会から監視されることになったのがTPA法です。従って、アメリカが交渉をまとめるために簡単に妥協してくるということはありえないと見られています。
 しかし、日本の国会決議(衆参の農林水産委員会の決議)では、コメをはじめとした重要品目の関税を維持すること等を決めています。日本の国会決議とアメリカのTPA法は真逆です。もしその中間で合意が成立するとしたら、日本は国会決議に、アメリカはTPA法に違反することになるのです。


TPP「合意」は許さない緊急国会前行動(7月22日)
TPPを金で操る米大企業 大統領選も影響
 TPA法はTPPの承認の手続きも細かく規定しています。そのため、交渉が妥結したとしても、最終的に署名するまで、少なくとも数ヶ月を要すると言われています。まず、アメリカは議会に協定案を提出する90日前に、米通商代表部(USTR)のホームページに全文を公表することが義務付けられています。国際貿易委員会の経済影響分析も経なければなりません。
 この公表した段階で、様々な関係者から数々の疑問点が指摘され、多くの国会議員や国民も内容の酷さに気付くことになるでしょう。すでにこの間、アメリカの労組のナショナルセンターである「米国労働総同盟・産業別会議(AFL-CIO)」など多くの労組や市民団体などが反対してきました。次期大統領選挙の民主党有力候補のヒラリー・クリントン前国務長官はTPPに消極的姿勢をとっています。
 議会で承認されるのはさらに困難が伴います。現に、韓国との自由貿易協定(FTA)は、議会からの追求を受けて追加交渉も行われて、最終的に承認され発効するまで5年近くもかかりました。
 アメリカのTPP推進派は、保険、金融、医薬品業界、農業団体などで、「アメリカTPP企業連合」を構成しています。TPP交渉の閣僚会合に、これらの業界関係者が政府の交渉団にアドバイザーとして随行し、交渉を操っています。また、これらの企業はTPP推進議員への献金団体として名を連ねています。アメリカでは、民主党でTPAに賛成した19人の下院議員と13人の上院議員は、名指しでこれらの企業からの献金を受けていたことが糾弾されています。
 オバマ米大統領は、自らの任期中にTPPを締結したいとしていますが、共和党は、死に体となったオバマ政権の功績作りには冷ややかな態度をとることが予想されています。TPA法は2021年まで有効であり、共和党は、2016年の大統領選挙を有利に運ぶ算段と見られています。そのためには、オバマ政権下での軟弱な妥協を許すことはありえないでしょう。秘密交渉のまま「合意」に走ることは許されません。国民の声や国会決議を無視するTPP交渉に反対する運動は、まさに正念場にさしかかっています。
(市村忠文)

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被爆70周年原水爆禁止世界大会の課題はなにか
「核絶対否定」─原水禁結成50周年に再確認を

 7月16日、安倍自公政権は、「集団的自衛権行使容認」を可能にする戦争法案を衆議院で強行採決しました。さらに安倍政権は、川内原発などの再稼働や沖縄・辺野古への米軍新基地建設などを、民意を無視し強行しようとしています。今年の原水禁大会は、このような横暴が進む中で開かれ、私たちの運動の真価が問われています。

核兵器廃絶とプルトニウム政策
 核保有国に核軍縮を促進させる場として重要な役割を持つ核不拡散条約(NPT)再検討会議が、今年4月27日からニューヨークで開催されました。先の2010年の会議では、64項目に及ぶ核軍縮へ向けた約束が合意されましたが、ほとんど前進することなく、あらたな核軍縮の合意が期待されましたが、今回は合意文書すら採択できずに幕を閉じました。核保有国はその既得権にこだわり続け、核兵器非保有国との乖離は鮮明になりました。原水禁世界大会では、NPT再検討会議の結果と停滞する核軍縮・廃絶へ向けた今後の展望を考えます。特に被爆国でありながら、「核兵器禁止条約制定に向けた議論を求める」とするオーストリアの提案に賛同しないなど、核兵器廃絶に消極的な日本の対応を問います。
 さらに、日本のプルトニウム利用政策が、核拡散の面で国際的に大きな問題になっていることを訴えます。NPT加盟国の非核兵器国の中で原発からプルトニウムを取り出しているのは日本だけで、その数量は約47トンにも上っています。安倍政権は、核燃料サイクルの推進を謳い、安全保障上、核兵器へ転用できる技術のポテンシャルを常に持ち続けると公言し、そのことが国際社会にとって大きな脅威ともなっています。日本の「核」の問題を足元から問うことを目的に、国際会議でもこれらの点を中心に議論を深めます。

原発の再稼働反対と福島原発事故
 鹿児島・川内原発の再稼働(再起動)が大会直後の8月10日とも言われ、再稼働阻止にむけた運動の強化が求められています。原子力規制委員会の田中俊一委員長は、基準の適合性を審査しただけだとして、「安全とは申し上げない」「避難計画は規制の範囲外で審査では評価していない」と責任を回避しています。安倍首相は「規制委員会が安全だという結論が出されれば再稼働を進めていきたい」と責任を規制委員会に押し付け、自治体も「国が安全と言えば再稼働を認める」とし、それぞれが責任を押し付けあっています。
 こうした無責任な状態のまま再稼働が強行されようとしていることに大きな問題があり、そのことは、原子力政策全般が持っている根本的な欠陥です。川内原発に引き続き高浜原発(福井)、伊方原発(愛媛)が規制基準の審査に「適合」したとしています。これら各地の情況報告を受け、原発再稼働の問題点を明らかにします。
 福島原発事故から4年半が過ぎた今なお事故の収束の目途も立たない中、未だに11万人を超す県民が苦しい避難生活を余儀なくされています。さらに汚染水、除染、健康被害、賠償・補償、被曝労働など様々な問題が噴出し、解決が迫られています。福島原発事故のもたらした被害の実相を明らかにすると同時に、事故を風化させず、どのように連帯していけるのかを考えます。


昨年の原水禁大会(2014年8月7日・長崎市)
ヒバクシャの援護・連帯の強化を
 戦後70年を迎え、ヒロシマ・ナガサキの被爆者は高齢化し、残された課題の解決が急がれています。日本政府がいまだに侵略戦争の責任を認めず、戦後補償の責任を果たそうとしない中、被爆者の援護を国家補償として取り組んでいないところに問題があります。社会保障的援護の域を出ないところに、原爆症認定や在外被爆者、被爆体験者、被爆二世・三世などの様々な問題がつながっています。それぞれの抱える問題について理解を深め、運動の展望を考えます。
 核被害者の海外ゲストとして、フランス核実験によるポリネシアの被害者、韓国の在外被爆者、オランダの被爆二世などを招聘し、その実相を明らかにしていきます。
 今年は、被爆・戦後70周年とともに原水禁運動の50年目を迎える年にあたります。1965年2月1日、原水爆被爆の体験を基に、「あらゆる国の核実験に反対する」立場を堅持し、原水禁は結成しました。今日まで、核兵器廃絶、ヒバクシャへの援護・連帯、反原発・脱原発の3つの柱を中心に、原水禁運動はぶれることなく人々の「命」に寄り添って、「核絶対否定」の立場を紡いできました。その理念と歴史を振り返り、今後の運動の展望を見据えるシンポジウムを開催するなど、あらためて「核と人類は共存できない」とする原水禁の主張を強く訴えます。(大会の日程などは12面に)
(井上年弘)

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原水禁発足50周年に思う(7・最終回)
長崎における50年間の原水禁運動を振り返る
原水爆禁止長崎県民会議
副会長 矢嶋 良一

 1964年4月、福岡から長崎へ転勤になった。1年後の1965年、偶然にも県立長崎東高体育館で開催された「被爆20周年原水爆禁止世界大会」へ参加した。正直に言えば、当時は意識も低かったこともあり途中で退席した。しかし、考えてみれば世界大会へ初めて参加したことが、私の原水禁運動の始まりでもあった。あれから50年の月日がたち、記憶をたどりながら、長崎における反核・軍縮・原水禁運動を振り返りたい。

歴史に残る佐世保現地での闘い
 忘れ難いのは佐世保で激しく闘われた三大闘争である。原水禁運動が混迷を深めていた1963年3月、池田勇人政権が「米・原子力潜水艦の佐世保、横須賀寄港」を発表。原水禁は直ちに反対声明を発表しすぐさま闘いを開始した。1964年11月12日、ついに「原子力潜水艦シードラゴン号」が初めて佐世保港へ強行入港。総評、原水禁で構成する全国実行委員会は全国の仲間とともに激しく抵抗した。この歴史的な闘いが、その後の佐世保現地闘争の原型を作り出したのである。
 4年後の1968年1月19日、「原子力空母エンタープライズ号」が強い反対の声を無視し佐世保へ強行入港した。1967年、長崎県共闘会議を結成。沖縄返還、ベトナム反戦闘争とも連動させながら反エンプラ闘争を高揚させた。強行入港した19日前後は全国から労働者、学生、市民などが佐世保へ結集。市内は騒然となり、史上空前の反戦闘争となった。今でも「激動の1週間」として語り継がれている。
 さらに1975年、放射能漏れを起こし青森県むつ市大湊港を追い出された欠陥原子力船「むつ」が、対馬の美津島町三浦湾に母港を設定すると、直ちに原子力船「むつ」母港化阻止県共闘会議を結成し、闘いを開始した。1万人集会をはじめ100万人署名、常駐オルグ団や特別行動隊の編成、ストライキなどの鋭い闘いを果敢に展開した。
 特に1978年10月16日の佐世保への入港には、佐世保駅前の5000人による早朝集会を成功させ、佐世保市役所前まで一糸乱れぬデモを貫徹。途中、機動隊の挑発に強く抗議し、機動隊側に異例の陳謝をさせたことが記憶に残っている。また、海上では50隻の「木の葉船団」(ピースボート)が激しく抵抗したため、1万トン級の原子力船「むつ」がいく手を阻まれ、何回も立ち往生したのは圧巻であった。この闘いは郵政マル生粉砕闘争や有事立法粉砕の闘いとも結合させた大闘争となり、「むつ」を廃船に追い込むことで、反核・反戦闘争の歴史上に燦然と輝いている。その後も、毎月16日を「反むつの日」と決め、大衆集会や座り込み行動などを14地区労で展開。さらに、「むつ」の修理が終わり、1988年8月に佐世保港を出港すると、9月9日から毎月9日の日を佐世保での「反核9の日」と決めた。今日でも長崎では「反核9の日座り込み行動」を息長く続けており、この「座り込み行動」は核兵器がなくなるまで継続することにしている。ちなみに、今年の5月9日に400回目の節目を迎え、4年後は40周年となる。

小さいながらもきらりと光る取り組み
 1982年、日本列島を覆い尽くした反核・軍縮のうねりは、3月21日に広島に20万人、5月23日は東京で40万人、そして10月24日に大阪へ50万人が結集。戦後最大の反核・軍縮の行動となった。その教訓を生かしながら1988年、核大国の米・ソ両国へ平和の象徴である「長崎の鐘」を贈り、核戦争阻止、核兵器の廃絶を強く求める運動を積極的に展開。1988年8月9日、ロシアのサンクトペテルブルグ市へ贈呈、さらに1990年12月8日に米国のホノルル市へ贈呈した。
 「長崎の鐘」を贈る運動が大きく成功したので、中国への侵略を市民として謝罪するために、日中戦争が始まった瀋陽市へ贈呈。かくして「長崎の鐘を贈る運動」は、全国の支援も受け大きく成功した。3か国の「平和の鐘」は、今日でも世界の恒久平和と核兵器廃絶を求め、世界の空へこだましている。
 時々、マスコミから「祈りの長崎」「大会のみの原水禁運動」などと、長崎における反核運動の内実を理解していない批判の記事を書かれたことがあった。それは違う。原水禁は「核と人類は共存できない」と言う理念に基づき、きらりと光る運動を数多く取り組んできた。たとえば、長崎放送局に対し、政府・科学技術庁(当時)の原子力推進番組を中止させたことや、平戸市が推進した核燃料再処理工場建設誘致を断念させたことはいぶし銀の闘いであった。さらに、大島村に放射性廃棄物貯蔵施設の設置を村民総ぐるみの闘いで中止させたことなどが、闘う長崎原水禁を象徴している。
 また、1989年から始めた「長崎平和大集会」は全ての平和団体や市民団体が結集し、長崎独自の運動としてスタート。今では高校生1万人署名活動実行委員会が生まれ、全国的な運動にまで発展させている。
 被爆70周年と原水禁結成50周年を迎えた今年、原水爆禁止世界大会の動向が注目される。率直に言って原水禁世界大会や原水禁運動が後退していることは否めない。2015年の核不拡散条約(NPT)再検討会議は被爆者の期待を見事に裏切った。そして今、原発の再稼働が風雲急を告げている。それだけに、原水禁運動の強化と再構築は焦眉の課題である。もちろん、被爆地長崎が原水禁運動の先頭に立ち原水爆禁止世界大会を是非とも成功させる決意である。
(やじまりょういち)

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オバマ大統領に被爆地訪問要請
核なき世界に向けた行動の発表を

 米国の「憂慮する科学者同盟(UCS)」ほか著名な団体代表および個人(計12名)が7月10日にオバマ大統領に対し、今年の広島・長崎原爆記念日に両地を訪れ、核が二度と使われないようにしなければならないとの考えを再度表明すると共に、任期終了までに米国が取る具体的な措置について発表するよう呼びかける書簡を送付したのを受け、原水禁と原子力資料情報室は同13日、UCSの要請を支持するとの書簡を大統領に送付しました。この書簡は、さらに、唯一の役割(目的)政策等に反対しないように日本政府に要請すると約束すると共に、大統領に対して、1)プルトニウム及び高濃縮ウランをこれ以上蓄積しないように世界各国に呼びかけること、2)既存の軍事用余剰・民生用プルトニウムの処分方法の開発のために日本政府その他と協力し合うプログラムを開始することを要請しました。

原水禁・原子力資料情報室のオバマ大統領宛書簡
 私たちは、以下に添付した米国の影響力を持つ諸団体が署名した書簡にある要請を支持します。広島及び長崎を訪れ、その機会を使って「核兵器は二度と使われてはならないということを世界に想起させる」と共に、「核兵器が人類に対して与え続けている脅威を減らすために大統領の任期終了までに米国が取る具体的な措置を発表される」ようにとの要請です。
 私たちは、大統領が広島、長崎、あるいはその他の場所で発表する核兵器のない世界に向けた政策――米国の核兵器の唯一の役割は米国及びその同盟国に対する核攻撃の抑止にあるとする「唯一の役割(目的)政策」を最初のステップとして採用することも含め――に反対しないよう日本政府に働きかけます。

私たちは、また、大統領に次のように要請します。
 高濃縮ウラン及びプルトニウムの更なる蓄積をしないよう世界各国に呼びかけること――2014年3月の安倍晋三首相との共同声明において、2009年4月のプラハでの大統領の発言に言及しながら呼びかけられたように。
 既存の軍事用余剰及び民生用プルトニウムの安全かつセキュリティーの確かな処分方法開発のために日本政府その他と協力し合うプログラムを開始すること。大統領の共同宣言の表現を借りるなら、これは核軍縮を不可逆なものにするのにも役立つだけでなく、「そのような核物質を権限のない者や犯罪者,テロリストらが入手することを防ぐのに役立つ」でしょう。

 私たちは大統領に期待しています。被爆者が大統領に期待しています。

 生物・化学兵器及び通常兵器による攻撃を抑止するために、これらによる攻撃に対して米国が核兵器で報復する可能性を示すことによって威嚇して欲しいというのが1982年以来、日本政府が表明してきた立場です。核兵器の唯一の役割は核攻撃を抑止することだとの政策を米国がとると、日本の安全保障に不安を感じた日本が核武装するのではないかとの懸念が米国側にあります。
 日本は2014年末現在約48トン(核兵器6000発分)ものプルトニウムを持ちながら、使い道のないまま、青森県六ヶ所村の使用済み燃料再処理工場を来年春にも完成させ、さらなるプルトニウム分離を開始しようとしています。大統領は核物質の最小化を呼びかけています。
 日本側の書簡は、このような日本の政策を変えれば、大統領にとって核なき世界に向けた行動が取りやすくなることを示しています。そして、それは、大統領の被爆地訪問実現の準備ともなります。
(田窪雅文:「核情報」主宰)

UCS等のオバマ大統領宛書簡
 私たちは、広島・長崎の被爆70周年を記念するために日本に行かれるよう要請します。そうすればあなたはこれらの歴史的な場所を訪れる最初の米国大統領となります。
 この訪問は、核兵器は二度と使われてはならないということを世界に想起させるまたとない機会を提供することになるでしょう。そして、2009年4月のプラハ演説のフォローアップの機会にもなるでしょう。あの演説において、大統領は、米国には、冷戦的思考に終止符を打ち、核兵器の役割を減らし、そして、最終的には核兵器のない世界の平和と安全保障を達成する上で世界の国々の先頭に立って「行動する道義的責任」があると述べられました。
 ですから、私たちは、記念スピーチという機会を使って、核兵器が人類に対して与え続けている脅威を減らすために大統領の任期終了までに米国が取る具体的な措置を発表されるよう要請します。
 これらの措置のなかには、たとえば、米国の地上配備の核兵器を高度な準備態勢からはずし、それにより、攻撃が起きているとの警報の段階でこれらのミサイルを発射するオプションをなくしてしまうこと、米国の核兵器の唯一の役割(目的)は米国及びその同盟国に対する核攻撃の抑止にあると宣言すること、あるいは、大統領の2013年6月のベルリンでのスピーチで表明されたように1000~1100発のレベルに米国の配備戦略核の数を独自に削減することなどが含まれ得るでしょう。
 これらのどの措置も、大統領がプラハで表明されたゴールに今もコミットしていることを世界に訴える強力なメッセージとなるでしょう。
 大統領、私たちはあなたに期待しています。私たちの子供たちもあなたの子供たちもあなたに期待しています。世界があなたに期待しています。

各地からのメッセージ
必要な組織だと思ってもらえる運動を
福井県平和環境人権センター事務局長 宮下正一


沖縄平和センターへ送る団結布と執行部一同
 福井県は、人口が80万人に満たない小さな県であることから、当然私たちの組織も小さくて会員数は8,300人ぐらいです。福井県平和環境人権センターの専従役員は、事務局長と書記の2名体制ですが、いずれも非正規職員と言ってもよいものです。しかし、やる気だけは120%でがんばっています。
 私は、昨年5月より事務局長に就任しましたが、いま大切にしていることは以下のことです。
 (1)幹事会を楽しく皆で討論できるようにしたいと思っていて、ダジャレを連発して、皆さんから「ここで笑って」などと言われています。いつでもどこでも楽しくしたいものです。
 (2)私が就任した昨年の5月から「へいわ」と呼ぶA4裏表の機関紙を月に1度ぐらいの間隔で出し始めました。それを福井市内の労組には手配りしています。用事があったら直接言ってもらったり、人間関係も深めたいと思っているからです。
 (3)10名以上の動員では、参加者のしおりなどを出したり、なるべく統一行動に努めています。昨年の原水禁長崎大会では、久しぶりに感想文を参加者より求め、感想文集を作り参加者や単組に配布させて頂きました。
 (4)とにかく「平和センターは、必要な組織だ」と皆さんにより強く思ってもらうための運動をしたいと思っています。
 さて福井県には、原子力発電所が15機(1機廃炉作業中)も建設されたため、その建設反対運動や廃炉を求める運動が他県とは、大きく違う点だと思います。とりわけ、敦賀市白木地区に建設された「高速増殖炉もんじゅ」は、悪魔の原子炉と呼ばれ最も危険な原子炉なのです。運転開始直後にナトリウム漏れ事故を起こし、運転が停止してから今年で20年目を迎えます。
 こうしたことから、運動の多くは反原発闘争になっていますが、ここ最近は、安倍政権の暴走を許さない運動も多くを占めています。特に、革新懇や九条の会、共産党系の皆さんとの共同行動と、民主党・社民党との連携や組織内部での多くの議論もあり大変です。それでも年を取り、多くの皆さんとの付き合いがある私に出来る事だと心に言い聞かせ、がんばっています。7月1日に弁護士の皆さんを先頭に、予定数を上回った550名による集会とデモをやりとげ、取り組んで良かったと自画自賛しています。大変力が弱い福井県ですが、皆様の運動をお手本にがんばり続けます。
(みやしたまさいち)

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〔本の紹介〕
沖縄の自己決定権─その歴史的根拠と近未来の展望─
新垣毅著琉球新報社編高文研刊

 米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設問題をめぐって、移設という名の下に新基地建設を進める日本政府と、新基地建設に反対する沖縄県との対立の溝が深まっています。沖縄県民の多くが反対する中、米海兵隊のヘリ「オスプレイ」が強制配備されるなど、沖縄の民意が反映されない状況が続いています。
 そんな中、琉球新報社は、琉球王国が米国ペリーと琉米修好条約を結んでから160年目の節目を迎えた2014年、沖縄の自己決定権をテーマにした「道標(しるべ)求めて─琉米条約160年主権を問う」の連載を5月から始めました。2015年2月までの通算100回にわたる連載では、琉米・琉仏・琉蘭の3修好条約に光を当て、琉球王国が国際法上の主体だったことを明らかにした上で、1879年の琉球併合について、国際法上の不当性を明確にしました。
 また、英国からの独立に向け、住民投票を実施したスコットランドや、独立国家となり観光を軸に経済自立をめざすパラオ共和国を取材し、自己決定権に基づく地域形成の可能性を提示しました。さらに、県内外、国内外の有識者のインタビュー取材を通じて、基地依存、財政依存を脱した自立経済の確立、アジア・太平洋諸国の著しい経済発展に対応した沖縄振興の方向性も提起しました。
 この連載は開始直後から大きな反響を呼び、たくさんの激励文が琉球新報社に寄せられたといいます。「構造的沖縄差別」といわれる沖縄の現状の源流に、琉球王国を暴力的に併合し、自己決定権を奪い去った明治政府の理不尽があることを具体的に描いた連載記事は、沖縄県民に大きなインパクトを与えたと思います。沖縄県内で開催されるシンポジウムや集会などの場で「自己決定権」という言葉がよく使われるようになったことも、キャンペーン報道の効果と考えられます。
 連載記事、特集などを再構成、加筆をして5章構成に編集した本書は、沖縄の自立への道を展望している沖縄の人々の闘いに、新たなステージを準備するきっかけになったと思います。歴史の検証が沖縄の主体的生き方を高め、現在を変える力となっていることを本書は示しています。お薦めの1冊です。
(市原まち子)

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核のキーワード図鑑


9条がありながら戦争する国へ

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被爆70周年原水爆禁止世界大会の開催日程

被曝70周年原水爆禁止世界大会は、8月1日・福島大会(いわき市)、8月4~6日・広島大会、7~9日・長崎大会が開催されます。今年も多くの参加を呼び掛けています。

福島大会:
8月1日(土)12:30~オープニング、13:30~集会開会会場:福島県いわき市「平中央公園」広場(いわき市役所横)
内容:集会、14:25~市内デモ行進、16:00~講演会(いわき労働福祉会館)

広島大会:
8月4日(火)16:00~折り鶴行進(原爆資料館前)17:15~開会総会(グリーンアリーナ)
8月5日(水)9:30~分科会、14:00~ひろば、12:50~メッセージfromヒロシマなど
8月6日(木)9:30~原水禁結成50年記念シンポジウム(グリーンアリーナ武道場)

長崎大会:
8月7日(金)15:30~開会総会(ブリックホール)
8月8日(土)9:30~分科会、ひろば、9:30~ピース・ブリッジinながさき2015
8月9日(日)9:00~閉会集会(県立体育館)、10:15~平和行進、11:02黙とう

国際会議:
8月5日(水)13:30~広島市「アークホテル」テーマ「2015年NPT再検討会議の結果と展望そして私たちの役割―核兵器廃絶と日本のプルトニウム政策」

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